日本はどうあるべきかーAIの回答をめぐって  (42 河瀬斌)

日本が今後どうあるべきかは最も大事なことですが、今の政治は混沌として全くそのビジョンはわかりませんね。そこである友人が日本の国家として必要なビジョンをAIに託してみたところ、次の8項目の返事が返ってきました。

1)超高齢化を超える:老若が支え合う社会
2)未来を育む:子どもと家庭への投資
3)自立する日本:エネルギーと食の安全保障
4)豊かさの再生:経済成長への新モデル
5)国土を未来につなぐ:次世代インフラ開発
6)格差を超える:日本人の絆
7)国際貢献:平和の騎手としての先導
8)希望の未来:教育と技術の先端地日本
いずれも優等生的な答えで、具体的にどうすれば良いのかは各人が考えよ、ということでしょう。しかしこれからの日本の目標として意味深い項目もありますね。2024年は大荒れに荒れた自然、波乱の国際情勢と国内政治に振り回された1年でした。そこで頼りにならない政治家に代わって、あらためて「今後日本人はどうあるべきか」「この項目ではこういう考えがある!」などを新年にゆっくり考えて討論するのもいいかもしれません。
(44 安田)我々日本人にとっては当たり前のことが、海外から日本を訪れた短期滞在者には とてつもなく新鮮で魅力的と捉えられています。安全・犯罪の少ない平和な社会、清潔で綺麗な街、移り変わる四季の魅力、美味しい食事、効率的で便利な公共交通機関、コンビニ・自動販売機、日曜でも開店している店舗、驚愕するほど綺麗‣機能的で素晴らしいトイレなどなど 枚挙に暇がありません。
日常当たり前のこれらの特徴は、謂わば日本が誇る魅力あふれる無形資産でしょう。経済停滞、貧困化など負の側面の指摘がマスコミ報道で目立つ昨今の日本の現状ですが、「日本で最も驚いたこと」で指摘された、当たり前の”無形資産” の恩恵を無意識に享受して、それらが総括的に我々の生活と社会を快適かつ便利にしている事実に気付かずに過ごしているようです。安全・安心・便利・快適を担保する海外ジャーナリストが指摘する「日本の驚くべきこと」が存在しない、あるいは不充分な社会と日常生活を想像すると、ぞっとします。日本が誇るそれらの無形資産と目に見えて恩恵を受けている ”驚くべきこと” に、我々日本人は”満足感”、”幸福感”を持つべきだと思います。海外の有力旅行誌による「最も魅力的な旅行先」には日本がNo.1にランクされています。短期滞在の旅行者と住んで毎日を暮らす我々住人の捉え方は、勿論異なります。が、物理的・計数的尺度で捉えがちな”日本経済の停滞”、”成長のシナリオが描けない”、”貧困化” のハード面に偏りがちな視点を、ソフトパワーとも呼べる観点からも、生活の満足度を捉えるべきだと強く思います。

そうは言っても、貧困化を是としているわけではありません。貧困化は社会を不安定にし、安全な社会が犯罪に脅かされることになるのは否定できません。更に、経済的豊かさは実りある生活の手助けになるのは間違いありません。30年以上に亘る停滞の経済に終止符を打ちハード面ではAIが指摘するビジョンの具現化を成功裡に果たし、生活を快適で便利にする”驚くべきソフト面”の遺産、に呼応して、両輪がスムーズに機能する日本に切になってもらいたいと願わずにはおれません。

(42 斎藤孝)

時代が止まる。泊まる。何処に泊まるのか。日本時間である。日本の古き旅籠。源泉の硫黄臭い温泉がある。これがカメの座標。そこから世界を眺めてのんびりと批評したい。カメは純日本人。短足でがにまた眼も細く典型的な弥生顔。AIさま当たり前の忠告、ありがとう。

カメは日本の古き旅籠。源泉の硫黄臭い温泉に泊まっています。これらの宿題は予期したこと、カメは深刻にならず気楽に解いていきます。民主主義と平和を尊び、群衆の衆知とSNSの良きアナーキズムを育みますよ。日本人ならば喜んで挑戦できますね。安心してください。

(編集子)先回、”老舗” ということについての一考を書いたが、安田君のご指摘は僕の感慨に一致するようだ。それに便乗していえば、これも何回も繰り返して恐縮だが、マクロな観点から、”80年間、ただ一人の若者も戦争で死なせていない” という歴史的事実はもっと理解されてほしい。
そういうと必ず、それは米国の属国だからだ、日本はこれでいいのか、とかなんとかいう理屈が必ず現れる。それはその通りだが、僕らが在学中に起きた安保反対騒動とか、一連の反発を経て、今ある国の現実を見れば、その選択には何も恥じることはないのであって、そういう選択をしてきた日本の政治手法は結果から言えばひょっとすれば世界に誇っていいものなのではないか。ローマ帝国のもたらした平和や、パックスブリタニカとかいやアメリカーナかな、そういう歴史に匹敵する、そんな国が現実にある、トイレがきれいなどというレベルでなく理解されるべきなんじゃないだろうか。
もちろん、米国が日本とのありかたを考え直すであろうことは間違いないのだから、”今まで通り” で済むことではないのであって、河瀬君が提示された問題には国を挙げて対応しなければならないのは当然なのだが。
今韓国が大揺れに揺れている。他国のことだからもちろん我々には理解できない力学が働いているのは間違いないが、どうもかの国の人たちは政治家が常に人格品格に優れた聖者でなければならないと思い込んでいるのではないか。どの本だったか忘れたが、戦後米国の軍人が日本軍の幹部が将校の持つべき資格として定義したものをみて仰天したという。こんな人物がいるとすれば、それは神か聖者だ。こういう人が日本軍を率いていたのなら、なんで日本は我々にむざむざと負けてしまったのか、と皮肉ったそうだ。
今の日本政治を担っている人たちが、この日本軍人に要求されたような人格高潔なんかであるわけはないし、みっともない迷走ぶりも見飽きた感じがする。しかしそういう頼りない政治家や官僚が主導してきた我が国のあり方が、なんといわれようと若者を死なせたことのない、結果として世界に誇れる平和な社会を生み出しているのも厳然たる事実だ。
そういうことを可能にしている日本、日本人の思考回路、それを起動力にして世界に貢献する、そういうことがこれからの日本、なのではないだろうか。

イスラム国の現状   (44 安田耕太郎)

(本稿でドイツの現状について菅原さん、飯田さんの寄稿があったが、文中のトピックの一つであったイスラム教徒人口の現状について調べてみた)

ドイツには現在、1600万人、全人口の20%近い「移民の背景を持つ人々」、即ち移民とその子孫が存在している。一番多いのがトルコ人を主とするイスラム教徒である。国内経済成長に伴う労働人口不足を補う為の移民流入、富んだ国を目指す周辺国(東欧・バルカン半島・中東・アフリカなど)からの流入だ。第二次世界大戦時のアーリア民族優性思想の反省から、移民に寛容な政治・文化・社会の風潮が生まれた。メルケルはそれをさらに助長する政策を執った。今では、巨大化した移民人口とそれがもたらす深刻な問題にドイツ政府と国民が気が付いているが、もはや「覆水盆に返らず」状態になっているようだ。移民人口の多くはドイツ国籍を取得して(しつつあり)ドイツ人として生活している。郷に入れば郷に従わない彼等独自の生活をして、経済格差の問題も重なり、ドイツは大きな問題に頭を痛めている。

隣国フランスでは、今日、全人口の約9%に当たる600万弱のイスラム教徒が暮らしているとされ、モスレム人口の規模はEU加盟国の中では最大とされる。モスレム人口の8割以上が北アフリカの3国(アルジェリア・モロッコ・チュニジア)のいずれかにルーツを有している。モスレム人口と移民問題がもたらす国内問題はドイツと同様、一旦居住を認めた以上(国籍か永住権付与)、その解決は一筋縄では行かないのは、マスコミ等で報告されている通りだ。

イスラム教徒人口は現在約20億人(世界総人口の約1/4)、2030年には22億人(同26.4%)に達する見込みで中東産油富裕国の影響力と相まって、無視出来ない存在感と政治的・経済的・文化社会的影響力を増して行きそうである。

毀誉褒貶いろいろあろうが、アメリカのトランプ次期大統領が標榜する、国境を閉じ中南米からの不法移民を追い出す(祖国へ帰国させる)施策はむべなるかなとも思う。独仏の難しい移民問題の現状を教訓とすると、圧倒的に大きい出生率でスペイン語を話す中南米移民人口の急激な増加は、アメリカ国内の人種的・経済的・社会的分断を助長させかねず、難しい舵取りとなるのは必死だ。

日本も、道徳的観点や世界の趨勢だからといって多様性を多として、将来「覆水盆に返らず」と大後悔することのないように、移民問題や海外からの労働人口流入問題には独仏米の現状を冷徹に観察して、冷徹な施策を講じて貰いたい。治安面の不安、文化社会面の混乱など、単一民族国家としての伝統と文化を損なうことない慧眼を持って政府は対応することが肝要だ。

モスレム人口の国別分布などを以下に図説しておこう。

 

乱読報告ファイル (66)  白い巨塔   (普通部OB 菅原勲)

「白い巨塔」(著者:山崎豊子、発行:新潮社、1965/69年)。大変、遅まきながら文庫で「白い巨塔」を読んだ。発行が1965年だから、それからほぼ60年も経っている。

これは映画(主演:田宮二郎)にもなったし(ただし、映画は、文庫本3巻までなので、原告である患者の敗訴で終わっている)、テレビでも数回放映されたから、殆どの方が、全5巻を読了していないまでも、どんなことを描いたものであるかはご承知のことだろう。従って、ここでは話の筋は屋上屋を重ねることになるので、一切を省くことにする。

全部で5巻だが、当初は3巻で終わる予定だった。ところが、この小説の判決(原告敗訴)について、多くの読者から「小説といえども、社会的反響を考えて、作者はもっと社会的責任をもった結末にすべきであった」という声がよせられた。そこで、山崎は一年半おいて、再び「続白い巨塔」(これが、文庫本で4/5巻に当たる)の執筆に取り掛かった(最終的には原告勝訴となった)。と言う次第で全5巻となり、全部で2144頁、2000頁になんなんとする大長編となったわけだ(勿論、全51巻にも亘った佐伯泰英の「居眠り磐音」には遥かに及ばないが)。

確かに、江藤淳が「現代の正統的大衆小説」と評したように波瀾に富んだ筋書きが展開される。しかもその底に社会の矛盾や虚偽に対する批判がこめられ、社会派的な発想が強くなってゆく。小生、面白くて面白くて、ほぼ1巻1日。つまり、全5巻、5日で読了した。自慢ではないが、と言って、実は自慢しているのだが。

ここで一言。江藤が「大衆小説」と言っているが、その対極と言われる「純文学」とはっきり分けて論じているのはいささか暴論ではないか。しかも、正統的とは言え、明らかに純文学が上位にあり、その下に大衆小説がある位置づけだ。これは、ただ「小説」の一言で済む事柄ではないか。所詮、読書は娯楽(エンタテインメント)であり、先ず面白いことが必要不可欠となる。勿論、例えば、勉強のための読書は娯楽とは言えないが。

山崎の著書は、「不毛地帯」(1976/78年)を文庫本で読んだのが初めてで、今回が二作目となる。その理由は、この主人公、壱岐正のモデルが伊藤忠商事の元会長である瀬島龍三であったからだ(山崎は、そのモデルは複数人からのものだと述べているが、瀬島自身は自分だと吹聴していたらしい)。何故、瀬島に関心があったかと言うと、彼の11年間のシベリア抑留時代の言動(例えば、ソ連のスパイだったのではないかとか、天皇制打倒、日本共産党万歳を叫んでいただとか)に非常に疑わしい点があったからだ。なお、これを映画化した監督であり共産党員でもあった山本薩男は、原作で長々と描写されているシベリア抑留には偏見があるとして、興味は持たなかったと言われている。

男勝りと言うと、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)が、それは男女の格差を助長すると言って絡んで来る誠に厄介至極な世の中になっているが、正に山崎は男勝りそのものだ。主人公は、ご存知、医者の財前五郎、里見俊二の男二人だが、特に癌の外科医である財前は、皮肉にも、早期に癌を発見できず、癌で死んでしまうのだが、最後に、山崎は、権謀術数、極めて上昇志向の強い財前の生き方に必ずしも否定的ではないことが強く印象に残った。

老舗、という意味について

老舗、という単語はどういう場合に使うのが正しいのか。ただ古くからある、というだけではこの言葉のもつニュアンスを表すことはできない。伝統、だけでもない。この単語は本来、商売とか店とかそういう領域で使われたのだろうが、いまでは例えばスポーツの世界では古強者、というイメージで派手に優勝を稼ぎ続けるよりも、いつでも終盤戦には必ず顔を出すチーム、といった感じだろうか。何か本筋とは別の、雰囲気というのかそういうものが伝わっている、そういう店のことだ、と思う。

今日、医者へ行った帰りにちょうど昼飯の時間になったので、(なんかあるだろう)くらいの気持ちで飛び込んだ、中央線駅近くのショッピングセンタの中にまったく偶然に、父親の世代が話題にしていたことから名前を知っていて、銀座の本店にも何回か行ってみたことのある、いわゆる老舗、が分店を出していることを知り、うれしくなって飛び込んだ。久しぶりに開いたメニューに、この店の代名詞になっている一品がきちんと収まっているのにまず安心して注文した。少しばかり汗ばんでもいたので、小さなビールと一緒に久方ぶりの味を思い出した。いい昼飯だった…..それはそれでいいのだが、店をでてから、どうも物足りなさが残った。

食事の味は確かにあの頃のものなんだが、楊枝を加えて食後のコーヒーでも頼もうか、という雰囲気がわいてこなかった。なぜだか説明できないがなにかが欠けてしまった、なんかが足りないんだ。それが要はこの店がきれいすぎ、効率がよすぎたからだ、ということにあとで気が付いた。

最初の違和感は、入り口に ”発券機” なるものがあったことだった。切符を持ってむっつり立っているしかなく、これじゃメニューも今をはやりのスマホまがいのものか、と心配したが、そこは今まで通り、ウエイトレスが話を聞いてくれた。ま、いいか。だが席を立とうとして、はていくらかな、と伝票をみたが、メニューをあらわす記号と個数が書いてあるだけで、たしかにキャッシャーが必要な情報は完全なんだろうが、客が(さて、いくらになるのか)と心配することもできないのでは、どうも客を数字としてしか見ていないのではないか、という感じがしてしまう。銀座の店やその後開いた渋谷の店ももっとごたごたしていて、不潔とは言わないがもっと影があって、(食い終わったけどもう少しいてもいいよな)という気持ちが持てけど、店の効率、っていうことになると話が違ってくるんだろうな。

こんなことを考えたのも、実は朝刊に出ていた経済記事で、個人当たりGDPで日本は韓国に追い越された云々、なんて記事があって、例によって”日本では第三次産業とくに飲食産業の効率が云々、というのを読んだからだろう。     以前、日本での経験が長い米国人が ”日本じゃ、ウエイトレスが席に来て、ニコニコ話をして、こっちもうれしくなるよな。カリフォルニアじゃ、愛想なんてあるわけないおばさんがテーブルにナイフとフォークを放り出して、”Now, what do you want ?”  だからな” と嘆いたことがあった。ま、その差が ”サービス業の生産性” なんだ、なんていうことになって、またぞろ ”欧米では” とのたまいたまうインテリ出羽守がしゃしゃり出る論調をするんだろうと腹立たしかったからだ。

文化、というものは無駄に見える細かいことどもが集積し、混沌の中の醸成されたものなんだろうと思うのは引かれ者の小唄、の類だろうか。一人当たりGDPがすべての世界には無用の心配なんだろうが,ランキング1位のルクセンブルグの老舗はどんなもんだろうか。かの友人が心配していた米国も決して褒められた順番にいるわけじゃないが、これはま、レストランのせいじゃなくて、USスチールなんかが悩んでる部類の問題なんだろう。

ニューメディアの現状      (普通部OB 船津於菟彦)

東京都知事選挙・アメリカ大統領選挙・兵庫県知事選挙などで急にSNSが話題になり諸問題を生んでいる。そして新聞・テレビ・雑誌などをオールドメディアと揶揄する傾向がある。ニューメディアとは、科学技術の発展に伴って誕生した、従来のテレビ・ラジオ、新聞などの既存のマスメディアとは異なる新たな媒体として、1980年代に普及が期待されていた情報メディアの総称であり、その後Internetの想像以上の伸展と、光ケーブルなどの通信網の整備などで急速にSNSと言うことで発展していく。
SNSとは、ソーシャルネットワーキングサービス(Social Networking Service)の略で、インターネット上のコミュニティサイトのことを指す。A対Bの電話通信の領域を越えて放送と同じ様な廣く誰にでも伝えられるシステムであって、ユーザーが情報発信し、同士でつながりを持つことができる。プロフィールや写真の公開、メッセージの送受信、友達検索などの機能があり、企業も販売促進やマーケティングの手法として活用している。そのための機能も多数あるが、その代表例である「LINE」「Facebook」「Instagram」についてまとめてみた。

今回の選挙など話題になったNSは我々世代は殆ど使用していないが、ツィターとかX 、あるいはYouTubeである。

・X(エックス)「短文の投稿で交流するSNS」は、140文字以内の短い文章を投稿して交流する。リポストという他の人の投稿を、自分のフォロワー(自分の投稿に興味のある人)に共有する機能によって、投稿を拡散することができる。
・LINE(ライン)「メッセージのやり取りで交流するSNS」は知り合いとメッセージのやり取りで交流する仕組みであって日本国内で利用者数が最も多く、また相手の顔を見ながら話せる無料のビデオ通話機能も装備している。

・YouTube(ユーチューブ)「動画の投稿で交流するSNS
検索エンジン大手のGoogleが提供している世界最大の動画の投稿で交流するSNSであって、全世界で毎月20億人以上が利用しており、1日当たりの動画視聴回数は、数十億回に上るとされている。

・SNSを利用しない人でも知っているSNS用語
いいね !  インスタ映え  バズる  LINEグループインフルエンサー ユーチューバー  炎上 フォロワー 拡散する フェイクニュース  #(ハッシュタグ)などなど、どれも耳にしたことがある言葉ではないだろうか。「インスタ映え」という言葉が2017年の流行語大賞に選ばれたのも、SNSを介して生じた社会現象のひとつといえる。このようにSNSは、さまざまな社会的影響力を持つコミュニケーション手段になっていて、小学生のなりたい職業の第1位がYouTuberだという調査が、マスコミで話題になったこともあったくらいだ。

高齢世帯の増加により、一見すると旧来メディアの利用時間・利用者数は増えそうに思える。しかし実際には、テレビは増加する傾向を見せるものの、新聞は(減少幅の違いこそあれ)全世代で「新聞離れ」が起きているのが確認できる。これでは新聞購読者そのものが減るのも致し方ない。また、若年層を中心に深刻なテレビ離れが進んでいると言われているが、事実、総務省が発表しているテレビ(リアルタイム)平均視聴時間(平日1日あたり)の推移を見ても、2012年から2021年までの約10年間で増減はあるものの全体的には緩やかに減少傾向が続いているのが分かる。年代別では60代は概ね横ばい傾向、50代以下は減少傾向にあり、10代・20代に至っては2021年時点で60分前後にまで減っているし、4大従来型メディア(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)は波があるもののどの媒体も押しなべて減少傾向にある。
他方、インターネット接続が可能なデジタルメディアでは、パソコンが2011年までは増加傾向にあったものの、それ以降は減少に転じる動き。パソコン以外のインターネット接続が可能なデジタルメディアは、おおむね増加の流れにある。すなわち従来型4メディアが少しずつその足場を削られ、インターネットを用いた新世代メディアが、その削った足場を奪い取るなか、新メディアの中でも新陳代謝的に、パソコンから携帯電話(や2014年から加わったタブレット型端末)へのシフトが起きているのが一目瞭然である。

媒体別の広告費の推移を見るとインターネット広告は2010年に新聞広告を抜いて以降右肩上がりで上昇し続け、2019年には2兆1,048円とテレビ広告の1兆8,612億円をついに上回る結果になった。新聞購読数はこの25年間で「5376万部」から「3084万部」に  日本新聞協会が発表した2022年10月時点の新聞発行部数は3084万部。1年前に比べて218万部、率にして6.6%減少した。新聞発行のピークは1997年で、その時の総発行部数は5376万部。25年の間に2300万部余りが減少した。読売新聞は「発行部数世界一」でギネス記録にも認定され、かつて発行部数1000万部を超えていたから、読売が2つ消えた格好である。
新聞の発行部数の減少が目立ち始めたのは2008年ごろ。それまで1%未満の増減だったものが、2008年に1%を超える減少を記録した。それ以降、減少率は急速に拡大し、2014年には3.5%減、2018年には5.3%減、2020年には7.2%減となった。つまり、減少ピッチは収まっていないのだ。このままのペースで減りつづければ、20年以内に紙の新聞は消滅してしまう勘定になる。

選挙とか世論を動かすのは新聞・テレビ・雑誌では無く、SNSが若年層を中心に影響している。どうする新聞・テレビ・雑誌。これからは更にAI「人工知能(Artificial Intelligence)」が更なる問題を生んでくるかも。

(編集子)半世紀プラスワン、くらい昔,本稿の投稿者船津は慶応高校新聞部所属、当時全国高校新聞コンクールで常に第一位に選ばれた ザ・ハイスクールニューズ の編集長、かくいう編集子は (笑うなよ)論説委員代表であって、ともに大手新聞社に加わり、社旗を翻した車を乗りつけて要人に会い、世界情勢を語る夢を持っていたものだ。夢破れて船津は(この記事によれば新聞を廃業に追い込むかもしれない)次世代通信システムの販売にくわわり、小生はそのシステムを支えるエレクトロニクス機器のメーカーに職を得るということになった。本稿の趣旨を裏書きするかのように、栄光あるわがハイスクールニュース紙も廃刊になってしまったようだ。

どうする新聞、ってったって、どうする、おめえ?

 

 

エーガ愛好会 (297)  BS劇場の三本    (HPOB 小田篤子)

✭’53 「裸の拍車」
小泉さんが既に詳しく解説されていらっしゃいますが、初めは「裸の伯爵」?と思いました。カウボーイブーツの拍車だったのですね。ハーケンや手裏剣代わりに使われていました。
同じように景色が綺麗だった、ジョン・ウェインとグレン・キャンベルの「勇気ある追跡」を思い出しました。撮影場所を調べましたら、コロラドのデュランゴやカリフォルニアのローン・パインとか…思い出のある地名です。
’07年、朝デュランゴを出発し、昔の鉱山の町シルバートンで昼食をとり、折返して来る蒸気機関車の旅をした事があります。又、ローン・パインには、
’18年のルート66の旅をサンタモニカで終え、ヨセミテに行く途中、ローン・パインの《西部劇映画博物館》とマンザナール収容所に寄りました。通り過ぎる程度でしたが、アメリカらしい景色でした。
この後、目指す国立公園内のホテルへはすぐと思っていたのが、反対側の入口近くで、眩しい夕日に向かってヨセミテ公園の中を、少し迷いながら2時間以上走らなければなりませんでした!
Lone Pine is a census-designated place in Inyo County, California, United States, located 16 mi south-southeast of Independence. The population was 2,035 at the 2010 census, up from 1,655 at the 2000 census.
Elevation: 4,203′
Population: 1,323 (2022)
✭リトル・プリンセス(小公女)
エリザベス・テーラー版の「若草物語」同様絵本を観ているようでした。
✭’19(英)Downton Abbey
TVドラマ版は観ていなかったのですが、少し後の1927年頃の伯爵一家とその使用人の物語。
ジョージ5世とメアリー王妃が舞踏会に行く途中、一泊する…との知らせがバッキンガム宮殿から届き、あれこれ忙しい館の様子がユーモラスに描かれていました。
以前放映された、執事役がアンソニー・ホプキンスの「日の名残り」等もそうですが、イギリスの広々とした緑の中に建つ館の風景は目を楽しませてくれます。
(編集子)初めての駐米生活のとき、やっと手に入れた車がクライスラーの大衆車、最低価格の ヴァリアントというやつだった。なんせ金がなかったので、エアコンもつけていない。それで無謀にも3歳の娘をつれて以前からどうしても行ってみたいと思っていたデスヴァレーを、それもなんとカリフォルニアの6月に、走ったことがある。なんせ暑い、というより熱い、ので、窓ガラスに新聞紙を張って遮光したものだ。その途次、ローンパイン LONEPINE という、名前からして地の果て、という趣の町を通過したのは覚えている。半砂漠のような地形に PINE は自生していたのだろうか。住んでいた町はスタンフォード大学所在の町 パロアルト の隣町で名前は REDWOODCITY、これはなんといってもカリフォルニアの象徴みたいな樹だからなっとくだが、PALO ALTO というのは 高い樹 という意味だと教わった。日本の地名の多くは何らかの形で歴史や文化にまつわるのが多いのだが、当時の辺境に過ぎなかったこのあたりにはこのような素朴な地名が多いようだ。

一年回顧の時がまたやってきた    (普通部OB 船津於菟彦)

年の暮れ、2024年を思い返すと災害と混乱の始まりの年のような兆しの年だった。地震と異常気象。与党自民党大敗。米国は「またトラ」.。

・新年早々 1月1日の午後4時過ぎ、石川県能登半島を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生し、震度7の激しい揺れを石川県志賀町で観測したほか、震度6強を七尾市と輪島市、珠洲市、穴水町で観測。
・1月2日午後6時前、東京 大田区の羽田空港で、新千歳空港から向かっていた日本航空516便が、着陸した直後に海上保安庁の航空機と衝突、海上保安庁の機体に乗っていた6人のうち5人が死亡、日本航空の乗員・乗客379人は全員が脱出。
・8月8日に起きた日向灘を震源とするM7.1の地震を受け、気象庁は、次の巨大地震に注意を呼びかける「南海トラフ地震臨時情報」(巨大地震注意)を発表。
・58年前、静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さんの再審=やり直しの裁判が行われ、9月26日の判決で、静岡地方裁判所は捜査機関によって証拠がねつ造されたと指摘し、袴田さんは無罪となる。
・10月11日、ことしのノーベル平和賞は、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が受賞、核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことが受賞理由だった。
・民間の有識者グループ「人口戦略会議」は4割にあたる744の自治体で、2050年までに20代から30代の女性が半減し、「最終的には消滅する可能性がある」とした分析を4月24日、公表。
・少子化対策が進む中、去年1年間に生まれた子どもの数が前年より5.1%減少し、75万8631人となり(速報値)、統計開始以来、過去最少を更新。
・旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国を訴えた裁判の判決で、最高裁判所大法廷は、7月3日、旧優生保護法は憲法違反だとする初めての判断。
・新しい紙幣が7月3日に発行され、日銀から金融機関への引き渡し開始。
新たな紙幣は一万円札が「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一、五千円札は日本で最初の女子留学生としてアメリカで学んだ津田梅子、千円札は破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎の肖像がデザインされている。
・自動車やエンジンの大量生産に必要な型式指定の取得で、ダイハツ工業などによる不正行為が相次いだことを受け、国土交通の同じようなケースがないか各社に命じた調査に対し、自動車メーカーなど5社が車の性能試験で不正があったと報告したことが6月3日、判明。結果、国土交通省は現在生産する車種で不正が確認されたトヨタ自動車、マツダ、ヤマハ発動機の3社に出荷の一部停止を指示。
・日本郵便は手紙の料金をいまの84円から110円にするなど、ことし10月に郵便料金を一斉に値上げする届け出を6月13日に行った。利用数の減少や物流コストの上昇が理由。
・4月29日の外国為替市場では、円安がさらに加速、1990年4月以来、34年ぶりに1ドル=160円台をつけたのち、日本時間の午後に一転して円高方向に変動し、円相場は1ドル=154円台まで値上がりした。
・2月22日の東京株式市場、日経平均株価は、バブル期の1989年12月29日につけた終値としての史上最高値を更新して3万9098円68銭まで上昇。
・7月24日、最低賃金について議論している厚生労働省の審議会は物価の上昇が続いていることなど踏まえ、今年度、過去最大となる時給で50円引き上げる目安を示し、全国平均は時給1054円とすることで決着。
・日本の2023年1年間の名目のGDP=国内総生産は、ドル換算でドイツに抜かれて世界4位(内閣府・2月15日公表)。長年にわたる低成長やデフレに加えて、外国為替相場で円安が進みドルに換算した際の規模が目減りしたことも影響。
・派閥の政治資金パーティーをめぐり自民党は、4月4日安倍派と二階派の議員ら39人の処分を決定、塩谷元文部科学大臣と世耕前参議院幹事長は離党勧告処分に
・岸田総理大臣の後任を選ぶ自民党総裁選挙が9月27日に行われ、石破茂元幹事長を新しい総裁に選出。自民党は衆院選挙で大敗過半数を割る与党となった。
・10月1日、衆参両院の本会議で行われた総理大臣指名選挙で石破茂総裁はを第102代の総理大臣に選出。
・「またトラ」となり米国第一主義が—–今後の政界情勢は不透明。

・新語・流行語大賞 「ふてほど」 関係者は『不適切にもほどがある』という言葉が使われ、うれしい半面、今年は不適切なことが多かったということかと、複雑な心境でもある」と話した。

**********************

最近有名人の訃報とか知人の訃報の知らせを聞くと何やら秋風が顔をなぜるように寂しくなる。歳だなぁ。

さびしさはいつともわかぬ山里に
尾花みだれて秋かぜぞふく

年を取ると「残る花」が淋しくなる。親しい人たちがみな亡くなって、ひとりとり残されるほうが淋しいからだ。そういう心情が投影される。島崎藤村の曰く

あゝうらさびし天地(あめつち)の
壺(つぼ)の中(うち)なる秋の日や
落葉と共に飄(ひるがえ)る
風の行衞(ゆくえ)を誰か知る
風の行衞(ゆくえ)を誰か知る

諸行無常を芭蕉は「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」。

小生は今の心境をあらわす二句で今年を送ろう。

小林一茶 『 世につれて 師走ぶりする 草家哉 』
正岡子規 『 いそがしく 時計の動く 師走哉 』

乱読報告ファイル (65) ”イスラム移民”    (普通部OB 菅原勲)

「イスラム移民」(著者:飯山 陽(アカリ)、発売:扶桑社、発行:2024年)を読んだ。これは、正に紛れもない警世の書であり、飯山なくして世に出る類いのものでもない。そこで、飯山に満腔の謝意と敬意を表する次第だ。

ここで少し長いが、本書の主題であるイスラム移民の問題を適確に表現している「はじめに」の中からその一部を引用しよう(一部、補足説明を付け足している)。「日本はなんだかわからないけれど、「多様性」とか「多文化共生」というものが「いいものだ」とされており、イスラム教徒を受け入れることが、その企業、学校、地方自治体、ひいては日本と言う国家にとって良いことだとされているのではないか。しかし、日本に先んじて大量のイスラム教徒を受け入れたヨーロッパ諸国では、犯罪が増加し、文化や秩序が破壊され、社会が変質した。と言うのも、イスラム教徒は移住先の法や文化に適応し順応しそれを受け入れるのではなく、自分たちの法や文化を移住先に持ち込むからである」。つまり、「郷に入れば郷に従え」とか「When in Rome、Do as the Romans Do」なんてのは、イスラム教徒には全く通用しないのだ。

一例を挙げる。土葬墓地問題がある。亡くなった場合、日本では、殆どの場合、火葬にされてただの灰となる。ところが、イスラム教では、土葬することしか許されていない。何故なら、イスラム教徒は来世を信じており、その最後に、神の審判を受け、天国に行くか地獄に行くかが決められるからだ。それに加えて、火は地獄の象徴でもある。従って、火葬は断じて許されていない。しかるに、近傍に土葬墓地が計画される、これは、普通の日本人にとって誠に堪えがたいことではないだろうか(実際に、例えば、大分県日出町、宮城県石巻市などで問題が起きている)。しかし、例えば、朝日新聞、毎日新聞などは、周辺住民の抵抗は、多様性を受け入れない、無知蒙昧で頑固な差別主義者だと断じて、日本人を非難し、周辺住民の困惑など一顧だにしていない。

また、イスラム教は、一端、イスラム教徒になったならば棄教することは許されないし、その子孫はイスラム教徒になることが求められている。従って、現在、地球上の全人類の1/4がイスラムと言われている。

オールド・メディアと言われる新聞、テレビの殆どが、産経新聞を除き、これらの事実を全く報道していない。例え報道したとしても、それらは全て「多様性」の名のもとにイスラム支援に回っている。蛇足だが、それが故にオールド・メディアと言われるのだが。それは、彼らが金科玉条としている「多様性」なるものが、この一事で一挙に崩れ去ってしまうからに他ならない。つまり、SNSに限らず、オールド・メディアこそがフェイク・ニュースを垂れ流し続けて来た。また、それを、いささかも顧みることすらしていない。

従って、ここには数々の貴重な情報が満載されており、その点では、肝を冷やす恐ろしい本だ。このまま何もしなければ、正に日本消滅に向かっていると言っても過言ではない。例えば、イスラム教徒であるクルド人が跋扈する埼玉県川口市は、最早、住民が安寧に暮らす環境からは程遠いものとなっているようだ。

今や、日本には、イスラム教徒が約27万人いるそうだ。確かに、ここまで、その問題点を摘出することについて、誠に舌鋒鋭い飯山なのだが、残念ながら、イスラムを含む移民問題の根本的な解決策を提示しているわけではない。移民は何故発生するのだろうか。そこを解決しなければ、根本的な解決とはなり得ないだろう。それは豊かさを求めてのものなのだろう。さすれば、E.マスク、J.ベゾスなどの億万長者が、その貧しさにいくらかでも寄付してくれれば、解決の糸口が掴めるのではないか、との妄想も抱きたくなる。

南の島に雪が降るーキナバル行     (41 斎藤孝)

ニューギニア侵攻の日本軍の物語「南の島に雪が降る」を思い出した。その雪は白い紙きれだった。雪国出身兵士が故郷を懐かしむ内容だった。 

赤道近く熱帯密林に囲まれたキナバル山に雪が舞うこともある。キナバル山(標高4095.2メートル)はボルネオの最高峰である。富士山(標高3776.12 m)よりも高い。 キナバル山は成層火山であるから広大なすそ野をもつコニーデ型になっている。溶岩や火山砕屑物が交互に堆積してできた円錐火山である。浅間山にも似ている。 

キナバル山は力強い岩肌が魅力であるから男性的。
富士山は柔らかな美しい裾野を広げるから女性的。

 「富士は世界一の日本美女」
富士山の美しさをあらためて実感した。 

「キナバル山は南国武者」
ボルネオを守護する野武士の風格がある。あまり褒め過ぎたのか雲が湧いて来て山頂を隠した。

(堀川)キナバル山。いつ登ったかわからないほど遠い昔に登ったっけ!下山後にオラウータンの居る動物園(?)でしばしオラウータンとそんだっけ!

(安田)KWV44年卒閑人会10名は 2013年11月(67〜69歳時)、キナバル山登山を行った。ボルネオ島の最北端に近い地域(マレーシア領土)に位置し、マレーシア領ボルネオ島では最大の都市コタキナバル(日本から直行便あり)から山麓へアクセスできる。第二次大戦中は日本の占領下にあった、山崎朋子著「サンダカン八番娼館」で知られた第2の都市サンダカンはコタキナバルと半島の反対側東海岸に位置する。

キナバル山の周辺は熱帯雨林のジャングルでオランウータンの生息地。
また、19世紀半ば頃よりヨーロッパから(主としてイギリス人)のプラントハンターが跋扈した。彼らは熱帯の草花発見・採取が主目的であったが、目の前の高山・キナバル山にも登山し、連峰の多くのピークには彼らとイギリス所縁の名前が冠せられている。最高峰The Low’s Peak(4,095.2m)の他に、Alexandria′s Peak,(3,998m)、Victoria’s Peak (4,090m)、KingnEdward Peak (4,086m) などである。

ドイツを知ろう     (普通部OB 菅原勲 + 大学クラスメート 飯田武昭)

(菅原)本日の日経朝刊の一面に「失速ドイツ 原発訣別の誤算」と言う記事が載っていた。加えて、フォルクスワーゲンの人員削減、工場閉鎖など、どうも大変なことが山積みになっており、ショルツ首相は四苦八苦しているようだ。小生、ドイツ学(?)の専門家ではないが、ドイツが現在抱えている問題の殆どは、実は、A.メルケルが残したものだと思っている(メルケルが旧東ドイツ出身だったため、ロシア、中国と仲良くし過ぎたと言う穿った説もあった)ショルツはそのシリヌグイをさせられているんだろう、と、小生は思っているのだが、ドイツ滞在が長かった飯田兄のお考えを聞きたい。

(飯田)メルケル政権の功罪の罪の面では前政権シュレーダー首相の改革により経済成長が波に乗り、メルケルがこれを後押しする政策を取って、ドイツが立派な輸出大国に生まれ変わった結果、大胆な改革を断行するための資源を手にしていたのに内外ともに動かなかった点だと思う。

メルケルは閣僚時代から真面目で仕事熱心、しかも賢く有能だという定評があった。朝早くから仕事を始め書類に丹念に目を通し会議で人の意見を良く聞き目の前の課題を着実に解決していく。それなのに改革が断行できないのはビジョンがなかったからだろうと思う。

改革を主導するには「社会や国がかくあるべし」というビジョンが必要なのに、それが無く調整役としての才能に徹してEU分裂危機やユーロ危機を乗り越え、ドイツを安定させた功績を残すにとどまった。

フランスではマクロンが「欧州主権」という野心的な目標を掲げ大統領になった時も、メルケルは彼とは個人的にウマが合うとされるし、協力しようと思えばいくらでもできたが乗らなかった。フランスがいくら旗を振っても財布を握るドイツが動かなければ物事は進まない。EUは変わらなかったのだ。

思うにメルケルの最大の失敗はシリア内戦などの難民受け入れ問題で100万人規模を受け入れる案の主導的立場を取った2015年頃のことではないか。私が生活していた頃の西ドイツでもイタリア、ギリシャ、イラン辺りからの移民が沢山、土木建設業に従事していたが、その頃は黒人は全くと言っていいほど街中には見られなかった。しかし、2000年代になってからの私的な旅行時にはハンブルグにさえ多くの黒人が働いていて、驚いた記憶がある。

第2次大戦後のドイツは東西分裂後の西ドイツBundesrepublik Deutschland)は、中道右派と左派の首相が入れ替わり立ち代わりに誕生して政策運営をしてきた。アデナウワー(CDU-中道右派)、ブラント(SPD^中道左派)、シュミット(SPD)、コール(CDU)、シュレーダー(SPD)、メルメル(CDU)、シュルツ(SPD)と。こういう変化を考えると、私が東西分裂の西ドイツに居た頃(1964年の1年間と1973~77年の4年間)の感覚で、現在のドイツを評論するのは感覚がずれている恐れが多いので差し控える。

例えば、自動車業界だけでも、1964年にはAUDIは未だ無く、Auto-Union-DKWと言う車種が走っていたが、その会社がAUDIとなって誕生していた。Ford Taunusと言うドイツ・フォード社の車種も964年には人気があった。当時の西ドイツは主力の鉄鋼・自動車・化学工業が極めて健全な戦後回復期だったと今になって感じるところがあり、化学業界は第2次大戦前の財閥の所謂イー・ゲー・ファルベン(!.G.Farben)が、3分割されたバイエル(BAYER),ヘキスト( HO”CHST),ビー・エー・エス・エフ( BASF)の3社が業界を牛耳っていたが、現在はその面影もなく産業構造が変わってしまっている、という具合なのだ。

1973年時代にハンブルグで家族ぐるみで親しくしていた日本人夫妻(夫はクオーター・ドイツ人)がその時以来ハンブルグに住んでいて、今秋に日本にやっと帰国してきた友人から聞けるドイツ人の感覚を一度聞いてみたいと思っている。

(菅原)そうか、メルケルの最大のチョンボは、大量の移民の受け入れか。これでドイツは大分変ったんでしょう。多様性なんて誰が言い出したんでしょう。左巻きの連中か。

(編集子)足掛け2年くらい、ドイツ語初歩の習得をしたいと思い、ネットで探したドイツ人の個人レッスンを受けた。30歳後半で米国での生活も経験し、日本人と結婚したという現代風の若者だったが、飯田君が指摘した移民の急増がドイツ文化を混乱させている、という実情を例を挙げて話してくれた。理想論として反対はできないが、正直言えば迷惑だ、という感覚だった。日本でも昨今、外国人による犯罪の多発が問題化している。欧州のように他国と隣接する長い歴史があるところでも起きる社会現象が日本で引き起こす問題ははるかに深刻になるのではないか。