アルプスを満喫
サンモリッツへの道はインスブルックから200キロの山間の道を縫うようにして蛇行していた。山国スイスへいよいよ入ってきた。スイス国境付近には4000メートル近くに達する高峰が聳え夢に描いたアルプスに近づいた興奮で少しドキドキしたことを覚えている。
サンモリッツは標高が1800メートルもある高所に位置している。南に15キロ行けばイタリア国境でドロミテ(Dolomiti)山塊も遠くない。夏冬ともレジャー施設と素晴らしい自然風景には事欠かないスイス有数の観光保養地だ。ヒッチハイカーには随分高級過ぎる街の佇まいであった。が、運良くユースホステルもあり出費も抑えられた。サンモリッツの町の真ん中にはサンモリッツ湖があり、対岸のアルプスの山々を湖面に映し、ユースホステルからの眺望も素晴らしい。
サンモリッツ 好天に恵まれトレッキングに終日行くことにした。最高峰4049メートルのピークを持つ大きなベルニア(Bernina)山塊がイタリアとの国境に向かって横たわっている。その山麓をトレッキングした。トレッキングといっても標高1800メートルからのスタートで3000メートル近い高所まで登ったはずだ。雪と氷に覆われた山頂付近の絶景を眺め、晩夏から初秋に移り変わる少し早い紅葉も楽しめた。訪問の目的は叶えられ満足感一杯でサンモリッツ湖を眺めながら下り、ユースホステルに戻った。
次はグリンデルヴァルドへ、サンモリッツからは山間を縫うように走り湖の間を意味するインターラーケン(Interlaken)を目指した。名前の通り二つの湖に挟まれた、ベルナー・オーバーラント(Berner Oberland)地方の観光拠点の入口にある数千人ほどの小さな美しい町だ。そこからはスイス国内でも最も美しいと評される深い谷のひとつであるラウターブルンネン(Lauterbrunnen)に立ち寄ることにした。インターラーケンからは10キロほど南に行ったところにある。
この辺りはスイスのほぼ中央部だ。深い谷の細い裂け目、壮大な氷河、切り立った崖の絶壁、雪に覆われた峰々、50を超える滝に囲まれている。お伽話に出てくるようなスイスアルプスの村が山腹や谷間の草原に点在していて、信じがたいほど美しい。谷の入り口辺りでヒッチハイクの車から降り、2時間ほど歩いて素晴らしい至極の風景を満喫した。
ラウタ―ブルンネン 北の方角インターラーケン方面に少し戻り、右折して東へ、夕方近くにグリンデルヴァルドのユースホステルにチェックインした。途中ヒッチハイクの車から車を乗り継ぐ間は道端を歩くのであるが、秋のシーズンとあってリンゴ畑などではしっかりとリンゴを失敬してビタミン補給にも努めた。スイスのリンゴは日本のふじ、王林、紅玉などよりずっと酸味が強くて食感は硬めであった。
グリンデルヴァルドに近づくと右手前方にアイガーの北壁が望まれゾクゾクした。当時、アルプス三大北壁登頂がアルピニストの憧れの挑戦コースになっていて、日本人登山家も果敢に挑んでいる頃であった。目の前のアイガー、次に行く予定のツェルマットから望めるマッターホルン、それとフランス・モンブラン山塊のグランドジョラスが三大北壁だ。 グリンデルヴァルトは標高1034メートル、街から南西の方角にアイガー(Eiger3970メートル)、メンヒ(Mönch4107メートル)、ユングフラウ(Jungfrau乙女の意4158メートル)のベルナー・オーバーラントアルプスの名峰三山が並ぶ壮大な景観がひろがる。街のやや左前方、アイガー峰の左手にはヴェッターホルン峰(Wetterhorn)3701メートルが衛兵のように聳えている。グリンデルヴァルトから高度差3000メートルの天空に聳える岩と氷雪の名峰群に見とれる。
翌日早速歩き出した。電車で9キロ先のアイガーとメンヒの中間標高約3500メートルのユングフラウヨッホ(Jungfraujoch)まで連れて行けるが、懐と相談して電車は諦め標高2061メートルの中間乗り継ぎ駅クライネ・シャイデック(Kleine Scheidegg)まで歩く。電車で行くには勿体ないほどの素敵なハイキングコース、アイガー北壁の真下から壁を見上げながらゆっくり歩くのは、電車で通り過ぎるより圧倒的に貴重だ。垂直に近い角度の壁が高さ1800メートルにわたってそそり聳えている。登攀するクライマーも見え、歩くのを止めしばし見上げてスリルをお裾分けしてもらった。いつまでも歩いていたい快適さだ。
アイガー北壁 クライネ・シャイデックはアイガーとメンヒの中間地点、三峰を望む峠になっていて、至近から標高差2000メートルの雪と岩の殿堂を仰ぎ見る迫力に圧倒された。前日訪れたラウタ―ブルンネンからは登山電車を乗り継げばこの峠に達することができるが、迂回してグリンデルヴァルド経由にして良かったと思った。峠までの絶景を歩いて堪能できたからだ。周囲の峰々と眼下に箱庭のように広がる美しいグリンデルヴァルドの村を見下ろしながらゆっくり歩いて戻った。
次の日は三山とグリンデルヴァルドを挟んで対面にあるトレッキングコース、三山からは少し離れるが全体が俯瞰できて違った味わいを満喫。あと1日はグリンデルヴァルドの街でゆったりと至福の時が流れていった。アルプス山脈の高原地帯に広がる緑の牧草地アルプ(Alp)は周りの山岳風景と調和して見事としか形容できない。その緑の絨毯を縫って歩道が整備されており、スイスアルプス地方特有の建築「シャレ―challet」と呼ばれる大きな屋根の突き出た山小屋タイプの家屋やホテルの軒先は色とりどりの花々で彩られていて、現実離れした絵のような美しさである。次は名峰マッターホルン((Matterhorn)の麓ツェルマットへ向かう。道中は飽きることなく周りの景観を楽しませてくれる。贅沢なひとときだ。
スイスを旅して気づいたことが二つあった。
まず銃を背負った軍服姿の男性を町や駅で見かけたこと。国民皆兵を国是とするスイスの徴兵制は、20-35歳の男子は初年度の15週間の兵役訓練を終えると、毎年約3週間の補充講習・訓練を受け20歳から数えて通算で合計260日の兵役に就かねばならない。その後は予備役に算入される。徴兵制を終えた男子(予備軍)を加えると40万人の兵士が、他国の侵入など有事の際には6時間以内に、動員できる態勢が普段からできている。町で見かけた軍服姿はちょうど徴兵された時期で任務地へ移動中か、週末に自宅に一時帰宅の最中だったのであろう。人口800万の国にしては大変な動員力だ。職業軍人数は4~5千人といわれている。
もうひとつは、山間の谷に軍用ジェット機の滑走路があって驚いた。付随して山腹の崖には穴をあけて格納施設が備わっていた。軍事基地が岩山をくりぬいた地下に建設されるなど高度に要塞化されているという。
近世になり18世紀初め頃より時計などの精密機械産業が勃興した。16世紀の宗教改革後、フランスでは数十年に亘ってカトリックとプロテスタントが争った。ユグノー宗教戦争である。迫害されたユグノー(Huguenot)と呼ばれたプロテスタントの技術者が、フランスを逃れてスイスの西部地域などに移り住み、彼らが時計など精密機械工作技術を持ち込んできた。時計工場がジュネーブから北部のフランス国境沿いのジュラ山脈渓谷の町に集まっている理由のひとつである。
山間の貧しい国として、スイスの主な産業のひとつは傭兵であった。スイス人傭兵が敵味方に分かれて戦うことは珍しいことではなかった。よく知られているのはヴァチカン市国を護衛するスイス衛兵。サン・ピエトロ大聖堂ではミケランジェロがデザインした凛々しいユニフォ―ムを着た護衛するスイス衛兵に会える。
スイス傭兵 オーストリアと共に永世中立国の立場を堅持、EUにも加盟せず独自の貨幣スイスフランを流通させている。国連に加盟したのも今世紀になった2002年。世界でもトップクラスの所得水準を誇り、精密機械工業(時計、光学器械)のほか観光業、金融業(銀行、保険、証券)、化学薬品工業、電力業などが主たる産業だ。
標高1608メートルのツェルマットに着いた。長野県北アルプス(飛騨山脈)南部に位置する有名な山岳景勝地・上高地とほぼ同じ標高だ。ツェルマットにはガソリン自動車は乗り入れ禁止。街の手前でストップして歩くか電気自動車で街中まで行くことになる。サンモリッツやグリンデルヴァルドと違い、周囲を山に囲まれた細い谷に開けた村だ。南の方角奥まった高い所に三角錐の圧倒的な存在感のマッターホルン峰の姿が目に飛び込んできた。興奮を禁じ得ない。
ユースホステルは絶好の位置にあった。マッターホルンを見上げるのに前方に何の障害もない。運良くベッドが南側の窓のそばにあったお陰でベッドから三角錐がいつも眺められた。一泊千円以下の宿泊費でこれ以上の贅沢は望めない。ツェルマットには一週間滞在したが毎日飽きることなく眺めた。
マッターホーン 特に素晴らしかったのは、日の出の時間帯である。谷はまだ暗く闇に包まれている時刻、穂先に陽の光が当たり、雪もついた三角錐が上から下へと段々と黄金色に染められて行く。筆舌に尽くし難い、とはこういう超絶した美しさのことをいうのだろう。滞在期間中は毎朝見惚れていた。見上げる標高4478メートルの頂上までの標高差は2800メートル、上高地から望む奥穂高岳3190メートルと比べると1000メートル以上の差があり、迫力が違う。
経済的理由と歩くことが好きなので登山電車に乗らず、標高3130メートルの展望スポットであるゴルナーグラート(Gornergrat)まで歩く。標高2300メートル辺りが森林限界で次第に眺望が開けてくる。途中には写真でよく見る小さな池にマッターホルンの秀麗な姿を逆さまに映す有名な箇所で休憩した。当時は歩くスピードも速く田中陽希ばりに高度と距離を稼いでいたのではないか。標高差1500メートルを一気に登った。
魅力は何といっても眺望だ。ヨーロッパアルプス4000メートル峰の4分の3に当たる29座がツェルマット周辺に集まり、ゴルナーグラートを360度取り囲むように聳えている。まさに絶景だ。南西方面遠くにはアルプスの女王と呼ばれるヨーロッパ最高峰モンブラン(Mont Blanc)4810メートルの雪帽子も手が届いてしまいそうな距離に感じられる。すぐ南側にはゴルナー氷河を挟んでスイス最高峰モンテローザ(Monte Rosa)4634メートルが威風堂々とした山容で迫り、右(西)に目を移せば異なる姿のマッターホルン東壁がこちらを向いている。直線で7~8キロ近く離れていると思われる両峰の間に横たわる広大な氷河の斜面では、小さな豆粒のようにスキーをしている人達が見える。スキーをしたくなった。最近のアルプスの写真を観ると雪が圧倒的に少ない。50年前スキーをした初雪前の10月でも随分標高が低い、今では山肌が露出した山腹まで雪で覆われていて、積雪量も結構あった。地球温暖化の深刻さを突き付けられる。
ゴルナーグラートハイキングの翌日、道具一式、ロープウェイ、リフト代と想定外の結構な出費であったがスキーを楽しんだ。充分過ぎる価値があり元は取れた。服装はスキー用ではないが転ばなければ、それ程寒くない快晴のスキー日和で運にも恵まれた。Tバーに初めて乗った。両足でバーをまたがり腰掛けスキーは雪面を滑っていくリフトだ。苦戦したが慣れてきた。イタリア国境の峠3300メートルまで行ってマッターホルン東壁を左手、モンテローザを右手に見ながら氷河上の雪の斜面を滑った。マッターホルン峰はスイス・イタリア国境に聳えておりイタリア語ではチェルヴィーノ(Cervino)という。スキー斜面は国境稜線をまたいで両国側に広がっている。イタリア側の麓の町チェルヴィニア(Cervinia)までイタリア北部の都会ミラノやトリノからも遠くなく、イタリア人も多い。
レストランはイタリア側が経営する料理が圧倒的に美味しかった。多くの人がワインを飲みながら日光浴をする優雅なヨーロッパのスキー文化に触れた。旅の全行程中、最高に贅沢なレジャーとなった。山行トレッキングコースは幾つも用意されていて、滞在中方々のコースを歩き、ツェルマットを心ゆくまで満喫して、次はジュネーブに向う。
ツェルマットからは谷を下り、平坦な地域まで行って西に方向を変え、レマン湖北岸をドライブした(ヒッチハイクで)。対岸にはフランスのミネラルウォーターで知られる町エビアン(Evian)が望まれ、その後方にはモンブラン峰に連なるフランスアルプスの峰々が遠望できた。