慶応普通部昭和29年卒仲間の会合 日平会 例会を9月18日、銀座三田倶楽部で開催。今回は猛暑の関係だろうか皆足が重く、9人という少人数だったがいつもの通り懐旧談の花が咲いた。新規参加を希望のむきは 岡野または船津までご連絡ありたい。
写真後列左から船津、亀田、水木、日高 前列 河野、蓮井、田中(ゴンべ)、中司、岡野。
三田倶楽部は帝国ホテルから転居。銀座六丁目,ヤマハビルの裏、吾妻通側に入り口がある。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
9月17日ドジャースの大谷がフィリーズ戦に先発し5回をノーヒット、ノーランに抑え、打者としても50号ホームランを放ちながら、6回から登板の投手が打たれ逆転負け。試合終了後の14:15から、エーガ「15時17分、パリ行き2018」が放映された。西部劇「決断の3時10分1957」をリメイクした「3時10分決断の時2007」と題名が似ていること、監督がクリント・イーストウッドであることを知り、続いて見てしまいました。
「15時17分、パリ行き2018 The15:17 to Paris 2018 」の感想 2015年アムステルダム発パリ行きの特急列車内で起きた無差別テロ事件の真実を実際に事件の当事者3人の若者を主演に据えるという驚きの手法で映画化したとのこと。この事件に至るまでの、この3人の生い立ちが描かれ、青年時代から、一度子供時代の学校での腕白時代に戻り、校長室に何度も呼ばれたり、親に迷惑をかけたり、学校に馴染めない状況や軍隊に入っても脱落の繰り返しが描写されるが、過去の話は蛇足に見えて仕方がなかった。最後に若者3人がアメリカから欧州旅行へ出かけることになるのだが最後運命的に凄いことを成し遂げたが、其処に至るまでの物語は、何処にでもある青春ムービーで、自撮りをしたり飲んで踊り明かすだけの描写で、最後だけの格闘では、イーストウッド監督の西部劇に見られるスリルやアクションやサスペンスを期待した老人には期待外れのエーガでした。
進行中の世界陸上での日本人選手についての観察である。
9月16日の男子110mH
大会前の今季自己最高記録は、優勝したティンチ(米国)が今季世界最高記録の12秒87、村竹が今季世界2位の12秒92で、その差は0秒05に過ぎなかった。従って、本人自身も日本のマスゴミも、やれメダル獲得だ、その果てには金メダルだと大騒ぎ。ところが、肝心の12秒台をティンチが、追い風参考記録を含め4回も記録していたのに対し、村竹はこの僅か1回に過ぎない。この再現力の大きな違いが、決勝でティンチの12秒99に対し、村竹は13秒18で6位、その差0秒19の大差となった。要するに、村竹の実力は未だ12秒台には達していなかったことになる。再現力の違いが如実に表れ、事を分けた。蛇足だが、村竹は試合後のインタビューで大泣きした。小生、これを見て、村竹(父はコンゴ、母は日本の混血)の精神構造は典型的な日本人だと思った。外人は、少なくとも公衆の面前ではこんな恥知らずなことはしないだろう。
閑話休題。
男子走高跳(9月16日)
また、同日、行われた男子走高跳での日本人同士の同様の例を挙げる。大会前の今季自己最高記録は、10位になった瀬古が2m33、8位の赤松は2m26、その差は7センチもあった。しかし、今季、2m25以上跳んだ試合は、瀬古の2試合に対し、赤松は4試合。結果は、赤松が2m24で8位、瀬古が2m20で10位。これも、大会前の今季自己最高記録の差はともかく、肝心の試合での再現力の違いが現われたと見て良い。
最後に、17日が予選、18日が決勝の男子槍投を見てみよう。
今季、87m以上投げた5人の選手の85m以上投げた試合数を見ると、
91m51 J.ヴェバー(ドイツ) 8試合
91m00 L.ダ・シルヴァ(ブラジル)4試合
90m23 N.チョプラ(インド) 5試合
87m76 C.トンプソン(米国) 2試合
87m16 崎山(日本) 1試合
これを見た、小生は、ヴェバーとチョプラの一騎打ちと見る。85mを1試合でしか超えておらず、再現力の乏しい崎山の実力は、やっと8位までの入賞程度だろう。ただし、槍投は一発大投擲が飛び出す可能性もあるので、例外が起きる可能性は充分に有る。
結論を言うと、再現力の高い選手が圧倒的に有利となるのは間違いない。勿論、物事には例外がある。しかし、それは、飽くまでも例外であって、それが常に起こるとは限らない。逆に言えば、極めて稀少なそんな例外に頼って物事を判断するのは途轍もなく危険だと言うことになり、事の判断を見誤ることになる(日本のマスゴミは、日本の選手の再現力の乏しさを指摘すべきであるにもかかわらず、読者に媚びるためなのだろうか、常に、例外に頼る間違いを犯して来た。だから、所詮は、マスゴミか)。
最後の最後。日本の選手に再現力が乏しいことは分かったが、例外となりそうなのが、男子400mの中島(父がナイジェリア、母が日本の混血)だ。予選で、これまでの自己記録44秒84を44秒44(新たな日本記録)に短縮、準決勝で44秒53と再現力が高い。そして、それに加えて彼の持ち味は、最後の直線に入ってからの途轍もない追い上げだ(競馬で言う末脚)。いずれも、これまでの日本の選手が持っていなかった特徴であるだけに、18日の決勝が待たれる。
8月10日、朝の読売新聞がグレン・キャンベルの訃報を伝えた。1937年生まれ、ということだから僕と同い年である。新聞記事では”カントリーソングの大御所”、と書かれていたが、僕にはそういうありきたりの形容詞には収まり切れない、特別の感情がある。
1967年、生まれて初めてアメリカの土を踏み、2週間モーテルでの仮住まいのあと、新聞広告で探し当てたデュープレックス、日本でいう二軒長屋に落ち着き、船便で送った家財道具が何とか届いて、どうやら生活が始まったちょうどそのころ、あの, By the time I get to Phoenix を聞いた。初めて聞いたのがラジオだったのかテレビだったのか、今では記憶がないが、とにかく心にしみるメロディーだった。この曲があっという間に大ヒットし、一躍有名になって、ラジオの定番になっていた大きなシリーズ番組(エド・サリバンショウだったか?)でキャスタが夏休みのあいだ、その代理に彼が抜擢されたことを覚えている。
本日は敬老の日。
敬老の日は、国民の祝日として1966年(昭和41年)に設けら
敬老の日の由来は、兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区
総務省は14日、15日の「敬老の日」に合わせ、65歳以上の高
以前は、還暦を迎えた60歳からお祝いをする風潮がありましたが
「年寄り」とは法律では、老人福祉法が「(老人ホームへの入所な
しかし、高齢化社会が進み平均寿命もグーンとのびた今の時代に、
国際連合は、2050年には世界人口の18%が65歳以上となる
高齢者人口が減少に転じても高齢化率は上昇を止めず、2065年
日本政府の高齢社会対策大綱の方針は 「高齢社会に暮らす全ての世代の人々が安心して幸せに暮らせるよ
バンクシーは彼の作品を建物など公に見える表層に展示しています。
さて最近のロンドンからのバンクシーニュースが我々を驚かせました。
2025年9月6日、息子と中の湯温泉ホテルから焼岳に登り「日本百名山」の全山登頂を達成しました。
この日は台風一過の快晴で私にとっての快挙を祝うように北アルプスが一望できる眺望に恵まれました。今までに見た景色の中で最高のものでした。頂上では息子からサプライズで「日本百名山完登」記念のタオルのプレゼントがあり、妻も新穂高ロープウェイの終点から焼岳を見守ってくれました。
私は岡山平野の中でも干拓地の広大な田園地帯の出身なので登山とは全く縁がない少年時代を過ごしました。大学入学直後にKWVの部室に活動内容を尋ねに行ったところいきなり「そこにある運動着に着替えて走ろう」と言われ、そのまま訳も分からずに「FC」とかいうものに行くことになったのが始まりです。
KWV現役時代には19座に登り、就職後には職場に登山グループを作って5年間で13座を、併せて32座まで登頂しました。その後、私の職場生活は異動に伴う引越しが13回と多く赴任地などで家族と少しずつ山歩きを続けて60歳までにやっと半分の51座まで進めました。
61歳からは会社の執行部門の一線を外れたのでこれからは「黄金の15年」と称して精力的に活動し64歳で65座目の利尻岳に登り「エイジシュート」を達成しました。66歳で90座まで進んだものの2020年からのコロナ禍でしばらく登山は停滞せざるを得ませんでしたが、堀川先輩の百名山完登の偉業に触発されて奮起し、このたび72歳にしてやっと焼岳を最後に「百名山全山踏破」を達成することが出来ました。
「日本百名山」は言うまでもなく第一次登山ブームの1964年に文筆家で登山家の深田久弥が出版した山岳随筆集ですが、その選定基準は『品格・歴史・個性』を兼ね備える原則1500m以上の山と言われています。特に山岳信仰にまつわる地名は数多く残されていて全て登ってみてなるほどと思う山はいくつかあります。
例えば、よく分からないまま最初にFCで登った「鳳凰山」。地蔵岳の頂上にある巨石が大日如来に似ているから名付けられたという説や、8世紀に孝謙天皇が法皇となって登られたことから鳳凰山と名付けられ南御室、御座石(ミクライシ)などの地名が残されているという伝説もあります。随分と後になってから知った説で、ワンゲル1年生のころは登るのに必死でそんな余裕は全くありませんでした。
百名山踏破にあたり山登りの基本や楽しさを教えて下さったKWVの皆様、職場の山仲間や家族の皆に改めて感謝いたします。同行頂いた登山者の内訳は、KWV現役時代19座、OBになってからのKWV同期21座、会社のグループ20座、家族20座、単独行20座です。登山に同行して下さった皆様、誠に有難うございました。
人生の「バケットリスト」としての目標を達成したのでこれからは「月いち高尾」の運営を中心に近郊の山々をゆっくりと楽しみたいと考えています。
(編集子) CONGRATULATIONS !!
OB仲間には完了された人も多いと思うのだが、現時点では 39年の堀川義夫、42年の松本好弘 両兄しかわからない。ご存じの向きは小生あてご一報いただけるとありがたい。小生の記憶では32年の伊沢先輩が完走されたとま思うのだが確かではない。身近なところでは現役時代ご一緒した35年の故酒井征蔵さんもそうではないかと思うのだが、当時まだこのプログラムがなかったので、確認の方法はないのが残念。
(42 保屋野)百名山達成者は私が知る限り下記の方々です。(敬称略)
33年卒 岩田、39年卒 堀川、41年卒 横山(太一)、42年卒 (故)萩原、松本、保屋野、43年卒、(故)山崎、小倉 51年卒 斎藤
*後は、オスタの情報で、46年卒で1人(故人)いるそうです。またお化けさん(25年卒村上さん?)が達成したという噂もあります。
(44 安田)保屋野さんが言及されたS46年卒(故人)
現在の外気温27度、晴れていますが若干湿度が高く感じます。日なたはジリジリと太陽の日差しが強く、日焼け対策必須です。
朝晩はすグッと涼しくなってきました。八ケ岳は秋の気配を感じますね!市内の田んぼも稲が色づき、稲刈りももうすぐ始まります