先月、向かいのお宅のツゲの木に5-6羽のムクドリがきていまし
などと呑気にムクドリの話をメールに書きましたが、その後、我がかったというのでネットのムクドリの画像を見てもらったところ、それだ!と、スナ
鳥がとまりにくいと思われる下図に似たスパイクセットを100均
スナップエンドウの花 は同じマメ科なのでスイトピーに似た花をつけます
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
竹田ダニエル,三牧聖子という米国研究の専門家の著書、ということで期待して読んだ。結果、新たな知見も多かったが、失望といえば言い過ぎかもしれないが期待外れの感じもする本であった。ただ、昨今のトランプ論議の前提というか日本で感じる対米国観について、なるほど、そうだったのか、と理解を改めることができたと言う意味で日米問題に興味のある人にはお勧めしたい。新書版で200ページ弱と読みやすいボリュームでもある。
いくつか、納得した点を挙げておこう。
1.日本ではわからなかった、というか報道が不十分だったのは、バイデンの失政の大きさであり、カマラが大統領選でなぜ、黒人や移民層の不満を買ってしまったのは結局このせいだ、ということ。
2.イスラエルへの過剰な支援、膨大な資金投入がトランプだけでなく、バイデン政権でも行われていることへの不満が民主党への失望となったこと。
3.Z世代といわれるアメリカの若者層の反抗と資本主義への批判が異常に高まりつつあること。また彼らの間には、過去米国で歴史の一部としか認識されてこなかった先住民族への仕打ちとか、海外での戦争行為とかいったことに対する贖罪意識が高まりつつあるとも書かれている。
4.日本でいう ”リベラル” 思考はアメリカではすでに機能しなくなっていること。
5.イスラエルへの過剰な傾斜はバイデン時代からあり、トランプになってさらに強まると予測され、それが若者や一般人の政治離れを引き起こしつつあること。
逆に著者二人への期待を裏切られたというか失望したのは、日本人、日本社会についての見方が結局、例によって日本社会の画一性批判、多様化の欠如が問題だとする、”出羽守ロジック” の域を出ていなかったことだ。これから人口減少によって移民や外国人労働への傾斜が深まっていくのは不可避なコースと考えられる我が国では、今日のアメリカ社会の問題点を呼び込んでしまわないような社会形成をしていくことが重要であろう。”多様性” という罠に落ち込まないで、包容力のある国になりたいものだ。
調べたいことがあって、US版のグーグルを見ていたら、標記の記事が目に留まった。よくあるファン投票的なものではなさそうなので目を通した。50の作品 のリストは原題で作成されているので、日本公開時の題名は記憶に頼るしかないが、とにかくこの50作のうち、編集子が見た作品は31であり、明らかに日本で公開されていないと思われるものも数個あるので、ヒット率としてはまあまあだと思うが、ドクターコイズミはどうだろうか。
このリストを作成した人の好みもあるのだが、小生として異議があるのはまず第一に 大いなる西部 が入っていないことである。フォードの騎兵隊シリーズの中で 黄色いリボン は入っているがほかの二つ(アパッチ砦、リオグランデの砦)がないこと、また50年代の懐かしい、いわば典型的セーブゲキの代表ともいえる ジョエル・マクリーの 大平原 とか セーブゲキ、といえばこの人、ランドルフ・スコットの 西部魂 なんかもないことから勘ぐると、これらの作品に共通するのは先住民族を残忍な、悪いもの扱いであるからではないか、とも思える。記事自体がいつ書かれたのかは挙げている作品名などから判断するしかないが、わりと最近になって作られたタイトルが見当たらない。シルバラード もよく出来たエーガだと思うのだが。
このグーグルの記事には、Western Movies (これがわれわれがセーブゲキ、と言っているジャンルの総称らしいのだが)についての記述がある。ここで筆者はアメリカが生み出した文化的遺産は数少ないが、ジャズと漫画本と西部劇、がある。西部劇は幾度も衰退を思わせた時期があったが、必ず蘇る性格を持っていて、アメリカの歴史と現代双方を理解する二面性をもったものだ、という。納得できる気がする。事実、西部劇映画から得たこの国についての知見は少なくない。
少し長くなるが、50作品のリストを紹介しておく。小生が鑑賞したものをブロック体で表示してある。
1 | The Seachers | 1956 | ||||
2 | Unforgiven | 1992 | ||||
3 | Once upon a time in the west | 1968 | ||||
4 | Stagecoach | 1959 | ||||
5 | McCabe and Mrs.Miller | 1971 | ||||
6 | Red River | 1948 | ||||
7 | Wild Bunch | 1969 | ||||
8 | Rio Bravo | 1959 | ||||
9 | Naked Spur | 1953 | ||||
10 | Mlek’s Cutoff | 2010 | ||||
11 | The Man who shot Liberty Balance | 1962 | ||||
12 | The God , the Bad and the Agry | 1966 | ||||
13 | Butch Cassidy and the Sandance Kid | 1969 | ||||
14 | My darling Clemen:tine | 1946 | ||||
15 | Johnny Guiter | 1941 | ||||
16 | Forty Guns | |||||
17 | High Noon | 1952 | ||||
18 | 3:10 to Yuma | |||||
19 | Shane | 1953 | ||||
20 | She wore a yellow ribbon | |||||
21 | A Fist of dollar | 1964 | ||||
22 | 7 men from now | 1956 | ||||
23 | Dead Man | 1995 | ||||
24 | The Gunfightr | 1950 | ||||
25 | The Power of the Dog | 2021 | ||||
26 | True Grit | 2010 | ||||
27 | Winchester 73 | 1950 | ||||
28 | For a few Dollar More | 1965 | ||||
29 | The OX-Bow Incident | 1943 | ||||
30 | The Outlaw Jasey Wels | 1976 | ||||
31 | The Shooting | 1966 | ||||
32 | Ride the High Country | 1962 | ||||
33 | Vera Cruz | 1954 | ||||
34 | The Buffet for General | 1966 | ||||
35 | Bend of the river | 1952 | ||||
36 | Magnificent Seven | |||||
37 | Django | 1966 | ||||
38 | The Tale T | 1957 | ||||
39 | Blazing the suddle | 1974 | ||||
40 | The Shootist | 1976 | ||||
41 | The Assasination of Jessie James by the coward | 2007 | ||||
42 | The left handed gun | 1958 | ||||
43 | Little Big Man | 1970 | ||||
44 | One Eyed Jacks | 1961 | ||||
45 | Broken Arrow | 1950 | ||||
46 | Great Train Robbery | 1903 | ||||
47 | Day of Anger | 1967 | ||||
48 | Buck and the Preacher | 1972 | ||||
49 | The Sister Brothers | 2018 | ||||
50 | Dodge City | 1939 |
ヨレヨレ旅人夫婦は「昆明」を初めて訪れた。「昆明」(Kunming)は何処にあるのか。広大な中国の地図を広げて探した。中国西南部のミャンマー(ビルマ)とベトナム・ラオスに隣接する雲南省の省都である。
雲南昆明は中国奥地の辺境と思い込んでいたが人口一千万人の巨大な都市だった。高層ビルが立ち並び高速道路も整備されている。車社会の近代中国、人力車時代を知る中国からは想像もできなかった。ただ人々の洋装姿はぎこちなく田舎臭い着こなしである。雲南は、標高2000mの高原にあるが鉱物資源に恵まれて経済的にも大発展している裕福な辺境である。雲南省は雪を頂くロッキー山脈に囲まれたコロラド州にとても似ている。すると昆明はデンバーに相当するだろう。
「一帯一路」と「中老鉄道」ー「昆明」は、習近平主席の提唱する「一帯一路」の東南アジアの拠点なのである。「一帯一路」とは中国と中央アジア・中東・ヨーロッパ・アフリカにかけての広域経済圏の構想の名前である。昆明新幹線(中老鉄道)に乗車した。巨大な列車は揺れもなく静かである。鉄路は直線でトンネルは雲南の山々を貫く。
「昆明」から「シーサンパンナ」を経てラオス国境を越えてルアンパバーンとビエンチャンまで全長1,035km。将来はタイのバンコックを経てマレー半島を縦断してシンガポールまで繋げ東南アジアの大動脈とするのが目標とされる。総工費の多くを中国が負担、残りのラオス分も大半は中国からの融資で「債務のわな」に陥る懸念が指摘されている。
身なりや会話を聞いている限りでは、乗客はほとんどが中国人。ハードもソフトも「中国流」で荒っぽい新幹線だった。これが「一帯一路」の実体なのかと驚いた。スローガンはどうやら本物になりそうだ。中国の底力を実感できた。
「援蒋ルート」について、中国生まれの83歳の老人は80年前の歴史を回顧した。まず思い浮かべるのは映画『ビルマの竪琴』である。「インパール作戦」で亡くなった戦友を弔う水島上等兵の物語だった。ビルマ僧の姿になり竪琴を弾く。「埴生の宿」だったと思う。切ない琴の音色は日本人捕虜を癒していた。
「援蒋ルート」はインパールから昆明まで建設された。インパールはインドのアッサム州の隣にあるマニプル州の町だった。「援蒋ルート」は昆明を最後の拠点とした蒋介石国民党軍を援助するために設けた軍事道路であった。
1942年頃に中国本土の多くは日本軍に占拠されていた。蒋介石が指揮する中華民国は「昆明」と「重慶」だけを支配していた。一方の毛沢東が率いる中共は「延安」に立てこもっていた。国民党と共産党も内戦状態だった。「援蒋ルート」は蒋介石だけでなく毛沢東も救援する目的で連合国によって建設されたわけである。
「インンパール作戦」は数万人の戦死者を出し日本軍史上最悪の無謀な作戦だった。80年後になり「援蒋ルート」は「一帯一路」として存在しているようだ。感慨深く歴史を回顧した。
推理小説、というものがいつから始まったか、については専門家の間でもいろいろと議論があるようだ。ま、アマチュア読者であれば、通説どおり(先日菅原君が乱読報告の中で書いたように)、エドガー・アラン・ポオの モルグ街の殺人 だというあたりで十分だが、このジャンルの作品が広い範囲の読者層に浸透しはじめたのが1920年代、大戦前、西欧社会が新興国アメリカを迎え入れて穏やかに機能していた時代のことだ。この初期の作品は (誰が犯人か) の追求に徹していて、Who’s done it ? 派、日本ではそのままカタカナ読みをして フーダニット、作品と呼ばれるものだった。この流れは推理小説が無視できないものに成熟してくると、だれが、というよりもその殺人はどうやっておこなわれたのか、How’ s done it. ハウダニット 論理、つまり奇想天外な殺人方法を競いあう結果になってしまった。やがて、その反動として現実社会とのつながりを無視できない、犯罪の後ろにある現実とのせめぎあいを語るほうに移って行き、Why done it ホワイダニットと呼ばれる作品が増えていく。それが文体も初期の、ハイブラウな文体から直截的な、簡潔な文体で語られるようになり、現在のハードボイルド と呼ばれる作風に変わってきた。
1920年から30年代へかけて、いわば推理小説の黄金時代、と呼ばれる頃の作品は主流は当然ながらフーダニット思考のものであって、英国ではクリスティ、クロフツ、チェスタートン、メイソン、そのほか有名人や純文学者が手掛けたものなど、現在まで読み継がれる作家が並ぶ。かたや当時新興国であったアメリカでは、文化圏はニューヨークを中心とする東海岸であった。そこで開花したアメリカ版推理小説の代表格が,ハウダニット論理を中核に据えたヴァン・ダイン,ディクスン・カー、それからエラリー・クインなどだった。高校時代、菅原にそそのかされてこのあたりの名作は一応読んだし、エラリー・クインもその中に当然入っていた。
識者の推理小説作品に対する評価はいろいろあるが、ベストといわれる中にいつも顔を出すのがクイーンの Yの悲劇 だが、それと合わせて彼の代表作とされるのが、題名に国名を使った9冊で、国名シリーズ、とよばれる。”ローマ帽の秘密” でイタリアをタイトルにとりこみ、以後、”オランダ靴“ ”アメリカ銃” ”フランス白粉” “チャイナオレンジ” ”スペイン岬” ”シャム双子“ ”エジプト十字架” ”ギリシャ棺” といずれもタイトルが国名と MYSTERY という単語で統一されている。このシリーズに対抗したクイーンの好敵手、ヴァン・ダインはその12冊の作品のタイトルを 例えば The Bishop Murder Case” (邦題 僧正殺人事件)というようにすべて murder case とするなど、対抗心をあらわにしてクインと争った。この二人の作品に共通する要素は、あきらかにクリスティのように真っ向からなぞに挑むだけの作風に,how’s done it 的な要素が目立ち、さらにあたかもイギリスに対して新興国の知識階級の意地を張るかのように、衒学趣味が濃厚に加わっている。特にダインの作品は著者(匿名で書き始めたが実は高名な文学批評家だった)の主に美術の分野だが、博識・知見をくどくどと述べるので辟易する人が多い。
僕は創元社の文庫だったと思うのだが、国名シリーズはわりに早い段階で読み終えている。今回、改めて原文に挑戦してみたのだが、ほぼ1世紀まえに米国の知識階級の話すことばや生活態度が、現在のアメリカとどれほどかけはなれていたか、を感じながら読んだ。また、国名シリーズでいえば、日本とドイツとなにより英国がその中に含まれていない。シャムすなわちタイなどが入っているのに、である。この国名シリーズ9冊とはべつに、ニッポン樫鳥の秘密 という一冊もあるのだが、これだけは国名シリーズと数えていない。このあたりは当時の世界情勢を暗示しているようでもあり興味深く思った。
読み返してみて思うのだが、このシリーズで、国名すなわちその国との関わり合いが筋の展開に不可欠なのはシャムとエジプトとギリシャだけで、ほかは国名を入れ替えても成り立つストーリーだ。例えば中でも長編の フランス白粉の謎 の場合をとれば、白粉がフランス製でなくとも全く筋に関係しない。このあたり、ひょっとするとクイーン(または出版社か)の巧妙なマーケティング戦略であったかもしれない。話の展開上、上記のような(白粉の話)ことはミステリ物を紹介するときにあってはならないのだが、いずれにせよ、この時期に現れた作品は、現代風の書き方の作品とくらべるとゆったりした気分で読めるのが古典の良さなのだろう。クインの主な作品はほとんどすべて早くから邦訳があり、特に井上勇氏の訳は高く評価されている。ミステリ、というジャンルにまったく興味のない人がほとんどかもしれないが、クイーンの代表作、Yの悲劇 や クリスティなら 読みやすい オリエント急行の殺人 とか そして誰もいなくなった くらいはお読みになることをお勧めしたい。ストーリーはともかく、ハードボイルドといえばまず出てくるレイモンド・チャンドラーの 長いお別れ などは文章あるいはその書き方自体が英語の教材になるとすら言われていることも付け加えておこうか。
ヒマラヤの西部カラコルム山脈に聳える世界第2位の高峰。エベー
登頂の難しさでは世界最高峰のエベレストよりも上で、「世界一登
山の話から離れて、K2の話をさせてもらおうと思う。僕は日米2つのオーディオ製品メーカーで併せて40年以上働いたが、2社目の米国会社の子会社の一つにロサ
山好きの僕はJBLの最高級旗艦(flagship)製品をEverestとK2の名を冠して世界市場展開をしたいと
ここ10年間で、世界の音楽市場は急激にストリーミング(インタ
世界全体としては、デジタル音楽が主流となりつつあるが、日
K2未踏ルートからの登頂挑戦のNHK BS放映を観ながら、僕のK2を懐かしく想い出す。
(42 保屋野伸)今日、1時10分ごろ、何気なくチャンネルをNHK・BSPに合わせたら「ヴェラクルス」が放映されていて、(この映画はもう3回ほど観てるので今回はスルーする予定でしたが、)ゲーリー・クーパーとバート・ランカスターの競演、そして、ストーリーの面白い展開に最後まで観てしまいました。
この映画は、メキシコ独立戦争を背景に、政府軍の金塊(300万ドル)を巡る諸攻防がテーマなのですが、政府軍と反乱軍とのすさまじい戦闘シーンは圧巻でまた、金塊を独占しようとするランカスターとそれを阻止しようとするクーパーが決闘するラストシーンも見応え十分でした。なお、このエーガは、すべてメキシコでロケされたということですが、メキシコの遺跡等の風景やメキシコ音楽でのダンスシーンも楽しめました。
西部劇には少々ガッカリさせられる映画が多い中、この映画は「大いなる西部」と並ぶ傑作西部劇ではないでしょうか。最後に「地上より永遠に」で、(サラリーマンみたいな役柄の)ランカスターにガッカリしましたが、今回のランカスターの魅力・存在感は、少々地味目のクーパーをはるかに勝っていたと思います.。ちなみに、上映時、ランカスター;41才 クーパー;53才
(34 小泉幾多郎)「ヴェラクルス1954」は、1866年メキシコでの大金をめぐいランカスターの手下になるアーネス
物語は、ベンジャミン・トレイン(クーパー)がジョー・エリン(持って逃げた。脱出を
の行為だったが、得難い友に、自ら
(編集子)この一本で日本に知られるようになったヴェラクルスについて、ウイキペディアの解説をあげておく。メキシコをめぐっての西部劇はほかにもいろいろある。国境をなすリオグランデのあたりは例えばフォードの騎兵隊ものでもおなじみである。多くの場合は西部を追われたワルが逃げ込むという設定が多いが、有名なジャズナンバー South of the Border の歌詞にもあるように、一種のあこがれの地でもあったようだ(アメリカ人が作曲したアロハオエがハワイを楽園として作り上げてしまったのも同じようなことだろう)。西部劇がいろいろあってもメキシコという国がに持っている古い文化への挽歌、というロマンスはない。保屋野君はランカスターには厳しい評価だが、難しい議論はさておいて、この作品が作り上げた二人のガンマンの対決、という定番としては 駅馬車 のラストとともに傑作だと思うのだが。
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先回小泉さんが触れられた ローンレンジャー物の一つ、どれだったか思い出せないがメキシコの貧民を食い物にする悪漢に挑む男がメキシコに上陸するオープニングもこのような港町だった。
The name Veracruz (originally Vera Cruz), derives from the Latin Vera Crux (True Cross). Having established the settlement of Villa Rica (Rich Village) on Good Friday, 22 April 1519, Cortés dedicated the place to the True Cross as an offering.
「吾妻おもかげ」(著者:梶よう子。発行:KADOKAWA、2021年)。
切手の収集に夢中になっていた頃だから、もうかれこれ70年以上も前の話しになる。当時、額面5円の記念切手で(現在、中古市場での買い取り価格は6000円前後にもなるそうだ)、珍しく縦長のものがあった。しかも、その図柄が、子供心にも、何やら艶めかしい。そう、それが、有名な「見返り美人図」だ(当時はそんな題名とは知る由もない)。その絵師、浮世絵を確立し、浮世絵の祖と謳われた菱川師宣(師宣なんて偉そうな名前だと、足利尊氏に側近として仕えていた武将、高師直を思い出し、思わず師宣も武士の出身ではないかと勘違いした)が、この著書の主人公だ。なお、浮世絵とは、実際の世の中が憂さに満ちており、それを晴らすために浮き浮きすると言う意味で浮世と呼んだと言われており、そんな絵が浮世絵と呼ばれるようになった。
師宣は1618年(1630/31年と言う説もあるらしい)の生まれだから、江戸時代もその初期と言って良い。因みに、同じ浮世絵師と言っても、富嶽三十六景などで有名な葛飾北斎は1760年の生まれだから、師宣が活躍した時期は、北斎に先立つこと一世紀以上も前のことになる。
確かに、「見返り美人図」(肉筆の浮世絵)の図柄も一見の価値はある。それはただのありきたりの美人図ではなく、その美人が見返ったところを描いており、師宣らしい独自性が溢れているからだ。そして、その見返り美人が着ている着物の縫箔(着物を刺繍と金、銀の箔で飾る)の出来具合も誠に素晴らしい。それもその筈、師宣の父は、安房(今の千葉)で、漁師ではなく、縫箔師をやっていたからだ。縫箔とは言ってもその元になる図柄が描けなければ、何事も前に進めないのは言うまでもない。そう言った環境で育まれたわけで、師宣には、絵を描く素地が充分にあったことになる。つまり、特に師匠もいない全くの独学だったわけで、軽々しくは言えないが、一種の天才と見做しても差し支えなかろう。そうであるが故に、浮世絵の祖とまで言われるまでになったわけだ。
当時、幕府お抱え絵師として一世を風靡していた狩野一派の弟子にバカにされ、それが肥しとなって、独自の版本を編み出し、師宣の絵は競って贖われ、名前だけで売れるまでになった。ところが頂点に立つとそこに安住してしまうものなのか、菱川派を作ってしまう羽目に陥ってしまうことになる。
「見返り美人図」のモデルは、これと言って特定できるものはないと伝えられているが、 艶めかしく感じたのも道理で、描かれているのはその辺にいる素人ではなく、小生は勝手に、師宣が足しげく通った吉原の遊女ではないかと推測している。そして、話しは、その吉原通いから始まることになる。
ところが、何時まで経っても肝心要の「見返り美人図」の話しが出て来ない。と思っていたら、最後の頁になって、師宣が65歳で鬼籍に入ったのち、二人の息子が画室を片付けていた際、やっと、今まで見たことのない美人画を見つける、と言う落ちが付いている。従って、正確な作成年月は不明で、大まかに17世紀(1600年代)となっている。
最初から最後まで、それこそ終始、「見返り美人図」の話しになってしまったが、所詮、艶めかしい見返り美人に惚れ込んでしまっては、万事休す。
最後に、題名「吾妻おもかげ」について、吾妻(あづま)とは我が妻のことであり、おもかげとはまぼろし、幻影のことだから、我が妻のまぼろしと言ったところだろう。ただ、その意味するところと、この著書の内容とは、余りにも隔たっていてどうにもピント来ない。また、中島みゆきに「見返り美人」があるが、歌詞も歌もナンダカナー。
(梶洋子)東京都生れ。フリーライターとして活動するかたわら小説を執筆。2005(平成17)年「い草の花」で九州さが大衆文学賞を受賞。2008年「一朝の夢」で松本清張賞を受賞。2016年『ヨイ豊』で直木賞候補、同年、同作で歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。2023(令和5)年『広重ぶるう』で新田次郎文学賞受賞。著書に、「みとや・お瑛仕入帖」「朝顔同心」「御薬園同心 水上草介」「ことり屋おけい探鳥双紙」「とむらい屋颯太」などのシリーズ諸作、『立身いたしたく候』『葵の月』『北斎まんだら』『赤い風』『我、鉄路を拓かん』『雨露』ほか多数。