エーガ愛好会 (341) アウトロー 

テレビの再放送ものを見直した。同じ題名の現代もの、トム・クルーズがシリーズキャラクタのリーチヤーを演じた作品はいたって簡単明瞭な, リー・チャイルド初期の作品の映画化で、原作を読んでいたこともあって気楽に楽しめたのだが、こちらの アウトロー  にはちょっと違和感があった。

冒頭、主人公のイーストウッドが家族を殺され、家を焼かれるところから始まり、悪漢たちが赤いゲートルを履いている集団であることが示される。その後、そのあとのいくつかの場面を通じて、時代が南北戦争終結寸前の混乱期だということが観客にわかってきて、赤いゲートルの一味は北軍にあった悪名高いクアントレルゲリラを模したものだろうということも推察できる。復讐心に燃える主人公が独力で拳銃の腕を磨き、北軍に身を投じるが敗戦処理の過程で(なぜこうなったのかが説明されないのも不満)起きた騒動で兵士と戦い、多くをガトリング銃を駆使して殺し、一転、追われる身になる。その後はいくつかのエピソードが描かれ、また一人になった主人公が結果として凄腕のガンマンとして今に伝えられている、というのがあらすじだ。

同じような筋立ての作品は過去にもあったが、それらとくらべてこれは製作者(イーストウッドなのだが)の見方というか発想ばかりが空転しているようで(彼の活躍時期がいわゆるニューシネマ勃興期だたことも関係しているかもしれない)、結果として見終わっても(だからなんなんだ)という感じが残っていて釈然としないし、もっと単純に言えばセーブゲキの持ち味の爽快感とか没入感がない、中途半端な出来上がりだと感じた。ま、そういうレディメードの感想を求めないのが二ューシネマなる作品群が求める成果なんだろうから、それはそれでいい、ともいえるんだが。

ところがグーグルで調べてみて驚いたのは、この作品が批評家筋では高く評価され、作曲賞を得ているほか、永久保存すべき作品として遇されているというのだ。曰く、当時の現地に住む人たちの境遇や考えがよく描かれているとか、無法者のもつ寂寥感とか、そういうものの描写がすばらしい、というのが理由らしい。ローハイド時代を経て、西部劇の数々、テレビならダーティハリー、そのほか多くの佳作、例えばグラントリノなんかは特にそうだが、小生ごひいきのクリントさんよ、そうかなあ、というのが率直な感想なんだが。

コロナの予防接種 まだやるの? (普通部OB 篠原幸人)

先日、コロナの新変異株 ニンバス のことを書いたところ 熱心な読者の某君から「予防接種はどうなっているの」という質問がきました。ご尤もな質問ですね。政府も厚生省も もうお金も手間もかかる予防接種には関わり合いになりたくないようですが。

新しい接種は65歳以上の高齢者(高齢者はいまや75歳以上だけどね)か、基礎疾患(糖尿病・高血圧の治療中とか、呼吸器疾患・脳卒中・心臓病やがんにかかっている人など)のある60歳以上の方が対象です。これらの方々に接種に対し国からは補助が出ませんが、住んでいる自治体から多少の補助は出ると思います。住民税の高い地域ではかなりの補助が出るのかな? 大体接種の費用は1万5千円以下になるでしょう。この点は、かかりつけの先生か、近くの保健所で確かめてください。住んでいる場所により大分違うと思います。接種の対象外の方でも受けられますが、多分全額自己負担になるでしょうね。10月1日から来年3月まで出来る筈です。

今、5種類のワクチン(ファイザー・モデルナ・第一三共・武田・明治製菓ファルマ)が用意されていますが、接種する施設によって何が用意されているのかも尋ねる必要があります。

先日話した「ニンバス」にも効果があると厚生省は言っていますが、どうも最近の役所のいう事は当てになりませんがね。でもやらないよりは良いでしょう。 心配な方や、持病のある方、以前の接種で特に目立った副作用が出なかった方には、お勧めだと思います。私自身は 機会を作って接種しようと思っています。患者さんに医者がコロナを移しては申し訳ないからね。

追伸;最近の研究で、同じワクチンを打っても、効果が持続する人(耐久型)と効果がすぐなくなる人(脆弱型)、抗体は急速に上がるが直ぐに低下してしまう人〈急速低下型〉があることが分かってきました。人によって、またワクチンによってその効果は異なるようです。はやくその全貌がわかれば皆さんもワクチンを打ちやすくなるのにね。まだこれは研究段階です。

 

日平会 秋の会合 今回はこじんまりと開催

慶応普通部昭和29年卒仲間の会合 日平会 例会を9月18日、銀座三田倶楽部で開催。今回は猛暑の関係だろうか皆足が重く、9人という少人数だったがいつもの通り懐旧談の花が咲いた。新規参加を希望のむきは 岡野または船津までご連絡ありたい。

写真後列左から船津、亀田、水木、日高 前列 河野、蓮井、田中(ゴンべ)、中司、岡野。

三田倶楽部は帝国ホテルから転居。銀座六丁目,ヤマハビルの裏、吾妻通側に入り口がある。

エーガ愛好会 (340)15時17分 パリ行き2018   (34 小泉幾多郎)

9月17日ドジャースの大谷がフィリーズ戦に先発し5回をノーヒット、ノーランに抑え、打者としても50号ホームランを放ちながら、6回から登板の投手が打たれ逆転負け。試合終了後の14:15から、エーガ「15時17分、パリ行き2018」が放映された。西部劇「決断の3時10分1957」をリメイクした「3時10分決断の時2007」と題名が似ていること、監督がクリント・イーストウッドであることを知り、続いて見てしまいました。

 「15時17分、パリ行き2018 The15:17 to Paris 2018 」の感想 2015年アムステルダム発パリ行きの特急列車内で起きた無差別テロ事件の真実を実際に事件の当事者3人の若者を主演に据えるという驚きの手法で映画化したとのこと。この事件に至るまでの、この3人の生い立ちが描かれ、青年時代から、一度子供時代の学校での腕白時代に戻り、校長室に何度も呼ばれたり、親に迷惑をかけたり、学校に馴染めない状況や軍隊に入っても脱落の繰り返しが描写されるが、過去の話は蛇足に見えて仕方がなかった。最後に若者3人がアメリカから欧州旅行へ出かけることになるのだが最後運命的に凄いことを成し遂げたが、其処に至るまでの物語は、何処にでもある青春ムービーで、自撮りをしたり飲んで踊り明かすだけの描写で、最後だけの格闘では、イーストウッド監督の西部劇に見られるスリルやアクションやサスペンスを期待した老人には期待外れのエーガでした。

陸上競技の ”再現力” ということ  (普通部OB 菅原勲)

 

進行中の世界陸上での日本人選手についての観察である。

9月16日の男子110mH

大会前の今季自己最高記録は、優勝したティンチ(米国)が今季世界最高記録の12秒87、村竹が今季世界2位の12秒92で、その差は0秒05に過ぎなかった。従って、本人自身も日本のマスゴミも、やれメダル獲得だ、その果てには金メダルだと大騒ぎ。ところが、肝心の12秒台をティンチが、追い風参考記録を含め4回も記録していたのに対し、村竹はこの僅か1回に過ぎない。この再現力の大きな違いが、決勝でティンチの12秒99に対し、村竹は13秒18で6位、その差0秒19の大差となった。要するに、村竹の実力は未だ12秒台には達していなかったことになる。再現力の違いが如実に表れ、事を分けた。蛇足だが、村竹は試合後のインタビューで大泣きした。小生、これを見て、村竹(父はコンゴ、母は日本の混血)の精神構造は典型的な日本人だと思った。外人は、少なくとも公衆の面前ではこんな恥知らずなことはしないだろう。

閑話休題。

男子走高跳(9月16日)

また、同日、行われた男子走高跳での日本人同士の同様の例を挙げる。大会前の今季自己最高記録は、10位になった瀬古が2m33、8位の赤松は2m26、その差は7センチもあった。しかし、今季、2m25以上跳んだ試合は、瀬古の2試合に対し、赤松は4試合。結果は、赤松が2m24で8位、瀬古が2m20で10位。これも、大会前の今季自己最高記録の差はともかく、肝心の試合での再現力の違いが現われたと見て良い。

最後に、17日が予選、18日が決勝の男子槍投を見てみよう。

今季、87m以上投げた5人の選手の85m以上投げた試合数を見ると、

91m51  J.ヴェバー(ドイツ)     8試合

91m00  L.ダ・シルヴァ(ブラジル)4試合

90m23  N.チョプラ(インド)      5試合

87m76  C.トンプソン(米国)        2試合

87m16  崎山(日本)                1試合

これを見た、小生は、ヴェバーとチョプラの一騎打ちと見る。85mを1試合でしか超えておらず、再現力の乏しい崎山の実力は、やっと8位までの入賞程度だろう。ただし、槍投は一発大投擲が飛び出す可能性もあるので、例外が起きる可能性は充分に有る。

結論を言うと、再現力の高い選手が圧倒的に有利となるのは間違いない。勿論、物事には例外がある。しかし、それは、飽くまでも例外であって、それが常に起こるとは限らない。逆に言えば、極めて稀少なそんな例外に頼って物事を判断するのは途轍もなく危険だと言うことになり、事の判断を見誤ることになる(日本のマスゴミは、日本の選手の再現力の乏しさを指摘すべきであるにもかかわらず、読者に媚びるためなのだろうか、常に、例外に頼る間違いを犯して来た。だから、所詮は、マスゴミか)。

最後の最後。日本の選手に再現力が乏しいことは分かったが、例外となりそうなのが、男子400mの中島(父がナイジェリア、母が日本の混血)だ。予選で、これまでの自己記録44秒84を44秒44(新たな日本記録)に短縮、準決勝で44秒53と再現力が高い。そして、それに加えて彼の持ち味は、最後の直線に入ってからの途轍もない追い上げだ(競馬で言う末脚)。いずれも、これまでの日本の選手が持っていなかった特徴であるだけに、18日の決勝が待たれる。

またひとつ、星が落ちた

今朝の朝刊でレッドフォードの逝去を知った。また一つ、星が落ちた感じがする。このブログをおっかなびっくり始めてみたころ、グレン・キャンベルの訃報に接して書いた一文を一部、コピーした。
いろんなエーガのなかで、クーパー、ウエイン、スチュアートなんかが僕の好みだったけれど、それはあくまで ”エーガ” での思い出である。
キャンベルのことで書いたが、この二人にまつわる思い出は、同時に僕の短かったが、”古き、良き時代のカリフォルニア” への郷愁とともにある。レッドフォードがまだ売り出し中のころで、たまたま勤務していたオフィスの受付のおばさんがファンだと知って、エーゴの勉強、とばかりにつたないジョークなんかひねり出していたころ、サンフランシスコの街がヴェトナムの後遺症におかされはじめていたころの懐かしいカリフォルニア、の思い出である。
レッドフォードのどの作品がどうとか、そういう感傷は沸いてこない。キャンベルのことで書いた,すこしばかり気障なしめくくりになるようだ。
ありがとう、ロバート。
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(2017年8月11日投稿記事の一部)

By the time I get to Phoenix

8月10日、朝の読売新聞がグレン・キャンベルの訃報を伝えた。1937年生まれ、ということだから僕と同い年である。新聞記事では”カントリーソングの大御所”、と書かれていたが、僕にはそういうありきたりの形容詞には収まり切れない、特別の感情がある。

1967年、生まれて初めてアメリカの土を踏み、2週間モーテルでの仮住まいのあと、新聞広告で探し当てたデュープレックス、日本でいう二軒長屋に落ち着き、船便で送った家財道具が何とか届いて、どうやら生活が始まったちょうどそのころ、あの, By the time I get to Phoenix を聞いた。初めて聞いたのがラジオだったのかテレビだったのか、今では記憶がないが、とにかく心にしみるメロディーだった。この曲があっという間に大ヒットし、一躍有名になって、ラジオの定番になっていた大きなシリーズ番組(エド・サリバンショウだったか?)でキャスタが夏休みのあいだ、その代理に彼が抜擢されたことを覚えている。

敬老の日、のこと     (普通部OB 船津於菟彦)

本日は敬老の日。

敬老の日は、国民の祝日として1966年(昭和41年)に設けられ、「長年社会に貢献してきた老人を敬愛し、長寿を祝い、老人福祉への関心を深める」ことを趣旨としています。2002(平成14年)年までは毎年9月15日でしたが、2003年(平成15年)から、9月の第3月曜日となり、敬老の日は年ごとに変わります。今後この制定に変更がなければ、2026年は9月21日(月)、2027年は9月20日(月)となります。

敬老の日の由来は、兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)村長であった門脇政夫氏が、「老人を大切に、お年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨で、1947年(昭和22年)9月15日に「敬老会」を開催したことが始まりとされています。翌年の9月15日には「としよりの日」として村独自の祝日となり、1950年(昭和25年)に兵庫県が「としよりの日」を制定。1951年(昭和26年)には、中央社会福祉協議会(現全国社会福祉協議会)が「としよりの日」を定め、1966年(昭和41年)に現在の「敬老の日」となりました。

総務省は14日、15日の「敬老の日」に合わせ、65歳以上の高齢者の推計人口(15日現在)を発表しました。高齢者は3619万人と前年から5万人減少したが、総人口に占める割合は0・1ポイント上昇して29・4%と過去最高を更新した。昨年の高齢者の就業者数も930万人と21年連続で増加し、過去最多。 高齢者の減少は2年ぶりで、増加数よりも死者数の方が多かったことなどが要因だそうです。高齢者の割合は1950年から増え続けていて、国立社会保障・人口問題研究所は、2050年には37・1%に達すると推計しています。

以前は、還暦を迎えた60歳からお祝いをする風潮がありましたが、現在の60歳はまだ現役というイメージも強く、「年寄り扱いされたくない」と考える方も少なくありません。気持ちも若々しい現代のシニア世代は、何歳になってもおじいちゃん扱い、おばあちゃん扱いされたくないという考えの方もいらっしゃいます。その場合は、退職や、孫が生まれた年、古希(70歳)、傘寿(80歳)など節目を迎えた年がお祝いしやすいタイミングです。

「年寄り」とは法律では、老人福祉法が「(老人ホームへの入所などの対象が)65歳以上の者」としているほか、国民年金法でも「老齢基礎年金の支給は65歳に達したとき」などとなっており、放送でも以前は65歳を「老人」という語を用いる場合の一つの目安にしていたようです。
しかし、高齢化社会が進み平均寿命もグーンとのびた今の時代に、この年齢以上の人たちを一概に「老人」「お年寄り」とするには無理があるようです。今や人生100歳時代を謳歌している方がゾロゾロ。しかし、少子化で高齢者のみの社会になりかねない。

国際連合は、2050年には世界人口の18%が65歳以上となると予測、OECD諸国においては現加盟国の全てにおいて、2050年には1人の老人(65歳以上)を3人以下の生産人口(20-65歳)にて支える超高齢社会となると予測されています。
高齢者人口が減少に転じても高齢化率は上昇を止めず、2065年には高齢化率が38.4%、その中でも75歳以上は25.5%にまで達し、国民の約2.6人に1人が65歳以上、3.9人に1人は75歳以上であると推計されています。

日本政府の高齢社会対策大綱の方針は 「高齢社会に暮らす全ての世代の人々が安心して幸せに暮らせるよう、人々が若年期から計画的に高齢期に向けた備えを進めるとともに、各世代が特有の強みをいかしながら多世代のつながりを醸成し、全ての世代の人々が高齢社会での役割を担いながら、積極的に参画する社会を構築するための施策を推進する。」 だそうです。なんだかなあ。

”国宝” に感激しました    (41 斉藤孝)

圧巻。その一言に尽きます。

久々に映画館の大画面で鑑賞しました。 

国宝とは人間国宝のことです。背中に大きな入れ墨がある任侠の息子が上方歌舞伎役者になる。そして人間国宝まで昇りつめたという歌舞伎役者の半生を描いていました。

主役の「吉沢亮」の演技に魅せられました。 

「二人藤娘」「道成寺」「曽根崎心中」「鷺娘」「連獅子」など眼前に迫って来ました。振り袖姿で鮮やかに舞う女形は実に綺麗です。口元と目元は妖艶です。

歌舞伎の世界をリアルに描写し、その禁断の世界を美しく演出していました。歌舞伎座まで行かなくとも本物の歌舞伎踊りを十分に楽しめました。

バンクシーのこと    (44 安田耕太郎)

バンクシー(Banksy)はイギリスを拠点とする素性不明のアーティスト。彼の政治的および社会的批評の作品は、世界中の街路、壁、橋に描かれていて路上芸術家と言われる。日本でも報告が増え、次第に認知が深まって来ている。ご存知だと思います。

バンクシーは彼の作品を建物など公に見える表層に展示しています。彼の公共の「展示品」は定期的に転売され、多くの場合それらが描かれていた壁が取り外されることさえある、とのこと。

さて最近のロンドンからのバンクシーニュースが我々を驚かせました。バンクシーの新作、「抗議者を殴打する判事」風刺画が裁判所外壁に出現。人通りのない深夜から夜明けの時間帯に描いたのでしょう。ところが裁判所は壁画の全面に塀を設営して目隠ししてしまった。現地では物議を醸しているとのこと。今後の展開は如何に?

10年ほど前、愚息が勤務していたNYマンハッタンを訪れた時、自宅近くの通りの壁に描かれたバンクシー画(と目されていた)に遭遇。下記写真をご覧ください。ハンマーに打たれる帽子の男は愚息。側の構造物は消火栓。当時、彼の長男(僕の孫)が画の少年の年ごろでした。
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