昨日原村から戻りました。帰路の小淵沢CCの上にある大平から小
乱読報告ファイル (34) ベルリンは晴れているか
なにも パリは燃えているか の向こうを張ったわけではない。直木賞候補にあげられたり、ミステリでいえば大藪春彦賞を争ったりしている新進女性作家、深緑野分(ふかみどり のわき)の作品である。
大藪賞に擬せられたことからわかるようにハードボイルド風の推理小説なのだが、非常に変わった仕立てといえる。この作品に日本人はひとりも登場しない。作者本人はドイツに住んでいた経験はないようなので、すべて取材と文献から再生された、終戦直後のベルリンの実態の描写は実に綿密と感心する。巻末にある参考文献の数は半端ではない。
主人公アウグステは連合軍の空襲で徹底的に破壊されたベルリンで、占領軍である米軍の食堂で働くウエイトレスである。彼女は突然、米軍憲兵によって連行されるが、連れていかれた先はソ連(当時)の支配下にある警察署で、ある遺体の確認を求められる。その人物は知人で、彼女にとっては恩人というべき男であり、その死因が歯磨き粉に混ぜられた青酸によるものだ、と告げられる。話は混みいった人間関係の中からこの殺人の解決までの話がアウグステの一人称で語られる。ストーリーはミステリだから内容をここで明かすわけにはいかないが、この作品の凄さはミステリとしての構成は当然として、その背景として描かれる終戦直後のベルリン市民の生活、それとナチドイツの残した悪夢であるユダヤ人迫害の描写であろう。その陰惨さをみせつけられると、現在世界の注目をあびているウイグル人の人権侵害だのアメリカ南部での黒人排斥などは大したことではないのではないか、と無責任承知の上だが思えてくるくらいだ。作品の語り口はなめらかで読みやすく、副主人公となるカフカという青年の屈折した心情にも感じるところがある。
当時のベルリン市民のありようを著者が自分で知る訳はないので、当然文献やいろいろと取材した結果だろうが、戦後の東京を思い出させる光景がストレートに描写される。ベルリンを知らない編集子には分からないが、現地を訪れた人には懐かしく感じるだろう地名が次々と現れる。ミステリである以上の内容が感じられた一冊だった。同地にゆかりのある方には一読の価値があろうか。
話の筋とは関係ないが、作者の珍しい名前が本名なのかペンネームなのか、もまたミステリのようだ。例によってグーグルなどで調べてみても、本人自身、話をはぐらかせていて事実がどうなのかはわからない。ただ深緑、という珍しい姓を持つ人は最新のデータでは全国に20人おられ、ご承知日本で一番多い佐藤さんから数えて68571番めとのことだ(ついでに小生の苗字は3183位で4100人。金藤姓は2000人で5083番め、保屋野姓は13,303位、450人だそうだ。小川だ飯田だ小田だ安田だなぞという一杯いくらの苗字ではないのだ)。
(菅原)首件のブログ拝読。
深緑野分ってのは全く知らない。それで思い出したのが、1980年(昭和55年)、下期の直木賞となった、中村正軌(マサノリ。正確には、車の右は九ではなく几)の「元首の謀叛」。何故かって言うと、ドイツが東西に分かれていた頃の話しで、日本人は一人も出て来ない。もう内容は忘れてしまった。東はホーネッカー、西はシュミットだったかな。
(安田) ブログ面白く拝読いたしました。早速、買い求めて読みたいと思い
ベルリンの壁が建設されて8年後、1969年に東ベルリンを訪れ
それから20余年経ち壁が撤去された‘90年代に新生ベルリンを
写真中、空き地になっている場所は無数のクレーンが林立して近代
秋色をたずねて
(安田)秋晴れの今日(10日)、JR武蔵五日市駅から秋川渓谷のシンボル石舟釣り橋までをのんびり散策。ランチを含め5時間ほど。途中、大銀杏の広徳寺、佳月橋(岩瀬峡)などから見る秋川渓谷の幾多の紅葉スポットを満喫。命の洗濯をした爽快な散策でした。散策した10余kmのコースを貼付地図上に赤線で示します。
(船津)ジィヤはとても遠出と渓谷歩きなどもう出来ませんので晴天の秋空
(保屋野)秋川渓谷は車では何回も通りましたが、ウオーキングコースを歩いたことはありません。五日市から十里木までの10kmですか、中々魅力的コースですね。今度同期のガニマタ低山会で歩こうかな。
日帰り温泉(瀬音の湯)もあるし。シモさん、この温泉は三頭山ハイクで寄ったところですよね。高尾山も良いけど、たまには渓谷ハイクも良いですね。貴重な情報ありがとうございました。
(編集子)1年の秋だったと思うが、入部して知り合った仲間10人ほどで、正確な場所は覚えていないが秋川河畔でテントを張ったことがある。まだ知り合って間もない仲間で、お互いがわかりあっていくきっかけだった。例によってカレーだかシチューだったかを作った時、オベイ(飯田昌保)がなんと 塩 と書いた袋に 砂糖 を入れてきて、それと知らずに鍋にぶち込んで大騒ぎをしたことがあった。やつが旅立ってしまって 秋川 という地名がほろ苦さとともに響く。
乱読報告ファイル (33) 日本共産党に関する2冊 (普通部OB 菅原勲)
「日本共産党―(革命)を夢見た100年―」、中北浩爾、中公新書、2022年
これには、大変、失望した。イデオロギーに凝り固まった岩波新書ならいざ知らず、中公新書であれば、もっと忌憚なく日本共産党(以下、共産党)の真実を抉り出すことが出来るのではないかとおもいきや、その期待に反し、とんでもなく微温的な表現に終始しているからだ。それは、著者あとがきを読んで、やっと納得した。曰く、前作「自民党―(一強)の実像―」が、自民党から好意をもって迎えられたので、今回の「日本共産党」も共産党から好意をもって迎えられるだろう。これが学者(一橋大教授)のやることか!右顧左眄とはこのことを言うのだろう。また、以下で述べる、立花 隆の「日本共産党の研究」には、何故か一言も触れていない。今までもそうだったが、今後も、こう言うコウモリのような人を、一切、信用する積りはない。
余談だが、共産党の機関紙「赤旗」は、著者の意に反して、この著作の広告を載せることを拒否した。
「日本共産党の研究」、立花隆、講談社文庫、1983年
これは、大変、面白かった。確かに、戦前の共産党を扱ったものだが、立花の構想には戦後も入っていたようだ。だが、残念なことに鬼籍に入って実現しなかった。しかし、ハードカヴァー出版後の共産党の反論、それに対する立花の再反論が文庫では新たに付け加えられており、戦後の「共産党」を理解するには事欠かない。文庫で上中下の3冊、全部で1000頁以上あるから、なかなかに手強い。従って、以下、要点だけを述べる。
スパイ事件(特別高等警察の共産党への侵入)、リンチ事件(共産党による特高スパイ、或いは、特高スパイと思しき人に対するリンチ)などがあって、戦前の共産党は壊滅する。確かに、「蟹工船」の作家であり、共産党員でもあった小林 多喜二の拷問死などがあったのは事実だ。しかし、一方、治安維持法のもと、特高(特別高等警察)が日本の赤色化を護ると言う点で計り知れぬ功績があったのも事実だろう。当時、共産党は、天皇制打倒を旗印としており、それを取り締まる治安維持法が必要だったし、暴力革命も標榜していたから、それを、事前に防ぐためにその共産党員を逮捕、拘束し、牢屋にぶち込む特高も必要だった。戦後、治安維持法は、所謂、進歩的文化人を中心に蛇蝎の如く忌み嫌われ、先の読めないバカなGHQ(連合国軍最高司令部)が廃止命令を出した。その結果、その後、野放しにされた共産党員を中心として、今にも革命が起こるかのように錯覚し、数多の騒擾事件が相次いだのはご承知の通りだ。
現在、共産党は確かに、暴力革命をその綱領から削除している。しかし、その本質は、民主集中制(民主主義集中制)にある。その実態は、立花も指摘しているように、言葉とは裏腹に、換言すれば、独裁制であり、それが、無謬性と混然一体となって活動している。この無謬とは、自分は常に正しく、間違っているのは事実の方だと言う誠に度し難い考え方だ(共産党に支配されている中国)。従って、独裁であり無謬である限り、反対勢力は存在できないわけで、依然として暴力革命の火種は残っていると見做すべきだろう。
ここでも余談だが、立花のこの本の作成要員の中に(つまり、この本は、立花ひとりの力だけで出来上がったものではない)、後刻、皮肉なことに、共産党のスパイが二人紛れこんでいたことが判明している。従って、出版後、共産党は直ちに立花に反論することが出来た。
皆既月食をみました (34 小泉幾多郎)
昨晩は皆既月食と惑星食という珍しいダブル食が全国的に見られた
写真2番目の20時5分に撮った皆
(編集子注 ほんとに小さい白い点です。左下約2センチくらいの位置)
(斎藤)
素晴らしいです!!!
昨夜は、自宅マンション東側に障害物があるため、ずっと東京天文
東京天文台の中継した映像が、https://www.yout
20:05辺りの三鷹の天文台からの映像が上記Youtubeの
時刻が20:06のスクリーンショットを添付しますが、まず間違
(船津)あぁ400年振りで次が300年後だそうでが、これでガリレオと
メディア各社もどういう画像を載せれば良いか色々工夫しています
(下村) はっきりくっきり写っていますね。昨晩私も初めて皆既月食を見ま
月食を見ながらせがれの中学受験時代を思い出しました。入試には
(編集子)昨晩は急逝したおじいこと菅谷君のご葬儀。終了後、西国分寺駅まで来たところで大勢の人が空を見ているので月食のことを思い出した。月が欠ける、という宇宙の現象を親しい友人が去っていくという人の世の無常に引き比べた夜だった。
エーガ愛好会 (176) 友達の家はどこ? (HPOB 金藤泰子)
監督 アッパス・キアロスタミの“ジグザグ道三部作”の第一作。イラン映画とイランの北部の景色を(多分)
学校から帰った少年アハマッドは、隣の席の友だち、
友だちの家は行った事もない隣の村。 山を超え谷を超えて、
ジグザグの道を行ったり来たり
アハマッドは暗くならないうちに友だちの家を探し出して、早くノ
暗くなってやっと友だちの家に着いたと思いましたが・・・翌日、優しいラストシーンが待っています。次の日、教室で。 アハマッドはまだ来ていません。先生が宿題を出しなさいと教室の中を周り始めます。
モハマッドは、宿題のノートがないので、どうしよう(;o;)
先生が周ってきてノートをチェックします よろしい
バンジョウのような音色の楽器(何という楽器でしょう?)
お国は違いますが、
(編集子)やっこの感想文を読むだけで心がふんわりとしてくる気がする。たしかにイラン、という国のことを僕らはほとんど知らないことも改めて感じる。ペルシャ、といえば名前は知っているがどうもおとぎ話に出てくる話くらいしか日常には感じない。政治の世界では中東問題の核心にある国なのに。
酒が不味くなったとは言わないでください (会社時代友人 齋藤博)
◉ アルコール飲料の糖質
醸造酒(ビール、日本酒、紹興酒、マッコリなど)には、
焼酎、泡盛、ウィスキー、ブランデー、バーボン、ラム、
カクテルの副資材には、たくさんの種類がありますね。ジュース(
糖質ゼロ表示の意味は、栄養表示基準(
◉ アルコールの代謝
アルコールそのものは、
一定量以上のアルコールを摂取すれば、
(注)糖新生については、別の機会に説明しますが、
◉ アルコールの体への影響
血液の肝機能検査の中でγ-GTPは、
◉ アルコール飲料の一日摂取量
米国糖尿病学会は、アルコール24g(30ml)/日を、
ビール(5%)なら600ml
ワイン(15%)なら200ml
ウイスキー(43%)なら70ml
焼酎(25%)なら120ml
糖質ゼロ発泡酒(4%)なら750ml
に相当します。
しかしながら、アルコール乱用または依存症の既往歴がある人、
アルコールは肝臓での脂肪の合成を非常に促進するので、
秋も深まるしススキの歌でも聞こうか
(小泉)[久しぶりに、近所の鶴見川畔の土手を歩きましたら、花らしいも
(安田)素晴らしいススキ三態写真、現地で愛でている感がします。
(保屋野)我が「浅川」もススキが多いのですが、毎年「セイタカアワダチソウ」とのバトルで増えたり減ったり・・・ススキがんばれ。仙石原のススキはもちろん素晴らしいのですが、昨年秋、愛鷹山に行く途中、自衛隊演習所のススキは「半端なかった」。また、昔行った、奈良の「曾爾(そに)高原」のススキも忘れられません。
(船津)懐かしの仙石原ススキヶ原と土手のススキ有難う御座いました。
会社の寮が仙石原に在り撮影会などによく要り最近ではこの近くの
入社したての頃の若きボンクラが仙石原で撮影した写真(当時は富
(金藤)仙石原のススキを見に行きたくなりました。
エーガ愛好会 (175) マカロニウエスタン礼賛 (34 小泉幾多郎)
「荒野の一ドル銀貨UnDollaroBucato 1965」は「荒野の用心棒1965」に続き、1966年7月日本で公開された2番目のマカロニウエスタン。
この二本に
マカロニウエスタンを一言で言えば、ハリウッド製西部劇のヒーローである開
あらすじは、イエローストーンという町で、街の顔役マッコリ―(
「続荒野の一ドル銀貨 Il Ritorno di Ringo 1965」は音楽が、あのエンニオ・モ
リコーネ。タイトルバックと共に主題歌がマウリッツオ・グラーフに
この”マカロニウエスタン”の誕生はアメリカ人の
(編集子)米国に駐在していた間、仲良くしていた男が週末に家族を連れて出かけた先で見つけてきたからと言って、古い1ドル銀貨をくれた。ずっしりと重くてとてもうれしいプレゼントだったので、帰国後、それを古いタイピンに張り付けてネクタイピンにして愛用していたのだが、いつの間にか、まぎれて見えなくなってしまった。くれたのはもと警官をやっていたという、善きアメリカ人の典型みたいないい男だった。彼の記憶がこの小泉さんの投稿からふいに蘇った。
Jay Savy, rest in peace….
(なお、うっすらとした記憶だが、会社の仲間たちは マカロニ ではなく スパゲティウエスタン、と呼んでいたような気がする。そういえば安い食堂ではスパゲティはよく見たが、マカロニにはあまりお目にかからなった。日本とかの地ではイタリアについての感覚が違うのかな。)
俺達、84歳
ある食品メーカーから送られてきたパンフレットに加山雄三と堀江謙一の対談が乗っていた。タイトルは 夢をいつまでも というのだが、この二人はヨットを通じて40年来の交友があるそうだ。その一部を拝借して紹介する。
―お二人のように夢を持ち、生き生きと過ごすには何が必要でしょうか。堀江さんは日ごろからトレーニングなどをなさっているのでしょうか?
(堀江)特に何もしていません。ただ空想しているだけですね。世界地図を広げてこういう航海をしたい、それにはこういうヨットを造りたい、と頭に思い描いて毎日ワクワクし ています。
―日々ワクワクして元気に食べて。お二人がこれからの人生をどのようにお考えなのか、とても興味があります。
(堀江)これからの人生もこれまでの延長戦でしょうね。私がヨットを始めたのは高校1年の時で、ヨット部に入ったのがきっかけなんです。だから部活の延長で今まで来てるわけですね。
(加山)すごいよな、やる気を持ち、行動に移せることが。
(堀江)皆さんから その航海をよく決心したな といわれるんですけど、決心なんかしてないんですよ.確かに生死に関わることではあるけれど、航海をしたいという気持ちのほうがずっと強くてね。誰が何と言おうと自分はそうしたいという思いが内側から出てくる。だからこれまで通り、大器晩成を目指して頑張りたいと思います。
(加山)参ったね。子供のころは大型船の船長になりたいという夢があって、14歳の時に初めて船を設計して、今はどんな風にも負けない不沈船の設計に夢中です。バカバカしいと思われることでも、やりたいことを真剣にやる。そこに生きている実感があります。
加山雄三(高校の先輩なのだから、池端さんと言わなければならないのかもしれない)1937年、堀江謙一1938年生まれ、小生と同じ84歳。同感するなあ。