感染者減少と緊急事態解除にあたって    (34 船曳孝彦)

新型コロナ感染者数が減少しています。何故減ったのか?これで終息へと向かうのか?まだ予断を許さず、はっきりしたことは分かっていません。

政府の言いたいワクチン接種率が向上したか。僅かづつ接種率は上がっているとはいえ、最近の新感染者数カーブを説明できるような接種率ではない。では感染機会と一致したカーブの人流が減少したか。これはむしろ増加傾向とみてよさそうだ。会食、イベントも減ってはいない。そうなるとこの感染者減少が、どうして起きているのでしょうか。

感染者の年代が老年世代から若者世代へと移行してきていました。そして基礎疾患のない若者での死亡例が報道されたこと、自宅死亡が報道されたことにより、若年世代間に‶他人ごとではない“という危機感が出てきて、行動にわずかな変化が生まれて感染率が減少したのではないかという発言をされた方がいましたが、私もそれを支持したいと思います。

もう一つ、非常に大事なことですが、ウィルス自体が自らをコントロールできない程の変異をして、自壊(エラー・カタストロフィー:Mアイゲン教授)という終局へ向かったのではないかという児玉龍彦教授の仮説です。こんなありがたい話に飛びつきたいのですが、ウィルスの運命の一パターンには違いなく、スペイン風邪もこれで終わったという解釈もあります。これは乞い願うしかないのですが、あって欲しいものです。

それにしても世の中は、緊急事態宣言解除へとまっしぐらの感じです。怖ろしいのは次の第6波がやってくると思いますので、それに備えなければいけないところ、全くと言ってよい程準備されておりません。軽快退院してゆく患者全員のPCR検査がなされておらず、もし弱いウィルスを持ったままであると、治療抵抗性のウィルスの培養器となり、いつか新たな変異を起こして再燃し、第6波の火元となります。今時間的にも余裕が生まれている筈です。感染者ばかりでなく、広く検査を行うべきです。新たな変異株を確実に把握せねばなりません。

3回目のブースターワクチン接種が話題となり、そこへの既定路線に乗ってきたようです。私としても受けたいとは思います。しかし本当にそれでよいのでしょうか。まだ2回目が済んでない人が国民の半数はいるのです。主義上、持病上接種できない人を除いても、まずは全員接種を目標としそれから考えるべき筋合いのことと思います。それよりも世界を見てみると、何億という単位で接種が大幅に遅れている人々がいます。アメリカでは再び感染者が増えそうです。グローバルな世界となっていますので、日本だけ終息すればOKとは言えません。終息したと思っていると海外から新変異株が入って来ます。 治療面では、抗体薬がクローズアップされてきましたが、特異性と抵抗性のせめぎ合いとなりますので、カクテル抗体が必要になります。

これが一番大事かもしれませんが、医療体制の整備です。場当たり的にコロナ病床を増やせというのではなく、重症用ベッド、中等症用ベッド、軽症者用ベッド(これには今のホテル・イベントホールなどの待機療養ベッドを含め)に、根拠を持った必要数と、空きベッドのまま次の第6波、7波(あるいはまったく別のパンデミック感染症がいつ出現するか分かりません)に備える必要があります。自宅待機を亡くしましょう。多くの病院で二人部屋を一人用に転換しています。非コロナの病棟を圧迫しています。胃癌患者は早期がんが減って進行がんが増えています。総合的に検討し、整備するのは今でしょう。

自粛開放ムード一色となりつつあります。コロナ対策はこれで良かったのではないかという、誤った認識が生まれそうで、それが怖いことです。日本のこの1年9か月、コロナ対策としては誤りの連続であったことは、これまでの『コロナ情報』で毎回指摘してきました。若しこれで終息に向かったとしても、幾多の問題をほったらかしているので、全く安心はできません。ウィルスの自然傾向から見ると、次のピークは12月、正月ではないかとも言われます。 細心の注意を払いつつ、青空を待ちましょう。

火事ってこんなだよ!    (34 小泉幾多郎)

昨日9月28日の朝7時半ごろ、あまりの警報のうるささに窓を開けると なんと 近所の4階建ての住宅の4階から煙が出て消防車数台で消火活動をしているのが眼前で行われていてビックリ。
現場の前が駐車場で住宅がつながっていないことで延焼の危険はなさそうなので写真を撮りました。滅多にないことなので参考に送ります。 どうやら賃貸の住宅で、燃えたのは一軒だけのようですが、住宅そのものはどの程度の損傷になるのかわかりません。火事の恐ろしさを眼前で見たのでした。火の用心!

(菅原)隣りじゃなくて良かったです。真ん中の写真のオソロシイこと。

(小田)近火お見舞い申し上げます。私も怖い経験をしましたので、火災報知器が話題になり、付けることが、義務のように言われた時、狭い家に7個も自分で取り付けました。あれから何年経つでしょう。このお話しを機に点検せねばと思います。でもこの頃あまり聞きませんね、火災報知器。

(安田)消防車出動について、昨年の暮れ(12/30) 家内が腰を骨折して救急車を呼びましたが、驚いたことに大きな赤い消防車まで来ました。近所は年の暮れに何事かと魂消ていました。全く動けない患者の身体を完全に固定させる装備・器具とそれを運用・運搬するのは救急隊ではなく消防士の担当とのことでした。金属製の担架に患者を固定して、家の中の狭い廊下や階段を担架を縦に直立したまま運び、通り抜けました。救急車に常備されている布担架では、寝かせて運ばねばならず用を足さないことが予見出来たので消防車と消防士が来たのです。病院へは担架をそのまま救急車に入れて運びました。消防車が火事以外で機能するのを、初めて目の当たりにしました。救急隊員と消防士が天使に見えました。

(金藤)奥様大変でしたね。 その後いかがでしょうか?うちの近所の方が腰を打って動けず救急車を呼んだ時も消防車が一緒に来ました。住所を告げるとマンションは安田様のお話のように、戸建でも患者さんが動けない状態の時は消防車がセットで来るとその時教えてもらいました(その時は担架で運べたので、消防車はすぐかえりました)。

 

ケイオーイズムが輝いた一戦   (HPOB 菅井康二)

塾野球部はこのコロナ禍のため変則ルールではありますが春季リーグ戦では3季ぶり38回目の優勝を果たし、東京六大学代表として第70回大学選手権記念大会においても34年ぶり4度目の日本一になりました。
選手たちは秋季リーグ戦の前から四冠(リーグ戦の春・秋連覇、大学選手権と神宮大会制覇のグランド・スラム)達成を目指して練習に励んでおりました。開幕直前に法政野球部では30余名の感染者が出てしまい、他のリーグでは不戦敗となるところですが法政が参加できるようにさらなる変則スケジュールを組んで秋季リーグ戦が開催されております。

総当りの対校戦は同じなのですが、春と同様で延長戦は行わず2試合 までで勝利で 1点、引き分けで0.5、敗戦で0という 通常の先に2勝して勝ち点1とは違うルールでやっています。法政は9月中は出場が無理 なので10月からの参戦ということでチームによっては月曜を空けて火水という5日間で4試合を行うことがあるという変則 スケジュールです(火水のあと木金を 空けて土日という6日間で4試合というチームもあります)。 法政の監督は六大学の友情に感謝して涙を流していたそうです。

塾野球部は第1週目は東大と 対戦し大過なく二連勝し、先週末は 相変わらず甲子園常連の野球強豪校からの選手を取り揃えた 明治戦に臨みました。応援に 行った土曜日の1回戦は6回裏まで31でリードするも7回表に同点、さらに8回表には43と逆転され後半の流れは明治に行っていたのですが8回裏に 明治の暴投で同点に追いつきそのまま引き分けました。

リーグ戦連覇のためには負けられない日曜日の2回戦 なのですが、ジャズ・ポップス三田会の同期から10/17(日)にリモート開催の 連合三田会で流す演奏の撮影を依賴されていたので 日吉に行っていました。撮影の合間にスマフォで試合経過を追っていました。3回に 先取点を取るもその裏に逆転され21の まま8回裏まで 経過してしまい 、「もはやこれまで!」を諦めておりました。撮影が終わってスマフォでチェックすると なんと9回表に1点を取り 22で2試合連続の引き分けで終了していました。これは勝ちに等しい引き分け(第1試合では開幕以来3連勝していた立教に東大が74で土を つけました)といえます。

同点にした経緯を調べたら、9回表二死ランナーなしで代打の東筑高校出身の北村兼介選手(右・左、3年)が神宮で放った初ヒットが低い弾道で ライトにスタンドインしたとのこと!勝つことこそ出来ませんでしたが貴重な引き分けを拾いました。現在は東大の頑張りも手伝って塾野球部は暫定ではありますが首位に立っております。

値千金のホームランを打った北村選手(内野手・捕手)は高2夏・高3春と2度 甲子園に出場していますが、 オープン戦で見た限りでは守備は六大学レヴェルではちょっと難しいが思い切りの良いバッティングを するのでDH制のない六大学では左の代打の切り札かな?と勝手に想像していました。まさかあの土壇場であのような大仕事をするとは全く 予想していませんでした。最近は2003年に導入された 推薦 入試 制度で実績のあるポテンシャルの高い 生徒が入学するようになった塾高 出身選手を頼りに する傾向が強い塾野球部ですが、 公立進学校 の選手が活躍 するKEIO野球の伝統が現在でも継承されており嬉しい限りです(2回戦で先発した増居投手と ショートの朝日選手は 彦根東出身の3年生)。

ベンチ入りして活躍している文武両道の公立進学校出身者をまとめると以下の通りです。心意気に感じて応援したいものですね(最後の数字はは各選手が甲子園出場した年です。橋本は甲子園には出場していません)。

投手 増居 翔太(左・左、3年、滋賀県立彦根東高)17年夏、18年春
投手 橋本 達弥(右・右、3年、兵庫県立長田高)
内野手 北村 謙介(右・左、3年、福岡県立東筑高)17年夏、18年春
外野手 橋本 典之(右・左、4年、島根県立出雲高)16年夏
内野手 朝日 晴人(右・左、3年、滋賀県立彦根東高)17年夏、18年春

神宮に行っていた応援仲間から聞いた話では 北村選手の応援に来ていたご両親は泣いていたそうです。ベンチ入りしているとはいえレギュラーではないので出るかどうかは分からないのに北九州から両親が応援に来てくれる今時の選手は幸せです。

昭和35 年のセンバツ に出場してベスト8になり 大学では六大学初の完全試合を達成した直方出身の大投手渡邊泰輔さん(塾高大学南海)と神宮でお目に掛かった際には「中学生の頃は小倉高校から甲子園 に出場して早稲田で野球をしたいと思っていた」と仰っておられました。慶應の野球応援仲間 では 密かに「泰輔さんが塾高の元祖推薦 (AO)入学」と囁いておりました。

日本のもつべき ”抑止力” について   (普通部OB 田村耕一郎)

友人から送られてきた、キャノン グローバル戦略研究所 宮家邦彦氏の最近の発言をご参考まで転載します。

 

抑止力とは軍事力の均衡という視点にとらわれがちだが、「平時」とみられる段階から情報操作やサイバーなどの様々な分野で、相手の侵略する意図をくじかなければならない。

現代の戦争は初期段階でサイバー攻撃や情報戦を駆使する非軍事の世界で生じる。全地球測位システム(GPS)やインターネットを使えなくする。スパイ活動やフェイクニュースなどの拡散も同時に起こる。

武器を使わない初期段階で負ければ、どんなに軍事のハードウエアで戦っても勝てない。日本は軍事と非軍事の境目がなくなったことへの対策を考えてこなかった。非軍事の世界での「攻撃」は誰も戦争が始まったとは宣言しない。サイバー攻撃は武力攻撃と定義できるのか、自衛権は発動できるのか、基本的な点ですら整理できていない。

中国はSNS(交流サイト)上で台湾の民主進歩党(民進党)の評判を下げるためのディスインフォメーション(偽情報)を流している。世界中に情報戦をしかけ、台湾との外交関係を切らせようと動いている。ロシアは米大統領選に介入した。

中ロともに専門の組織がある。中国は日本にも当然しかけている。日本はどのような情報戦がしかけられているのか分析し、正しい情報をカウンターとして発信できるように体制を整えなければいけない。日本の政府は組織づくりでも問題意識は弱い。中ロは数千人単位の専門部隊がいるとみられる。日本の現状の体制ではとてもかなわない。

軍事のハードウエアと非軍事のソフトウエアを総動員して、「これでは勝算はない」と思わせなければいけない。

(編集子)時あたかも自民党総裁すなわち総理大臣選出プロセスのピークである。防衛問題について、新総理下の体制つくりに注目しよう。

江戸の秋を味わう     (普通部OB 船津於菟彦)

向島百花園」 文化元年(1804)、佐原鞠鵜(骨董商の北野屋平兵衛)によって開かれた梅園。開園当初は、大田南畝(幕臣、戯作者1749 – 1823)や加藤千蔭(国学者1735 – 1808)などの文人墨客が集うサロンでしたが、秋の七草などの詩歌にゆかりの深い草木類を多彩に植え込み、やがて、江戸の町人文化爛熟期の文人趣味豊かな名園として、庶民に親しまれるようになっていったようです。臥竜梅で名高い亀戸の梅屋敷に対して、新梅屋敷、花屋敷とも呼ばれた。茶店では、庭でとれた梅干が茶うけに出された。戦災で総て失われ再建された物です!石碑などとか庭園の配置は昔通り再現しているようです。
小さな庭園ですが四季折々の草花が何時も見られ、「我の写場」邸内には各所に石碑に刻まれた句碑が建っています。
「春もやや けしき ととのう 月と梅」 芭蕉
「織りたらん 草の錦や 花やしき」柘植黙翁
「こにやくの さしみもすこし 梅の花」はせを(松尾芭蕉)
「今日の月 さても惜しまぬ 光かな」金令舎道彦(鈴木道彦
「朧夜や たれをあるしの 墨沱川」其角堂永機
「限なき そらの要や 望の月」最中堂秋耳
「何事も かかる浮世か 月の雲」七十二峰庵十湖
「水や空 あかり持あふ 夜の秋」北元居士
「うつくしき ものは月日ぞ 年の花」寶屋月彦
百花園で一句 せいこ (我が神さんです)。
葎-むぐら。 瓢-ふくべと読むそうです。むぐらは雑草がざっぜんと茂っている様を表す俳句用語のようですね。
土橋越え萩の葎り洞まで
百花園古リて瓢の実二つ
わが丈を越ゆる尾花も撫子も庭井戸の滑車古リたり小鳥くる

写真の説明はありません。
写真の説明はありません。
名園に妻装いて敬老の日  (写真はよその方です! )
因みにこの庭園の片隅に茶店が在り佐原鞠鵜の子孫の方がお店に居られます。久し振りにかき氷を食べました!350円でした。ツーンと頭にきました。
どうやら今年も秋へ向かう感じですが、生臭い権力闘争や、プロ野球・相撲の行方も今月中にはケリが付きます。神様が皆出雲にお集まりに成る神無月ですね。

(承前) 語彙の問題について

畏友飯田武昭が昨今の日本語の乱れというか、語彙のことで書いてくれた。悪乗りして小生も一つ問題提起をしてみたい。

はじめの話題だが、最近(いつから始まったかわからないが)テレビの番組紹介などの場面で、アナウンサーが 主に歌手あるいは音楽バンド、といったジャンルのプレイヤーのことを アーティスト と呼ぶのがいつの間にか通例になっていることだ。辞書を引けばわかるが、Artist という単語の定義は例えば手元のジニアス英和によれば

1.芸術家、(特に)画家、彫刻家                                                2=artiste(フランス語)                        3.名人、達人,・・・・通

となっている。2番目のフランス語には、同じ辞書の該当項目に、確かに芸能人(歌手、俳優。ダンサーなど)という英語にはない解釈がある、と書かれているが、名人、達人、という意味は共通である。小生フランス語は全く解さないが、電子辞書の発音例ではこの単語は アルティ と読むようだから、誰だか知らないが言い出しっぺというか使いだしっぺが(まずその可能性はないと思うが)フランス語に詳しければ、アーティスト、という読み方はしなかったはずだ。それでは英語でいう アーティスト に、この使い方で表現しようとしている人たち(小生の造語だが誤称されている人たち)が該当するかといえばイエスという答えはまず出てこないだろう。これまた世界に冠たるジャパニーズイングリッシュの一つだと思う。坂本勇人のインサイド撃ちは芸術的だ、などという言い方はよく聞くが、これは上記でいえばきっちり辞書にも書かれている用法である。だから、ここで紹介する人たちが、名人、達人、のグレードだ、という論議ももちろん成り立つだろうが、あまり詳しくはないが、彼ら ”アーティスト” のパフォーマンスが日本野球史上最高のショートストップのわざに匹敵する、と考える人はあまりいないのではないか、と思うのだが。

もちろん言語は社会や文化によって変わっていくものだから、そういってしまえばそれまでなのだが、僕が引っかかるのは、多くの人たちが アーティスト という単語で連想するのは、上記の用例で1,および3,だろうからだ。ロダンだセザンヌだベートーヴェンに葛飾北斎だというイメージを持っているはずの一般人に、あるいは人間国宝として尊敬されるいろんな分野の達人たちが、アーティスト、と聞いてどう感じるだろうか、何を連想するか、である。

断わっておくが、小生は決してこのような ”アーティスト“ と誤称される人たちを蔑視しているわけではない。多くの人たちに(わがワイフもそのひとりだ)テレビを楽しめる場を提供していることはそれなりに意味があると思っている。ただ、彼らは広い意味で芸能と呼ばれる分野で活動しているのだから、芸能人、アナウンスの恰好がつかないというのなら、エンターテイナーあるいはプレイヤーと呼ぶべきで、そうすれば彼らの貢献に対しての敬意も保たれるのではないだろうか、とおもうのである。各位のご感想やいかに。

も一つ、これは用語の問題どころでなく本当にいらいらするのだが、特に政治家と呼ばれる人たちがめったやたらに不要な丁寧語を乱発することである。

“…….ということを決定しました” といえば100%正しい日本語なのに、なぜ ”……..ということを決定させていただきました“ などというのだろうか。我々視聴者が ”……..してください“ と依頼したことがあって、それに対する返答であれば、多少大げさではあるが違和感はなかろう。言ってみれば勝手にやっておいてそれがあたかも頼まれたのでやらせていただいた、とてでも言い募るのはおかしいのではないか。

振り返ってみると、政治家連がこの種の馬鹿丁寧実な言い方を始めたのはかの落第総理大臣鳩山某以来ではないかと思う。”少なくとも県外“ なんてまともな日本人なら絶対信用できないような発言で沖縄の人に却って迷惑を及ぼしたり、”コンクリートから人へ“ などという中学生なみのうたい文句で工事を中断させて、結局は多くの地元の人たちを混乱させただけで何もできなかったダム問題とか、はたまた後継者の責任とは言え党の力不足があらわになった東日本大震災の不手際対策とか、思い出したくもないほど腹立たしい人物である。この人の馬鹿丁寧さに引っかかったのかどうか、一時とはいえ健全野党の実現を信じて一票を投じた自分が腹立たしい。

衆院選挙もまじかであり、今の政権に不安不満は多々あるけれども、結局、仕方ねえなあ、やっぱり自民か、という日がまたやってくる。いつになったら二大政党政治が出来上がるのだろうか。俺には残された時間はあまりないんだが。習い覚えた英語でいえば My days are numberd,  というところだろうか。この言い方なら今の気持ちを誤解される機会は少ないようだ。

寺家村には秋が来てます   (39 堀川義夫)

久しぶりの寺家ふるさと村 もう、秋ですね。

素晴らしい天気になったのでトレーニングに寺家ふるさと村へ行きました。すっかり秋模様になっていて、梨や葡萄は終わっていますがこれからはこの辺は柿が美味しいです。田んぼは正に実りの秋、まもなく稲刈りが始まるでしょう。畦道に咲くこの紫色の花は直径2cmほどで名前を聞いて教えて貰ったのですが、、、家に帰ったら忘れてしまいました。 路傍には曼珠沙華が鮮やかな色を放っていました。

(菅原)全く知らなかったし、これをジケと読むなんて日本語は何時まで経っても難しいな。下の写真を見ると無暗に懐かしさが込み上げて来るのは、歳のせいなのかな。

お名前!と適切な評価語彙     (大学クラスメート 飯田武昭)

「日本人のお名前!」を読んだが、“一昔前は、中原ひとみのナカに司葉子のツカサに青山恭子のキョウですとやって、結構面白かったが、昨今はいい方法がない。キョウは、ある時どこかの店で女子店員に教えられて深田恭子のキョウとやれば通じることが分かった” というくだりが特に気にいりました。

名前のことでは自分もご飯のハンと田んぼのタ、武士のブに昭和のショウと言ってきましたが、近年になって、武士のブと言ってはいるものの、武士は江戸時代まで遡る違和感があって、コロナで有名になった武漢のブとか大相撲の阿武咲(おおのしょう)のノと言ってやろうかと密かに思っている次第。さすがに阿武咲(おおのしょう)を漢字で直ぐに思い出せる日本人は100人中何人居るかと思いむしろクイズ問題かと思うレベルになりますね。

この所、皆さんの話題がジャン=ポール・ベルモンドの死去から「勝手にしやがれ」やトニー・ザイラー主演作などに展開していく間に、ちょっと再見したい映画を脈絡なく選んで観て、そこでの新たな感想です。

1)「白銀に踊る」(1961年)トニー・ザイラー、イナ・バウワー主演ですが、何といってもラスト15分で演じられるアイスショーは、そのレビュー構成、豪華な舞台装置、衣装などフィギュアスケート人気の現代に観ても楽しめるエンタテイメントだと感じました。惜しむらくは多分ストーリー展開の面でショーの演技を十分に映画で見せることに重きを置かずに、次々とカットを重ねている点が残念で、もっと見たいと思いました。

2)「草原の輝き」(1961年)監督エリア・カザン、ナタリー・ウッド、ウオーレン・ビーティ主演ですが、時代が1920年代後半の世界大恐慌前後のカンサスシティとイエール大学を舞台にした青春もので、エーガ愛好者なら監督がエリア・カザンだと分かってしまうくらい演出手法が明らかに前作の「エデンの東」に似ていているが、ナタリー・ウッドの綺麗さは「ウエストサイド物語」以上の佳作と思いました。

3)「ノックは無用」(1952年)リチャード・ウイッドマーク、マリリン・モンロー主演のサイコスリラーで、モンローが精神病を病む役回りなので、モンローファンにはあまり見たくない向きもあるが、この映画はマンハッタンの一流ホテルを舞台にしているだけに、アン・バンクロフト演じる歌手(リン・レズリー)がホテルのバーで歌う乗りの良い曲 “Manhattan”とバーカウンター周辺の感じが、当時のN.Y.の雰囲気を十二分に出していて改めて感心した。この曲“マンハッタン”はイントロが“ナイヤガラを巡る旅”で始まり、“マンハッタン、ブロンクス、スタテン島にも行ける、動物園も楽しいわ”と続く気持ちよい名曲です。

4)「現金に手を出すな」(1954年)ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチェラ、ジャンヌ・モロー主演で、意外にアクション場面が少ない佳作。ドロンとベルモンドのフレンチ2大スター時代より少し前の、眞にフレンチ2大スターと呼ぶに相応しいギャバンとフィリップ時代の代表作の一つ。

ところで、このような映画作品の評価の表現で、名作、傑作、秀作、佳作、などの呼び方がありますが、都度、どの表現が適切かと文学的表現力、語彙力に乏しい私は時々迷ってしまいます。秀作、佳作は割と使い易い表現ですが、傑作はちょっと違う感じがするし・・・・。

もう一つ、この際に知っておきたい私の長年の疑問に、近年の日本語に何とも不思議な単語が普通に使われていることがあります。

その一つはリベンジという単語。私の学生時代は確かRevenge(復讐)と英単語試験用に覚えてしまって応用動作が利かない単語の一つでした。またAthlete(スポーツや他の運動能力に長けた人)とこれも丸暗記した単語が、今や2語共に少し違った意味も含んで日本語として使われていて、覚える必要のある英単語がどんどん減っていく日本社会に違和感を感じながら生活しているのは私だけか、という疑問です。どなたか適切な解釈をして頂ければ有難いです。

(編集子)Revenge というのは日本人には使いにくい単語のようである。同じような意味で Avenge  というのがあって、”復讐” という行為を描写するには使い分けが必要になる。手元の辞書の例文を引用する。

He took up arms to revenge his deceased brother.

At the last moment Hamlet avenged the murder of his father,

つまり revenge は自分以外の誰かのために仇を討つ、という意味なので、忠臣蔵なんかを想起する。一方 avenge は、いわばこの野郎思い知ったか的場面で使うので、ワイアット・アープが弟ジェイムズ殺しでクラントンを射殺する、なんてシーンはいかがだろうか。かの松阪がプロデビューしたとき、たぶん高校時代果たせなかった夢の再現、というような意味でリベンジ、といい、能天気なマスコミは松阪の売り出しにと思ったのだろうかこのことを偉く好意的に報じたのは奇妙であった。有名なバミューダトライアングルで世界に誇る米国空軍の雷撃機小隊が消失してしまうという、現在までなお解決されていない事故があった。”未知との遭遇” ではこのパイロットが年を取らないまま(アインシュタインの相対性原理の結果とか何とか)帰還する。この雷撃機の名前は Avenger であった。Revenger では米国でなくほかの国のために敵艦を雷撃する、という妙なことになるわけだ。これまた、名前のお話。

 

 

 

 

 

エーが愛好会 (89)  裏窓―カメラの話から始めましょう (普通部OB 船津於菟彦)


「裏窓」観ました。出てくるカメラについてのトリビアをひとくさり。

このカメラ当時としては最先端のエキザクタ 一眼レフの元祖と言われる、エキザクタシリーズのVXです。エキザクタは旧東ドイツのドレスデンですが、オランダ資本のイハゲー社は例外的に高い品質を維持したそうです。使いにくいカメラです。何故かシャッターは左側にあったり使い勝手の悪いカメラですが、当時としては最先端。その後日本のカメラメーカーがライカのM3には勝てないと判断して、一斉に一眼レフカメラを開発して今や世界一となったというわけです。
この映画でジェフがつけたレンズはHeinz Kilfitt Fern-Kilar 400mm F5.6という超望遠レンズです。400mmにとって、F5.6のは今で見ても相当明るいです。その大きさからも納得できます。当時は相当高価だったと思います。

 

グレスー・ケリー綺麗ですね。あの衣装が凄い。衣装はイーディス・ヘッド、当時の洒落た映画は殆どが彼女のデザインでした。素晴らしいの一言に尽きます。

 

(HPOB 菅井)イーディス・ヘッドはヘップバーンが主演した「ローマの休日」「麗しのサブリナ」でアカデミー衣裳デザイン賞を受賞しました(35回ノミネートされて8回受賞)。彼女は主演女優を華美な衣装で飾り立てるというよりはそれぞれの個性を引き立てるシンプルなデザインを志向したようで女優には非常に人気のあるデザイナーだったそうです。
ドイツとオーストリアがルーツのドイツ系ユダヤ人として19世紀末にカリフォルニアに生まれ、UCバークレーとスタンフォードの大学院を卒業したという当時としては異例ともいえる高学歴なインテリ女性でした。

(44 安田)今回久し振りにみて一番印象に残ったシーンは、グレース・ケリーが不審な男の部屋に、彼の留守中、無謀にも忍び込むがその男が戻って来て鉢合わせる。彼が戻る前に行方不明の妻の結婚指輪を見つける。ますます男が怪しいと睨む。ケリーを心配してステュアートは機転を利かせ警察を呼ぶ。警察が到着してケリーは間一髪助かるが、その際、見つけた妻の指環を妻殺害の疑いのあるその男から隠すため自らの指にはめ、その手を背中の後ろに持ってきて、中庭を挟んだ対面のアパートの裏窓から、その男の部屋をのぞき込みながら心配げに待機しているステュアートに知らせる場面だ。その時、ケリーの隣にいた、その男は彼女が庭を挟んで反対の部屋に合図を送って知らせていることに気づいたシーンだ。ケリーの仕草から、彼の疑い深げに鋭い目線を追う一連のシーンが緊迫感を盛り上げ、この映画の白眉だと思う。

舞台はほぼ全編にわたって部屋の室内。場所はニューヨークのグリニッジ・ビレッジとある。マンハッタン島の南西部、lower Manhattan と呼ばれる地域にある集合アパート。舞台がほぼ室内の設定は、後年1967年、ヴィクター・ヤング監督、オードリー・ヘプバーン主演の映画「暗くなるまで待って」(Wait Until Dark)が酷似している。ヒッチコック作品では「ロープ」がそうであった。「裏窓」撮影は全てステュアートの部屋から撮ったという。登場人物は全員アパートの住人で、彼らの生活が一連の流れになったおり、それを可能にするため、「全編スタジオセット撮影」という方法で行われ、窓の外の隣近所のアパート部屋との距離、見える角度、アパート隣人たちの多種多様さ、車道を通過する自動車の種類、台数、タイミングなど、全てが完璧に計算されていたという。ヒッチコック作品の中でも特に作り込みの細かい作品と評価が高い。

(普通部OB 菅原)「裏窓」は日本公開時(1955年1月)に見たから、小生、高校生の時代だ。

ここで、一番、印象に残っているのは、何と言っても、犯人役を演じたR.バーだ。先ず、裏窓越しのトイメンの室内は、当然、音もなく不気味。加えて、そのバーのやっていることは、妻殺しであり、世にも恐ろしい犯罪だ。世の中には、こんな奴がいるのかとかなり衝撃を受けた。安田さんのバーの写真、その恐ろしさとバレたやばさを見事に写し取っている。ただし、「陽の当たる場所」に地方検事で出ていたらしいが、全く記憶にない。

テレビでは「弁護士ペリー・メイソン」(安田さんは、「弁護士ペイトン・プレイス」と誤って表記しているが、人間「グーグル」であっても間違えることはある。別の意味で、「ペイトン・プレイス」の方が面白かったが)、車椅子の「鬼刑事アイアンサイド」など良く見たものだが、バーの代表作は、この「裏窓」だろう(しかし、バーはゲイだったと言うから、いささか吃驚仰天だ)。

原作は、米国の探偵小説作家、コーネル・ウールリッチの短編「It had to be murder」だが、映画の題名「Rear Window」の方が遥かに事を言い当てている。ウールリッチ(または、ウィリアム・アイリッシュ)には、「黒衣の花嫁」(1940年)、「幻の女」(1942年)など、小生が夢中になって読んだ長編が多々あるが、今は、もう忘れられた存在のようだ。

ヒッチコックは短編小説を膨らませて、一本の映画に仕立て上げる点では他の追随を許さない(例えば、「めまい」)。これもそのとうりで、辻褄が合わないなどイチャモンをつけている人がいるようだが(例えば、殺人の証拠がないなど)、それは野暮ってもんだろう。

(編集子)スガチューのメモにあわせてペイトンプレースのうまい写真を探したが見つからなかったので, 出演者の中からボクの大好き女優を思い出してもらうことにした。ドロシー・マローン、なんとも魅力的なスターでしたな。

 ”幻の女” は、最後のどんでん返しの見事さにうならされた名作、その点ではクリスティの ”アクロイド殺し” に匹敵する名作だと思っている。

コロナごもりですることのない人、こういう時こそ、ぼくらのおすすめするミステリを試したまえ。2冊とも気の利いた本やなら、文庫本の棚には必ずあるはずでっせ。

 

 

満月を巡って

(HPOB 菅井)雲の切れ間に…

(34 小泉)菅井さんの素晴らしい中秋の名月の写真を見て、恥ずかしながら、「雲の切れ間に・・・」の言葉に触発されました。月見団子もススキもありませんが、マンションから眺めた中秋の名月です。中秋の名月が満月になるのは8年ぶりとのこと。丁度横浜球場でのヤクルトDeNA戦をTVBS1で観戦していたら、初回に村上が満塁ホームラン、そのあと雲の切れ目に何回か月を写してました。セパとも久し振りに優勝争いが面白いです。

(44 安田)満月の中秋の名月は8年振りだったそうです。僕の家からは直接見えず、近くで撮った写真は雲に遮られて今いち。

(普通部OB 菅原)菅井さんの写真も素晴らしいが、小泉先輩の二番目の写真も大層乙なもんです。ところで、西洋では中秋の名月なんてあるんですか。

(その2枚目の写真、がこれ)

(安田)知る限り西洋では月はどちらかと言えば不吉な存在。古代ローマ(多神教時代)では月の神はルーナ(Luna)。英語で“lunar” は “月の” という形容詞。lunaticは「狂気の」という意味。「狂人」という意味もある。西洋では月(luna)は人を狂わすと信じられてきた。中秋の名月を祝うというような習慣 しきたり があったとは思えません(要確認)。人の生き血を吸うドラキュラは満月が苦手。狼男は逆に月の光を浴びると、突然、恐ろしい狼男に変身して人を襲う。イングランドの職工・チャールズ・ハイドは満月の夜になると性格が一変して凶悪犯罪を繰り返した。彼をモデルにした小説が「ジキル博士とハイド氏」だ。ことほど左様に、西洋では中秋の名月はおろか月を愛でるとはとても考えられません

(編集子)先月旅立ってしまった川内三千雄が持ち込んだ、たしかフランク永井の持ち歌だった 初恋の山 はたちまち同期の愛唱歌になった。その歌詞は 月の静かな山小屋で 二人で歌ったアベマリア という文句で始まったような気がする。我々が3年の秋, 涸沢集中W の最後の夜、穂高の稜線をすっぱりと区切る見事な満月の下で、川内がこの歌を独特のハスキーな声で歌い、みんなしんみりと聞いていたものだった。

ひとそれぞれにいろんな満月があるのだろうが。