電力問題について―水力発電の可能性をめぐって

電力問題に関する新聞の論調を見ていて、なぜ日本で水力発電が話題にならないのか?という素朴な疑問にぶち当たった。多くの人はあまり興味がないだろうし、と思いながらそれでもいろんな分野での経験がある友人にメールを送ってみたら、予想外に多くのご教示をいただくことができた。その知見をもとに、小生なりの理解をまとめてみた。

資源小国の日本が武力による紛争解決を破棄し、世界の工場として経済大国の一つに数えられるまでになったというものの、今回のウクライナ紛争がきっかけで、いざとなった時に我々は祖国を守れるのか、という大問題に直面しているわけだが、安全保障や防衛問題は別として、外国からの資源供給を絶たれた時、一番に直面するのがエネルギー供給の問題であることは多言を要しまい。生活の大前提が電気の供給にある現在、電力の確保という事は何にもまして重要なことのはずだ。さらに、現在だけでなく、近未来まで見通したとき、その対策はどうあるべきなのだろうか。我々が電気というエネルギーを得る手段について、ポイントをわかりやすくまとめた表を探してきた。それを下記にあげておく。

 特徴課題
火力・燃料があれば安定的に発電できる
・出力の調整が容易
・エネルギー変換効率が良い
・制約が少ないので発電所が設置しやすい
・温室効果ガスの抑制
・必要な燃料の国内調達
水力・再生可能な国産クリーンエネルギー
・エネルギー変換効率が高い(80%)
・開発初期費用の低減
・発電のための降水量の確保
・ダム建設地域の環境や住民への影響の最小化
原子力・燃料の備蓄性が高く、安定供給可能
・温室効果ガスをほとんど排出しない
・大気汚染の原因物質を排出しない
・放射性廃棄物の安全な処理
・有事の際の被害の最小化
・徹底した安全対策による高コストの改善
太陽光・再生可能な国産クリーンエネルギー
・光熱費削減
・エネルギーの消費を監視/制御しやすい
(HEMS、CEMSなど)
・災害時に強い
・発電のための日光量の確保
・発電パネルの耐久性強化
風力・再生可能な国産クリーンエネルギー
・昼夜を問わず発電可能
・発電コストが低く、費用対効果が高い
・発電のための風量の確保
・台風など強風時の故障対策強化
・経年劣化によるメンテナンス費用の低減
・ブレードの騒音など、周辺環境への影響の最小化
地熱・再生可能な国産クリーンエネルギー
・発電量が天候に左右されない
・昼夜を問わず安定して発電できる
・発電に使用した蒸気は、温泉や
農業用ハウスなどに再利用も可能
・発電設備の建設に必要な調査や
掘削作業等に伴う導入コストの低減
・地熱資源の80%以上が国立公園の敷地内に存在
・用水還元による地下水汚染の可能性の最小化
・発電効率の改善

発電の手段としてはまだまだ研究中のものもたくさんあるだろうが、とりあえず話をこの表から始めてみる。この中で太陽光発電を別にすると、ほかの手段はすべて現在実用化されている発電機、という機械をどうやって動かすのか、という話である。乱暴に言ってしまえば、高校の物理で習ったあのフレミングの法則というやつ、磁界の中でコイルを動かすと電気が引き起こされるという仕掛けの延長で、”どうやってコイルを回転させるのがいいのか“ という選択だと言ってもいい。そういう目でこの表を眺めてみれば、水と急峻な河川に恵まれた日本でもう少し知恵を働かせれば、水力発電が一番いいように思えるのだがどうなんだろうか、というのが筆者の疑問点だった。

まず挙げられるのがその施設として必須であるダムの建設に関する問題である。建設コストがかかる、というのは、ダムを眺めるだけで理解できる話だが、そのコスト、の中にかかわってくるのが、ダム建設によって生じる自然破壊とか該当地域住民対策という要因だ。誰でもわかるのがいわゆる水利権、というやつだ。ビッグビジネスを引退、故郷で農家生活を楽しんでいる友人は “山口・防府の家内の里は、いまだ、3.5反(約3,000㎡)の田を保有しており、長年、休耕田の状態ながら、水利権だけは確保している”、と言っていて、これから我が国に現存する休耕地のほとんどが同じような状況なのだろうと推察される。黒部ダムができたのは関西電力がかの地の水利権を有していたからだということだが、この狭い国土がさらに細分化されている現実からは、大規模なダムの建設の困難さは、たとえば政治問題化した八ッ場ダムのことを思い出すだけで十分だろう。ブラジル生活が長かった同君は、“パラグアイとの国境にあるブラジルのイタイプ発電所は、中国の三峡ダムが出来るまで、世界最大の発電能力(確か1,400万KW)を有していた。表現のしようのない、とてつもなく、巨大なもので、広大な国土を有するブラジルとか、土地を強制収用してしまう中国のような所でないと、本格的な水力発電は無理だろう” と悲観的だ。

それに対して、同じようにブラジル滞在が長かったほかの友人は “農協など地元の説得、 立退きなどの問題が解決できれば小規模発電ではなく中規模発電も充分候補地があるのではないか?小規模発電で地方の需要をカバーするのは大いに有益だと思う” という意見だし、具体的には “急場を凌ぐとすれば、自分の使う電力は自分の地域からという意識で、揚水発電(500MW~1000MW)を大都市周辺に作ってはどうか” という提案もある。

このあたりの発想を専門的な立場からみるとどうか。

工学部出身で専門的知見の持ち主(のはず)の友人のひとりは、現在早急の問題は地球環境問題(炭酸ガス排出)の解決であり、そのために電力の供給源として今使えるのは原子力発電しかない、と冷静だ。彼の主張は原発には確かに廃棄物処理という大問題はあるが、シナリオを明確にして緊急的に活用し、その間に送電線問題を解決し、揚水発電や新電力の登場をまつべきだ、と手堅い。そして、電力設備の充実には時間がかかることを明記せよ、とも警告する。またプラントメーカー大手で現場を数多く経験し、技術的側面に詳しい友人は、前記のようなアイデアとして提起された、いわば分散的な解決案について次のように述べる。

「発電」には小なりといえども「キカイ」が必要になります。「星の数ほどある『小落差』」をいちいち発電すると「小さなキカイ」が星の数ほど必要になります。将来エネルギーコストが値上がりして(ウクライナ戦争の結果としてロシアが責任を負うベきとかそういう問題ではなく)小型発電機のコストは無視できると言える社会が到来したとしても、その無数の水車発電機のメインテナンスを誰が請け負うのか? その問題を解決するために「水をダムで一カ所に集めて、大きな発電機」によるシステムを形成していると考えます。つまり一般的には集中によってメインテナンス等の費用が合理的範囲に下げられるためと考えられます。各家庭の屋根に設置する太陽光発電機があまり普及しない理由の1つに「メインテナンスを誰が行なうのか」という問題があるそうですが、これも「分散に伴う問題点」の1つと考えられます。

もう一つ、我が国だけに特有な事情かどうかは分からないが、行政上の問題がダムの建設、結果的には水力発電のコストを押し上げているのも良く知られている通りだ。八ッ場ダムの騒動一つをとってもどれだけの無駄があったのか、想像するだけでむなしい気がする。KWV37年卒の菅谷君は盟友・故福永浩介君が人吉市長のころ、20年前に提案した熊本・球磨川の「川辺ダム」は周辺の住民の反対で棚上げとなっていたが、彼の死後急転換、漸く着工、完成は何時の事か?と嘆く。また,前記した友人はプラントメーカーの立場で遭遇したほかの経験を書いている。

「自由と民主主義」を標榜するわが国では、「極めて小さい個人の自由と権利」が集まると「社会的な合理性」を阻む力となっていることも確かです。僕は「成田空港」へ千葉港から空港までの航空機燃料輸送パイプラインの敷設プロジェクトを担当した経験がありますが、地下に埋設する管路の「通行権」を獲得するのに、事業主が大変苦労するのを見てきました。我が国では大変な作業でした。

このあたりの現実について、KWVOBの安田君経由、行政の立場から担当官であった方のご意見を頂戴することができたので、原文を転載させていただく。

「小規模水力発電」に関し、私の知っていることをお答えします。私は、土木工学を学び運輸省で勤務しましたが、建設省河川局で本省課長を務めたこともあります。その当時は環境問題を契機に「脱ダム」が主力で、民主党政権下でついに「八ッ場ダム」が建設中止に追い込まれました。さて、水力発電は、水を高いところから低いところに流し、水車を回して発電します。河川の水には「水利権」が設定されています。大量の水利用権は、飲料水、農業水に与えられ、発電水を確保することは大変です。江戸、明治からの古い慣例に縛られており、これを打ち破るのは大変です。利水権の確保が難しいことが、小規模水力発電の普及を阻害している第一の要因です。次に費用効果です。河川の流量は、春夏は水量が豊富ですが、秋冬は、水量が大きく減ります。電力は安定的に供給する必要がありますが、渇水期に水量を確保しなければいけません。このため、堰やダムで、夏季に水をためておく必要があります。小規模な施設では十分な水量確保が難しく、一般的には、費用効率が悪くなります。石炭、LNGにはかないません。近年、脱炭素化の一環で、国土交通省も「小規模水力発電」の普及に従来よりは力を入れ始めていますが、電力供給を行う民間企業が、なかなか対応できていない状況です。繰り返しですが水量を得る諸調整、手間暇が大変。費用が収益に見合わないからだとも思われます。ただし、脱酸素化で、「太陽光発電」「風力発電」には、多額の公共支援がされています。発電会社は、高額で買いとることが義務付けられています。小規模水力発電により多くの公的資金導入があってもよいと思われますが、まだ目は向いていません。さらにいえば、黒部ダムのような大規模な水力発電ダムの建設を国施工で、公共事業として行うことも考える時期かもしれません。個人的には、「原子力発電所」よりはよいように思われます。

電力の供給についての議論もさることながら、一方、現代社会であまりにも電力を使いすぎていないだろうか、という事はエネルギー政策についてと同様、地球環境の観点からも考え直す必要があるだろう。東日本大震災の後、東京でも節電のための照明やネオンサインの節減などが実施された。たしかに”暗い夜”ではあったが、明らかな効果があったのは衆目の一致するところだろう。特に小生が疑問に思っている数点を挙げてみると、たとえばライトアップという手法で、当初はごく限られた場所や機会だけで限定的だったのが、昨今はやたらとあちこちで散見するし、街中での大掛かりなパチンコ店やゲーセンの店名表示灯も目につく。また自動販売機もいまや日本がj普及度世界一らしいが、あんなに林立させる必要があるのだろうか。某大手飲料会社の役員だった友人に聞いてみると、2018年度我が国の自販機などの設置台数は240万台で月額電気料金は1台当たり2千円から3千円くらいとされているが、彼が現役だったころは250万台、コストは8千から1万円、とされていたので、省力化、低コスト化は進んでいるが、昨今の対面販売の激減やキャッシュレス現象もあり、ソーラー電源の販売機も出現しているので、この数自体の減少はないのではという。門外漢の小生の目につかないところで、まだまだ節約の可能性はあるのだろうが、節電、という対策の深化を期待したいものだ。

現実はエネルギー小国である日本にはまだまだ厳しい。当初の表に述べたように、再生可能な資源を使えるまでにしない限り、アラブの油、ロシアのLNG,などなどのリスクファクターの高い現状の綱渡りは解決しない。一方ではITだSNSだという響きのいい経済活動におされて、電波資源の野放図な乱用が進んでいくという現実もある。家庭電器を中心とした節電設計もあるが、”新”エネルギーの開発が急速に進化していくことを祈らざるにいられない気がする。この分野について、この稿をきっかけに識者各位のご教示を待つことにしたい。

(安田)電力は、「空気」と同様、現代社会、人類には不可欠。蓄電は効果的な手段の一つとなり得る可能性はあるが、「蓄電技術」の開発は遅々、大規模な蓄電は当分の間期待できない。「リサイクルエネルギー」の太陽光、風力、水力、地熱は、自然が相手で不安定で、自然環境破壊の問題もネックとなり得る。さらに増やせば増やすほど電気代は高くなる。直ぐには電力供給の主力にはなりえない。あくまで脇役。「原子力」は、日本国民の選択。強い拒否感を有している国民が一定存在する。こうした現状を見ると、今後10年程度は、「脱炭素化を中断する」ことを選択せざるを得ないのではないかと考える。お金さえ出せば入手できる「LNG燃料」、そして供給不安のない「石炭燃料」による「火力発電」を中心とした発電を続けること以外に選択肢はないように思われる。国民は「脱炭素化というきれいごと」より、「日々の生活」を最後は、優先すると思えてならない。謂わば「背に腹は変えられない」妥協をするのではないかと予想する。そして今後10年の間に、その先を見据えたもっと抜本的な施策の青写真を描き、長期計画を構築して実行に移す準備が果たしてできるであろうか?

(船津)電力会社は可成り先までの経済情勢など判断して給電計画を立てているから今まで不足なくすんできているわけです。処がガラリと世界情勢が代わり、政府のエネルギー計画が迷走では電力会社も困惑。早く政府はエネルギー計画を確立して世論に説いて推進しないと間に合わない。当分節電でしょうか。
我が「泣きの姉ヶ崎火力発電所」先ず稼働ですかね。原子力は世界的に中々推進は難しいと思われる今、ドイツがどうするか、が手本になるかも。