NHKドキュメンタリに思う  (42 下村祥介)

 皆さんもご覧になっているかと思いますが、私はNHKのドキュメンタリー番組をよく見ています。
7/28(月) 映像の世紀(特別編)「ヨーロッパ2077日の地獄 独ソ戦の悲劇」
 これは第2次大戦をはさんでの2度にわたるウクライナ住民の悲劇を報じたもの。戦争初期にはソ連に支配下にあったウクライナ。ナチが圧倒的な勢いでウクライナに侵攻、退却を余儀なくされたソ連軍が、町の資産を利用されぬようあらゆる建物に弾薬を仕掛け、焼き尽くして去っていった。
 町を破壊されたウクライナ市民、ナチによりソ連の抑圧から解放されたと一時は喜んだが、その後勢力を盛り返したソ連が再びウクライナに侵攻、ナチの劣勢が極まるとナチもまたウクライナ撤収にあたって町に火をつけ撤退していった。
 戦争となると市民・住民などアリなどとまったく同じ。人でありながらその命など見向きもされないという、強国に挟まれた小国の悲劇が生々しいほど伝わった。
7/29(火) 世界のドキュメンタリ「翻弄された子どもたち 欧州大戦孤児のその後」
 これは大戦末期・直後にユダヤ人、ポーランド人、ドイツ人の赤ちゃんや子どもたちが大量にソ連やフランスに拉致され、自国民といて教育されたという悲劇の物語である。
 戦争で数多くの戦死者をだしたソ連やフランスは自国再建のためにとにかく若い人が欲しかった。ドイツでソ連占領下にあった地域ではユダヤ人、ポーランド人、ドイツ人などの赤ちゃんや戦災孤児が何万人とソ連に連れ去られ、思想教育がなされた(今回のウクライナ東部の子ども収奪と同じ?)。
 戦後はフランスもドイツ人の戦災孤児やドイツ人女性との間で生まれた赤ちゃん(丈夫で元気な子だけ)を大量に自国に移籍し、フランス国籍を与え自国民教育をおこなった。

 実の両親は戦死し、すでに養父母に育てられつつあった幼児なども強制的にフランスに引き取られた。里親にようやく慣れ、里親の方も実子のようにかわいがって育てていた里子が強制的に国によって引き離されるというこれまた大変な悲劇である。 戦争は勝ったとしても失うものの方がはるかに多く、その代償はあまりにも大きい。

(編集子)欧州での戦争が話題になるたびに思うのだが、現在悲惨な戦いを繰り返している国々は、かつてはローマ帝国の一部であり、そのあとに続いたいくつかの、例えば神聖ドイツ帝国であれハプスブルク王朝であれ、人種民族を超えて団結したはずなのに、いつもその壁を越えられず、離合集散とそのたびに悲惨な戦争を飽きもせずに繰り返してきた。ようやくEUという形のまとまりができた、と思えば今やその意義が疑われるような状態になっているのは、第三世界、と言われる、要はヨーロッパ倶楽部にいれてもらえない国々からの圧力によって混乱におちいりつつある。 ”歴史の終わり” が来た、とバラ色の夢が実現したのに、その自由世界の実現をリードしたはずのアメリカの混乱がそれをひっくり返した。 ”グローバリゼーション” も結局はその混乱を惹起してしまうことに終わった(終わりつつある)ようだ。
大陸文化の恩恵を受けて発展しながら、なお、(結果として)大陸の混乱から距離を持つがゆえに(自分で意識もしないのに)いわば島国の栄光を保っている日本という国は人類史の中の特異点なのだろうか。そういえば、先日、読売新聞はニュージーランドという国の特殊性について好意的な記事を掲載していた。同じ島国である、というほかにも毅然として独歩の道を行き、隣のオーストラリアがいわば無限の資源にめぐまれているのに日本と同じくらいの資源小国であり、はたまた地震のある国、という意味でも親近感を覚える国だ。こういう連中ばかりだと世の中平和でいられるんじゃなかろうか。オーストラリアには何回か行ったがこの国は訪れたことがない。最近の体調ではもう行くこともないだろう。イギリスもドイツも小旅行はいったがフランスだけは意図的に行っていない。なんとなく気に入らない、というだけの例によって意固地なだけだが、それでも、ノルマンディはオマハビーチ、だけは行ってみたかった。