私の写っている Youtubeを見てください (39 堀川義夫)

私の写っているyoutube を紹介させて頂きます。お時間があればご覧いただけると嬉しいです。
2015年9月の熊野古道の修験者の道と言われる奥駆道(大峰山脈)を吉野から縦走していて、熊野本宮に着く前々日に、下記のYOUTUBEの制作クルーと会いました。彼らは、イギリスの日本を紹介する番組の制作会社の人たちで、私の逆コースで熊野から吉野に向かう2日目でした。
私は吉野を出発して7日目でした。15分ほどインタビューを受け、いろいろと質問されましたが実際の映像にはあまり映っていません
今日、急にメールが来て懐かしい情景を思い出すことが出来ました。彼らが縦走するにあたり、私が励ましになったようです。
私はこの縦走後、KWV創部80年の京都の式典に参加しています。
堀川さん
こっちの方が長い事映っていますヨ!KWVのTシャツもバッチリ!!https://www.youtube.com/watch?v=9anCc-3B6fE&list=PLgaY1JpnjTtG5a3I1BTR6BYyjDkpBnVaC&index=2ね。浅野 三郎

 

 

 

(47 関谷誠)5年前とは言え、20歳台の若さに見られたとは、さすが堀さんですね! KWVの名がホリさんのTシャツでワールドワイドになりましたね

(39 岡沢晴彦)彼らの大峰奥掛道 最後まで見ました。 4泊5日本当に無茶ですね。 ヨシヲさん 74歳たいしたもんだね。

翌16年から 堀川 飯河 津金 岡沢の4人で 熊野古道の 高野町石道小辺路 伊勢路 18年には飯河 津金 岡沢 と長谷川で中辺路を那智山まであるきました。 よく歩いたものですね。 今はもう78歳 これが最後ですね。

(36 後藤三郎)素晴らしい内容あるVideoですね。KWVの皆に観てもらいたいと思います。

(39 三嶋睦夫)拝見しましたよ。「74才老人」の活躍は見事です!  youtuberなるものが どんなことなのか(ガラケーの私に)良く判ったのも収穫です。

(小日向孝夫)堀川さん 素晴らしいです。いい旅ですね!

(42 保谷野伸)大峰山脈奥駆道の動画、楽しく拝見しました。実は、私もKWV京都イベントの後、同期の萩原夫妻と大峰山に登ったのですが奥駆道はあの何倍もハードなのでしょうね。私も一度挑戦したかったですが、さすがにもう無理ですね。イギリスの若者と堀川さんの会話場面が印象的でした。

(39 長谷川大ニ)堀川さん 素敵なおひげとスマートな出で立ちでのご出演、素晴らしい。つられてyoutube吉野まで見てしまった。

WCや神社に泊まり、夜の9時まで歩いて雨風の中も待ち合わせの時間に間に合うよう歩き続けた英国人は愉快でした。渡り鳥です。億掛けは歩いていないが、八経ヶ岳は飯河と行者還りトンネルから往復した。伊勢路は長かったな。堀川さんはここで足の豆に苦しんだのだっけ?岡澤の記録にあるよう、雲野古道もずいぶん歩いた。小辺路、中辺路、大雲取り越え、小雲取り越え、ついこの間と思ったが、嵐で中止したり都合のつかない年もあったりで10年近くかかっている。奥駆けは結局、吉野金峰山と那智、弥山八経ヶ岳とつまみ食いだが、もういけないかも…。堀川さん、また渡り鳥しましょう。

 

ナンカナイ会 2020年新年会

例年通り、四谷東京ガス クラブハウスにて2020年新年会を1月10日、開催。参加者は25名(当初予定の栗田ビーバー不参。昨年に引き続き日にちを間違えたのではといううわさが支配的、翌日現在、事情不詳)。

同期以外には?と思われる人もいるかもしれないので、登場人物紹介。

後列左から 岡、翠川、深谷、飯田、山室、阪田、江沢、遠藤、妹尾、田中、大塚、堀野、前田、吉牟田、中司、浅海。前列 後藤、高橋(佐藤)、飯田(岡田)、田中(足立)、鶴岡(今井)、安東、横山(小山田)、中司(水原)、横田(佐藤)。

今回は世話役の安東静雄が入院・手術後のことで心配したが以前より元気で復活。常連では上記ビーバーのほか、他の案件があっての不参2人、自宅療養中5名。卒業時の名簿記載63人、これまでの物故者17人、地方在住者などを考えると実働は40名に届かないくらいと思われるので、年齢的に考えれば誠に結構な参加率と言える。ただ参加者の食欲の減退ぶりは目を覆うばかりで、食べ残しがとても気になる。会場側の都合ももちろんあって、勝手なことは言えないのだが。

夏の集まりは例年なら8月3週くらいだが、オリンピックの混雑が避けられないと思われるので、たぶん9月半ばくらいになる見込み。4月に開催予定の野郎会(35年)卒業60年会合から頂戴している招待の件を確認、ほかは例年のとおりとりたてて議事もなく、談論風発というか、春風駘蕩といおうかはたたま会の性格通り、おい、ナンカナイかい、とやるだけのわやわやと楽しい2時間であった。毎回のことながら、安東・翠川幹事団には感謝の一字。

日曜日はOB会主宰の新年会。例年、同期の方の予定は早くから決まってしまうので調整が難しいことは承知だが、昼酒の連荘は結構きついものであります。

(後藤-翠川)
今日はご苦労様でした。貴兄の丁寧な連絡のお蔭で25名の集まりとなり良かっ
たですね。写真もほとんど私のと変わらないのですがGIさんが少し隠れているよ
うなので私の写真も送ります。明日から恐らく人生最後になるであろうスキーに
遠藤・浅海と一緒に名寄に行きます。

(編集子注:まだ行くのか?と思っていたら、遠藤は2月にはドロミテへ行くんだそうだ。無言。)

 

 

2019年12月 月いち高尾忘年山行  (39 堀川義夫)

 

12月の月いち高尾は、忘年登山、忘年会を兼ね、1年間無事に高尾に親しむことができたことを薬王院に御礼を兼ね参拝をここ3年してきました。恒例になりつつある忘年会はBBQを楽しむことにしていましたが、会場予定の日影沢キャンプ場が、台風19号の影響で使用できないため、今年は麓の「ごん助」で開催することにしました。ちょっと、BBQが出来なかったのが残念です。

この12月で月いち高尾は丸9年が経過しました。第1回の月いち高尾は、2011年1月17日に、ジャイさん、オヤエさん、翠さん、のりさん、川内さん、吉牟田さんの6名で1号路から高尾山頂上に行き帰路はケーブル利用で下山し、打ち上げは駅近くのお茶屋でお汁粉を食べたそうです。来年、2020年は記念すべき10年目に突入します。そして、オーナーであるナンカナイ会のサポート役をしています、堀川、岡沢、藍原がお引き受けして丸3年が経過しました。

この3年間は、高尾に固守してきましたが、2020年は少し幅を広げて何方も無理なく月いちに良き仲間たちと山行にそして時にはグルメなどを楽しむ企画をして行きたいと考えています。来年も皆様の多くの方々に参加して頂けるような、楽しい企画をしてまいりますので奮ってご参加ください。

日 時 2019年12月11日(水)

参加者 楽々コース 中司、吉牟田、後藤、岡、椎名、堀川 6名

稲荷山コース 深谷、鮫島、遠藤、菅谷、町井、三嶋、河合、武鑓、藍原、久米、久米行、伊川、岡沢 13名

ごん助のみのコース 船曳、中司八、相川、川名 4名 総計23名

 

10時に登山口駅に集合。楽々コースは、ケーブルが年末の総点検で間引き運転の為、リフトを使って登ることにしました。これが暖冬のせいで本来なら紅葉はとっくの昔にお終いのはずが、まるで紅葉最盛期の感じで、名残の紅葉を楽しませてくれました。薬王院参拝、高尾山頂上へ。ゆっくり来たつもりでしたが、11時40分ごろに頂上到着。稲荷山コースは13名で順調に頂上を目指し、12時15分ごろ頂上着。全員合流して、集合写真を撮り、再び、分かれて2時30分までには登山口駅前に再集合ということで、楽々コースの6名は4号路からケーブル駅へ。

稲荷山コースの面々は、薬王院参拝をして下山。たまたま、ケーブル駅手前で全員が再集合したため、編成替えをしてリフト下山組(8名)と琵琶滝へ下山するコース(11名)に分かれて下山。全員時間前に到着。「ごん助」だけの参加者も集まり店のマイクロで「ごん助」へ。

なかなか趣のある古民家風のたたずまいの「ごん助」は炉端焼で焼き物、飲み放題、税込みで6500円、皆さん、2時間結構飲みました。帰りは高尾駅まで送ってもらい、解散! 飲み足りなかった何人かは、てんぐ飯店へ・・・(番外編)

ごん助での大宴会は好評だった

(久米行子)今日は天気も良く、温かい12月とは思えない山に行くには大変良い日でした。そしてごん助のお料理もお酒も美味しくし幸せな一日と思っておりましたがいよいよ呆けが始まって最後に忘れ物をいたしまして皆様には大変ご心配をおかけいたしました。大変、申し訳なく思っております。

幸いあのマイクロバスにてお迎えの方たちとごん助に戻り、今度は相模湖迄お迎えに行くバスにて高尾口まで送って頂きました。なんとか貴重品が入っているバッグも戻りほっといたしました。

権助のお店の方には親切にして頂きまして感謝の気持ちで一杯です。2019年最後ののチョンボだといいのですけれど・・・皆様良いお年をお迎えくださいませ。

老け込むのはやめて、せめて月に1回、高尾山くらい歩かねえか?と同期の連中によびかけて、ま、5回も続くかなあ、などと思っていた勝手連の集まりがもう10年とは、まさに驚きであり、嬉しくもあり、また代を越えていろんな仲間が増えて行ってくれることには感謝の気持ちしかない。堀川君はわれわれを オーナー と呼んでくれているが、そんなことはともかく、10年を機に、さらに若い世代の諸君が参加し、この企画がOB会の公式行事のスぺ―スを埋める存在になってくれることを楽しみに待っている。ホリが主宰してくれてからは行事の幅も増え、バラエティに富んだ、素晴らしいものになってきた。

 

2019年11月 月いち高尾 (39 堀川義夫)

11月の月いち高尾は、10月が台風の影響で天気は良かったにも関わらず、生藤山のリベンジがかなわず中止になった為、久しぶりと言った感じで開催されました。4,5日前から開催日の天候が心配され、実施するのか? との問い合わせもありましたが、私の判断で決行することにしました。それでも、当日はお出かけ時間に雨が降っていたためか、3人が中止にする旨連絡があり、実際に橋本駅に私が付いた時点では結構降っていました。

長老ご夫妻、相変わらずの健脚ぶり!

当初は25名の参加予定でしたが、19名の参加者になりました。予定通りのバスに乗り草戸山に向かいましたが、そのころからラッキーなことに雨も降らずに終日過ごすことが出来ました。

登山口近くの紅葉

草戸山は町田市の最高峰の山で標高364m、麓にはキャンプ場など併設した青少年センターがあります。頂上の手前には境川の源頭もあり自然豊かな静かな山です。予定通りに頂上に着き、昼食後下山開始。いわゆる東高尾山稜コースを下っていきます。高尾までのコースタイムは約2時間半ですが、意外に地図には表れない大小の起伏があり、また、前夜の雨の為登山路が滑りやすく大分時間がかかりました。途中の四辻で6名が高尾登山口駅へショートカット、残りは元気に高尾の何時ものてんぐ飯店に直行、16名で楽しく打ち上げすることが出来ました。結局、雨具を付けることなくわずかにカップルの2人とすれ違うだけの我々だけの静かな登山を楽しむことが出来ました。

日 時 2019年11月27日(水)

参加者 中司、吉牟田、深谷、鮫島、後藤、遠藤、平松、小泉、船曳、船曳愛子、町井、三嶋、蔦谷、武鑓、藍原、柏木、相川、岡沢、堀川   以上19名

2019年 秋の日帰りW

不順というか異常というべきか、近年まれにみる悪天続きの秋だったが、恒例の日帰りW当日は晴れ、本部への申し込み時点では合計132人(実際には10名前後のキャンセルはあったようだ)、今回の最年長は32年の先輩各位であった。小生は第六班、弘法山コースに参加。リーダーが目下大活躍の伊川君とあって47年の猛者が勢ぞろい。かつて(質はともかく)こういう場には絶対的多数を誇ったわが36年卒・ナンカナイ会も時間の魔物には勝てず、その上今回は常連の翠川・岡・高橋がいずれも直前に都合ができて不参ということで、やや寂しい状況だった。大人数世代の掉尾を飾ったのが関谷君以下のメンバーで、まだまだ現役裸足の活動をしている連中がいるのは立派なものだ。

浅間山の急登 (フォト関谷)

コースは秦野市民に愛されているだけあって整備もよく、楽しい半日を過ごせた。集中地はこれだけの人数を収容するとなると候補地選定も大変だろうと世話役各位には改めて感謝。

弘法山あたり (フォト関谷)

台風の余波もあって、丹沢主脈縦走のパーティだけはコース変更を余儀なくされたということだが、ハードコースを元気に踏破したOB1年生2年生の諸君がそろいのライトブルーのユニフォームで一番最後に到着、KWV伝統の老 (俺たちか!)、壮・青の交歓の場となった。小生も顔なじみになった川上君たちと杯を重ねることができ、社会人第一段階での感想などを聞いて自分の入社直後のありようを思い出した。横河電機(当時はまだ 製作所 だった)創立以来空前絶後といわれた大量採用の年、同期入社の結束は固く来週はまた昼酒の会がある。

世話役の翠川がいなかったせいもあり、解散後のプランもなかったので第一便のバスに乗り、帰宅。実に9時に就寝、6時まで熟睡、結構な一日であった。

 

昨日はお風さまでした(編集注:原文のまま、意味不明。筆者酩酊か?)。お疲れが残っていらっしゃいませんか?皆様のご協力で素晴らしいワンデルングを楽しませて頂きました。またご一緒できる機会を楽しみにしております。    47 伊川

昨日は、快晴に恵まれ楽しい一日を過ごすことができ有難うございました。荒川先輩、岩田先輩の健脚ぶりに自分も2.3年後は同様に歩けるか、心を引き締めてトレーニングやらなければいけないと痛感いたしました。関谷殿、早速写たくさんの写真を有難うございました。 36 深谷

リーダーメールのタイトルのように春のような秋ワンでした。屈強な介護メンバーに守られながら丹沢の一角を歩くという贅沢な一日でした。有難うございました。   36 遠藤

前日の大雨がスッカリ好天に変わり 素晴らしい山行でした。 私も一抹の不安を抱えての参加でしたがやや復活の自信を得た山行で感謝してます。またお元気な大先輩からも まだまだ頑張らねばとパワーを頂きました。
伊川さん 小野田さん 関谷さん 他 幹事の皆様には準備会  何度もの調査行  本当に有難う御座いました。またご一緒させて頂くのをたのしみにしています。
関谷さん 何時もながら 早速の写真 有難う御座いました。 41 下井

秋晴れの中、楽しいハイキングになりました。 なんとか歩けてよかったです。
冠雪した富士山 間近で見れました。
関谷様 富士山はじめ、たくさんの写真ありがとうございます。皆様 ありがとうございました。     42 菅谷

大変お世話になりました。ガイドブックでは初心者向きとありましたが思っていたより楽な山ではありませんでした。

今年の夏の行事の案内では最近高齢化が問題とのことで迷惑をかけないように努力したつもりです。 年々同期の参加者が減りさびしい限りです。来年どうするか今回欠席の友達とも相談の上決めようと思っています。 33 荒川

 

 

高尾山現状調査報告

今日に予定されていた ”月いち高尾” 月例の生藤山行は現地の情報が芳しくなく、またまた中止になった。こうなると意地になるのか、因縁があるとあきらめるか、堀川君の判断も見もの?だが、なんということか、当日はこの秋初めての快晴、無風。鮫島から小下沢崩壊の情報もあったし、高尾山現状調査をしようと思い立った。体操教室とやらへでかけたオヤエの後を追って、10時、自宅発。帰着15時、歩行歩数 11,406歩、7.2キロ、とアイフォーンは記録している。

以下、報告。

ケーブル清滝駅まえにまずこの立て看板がある。ただよく見ると10月23日に何だかよくわからないが終了予定、とある。これが何を指すのか、不明だが、なにしろ山頂付近に住人(薬王院の僧侶たちもふくめて)の生活物資を運ぶ道だから優先順位は高かろう。駅前の案内所の話では,簡単に言えば沢沿いの道、つまり6号(琵琶滝)、蛇滝道、日影沢、イロハの森、は通れない。上へ登るのは稲荷尾根を行くかケーブルしかない (この日リフトも休業)。

また里のほうも大変なところが多く、高尾ー小仏間のバスもまだ生活者優先の運行で、不定期ということ。尾根筋は大丈夫なので小仏へ出るのは問題ないが、そこから下る道がなく、戻るしかないですよ、ということであった。下り道をどうするか、稲荷尾根ならよさそうだが、先回の月いちでの 吉牟田の悲劇? など思い出し、どうするか、ままよ、歩きながら考えようととりあえずケーブルに乗った。改札で往復にするかどうか聞かれて、つい往復を買ってしまったのはすでに結論が出ていたということかもしれないが。

テレビの番組では薬王院前の寄付者の立て看板 (北島三郎 十万本、というのから始まるやつ)がたおれていたが、今日は完全に修復されていて、薬王院から山頂までは全く問題なし。この間、いつもは当然のように女坂をあがるのだが、気が向いて男坂を上ってみて、階段が108段あるのを発見した。例の百八つ、ということにからんでいるのだろうか。いずれにせよ、山頂ルートまで、階段の連続だったのを忘れていてひどい目にあった。

山頂広場もテレビの画面では中へ入れない状態、となっていて、陣馬側にがけ崩れでもあるかのようなアナウンスがあったが、問題なし。いつも通りのにぎやかさだった。残念だが着いた時には富士山はすでに雲に隠れいていた。通りがかりのおばさん連の話では、9時半にはすごくきれいに見えた、ということだが。

ここから細田小屋の六差路のコルへ降り、稲荷尾根のことはすっかりわすれてそのまま4号路を目指したが、このルートはかなりひどくやられたようだ。特につり橋の前後、やはり沢沿いが荒れていた。

路沿いにあちこちに注意を促す標識があり、主に倒木についての記載が多かった。何年か前、やはり台風の直後に主稜線を歩いたとき、倒木に閉口したことがあったが、あの時は水害というよりも風害だったようだ。今回の倒木は沢筋だから風というよりもあふれた水による被害なのだろう。蛇滝ルートは2回あるいたことがあるが、旧甲州街道のバス停からほぼまっすぐ?によじ登るという感じの沢筋だったから、被害の程度もひどいのではないかと想像する。1号路は登り口は閉鎖されていて(写真前掲)ケーブルカーの終点では、降りても左(山頂方面)へ行くこと、右(1号路方面)には行けませんとアナウンスしていたところをみると路面の破壊具合が相当なものではないかと思われる。

帰りのケーブルカーにはたまたま工事関係者と思われる人が乗り合わせていて、心配そうに窓から観察をしていた。運行そのものは継続できたのだからそれほどの問題はなかったのかもしれないが、窓から法面の不安定な具合も散見された。

今までごまかし続けてきてまともに歩いたことの少ない階段道を男坂から始まって忠実に上り詰めたので結構応えたアルバイトだった。ケーブルを降りて高尾山口駅直結のイタ飯や(ふもとや)でペペロンチーノとシャルドネとしゃれこんだが、窓から見える本来なら清流であるはずの流れが水量がえらく多く、ミルクコーヒーのように濁っているのが今回の災難をあらわしているようだった。

こんな日もありけり

傘寿目前というのにホリこと堀川義夫と彼の相棒たちの活躍ぶりは何回も本稿で紹介してきた。ぼくのたったひとつの自慢はそのホリにテントの張り方を教えたことだ、と事あるごとに宣伝してきたが、どうも信用されていないようだ。

取り出だしましたる古びた写真。偶然にでてきた。新人キャンプ、志賀高原から草津へたしか2泊で越えたときの一葉。コーチ陣は小生の右が杉本光祥、後列右ふたりが丸山進、斎藤嘉彦(37年)。そして一番前、中央にいるのがご本尊である。杉本の左にいるのがアシストしてくれた同期の山口擁夫。新人の生き残りは結局ホリだけだった。新人キャンプが悪かったからか、どうか、は不明。

以下の論議は次回、天狗にて。

百名山全踏破を目指しています!   (51 斎藤邦彦)

昨年の定年退職で始まった「黄金の10年」も2年目に入り今年は(今後の予定を含め)17の山に登りました。KWVの日帰りワンデルング関連が6回、私のバケットリストの一つである日本百名山登頂は10座を踏破し累計91座まで進捗しました。

(1)2/24景信山:春ワン調査行 (2)3/10石老山:春ワン調査行 (3)3/23三毳山:カタクリ見物 (4)4/7シダンゴ山:秋ワン調査行 (5)5/13皇海山 (6)5/24石老山:春ワン本番 (7)6/2空木岳 (8)6/4恵那山 (9)6/25頭高山:秋ワン調査行 (10)7/20幌尻岳 (11)7/22後方羊蹄山 (12)8/9赤石岳 (13)8/20常念岳 (14)9/2羅臼岳 (15)9/4斜里岳 (16)9/5雌阿寒岳 (17)10/26シダンゴ山:秋ワン本番(予定)

特に今年は北海道を中心に日本百名山の登山を進め2回の遠征で5座に登りました。昨年も同様に計画していたのですが、大地震と大停電で延期を余儀なくされたものです。

<7月は幌尻岳と後方羊蹄山>

私にとっては百名山登山の最も難関であると覚悟していたのは幌尻岳です。今回は新冠林道が土砂崩れのため通行できず新冠の小屋が使えないため、とよぬか山荘からのルートを取りました。登山客が集中する中腹の幌尻山荘の予約が取りにくい上に事故が多発している額平川の遡行が難所です。昨年は8月の一か月間に沢を登れたのはわずか10日間だけだったそうです。今年は幸運にも例年に比べて水量が少なく沢靴を履いて15回ほどの渡渉を繰り返して幌尻山荘に到着することが出来、ここから翌日は頂上まで往復することが出来ました。小雨で幌尻岳からの眺望を楽しむことはできませんでしたが、北海道特有の花が咲くお花畑の美しさを堪能することができました。写真は同行してくれた同期の五十嵐隆君です。

後方羊蹄山は真狩登山口から登りました。頂上の御鉢巡りの岩場が想像以上に厳しく時間を要しました。羊蹄山の周辺の地域は以前から別荘分譲地として人気がありますが、最近は中国人が数10㎞四方にわたって土地を買い占めているという噂もあり

ます。今後、国際化がどのように進んでいくのかが心配です。

 

<9月は道東の三座:羅臼岳、斜里岳、雌阿寒岳>

一週間の旅行の前半は家族で網走と知床を観光、LS北見の本拠地で生まれて初めてカーリングに挑戦してみました。後半は一人だけ残って快晴の天候のもと山を歩きました。羅臼岳から見る北方四島の一つである国後島は約20kmの距離で間近に見え、どう見ても日本固有の島にしか思えません。早い問題解決が望まれます。

羅臼平からの羅臼岳

斜里岳へは水量豊富な美しい7つの滝が連続する一の沢を遡行し、旧道を下山しました。雌阿寒岳には雌阿寒温泉から噴煙の上がる豪快な火口の縁を経て登り、頂上から阿寒湖やオンネトー湖を見下ろし遠くの大雪山系の山々の展望を楽しみました。

北海道の山歩きはLCC(バニラエア)の飛行機とユースホステルを活用して安い費用で旅行ができるので助かります。中部山岳に行くより交通費、宿泊費とも割安で、私のような年金生活者の大いなる味方です。特にユースホステルは若者や外国人との交流もあり楽しい時間を過ごせます。これらの格安な手段を活用して来年は北海道の屋根と言われる大雪山系に挑みたいと考えています。

 

横浜三渓園散策  (34 小泉幾多郎)

暑い盛りの頃、横浜美術館で稀代の実業家でありながら、芸術にかかわる四つの
側面、コレクター・茶人・アーティスト・パトロンの顔を持ち、横浜の広大な土地に三渓園を造園した原 三渓の生誕150年、没後80年記念の美術展を鑑賞したことで、久し振りに三渓園を訪問したくなり出掛けてみた。

お彼岸の三連休の真ん中の日にも拘らず、花でも紅葉でもない時期からか、それ程の人出もなく、ボランティアらしきガイドさんも手持ち無沙汰の様子だった。相変わらずの池や庭園茶室等の自然美が楽しめたが、

大銀杏の倒木

驚いたことに、内苑の茶室春草蘆の傍に生える銀杏の大木の上部が、先日の台風15号で折れ落ち、半分近い高さになっていたこと。倒木の残骸は、きれいにかたずけられていたが、この近辺は、銀杏の黄色で埋まり、特に落葉で黄色く染まることが見ものとなるのだが今年の秋はどうだろう。

まだ生きてはいる様子だが、銀杏の葉は半分以下になるのかも知れない。他にも、上に登る三重塔への道は、倒木が整理されず、登ることが禁止されていた。台風15号は、千葉県では、倒木等が原因での停電等の被害のニュースに同情したが、三渓園での倒木のことは、来て初めて知ったのだった。横浜付近では、他にも被害が出ているかも知れない。

大池と三重の塔

ピークを踏まない北アルプス紀行 その2 (39 堀川義夫)

この1枚を撮りたくて行ったようなもの。大満足。携帯の写真とは思えない

三日目 9月6日(金) 快晴

夜中にトタンにあたる雨音で2回ほど目を覚ましたが、夜明け前は星空が綺麗だったし何よりも期待通りに仙人池に映る朝焼けの劒を見ることができました。今回の山旅の最大の目標が達成されて、大満足!!

今日は阿曽原温泉小屋までコースタイム6時間の道のりで、一か所だけ仙人温泉

仙人小屋の源泉小屋から40分ほどの登りがあるだけの認識でひたすら下る。下る。3人ともゴロゴロ石のある沢沿いの道は苦手で、バランスの悪さ、脚力の低下に悩まされながら頑張るも暑い! 標高が下がるにつれ暑さがこたえます。ほぼコースタイムの2割増しの時間をかけて、標高880mの仙人谷ダムに到着しましたが、下りの3時間は結構消耗してダムサイトで大休止。

元気を取り戻し、阿曽原温泉に向かうのですが、すっかり忘れていましたが、ここから150mの登りです。しかも急登。想定外の急登で、汗でぐっしょり、頭もくらくらするほどで何とか登り切りましたが、きつかった。ここから大体標高1000mで有名な黒部渓谷の水平道が始まりました。阿曽原温泉小屋の上部に着き、小屋へは約150m下り、2時少し前に無事到着。疲れた! ここでもチェックインをしながらロング缶を一気飲み。旨い!!

高熱隧道の入り口

阿曽原温泉は吉村昭の小説「高熱隧道」で有名です。風呂は、昔のイメージで小屋のすぐ下にあると思っていましたが風呂まで5分ほど下ります。正にトンネルの前にある湯船に浸かり、3人で貸切の状態で温泉を満喫! 後から来た人に記念写真を撮ってもらいました。良い湯でした(小屋に戻る15分の登りがなければもっと良いのに・・・)。8年前(70歳の時)は、この小屋をスキップアウトして、仙人池ヒュッテから欅平まで一気に下り名剣温泉に泊まったのですが、もうそんな無茶は金輪際できません。夕食を食べながら小屋のご主人の立山談義を聞きコーヒーテイストの焼酎をふるまわれ、ゆっくり休みました。

第四日目 9月7日(土) 快晴

他の小屋と違い、朝食は1時間遅く6時からで、6時40分ごろ欅平に向かって出発しました。いきなり150m程の急登です。元気なつもりでも疲労が蓄積しているのでしょう。水平道に戻るためのこの急登は結構きつくやっとの思いで水平道に戻りました。ここからは高低差は余りありませんが、まかり間違えば千尋の谷へ真っ逆さまであの世行きです。ストックを着くとき空を切り、そのまま谷へ落ちるケースが多いとか? 又、結構、整備が行き届いてなく足場の老廃、安全確保のための針金、ロープ等の不整備が目立ちます。天井の岩に頭をぶつけたり、気の休まることがない道で疲れました。

水平道を行く。右側は千尋の谷

それでも、コースタイム約5時間半を、最後は新しい靴のせいか、足の豆に頭が痛くなるような痛みに耐えながら欅平に到着しました。

やったぜ!!

最後は、おまけでトロッコ電車の途中駅にある黒薙温泉に行き、ゆったりと温泉に浸かり、山のいで湯と山菜中心の夕食に舌鼓を打って、ゆっくり休むことが出来ました。

 

第五日目 9月8日(日) 快晴

朝一(10時36分)の宇奈月行きのトロッコ電車で帰宅の途に、 午後5時に無事に帰宅しました。

後の話と写真はいずれ天狗飯店で。みんなで行こう錦秋の高尾山! 連絡は小生まで。