原田マハの「たゆたえども沈まず(と、パリの紋章に表示されている)」(幻冬舎、2017年)を読む。
以前、原田の「風神雷神」を読んだが、その題名と言い、画家、俵屋宗達が天正遣欧少年使節と共に欧州へと旅立ち、そこで、カラヴァッジョと出会うなどなど、確かに全くの創作ではあるが、気宇壮大なその内容と言い、男性作家だとばかり思い込んでいた。ところが、その後、ネットを見たら女性作家であることが判明。これは、正に男勝りの力技だ。
「たゆたえども・・・」は、フィンセント・ファン・ゴッホ、テオ・ファン・ゴッホ(画商)兄弟の話しだが、ここでも、男勝りの力技は遺憾なく発揮されている。それは、ゴッホ兄弟だけの話しでは、物語りが単調となり、月並みとなる虞があることからだと推測した。
パリ在住の日本人の美術商、林忠正の部下に、架空の人物、加納重吉を配し、彼に狂言回しをさせて、ゴッホ兄弟と林を結ぶ(実際には、その痕跡すら見当たらないのだが)。その林が、例えば、ゴッホにアルル行きを薦め、P.ゴーギャン(ゴーギャンと言えば、A.クインが必ず出て来るのは、映画で正に適役だったせいなのか)にそこでのゴッホとの共同生活と製作を持ちかけるなどなど、林に重要な役回りを演じさせている。
確かに、小説だから嘘っぱちではあるけれど、林を絡ませたことで、話に厚みが出来、大変、面白かった。ゴッホ兄弟が、悲劇的な死を遂げる最後は、事前に分かっていたこととは言え、同時に、大変、悲しい物語でもあった。今頃、ゴッホが生きていたならば、途轍もない超大金持ちになっていたのは間違いない(例えば、「ひまわり」(15本のひまわり)は54億円。大昭和製紙の斎藤了英が買ったことで有名になった)。
これを読んで、更に興味を持ったのは林忠正だ(1853年~1906年)。パリに一人で乗り込み、西洋人に日本の美術品を売り捌いた(レジオン・ドヌール3等章を授与された)。後に、西洋に買われた浮世絵(当時、日本では茶碗の包み紙だった)などの価値にやっと気が付いた日本人から、浮世絵を流出させた国賊と罵られた。500点ほどの印象派の収集品があり、日本に帰国後、西洋近代美術館の設立を目論んでいたが、鬼籍に入ったため、それらの殆どは売却されてしまった。この林忠正と言い、その後の薩摩治郎八と言い、パリには、それこそ途轍もなく桁外れな日本人がいたわけだ。なお、林が義曾祖父となる木々康子が評伝、「林忠正」(ミネルヴァ書房、2009年)を出版している。
それにしても、ゴッホの絵は、空前絶後そのもの。勿論、似たような画家は、その前には誰もいなかったし、その後も、誰も出ていない。でも、否応なしに、人を惹きつける魅力に溢れている。最後に、お国自慢を一言。この本の表紙は、勿論、ゴッホが描いた絵、「星月夜」だが、裏表紙の浮世絵がこれに負けず劣らず誠に見事だ。歌川広重の「大はしあたけの夕立」。斜めに降る雨の凄まじさ。これをゴッホが模写している。
(船津)原田マハの美術巡りは読んでいますが、この奇想天外な物語は読んでみたくなりました。彼女はキュレターとして活躍して居るので絵の分野は得意ですね。
経歴を観ると山陽女子高等学校、関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術専修卒業。馬里邑美術館、伊藤忠商事、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館に勤務後、2002年にフリーのキュレーターとして独立。ペンネームはフランシスコ・ゴヤの「着衣のマハ」「裸のマハ」に由来する。兄は、同じく小説家の原田宗典で、兄から読書傾向の影響を受けたようです。
(金藤)「たゆたえども沈まず」何年か前に読みました。
原田マハさんの小説では「楽園のカンバス」2014年 「ジベルニーの食卓」
2015年 と画家の出てくるアート小説がフィクションだと分かっていても楽
しく読みましたが、「暗幕のゲルニカ」
を読んでいなかったのを思い出しました。
他にも「カフーをまちわびて」「キネマの天使」「旅屋おかえり」など6-7冊位読みましたが本の題名がすぐ出てきません。
小説「たゆたえども沈まず」は原田マハさんが、そもそも林忠正の事を書きたいと思い、書き始めたと何かに書いていましたが、小説の入り口が林忠正で出口がゴッホになったそうですね。
パリ万博を契機に、日本美術をフランスの画家たちに紹介するきっかけを作ったという、林忠正についても林忠正の生家 長崎家から数えて三代目のご子孫へのインタビューを元に書かれていました。このご子孫が菅原さんが書かれている 木々康子 さんの事でしょうか? 林忠正は自らのコレクション、印象派やモダンアートの作品を日本に持ち帰り、日本に美術館を作ろうと考えていたようですが、戻った日本では『日本の大切な美術品を海外に流出させた酷い奴だと国賊呼ばわりされ、コレクションは売却されて散逸してしまったそうです! 日本の浮世絵を海外に流出させた超本人とも言われたようですが・・・ さて?
小説「たゆたえども沈まず」に“星月夜“の新しい解釈を加えたくだり、
これらの事につきましては、船津さんが本の題名をあげていらっしゃいましたが、幻冬社新書「ゴッホの足あと」に書かれています。読後、林忠正1853〜1906年についてもっと知りたいと思ったのですが、そのままになっていました。
「ゴッホの足あと」この本はタイトル通り、マハさんがゴッホの足あとを辿る旅でしたが、マハさんが執筆した小説の中のフィクションの部分にも触れていて、執筆したご本人が説明しているので大変興味深く読めました。 また ゴッホが絵を描く時に毛糸を並べて色選びをしたり、白樺派の人たちが オーギュスト・ロダン (1840年〜1917年)の追っかけのようだったという記述も面白く読みました。
ゴッホについて世間では、“狂気と情熱の画家“というフレーズがついてまわり、耳切事件が印象づけられていますが、切ったのは耳たぶの先端だった事、
ゴーギャンとは特別親しかったので共同生活を始めたのかと思っていましたが、この共同生活を始めたいきさつと、共同生活はわずか2ヶ月で破綻していたという事も書かれています。
最後にゴッホが過ごしたサン=レミ修道院で描かれた“アイリス“ には、明るい光を感じた 後ろ向きの気持ちでは描けない絵を描けることにどこまでも光と希望を見出していた だからこそ 修道院の入口で『ようこそ』と迎えてくれたアイリスの花々を美しく描けたのではないでしょうか というマハさんの文章に、読者の胸にもぽっと小さな灯りがともったような気がしました。
ゴッホに関しても色々な説があるらしいのですが、この「ゴッホの足あと」は 私は読んでよかったです。小説を読んでからの方が宜しいと思います。