「明治波濤歌」上・下(著者:山田風太郎。発行:筑摩書房、1997年)。
ちくま文庫に、「山田風太郎明治小説全集」がある。全14巻で、この「明治波濤歌」上・下は、9/10巻目に当たる。この内、小生が読んだことがあるのは、「警視庁草子」上・下、「幻燈辻馬車」上・下、「地の果ての獄」上・下の六冊だ。なかでも、最も面白かったのは、「幻燈辻馬車」だ。旧会津藩生き残りの薩長新政府への反感を通奏低音に、物語りが幻想的に語られる。山田には、他に、忍法ものもあるが、小生、それを、大変、苦手としており、一冊も読んだことはない。
波濤(ナミ)は運び来(キタ)り
波濤(ナミ)は運び去る
明治の歌・・・・・
と巻頭にあるように、この「明治波濤歌」上・下は、一言で言えば、「明治維新」と言う波が来て去った後の物語だ。そして、山田独特の虚実ないまぜになった、以下、六つの短編から成り立っている。
それからの咸臨丸:咸臨丸で米国へ航海した吉岡良太夫を通じて榎本武揚を語る。
風の中の蝶:南方熊楠、北村透谷を語る。
からゆき草子:樋口一葉、黒岩涙香を語る。
巴里に雪のふるごとく:川路利良、詩人ヴェルレーヌ、作家ヴィクトル・ユーゴー、画家の玉子ポール・ゴーギャン、それに、作家E.ガボリオが創作したルコック探偵を語る。こりゃー、映画で言うオールスターキャストだ。
築地精養軒:森鴎外を、ドイツから追っかけて来たエリス(エリーゼ・ワイゲルト)が語る。
横浜オッペケペ:浪士芝居の川上音次郎、その妻の貞奴、野口英世、永井荷風を語る。
虚実ないまぜ、と言っても、所詮、小説だから全てが虚であるのだが、それを感情移入させて最後まで読者に読ませるのが腕の見せ所。この点で、山田は極めて卓越しており、勘所を抑えて外さない。
一番、印象に残っているのは、樋口一葉のことを述べている「からゆき草子」だ。樋口は24歳で逝去した。従って、薄幸悲劇の小説家と言う印象が甚だ強いが、それに反するように、相場師に金を貸せと依頼する。それは、母親が奉公した家が零落し、娘を吉原に売り渡すまでになったため、その娘を救うために、原稿の前借を黒岩に泣きつくものの拒絶され、見るに見かねての樋口の行動だった。つまり、山田は、樋口の従来の印象を大きく覆そうとした。
樋口については、確か、「たけくらべ」を読んだ記憶がある。しかし、文章が文語体であること、それに句読点がないことなど、小生、歯が立たず、2/3頁、頑張ったものの早々に途中で棄権してしまった。それに懲りて、その翻訳本も試してみたが、これは、まるきり樋口の文章のリズムが喪われ、全くの別物になっていることから、これすらも途中棄権。つまり、樋口の本は一冊も読んでいない。樋口の作家生活は僅か14ヵ月で終わってしまうのだが、その間、「大つごもり」、「たけくらべ」、「にごりえ」など、森鴎外、幸田露伴などの文豪からも絶賛され、高い評価を受ける作品を発表し、奇跡の14ヵ月とまで呼ばれている。小生、5000円札が、樋口から津田梅子に変わったのが残念でならない。
次いで、「巴里に雪のふるごとく」。マルセイユから巴里までの列車の途中、後に警視総監となった川路が大便を催したくなるものの、列車の便所が満員のため、致し方なく新聞紙を便器替わりにし、それを、走っている窓から放り投げて捨てる。ところが、巴里につくや、糞を包んだ新聞が発見され、それが日本語であることから、犯人は日本人ではないかとの嫌疑を掛けられる。新聞紙が日本語であることころがミソなのだが、山田にはこんなオアソビモある。作家がふざけているのだから、臭いのを覚悟で、それを満喫しよう。
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