10月4日夜、セントラルリーグ最終戦、ジャイアンツはDENAに辛勝。最終戦のセレモニーについで原監督の交代イベントが放映された。後任は噂通り、阿部慎之助。編集子の好みは高橋由伸の再チャレンジだったが、ま、いいさ。
デジャヴ―というコトバがあるが、この交代セレモニーは長嶋監督がこの原へのバトンタッチを演出した夜の再現だったといえる。ただ、長嶋茂雄という人は生まれつき劇的な演出にたけているのか、スピーチもうまかったし、テレビ側のメーキングもよくできていた。例えば往年の両エース、斎藤・槇原と女房役村田真一の引退試合の演出なんかは見事なものだった。それに比べると今晩の演出はもたもたした印象があり、不満の残るプログラムだったのは残念だ。
小生、長嶋のデビューの時のテレビ報道は見ていないが、阿部の初打席での二塁打は見ているし、原が不調続きで酷評され、”ガラスの四番打者" などと呼ばれた後、ホームランを打って涙をにじませながらベースをまわってていた場面も見ている。いろんな場面が思い出されるが、今晩、心に響いたのは、長島から原への交代劇をつい数日前に見たような気がしたことだった。今更ながら時間の経過の冷酷さが身に染みる。
来年, 新体制で ”サイコーでえす!” とわれらがシンちゃんが絶叫する監督談話を見たいものだ。
大谷選手コメントのこと
大谷選手米大リーグでの本塁打王、快挙、文句なしの快挙だ。最近の報道を通じて大まかなことは分かったつもりでいたが、発表された彼のコメントを読んで、感じたことがあった。
それは自分がこの結果を残せたことを、これまでの日本選手の大リーグでの実績に言及して、”恐縮で光栄なことです” と言ったことである。小生、いままで知らなかったのだが ”恐縮” には二つの意味があることを、これを機会に辞書を引いて初めて知った。辞書を調べるまで、この言葉は英語でいえば sorry にあたるとしか思っていなかったので、真意がわからなかったのと同時に、通訳の水原氏がどう英訳されたのかにとても興味があった。しかし調べてみるとこれにはもう一つ、obliged という意味があると知って、なるほど、適切なコメントだと理解し、同時にこの単語を使った大谷選手の教養に別の意味での感銘を受けた。いままで、生意気にも若い年代の人たちの会話や文章に日本語が”荒れていく” と嘆いてきたわが身の浅学を悔いることしきり、である。
このコメントがアメリカ人社会に受け入れられることは間違いないが、もう一つ、改めて感じたのは、日本人の何かに没頭する姿勢である。毎日のトレーニングや節制、という事はどのような場合でも必要だろうし、それをストイックに継続する、ということは人種を問わずその道のチャンピオンを目指す人は実行しているはずだ。しかし日本人の場合のように、打ち込む姿勢というか態度が我々の使う意味での 道 という観念に結び付いていくのかどうか、このあたりはまさに文化の違いだろう。大谷選手のかの地での生活態度(たとえばほとんど外食もしないというような節制マインド)を報道で知る限り、まさに野球道を究めようとしている求道者、という風に見える。
日本が敗戦のショックから立ち直れず、自虐的に生きていたころ、スポーツの世界でのいくつかの勝利、たとえばボクシングの白井、水泳での古橋、と言った人たちの活躍は日本人 ”でも” 世界に通用する力を持っているのだ、という意味でわれわれの心の支えになった。かたやスキーでの猪谷選手の活躍の一つの要因は彼を認めた米国人の支援と、もう一つ、徹底して米国人のライフスタイルに溶け込んでいった猪谷さん(一度だけだがスキー旅行でご一緒したことがあるのでこう呼ばせていただく)のスタイルはこの種の求道者、というイメージからは距離があり、あくまでオープンな、アメリカ人的なものだったと思う。どこかで読んだ記憶があるが、猪谷さんのスタイルには、日本代表として選ばれてチームメイトになった、いわば日本的な感覚で育ってきた人たちとは相いれずときとして不協和音があったという事があったようだ。
どちらが良いとか好きとかいうレベルの話ではない。アメリカの国技と言える野球の世界でアメリカ社会に薫風を吹き込んだ、ともいえる今回の話は、単に成績だけでなく、個人の人格やマナーや、人間としての器量が、人種文化の壁を越えてアメリカ人の心に響いた、という事で、ほんの少しだがアメリカ社会の実体験を持つ者の目から見て、凄いことだと思うのだ。
(安田)全く同感です。「近頃の若者は・・・」云々などといつの時代も年寄りは言いがちですが、大谷翔平のような心技体そろった若者アスリートの謙虚で賢いコメントには励まされるばかりです。
アジア人がMLBの本塁打王になること自体、MLBの歴史を揺り動かすほどの快挙ですが、彼は今春のWBCでも並みの選手でない才能と賢者振りを発揮していました。決勝のアメリカ戦でクローザーとして9回に登板、同じ所属球団エンゼルスのスーパースター で同僚のマイク・トラウトを三振に仕留め拮抗したゲームを勝利(3対2)に導きました。これも凄いことですが、僕がもっと感銘を受けたのは、彼が試合前の円陣で仲間全員に対して 声出し をこの大会初めて務めた時の “檄“のコメントです。
「ファーストにゴールドシュミットがいたり、センターを見ればマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたり、野球をやっていたら誰しも聞いたことがあるような選手たちがいると思う。憧れてしまっては超えられないので、僕らは今日超えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう」。全く言い得て妙な発言です。その甲斐あって、日本チームは見事3度目の栄冠を勝ち獲り、大谷選手はMVPとなりました。挙げた3選手は全員MVP(最高殊勲選手)を獲った米球界のスーパースタ―です。この大谷のコメントは英語にも訳され、アメリカ国内でも大変大きな反響を呼び、大谷選手の人となりの株を大いに挙げました。
3月のWBCにピークを持ってくるという負担は、長丁場のMBLペナントレースの終盤に肘が悲鳴を上げる一要因になったのかも知れません。進化したハイブリッドのトミー・ジョン手術は、一部の専門家からは復帰後(2025年以降)、170キロのスピードボールを投げることが出来る、などと嬉しいことを言ってくれています。肘へは2度目のメスですから予断は許しませんが、肘への負担が大きい彼の得意な曲がりの大きな スイーパー に頼らずとも快速球・豪速球で打者を捻じ伏せることが出来ればそれに越したことはありません。2024年は投球はせず、打者に専念、二刀流は2025年から が現在の予定とのこと。来シーズン、DHに専念してホームラン数が今年を凌駕して50本以上打てば、怪物以外の何物ではありません。彼には “Wish you the best of luck” と伝え、来シーズンの活躍を期待したいと思います。
23年9月 月いち高尾 (47 関谷誠)
来年、創部90周年を迎えるKWVで育った我々ワンダラーの山登り、山歩きに対する情熱は老若男女失せることありませんが、現実は厳しく、体力・足腰の衰えを如何とも隠せない老齢世代、一方で、それなりの体力を維持しながら、何とかごまかし得る若年老齢世代等々、幅広い層が参加・楽しめるイベントの企画は、KWV三田会としても大きな課題のようです。 この「月いち高尾」の会は、発起人の36年「ナンヤカンヤ」会の皆さんの参加がおぼつか無くなった時点で、自然消滅させても良いのかも知れません。しかし、バリバリの若年老齢世代の参加が増え始めている昨今、又、「テング飯店」での後の祭り懇親会も店が貸し切り状態となる盛り上がりを呈しており、何とかこの会を継続できないかと悩み、思案する三代目世話人です。そこで、今回、新たな試みとして、「高尾山」山域をゆっくりと自然に触れながら、仲間とワイワイガヤガヤ、体力的負担の軽い山歩きの「シニア―」向けプランと、それなりにハードな登山を楽しめるプランの2本立てとし、下山後は、「テング飯店」に集結とのプランを企画しました。
<以下、敬称略>
(シニア―・コース) 34/船曳夫妻、36/遠藤、中司、高橋、吉牟田、鮫島、39/蔦谷、三嶋、40/藍原、41/久米(コブキ)、43/保屋野、44/吉田、47/平井、関谷 <14名>
(南高尾7サミット・コース) 39/堀川、42/下村、44/安田、46/村上、49/長山、50/実方、丸満、51/斎藤、五十嵐、羽田野、59/後藤、BWV/大場 <12名>
- シニア―・コース
10:00 京王線「高尾山口」集合 (1) 10:15清滝発ケーブルカー (2) 保屋野/久米/吉田 6号路琵琶滝コース 11;30 高尾山山頂 昼食
秋の遠足シーズンで、山頂はビニシーを所狭しと広げ、美味しそうな手作り弁当をほおばる小学生、幼稚園児で賑わっており、我々年寄りはそれを楽しく眺めながら、多少のエネルギーを充填出来たかな!この子らに見惚れたのか、何と二人の御仁が昼食をとった石の腰掛にスマホを忘れ、下山途中の薬王院近くで気付き、慌てて山頂に引き返すハプニングがあった。園児を引率していた保母さんだったのではないと推定されたが、何と、バラバラに座っていた場所に置き忘れた2台が揃って、目の付くところに、並べて置いといてくれており、事なきを得、スマホが命と豪語する御仁の喜び様と云ったら! ちゃんと置いといてくれた日本人の美徳を一同称賛。
下り:
・本隊: ケーブルカーで清滝に下山
・遠藤/保屋野/関谷: 1号路から、途中、金毘羅尾根を下り高尾駅へ
平均年齢82歳とは思えない元気なシニア―、足腰が多少覚束ない方も見受けられたが、口の方は相変わらずお元気そのもの、体調不良、事故等のない、9月末とは思えない 暑い中での汗をかいての楽しい秋のワンデルングでした。
- 南高尾セブンサミッツ・コース
JR相模湖駅(八王子駅北口行き)8:39⇒(バス16分)⇒8:55大垂水峠9:00⇒(30分)⇒9:30①大洞山536mオオボラヤマ9:40⇒(50分②コンピラ山③中沢山494m)⇒10:30見晴台10:40⇒(50分④入沢山⑤泰光寺山)⇒三沢峠11:30⇒(30分⑥榎窪山420m)⇒12:00⑦草戸山364m(昼食)12:35⇒(1時間10分)⇒13:45四辻13:50⇒(20分)⇒14:10高尾山口駅
・朝は全員が予定通り相模湖駅のバス停に集合、バスで大垂水峠へ向かい下車後、大垂水歩道橋から出発しました。軽快な足取りで登りをこなすとひと汗かいたころにこの日の最高地点大洞山(オオボラヤマ536m)に到着し、さらに引き続きコンピラ山、中沢山を通過しこのコース最高のビュースポットである見晴台からの丹沢方面の眺望を楽しみました。
・セカンドを歩く堀川さんの歩きがとても早くトップを歩く五十嵐さんが煽られっぱなしで予定より20分も早く最終の第7のピーク草戸山に到着、ゆっくりと昼食を摂りました。・草戸山から高尾山口までは小さなアップダウンを繰り返しながら緩やかに下っていく長いコースでしたが、いつの間にか堀川さんがトップになってパーティをリードし快調に高尾山口まで下りました。
(編集子)今回は別報した通り、メンバー(当会第二代世話役)堀川義夫君の100名山登頂を祝して、二次会において記念のプレートを贈呈した。次はだれになるか、興味深々である。ホリ、おめでとう!
関谷君報告原文にある ナンヤカンヤ会 というのは ナンカナイ会という光輝と栄誉ある(実社会ではときどき不都合に遭遇することもあることを体験ずみではあるが)名称の誤記であることを付記。本件は同氏あて配達証明つきにて訂正を申し入れ済み。
尚、写真は多数寄せられていて掲載が困難であるので、参加者には撮影者から送られているグーグルファイルをご参照されたく、本稿には代表例のみを転載させていただく。
(久米)斉藤氏の素晴らしい写真集も楽しく拝見いたしました。やはり「南高尾7サミットコース」楽しそうですね。参加したかったです。でも体力に自信が無くて琵琶滝コースを歩きました。
永遠の少年、保谷野氏と、ずん六植物学者と教養深い山行を楽しみました。まだまだ夏の花も残っていてシュウカイドウなど見事な花を見ながら、ずん六先生の解説付き和歌まで飛び出して「自然教室」に参加しているような気分の中々教養深い山行でした。行き交った保育園の生徒達小学5年生、皆驚くほど元気で励まされました。
天狗の飲み会も無事スマホが見つかったこと、堀川さんの100名山達成のお祝いと楽しい会でした。色々お世話になりました。
仲秋の名月 (34 小泉幾多郎)
9月29日(金)は中秋の名月。マンションのベランダからスナッ
今日金曜日のNHKBSP13時からの映画、西部劇にあらず、日
(安田)見事な中秋の名月・満月の写真、ありがとうございます。僕も自宅
国立天文台の情報によれば:
そもそも「中秋の名月」って何?
「中秋の名月」は、旧暦(太陰太陽暦)8月15日の夜に見える月
しかし正確には、15日目に満月になるとは限らないのだそうです
(編集子)名月が名手のレンズに収まった2023年10月29日18時18分、小生はお湯割り焼酎がすぎて正体のなくなった吉牟田をタクシーごと夫人に引渡していました。世田谷区新代田駅上空にも名月はさえわたっていたんでしょうな。 嗚呼、人間のなんと矮小なる、なんて顔つきで。
(保屋野)一昨日は、ほとんどダメでしたが、昨日は(少しゆがんではいましたが)雲間に奇麗に見えました。
月は地球と比べて、直径が1/4、体積が1/100で、もし月が無かったら地球の自転速度は8時間/1日で、強風が吹き荒れる、かなり厳しい環境になっていたそうです。当然、潮の満ち引きもなく、生命の進化に大きな影響があったでしょう。
なお、月をテーマとした楽曲も多いですが、愛好会で話題になった、ドボルザーのオペラ、ルサルカ「月に寄せて」やミーナの「月影のナポリ」を思い出します。ピアノ曲では、ベートーベンの「月光の曲」、ドビッシーの「月の光」でしょうか。日本では、「炭坑節」や菅原都都子の「月がとっても青から」「月の砂漠」「月」、「花かげ」・・まだまだありそうです。
(豆知識)下弦の月
半月には上弦、下弦の月がありますが、(左が弦の)上弦の月しか見たことがないので不思議でした。ネットで調べたら、下弦の月は、真夜中に上って明け方に南中し昼間沈む、とありました。寝てる時間なのであまり見ないのですね。
(河瀬)小泉さんを見習って昨夜私も自宅の庭から写真を撮ってみました。
乱読報告ファイル (44) 逢坂剛 イベリア・シリーズ
先日、エーガ愛好会のテーマで ”戦争もの” について触れたときに書いたが、小生は第二次大戦の欧州戦線のことについて興味を持っている。そして映画化された原作を史実をできるだけ忠実に描いたもの、史実を認めたうえでのフィクション、史実とは関係なく時代的背景だけを借用したフィクション、という風に勝手に分類したのだが、この2番目にあたる作品群は物語そのものの面白さを通じて知らず知らずのうちに歴史的事実を明らかにしてくれるという意味で、手軽な歴史教科書でもある、という事を改めて感じたことを報告したい。
欧州戦線を描いた映画は数多くあるが、そのほとんどが戦場や戦闘に参加している国々での話であって、結果として地理的には欧州本土での筋書きになる。そう考えてみると、永世中立国を宣言したスイスは別としても、欧州の主要なメンバー であるはずのスペイン、あるいはポルトガルはなにをしていたのか、どういう立ち位置にあったのだろうか、という事はほとんど出てこない。特にスペインは熾烈な市民闘争をへてフランコの独裁政治を実現したのだが、その過程でドイツの武力を借りた(有名なゲルニカ空襲の話がいい例)わけで、ドイツにもっと肩入れしてもおかしくはないし、することにも独裁制であるからフランコ一人の決断でできたはずだ。ルーズヴエルトが真珠湾攻撃を事前に知っていながらあえて放置し、あたかも日本の卑怯な奇襲であると思わせて国民の憤激をあおり、大戦への参加を米国民に納得させたというような必要はなかったのだ。
逢坂剛という作家はデビュー作 暗殺者グラナダに死す 或いはその次のヒット作 カディスの赤い星 という二つの作品でスペインでの生活体験を生かしたすぐれた冒険小説を書き、現在は矛を転じて日本の警察組織を背景にしたシリーズ物を書き続けている。僕が大好きだった(不幸、最近病没した)原尞が出版社泣かせの寡作家であったのといい対称の多作家である。僕は上記2冊を読んだ以外、この量産ものには多少辟易していて一切読んでいないのだが、その間を埋めるのがイベリアシリーズ、と言われる連続性のある作品群で、現在までに イベリアの雷鳴 遠ざかる祖国 燃える蜃気楼 暗い国境線 鎖された海峡 という5冊 が出ていて、その延長線に 暗殺者の森 という作品がある。
このイベリアシリーズは、日本軍参謀本部の密命を帯びてスペインに宝石商を装って滞在する主人公が途中からは敵国になってしまう英国・米国の情報部、スペインが中立であったために同じ場所に居合わせるドイツの情報機関、反フランコ地下組織、などととの間で交わす情報戦の形をとっている。実在の人物としてはスペインの独裁者フランコをはじめ、ドイツ情報部(UPWEHR) の司令官カナリス提督(のちヒトラー暗殺にかかわったとして残虐に処刑された)、冷戦下で英国を裏切ったダブルスパイとして我々も名前だけは聞いたことがある英国のスパイ キム・フィルビー、日本の須磨弥吉郎駐スペイン大使やドイツびいきで結局日本を窮地に追い込むことになった大島浩駐ドイツ大使、ジャック・ヒギンズ大戦秘話ものに度々登場するドイツ軍の切れ者ワルター・シュルンベルク(反ヒトラーであったらしく大戦中のいくつかの人道的な行為が認められて戦犯に問われなかったという)などが出てくる。断片的に知っているひとりひとりにかかわるエピソードなどが出てくると嬉しくなるのもこういうカテゴリの魅力だ。
各編の内容の紹介はしないが、”イベリアの雷鳴” は反フランコ市民によるフランコ暗殺計画、”遠ざかる祖国” は三国同盟という歴史的なミスに引きずられて大戦に参加することになる日本への視点、”燃える蜃気楼” は真珠湾からミッドウエイに至る経緯、”暗い国境線” は大陸への侵攻作戦の準備建てとして実行され、最近映画にもなった英国のミンスミート作戦、”鎖された海峡” ではノルマンディ侵攻の前後、”暗殺者の森” はヒトラー暗殺計画、などが背景になっていて、今までの教科書的な知識の限界を越えて欧州社会での反応を異なった視点から考えることになる。
身近なことでは日独伊三国同盟の裏側とか、米国を大戦に引き込むために英国が裏では実は日本の参戦を期待していたとか(それだけに英国最新鋭の戦艦プリンスオブウエールズが日本海軍によって撃沈された時、チャーチルの狼狽は大変なものだったらしい)、日本の公式暗号が解読されていたという事実(ドイツの暗号エニグマを解読した話―先にイミテーションゲームというタイトルで放映された英国情報部の成功が特に有名だが)、日本側戦線の帰趨をきめたミッドウエイでの敗北もまた暗号が解読されていたからだという話をあらためて知ることができる。
情報戦、という単語は最近よく聞くが、当時はコンピュータも偵察衛星もなく、もっぱら人的リソースによる、いまでいう HUMINT 合戦であることが魅力でもある。背後には上記したフィルビーが実例だが、ダブルスパイ、という存在がある。欧州では人種国籍の異なる人間との接触は日常のものであり、日本の様な単一文化の下では想像しにくいのだが、一国のスパイを捕縛してその安全を保障する代わりに逆スパイに仕立てる、という行為が現実性があるようだし、事実、国を挙げてそれを実現したのが英国であった。このことは大分以前、本稿でも紹介したがその実情を細かに記述した Double Cross という本もある。
太平洋戦線で言えば、破竹の勢いだった日本海軍のエース、山本五十六が基地視察に出たところを待ち構えていた米軍機に撃墜され、これから前線の士気は落ちていくのだが、これはスパイとは関係なく、現地部隊間の連絡通信が傍受されたからだと判明している。この悲劇もまた、情報戦の結果だと言える。
本シリーズのような形式の本にはほかにも同じようなスタイルで僕の興味を引いたのがいくつあるが、中でも日英条約のことを扱った伴野朗の 霧の密約 などは重厚な記述が魅力の一冊であった。三国同盟が日本を壊滅に追い込んだのだが、もし、日英同盟が当初の目的通り機能したら、我が国の運命はずいぶんと違っていただろう、と今更ながらに感じる一冊だった。
此処で紹介した本はいずれも現在の書店店頭で探すのは困難だが、例によってアマゾンを辿れば中古、でたやすく入手でき、しかも同社のレーティングで良い、非常に良い、などとされているもの(写真の5冊のうち3冊がそれ)はほぼ新品同様で価格は150円であった(新刊時の価格は例えば2300円)。
いま天下はロシアとウクライナの騒動で持ち切りだが、エレクトロニクスの粋を極めた情報戦の陰で、HUMINT は生き続け、SNS だ AI だというような新兵器を通じて、なお活動し続けるのだろうか。
(ウイキペディア記述)
ヒューミントとは、人間を媒介とした諜報のこと。合法活動や捕虜の尋問等も含み、スパイ活動のみを指すわけではない。外交官や駐在武官による活動をリーガル、身分を偽るなど違法な手段で不法に入国しての活動をイリーガルと呼ぶ。
合掌・ダークダックスーされどわれらが日々
(飯田〉ダークダックスの愛称ゾウさんの遠山一さんが9月22日に93歳で亡くなりました。これでダークダックス4人が全員、鬼籍に入ったことになります。
パクさんの高見澤宏さんが2011年(77歳)に、ゲタさんの喜早哲さんは2016年(85歳)に、同じ年にマンガさんの佐々木行さん(89歳)が亡くなりました。
いつも穏やかな唄い口で、茶の間に灯を送り続けた65年間の活動歴で、同一メンバーによる最長寿ボーカルグループとして、ギネス世界記録に登録されたりグループとして紫綬褒章を授与されました。全員が慶應義塾大(経済学部)出身のダークのヒット曲は≪ともしび、カチューシャ、トロイカ、雪山讃歌、北上夜曲、森の熊さんなどですが、何んといっても銀色の道≫が良かった!!
https://www.youtube.com/watch?v=y-8ENWr8GTI
(船津)グループ誕生間もない頃銀座ヤマハホールとか慶早戦前夜祭などで
(保屋野)ダークダックスの「銀色の道」、久しぶりに聴きました。やはり素晴らしいですね。ただ、私は、ダークダックスの最大の功績は、ロシア民謡を日本人の愛唱歌にしてくれたことではないでしょうか。
3大ロシア民謡の「ともしび」「カチューシャ」「トロイカ」の中では「リンゴの花ほころび川面にかすみたち・・・」のカチューシャが好きですがあまり知られてませんが「すすらん」も良い曲ですね。最近は「純烈」何かが人気があるようですが、ダークダックスのハーモニーは不滅だと思います。
(河瀬)懐かしのダークダックス、
(金藤)小学生の時から、ダークダックスの歌をよく耳にしてきました。私は優しそうな低い声のゾウさんが好きでした最後のお一人ゾウさんも他界されてしまい残念です。スリー・グレイセス、覚えています。子供心に、
(編集子)船津兄の話と相前後しているのだと思うのだが、我々が高校を卒業する機会に、卒業生が集まる機会があったが、一貫教育校のために、大学の卒業式典以外のいわば中継点では、学校では形式的な行事以外、お祝いイベントはあまり積極的ではない。そうはいうけど、おめえよお、なんかやろうじゃんか、というはねっ返りがいたんだとおもうのだが、とにかく、場所も覚えていないが数百人が集まる会があった。その席での司会というか、進行役を小生がつとめることにあいなった。高校生といえどもエンタテインメント界には強い連中(当時のおおまかなくくりでいえばその多くはいわゆる軟派)にそそのかされて男気を出して出たはいいが、(次はダークダックスの番)とプロンプトされてもそんな名前に聞き覚えはなく、ましてメンバー紹介で躓いた。コーラスが終わった後、マンガさん(誰だったかなんてその時は知る由もなし)に呼びつけられて、おめえ、先輩が来てるんだ、名前くらいおぼえとけ、と脅かされたことがある。亡兄も彼らと同期だったはずだが、うん、あんなのたしかにいたよなあ、という程度だった。その後もダークのコーラスはいやというほど聞いたがおれの佐々木先輩の印象は改善しなかった。
ついでに思い出したのだが、このほぼ1年後, 高校卒業生のあいだで実施された行事があり、高校時代にホーケンと呼んでいた放送研究会のワルから、おめえ、頼むから即興劇場ってえのに出てくれ、と頼まれた。売り出し中の女優が来て、ジュリエットの有名な場をやるんだがロメオをやるやつがいねえんだ、頼む、と言われて出てみた。此処でもへえ、こんなお姉さんがユーメイなんかあ、という程度で一応セリフは無事にこなして、ホーケンからは感謝された。その人の名前は黒柳徹子、というのだが。
ウイキペディア解説 ”銀色の道” NHKの『夢をあなたに』(『夢であいましょう』の後継番組)から誕生し、2グループの歌手の競作となった。最初にダークダックスがテレビ番組で発表したが、レコードはキングレコードからザ・ピーナッツが先行して発売(シングル「ローマの雨」のB面曲)し、やや遅れてダークダックスも同じキングレコードから発売(シングルA面曲)した。『NHK紅白歌合戦』では、ダークダックスが1966年の第17回に歌唱した。現在でも両グループのCD全曲集に収録されることの多い楽曲である。
秋のたより、かなあ (HPOB 金藤泰子)
コロナとインフルエンザ同時流行について (34 船曳孝彦)
新型コロナウィルスCOVID19患者が増加しています。
1日1万6千を超えており、第8波のピークに近い数値です。しかも定点観測からの推計であり、世の中の意識はコロナをすっかり卒業してしまっており、制約もかなり弱いことから自分で有料の検査を受ける気の全くない人ばかりです。従って本当はもっと多いものと考えざるを得ません。しかし政府は体面からでしょうか第9波と認めません。
実際私の周囲でも、感染者は頻発しており、皆さんの周囲でも同様でしょう。私の参加した会合でも2回陽性者が出て、私は濃厚接触者でしたが2回とも陰性で事なきを得ました。今回のコロナは、EG5通称エリス株というオミクロンXBB.1.5からの新変異種が4割を占めるようです。感染力は一層強いようですが、どうやら重症化度は低いようです。
しかし大変なことにインフルエンザとの同時流行が起こっていることです。前期の会合でもコロナとインフルが同時に発病しました。インフルエンザがこの時期としては未曽有の高陽性率で、この3年間流行が下火だったことで国民の免疫が低下しているのではないか、海外から新たなVirusが入ったからではないか、など議論されていますが、感染防止法はコロナと同じですので、罹らないようご注意ください。
コロナにもインフルにも、それぞれワクチンが大切です。新変異株に対する防止力は未知ですが、今回ワクチンはBB.1.5.に対応する新しいワクチンですから有効性期待大ですし、重症化防止に有効です。私も既に7回目を受けました。
10月からはコロナ医療支援が縮小されます。高額治療薬が全額公費だったものが一部負担に、入院費補助の限度が2万円から1万円に、医療側には病床確保料が8割に減額、診療報酬も来年減額します。
やがてコロナはインフルと全く同様の扱いになるものと思われます。 コロナ以前に在った社会生活は復活させねばなりません。家に閉じ籠らず、十分な対策をしつつ自由に他人と逢い、活発な健全な生活に向かいましょう。
エーガ愛好会 (232) ロスト・キング (HPOB 小田篤子)
(ウイキペディア解説)
『時の娘』(ときのむすめ、The Daughter of Time)は、ジョセフィン・テイ作の長編推理小説。グラント警部シリーズの一作で、1951年に発表された。悪名高い15世紀のイングランド王リチャード3世の「犯罪」を、現代の警察官が探究する。テイは本書出版後間もなく没しており、本作が作者存命中に出版された遺作となった。テイの代表作と呼ばれる本作は、探偵役が歴史上の謎を解き明かす歴史ミステリの名作として、またベッド・ディテクティヴの嚆矢的作品として知られる。
日本語版の翻訳権は早川書房が独占所有する。1954年に村崎敏郎訳でハヤカワ・ミステリから刊行、1975年に小泉喜美子訳でハヤカワ・ミステリから刊行、1977年に小泉訳でハヤカワ・ミステリ文庫から刊行された。
(小田)ありがとうございます。「時の娘」是非読んでみたいと思います。
百名山登頂完遂! (39 堀川義夫)
2023年9月24日(日)100名山100座目の高妻山に登頂し、15歳で丹沢(塔ケ岳)登頂以来、途中26歳から46歳までの20年間のブランクがありますが、82歳の今日まで足掛け67年かけて100名山を制覇することが出来ました。67年も掛って制覇したのは、最長期間記録では無いかな(笑)・・・?? そもそも深田久弥の「日本100名山」は1964年(私の大学卒業の年。東京オリンピックの年)の発刊です。従って、学生時代には縁がありませんでした。
46歳で登山やスキーを再開したころは、深田久弥の100名山をバイブルにして、中高年の登山ブームが始まっていました。私も一時期、100名山を意識して数座を登りましたが、直ぐにこれは違うのではないか? 好むと好まざるともやみくもに山に行くのは良しとはせず、同じ山でも自分の好きな山に四季折々行く方が私は好きなんだ。という意味で100名山を意識しなくなりました。
2020年の夏のことでした。ある山友に100名山完登まであと幾つですかと聞かれ、改めて登った山の数をカウントするとなんと85座もありました。79歳の時でした。それからは100名山制覇を意識し、積極的に行くようにしました。86座目以降に行った山は次の通りです。15座登頂に3年を費やしました。
2020年7月 火打山(86座目)妙高山(87座目)
2021年5月 久住山(88座目)祖母山(89座目)7月 幌尻岳(90座目)11月 剣山(91座目)
2022年4月 伊吹山(92座目)5月 恵那山(93座目)荒島岳(94座目) 6月斜里岳(95座目)
7月 雌阿寒岳(96座目)
2023年6月 岩手山)(97座目) 7月 早池峰(98座目)雨飾山(99座目)高妻山(100座目)
100座目登頂記
2023年9月24日(日)前日から長野入りし善光寺に登頂祈願し、当日は最高の天候に恵まれ、婿(二女の夫)と孫(長女の長男)そしてKWVの10年後輩の丸満さんを従え、いいえ、付き添われて出発しました。登頂までは何とかコースタイムに近いペース(5時間少々)。で登ることが出来ました。頂上で記念撮影をしていると周辺の方々から温かい拍手や「おめでとう」の言葉にもう少しで涙がこぼれそうになりました。 下山は最悪でした。最近は下山に想像を超える時間を要するようになってしまいました。情けないほうほうのていでバテバテになり、途中意識朦朧になりそうになりながら、12時間を超える山旅をやっとの思いで何とか無事に終えることが出来ました。
婿の譲さん、孫の裕也、後輩の丸満さん。本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。100名山完登で一区切りがつきました。これからも、自分の体力に見合った山旅を楽しんでいきたいと思っています。お世話になった多くの方方に感謝、感謝です。ありがとうございました♪