カンボジア・アンコールワット再訪 (41 斉藤孝)

静かに東の空が明けていく。

暗かったアンコールワットの遺跡群のシルエットが浮かんできた。太陽が昇り始め、太陽に照らされてアンコールワットは目覚めた。

5本の尖塔が姿を現す。時間とともに空の色は変わり始めた。「聖池」に逆さアンコールワットが映る。壮大な遺跡群の全貌がハッキリ現れた。

朝焼けのアンコールワットは光り輝いていた。空も遺跡群も瑠璃色一色である。

紅のカンボジア(クメールルージュ) !! これこそが「クメールルージュ」ではないか ? 「聖池」の横に立たずむ白髪の老人は「ポルポト」なのか ?悪い冗談をつぶやいた。

「クメールルージュ」(1970–1975)は原始共産主義社会を本気で実験した悪名高き集団。その指導者は「ポルポト」だった。約300万人のクメール人を虐殺(ジェノサイド)した。

老夫婦は午前3時に起床し、足元を懐中電灯で照らしながら用心深く歩いた。60年振りのアンコールワットだった。センチメンタルジャーニーといえるだろう。

1969年(大学院)を修めた春に東南アジアを放浪したことがあった。あの頃のインドシナ半島はベトナム戦争の最中であったがカンボジアだけが平和だった。

(42 河瀬)素晴らしい朝焼けのアンコールワットですね!

私は2013年にプノンペンで日本の友人が立派な脳外科の病院を建設したので、その祝辞に行った折にアンコールワットに寄りました。アンコールワットの他に素晴らしい彫刻のあるアンコールトムも訪ねました(添付写真)。寺院の一部は熱帯のジャングルの巨大な根に飲み込まれつつありました。
 ポルポトに大虐殺されたクメール人は、12世紀初頭にクメール王、スーリヤヴァルマン2世の主導でこのような驚くべき、エジプトにも負けない壮大な歴史遺産を残していたのです。
 カンボジア人が今若い人ばかりで活気があるのは、その大虐殺で高齢者がいないためだそうですが、学者、先生や医師などの知識人がいなくなって困っているようです。