ここのところ、飯田武昭君の膨大な鑑賞作品リストを巡って議論が盛んである。編集子の場合、慶応普通部時代は保護者なしでは映画館に入るべからずという校則に忠実に従っていたので(スガチューあたりは守っていなかったはずだ)、スーパー堅物で映画などは時間の無駄だと言い張る兄貴を説き伏せて同行してもらうのが大変で、映画をよく見たという記憶はない(そのころ見たのは ”西部魂“ と ”荒野の決闘“ ”カナダ平原” ”大平原” などだ)。晴れて映画館にはいれる高校に進学したとき、見計らったように自宅のそばに、その名もいかめしき ”馬込銀座名画座“ オープンしたので、それからは ”名画” ならよかろうと二本立て、三本立てにのめりこんだ。
難しいことにあこがれ,格好つけたがった年ごろ、”未完成交響楽“ だの “望郷” だの かの ”モロッコ“ なんかはこのころに見たものの例だ。三田キャンパスに行ってからは仲間が集まれば銀座の映画街へ、確か小型で90円のタクシーに分乗、ロードショウを学生割引で見るのが通例になっていた(あの映画街が事実上なくなってしまったのは寂しい限り)。ワンダー仲間ではこの ”エーガ派”と”ジャン荘派“ がいい勝負だったが、エーガ派、と思っていた自分の場合をこの飯田リストや論客保屋野君の論説に比べれば鑑賞歴はとても勝負にならない。まして飯田の場合、同じクラスでひたすらマルクス経済学(だったかな)に没頭している秀才と思い込んでいたこともあって、(やられた)という感じが強い。ただ、その 飯田リスト、を拝見したなかでもひとつだけ、”戦争もの“ に限ると小生にも多少出る幕があるかもしれないと思って書いてみることにする。
”戦争もの“ というのはもちろん自分だけの呼び方で、現代の戦争つまり第一次・二次大戦を背景に或いは題材にした作品の総称だが、これを3つのサブグループに分ける。第一は出来る限り史実をこのメディアを通じて語ろうとするもの、第二は史実を背景にしたフィクション、第三は単に時間軸と社会背景をこれに合わせているだけの、純然たるフィクション、というものである。
小生の本棚に並ぶDVDを分類すれば、第一グループは ”トラトラトラ“ ”史上最大の作戦“ ”遠すぎた橋“ ”バルジ大作戦“ ”レマゲン鉄橋“、”空軍大戦略“、”パリは燃えているか“ ”ノルマンディ“、”戦艦シュペー号の最後“ “エルアラメイン” ”二世部隊” などや、映画はみてはいるがDVDは持っていない最近の ”ウインストン・チャーチル:世界を救った男“ などになるだろう。第二グループの筆頭はなんといっても ”鷲は舞い降りた“ にはじまり、”ビスマルクを撃沈せよ“ “砂漠の鬼将軍” など、第三グループはたとえば “ナヴァロンの要塞” だとか ”633爆撃隊“ ”荒鷲の要塞“ ”英空軍のアメリカ人“ “狐たちの夜” ”眼下の敵” ”サハラ戦車隊” ”狐たちの夜” ”ケイン号の反乱” ”深く静かに潜航せよ” など数多く見てきた(多少論議をひろげて、時代背景とそのしがらみを描き戦闘場面などが出てこないがあきらかに戦争の結果生まれたもの、とすればたとえば ”禁じられた遊び“ だの ”自転車泥棒“ なども、さらに名作級になれば ”武器よさらば“ も ”誰が為に鐘は鳴る“ だってこのジャンルと言えないことはないが、ま、常識としてここまで論じるつもりにはならない)。
(なお、小生の場合、このジャンルの選択には ”欧州戦線を対象にする“ という限定詞をつけておく。自分自身、あの大戦を身近に感じた年代であり、母の従兄弟に終戦を認めずに戦線で割腹自殺したひとがいたり、伯父の一人は外務省の高官だったがソ連に連行抑留され現地で病死した(伯母はその実情を探り当てるのにその後半生のほとんどを費やした)などという事からどうしても関連した映画に平静には対応できないので、太平洋戦線のフィルムはあまり見ないからである(中国戦線に題材をとった 独立愚連隊シリーズなんてのもあるが、これは主演が加山雄三なのでいわば卒業生同窓意識から見ているものだ)。
さて、小生があえて戦争もの、を話題にしたのは、上記したサブグループのうち、第一のカテゴリにいれる作品を、飯田君や保屋野君が論じているような、映画作品としての優劣や好みの論議とは違う見方をしてきたからである。映画、というものがそもそもエンタテインメントである以上、史実を伝える、という態度で作られたこの ”第一グループ映画” は、同じ題材を使用してもあくまでエンタテインメントとして作られた作品とは異なった観点から鑑賞すべきものと思っているからだ。
自分は大学でまがりなりにも ”専攻“ したことになっている現代思想、という分野には引き続き興味を持ち続けているのに、高校大学を通して世界史の授業を受けておらず、現代の世界の在り方に大きな影響を及ぼした20世紀初頭からの世界の歴史を知らないことを感じている。そうかといって ”世界史“をあらためて読みなおす勇気がなかなか起きない。残された時間の少ない今、そういうギャップを手軽に埋めてくれるという意味で、こういう映画はまことに結構なツールなのだ。例えば、戦火の絶えない中東地域という現実を作り出したのが身勝手極まりない英仏両国の密約(サイクス・ピコ条約)であることを “アラビアのロレンス” で学び、欧州戦線の在り方を決定するまでのその英国の混乱を ”ウインストン・チャーチル“ で再確認する、といったことである。こういう成果?を与えてくれた映画作品には、極論すれば映画としての出来不出来や批評論議は(僕にとってはだが、もちろん)意味がない、というのが今回の論点なのである。その欧州での当時の事情や映画に現われない現実も知りたく、だいぶ苦労して関係の書物を何冊か読んだが(これについては稿を改める)、そこで得た知識が映画にどう反映しているかを見る、というような楽しみもある。
いっぽう、映画に限らず小説でもそうだが、作品そのものの位置づけから離れて、登場人物のことが気に罹りはじめる、という事はよくある。僕の場合、”史上最大の作戦“ で登場した米国陸軍のなかで欧州戦線の主軸であった第101空挺師団 (映画ではジョン・ウエインが司令官を演じた)の話を読んだことがあるが、その史実をその部隊の生存者たち直接の支援を得て作られた Band of Brothers という作品があることをしばらく通っていた会話學校の米人教師から教わってDVDを取り寄せてみた。ところが現物は驚くことに標準サイズDVD6枚に及ぶ大作であることがわかって肝をつぶした。この映画が日本で公開されたかどうか知らないが、ただでさえ難しい兵隊用語で貫かれているこの映画を最後まで見終えられるかどうか不安があり、本棚にこれで4年間、積ん読のままになっている。これを完了すればぼくの ”戦争もの映画“ 論にもはくがつくだろうが。報告がいつになるか、わからないが。
(HPOB 安斉孝之)なかなか話題についていく自信もなくもっぱら読んでいるだけでした。ただ、BAN OF BROTHERSのDVDをお持ちとあったのでメールいたします。私も持っています。US出張時に購入しています。なので価格はかなり安価だったと記憶しています。
あれは映画じゃなくてHBOの制作でテレビ映画です。映画並み以上の予算で作っていますがHBOで流すためのドラマでした。出張時に見て購入したくなり今は亡きFry’s Electronicsで購入しました。その後 日本語版でWOWOWで放送されました。英語版だとなかなか細かいニュアンス(特に戦場のスラングばかりなので)があまり理解できませんでした。この映画 スピルバーグとトムハンクスが総指揮で製作費もかなり膨大(100億円以上)でかなり良くできな映画でした。その後続編ではありませんがTHE PACIFICという太平洋戦争の物も同じ総指揮でHBOで制作されています。
(大学クラスメート 飯田武昭)貴兄がブログに投稿された「エーガ愛好会(230)“戦争もの”について」を拝読させてもらいました。文章の書きだしの部分に私の名前を引用して頂いているので、ジャイ大兄に倣って、映画を劇場で観られる年齢になった高校時代のことにつき、思い出したことを記します。
私は高校生になった昭和29年(1954年)から、堰を切ったように映画を見始めた記憶があります。この年にはロードショウの有楽座、東劇の他に、2本建て、3本建てを自由が丘武蔵野館、蒲田日活、五反田名画座、新丸子モンブラン、雪谷映画劇場、白楽白鳥座、新宿劇場、大森名画座、渋谷国際、目黒パレス、鎌倉市民座、荏原オデオン、エビス地球座、渋谷文化、渋谷国際などで今では名作中の名作と思しき作品を煙草の煙が充満している劇場で観ています。当時の新聞広告(添付)と電車の駅のポスターや劇場前の手書きの看板はちょっと芸術的な人を引き付ける魅力のあるもので、その虜になってしまった気がしています。
(44 安田)ジャイさん曰く「第二次世界大戦欧州戦線の史実を知るためには、史上最大の作戦(The Longest Day), 遠すぎた橋 (A Bridge Too Far) の二大作品が好適ですが、それを補足する意味では パリは燃えているか は貴重な映画だと思っています。」 僕も同感です。ノルマンディー上陸作戦 (1944年6月)と 上陸後、潰走するドイツ軍を追撃して連合軍がドイツ国内へ進撃する上で大きな障害となるオランダ国内の複数の河川を越えるために、空挺部隊を使用して同時に多くの橋を奪取する作戦であった。ベルリン侵攻を目指す連合軍が一敗地に塗れたオランダを戦場として戦われた マーケット・ガーデン作戦(‘44年9月)を描いたのが 「遠すぎた橋」。
これらの作品に加えたいのは、ノルマンディー上陸作戦のオマハビーチの戦闘を題材にその壮絶な悲惨さとその後のヒューマンドラマを描いた、スティーヴン・スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」(原題: Saving Private Ryan ー 兵卒ライアンの救出 – Privateは“兵卒”という意味 )1998年公開。しかし、大局的に第二次世界大戦欧州戦線を俯瞰して描いているというより、ミクロ的に参戦した兵士の運命と人間ドラマを描いた映画という点で「史上最大の作戦」「遠すぎた橋」とは異なります。主演はトム・ハンクス。オマハビーチでの攻防を生き延びた大尉(トム・ハンクス)が上陸作戦前日に行われた空挺降下の際に敵地で行方不明になった、兄3人を戦死で失った落下傘兵ライアン二等兵(マット・デイモン演じる)を救出せよという命令を受け、7人の兵士を選び出し、生死も定かでないライアン二等兵を探すために戦場へ出発する。ノルマンディー上陸作戦の延長線上の波乱万丈の人間物語を描いた映画だ。但し、ユダヤ人スピルバーグの描き方は、当然ながらナチスは悪役として惨い残酷さを描写することになるし、一方、米軍の英雄神話をやや誇張したプロパガンダ色も垣間見える。実際の戦場での現実とはやや異なる被害者型承認欲求に駆られたかのような違和感は否めませんでした。