高校2年の時、現在 ”エーガ愛好会” グループで鋭い視点のコメントを書いてくれているスガチューこと菅原勲にミステリの面白さを教わった。普通部時代にホームズ物・ルパン物は卒業していたし、、彼の言う通り、推理小説大国イギリスのものから始めようと、きっかけは覚えていないが初めて買ったのがメイスンの “矢の家” だった。この本の(というか翻訳の)持っていた独特のトーンですっかりファンになり,それからいわゆる ”本格物“ にはまってしまったのだが、そのほとんどすべてが早川ポケットミステリ、通称ポケミスだった。その後、読む範囲が広がって、冒険小説、というジャンルになると、今度は同じハヤカワだがサイズの小さい、ハヤカワ文庫を買うことが多くなった。結果、小生の書棚に並ぶ、ハヤカワ文庫本は数えたことはないが60冊はくだらないはずだ。しかしそのほとんどはすでに忘れ去られたというと寂しいが新刊でいまの本屋ではまず並ぶことのないものばかりである。ところが昨晩、なんということなく例の本屋へ立ち読みによったら、なんと、この本が復活しているではないか。嬉しくなってまた、買ってしまった。
グレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、デビッド・二-ヴンの ”ナヴァロンの要塞” という映画を見た人は多いはずだ。しかし映画ファンの第一の関心は俳優であり、監督であり、時として音楽も論じられるが、作品の原作者に注意をはらうことはほとんどあるまい。この映画の原作者、アリステア・マクリーンの処女作が この ”女王陛下のユリシーズ号“ なのである。その後、マクリーンは数多くの傑作を残し、英国冒険小説を語るときにまず第一に語られる存在になっている。
第二次大戦で欧州本土を手中に収めたヒトラーは独ソ不可侵条約を踏みにじって、ソ連へ侵攻する。対ヒトラーで連合した英米両国は、共産主義国ソ連を敵視してきていたが、背に腹は代えられずソ連支援を行わざるを得なくなった。アメリカはそのため、大量の物的支援を行い、大船団をソ連の不凍港ムルマンスクへ送り続けるのだが、その援護のために英国はなけなしの艦艇を同行させる。そのうちの一隻、巡洋艦ユリシーズ(同名の駆逐艦がこの小説に描かれた戦闘の12か月後のに就役した)の1週間の苦闘を描いたのが本書である。当時世界最強と恐れられたドイツの新造戦艦ティルピッツと遭遇するかもしれない不安の中、ノルウエイの基地から発進してくるドイツ空軍機の猛攻にさらされ、船団を護衛するユリシーズ号の艦内ではどんなことが起きていたのか。
小生が愛読してやまないジャック・ヒギンズもその最初のヒット作 ”鷲は舞い降りた“ は同じ対ヒトラー戦のエピソードであるが、その成功のカギはなんといってもストーリーの意外性であり、同時に英国の敵国であったドイツ軍にもヒューマンな行動を貫いた軍人がいた、というテーマが成功のカギだった。これに対して本書はストーリーは単純であり、意外性もなく、ただひたすら、上部の無謀な要求に応えようとする乗組員の絶望的な行動を描いたものである。翻訳者村上博基はあとがきで、吉村昭の ”戦艦武蔵“ が同じようなシチュエーションを描いた傑作ではあるが、読後に記憶に残るものが7万トンの鉄塊であるのに対し、本書のそれは “英国軍艦ユリシーズとその男たち” という響きを持つ、と書いている。そして、
“すさまじい,荷酷、凄絶, 呆然, 轟然 ……. 訳者の語彙貧困は苦笑を買うだろうが…くりかえし使われる形容語句がなんの煩瑣も感じられず…マクリーンの筆はたかだかとうねる大波のように、ページを塗りつぶす“
と書いている。僕も同じように、ただただ、圧倒された、という印象を持つ。本書のエピローグでは, 生き残った語り手二コルスが松葉杖をひきながら海軍本部へ報告に訪れる。報告を終わって帰ろうとする二コルスに、上司はこれからどこへ行くか、という尋ね、彼が女性(実は死んだ親友の婚約者)を訪ねると知って、”美人だろうね“とありきたりの社交辞令をつけくわえる。これに対しての二コルスの返事がこの作品をしめくくる。
……”知りません“ 彼はものしずかにこたえた。 ”知らないのです。会ったことがないのです“
彼は大理石のゆかをこつこつと鳴らし、いかめしいドアを抜けると、不自由な足で陽光の中へ歩み出た。
1週間の冬の北極圏での死闘で、この”陽光“を待ち続けて、それがこういう形でしか戻ってこなかった、戦争という無意味さのなかでの現実が僕の心に突き刺さった作品だった。
”海洋冒険小説” というジャンルを毛嫌いしておられる方も多いようだが、せめてこの一冊、試していただいてもいいのではないか。早川書房にはなんの義理もないが、定価940円、気楽に投資されることをお勧めしたい。