乱読報告ファイル (74)英国古典推理小説集 (普通部OB 菅原勲)

英国古典推理小説集 「英国古典推理小説集」(編訳者:佐々木 徹。発行:岩波文庫、2024年)を読む。久し振りの探偵小説だ(最近のミステリーと言う言葉に抵抗感があるのは歳を取ったせいなのか)。

その内容は、題名に「小説集」とあるように、以下の短編六つ、長編一つ「ノッティングヒルの謎」、及び、長編の一部とその評価から成り立っている。

先ず、イチャモンから始める。ここでは、題名に古典と銘打っているが(確かに、小生が知っている作家は、ディケンズ、コリンズ、チェスタトンの3人だけだ)、古典とは、その評価が定まったものの事を言うのであって、ここに掲げられた短長編の殆どは、19世紀に発行されたいささかながら稚拙なものが多く、むしろ英国初期推理小説と見做すべきではないのか、「イズリアル・ガウの名誉」、「オッターモールの手」の二つは別にして。何故なら、例えば、「オッターモール氏の手」は、1929年に出版されたが、その9年前の1920年には、A.クリスティーの処女作「スタイルズ荘の怪事件」、F.W.クロフツの処女作「」が発行された年であり、正に英国本格探偵小説の黄金時代を謳歌していた時代と重なっているからだ。つまり、「イズリアル・・・」も同様だが、編者が、大変、気に入った20世紀の作品を何とか無理やりにここに捻じ込んだとしか思えない。

ここで、その一々に感想を述べる余裕はないので、以下、三つの作品に絞ることにする。

チャールズ・ディケンズ:バーナビー・ラッジ(1841年)の一部/エドガー・アラン・ポーの書評(1842年)。ポーが、「バーナビー・ラッジ」雑誌連載の途中まで読んで、その先を推測したのだが、物の見事に外してしまった。が、ポーは逆にディケンズの方が間違っている旨を指摘する書評だったようなのだが、これは正直に言って、ポーが何を言っているのか良く分からなかった。そこで、探偵小説の元祖とも言われるポーの「モルグ街の殺人」(蛇足だが、モルグとは死体安置所のこと)について一言。殺人、探偵、論理的な解決などと正当な探偵小説の筋道は通っているのだが、その犯人像が全く頂けない代物なのだ。何と、人間ではなく、オランウータン。蛇足だが、一寸、驚いたことに、ネットでは、犯人をバラシている。いくら良く仕込まれたオランウータンであっても、背後で操る人間の思う通りに動くものなのか。以後、小生、寡聞にして動物が犯人だと言う探偵小説には一度としてお目に掛かったことはない。つまり、これは現実的ではないと言うことだろう。と言うことで、小生、偉そうな言い方なのだが、この「モルグ街の殺人」を全く評価していない。

それに引き換え、「オッターモール氏の手」は、英国探偵小説の黄金時代の作品だけあって、久し振りにその面白さを満喫した。歯切れの良い文章と、それに伴った、スリルとサスペンス、意外な犯人像(ここでも、ネットでは犯人をバラシているが、これはマナーに反する)。確かに、本格とは言えないが、流石に、目利きでもある作家、E.クイーンは、この作品を短編の世界ベスト10の一つに選んでいる。

最後に、「ノッティングヒルの謎」だが、確かに、各種の資料を駆使するなど工夫を凝らしている。そして、最後の頁で、編者が親切にも、参考のため関係系図とか略年表を掲載してくれている(逆に言えば、それだけ複雑である証拠)。とは言え、それにしても、人間関係が余りにも複雑すぎて、小生の手に余る。もっと簡潔な話しに出来なかったのか。

と言う具合で、かねてから「オッターモール氏の手」と言う題名は知っていたが、実際に読んでみて、その出来具合の良さには感嘆の声を挙げた。バークは、1886年、ロンドン生まれで、1945年、逝去。どうやら短編を専門としており、それも真面なものではなく怪奇小説の類いのようだ。ネットで調べたところ、この他に二三、日本語に訳された作品があるようなので、追々、図書館から借りて来ることにしよう(原書を読む気なら、アマゾンで見つかるだろうが、情けないかな、その気力は、最早、完全に失せてしまった)。

チャールズ・ディケンズ:バーナビー・ラッジ(1841年)の一部/エドガー・アラン・ポーの書評(1842年)。

ウォーターズ:有罪か無罪か(1849年)

ヘンリー・ウッド夫人:七番の謎(1877年)

ウィルキー・コリンズ:誰がゼピディーを殺したか(1880年)

キャサリン・ルイーザ・パーキス:引き裂かれた短剣(1893年)

G.K.チェスタトン:イズリアル・ガウの名誉(1911年)

トマス・バーク:オッターモゥル氏の手(1929年)

チャールズ・フィーリクス:ノッティング・ヒルの謎(1862年)

(編集子)いまさらながら、わが友スガチューの読書にかける熱意と馬力に感服するし、選択眼は小生ごときの及ぶところではないが、少しばかりのつけたしを許してもらいたい。

本稿の中で、犯人が人間でない結末については小生も同意見だ。ただドイルのホームズもので、確か 四つの署名 だったと思うがマングースが出てくるものもあり、ノックス(だったと思うがダインかもしれない)が提唱した、かの推理小説20則ルールにも反している。しかしこのルールは推理小説というジャンルが確定してからの話なので、たとえばクリスティの代表作 アクロイド殺人事件 も違反している、ということになってしまうため、いささか腑に落ちないむきもあるようだ。 ミステリという定義についてスガチューが抱く違和感は、ハードボイルド、という呼称に小生が持つものと同じなように思う。HBの定義にはそれなりの理屈があるのであって、昨今の、特に我が国でHBと称する作品の多くは、単なる暴力場面の羅列であり、その道での代表とされる大藪晴彦の作品に至っては(処女作の 野獣死すべし は除くが)単なるガンマニアの妄想の羅列に過ぎない。その意味では数年前の原寮の急逝はまことに残念至極でならない。最近はバイオレンス小説、なる呼称も使われるようになったが、おそらく、これに含まれる大半がこの似非HBであって、スガチューが言おうとしているのも、昨今のミステリ、なるものが実は推理小説とは違ったものになっている、ということなのだろう。なお、ポケットブックにも最近のものは mystery  ではなく thriller と書かれているものが多い。世界の大勢なのかもしれないし、SNSプラス大衆社会現象の表れかもしれないが、好ましいことではあるまい。

本稿でスガチューが触れているクリスティのデビュー作 スタイルズの怪事件 はちょうど昨晩、読了。今日からクイーンに戻って、国名シリーズの最後、フランス白粉の謎 にかかったところだ。大塚文雄にあやぶまれながらポケットブック乱読第二章の始まりはハードボイルドから一転して、推理小説(日本中にはびこるミステリでなく)の創成期の作品から始めたところだ。こっちも意地を張ってスガチューに挑戦しよう。もっとも、先々月の白内障手術のアフタケアが終わり、読書用の眼鏡が出来上がるまではペースもあがらないのだが。

 

 

ザンバロなら知ってるぜ    (大学クラスメート 飯田武昭)

貴兄の“リンバガスカって知ってる?”を拝読。勿論!知りません。が、貴兄のこの回顧禄に出てくる山川惣治の「少年王者」は私は信州の田舎の小学校へ通っていた頃の一番の楽しみの読みものでした。貴兄のその部分は《山川惣治の少年王者、は少し遅れて登場した、これも名作だった(KWV36年卒同期の山室修のニックネーム、ザンバはこの作品に登場する大男の名前である)》

私は昭和20年3月の東京大空襲の頃、渋谷区若木町(今は無い地名)というところに住んでいて雨霰の焼夷弾、爆弾を逃れて一日に何回も自宅の防空壕に出入りしていました。自宅付近まで猛火に包まれる日々でしたが、6月末に母親と共に、父親の故郷の安曇野に疎開しました(姉、兄は学童疎開で、それぞれ那須と塩原へ既に行っていました)。

安曇野の生活では、毎日、梓川の砂利の河原へ竹箒を持って出かけては“目バチ”という足長バチより少し小さく、蜜蜂より少し大きい蜂の巣を叩いて、眼を刺されながらも巣を取って帰り、自宅の鶏小屋の中の金網に引っ掛けて、蜂の巣の蛹が羽化して親の蜂になるのを観察し、雀や椋鳥や百舌鳥の巣を取ってきて、親鳥が雛に餌をやりに来るところを何とか捕まえる手段を考えたりしていました。東京の自宅は私が安曇野へ疎開して間もなく7月に爆撃で焼失してしまいました。そんな頃、東京で頑張っていた父が安曇野に時々帰ってくる時に買ってきてくれる「少年王者」が面白くて、次回号の発行をいつも首を長くして待っていたものでした。

前置きが長くなったのですが、「少年王者」に出てくるのはザンバロという黒人系の屈強の男性だったと記憶しています。そのザンバロを短くしてザンバと呼んでいたと思います。実は私が高校大学と所属していた混声合唱団(旧・音楽愛好会)の同期にもザンバというニックネームで通っているS君という仲間がいます。

ジャイ兄がこのエーガ愛好会で、これまでも時々引き合いに出される山室修さんは、私は全く存じ上げませんが、同じ学年でニックネームが同じS君(高校から塾)のことをいつも思い出すので、つまらない内容の回顧文を書いてしまいました。この頃、このニックネーム付けが流行っていたのでしょうか。

(編集子)小生は終戦を今は北朝鮮になっている車連館(つづりは自信がない)というところで迎えた。これまた今は東北地方というらしいが、大日本帝国が夢の実現を図った満州国の首都新京(いまの長春)にいて、終戦が濃厚となりロシア軍の到来が予期されたため、父と当時旅順の旧制高校にいた兄と別れ、母と姉の三人での逃避行の途中だった。小学校の校舎だったか何だかに数十人の同様の、今の表現に従えば難民の団体として逗留していた。8月15日朝の異様な雰囲気はなんとなく記憶にある。それからほぼ1年、38度線を越えられずにピョンヤンでの抑留生活を過ごし、徒歩で当時の南朝鮮いま韓国に逃れた逃避行は,藤原ていの 流れる星は生きている そのままだった。

そんなわけで、飯田兄の牧歌的な回想は僕にはない。21年6月に帰国、それから半年ほどで帰国した父、兄と東京へ出てきた。本稿にある山室もそうだが、エーガ愛好会のメンバーである菅原がスガチューと呼ばれるに至ったわけは、本人は彼のニックネームがついてのは、本人は(何だか知らないが、あの頃、なんかといえばチューという音節を付けるのが流行ってたというだけで、俺にも理由はわからん)という。その点、ザンバは気持ちの優しい大男、ザンバロという造形に原点があるようだ。

ま、いずれにしても、されどわれらが日々、という感じである。

新春のひびら会開催   (普通部OB 船津於菟彦)

昭和29年【1954年】慶応義塾普通部卒業生仲間の私的なあつまり、ひびら(日平)会を銀座三田倶楽部で開催。12名参加予定だったが3名ドタキャン。9名で愉しく歓談致しました。介護施設付きマンション入居体験談とか、白内緒手術、階段から落ちて怪我とか矢張りこの年になると病気の話しとか健康の話しが多いですね。本日、偶然この発足時からのメンバーだった黒川昌満さんの御命日でしたので乾杯では無く御冥福を祈り「献杯」でスタートしました。4年経ちましたね。早いなぁ。

本日の参加者  河野・田村・日高・岡野・宮坂・片貝・加藤・薄井さん船津9名です。

29年卒の各位、ご興味あらば船津於菟彦君あてご連絡されたし。

 

リンバガスカ って知ってる?

ま、日本広しといえども知ってる人はまずいねえだろうなあ、と浅はかな優越感を持って書いている。

数日前の読売に、”遺作になった占領日記” という記事が出た。ウクライナでロシア化に抵抗した文学作家バクレンコがロシア占領の現実を書き残した秘密の日記をロシア軍に連行される直前、庭に埋めて隠した。そのことを本人から知らされていた父親に聞かされた、ビクトリア・アメリーナという女性作家が桜の木の下から掘り出した。最後のページは 全てはウクライナになる!勝利を信じている! と書かれてあったという。アメリーナはこの本の出版に全力を挙げ、すでに欧州各国で出版されているが、彼女自身もまた、ロシア軍のミサイル攻撃で亡くなったというのだ。

こういう悲劇はおそらくウクライナ、あるいはロシアでも数多くあるのだろう。他国の話ではあるが、形こそ違え、日本にも同じような過去を持つ人がおられるはずで、とにかくもこの戦争が終わる日を待ち続けるしかない。

こういう悲劇を題材に軽々しく文章を書くことは慎むべきなのだが、この記事の一節にある、桜の木の下、というところが気になった。バクレンコはその場所をどのように伝えていたのだろうか。そう思ったときに、ひらめいたのが表題にした リンバガスカ という暗号である。不謹慎と怒られるのを覚悟で、思い出したことを書く。

小生の小学生から中学1年の間位に、当時続々と復刊されていたのが戦前の少年倶楽部誌に連載されていて、終戦直後はGHQの方針で復刻を許されていなかった、冒険物語のかずかずだった。いわく山中峯太郎、久米元一、南洋一郎に野村胡堂。”亜細亜の曙”(テレビ番組にもなったそうだが知らなかった。ヒーロー本郷義昭いわば大日本帝国版ジェームズ・ボンド、なんてあこがれたもんだ)とか、”敵中横断三百里” とか、いまではタイトルもあやふやだが、いろんな本をよみふけったものだ。その中であらすじも明確に覚えているのが野村胡堂の ”地底の都” という一編。富士山麓のある場所に、日本史に記されていない過去の都がうずもれているという発見をめぐって、その秘密を知っている考古学者が誘拐される。考古学者春日万里を救出しようと主人公の少年二人と妹が活躍するのだが、その過程で、彼らの手元に博士の書いた手紙が届く。ただ少年たちには末尾にかかれた リンバガスカ という意味が分からない。二人は優等生と元気少年の従兄弟同士、その優等生のほうが、これはおじさんの名前 春日万里 をさかさまにつづったものだ、と見抜き、わざわざさかさまにしたのは、この手紙に書かれているてがかりをすべて逆に解釈せよということだ、と見抜く。この後は三人に味方する名探偵に鬼警部、というお定まりで大団円になるんだが、ひょっとするとウクライナの作家もこんな秘密文を書き残しておいた、なんてこたあねえだろうなあ、と思った、という次第。ウクライナで呻吟されている人たちには不謹慎で申し訳ないとは思うのだが。

亜細亜の曙、の挿画は当時売れっこだったという椛島勝昭のペン画だそうだ。戦後のペン画、いわば現代っ子のマンガ本のはしりとして記憶にあるのが小松崎茂だ。代表作 地球SOS は苦労して探し出して、手元にある。空魔エックス団、とか ハリケーンハッチ、なんてもあったな。同じころ興奮した、これは小松崎ではないが、歴史もので熱狂したのが怒涛万里を行くところ、というのも思い出した。これは作者も覚えていないので、復刻版もまずないだろうが。山川惣治の少年王者、は少し遅れて登場した、これも名作だった(KWV36年卒同期の山室修のニックネーム、ザンバはこの作品に登場する大男の名前である)。

あの頃の少年たち、つまり俺たちがこれらの子供向けSF小説の上で熱狂した”未来” は21世紀だった。よくわからないけどいい時代になるらしい、と信じたものだ。それが今。そうか、世の中はこうなるんだ、と興奮したもんだが、いまだに領土争いだの宗教論争なんかで戦争が起きてる。まったく進歩してねえじゃねえか。あらためて本稿のきっかけになったウクライナの悲劇に心が痛む。

 

 

 

 

乱読報告ファイル (73) 阿蘭陀西鶴   (普通部OB 菅原勲)

「阿蘭陀西鶴」(著者:朝井まかて。発行:講談社、2014年)を読む。

朝井は小生のお気に入りの作家なので、今まで10冊以上は読んでいる。ただし、「阿蘭陀西鶴」と言う題名の阿蘭陀が何やら胡散臭いのでこれまで敬遠して来た。ところが、先日、松井今朝子が近松門左衛門のことを書いた「一場の夢と消え」を読んで、ほぼ同時代に生きた井原西鶴のことが知りたくなった。そこで胡散臭い本に挑戦したわけだが、結果は、正に上出来だった。

その出だしは、「せかせかと忙しない足音が耳朶に響いて、おあいは包丁を持つ手を止めた」で始まる。これだけを読んで、西鶴の長女おあいがメクラであることに気付いた人は、たいしたもんだと思う(鈍い小生は、後述のようにおあいが告白するまで全く気が付かなかった)。確かに、良く読んでみれば、「耳朶に響いて」の表現が一癖も二癖もあるわけで、ここは「足音を聴いて、・・・」となるのが普通だろう。

つまり、この本は、メクラのおあいから見た父親の西鶴を語っているわけなのだが、実は、主人公は西鶴と並んでおあいでもあるとの印象を強く持った。冒頭から十数行後におあいがメクラであることを自身で告白するのだが、その時点で小生は忽ち、おあいに感情移入してしまい、肝心の西鶴がどうでも良くなってしまった。そう言えば、同じ朝井の「眩」(くらら)でも、葛飾北斎の娘、葛飾応為が主人公だったことを思い出す。

とは言え、ここで西鶴のことを簡単に触れておく。小生、こんなことは知らなかったのだが、西鶴は俳諧師として出発した。しかし、その俳句は、矢数俳諧と言って、一昼夜、又は、一日の間に独吟で句数の多さを競うもので、質よりも量を目的としたものだった。また、松尾芭蕉を徹底的に罵倒し、己の句を「オランダ流といへる俳諧は、其姿すぐれてけだかく、心ふかく詞あたらしく」と言って、阿蘭陀西鶴を自画自賛している。しかし、現在、人口に膾炙しているのは、皮肉にも、西鶴のそれではなく、例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」、「夏草や 兵どもが 夢の跡」などと言った芭蕉の句ばかりではないだろうか。とは言え、ここで阿蘭陀西鶴に敬意を表し、その一句を取り上げてみよう。「大晦日 定なき世の 定かな」。

それを知ってか知らずか、今風に言えば、西鶴は、その後、重点を詞(俳句)から散文(草子)に移し、そこで生まれたのが、稀代の色男を描き、今で言う、娯楽小説でもある「好色一代男」。これが爆発的に売れに売れて、今で言うベストセラーとなり、以後、「好色五人女」、「好色一代女」、「日本永代蔵」、「世間胸算用」などなどと、西鶴自身も一代ベストセラー作家へと大変身を遂げた。ここで、近松門左衛門との触れ合いについて簡単に触れておこう。近松門左衛門こと杉森信盛は西鶴を訪ね、西鶴の「好色五人女」を浄瑠璃にしたいと申し出て、西鶴の了解を取り付け、有名なおさん茂兵衛の姦通事件を扱った浄瑠璃「大経師昔暦」(ダイキョウジムカシゴヨミ)となる。

一方のおあいは、25歳で亡くなった母に代わり西鶴に寄り添って支えて行くが、小生、読み進めながら目の見えないおあいの視点になり切っていた。その母に仕込まれた料理を感覚を研ぎ澄ませて料理し、思春期らしく父親に反発したり、歌舞伎役者、上村辰爾に淡い想いを寄せたりするあおいが大変生き生きと描かれている。と言うわけで、最後、あおいは26歳で亡くなり(ここで、一寸、泣かせる)、父親の西鶴は翌年鬼籍に入る。

なお、この本の表紙を飾っている絵、神坂雪佳の描いた「元禄舞図」の一部がなかなか面白くて、大変、気に入った。泰西の名画も良いが、どうも日本にはこれはと言う画家がいくらでもいたようで、何も「奇想の系譜」に連なった画家だけとは限らない。

なお、殆どの鍵括弧で括られた台詞は大阪弁である。最後に、「朝井はん、仰山、ようおますなー」。これは、大阪弁と京都弁の違いが全く分からぬ小生の奇妙奇天烈な言い回しであり、これでお開きとする。

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朝井 まかてあさい まかて、1959年8月15日 – )は、日本の小説家。大阪府羽曳野市生まれ。大阪市在住。ペンネームは沖縄県出身の祖母、新里マカテの名に由来する。

エーガ愛好会 (304)ウイル・ペニー   (34 小泉幾多郎)

西部劇とは、無敵のガンファイターが主役という従来の常識を一掃し、あの「大いなる西部1958」「ベン・ハー1959」の筋骨逞しいヒーロー像の主役チャールトン・ヘストンが、盛りを過ぎたカウボーイの人生の悲哀を静かで清らかな恋を織り交ぜて演じ、ウエスタン映画史上に大きな影響を与えた味わい深い人間ドラマ。

監督脚本はこれが長編映画デビュー作のトム・グライスで、サム・ペキンパーが1960年に制作したTVシリーズWesternerでグライスが監督脚本を手掛けたLine Campを基にしたとのこと。最初から最後まで素晴らしい景観を背景に映画は展開される。冒頭テキサスからカンザスへと大平原をキャトルドライブしてきた大平原の描写、その後遠く白く雪化粧した山々の描写から、近くは岩々、やがて冬になると雪に覆われた描写とその景観の流れを見事に写し込んだ素晴らしい撮影はルシアン・バラード。ロケ地はカリフォルニア州インヨ国立森林公園とのことで、岩のアーチ、石の柱等フォトジェニックなスポットが多いとのこと。音楽は有名な「ローラ殺人事件1948」他100以上の映画音楽を作曲したディヴィッド・ラクシン。音楽自体は画面には合っていたと思うが、冒頭と終幕の歌詞が映画内容にそぐわないように思われ、両者共必要なかったのではないか。

インヨ国立森林公園

キャトルドライブの帰り、腕の良いウイル・ペニー(チャールトン・ヘストン)は、更に行動を誘われながら、人が好いことに、どうしても一緒に帰りたい若者にその権利を譲り、別の若者ブルー(リー・メジャース)とダッチ―(アンソニー・ザーブ)と旅することになるが、鹿をどちらが撃ったかで、クイント(ドナルド・プレザンス)とその息子達ともめ、息子一人が死に、ダッチ―も大怪我をする。ダッチ―を運び込んだ牧場で、カリフォルニアにいる夫に会いに行くという母子に会う。この母キャサリン・アレンを演じるジョーン・ハケット、「夕陽に立つ保安官1971」では、泥だらけで樹に登ったり、じゃじゃ馬ぶりを見せつけたが、息子を躾ける理知的な明るい母親でありながらも、ウイルを手厚く介護するうちに、ほのかな愛情を覚えるといった好演を見せる。ウイルは一緒に来た二人に別れ、単身紹介されたフラットライアン牧場主ア

べン。ジョンスン、ちょい役とはいえ、編輯子のごひいき助演俳優

レックス(ベン・ジョンソン)に雇われ、人里離れた小屋の管理の仕事を任されたが、その途次、仕返したいクイント一家に襲われ、半死半生。この悪役に扮するドナルド・プレザンスの憎たらしさに息子の一人ブルース・ダーンも加わっていた。やっとたどり着いた小屋には、雪に阻まれて留まっていたキャサリン親子がいてウイルは手厚く看病される。お蔭で元気を取り戻したウイルはクリスマスの飾りやクリスマスソングを歌う等して、生まれて初めて家庭の暖かさを知った。しかし又もやクイント一家の襲撃で、ウイル、キャサリン共々言うがままになったものの、別れた仲間、ブルーとダッチ―、が助けにやって来たことから、銃撃戦の末、クイント一家を壊滅させ、牧場主アレックス一行もやって来た。

騒ぎは収まったが、これがウイルとキャサリン親子との別れの時でもあった。キャサリンから愛を打ち明けられたのだが、自分の人生を振り返ると、若者の時代から一人で生きて来たウイル、カウボーイ以外の仕事は出来ない。家族を守る生き方をしたことがない。年齢も50歳に近い。心の整理がつかぬまま立ち去るウイル。立ち去るウイルは、仲間のブルーとダッチ―と。見送るはキャサリンと息子。アレックス他フラットアイアン牧場の連中。キャサリンの息子がBye!と叫ぶ。「シェーン」を彷彿とさせる。

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キャトルドライブとは、数世代前に野生化した畜牛の大群を、砂漠や無法地帯を突破して物流集積地まで運送する業態です。アメリカ合衆国の西部開拓時代に盛んに行われていました。主にテキサス州の北部一帯からミズーリ州やカンザス州、ネブラスカ州の出荷駅まで送られ、カリフォルニア州方面や東部の都市へと鉄道で輸送されました.そこで、テキサスから、東部行きの鉄道の駅があるカンザスまで数百頭の牛を運ぶ “キャトル・ドライブ”が始まり、その仕事に従事する人を“カウボーイ”と呼んだわけです。 カウボーイが1回のキャトル・ドライブで稼ぐ額は相当なものだったらしいです。

抗認知症薬のこと   (普通部OB 篠原幸人)

最近 軽い認知機能障害に新しい薬「レカネマブ(レケンビ)」が発売されました。効果には半信半疑でしたが、私の所属する立川共済病院ではすでに100名近くの患者さんがこの治療を受けています。今のところ, 目立った副作用は少ないようです。この薬、早く見つかった軽度認知障害の方に、特に症状悪化を遅らせる効果はあるようです。しかし、ごく初期にしか 効きませんが。

今日は難しい話は別として、次のことに皆さんがどのくらい当てはまるかテストしてください。

〇 昨日の昼食・夕食が思い出せないーー思い出してみてください

〇 いつもやっている仕事に最近ミスが目立つ

〇 友達との約束や病院の予約を間違えた、あるいは忘れそうになった

〇 最近、毎日飲む薬の余りが目立つ(飲み忘れ?)

〇 同じことを何度も(2-3回は問題なし)繰り返して訊いたと家族に言われた

〇 言いたいことが上手く説明できないで イライラする

〇 最近買った家電などの使い方の説明書を読んでもよく分からない

〇 趣味や外出に消極的になった

〇 やる気が出ない

  • メモを取っても、そのメモを取ったことを忘れる
  • よく知っている道で危うく迷子になりそうになった(特に夕暮れ時)
  • 最近、注意力・判断力が低下したと自覚している
  • 最近、物忘れがひどいと自覚している
  • 幻覚が出たことがある
  • 初めて来た場所なのに、以前に来たような気がしてならない
  • 最近大きな声で寝言を言ったり、布団の中で寝たまま暴れていたと家人に指摘された

 

以上はほんの一般的な質問ですが、思い当たることはありますか?3つ以上、該当したら要注意かもしれません。質問に軽重はありますが。

次回はこれらの症状に効果が期待される、最近発売された抗認知症薬を概説します。

 

エーガ愛好会 (303)ジョン・フォードを語ろう!

ジョン・フォード(John Ford、1894年2月1日 – 1973年8月31日)は、アメリカ合衆国映画監督脚本家映画プロデューサー俳優である。1910年代から1960年代にかけての50年以上のキャリアで140本を超える作品を監督し、同時代の最も重要で影響力のある映画監督のひとりとして広く認められている[1]。『駅馬車』(1939年)や『捜索者』(1956年)などの西部劇や、『静かなる男』(1952年)などの自身のルーツのアイリッシュを題材にした作品、『怒りの葡萄』(1940年)などの20世紀アメリカ文学の映画化で知られる。アカデミー賞では監督賞を史上最多の4回受賞している。

(飯田)普段はあまりフォローしないネット情報でジョン・フォード監督作品の評価順位を見てみました。以下の2つの情報がありました。ベスト10(チャットGPT)は

1、       捜索者 2、駅馬車 3.静かなる男 4、リバティ・バランスを射った男 5、アパッチ砦 6、怒りの葡萄 7、我が谷は緑なりき 8、黄色いリボン 9、荒野の決闘 10、シャイアン

ジャイさんの推す「三人の名付親」や「長い灰色の線」が入っていないのも気になる。https://note.com/monkmonk/n/n48c8fad08f80

他には、フォード監督の全作品に近い50本の評価をしたものもありました。時間がある方はチラ見してください。  https://cinema-rank.net/list/50532

 

(安田)ベスト50の方は’10〜’30年代作品が結構多く、それ等のほとんどは観ていません。船津さん、確かにハッピーエンドより悲しい幕切れの方が印象に残る映画が多いですね。「望郷」「哀愁」「情婦」「黄昏」など枚挙に暇がありません。

フォード作品、僕の個人的ベスト10は、
1. 荒野の決闘
2. 捜索者
3. リバティ・バランスを射った男
4. 駅馬車
5. 三人の名付け親
6. リオグランデの砦
7.  我が谷は緑なりき
8. 黄色いリボン
9. 静かなる男
10. 怒りの葡萄
観たばかりの人間ドラマ「長い灰色の線」は今しばらく消化に時間をかかります。ベスト50のランキングでは31位でした。上位はストーリー展開の面白さ、下位は人間ドラマの妙を描いた映画です。共に抒情的な描き方が際立っています。未観で観たいのは、「メアリー・オブ・スコットランド」、「若き日のリンカーン」です。

(小泉)ジョン・フォード論でも書きたくは思うものの、各位のご意見も拝誦したり、過去の論点からしても、とても論議を尽くされている感から、なかなか進まない。そもそも、ジョンフォード作品は、と調べれば、137本もあり、そのうち半分より少ない63本が西部劇とのこと。ユニバーサル時代が37本、そのうち、ハリー・ケリー主演作が26本で、その他は、兄フランシス・フォードやフット・ギブスン、バック・ジョーンズなどが主演している。次のフォックス時代は、米国建国史たる堂々とした構成による、1924年の「アイアンホース」と2年後の「三悪人」。こういった作品は観る機会がなく過ぎ去ってしまった。

この後13年間も西部劇のブランクがあり、1939年に「モホークの太鼓」「駅馬車」、7年飛んで46年「荒野の決闘」、戦後の西部劇の神様と言われた時代の諸作、48年「アパッチ砦」「三人の名付親」、49年「黄色いリボン」50年「幌馬車」「リオ・グランデの砦」、56年「捜索者」59年「騎兵隊」60年「バッファロー大隊」61年「馬上の二人」「リバティバランスを射った男」62年「西部開拓史」64年「シャイアン」と半世紀続く。両親がアイルランド人ということから、幼少期でのお伴や後年名匠と呼ばれてからもアイルランドを尋ねており、作品にはアイルランド色が根強く食い込んでいた。この戦後の諸作品のうち、騎兵隊三部作は所謂軍隊物で好きな方ではないが、内容的には、音楽もよくユーモアに溢れていたりで、悪くはない。この騎兵隊3部作と「騎兵隊」「バッファロー大隊」の5作品を除くと「モホークの太鼓」「駅馬車」「荒野の決闘」「三人の名付親」「幌馬車」「捜索者」「馬上の二人」「西部開拓史(挿話)」「リバティバランスを射た男」「シャイアン」のベストテンとなる。

フォードがこよなく愛した、ユタ州からアリゾナ州に広がる荒野、モニュメントヴァレー。数多くの名作西部劇に登場する。編集子はフォードに敬意を表すべく、なんと真夏に訪れた。コロラドからの長ドライヴに飽き、たどり着いたモテルで ビール! とどなったら ”ここは DRY STATE (アルコール販売禁止)だ!と怒鳴り返されて泣く泣くコークで我慢したものだった。ジョン・ウエインがコークで我慢したとは聞いていない。