親しい友人から世界情勢に関する貴重な情報を転送して頂いている。現在関心の深いアフガニスタンの情勢について頂いた解説を紹介する。
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タリバンが圧倒的な攻勢を見せ、カブールを陥落。わずか2週間足らずでアフガンのほぼ全土を制圧しました。タリバンは「アフガニスタン・イスラム首長国(IEA)」の樹立を宣言。記者会見を開くなど積極的な情報発信を始めました。タリバンの報道官は、自国メディアで女性キャスターのインタビューに応じ、欧米メディアにも出演し、「米国とは戦わない」「すべての人に恩赦を出す」「『イスラム法の範囲内で』女性の人権を守る」などと発言。20年前とは異なり、融和的なメッセージを強調しています。
一方、国内では抗議デモが起きていますが、それに対して発砲したり、女性の市長やジャーナリストは虐待にさらされることを恐れていると述べています。カブールでは女性の写真が排除されている光景が見られます。タリバンの幹部の1人は「民主的な制度はなくなる」とインタビューで述べました。
国際社会はおおむね静観する姿勢を見せていますが、カナダのトルドー首相は「タリバンを承認する予定はない」と宣言。一方、中国の王毅外相は「タリバンには圧力を加えるよりも政権移行に向けた支援を行うべき」と発言。パキスタンのイムラン・カーン首相は「アフガニスタンは奴隷の束縛を打ち破った」と述べました。
アフガン情勢はまだ不透明な部分が多く、確固たる見通しを述べることはできませんが、現時点でのポイントを述べます。バイデン政権に与える影響や諸外国の対応についてもコメントします。
●タリバンの支配
タリバンの新政府がどのようなものになるかはまだ明らかになっていません。タリバン以外のアフガンの勢力を取り込み、包摂的な体制を作ることを検討しているとも言われていますが、かつての国名である「IEA」を早々に宣言しており、イスラム法の原理的な解釈に基づく統治を行うことは間違いないでしょう。
新政府の機構や指導部の人選もまだ分かっていません。タリバンの最高指導者は宗教学者のマウラウイ・ハバトゥラ・アクンザダですが、公の舞台に姿を見せたことがなく、神秘的な存在です(死亡説もある)。タリバンの実務は、アクンザダの下にいるアブドゥル・ガニ・バラダル(タリバンの創設者の1人)、ムハンマド・ヤクブ(タリバンの創設者で初代最高指導者だったムハンマド・オマルの子)、シラジュディン・ハッカニの3人の副指導者が担っているといわれます。
バラダルは政治担当で、ドーハに駐在して米国との和平交渉を含む外交を担当していました(カブール制圧後にアフガンに帰国)。バラダルは10年にパキスタンに拘束されましたが、18年に釈放され、それから米国との和平交渉の任にあたるようになりました。釈放はトランプ前政権(ハリルザド・アフガン和平担当特別代表)の要請によるものです。バラダルは拘束される前から交渉できる人物として評価されていたので、タリバンの交渉担当にさせたほうが得策という判断がありました。
バラダルは政務を担当する最高幹部であり、アクンザダら他の幹部と異なり頻繁に姿を表します。そうした役割もあり、タリバン新政権が発足した際にはトップ(大統領か首相)になるとみられています。タリバンがカブールを制圧してから代表的な声明を出しているのもバラダルです。なお、先月後半にタリバンの幹部が天津を訪問して王毅外相と会談しましたが、このときのタリバン代表団を率いたのもバラダルでした。
ムハンマド・ヤクブはアフガン国内にあって軍事を担当していますが、初代最高指導者のオマルの息子として注目されることが多い人物です。最高指導者の地
位に押す声もあったが、自身が消極的だったといわれています。アクンザダ同様、姿を見せたことはありません。
シラジュディン・ハッカニはタリバン最強硬の武闘派といわれる「ハッカニ・ネットワーク」のリーダーで、やはり軍事を担当していますが、ヤクブとの役割分担など詳細は分かりません。ハッカニ・ネットワークは、ムジャヒディンの司令官だったジャラルディン・ハッカニが創設した組織で、元々は独立した武装勢力です。タリバンがカブールを95年に制圧する直前にタリバンに加わりました。
ジャラルディンはムジャヒディン時代からオサマ・ビンラディンとの親交が深く、アルカイダとも密接な関係を築きました。米国はハッカニ・ネットワークをアフガンで最も危険なテロ組織とみており、タリバンとは別にテロ組織に認定しています。18年にタリバンはジャラルディンの病死を発表し、息子であるシラジュディンが後を継いでいます(もう1人息子がいましたが、オバマ政権のときドローン攻撃で暗殺されました。ジャラルディンも暗殺されたという噂が何度も流れました)。
タリバンは近年こそ記者会見などを開くようになりましたが、かつては写真や動画撮影すら禁止しており、指導者や司令官が姿を表すことはめったになく、プレスリリースの発信なども稀でした。このため基本的に情報が少なく、彼らがどのような関係にあって、どのような体制を作っていくかは不明確な点が多いです。ただ最近、報道官を中心にどんどんメディアに登場するようになっています。バラダルは数週間以内に政治体制についてアナウンスすると述べていますので、見通しが分かったところであらためて取り上げたいと思います。
タリバンの融和姿勢は、20年前と比べると隔世の感がありますが、多分に広報政策としての側面が強いと思われます。要するに中国や欧米をはじめとする非イスラム圏との関係を安定化させるためのプロパガンダです。タリバンと言えばかつては蛮行のイメージが強く、それを知らしめたのはナジブラ元大統領の惨殺でした(局部を切り取り、車で市中を引き回して、信号機に吊るした。市民は嫌悪感を抱き、国際社会も衝撃を受けた)。恩赦が実行されるかは疑わしいですが、少なくともこうした暴虐のイメージを流すことは避けるでしょう。今の時点で言えることは限られていますが、国内における実際の支配と国外におけるイメージを使い分けする可能性が最も高いと考えられます。
●アフガンの内戦
タリバンはアフガンの国土の大部分を制圧しましたが、前回の記事で述べたとおり、占領と統治は別問題です。タリバンがカブールを超えて広範な支配を持続できるかには多分に疑問があります。
アフガンは、前近代から近現代に至るまで、周辺国を巻き込みながら戦乱を繰り返してきた国です。一つの国家が国土全体を有効に統治できた時期はほとんどありません。基本的に中央国家の力は弱く、各地域で民族や部族が伝統と慣習に則って自治を行ってきました。国家の主な資金源は外国からの支援で、このため外国勢力の侵入や工作が常態化していました。
アフガンの戦乱の大きな要因は民族の多様性です。民族構成は、パシュトゥン人42%、タジク人27%、ハザラ人9%、ウズベク人9%、アイマク人4%、トルクメ
ン人3%、バローチ人2%、その他にも数多くの少数民族がいます。多数派のパシュトゥン人でも4割程度で、パシュトゥン人とそれ以外の少数民族の関係は極めて悪いです。さらにパシュトゥン人でも、ギルザイ(主に東部カブール)とドゥラーニー(主に南部カンダハル)という2大部族をはじめとする多くの部族がおり、これまたお互いの関係は良好ではありません。
イスラム教という宗教の同一性がアフガンという国家の統一性を担保する唯一の要素になっています。もっとも、ハザラ人はシーア派の12イマーム派(イランの国教)を信奉しており、このため迫害の対象になります。イランはハザラ人の保護に熱心であり、このためスンニ派の原理主義であるタリバンとは元々は対立する関係にありました。
タリバンはパシュトゥン人の勢力であり(南部カンダハルが発祥)、イスラム原理主義とともにパシュトゥンの民族文化を重視しており、他の民族勢力とは激しく対立する関係にあります。そもそもパシュトゥン人は極めて誇り高く攻撃的な民族であり、自分たちこそ「アフガン」という強い意識があり、タリバン以前に他の少数民族とは相容れない面がありました。
このため主にパシュトゥン人以外の民族が軍閥を形成してタリバンに対抗しました。タジク人はラバニとマスード(東部カブール、北部パンジシール)、イスマイル・カーン(西部ヘラート)、ヌール(北部マザリシャリフ)、ウズベク人はドスタム(北部マザリシャリフ)が主要なリーダーです。ハザラ人は諸勢力がいました(中部バーミヤン)。パシュトゥン人ではヘクマティアル(東部カブール)が反タリバンの中心でした。
ハミード・カルザイ、アシュラフ・ガニ、アブドラ・アブドラというアフガン政府のトップはいずれもパシュトゥン人ですが、欧米との結びつきが強いバックグラウンドもあり、米国の後ろ盾を得てタリバンに対抗しました。米国の傀儡といわれましたが、「タリバンを受け入れない」「近代的・穏健」「パシュトゥン人」という属性はアフガン政府のトップには不可欠の要素でした。
ガニは国外に逃亡しましたが(UAEに滞在、衝突を避けるために退避したと説明)、カルザイとアブドラはカブールにとどまり、タリバンと交渉する構えのようです。タリバンが包摂的な体制をどこまで追求するのか見極めるポイントになるかもしれません。
一方、サーレフ第1副大統領(タジク人)は暫定大統領を名乗り、アフマド・マスードとともにパンジシール渓谷で反タリバン戦線の結成を宣言しています。アフマド・マスードは、01年にアルカイダに暗殺された国民的英雄であるアフマド・シャー・マスード元国防大臣の息子で、父と同様にパンジシール渓谷に本拠を置き、タリバンに立ち向かう姿勢を示しています(ワシントン・ポストに抵抗の宣言を寄稿、ただしタリバンと交渉したいという希望も述べている)。
ドスタム、ヌールといった有力な軍閥のリーダーは国外に脱出していますが、これまで何度も国外に脱出しては再び戻ってきて支配を奪還してきた人々です。捲土重来を期すことは間違いないでしょう。そういうわけで、今後、タリバンの支配がどうなるかは予断を許しません。これまでのアフガン政治や国際関係の経緯を考えると、タリバンが広範な統治を実現できるかには疑問があり、事実上の内戦は続くと考えられます。
こうした考察の前提となるアフガン現代史については、読者の方からのリクエストもあり、書くつもりでいながら、ずっと延びてしまっていました。近いうちに書きますので、お待ち下さい。なお、以前にパキスタンの視点からタリバンについて説明したことがあります。パキスタンは歴史的・文化的・政治的にアフガンとの関わりが深く、今後のアフガン情勢において最も重要な影響を及ぼすキープレイヤーです。したがって「パキスタン現代史」シリーズはアフガンを理解する上でもお役に立つと思います。
●バイデン政権の対応
アフガン国内の情勢以上に関心を集めているのはバイデン政権への影響です。今回のタリバンのアフガン進撃、米国関係者の慌ただしい撤退の様子(ヘリを使った写真など)、アフガンから脱出しようとするアフガン人たちの悲痛な光景は米国内外のメディアに大きく取り上げられました。
Politico/Morning Consultの世論調査によれば、米軍のアフガン撤退を支持する米国民の割合は69%から49%に急落。またバイデンの支持率はファイブ・サーティー・エイトの平均で49%と政権発足以来初めて50%を割り込みました。支持率についてはアフガンのみならずコロナの影響も大きいですが、バイデン政権にとって大きなダメージになったのは明白です。
アフガン撤退自体は、バイデンとしては固い決意で実行したものです。多くの軍関係者や外交・安全保障の専門家は反対し、3,000人程度の駐留でアフガン政
府を維持できるのであれば費用対効果としては十分見合っているとの声が聞かれました。しかし米国民の多くはアフガン駐留自体に意味を見出すことができず、バイデンも「米国の青年たちを危険にさらし続けることはできない」という思いを繰り返してきました。息子がイラクに駐留したことも影響しているのでしょう。そもそもバイデンはオバマ政権のときからアフガン政府に不信感をもち、増派にも消極的でした。撤退は撤退で一つの戦略的な決断です。
この点について、アフガン撤退は「同盟国を見捨てるもの」として米国への不信感を高めたという見方があります。しかし日本や台湾をはじめとする東アジアにはこの問題はあてはまらないでしょう。アフガンと日本や台湾では戦略的価値に大きな差があり、そもそもアフガン撤退も対中国政策にリソースを割くためのものだったからです。
一方、NATO・欧州にとっては、連携不足を含めて、大きな不安を与えたことは否定できないでしょう。バイデン政権は欧州との亀裂の修復に取り組んできましたが、これまでの努力を損なう結果になってしまいました。EUは、先週から「戦略的自律性」を一層強調するようになっています。
●中国の対応
中国はタリバンの制圧を歓迎しているとか、これをチャンスと見てタリバンに積極的に支援など関与していくとの見方をみかけますが、あまり合理的な見立てとは思いません。上記記事で述べたとおり、中国はイスラム過激主義が東トルキスタン・イスラム運動など自国の安全保障の脅威になることを恐れています。タリバンに融和的な姿勢を示していますが、防御的な行動という面が強いように思います。
実際、タリバンによるアフガン制圧後も、中国の言動はかなり慎重です。王毅外相がラブロフ外相と会談した際も、中国の国民や企業の利益が守られること、タリバンが穏健な宗教政策をとり、包摂的な体制を作り、平和で有効的な外交政策をとること、東トルキスタン・イスラム運動を含むテロ勢力を抑制することをタリバンに求めると述べています。かなりまともというか、タリバンにそれを約束させることができればいいけど、できるのかな?という主張をしています。
中国はタリバンに経済支援と政府承認をちらつかせていますが、これは前述のタリバンへの要求をのませるための交渉材料です。タリバンに接近し、アフガンでの影響力の拡大に積極的に取り組むというよりも、まずはタリバンが信頼できるのか慎重に見極めようとしているのが実態でしょう。「一帯一路」をアフガンにも拡大するというのは、プロパガンダとしては簡単ですが、実態がどこまで伴うのか疑問です。
また、先に述べたタリバンへの要求は、米国にとっても歓迎すべき内容です。アフガンに進出することで得られるものは少なく、どちらかといえば自らの利益を守りながら、あわよくば米国との関係改善に向けたアピールポイントとして利用しようとしているように見えます。ここ数少ない米中協力の分野の一つになる可能性があります。