”とりこにい” 抄 (13) 中山峠

夫婦ふたりで気ままに歩ける時期が終わり、同期の仲間たちとの都合の調整も難しくなってくると、アラインゲーエン、などというのはおこがましいが、一人で出かけることが増えた。地理的なこともあったが、たしか加藤泰三の ”霧の山稜” の一節に(ケベック地方を思わせる)と書いてあったのが心に触れて、それ以来、行くことが何回かあった、北八ツの周辺がほとんどだった。一度は知ったつもりで樹林帯に入り込んで道を失ってあわてたこともあったが、1年下の村井純一郎にすすめられて、高見石小屋にも数回投宿した。創業者が宿泊客と素直に語り合いながらストーブを燃やしてくれる、そういういい小屋だった。今は完全にコマーシャリズムに徹した、並の小屋になりさがってしまったようだ。

あの  “ 高見石”  はもう、ない。 

そのころ、サラリーマン生活にも倦怠感を覚え始めたころの晩秋の1日。

 

                            中山峠

無為 -

こそは尊きもの ー と信じていたあの頃

シラビソはおれのために初夏の歌を歌ったものだったが

無為とはなにか?

と 愚かにも問いを発してこのかた

彼女たちは秋にしか歌わなくなった

OCTOBER も暮れ方になれば

高い蒼さのなかで

彼女たちも からだ寄せあい

凍りつく冬の日を語り合うだろうが

いまはささやきかわす言葉も聞こえない

旅人は黙って西の峠を目指す

ふたたび

無為、とはなにかー

とつぶやきながら

 

乱読報告ファイル (12) マクリーン  女王陛下のユリシーズ号

高校2年の時、現在 ”エーガ愛好会” グループで鋭い視点のコメントを書いてくれているスガチューこと菅原勲にミステリの面白さを教わった。普通部時代にホームズ物・ルパン物は卒業していたし、、彼の言う通り、推理小説大国イギリスのものから始めようと、きっかけは覚えていないが初めて買ったのがメイスンの “矢の家” だった。この本の(というか翻訳の)持っていた独特のトーンですっかりファンになり,それからいわゆる ”本格物“ にはまってしまったのだが、そのほとんどすべてが早川ポケットミステリ、通称ポケミスだった。その後、読む範囲が広がって、冒険小説、というジャンルになると、今度は同じハヤカワだがサイズの小さい、ハヤカワ文庫を買うことが多くなった。結果、小生の書棚に並ぶ、ハヤカワ文庫本は数えたことはないが60冊はくだらないはずだ。しかしそのほとんどはすでに忘れ去られたというと寂しいが新刊でいまの本屋ではまず並ぶことのないものばかりである。ところが昨晩、なんということなく例の本屋へ立ち読みによったら、なんと、この本が復活しているではないか。嬉しくなってまた、買ってしまった。

グレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、デビッド・二-ヴンの ”ナヴァロンの要塞” という映画を見た人は多いはずだ。しかし映画ファンの第一の関心は俳優であり、監督であり、時として音楽も論じられるが、作品の原作者に注意をはらうことはほとんどあるまい。この映画の原作者、アリステア・マクリーンの処女作が この ”女王陛下のユリシーズ号“ なのである。その後、マクリーンは数多くの傑作を残し、英国冒険小説を語るときにまず第一に語られる存在になっている。

第二次大戦で欧州本土を手中に収めたヒトラーは独ソ不可侵条約を踏みにじって、ソ連へ侵攻する。対ヒトラーで連合した英米両国は、共産主義国ソ連を敵視してきていたが、背に腹は代えられずソ連支援を行わざるを得なくなった。アメリカはそのため、大量の物的支援を行い、大船団をソ連の不凍港ムルマンスクへ送り続けるのだが、その援護のために英国はなけなしの艦艇を同行させる。そのうちの一隻、巡洋艦ユリシーズ(同名の駆逐艦がこの小説に描かれた戦闘の12か月後のに就役した)の1週間の苦闘を描いたのが本書である。当時世界最強と恐れられたドイツの新造戦艦ティルピッツと遭遇するかもしれない不安の中、ノルウエイの基地から発進してくるドイツ空軍機の猛攻にさらされ、船団を護衛するユリシーズ号の艦内ではどんなことが起きていたのか。

小生が愛読してやまないジャック・ヒギンズもその最初のヒット作 ”鷲は舞い降りた“ は同じ対ヒトラー戦のエピソードであるが、その成功のカギはなんといってもストーリーの意外性であり、同時に英国の敵国であったドイツ軍にもヒューマンな行動を貫いた軍人がいた、というテーマが成功のカギだった。これに対して本書はストーリーは単純であり、意外性もなく、ただひたすら、上部の無謀な要求に応えようとする乗組員の絶望的な行動を描いたものである。翻訳者村上博基はあとがきで、吉村昭の ”戦艦武蔵“ が同じようなシチュエーションを描いた傑作ではあるが、読後に記憶に残るものが7万トンの鉄塊であるのに対し、本書のそれは “英国軍艦ユリシーズとその男たち” という響きを持つ、と書いている。そして、

“すさまじい,荷酷、凄絶, 呆然, 轟然 ……. 訳者の語彙貧困は苦笑を買うだろうが…くりかえし使われる形容語句がなんの煩瑣も感じられず…マクリーンの筆はたかだかとうねる大波のように、ページを塗りつぶす“

と書いている。僕も同じように、ただただ、圧倒された、という印象を持つ。本書のエピローグでは, 生き残った語り手二コルスが松葉杖をひきながら海軍本部へ報告に訪れる。報告を終わって帰ろうとする二コルスに、上司はこれからどこへ行くか、という尋ね、彼が女性(実は死んだ親友の婚約者)を訪ねると知って、”美人だろうね“とありきたりの社交辞令をつけくわえる。これに対しての二コルスの返事がこの作品をしめくくる。 

……”知りません“ 彼はものしずかにこたえた。 ”知らないのです。会ったことがないのです“

彼は大理石のゆかをこつこつと鳴らし、いかめしいドアを抜けると、不自由な足で陽光の中へ歩み出た。

1週間の冬の北極圏での死闘で、この”陽光“を待ち続けて、それがこういう形でしか戻ってこなかった、戦争という無意味さのなかでの現実が僕の心に突き刺さった作品だった。

”海洋冒険小説” というジャンルを毛嫌いしておられる方も多いようだが、せめてこの一冊、試していただいてもいいのではないか。早川書房にはなんの義理もないが、定価940円、気楽に投資されることをお勧めしたい。

 

 

新政権に期待するコロナ対策    (34 船曳孝彦)

第5波は理由が説明つかぬまま、収束に向かっています。このまま終息して欲しいところですが、まだまだ安心はできません。やがて第6波がやってきます。私は日本で大流行したデルタ株自体の波はほぼ終わったと見ていますが、デルタ株からの変異株がすでに数種類見つかっております。デルタ株以外からの変異株も発見されています。日本では急速に収まって来ていても、世界ではまだまだ拡大していますから、これらからの新たなパンデミックが起きる可能性は大いにあるといってよいでしょう。

最も重要な第6波対策は、海外からの新変異株の流入を何とか阻止することです。業界は観光客激減を回復すべく躍起になっていますが、観光客、日本人帰国者全員のPCR検査をし、検疫の徹底と分析、そしてその追跡が必要です。

対策の第2は新しい株に有効なワクチンを早く作成することです。RNAワクチンですから可能と思います。実績のない研究に冷たい日本の科学研究費体制を変えて、研究費を注ぎ込んで欲しいと思います。さらに文科省が出した「ワクチン接種を強制しない」という通達はネガティブキャンペーンです。接種率を100%に近づけるようにするのが国の努力義務だと思います。

対策として、病床確保があります。選挙公約に使いやすいので、いろいろと言われておりますが、要はベッド数ではありません。中身と運営上の改善です。ここまでコロナ患者が減ってくると、病院側としても空床としておく訳にもゆかず、そうかといって入院できずに自宅で亡くなる人を出すことは二度と許されません。患者の流れを調整することがキーとなります。

これだけの世界的大災害ともいうべき新型コロナウィルスのパンデミックですから、何の対策も心配していなかった2年前の社会にそっくり戻ることはないでしょう。ワクチンも必要でしょうし、マスク頻用や大声での会話、三密回避など感染防御も必要でしょうが、インフルエンザ並みとなって、誰しもこの束縛から脱したいと思っていることでしょう。やがて新しく発足する政権が、科学者の意見を尊重する政治をしていただくことに望みをかけています。

遠隔医療への挑戦     

医療の高度化を放送技術によって支えよう、という試みがなされてきているが、KWV40年卒、林勝彦君の企画で行われるプログラムについて、42年河瀬君から情報を頂戴したのでプログラムの概要を紹介する。林君は今回の企画について、今回の講演の狙いは、8Kを使い『遠隔医療応用』で社会貢献を目指すもので、基礎研究から、臨床応用映像への現状と未来を語って頂く、と述べ、企画を主宰する新山賢治 企画舎GRIT(株) 代表取締役・プロデューサー 元NHK理事新山賢治氏について次の通り紹介している。

新山賢治理事は、Nスペ『驚異の小宇宙 人体』制作時に、80万倍電子顕微鏡を使い新映像を開発したパイオニアです。宇宙映像の名作『Powers of Ten』 の様に、ミクロの世界に『ドンドンズーム』する映像開発を依頼しました。失敗に次ぐ失敗でしたが、悪戦苦闘の末、6ヶ月後 世界で初めて80万倍の『シームレス映像』の開発に成功しています。この映像は、本格的なCG映像と共に、『人体プロジェクト』に多いに貢献してくれました。上映費用では負担をお掛けしましたが、話題作品となり、第60回科学技術映像祭『内閣総理大臣賞』を受賞しています。

なお、本プログラムでは河瀬君本人(現職塾医学部名誉教授、SVS副会長)もメインスピーカとして参加する。 

サイエンス映像学会 オンライン月例研究会  のお知らせ 

8K遠隔共存医療への挑戦 〜放送技術の結実で生命を救う~」

日時 2021年10月30日(土) 19:00〜20:30(予定)

場所 サイエンス映像学会 ZOOM会議室

お申し込み先

https://us02web.zoom.us/meeting/register/tZIkcumhrjotE9RjBHxiBGGacMO2DFaQXbQR

 

参加費用は無料ですが、Youtube「サイエンス映像学会・林勝彦ジャーナリスト映像塾」のチャンネル登録をお願いいたします。

 

YouTube「サイエンス映像学会・林勝彦ジャーナリスト映像塾」のチャンネル登録ボタンを押してください。

https://www.youtube.com/channel/UC241cbzOSUq-HVyafI-jEyA/videos

 

チャンネル登録のボタンを押していただきますと、配信時や新規動画のお知らせが届きます。

(河瀬君注)ピョコさんは元NHKエンタープライズのdirectorをしており、定年後ボランテイアとしてサイエンス映像学会(SVS)という名の学会を立ち上げ,サイエンス映像と医学、工学的な題材を扱い、11年になります。私はKWV後輩と医学部という関係で会長のピョコさんに創立依頼協力しており,最近はコロナを主題に1−2ヶ月に一回リモート講演会を行っています。

MCIについて―認知症についての正しい理解 (2)  (普通部OB 篠原幸人)

前稿で、一寸堅苦しかったけれど、「認知機能」とか「認知症」とは何かを解説しました。面倒がらず、読んでくれました?

しかし例えば「鼻かぜ」と「入院が必要な肺炎」の間に、「仕事を休むほどの風邪」とか「気管支炎」があるように、「正常な老化による物忘れ」と「治療が難しい認知症」の間にも、認知症とは言いきれないが、可なり物忘れが進行している状態がありえます。

これがMCI (Mild Cognitive Impairment) (軽度認知障害)といわれる状況です。この境目はかなり曖昧であり、専門家(脳神経内科医ないし精神神経科医)でないとなかなか診断がむずかしい、いわゆる境界領域の病気です。MCIの定義はいろいろありますが、一般的には、

① 本人や家族から「物忘れ」の訴えがある。

② 心理機能検査などで、加齢の影響だけでは説明できない記憶障害が客観的にみられる。

③ しかし、日常的な生活能力は自立している(普通に問題なく生活ができる)。

④ 認知症の定義(前稿の「徒然」を参考にしてください)にはまだ当てはまらない。

⑤ 認知機能検査の結果に影響するような身体疾患(難聴、言語障害、パーキンソン病、書字不能など)はない。

の①から⑤の全てを満たすものと言われています。しかし詳しくは専門医に、MRI・脳血流検査・神経心理検査などの結果も加味してしっかり診断してもらう必要があります。

MCIといわれてもガッカリすることはありません。MCIのうち15%ぐらいの方が2年以内に本当の認知症に進行する(逆に言えば85%はあまり進行しないということ)というデータがあります。しかし私が拝見しているMCIの方でも、もう数年たったのに、むしろ良くなって元気に過ごしている方もおられます。念のためにお薬を服用している方のなかにも元気でお過ごしの方は沢山おられます。発見が手遅れの場合は問題外ですが。

 大事なことは、一人でウジウジ心配せず、一度家族と一緒に(これが大切です。一人で行くと良いことだけ覚えていたり、逆に心配だけしたりするからです)専門医に相談に行くことです。検査には痛いものや、危険なものは何もありません。気の利いた病院なら1日か最大2日で全て調べてくれる筈です。認知機能の障害は誰にでも年齢と共に起こるのです。恥ずかしいことではありません、頭が一寸痛いことと同じと考えてください。

 ここからが重要です。大切なのは、MCIにならないあるいはMCIを進行させないことなので、それを説明します。

① まず、高血圧や糖尿病がある人はしっかり治療してください。これらの生活習慣病は、認知機能の増悪因子です。また血圧の乱高下も危険因子。だから以前の「徒然」で毎日、血圧を測る習慣をつけろと言ったでしょう。

② 心臓病(特に心房細動)、肝臓病、腎臓病、甲状腺機能低下などは認知機能に影響します。これらの持病を持つ人は、今、以上に悪くならないように主治医と二人三脚で。

③ お酒の飲みすぎ、タバコの吸い過ぎは当たり前だけれど増悪因子。目安は、酒は肝機能が悪くならない程度、タバコを吸いたいなら無人島にでもどーぞ。ヘビースモーカーは無症状のコロナ患者と同じで、本人の自覚はないが他人には大変迷惑。耳が痛い人、いるかなぁー。

④ 睡眠薬や精神安定剤の連用は無理に頭の機能を押さえつけ、服用しすぎは脳機能に障害を与えます。最近は私たちの身体の中のある睡眠誘発物質が睡眠薬として市販されはじめました。睡眠薬がないと眠れないと思っている人、主治医にすぐ相談してください。

⑤ 夜更かしも勧められません。もっとも、私も毎晩12時過ぎまで起きているけど。できれば10-11時には寝床に入って、読書でもすれば? 寝床で横になっているだけでもいいよ。夜中に何回かトイレで起きても、すぐまた寝られるなら睡眠としては問題なし。

⑥ 転ぶな! 年をとってからの、特に頭の外傷は認知機能低下に直結。

予防法としては、

① 今からでも、自分独自の「生きがい」を探すこと。散歩でも、老いらくの恋でも、嫁さんや会社の新人いびりでも、カラオケでも、なんでもOK。今からでは一寸遅いかな?

② 配偶者やいわゆるパートナーがいる人は、独身者より長生きで認知症にもなりにくいとのデータがあります。熟年離婚を考えている方、ここは我慢のしどころですね。今、独身なら頑張れ。何を?

③ 運動;強く勧めますね。特におすすめは、テニス・ゴルフ・卓球・野球など相手やパートナーを必要とするスポーツ。英国からそれらのスポーツを好む人はしない人に比べて長生きとの報告があります。もっともこれも今からでは遅いかな?

ここまでの話は、医師会や市民講座で私がする話の一部です。

大切なのは、認知症に限らず、気になることがあったら、手遅れにならないうちに、専門家に相談すること。 60歳過ぎたら、自分は大丈夫と自信があっても、一度は頭のMRIを撮るのも良いかもね。健康保険でカバー出来るよ。今回は少し長文になってごめんなさい。

エーガ愛好会(93) リバティ・バランスを射った男  (34 小泉幾多郎)

東京都心上空を飛行したブルーインパルスが残したスモークの真偽について、河野太郎防衛相(57)が返答で引用した映画「リバティ・バランスを射った男」に関心が高まっている。 河野防衛相は1日、公式ブログで、ブルーインパルスが上空スモークで「Thank You」を示す「TU」を描いたのではという問い合わせがあったとし、「私は西部劇の名作『リバティバランスを射った男』の大ファンですとだけ申し上げておきましょう」と答え、インターネット上では謎めいた答えが「粋だ」として話題になっていた。 2日夜、Amazonのサイトでは映画「リバティ・バランスを射った男」のDVDが、外国映画の「西部劇」のカテゴリーで「ベストセラー1位」と表示された。
NHKBSP金曜日放映の西部劇は「アパッチ砦」「黄色いリボン」ときたので、当然「リオグランデの砦」の騎兵隊三部作かと思いきや、ジョンフォード監督作品乍ら「リバティ・バランスを射った男」とは、どうしてなのだろう?この映画最近再評価されているにしても、gisanからモーリン・オハラの魅力の賛辞等で語り尽されているにしても、折角だから三部作は続けて放映してもらいたかった。
 開拓時代の名残をとどめるシンボーンの街に、ランス・ストダート上院議員夫妻(ジェームス・スチュアートとヴェラ・マイルズ)が列車から降り立った。記者会見で、トム・ドノファン(ジョン・ウエイン)の葬儀に出席のためと答えるが、その名前を知っている者がいない。画面は、ランスの回顧談と共に彼の青年時代にさかのぼる。
弁護士としてシンボーンに来る途中、ランスは銀の柄の鞭を持った男ら三人組に
叩きのめされる。それがリバティ・バランス(リー・マービン)とその部下(リーヴァン・クリーフとストローザー・マーティン)だった。ランスは、トムに助けられ、娘ハリー(ヴェラ・マイルズ)のいる町のレストランに運ばれる。ランスはハリーを愛するようになったが、彼女はトムの恋人だった。結局ランスとリバティは夜の町で対決することになるが、ランスは右腕を撃たれ、銃が落ちる、左手で銃を拾うランス、銃声がとどろき、倒れたのはリバティ。結果を知った人々が集まる中、ハリーが泣きながらランスの右腕を手当てするのだ。実際は、トムが陰から、リバティをこっそり射ち殺したのだったが誰も知らない。ランスの身を案じるハリーの心情を汲み取り、良かれと思ってやったことが、恋人をとられてしまうという現実にトムは泥酔、新婚用に建てた家に石油ランプを叩きつけるのだった。ハリーと住む筈の家がたちまち灰になった。この映画、アメリカ開拓魂の象徴トムであるウエインとアメリカ良心の象徴ランスのスチュアートが近代化押し寄せる西部での夫々の生き方、銃で統治する時代から法律で統治する時代という変わりゆく時代背景に、価値観の違う男たちの友情と確執が情感豊かに描かれている。暴力の繰り返しの中で秩序を拡大してきたアメリカの歴史を苦い痛みと共に文明化していく道程を描いているとも言えよう。また主要な舞台が、フォード監督がこよなく愛したモニュメントバレーといった砂塵の舞う荒野ではなく、コーヒーとステーキの香りが立ち込めるレストランだったということ、これは荒野に生きる男性的空間からキッチンという女性的空間が作品の中心になるという異例な舞台となっていること。おまけに怪我でレストランに世話になるランスとしては、返礼のためもあり、エプロン姿で皿洗い まですることになる。どうやらフォード監督は、ジェンダー論(男女の役割)にまで踏み込んでいるというのだ。即ちランスがエプロンという女性的記号で女性の領域に足を踏み入れた存在であり、文明・法・教育が付与されているとすれば、リバティは銃と鞭という男性的記号が付与され、荒野・暴力として位置づけられる。ではトムは、どうか?リバティと同じ銃の世界に生きてはいるが、ランスの世界の対する志向性も持ち合わせる矛盾した存在でもある。

ランスが持ち込んだ文明化の波をとめるものはなく、荒野は農園と庭園に代わり、銃の男トムは文明に住むことが出来なかったのだ。

主役ウエイン、スチュアート共に出演当時54,53歳だから30歳前後の役には、歳をとり過ぎてはいたが、二人とも役に嵌っており、年齢の違和感はそれ程感じなかった。スチュアートはぴったりの役回りだし、ウエインは助けた男に恋路を奪われる西部男の哀歓を演じていた。先週の「黄色いリボン」に引き続き、その演技に惚れ直したことだった。端役と言われる飲んだくれの新聞編集長エドモンド・オブライエン、気弱な保安官アンディ・デヴァイン、トムの黒人使用人ウディ・ストロード等夫々の役で好演していた。

(菅井)何年か前に90年代のニューヨークを舞台にした「リバティ・バランスを射った男」のリメイクの企画があると聞いた覚えがあるのですが、実際に制作されたのかどうかをご存知の方がおらればご教示頂ければ幸いです。

(安田)原題「The Man Who Shot Liberty Balance」について。The Manと定冠詞付きなので、その辺のある第三者の男ではなく、特定の男を指していることが先ず解る。邦訳ではShotを「射った」としている。現在形のShootを辞書で調べると、その意味は撃つ、射る、放つ・・などがある。敢えて「撃った」としないで「射った」としたのは特別の意図があったのだろうか?「射つ」は通常使わず「射(い)る」が普通の使い方。通常、鉄砲などで射撃する場合は「撃つ」で、弓を使って矢を射る場合が「射つ」とある。ならば、リバーティ・バランスは弓矢を射られたのかと思ってしまいます。考え過ぎだが、そんなことを頭の隅にいれて観ました。それから、リー・マーヴィンが好演した、射たれた男リバーティ・バランス(Liberty Balance)は不思議な名前。Libertyは自由、Balanceは均衡。こじ付けて訳せば、自由で均衡のとれた男とでもなろうか。主人公に殺される悪党の名前としてはユニークではある。実際にアメリかでは存在した(する)名前なのか?それとも映画を面白くさせるためのアイディアなのか?

(小泉)Liberty Valance のこと、よくよく見ると、Balance でなくて Valanceでした。Valance ですと辞書を引くと、垂れ幕とか、飾りものとかの意味ということで意訳すれば、勝手放題とか、気儘な振舞とかと解釈できないでしょうか。

(編集子)フォード一家、ということで言えば、投票所になるバーのバーテンダーはジャック・ぺニック、悪党面だが憎めない役でよく出ていた存在。”駅馬車” のトリビアで書いたが、リー・マーヴィンがスチュアートと対決すべくテーブルを離れるとき、彼の手は “死の手”、ウエインに射殺されるルークが持っていた、エースと8のツーペアだった。このあたり、フォードの綿密さに改めて感心した。

自然エネルギーの作り方  (高校OB 山川陽一)

信州の茅野から伊那高遠に抜ける国道152号(杖突街道)の道中にある杖突峠に守屋山(標高1650m)の登山口があります。東京から中央道を使って諏訪インターで降り、20分も走ればもうそこは登山口です。

登山口から山頂まではたおやかな尾根の樹林帯が続き、春の新緑、夏の深緑、秋の紅葉、そして落葉、残雪と、いつの時期に行っても最上級の自然が待っていました。樹林帯を抜け山頂に立てば、北アルプス、南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳、蓼科、そして富士山まで眺望でき、まさに360度の大展望台です。朝早く自宅を出れば日帰りもできるこの山が私は大好きで、若いころから家族や友人と何回も登りに行っていました。

数年前、山仲間と韮崎の友人宅で酒を酌みかわし、明日は久しぶりに守屋山に登りに行こうということになりました。翌朝、杖突峠の駐車場に降り立ったとき、出鼻をくじかれる異常な光景を目の当たりにして愕然としたのです。登山口一帯のあの美しい樹林がごっそり伐採されソーラーパネルがべったり貼られているではありませんか。(写真)

“自然エネルギーをつくるために美しい自然を破壊する”果たしてこんなことがあっていいのでしょうか???

東日本大震災を契機に国家戦略として2012年に発足した電力固定価格買取制度(FIT)は、日本の再エネ拡大の原動力になってきました。特に太陽光発電は場所さえ確保できれば短期間に建設が可能だったことから一気に普及しました。全国各地で山林を切り拓き、農地をつぶして太陽光パネルをべったり張り付ける工事が行われたため、太陽光発電=自然破壊という悪いイメージが定着してしまいました。近年の大型台風や大雨で太陽光パネルが置かれた斜面が崩壊するなどの事故も全国各地で起きています。ほんの一握りの悪徳業者がそんなことをやったという程度にとどまらないところに大きな問題があるのだと思います。

景観保全と安全確保に対する住民の不安の声を反映してこの5年間に全国の自治体で再エネ設備の建設規制をするところが5倍に増えたそうです。(経産省調べ 2021.9.14日本経済新聞夕刊)

その一方、地球温暖化防止施策として2050年までにカーボンニュートラルを達成する方針が国から打ち出され、まずは2030年までにCO2の排出削減目標を2013年度比で46%に引き上げること(従来目標値23%)、並びに、再エネを日本の主力電源とすることが新しいエネルギー基本計画に明記されました。その柱となる太陽光発電についても、従来の目標値を倍増することになっています。ただ、すでに適地も少なくなっていることから、切り札として全国で28万ヘクタールあると言われている荒廃農地に着眼し、どうせ遊んでいる土地なら規制を緩和して太陽光発電事業がやりやすいようにする、そのために促進地域を設けたりソーラーシェアリングの設置基準を緩和したり等、種々検討がなされています。

ただ、懸念されるのは、それが自然破壊に拍車をかけるような事態にならないかということです。もしそんなことになれば本末転倒です。自然景観の保全と安全をしっかり確保しながら自然エネルギーも作り出すものでなければいけないでしょう。

百聞は一見に如かず。さあ、みなさん、さがみこベリーガーデン(SBG)を見に来てください。ここSBGは相模原市の津久井から山中湖に抜ける国道413号線沿いにある典型的な中山間地の農地ですが、つい2年程前、わたしたちがこの地に立った時は、農地とは名ばかりで、背丈を超える雑草に覆われ、どこから手を付けていいか頭を抱えるような、まさに荒廃農地と呼ばれても仕方がない場所だったのです。そんな場所を開拓してソーラーシェアリング方式で畑の上部で太陽光発電を行い下部で作物(ブルーベリー)を育てる、周囲の緑地も十分確保しながら、ここを観光農園+生産農園の事業として再生させようというのがこのSBGプロジェクトです。

自然景観を維持しながら自然エネルギーをつくる、今までなかった新しい素敵な景観をここにつくりたい、これがわたしたちの願いです。

(編集子)投稿者は小生の慶応高校時代からの友人、塾山岳部OB。 卒業後は日本山岳会で環境問題・自然保護に関する活動に従事。その一部として高尾山広葉樹林の再生を目指す ”高尾森づくりの会” の立ち上げをを主宰。本プログラムにはKWV36年卒鮫島君も積極的に参加してきた(同期生担当の日帰りプログラムは鮫島君の好意により山の会の小屋をベースに使用させてもらった)。電力問題には早くから取り組み、太陽光発電促進事業(たまエンパワー社)を創業。今回は自然保護の専門家としてオーストラリアに留学した長男勇一郎氏(たまエンパワー社社長)とともにSBG社を立ち上げた。縁あって小生とは同じ会社に就職し、なんと自宅まで同じ町内になったという親友付き合いをしてもらっている。大企業のバックアップなどなし、一市民という環境でゼロからの出発。わが友ながらただただ見事、という気持ちである。

なお、SBGのホームページアドレスは下記の通りである:

https://note.com/sagamico_farm/m/m837505dc898f

ビッグマック指数の話    (普通部OB 田村耕一郎)

友人から送ってもらった記事を送ります。選挙を控えて経済論議が盛んですが、こういう見方もあるんですね。

 

別表のランキングは、英誌エコノミストの“ビッグマック指数”だ。世界各国で販売されているマクドナルドのハンバーガー「ビッグマック」の売価を調べたもので、その国の物価や経済力を表すひとつの指標とされる。

今年7月の調査によると、日本は57カ国中32位で390円(1位のベネズエラは現在ハイパーインフレ中のため除外する)。実質1位のスイス(793円)の半額で、アメリカやユーロ圏、韓国にも抜かれ、現在のレートだと中国にも僅差だが下回る。日本より安いのはアジア諸国や南米、ロシア、中東、東欧の国々。指数がその国の経済力を表すなら、日本はいまや世界の下位グループということになる。
 先週、世界各国の購買力平価の1人当たりGDPで日本は30位だと書いたが、ハンバーガーの値段ひとつとっても、やはりもはや日本は豊かな国とは言えないと思う。
「日本は治安が良く、人々は親切で礼儀正しい」――これは日本を訪れた外国人観光客が口にする定番のセリフだが、近年ではそこに新たな評価が加わった。

「日本製品は質が良いうえに、安くて素晴らしい」

以前なら考えられなかったことだ。

いまはコロナで見かけなくなったが、銀座などのショッピング街で重そうなスーツケースを押しながら中国人が日本製品を“爆買い”するさまは、バブルのころ、ヨーロッパに買い物ツアーに出かけていた日本人の姿をほうふつとさせた。観光地や温泉でも、外国人観光客は大きなお得意さまだ。日本の経済力が低下する一方で世界各国の経済力が上昇するに従い外国人観光客がかつての日本人と同じ振る舞いをするようになった。そして彼らの需要に依存しなければ、旅行業やホテル業、小売業などはやっていけなくなっている。コロナが落ち着けば、やがて世界の旅行者は戻ってくるだろう。だが、過ぎし日のバブルよろしく、日本人が外国に出かけて“爆買い”できる日が再び訪れることは、もうないのかもしれない。

立憲民主党の福山哲郎幹事長は国会の代表質問で、2012年の安倍内閣発足以来、1億円以上の資産を持つ世帯数は1.6倍、資産額は1.8倍に増えたのに対し、12年を100とした実質賃金は19年までに95.6まで下がり、2030代の貯蓄ゼロ世帯は2倍近くに増え、世帯消費は10近く下がっていると指摘した。
 かつて“1億総中流”といわれた日本だが、ここまで貧富の差が開いているのが現実だ。この格差を是正して全体の賃金を底上げし、消費を上げていかなければ、負のサイクルが終わることはないだろう。 

乱読報告ファイル (11) 斎藤幸平著 「人新生の資本論」(44 安田耕太郎)

 著者は1987年生まれの世界でも注目を浴びる俊英で、大変興味あるテーマだが、賛否半ばする内容だった。人類の経済活動が地球に与える害悪のインパクトが無視できないほど大きく、ノーベル化学賞受賞者のオランダ人大気化学学者パウル・クルッツェンは地質学的にみて、もはや地球は新たな年代に突入したと言い、それを地質学の概念で「人新世」(ひとしんせい)  Anthropocene (アントロポセン)と命名、人類の時代という意味だ。人類の活動が、かつての小惑星の衝突や火山の大噴火に匹敵するような地質学的な変化を地球にもたらしていることを表す新造語である。1億年後に地層を調べたら、人類が活動していた時代が刻まれているはずだ、と主張する。

産業革命以降の約200年間に、人類はフロンティアと言える地域を開発し尽くし、森林破壊や資源採掘、化石燃料依存などで地球環境に深刻な影響を与えた。いまやコンクリートや廃棄物で地表は覆いつくされ、海洋にはマイクロ・プラスチックが大量に浮遊している。これらの人工物の中でも飛躍的に増大しているのが、温室効果をもたらす大気中の二酸化炭素である。産業革命以前には280ppmだった二酸化炭素濃度は、2016年には400ppmを超えた。これは実に400万年ぶりのことだという。400万年前の平均気温は現在よりも2~3℃高く、北極やグリーンランドの氷床は融解しており、海面は6~20mも高かった。このままだと、映画「天気の子」で描かれた水没した東京の光景が現実になってしまう。世界人口の1割に満たない富裕層が、全世界で排出されるCO2の半分を排出してるというデータにも驚かされた。逆に世界の半数を占める貧困層は、1割のCO2しか出してないのだ。目から鱗だ。

本書は、要約すれば、「人新生」時代の世界における様々な問題から「地球温暖化」と「貧富格差拡大社会」の2つの問題を主に取り上げて、「資本主義」をその共通の犯人とみなし、資本主義経済への根本的対処を考えるのがその試みである。気候変動に代表される環境危機を阻止するためには、資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。資本主義にメスを入れなければならない。でもどうやって? 気候危機をとめ、生活を豊かにし余暇を増やし、格差もなくなる、そんな社会は可能なのか?

その解を「マルクス主義」に見出そうとしているのが論点である。マルクスのコミュニズムはソ連の失敗によって一般的には否定的に捉えられ勝ちであるが、晩年のマルクスの到達点は実は資本主義も社会主義も超越した「脱成長コミュニズム」であり、それこそが「人新世」の危機を乗り越える最善の道だと言う。本書は著者がマルクスの考えを読み解きながら、気候問題を解決しながら人類が発展していく姿として「脱成長コミュニズム」と「脱成長経済」を論じている。

この2つの問題「地球温暖化」と「貧富格差拡大」が今後より顕在化してくると、庶民のほとんどはこれまでのような生活ができなくなるため、脱成長社会を選ぶべしと主張しつつ、マルクス著「資本論」の新解釈の概略を示すとともに、地球規模で環境破壊が進む中での新しい社会システムのあり方を提言している。2030年までに気候変動や貧困への対策、不平等の是正など、17の目標を各国で達成しようというSDGs(Sustainable Development Goals – 持続可能な開発目標)を掲げているのも危機意識の表れだ。著者は、SDGsの方法論では格差是正や環境保護など不可能だと主張する。有史以来、人類が消費した化石燃料の半分を、‘89年以降のわずか30年間で使い尽くした事実を前に、レジ袋削減、エコバッグ買った、ペットボトル入り飲料を買わないようにマイボトルを持ち歩いている、と続き、それでは不十分で焼け石に水と批判する。EV(電気自動車)にシフトしても、充電する電気を作るのが火力発電であればCO2は減らない。テクノロジーの進歩による効率化に希望を託すのは現実逃避だと言う。美辞麗句を並べて上っ面の対策を講じても、問題は解決しない。著者はSDGsを「現代版・大衆のアヘン」、或いはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかなく有害でさえある。多少の温暖化対策をしていることで自己満足に陥り、「真に必要とされているもっと大胆なアクションを起こさなくなってしまうから」である。手厳しい。そもそも、資本主義を推し進めた張本人の先進諸国が、よくSDGsなどと言えたものだと、喝破する。

マルクスは勿論のこと、世界的ベストセラーの「21世紀の資本」の著者トマ・ピケティ(フランスの気鋭経済学者)も、格差拡大は必然と言っているように、資本主義は必ず勝者と敗者を産み出し、両者の格差は広がる一方だ。利潤を際限なく追及する資本主義においては、消費が喚起され続け、生産が環境悪化を増長する方向にはなれど、減らすことにはならない。経済が成長し拡大し続ければ大きくなったパイを分配することで国民の暮らしは良くなるが、30年間成長が止まった日本の例を見るまでもなく、人口減少と相まって今後小さくなっていくパイの奪い合いが激烈になっていく。今後、地球規模でも気候・経済環境は苛酷になり、パイが縮小していくので競争はより激化していく。勝者と敗者の格差或いは貧富の格差はさらに広がると予見できる。資本主義が継続する限り、地球は破滅に向かう、と著者は言う。現代人は資本主義を止めることができない。ゆえに地球は破滅へと向かう。気候危機は、資本主義が不可避に生み出す構造的格差問題(いわゆる南と北の間、国家間、個人間)を、抜本的に直していかないといけない、という警告と捉えるべきだと言う。賛否両論飛び交いそうなテーマ内容で、著者の極端な主張は興味深い。

脱成長コミュニズムという思想を基礎とした社会の形成が必要で、それは可能だと説く。資本主義は絶えずいろいろな形で欠乏感をつくり出す。例えば、絶えず新しいスマホを持ちたいというような欲望だ。希少性が絶えず組み込まれている資本主義のもとでは、我々は非常に競争的で、消費主義的で絶えず何かに駆り立てられている。これに対して、著者の考えるマルクスの目指した真のコミュニズムは「コモンズ Commons」ではなかったかと示す。「コモンズ」とは社会的に人々に共有され、管理されるべき富或いは共有材・公共財のこと、であり、ソ連型国有化でもない、アメリカ型新自由主義でもない、第三の道である。「水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す」。「貨幣や私有財産を増やすことを目指す個人主義的な生産」から「協同的富を共同で管理する生産」に代わることを目指す。

「地球をコモンズとして管理する」のが、マルクスが書ききれなかったコミュニズムの真髄ではないか。このコモンズこそが、「脱コミュニズム」を実現する道であり、マルクスの到達点である。持続可能な未来に向けた人と社会の新たな価値基準“New Common“ をひとくちにつくるといってもそう簡単にできるわけではない。環境問題への対策には決まった正解がないように、とりわけ地球環境を基盤にコモンズをつくることは難しい。本書に「石油メジャー、大銀行、そしてGAFAのようなデジタル・インフラの社会所有こそが必要」とある。確かに、デジタル・インフラもコモンズとして皆が使いたいときに平等に使うことができれば、それは理想的な社会だろう。 だが、そのデジタル・インフラの運用は誰が行うのだろうか。このような一例が示すように、「脱コミュニズム」を実現するため、コモンズを作りスムーズ且つ効率的に民主主義的に運用管理するのは不可能に近い難事業のように思える。無限の経済成長という妄想との決別、持続可能で公正な社会に向けた跳躍というのは、理想論としては素晴らしいが、どうやって実現していくか?

本書の論点が一石を投じた意義は貴重であり、今の社会の問題点を考察する重要性を充分に認識させられた。しかし、違和感を持つとすれば、次の諸点ではないかと思った。

1.「地球温暖化」の主因が本当に炭素排出だという科学的疑問には触れず、それが地球温暖化の犯人との前提で論を進めている。検証が必要ではないか?

2.「資本主義」を地球温暖化と富の偏在の「犯人」と断定している。無数にある恩恵物に目をつぶって、疑問を持たなくて良いのだろうか?

3.ソ連や中国における「共産主義」の実験的結果を通じて、「コミュニズム」自体の中に、人類の願いである「自由・私権の尊重」の実現を妨げる何らかの要素が内在してはいないか?

4.資本主義の「正」の枠組みにはあまり触れず、「負」の側面だけに焦点を当てているが、それを修正する方向で問題に対処することは可能ではないのか、またその方向がより実際的で具現化が、比較的容易ではないのか、という視点の考察はないのか?

5.主張は大変示唆に富み、無限の経済成長という妄想との決別、持続可能で公正な社会に向けた跳躍というのは、総論の理想論としては素晴らしいが、どうやって実現していくか?具体的に実現させる方法論、手段の各論になると説得力ある言及はまだ殆どなく、議論は道半ばの印象を強く持つ。

経済力(資本主義)が振るう無慈悲な暴力に勇気をもって立ち向かい未来を逞しく生きる知恵と活力を養いたい人にはもってこいの一冊ではあるが、日本の実質賃金は25年間下がりっぱなし。国民一人当たりGDPは1997年をピークに減少、今や世界で30位近くにまで落ち込んだ。大卒初任給はトルコより低いという。今後の明るい展望も見えない状況を踏まえ、オールジャパンでの今後の議論の進展に期待したい。

(船津)中々の慧眼。
経済力(資本主義)が振るう無慈悲な暴力に勇気をもって立ち向かい未来を逞しく生きる知恵と活力を養いたい人にはもってこいの一冊ではあるが、日本の実質賃金は25年間下がりっぱなし。国民一人当たりGDPは1997年をピークに減少、今や世界で30位近くにまで落ち込んだ。大卒初任給はトルコより低いという。今後の明るい展望も見えない状況を踏まえ、オールジャパンでの今後の議論の進展に期待したい。

日本は何処へ行ったのか。アベノミックスは何だったのか?原発は全廃できるのか。マル経の専門の方に問いたい。この投げかけた問いは安田さんの黒字で書かれたことなのか。それともこの節が正しいのか。
何れにしても氷はどんどん溶けている。待ったなし。

(菅原)小生、この本も知らないし、この人のことも全く知りません。そこで、ネットで色々調べました。以下は、その感想です。
この人の略歴は、小生から見ると誠に豪華絢爛です。実人生は、資本主義にドップリ漬かって来ていますし、今もそうです。有体に言っちゃえば、資本主義のお陰でここまで来れたわけで、資本主義の申し子です。であるにもかかわらず、ここまで育ててくれた資本主義を否定するってのは自己矛盾であり、現在の自己を否定することになるんじゃないでしょうか。胡散臭ささを感じます。小生、こういう人の言うことは信じません。