Sneak Preview (1) (44 安田耕太郎)

ラパスの夜景

(編集子注)先回紹介したが、安田耕太郎君が近々、著書を刊行する。刊行に先立って、その一部を何回かに分けて紹介してもらうことになった。HP社において、マーケティングに参画していて少しばかり理論をかじった時、製品発表に先立って、戦略的に行う部分的な開示を Sneak Preview ということを教わった。今回以降、何回かに分けてお届けする。

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(1)犬と5400m 峰を登る

ラパスとイリマ二峰6438m

平和を意味するラパス(La Paz)は色々な面で世界でも稀有な都市である。標高が町の一番低い所でも3600メートルある。ランドマークである標高6438メートルのイリマニ山Illimani (ボリビア第2の高峰)が町の至近25キロに聳えている。東京からみて横浜の位置に北アルプス級の2800メートルの山が聳えているようなものである。Illimaniは先住民の言葉で「黄金のコンドル」を意味する。古くから信仰の対象となっていた崇高な山なのだ。

すり鉢状の盆地に都市が建設され、標高が低い、酸素濃度が高い底の地域から人が住み始め、富裕層が住む住宅街も底に集まっている。政治行政の中枢建物も商業施設も底に集まっている。すり鉢状の山腹には底から段々上に住宅がびっしり建っていった。底と上部は400メートルの高度差がある。

朝プーノを発ってチチカカ湖を船で渡り、ボリビア領の湖畔の町から乗ったバスが北の方角からラパスに近づくと、あっと驚く風景が目の前に現れる。色彩も綺麗な夕焼け時に崖の上から見下ろすと、すり鉢状の盆地に町が広がり、左手南東の方角には巨大なイリマニ山が仁王様にように聳えている。強烈な印象が残る光景だった。

インディヘナと呼ばれる先住民が多く目立った。女性は長い髪を三つ編みにして垂らして帽子をかぶり、色鮮やかな民族衣裳に身を包んでいる。 街は都市計画など無しに盆地の底から発展したに違いないが、ごちゃごちゃした混沌が独特の魅力を醸し出していた。

情報収集の為日本大使館を訪れた。立ち寄る日本人が少ない時代、親切に対応してくれた。ラパスから北へ15キロ離れた山に東京大学の宇宙線研究所があり日本人も常駐している。ちょうどそこに行く研究者がいるので紹介する、との予想外の嬉しい話の展開。

2日後、研究所の車で連れて行ってもらった。研究所施設は1962年開設でブラジルとの共同運営。4500メートルを超える高所に位置していた。早めの昼食などご馳走になり、2時間ほど歩けば頂上に行けるよ、との言葉に乗って独りで登ることにした。独りといっても人間は一人だが研究所で飼っている犬が一緒についてきた。勿論、初対面であったがこの人なつっこい犬は途中で自分の棲家(研究所)に戻りもしないで頂上までついてきた。5000メートルを超える高山を犬と一緒に登ったのだ。今でも信じられない体験だった。酸素も薄く2時間ではとても達する高さではなかった。

 

チャカルタヤ峰からのイリマニ山

3時間以上かかった。後で調べると頂上の高さは5385メートル。チャカルタヤ山といった。秋とはいえ前年の雪が残り眼下には氷河も見えた。ラパスへ向かう飛行機が眼下を飛んでいく。ラパス近くの6000メートルを優に超えるイリマニ山の威厳ある姿と大パノラマをしばし堪能し、5000メートルを超える頂上からイリマニ山遠景写真を撮った。忘れ得ぬ一枚だ。犬と一緒の写真も貴重な一枚だ。

単独行はどうしても足早になるもの、高山病の兆候が出始め吐き気がしてきた。無事研究所に降りて暫く休憩して研究者の車でラパスに戻ったが、ちょうど日暮れ時でラパスの夜景が綺麗であった。

 

俺、級長。文句あっか?  (35 森永正幹)

手帳の予定も真っ白、食料以外に買う物も無くお金を使わない毎日。連休中は今まで見た事の無い様なゴーストタウン状の軽井沢銀座、新緑のみが目にまぶしい。

4月5日が今シーズン最後のスキー。板をに tune up、ブーツ、ヘルメット類片付け衣類をクリーニングに出し、来シーズンの準備完了で体力維持の為インターバルウオーキング(毎朝5KM)を開始しました。

コロナ発生で2月後半からのレースは中止が多く消化不良のシーズン(115日、早朝2時間のみ滑走)でした。

全日本マスターズ、尾瀬片品大会、アルペン競技スタートリスト、ゼッケン43番

マスターズ大会は全日本スキー連盟B級公認。44回は栂池で開催、ジャイアントスラローム、男子80歳代レース、第三位入賞。

 

来シーズンへむけてのスタートはすでに開始!

 

(編集子 無言)

連休入り 各地のありよう (4) 高尾山   (42 保谷野伸)

高尾山のケーブルが運休というニュースを知り、この状況で高尾山頂に何人いるのか知りたくなり、外出自粛ムードの中、少々後ろめたい気持もありましたが、近い(日野)こともあり、薫風に誘われて1人で登ってきました。

コースはケーブル駅から6号路を、セッコクの花を探しながら1時間強登り、12時半に山頂着。山頂の人数は約30名でした。ただ、休憩中に増えて、10分後は40名でした。それでも通常の休日の1割以下でしょうね。ちなみに期待してたセッコクは見付けられず・・・まだ早いのでしょうか。

下りは4号路経由で蛇滝口へ・・・4号路で出会った人は何と一組のカップルのみ。蛇滝コースでは2人。蛇滝口からは気持ちの良い旧甲州街道を高尾山口まで歩き、14時10分着。ドアToドアで約2万歩でした。

月いちメンバー 家に籠る (8)  (39 堀川義夫)

言い出しっぺ、ジャイさんに乗せられ、今日で3回目の私のたわごとを添付します。私は、写真を多く入れますので別紙に簡単に編集したものを添付して送信していますが、気楽に思ったことなど「たわごと」をぜひ投稿してください。
私は3日坊主が得意です。明日は多分何も書きません。

昨日とは打って変わった良い天気です。でも、結構風が強いです。今の住まいに引っ越して8年経ち、何度も寺家ふるさと村を散策してきましたが何時もただ走ったり、足早に歩くだけでした。しかし、ここのところあくまでも目的は体力アップですが見方が違うのか新しい発見を色々とします。道標の無い小道が意外に面白かったり、思わぬ花に見とれたり・・・今日はニリンソウの群生地を見つけました。

 

近くに意外な場所がある様です。墓群なんてあまり興味はないのですが・・・、近々、行ってみます。町田市鶴川になりますね。

氏神様の熊野神社の鳥居からすぐのところに あるこの杉の木は、横浜市の名木・古木指定  No.90006だそうです。 いして大きな木でもないですが・・・

 

名残の菜の花越しにタンボに水が入りました。あぜ道に咲く小さな花が良いですね。

 

月いちメンバー 家に籠る (2) (39 堀川義夫) 

4月12日(日)

明日から天気が悪くなりそうなので、日曜日はトレーニング的なことは何もしないことにしていますが、何時もの寺家ふるさと村の丘陵地帯を昼過ぎからトレーニングを兼ねた散策に出かけました。

★「寺家ふるさと村」は横浜市の北西部に位置し、東京都と川崎市に隣接し、日体大やこどもの国などに隣接しています。雑木林に丘に挟まれた「谷戸田」と呼ばれる細長く伸びた水田が幾筋もあり、その奥には溜池が点在した昔ながらの横浜の田園風景を色濃く残しているところです。交通機関は田園都市線青葉台下車、鴨志田団地行きバス14分の終点下車。普段私は入浴を兼ねてジムで汗を流すのですが、コロナの為、ジムは休館です。

何時も大体決まったコースを歩いています。丘陵を登ったり下ったりでで50分程度、距離にして3.5~4.0km位を足早に歩きます。自然に恵まれていますので綺麗な花などに魅せられ、途中で写真を撮ったりすると1時間以上になるときもあります。

溜池を利用した釣り堀。ヘラブナ専門とか
 

 

農耕作業が始まったようです。もうすぐここは水田になります。

いいところを見つけました。秋の紅葉に期待します

 

 

 

こちら仙川、春うらら

仙川駅前に数本、ソメイヨシノが植えられている。数年前、駅前整備計画があってもう少しで伐採されるところだったのを、住民が反対して計画を変更させて保存に成功した、地元の自慢のひとつである。4,5日前にほぼ満開と思っていたが、雪が幸いしたのか、今日も見事な咲きぶりであった。

住民の勝利!を記す標識

この桜のいきさつを説明した標識を写そうと思ったのだが、前にベンチに座っていたご老人に話が通ぜず、動いてもらえなかったので,良き市民として振る舞い、斜めから遠慮して撮影した。

桜が元気だと街も元気なのか、なじみのとんかつ屋はこのご時世だというのにアルバイトを募集していた。タクシーの運転手さんたちも何だかのんびり構えている、春のひるさがり、だった。

梅林散歩、春を満喫しました (34 小泉幾多郎)

 

小下沢沢梅林もクローズのため、登山道からの遠望。これも又よきかな。
自粛要請のため子供たちの世話に駆り出された人も多く、予定より小人数のパーティになった

高尾梅郷の梅はほぼ真っ盛り、堪能しました。豆腐、揚げ出し、ドーナツのご馳走、美味しかったです。また、堀川さんからはご案内通りの華やかなお弁当の一品を頂戴し、岡沢さんからは熱いコーヒーをいただき、持参のおにぎりは、そーっと1個だけ食べました。楽しいワンデルングを有難うございました。

”花筏” とは何か、という論議もあったがいかにも日本的感覚の眺めを満喫

日帰りワンデルング準備は着々進行! (51 斎藤邦彦)

 

5月16日(土)に予定されている「春の日帰りワンデルング」の4班「青梅駅~赤ぼっこ~天狗岩~要害山~宮ノ平~川井キャンプ場BC地」コースの調査行に1月19日(日)に51年卒業組4人で行ってきました。

左から佐藤、五十嵐,羽田野、斎藤

この行程は青梅市の市街地から天候に恵まれれば都心はもとより筑波山まで見渡せる展望が楽しめる人気のコースです。

青梅駅から青梅マラソンの走路となっている奥多摩街道を東に進み、赤塚不二夫記念館の先を秋川街道に曲がりました。天祖神社の鳥居から石段を上がって本殿横から縦走路に入り、ここから約1時間半で「赤ぼっこ(409m)」の台地の上に立つことが出来ました。

「赤ぼっこ」は地元の言葉で赤土の山という意味で、大正12年の関東大震災で表土が崩れ赤土が露出したことからこの名前が付けられています。この台地の上は青梅の市街地を見下ろす絶景のビューポイントで、西方に高水三山、川苔山、大岳山など奥多摩の山々を望むことができ、天候に恵まれれば東方に東京都心や筑波山まで見渡せるそうです。

調査行の前日には東京都心でもかなり雪が降ったので奥多摩の雪景色を楽しみに軽アイゼンを持参しましたがほとんど融けていて出番はありませんでした。登山道は特に急な斜面や荒れた箇所もなく4時間弱で宮ノ平駅に到着、青梅線で川井に向かいました。このルートは登山者が多いためなのか「Googleストリートビュー」で全行程を辿ることが出来ます。(便利な?世の中になったものです。)併せて以下のユーチューブで全貌を把握できます。https://www.youtube.com/watch?v=R6pPcn6VRmo

今回の日帰りの担当学年ではそれぞれに調査行を行っています。50年卒担当の10班・高水三山ルートの調査は2月8日、写真の豪華メンバーで実施。詳細は把握していませんが、写真右端、リーダーの丸満さんはご満足のご様子。当日もこの日同様、好天を期待しましょう。

3月7日には5班・吉野梅郷ルートの調査行が49年卒、土肥・長山・横倉さんなどが中心で行われることになっています。これら調査行はそれ自体、一つのワンデルングプランのようになってきていて、だれでも参加できます。特にこの吉野梅郷はちょうどこの日あたりに梅郷まつりにあたるので、多くの方のご参加を歓迎しています。

(土肥繁男)現在のエントリー状況は以下です。

L土肥、SL長山、横倉。小峯、斉藤、羽田野(S51)計6名 羽田野さんは斉藤さんのリクルート成果で参加されます。

山道のどこかで「山恋」を合唱をする予定です。1~5番までの歌詞には個人個人に想いが有るとは思いますが個人的には3番が好きです。山歩きを始めた初心に戻り、春の陽光を楽しめれば短いひと時の至福を体験できると心得ております。ワンデルングは以下の計画です。

①集合日時、3月7日土曜午前10時

②集合場所、青梅線日向和田駅

③コース、三室山646m実働4時間

参加希望者はリーダ 土肥繁男 shigeo-d@nifty.com までお願いします。

(斎藤邦彦)河辺駅前の「河辺温泉梅の湯」へ16時ごろ集合だと思います。お忙しくて山行が難しければ、温泉だけでもお付き合いください。

http://kabeonsen-umenoyu.com/

 

 

ミニ ”接点F” 2020新年会

常連が3人ほど都合つかずだったが相変わらず談論風発

経済学部昭和36年卒F組は多士済々のクラスだった。現役組から3年浪人までそれぞれ気概あり、塾内進学組もレスラーからピアニストまで個性豊かな連中が集まった。第一回のクラス会で会の名前としてそんなみんなの 一期一会 という意味からだろう、接点F という素晴らしい名前を提案したのが山田英樹だった。残念の極みだが山田すでになく、現在は児井正義が中心となり、不定期にミニ、と称しその道のベテラン森田の設営(直近は銀座有楽ビル)で昼酒の会をやっている。今回は関西から飯田武昭が参加。編集子は風邪(まだ新型ではなかった)を発症、欠席。もとF組、参加希望者は児井まで連絡ありたし。

(児井正義)貴信拝承。日頃元気印も鬼の攪乱とは、残念でした。お互い健康第一、まずはお大事に。

昨日は結果的に、岩瀬、溝呂木両君も欠席となりましたが、主賓の飯田君と急遽出席の黒田君を交え(計7名)、時間を延長して、何時もながらの新春大放談会に終始、楽しいひと時を過ごしました。次は暖かくなりましたら(4~5月位に)、何時ものメンバーを招集したいと思いますので、よろしく。

(飯田武昭)先日は沢山集まって頂き大変楽しく話し飲み、歌うことができました。昨日、予定通り宝塚に戻りました。スナップ写真を添付します。黒田兄のアドレスが解らないので全員分を転送ください。海野兄には私から郵送しておきます。

毎回 ”しめ” はカラオケ。岸本が現役時代、銀座六本木と毎夜の社費接待で鍛えた喉を披露することから始まる

(飯田武昭)ミニ接点Fをブログに載せて頂き有難う。貴兄のブログの2017年開設以来をざあ~と!、詳しく!、興味ある記事を読ましてもらいました。

私は高校から塾なので普通部ではないですが、昭和29年普通部卒の集まり「日平会」では貴兄の他、岩瀬君、黒川君はよく知ってます。それと同期の260人位の中の88人もが鬼界へ行ってしまったというその人数の多さに驚かされました。そして横河電機時代の「ハッキリ会」は言いえて妙の命名と笑ってしまいます。