旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
Q2:感染経路として空気伝染なんかは起こ
サル痘の流行地では、げっ歯類やサル・ウサギなどの動物との接触
われる人の飛沫・体液等を避ける、手指衛生を行うなど、感染予防
け、感染が疑われる場合には、直ちに医師の診察を受けてください
注釈(私見)
1.先の厚労省研究班などの資料では接触感染と、飛沫
2.接触感染は必ずしも性行為だけではありません。握手したり、
というのも感染ルートです。また、厚労省の資料には、「患者が使
との接触等により感染する」とも書かれています。
Q3:うんと簡単に考えれば位置づけは AIDS みたいなもんですか?
都でも厚労省でも言っていないし、マスコミも口を閉ざし
(保屋野)オリジナルは観てませんが、リメイク版はビデオで何回も観ています。何といっても「デコちゃん」が出ているので。
リメイク版も、ベネチアの金獅子賞をとっている名作ですが、後年、高峰秀子は「オリジナルには適わない」と云ったそうです。
楚々としたデコちゃんはもちろん魅力的でしたが、やはり、三船敏郎の「祇園太鼓」を打つシーンが圧巻でした。(最後の縁側シーンで花火を見るデコちゃん・・・美しすぎます・・・)
(安田)映画の舞台となった小倉は僕の出身地。幼少の頃から
小倉祇園祭は400年の歴史を持つ小倉城内に鎮座する八坂神社の
前置きが長くなったが映画のことである。阪妻ヴァージョンは未観
未亡人の一人息子・敏雄の通った旧制小倉中学は僕の出身校小倉高
若い時の苦労がコンプレックスとなり、弱い自分を強がる仕草で克
未亡人が訪ねてきた時、若い女性の載ったポスターを二つ折にして
当時34歳の高峰秀子の凜とした清楚で品のある美しさ、と「羅生
「扇沢―KWV三田会22年度合宿の記憶」をブログで拝見し、驚
1954年の夏、大学受験に失敗し、浪人生活を送っていた。この
一晩休み、翌日針の木岳へ登頂したが、その時の剣・立山
(編集子)偶然、ということを書いたけれども、ここまで偶然の一致?があるとはただ驚くばかりだ。小生入部時点は鬼の三年生のおひとりで、現役時代余りお付き合いがなかった小泉さんと卒業後10年以上の年月を経ていわば再会し、今ではメル友として2日にあけず話をしあっている。まさに人生の綾というべきだろうか。
(保屋野)扇沢の思い出・・ブログ読みました。私も4年間KWVに居られたのも、「扇沢」のおかげかもしれません。1年の夏合宿は、扇沢→針の木岳→黒部→五色が原→室堂→剣岳で、初めての北アルプスでした。しかし、針の木はガスで何もみえず、ガッカリして下ろうとした瞬間、ガスが晴れ、眼前に剣・立山の全貌が現れたのです。私がこれまでの人生の中で最も印象深い景観でした。
扇沢へはその後、アルペンルート観光や家内と鹿島槍ヶ岳に登った際等数回訪れました。懐かしい所ですね。
KWV三田会の夏合宿が3年ぶりに復活した。しかし今年は参加に躊躇があった。なんといっても3年間の自粛の間に体力気力の激減を感じていたし、自分の年齢と過去の経験を振り返ってみて、老害とまではいかなくても、若い連中に迷惑をかける前に潔く引退する時期になったのではないか、という気持ちが強かったからだ。このもやもやした気分に踏ん切りをつけてくれたのが、送られてきたコース案内の中に見つけたある地名だった。
扇沢。
白馬岳に端を発する後立山連峰は本州を二分するように南下した後、鹿島槍をすぎて西側に向きを変え、針の木岳からクランク状に再び南下する。この曲がり角に位置する爺岳から流れ出すのが扇沢という急流である。今は黒部ダムへのアプローチルートとして広く知られるようになった地名だが、僕には全く違った意味を持って記憶されているところなのだ。
慶応高校に進学した1951年、クラス担任が故片倉康寿教諭だった。片倉さんは日本アルピニズムの創立者の方々、三田さんとか槙さんとかの山歩きはこうだっただろう、と思わせる、クラシック・アルピニストというべき経験と風貌を持っておられたが、この1年の夏、年来の付き合いだったという地元の老ガイドとふたりでクラス仲間十数人を白馬へ連れて行ってくれた。信濃森上から栂池を越え大雪渓を下るという標準コースだったが、これに興味を覚えた8人ほどの仲間が片倉ファミリーとして2年の夏には白馬―針の木、3年次には剣立山から黒部へ降りて針ノ木、卒業の春にはまだ雪も深かった丹沢、と旅を重ねることになった。
その2年夏のプランのとき、今となってはなぜだったか記憶がないのだが、途中で下山を余儀なくされ、その時下ったのが扇沢、だった。沢下り、といっても岩好きの連中がイメージするようなものではなく、ただ急峻ででかい石がごろごろした、しかし最高に旨い水の流れ、と言った方が正解だったろうが、初心者のわれわれには、澤を下る、という言葉の響きが何か特別に聞こえたものだった。その興奮が終わった後、7月の容赦ない炎天下をただひたすら歩いた。バスがあったのかどうかも覚えていないが地図にある大谷原、という部落名に覚えがあったから、このあたりまでは歩いたのだろう。
こう書いてしまえば、山を歩いた人ならなんともつまらなく、アタリマエのことで、おそらく SO WHAT ? と思われるに違いないが、扇沢、という地名が特別に記憶されるには理由がある。そのことを書こうと思う。
2年の春、当時4年生の金井先輩に金峰山へ連れて行っていただいたことがある。いつでもダークグリーンのシャツに黒いベレーが実によく似合っていたロマンチスト金井さんの山歩き論というかセンスは僕のあこがれになった。金井さんが勧めてくれ、今では “北八ツ彷徨” と並んで僕の本棚で別格の雰囲気を持っている名著、加藤泰三 ”霧の山稜“ のある章に、 (一夜を過ごしたテントを撤収したら、小さなくぼみがあった。張るときには気がつかなかったくぼみだが、それは今は、僕に印象されたくぼみなのだ) という一節がある。数多くの木版画(加藤氏はその才を惜しまれつつ戦火に倒れた版画家だった)や、エスプリの利いた文章の中で、どういうものかこの一節が僕の記憶にある。つまり、扇沢、はあまたある無名の沢の一つに過ぎないが、”僕に印象された沢“、なのだ。
前にも書いたように、この沢そのものに何があるわけではない。まして、その地名を借りて、かつては大トンネル工事のための重量車両がうなりを上げた道路が作られ、その結果、名前が天下に出ただけで、この道路があの沢の流れにつけられたというわけではない。路線バスに乗っている間、必死になって窓の外を見ていて、ときどき、樹林の裂け目に白く砕ける流れがひらめいたり、ゴロゴロした石が散見されるたびに。(あ、あれがそうか)と勝手に決めつけて納得した。これが扇沢との再会、にすぎなかった。では、なぜ、この沢が 僕に印象された沢、なのか。
さきに書いた、片倉さんに連れて行ってもらった第一回のアルプス行は、だれにでもあるだろうある夏に起きた一つのエピソードにすぎなかったのだが、この第二回目の縦走行とはじめての沢下り、という体験は僕の心の中にはっきりと(登山)という概念を植え付けた。それは第三回目の立山―針の木の旅、特に黒部の急流をロープ頼りに必死で渡り、針の木の大雪渓を恐る恐る降りた、その経験で絶対的なものになり、大学進学と同時に(ワンダーフォーゲルという活動がある、ということは片倉さんから教えられていた)何の迷いもなくKWVへの入部を決めた。同じことがこの二つの旅を共にした3人のクラスメート、浅海昭、田中新弥、故飯田昌保に伝染したのだった。そして彼らと僕はあの ”扇沢下り“ という小さな偶然から、生涯の友として生きてきた。
間もなく完結する自分の人生航路を振り返ってみて、いくつかの偶然としか言えない事象がその後のコースを決定した、という事実に改めて驚かされる。その中でも自分の大学生活イコール社会生活のコースまで決めたのがKWVでの4年間であり、そのきっかけとなったのが片倉さんとの三つのアルプスの旅であったことをしみじみとありがたく思う。その中で、闇雲に歩いただけの “あの扇沢” は、まさに“僕に印象された沢” なのである。
KWV夏合宿に併せ、同期3名で北アルプス表銀座縦走に挑戦してきました。
7/19 中房温泉泊 7/20 合戦尾根経由、燕山荘(燕岳往復) 7/21 表銀座縦走(大天井岳経由)常念小屋泊
7/22 常念岳往復→一の沢・・・タクシーで穂高駅 車で同行者(下村)の別荘(原村)泊
7/23 観光(安曇野公園、大町・山岳博物館)後、KWV合宿BC地(黒部ビューホテル)泊
7/24 同期3人(うち女性2人)含め6名で原村へ移動~女性1人を加え7名泊 夜は大宴会(菅谷君のギターと山の歌)。
天気に恵まれた素晴らしい山旅でしたが、正直80才近い老人にはかなりハードな山旅でもありました。・・・もう高山は卒業? ただ、KWVの宴会や原村での大合唱等、しばらくはコロナ感染を心配しなくてはいけませんね。
(斎藤)皆さん、すごい!です。
どのくらいの荷物を背負っていかれたのでしょうか。羨ましい限り
こうして写真を見てしまうと、心がうずきます。
(編集子)恥ずかしながら小生、北、南とも、一番有名な2つのコースを歩いていない。北ではこの表銀(この呼び方はKWVだけか、それとも一般化されているのかまだ疑問があるが)、南では鳳凰三山である。鳳凰は4,5年前のOB合宿で機会があり、勇躍して申し込んだら、時の事務局(確か憎き石田久男だったか?)から、ジャイさん八ヶ岳山麓の ”平地散歩” をやってください、とされ、機会を失って、酷暑の昼日中、谷筋でオオムラサキを追いかける仕儀となった。それなりに面白かったが、(いつでも行けらあ)と高をくくっている間に今日まできた。もう無理だろうな。我が小さなセカンドハウスにいる限り、いやでも目に入る山波として満足することになりそうだ。表銀、にいたっては、まあ、絶望。保屋野め、いい恰好しやがって。
我が家のPCは持ち主と同様に老朽化をきたしておりまして立ち上がりが極端に遅く最近は、受信メールはどこでもメールでチェックしております。これが又、字が小さくその上とんでもない広告ばかり入ってまいりまして NOW! のジャイさんからのメールを見落としておりました。
映画「ELVIS」私も主人と一緒に観に行ってまいりました。映画館に映画鑑賞に出かけるのは2年半ぶりでしょうか。まず、Elvisファンとしましては形からとグレースランドを訪れた際に購入致しましたTシャツとElvisのトートーバッグを持ってはせ参じました。
ウーン、Elvis役のバズ・ラーマン概して評判が良いようですが線が細いのとカリスマ性には少し欠けていてイメージが湧きません。映画はジェットコースターのようなスピードで進み、いささか喧噪気味。その中ではElvisファンの中では昔から嫌われ者のマネージャー役のトム・パカーの役をトム・ハンクスのそっくりぶりとその好演でグンと格が上がった感じ。Elvisのマネージャーがビートルズのマネージャーのブライアン・エブスタインのような人であってくれれば音楽面の他の部分でElvisも成長できたのではないかと残念に思えることです。その俗物であくどいトム・パーカーの描き方そして演じ方は素晴らしく感じました。
しかし、この映画をご覧になった小泉さんのようなクラッシックファンの方がElvisの魅力に魅かれたという感想を持たれたとか、何よりもそいう反響が嬉しい事ですし、この映画をきっかけにElvisに興味を持たれてElvisの音楽を聴いてみたいと思う人がでてきてくれたら素晴らしい事です。ラストではElvis亡くなる2か月前の最後のステージでピアノを弾きながらUnchaind Melodyを絶唱する本人の姿が映し出されます。容姿は目をそむけたくなる変わり方ですが歌唱力は全く衰えていない胸を締め付けられるような歌いっぷりにElvisファンとしては、よくぞこの場面をラストにもってきてくれたと多くの不満も解消した気分で映画館を後にしました。Elvis 万歳!!
(編集子)ま、小生は Jailhouse Rock くらいで十分だけど。我が高校時代の記憶に Presley はまだ新しい。
電力問題に関する新聞の論調を見ていて、なぜ日本で水力発電が話題にならないのか?という素朴な疑問にぶち当たった。多くの人はあまり興味がないだろうし、と思いながらそれでもいろんな分野での経験がある友人にメールを送ってみたら、予想外に多くのご教示をいただくことができた。その知見をもとに、小生なりの理解をまとめてみた。
資源小国の日本が武力による紛争解決を破棄し、世界の工場として経済大国の一つに数えられるまでになったというものの、今回のウクライナ紛争がきっかけで、いざとなった時に我々は祖国を守れるのか、という大問題に直面しているわけだが、安全保障や防衛問題は別として、外国からの資源供給を絶たれた時、一番に直面するのがエネルギー供給の問題であることは多言を要しまい。生活の大前提が電気の供給にある現在、電力の確保という事は何にもまして重要なことのはずだ。さらに、現在だけでなく、近未来まで見通したとき、その対策はどうあるべきなのだろうか。我々が電気というエネルギーを得る手段について、ポイントをわかりやすくまとめた表を探してきた。それを下記にあげておく。
特徴 | 課題 | |
火力 | ・燃料があれば安定的に発電できる ・出力の調整が容易 ・エネルギー変換効率が良い ・制約が少ないので発電所が設置しやすい | ・温室効果ガスの抑制 ・必要な燃料の国内調達 |
水力 | ・再生可能な国産クリーンエネルギー ・エネルギー変換効率が高い(80%) | ・開発初期費用の低減 ・発電のための降水量の確保 ・ダム建設地域の環境や住民への影響の最小化 |
原子力 | ・燃料の備蓄性が高く、安定供給可能 ・温室効果ガスをほとんど排出しない ・大気汚染の原因物質を排出しない | ・放射性廃棄物の安全な処理 ・有事の際の被害の最小化 ・徹底した安全対策による高コストの改善 |
太陽光 | ・再生可能な国産クリーンエネルギー ・光熱費削減 ・エネルギーの消費を監視/制御しやすい (HEMS、CEMSなど) ・災害時に強い | ・発電のための日光量の確保 ・発電パネルの耐久性強化 |
風力 | ・再生可能な国産クリーンエネルギー ・昼夜を問わず発電可能 ・発電コストが低く、費用対効果が高い | ・発電のための風量の確保 ・台風など強風時の故障対策強化 ・経年劣化によるメンテナンス費用の低減 ・ブレードの騒音など、周辺環境への影響の最小化 |
地熱 | ・再生可能な国産クリーンエネルギー ・発電量が天候に左右されない ・昼夜を問わず安定して発電できる ・発電に使用した蒸気は、温泉や 農業用ハウスなどに再利用も可能 | ・発電設備の建設に必要な調査や 掘削作業等に伴う導入コストの低減 ・地熱資源の80%以上が国立公園の敷地内に存在 ・用水還元による地下水汚染の可能性の最小化 ・発電効率の改善 |
発電の手段としてはまだまだ研究中のものもたくさんあるだろうが、とりあえず話をこの表から始めてみる。この中で太陽光発電を別にすると、ほかの手段はすべて現在実用化されている発電機、という機械をどうやって動かすのか、という話である。乱暴に言ってしまえば、高校の物理で習ったあのフレミングの法則というやつ、磁界の中でコイルを動かすと電気が引き起こされるという仕掛けの延長で、”どうやってコイルを回転させるのがいいのか“ という選択だと言ってもいい。そういう目でこの表を眺めてみれば、水と急峻な河川に恵まれた日本でもう少し知恵を働かせれば、水力発電が一番いいように思えるのだがどうなんだろうか、というのが筆者の疑問点だった。
まず挙げられるのがその施設として必須であるダムの建設に関する問題である。建設コストがかかる、というのは、ダムを眺めるだけで理解できる話だが、そのコスト、の中にかかわってくるのが、ダム建設によって生じる自然破壊とか該当地域住民対策という要因だ。誰でもわかるのがいわゆる水利権、というやつだ。ビッグビジネスを引退、故郷で農家生活を楽しんでいる友人は “山口・防府の家内の里は、いまだ、3.5反(約3,000㎡)の田を保有しており、長年、休耕田の状態ながら、水利権だけは確保している”、と言っていて、これから我が国に現存する休耕地のほとんどが同じような状況なのだろうと推察される。黒部ダムができたのは関西電力がかの地の水利権を有していたからだということだが、この狭い国土がさらに細分化されている現実からは、大規模なダムの建設の困難さは、たとえば政治問題化した八ッ場ダムのことを思い出すだけで十分だろう。ブラジル生活が長かった同君は、“パラグアイとの国境にあるブラジルのイタイプ発電所は、中国の三峡ダムが出来るまで、世界最大の発電能力(確か1,400万KW)を有していた。表現のしようのない、とてつもなく、巨大なもので、広大な国土を有するブラジルとか、土地を強制収用してしまう中国のような所でないと、本格的な水力発電は無理だろう” と悲観的だ。
それに対して、同じようにブラジル滞在が長かったほかの友人は “農協など地元の説得、 立退きなどの問題が解決できれば小規模発電ではなく中規模発電も充分候補地があるのではないか?小規模発電で地方の需要をカバーするのは大いに有益だと思う” という意見だし、具体的には “急場を凌ぐとすれば、自分の使う電力は自分の地域からという意識で、揚水発電(500MW~1000MW)を大都市周辺に作ってはどうか” という提案もある。
このあたりの発想を専門的な立場からみるとどうか。
工学部出身で専門的知見の持ち主(のはず)の友人のひとりは、現在早急の問題は地球環境問題(炭酸ガス排出)の解決であり、そのために電力の供給源として今使えるのは原子力発電しかない、と冷静だ。彼の主張は原発には確かに廃棄物処理という大問題はあるが、シナリオを明確にして緊急的に活用し、その間に送電線問題を解決し、揚水発電や新電力の登場をまつべきだ、と手堅い。そして、電力設備の充実には時間がかかることを明記せよ、とも警告する。またプラントメーカー大手で現場を数多く経験し、技術的側面に詳しい友人は、前記のようなアイデアとして提起された、いわば分散的な解決案について次のように述べる。
「発電」には小なりといえども「キカイ」が必要になります。「星の数ほどある『小落差』」をいちいち発電すると「小さなキカイ」が星の数ほど必要になります。将来エネルギーコストが値上がりして(ウクライナ戦争の結果としてロシアが責任を負うベきとかそういう問題ではなく)小型発電機のコストは無視できると言える社会が到来したとしても、その無数の水車発電機のメインテナンスを誰が請け負うのか? その問題を解決するために「水をダムで一カ所に集めて、大きな発電機」によるシステムを形成していると考えます。つまり一般的には集中によってメインテナンス等の費用が合理的範囲に下げられるためと考えられます。各家庭の屋根に設置する太陽光発電機があまり普及しない理由の1つに「メインテナンスを誰が行なうのか」という問題があるそうですが、これも「分散に伴う問題点」の1つと考えられます。
もう一つ、我が国だけに特有な事情かどうかは分からないが、行政上の問題がダムの建設、結果的には水力発電のコストを押し上げているのも良く知られている通りだ。八ッ場ダムの騒動一つをとってもどれだけの無駄があったのか、想像するだけでむなしい気がする。KWV37年卒の菅谷君は盟友・故福永浩介君が人吉市長のころ、20年前に提案した熊本・球磨川の「川辺ダム」は周辺の住民の反対で棚上げとなっていたが、彼の死後急転換、漸く着工、完成は何時の事か?と嘆く。また,前記した友人はプラントメーカーの立場で遭遇したほかの経験を書いている。
「自由と民主主義」を標榜するわが国では、「極めて小さい個人の自由と権利」が集まると「社会的な合理性」を阻む力となっていることも確かです。僕は「成田空港」へ千葉港から空港までの航空機燃料輸送パイプラインの敷設プロジェクトを担当した経験がありますが、地下に埋設する管路の「通行権」を獲得するのに、事業主が大変苦労するのを見てきました。我が国では大変な作業でした。
このあたりの現実について、KWVOBの安田君経由、行政の立場から担当官であった方のご意見を頂戴することができたので、原文を転載させていただく。
「小規模水力発電」に関し、私の知っていることをお答えします。私は、土木工学を学び運輸省で勤務しましたが、建設省河川局で本省課長を務めたこともあります。その当時は環境問題を契機に「脱ダム」が主力で、民主党政権下でついに「八ッ場ダム」が建設中止に追い込まれました。さて、水力発電は、水を高いところから低いところに流し、水車を回して発電します。河川の水には「水利権」が設定されています。大量の水利用権は、飲料水、農業水に与えられ、発電水を確保することは大変です。江戸、明治からの古い慣例に縛られており、これを打ち破るのは大変です。利水権の確保が難しいことが、小規模水力発電の普及を阻害している第一の要因です。次に費用効果です。河川の流量は、春夏は水量が豊富ですが、秋冬は、水量が大きく減ります。電力は安定的に供給する必要がありますが、渇水期に水量を確保しなければいけません。このため、堰やダムで、夏季に水をためておく必要があります。小規模な施設では十分な水量確保が難しく、一般的には、費用効率が悪くなります。石炭、LNGにはかないません。近年、脱炭素化の一環で、国土交通省も「小規模水力発電」の普及に従来よりは力を入れ始めていますが、電力供給を行う民間企業が、なかなか対応できていない状況です。繰り返しですが水量を得る諸調整、手間暇が大変。費用が収益に見合わないからだとも思われます。ただし、脱酸素化で、「太陽光発電」「風力発電」には、多額の公共支援がされています。発電会社は、高額で買いとることが義務付けられています。小規模水力発電により多くの公的資金導入があってもよいと思われますが、まだ目は向いていません。さらにいえば、黒部ダムのような大規模な水力発電ダムの建設を国施工で、公共事業として行うことも考える時期かもしれません。個人的には、「原子力発電所」よりはよいように思われます。
電力の供給についての議論もさることながら、一方、現代社会であまりにも電力を使いすぎていないだろうか、という事はエネルギー政策についてと同様、地球環境の観点からも考え直す必要があるだろう。東日本大震災の後、東京でも節電のための照明やネオンサインの節減などが実施された。たしかに”暗い夜”ではあったが、明らかな効果があったのは衆目の一致するところだろう。特に小生が疑問に思っている数点を挙げてみると、たとえばライトアップという手法で、当初はごく限られた場所や機会だけで限定的だったのが、昨今はやたらとあちこちで散見するし、街中での大掛かりなパチンコ店やゲーセンの店名表示灯も目につく。また自動販売機もいまや日本がj普及度世界一らしいが、あんなに林立させる必要があるのだろうか。某大手飲料会社の役員だった友人に聞いてみると、2018年度我が国の自販機などの設置台数は240万台で月額電気料金は1台当たり2千円から3千円くらいとされているが、彼が現役だったころは250万台、コストは8千から1万円、とされていたので、省力化、低コスト化は進んでいるが、昨今の対面販売の激減やキャッシュレス現象もあり、ソーラー電源の販売機も出現しているので、この数自体の減少はないのではという。門外漢の小生の目につかないところで、まだまだ節約の可能性はあるのだろうが、節電、という対策の深化を期待したいものだ。
現実はエネルギー小国である日本にはまだまだ厳しい。当初の表に述べたように、再生可能な資源を使えるまでにしない限り、アラブの油、ロシアのLNG,などなどのリスクファクターの高い現状の綱渡りは解決しない。一方ではITだSNSだという響きのいい経済活動におされて、電波資源の野放図な乱用が進んでいくという現実もある。家庭電器を中心とした節電設計もあるが、”新”エネルギーの開発が急速に進化していくことを祈らざるにいられない気がする。この分野について、この稿をきっかけに識者各位のご教示を待つことにしたい。
(安田)電力は、「空気」と同様、現代社会、人類には不可欠。
(船津)電力会社は可成り先までの経済情勢など判断して給電計画を立てて
我が「泣きの姉ヶ崎火力発電所」先ず稼働ですかね。原子力は世界的に中々推進は難しいと思われる今、ドイツがどうす
ドン・ウィンズローの「犬の力」(原題:The Power of the Dog。2005年。翻訳:東江一紀、角川文庫)を読む。余計なことだが、東江は「あがりえ」と読むんだそうだ。原題は、ジェイン・キャンピオンが監督し、ベネディクト・カンバーバッチが出た映画「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(2021年)と全く同じだが、その原作ではない。小生にとって、ウィンズローは、初作「ストリート・キッズ」(A Cool Breeze on the Underground。1993年)以来だから30年振りと言うことになる。先に言ってしまえば、その作風は、所謂、探偵小説から全く様変わりしてしまった。
「犬の力」と言う言葉は聖書が出典で、それに馴染んでいる人にとっては知悉していることのようだが、日本人である小生には全くピンとこない、犬の糞なら良く分かるが。どうやら、邪悪の象徴と言うことを意味しているらしい。上巻が574頁、下巻が467頁、都合して1041頁もあって読みでがある。いささか手に余ったが、極めて平易な文章で歯切れよく、大変、読み易く、面白かった。
内容は、米国人の麻薬捜査官とメキシコ人の麻薬王兄弟の争いを軸にしたもので、数多の脇役がからむ。そのことによって1000頁にもなんなんとする長尺となってしまった。
兎に角、「清く、正しく、美しく」ってな人は一人も出てこず、過激で理不尽な暴力と殺戮に満ち溢れ、セックスの描写がふんだんにあるなど、誠に凄まじく、犬の力シリーズは、このあと「ザ・カルテル」、「ザ・ボーダー」と三部作になっているようだが、一度読んだらもう結構と言う類いのノワール(暗黒小説、或いは、犯罪小説)だ。まー、万人にお勧めする本じゃない。一方、こう言う類いの本が滅法好きな奇人もいるようで、宝島社の「このミステリーがすごい!」では、2010年の海外編1位となっている。ただし、これをミステリーと断ずることには大きな違和感がある。
リドリー・スコット監督、米人の麻薬捜査官をレオナルド・ディカプリオで映画化(「ザ・カルテル」)ってな話しもあったようだが、立ち消えになったのか、ネットを見ても、いずれの作品一覧にも載っていない。或いは、現在、まだ製作中なのか。
主演のジョン・ウエイン1907年生だから、制作1971年とい
この過程で、牛の暴走、砂嵐、牛泥棒との戦闘等が、あのジョ
(菅原)小生も見ました。ただし、全部ではありません。ブルース・ダーン
小生の印象は、ウェインも老けたな。それに対し、ダーンは、いく
従って、子供たちが、ダーンを頭とする牛泥棒を皆殺しにしたのも