高尾山現状調査報告

今日に予定されていた ”月いち高尾” 月例の生藤山行は現地の情報が芳しくなく、またまた中止になった。こうなると意地になるのか、因縁があるとあきらめるか、堀川君の判断も見もの?だが、なんということか、当日はこの秋初めての快晴、無風。鮫島から小下沢崩壊の情報もあったし、高尾山現状調査をしようと思い立った。体操教室とやらへでかけたオヤエの後を追って、10時、自宅発。帰着15時、歩行歩数 11,406歩、7.2キロ、とアイフォーンは記録している。

以下、報告。

ケーブル清滝駅まえにまずこの立て看板がある。ただよく見ると10月23日に何だかよくわからないが終了予定、とある。これが何を指すのか、不明だが、なにしろ山頂付近に住人(薬王院の僧侶たちもふくめて)の生活物資を運ぶ道だから優先順位は高かろう。駅前の案内所の話では,簡単に言えば沢沿いの道、つまり6号(琵琶滝)、蛇滝道、日影沢、イロハの森、は通れない。上へ登るのは稲荷尾根を行くかケーブルしかない (この日リフトも休業)。

また里のほうも大変なところが多く、高尾ー小仏間のバスもまだ生活者優先の運行で、不定期ということ。尾根筋は大丈夫なので小仏へ出るのは問題ないが、そこから下る道がなく、戻るしかないですよ、ということであった。下り道をどうするか、稲荷尾根ならよさそうだが、先回の月いちでの 吉牟田の悲劇? など思い出し、どうするか、ままよ、歩きながら考えようととりあえずケーブルに乗った。改札で往復にするかどうか聞かれて、つい往復を買ってしまったのはすでに結論が出ていたということかもしれないが。

テレビの番組では薬王院前の寄付者の立て看板 (北島三郎 十万本、というのから始まるやつ)がたおれていたが、今日は完全に修復されていて、薬王院から山頂までは全く問題なし。この間、いつもは当然のように女坂をあがるのだが、気が向いて男坂を上ってみて、階段が108段あるのを発見した。例の百八つ、ということにからんでいるのだろうか。いずれにせよ、山頂ルートまで、階段の連続だったのを忘れていてひどい目にあった。

山頂広場もテレビの画面では中へ入れない状態、となっていて、陣馬側にがけ崩れでもあるかのようなアナウンスがあったが、問題なし。いつも通りのにぎやかさだった。残念だが着いた時には富士山はすでに雲に隠れいていた。通りがかりのおばさん連の話では、9時半にはすごくきれいに見えた、ということだが。

ここから細田小屋の六差路のコルへ降り、稲荷尾根のことはすっかりわすれてそのまま4号路を目指したが、このルートはかなりひどくやられたようだ。特につり橋の前後、やはり沢沿いが荒れていた。

路沿いにあちこちに注意を促す標識があり、主に倒木についての記載が多かった。何年か前、やはり台風の直後に主稜線を歩いたとき、倒木に閉口したことがあったが、あの時は水害というよりも風害だったようだ。今回の倒木は沢筋だから風というよりもあふれた水による被害なのだろう。蛇滝ルートは2回あるいたことがあるが、旧甲州街道のバス停からほぼまっすぐ?によじ登るという感じの沢筋だったから、被害の程度もひどいのではないかと想像する。1号路は登り口は閉鎖されていて(写真前掲)ケーブルカーの終点では、降りても左(山頂方面)へ行くこと、右(1号路方面)には行けませんとアナウンスしていたところをみると路面の破壊具合が相当なものではないかと思われる。

帰りのケーブルカーにはたまたま工事関係者と思われる人が乗り合わせていて、心配そうに窓から観察をしていた。運行そのものは継続できたのだからそれほどの問題はなかったのかもしれないが、窓から法面の不安定な具合も散見された。

今までごまかし続けてきてまともに歩いたことの少ない階段道を男坂から始まって忠実に上り詰めたので結構応えたアルバイトだった。ケーブルを降りて高尾山口駅直結のイタ飯や(ふもとや)でペペロンチーノとシャルドネとしゃれこんだが、窓から見える本来なら清流であるはずの流れが水量がえらく多く、ミルクコーヒーのように濁っているのが今回の災難をあらわしているようだった。