「赤ひげ診療譚」(著者:山本周五郎。新潮文庫。1959年)。
先だって、砂原浩太郎の「夜露がたり」、西条奈加の「四色の藍」(よしきのあい)、を読んだ。いずれも時代小説だが、大変、面白くなかった、特に、「四色の藍」は途轍もなく酷かった。と落胆していたところに、誠に気障な言い方をすれば、突如として天啓の如く、久し振りに、山本周五郎が出現した。
小生の山本作品に対する拙い読書歴を披露すると、「寝ぼけ署長」、「楡の木は残った」、「五辨の椿」(なお、これは、コーネル・ウールリッチの処女作「黒衣の花嫁」の内容と可なり酷似しているが、今は、それを云々する場ではない。蛇足だが、ジャイ大兄お気に入りの「幻の女」の作者、ウィリアム・アイリッシュは、このウールリッチの別名だ)、「青べか物語」、「さぶ」、「町奉行日記」と言ったところで、その内、最も面白かったのは「青べか物語」(1959年)だ。現在の千葉県浦安市が舞台で(勿論、ディズニー・ランドなど、影も形もない)、昭和初期、山本がまだ貧窮に喘いでいた頃の自伝的な小説だ。
そこで、これまで読んでいなかった中で、真っ先に取り付いたのが、この「赤ひげ診療譚」と言うわけだ。期待に違わず、滅茶苦茶、面白かった。久し振りに小説の醍醐味を味わった。
確かに、赤ひげこと新出去定(にいできょじょう)の診療譚と言えないこともないのだが、この小説は、寧ろ、ドイツ語で言うところのビルドゥングス・ロマン(Bildungsroman)、有る青年(保本登)の成長物語と言った方が正鵠を射ているのではないだろうか。
これは、長編と言っても八つの短編/エピソードから成り立っている。例えば、保本は、狂女を患者にしたり、その狂女から殺されそうになったり、手術を見て失神したり、一方の赤ひげは無料奉仕なのだが、富めるものからは診察料をふんだくる(これは、義賊ロビン・フッドか)、などなど。
保本は将来を約束されたエリート青年医師だが、長崎に遊学して最新のオランダ医学を学び、将来は幕府の御目見医の地位さえ保証されていた。ところが、「小石川養生所」と言う「患者は蚤と虱のたかった、腫物だらけの、臭くて蒙昧な貧民」であり、「給与は最低」、「昼夜のべつなく赤ひげにこき使われる」場所に、強制的に送り込まれる。ところが、それに不本意な彼は、養生所の決められた制服を着用しないなど、色々な点で、赤ひげに激しく反抗する。しかし、上記のエピソードによって展開される様々な出来事に関わって行くことで、彼の想像を遥かに越えた人間の感情や心理の明暗、表裏を知り、人間として大きく成長して行く。
最後は、1年の見習い勤務が終了し、晴れて御目見医となることになるのだが、保本は、ここに止まることを決意し、赤ひげから、「おまえはばかなやつだ」、「先生のおかげです」、「ばかなやつだ。若気でそんなことを言っているが、いまに後悔するぞ」、「お許しが出たのですね」。「きっといまに後悔するぞ」、「ためしてみましょう、有り難うございました」で、赤ひげはゆっくりと、保本の部屋を出て行く。
ただし、この文庫本に致命的な汚点が一つある。解説の手前で、純文学作家の辻邦生が、得々と「山本周五郎論」を開陳している。しかし、これが途轍もなく酷いもので、抽象論に終始し、何遍読んでも辻の意図することが皆目わからない。山本は、こんな意味の分からない抽象論を、最も忌み嫌っていたのではないか。
これを機に、未読の「天地靜大」(幕末の激浪の中に生きた小藩の若者群像)、「栄花物語」(老中田沼意次父子を時代の先覚者として描く)などを読んで見ようと思っている。
なお、これは「赤ひげ」の題名で映画化されており(1965年)、監督は黒沢明、赤ひげに三船敏郎、保本に加山雄三など。小生は見ていないが、これを見た山本は、「原作より素晴らしい」と賞賛したと伝えられている。
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山本 周五郎は、日本の小説家。本名:清水 三十六。質店の徒弟、雑誌記者などを経て文壇に登場。庶民の立場から武士の苦衷や市井人の哀感を描いた時代小説、歴史小説を書いた.
代表作 ”樅ノ木は残った” ”ながい坂” ”さぶ” などがよく知られている。
(河瀬)『赤ひげ』の映画は見ていませんが、