中華千年の夢-北京を訪ねた    (41 斎藤孝)

 中華文明が描く未来                           高速道路には大型バスから普通車まで電気自動車(EV)が多く走っている。車両のエンジン音は実に静かな大通りである。整然とした街並みが続くが、どこでも騒音が聞こえる。人々の会話と罵声のせいだ。耳障りな発音は中国語独特なイントネーションの高い発声によるものだろう。

米国を抜き世界一
近代都市に進化した北京を訪れた。なんと50年振りである。あの頃、真夏の夜、北京はどこも暗く古臭い匂いがした街だった。指定されたホテルは冷房も無く寝苦しかった記憶がある。薄暗い廊下の片隅で服務員と呼ぶ女性が外国人宿泊客を監視していた。あれから半世紀、中国は驚異的な発展を遂げて世界の強国になり自信満々である。まもなく米国を抜き世界一になるだろう。中華千年の夢は正夢になるだろうか・・・・。

「自由からの逃走」
北京駅の近くにあるビル屋上から北京市中心の高層ビル群を眺めた。1958年の建国十周年に建設された北京駅には群衆が溢れていた。50年前は個人で電話を所有することができなかった貧しい人民は、公衆電話に長い列を作っていた。現代中国はスマホ時代になっている。どこでもQRコードによる身分証明や外人にはパスポートの提示が求められる。厳しい統制と管理にITが活用されている。やがてAIによりあらゆる分野の隅々まで制御されていくだろう。監視カメラは至る所に見られた。
老後は健康と安心そして見守り介護による監視。自由があり過ぎて不安になってきた。「自由からの逃走」ふと考える。

アヘン戦争の屈辱                            習近平主席は、アヘン戦争の屈辱を今でも語るそうだ。その敗北により1842年の南京条約が結ばれイギリス帝国主義による侵略は始まった。
卑怯にもアヘン密売を理由にして「香港」を奪われて多額の賠償金まで支払った。弱体化した清朝末期になると西欧列国から侵略の餌食になった。
日本も帝国主義諸国に加担し1919年には山東省・青島に拠点を確保。

私は1942年に青島で生まれた。私の父は軍人でなく製薬会社の社員だった。「青島」の想い出は、ドイツ風のお洒落な街並みであったこと。そして後になり青島ビールの味を知り、青島生まれであることを誇りにして来た。中国は第二の故郷として郷愁と憧れの国である。

 秦帝国の復活                             秦の始皇帝は紀元前221年頃に中国初の皇帝になった。秦朝の誕生である。20世紀の毛沢東による中華人民共和国の誕生はまるで秦帝国の復活のように思えた。10年前に西安で始皇帝陵の「兵馬俑」を見物したことがあった。約8,000体の「兵馬俑」があり、どれ一つとして同じ顔をしたものはなかった。始皇帝麾下の軍人を写したものである。兵馬俑の軍団は世界を威圧していた。現代の中国はこんな無謀な思想を信じないことを期待したい。

「万里の長城」                             ドナルド・トランプはメキシコ国境に「万里の長城」を築くと演説して、米国大統領に当選した。トランプと始皇帝は洞吹き仲間である。トランプは裸の王様で憎めないコメディアン。始皇帝は偉大な歴史クリエイター。
「万里の長城」は宇宙から肉眼で見える唯一の建造物とされるが中国宇宙船からは確認できなかった。笑い話である。
「万里の長城」は秦時代の始皇帝が最初に発案し、紀元前3世紀頃から明時代に本格的に整備され17世紀に完成した。 長さは東の「山海関」から西の「嘉峪関」まで総延長は約6000kmで、北海道から沖縄まで日本列島の距離に等しい。 「万里の長城」は異民族から中国を防衛するという重要なシンボルであった。軍事強国になった中国にとり無用の長物、歴史的遺跡になった。

故宮と紫禁城                              映画『ラストエンペラー』(ベルナルド・ベルトルッチ監督1987年)は「紫禁城」が舞台だった。清朝最後の皇帝である「愛新覚羅溥儀」の波乱に満ちた生涯を描いていた。幼少期の溥儀が皇帝として即位し、紫禁城での孤独な生活を送るところから始まる。その後、溥儀は清朝の崩壊とともに権力を失い、満州国の傀儡皇帝として再び権力を手に入れたが、最終的には日本の敗北と共に捕虜となり、共産主義中国の下で再教育を受ける。映画の最後では、溥儀がかつての権力者から一介の市民として生きる姿が描かれ、溥儀の波乱に満ちた人生が締めくくられる。 音楽は坂本龍一が担当していた。

天安門広場 
天安門広場に立つと真っ先に目に入るのは、大きな毛沢東の肖像と左右の二つのスローガン「中華人民共和国万歳」と「世界人民大団結万歳」である。建国の父、毛沢東は自信満々であろう。人民解放軍を名乗りゲリラ戦から内戦と抗日戦を戦い続けた綿入れの人民服と帽子は今では古き良き時代の思い出になった。

私の幼少期、1942年の青島は平和な町であったが中国人から「パーロ・ライライ」というコトバをよく耳にした。「八路軍」が来るという希望に満ちたコトバだった。「八路軍」とは中国人民解放軍の初期の名前だった。中国は自信満々の強権国家になったが、「中華千年の夢」は泰平である。大切にしてもらいたい。世界の平和に積極的に貢献してほしい。中国人民の優しい人柄は大好きだ。

 「青島ビール」を仲良く一緒に飲み、平和を語り合おう !!

(42 河瀬)中国、特に北京の変化は目まぐるしい。昭和の時代には「眠れる獅子」と言われた国が、America first & onlyでなく last & lonelyとなりそうな国を抜き、わずか30年で世界一になろうとしている。「世界人民大団結万歳」のスローガン通りに、今は死語になりつつある”Global”が世界平和をもたらしてくれるといいのだが。

(編集子)小生現役の時代が、河瀬兄の言われる ”グローバリゼーション”とやらの最盛期だった。アメリカの優良先進企業、という世間の評判にかけて、小生の勤務先もその具体化というか実行というか、にえらく熱心だった。ま、反対じゃないけど、あんたの言ってるのは globalization  じゃなくてcaliforniazation じゃやねえの? なんて思っていて、みんながなびいてる中で白眼視されたもんだ。世界が同じ、なんてこたあり得ない、と思っているのだが。これもまた、天邪鬼のひがみかねえ。

 

 

乱読報告ファイル (41)   孤城 春たり    (普通部OB 菅原勲)

この本の帯に、「借財10万両から蓄財10万両へーわずか7年で財政を建て直した備中松山藩(今の岡山県)の改革」とあったから、てっきり、儒学者である山田方谷(ほうこく)が、どうやって10万両を返済し、どうやって10万両を蓄えたのかが、縷々述べられるものと思っていた。ところが、この本は、羊頭を掲げて狗肉を売る類いの話しではないが、全く違って、何のことはない、返済し終わった後の後日談で、その主題は、正に江戸時代が終わらんとする幕末の動乱期を扱っている。

確かに、当初の思惑とは違った内容となっており、470頁をも超える長丁場となったが、大変、面白かった。松山藩の藩主である板倉勝靜(かつきよ)を江戸幕府の老中に召し出されたが故に、松山藩に降りかかって来る、朝敵の汚名をどのように漱ぐのか。そして、山田方谷を筆頭に時代の波に揉まれながら、懸命に生きる人々を描く、幕末群像劇でもある。

なかでも、極めて印象的だったのが熊田恰(あたか)の生き様だ。鳥羽伏見の戦いでは、藩主板倉勝靜の親衛隊長として大阪に詰め、その後、藩兵157人を率いて海路玉島(現在の岡山県倉敷市)に逃れるものの、朝敵として岡山藩に包囲され、恭順の証として、1868年1月22日、熊田は切腹し(43歳)、藩兵の生命と玉島を戦火から救うこととなった。年寄役200石取りの武士だったが、没後、300石取の家老となり、また、朝敵ではあるが、神となって熊田神社に祀られている。

物語りは、その熊田が山田を襲うところから始まる。何故なら、山田が卑賎の商家の出にもかかわらず、藩の財政を建て直したことにより、異例の昇進を遂げ、藩内の怨嗟の的となっていたことから、「君側の奸は除かねばならん」。しかし、山田を直接知り、その謦咳に接するに及んで、山田の並外れた無私さに敬服し、素直に、山田の用心棒となる。それが、最後の最後、逆に熊田が切腹することになるとは、何とも皮肉な話しではないか。

山田の藩財政を建て直したと言う盛名は、それこそ全国の津々浦々まで鳴り響いており、越後長岡藩の河井継之助、会津藩の秋月悌次郎などが弟子入りのため山田の下にやって来る。

加えて、伊豆の韮山代官、江川太郎左衛門、上州安中藩、新島七五三太(しめた。後の襄)などが登場し、その他に、澤田の架空人物が数多登場するのは言うまでもない。

確かに、江戸城は無血開城された。とは言え、革命には、つきものなのだが、会津の白虎隊しかり、五稜郭の幕府軍しかり、あるいは、この熊田しかりなど、その犠牲になった人々は枚挙に暇がない。そこに悲劇が生まれることになるのは言を俟たない。

最後、山田の詞、「世は移ろい、孤城は春にして、人は変わらぬ今日を迎える」でこの本は終わるのだが、その題名「孤城 春たり」はそこからとったものと思われる。

これは余談となるが、その後、山田は、岩倉具視、大久保利通らからその能力を高く評価され、明治政府の会計局(旧大蔵省)への出仕を求められ続けたが、老齢と病、郷学(一種の教育機関)に専念したいことから固辞し続け、明治10年、73歳にして亡くなった。なお、これも全くの余談だが、地元では、山田方谷をNHKの大河ドラマにと言う運動もあるらしい。また、板倉勝靜は、最後の最後まで佐幕を貫き通し、明治5年、特旨によりやっと赦免された。

なお、澤田瞳子には、画家、河鍋暁斎(きょうさい)の娘、暁翠を描き、直木賞を受賞した「星落ちて、なお」があり、これも、また面白かったことを付け加えておく。

***************************

山田 方谷(やまだ ほうこく)は、幕末期の儒家陽明学者、備中松山藩士。方谷は(きゅう)、(りんけい)、通称安五郎備中聖人小蕃山と称された[1

昭和の日に思いだした   (大学クラスメート 飯田武昭)

昭和の日というのが元々の昭和天皇誕生日(祝)だったと、毎年のように思い出すのは殆どの我々の世代人の感傷的な感覚かも知れない。

思い出す昭和の情景は人それぞれ又、その時々によって違って当たり前だが、今年の昭和の日に偶々思い出したのは新規開店したスーパーの商品棚に並ぶ各種の“飲料水”と“缶ビール”のことだ。私が初めて飛行機で外国へ行ったのは昭和38年(1963年)からの1年間に西ドイツへ滞在した時だった。日本では空気と水とはタダ(無料)で、どこででも飲める物であって、水に金を払って生活するなんて、何たることだと思っている人がほとんどだった。当時、ヨーロッパへ出張に来る日本人とレストランに食事に行くと、注文しないと何も出てこないのを訝って、殆どの人は先ず私に向かって発する言葉は“何故、先ずテーブルに水を持ってきて注文を取らないのか?“という習慣の違いからくる質問だった。理由が理解できた日本人は漸く、飲み物の注文に入ろうとするが、“昼間だから水にしておこうか”となったとする。注文取りに来たフロイライン(Fraulein)又はヘア・オーバー(Herr,Ober)、つまりウエイター又はウエイトレスから、“Mit Gas oder Ohne Gas”と必ず質問が来る。つまり、水(Wasser)は分かったが、“ガス入りかガス無しか“という2者選択をしないとWasser(水)の注文が決まらないのである。日本ではガス入りの水などは当時は殆ど飲まれていないので、説明すると理解した人は、“それでは、ガス無し”とやっと注文が終わる。私に限らず、少々、ドイツ慣れした輩は“Mit Gas”と何となく注文するようになっていた。これらの日本からの来客との会話の中で、必ずと言ってよいほど出てくるのは、“ドイツではビールより、水の方が高いくらい“という話題だった。一般には当時でも航空機内で出されるミネラル・ウオーターはフランス産のEvianが高級でVittel etcはやや落ちるイメージを持ったものだ。

その後60数年後の今日の日本のスーパーマーケットの飲料棚には、ところ狭しと各種ビールとミネラル・ウオーターが目白押しで、先日買って初めて飲んでみた≪新!All FREE(ノンアルコール≫(サントリー)まで入れると、最早、日本でも安いのはビールかミネラル・ウオーターか分らない状態になっている。つまらないことを思い出した昭和の日だった。

エーガ愛好会 (323) 教皇選挙    (44 安田耕太郎)

Screenshot

映画公開と時期をいつにするようにローマ教皇フランシスコが逝去した。ローマ教皇は正称、ローマ法王はローマ教皇の通称である。

全世界14億人以上の信徒を誇るキリスト教最大の教派・カトリック教会の最高権力者であると同時にヴァチカン市国の元首であるローマ教皇の選挙を「コンクラーヴェ」(conclave)と言うのを知ったのはイタリア在住の女流作家・塩野七生(ななみ)の著書「神の代理人」を読んだ時、半世紀以上昔。「神の代理人」とはキリスト教カソリック教会の「ローマ教皇」を意味する。

何らかの組織の構成員である人間は、個人各自の持つ業の深さ、権力への誘惑と欲から無縁ではない。ヒエラルキーを持つローマカソリック教会(聖ピエトロ寺院)の教皇選挙においても当てはまることを彼女の著書とこの映画で知る。

そのカトリック教会の総本山・バチカン市国・聖ピエトロ寺院内のシスティーナ礼拝堂で行われるローマ教皇選挙の内幕を描いたサスペンス映画。

嘗て観た「薔薇の名前」1986年(ショーン・コネリー主演、14世紀初頭、北イタリアのカソリック教修道院で起きた連続殺人事件が題材)、「善き人のためのソナタ」2006年(アカデミー外国映画賞受賞のドイツ映画、ベルリンの壁崩壊直前の東ドイツ諜報機関シュタージのスパイ活動を描く) と同じ味わいを感じた。渋い映画だか、噛めば噛むほど旨味が出てくるような。

Screenshot

教皇選挙を指すconclave(英: コンクラーヴェ)の語源は、ラテン語の”cum clavi”(鍵がかかった)で、枢機卿(英: cardinal)たちが教皇を選出する際に、外部からの干渉を防ぐため、システィーナ礼拝堂の密室に籠って会議を行うことから来ている。選挙権を有する80歳以下の枢機卿は被選挙人・候補者でもあり、互選で決める。密室における権力闘争そのものであるが、結論が出るまで外部には一切知らせることはない。長期間にわたる選挙過程と密室性から、日本ではコンクラーヴェをもじって「根比べ」と呼ばれ、イメージにぴったりで言い得て妙である。新教皇が決定すると礼拝堂の煙突から白煙が立ち上り市民は教皇選挙が終わったことを知る。教皇の死から15〜20日後に選挙は始まる。世界中から候補者兼選挙人である枢機卿がローマに集まるのに時間を要するからだ。投票者の2/3を占めた候補者が、選挙結果に同意(受諾)すれば、最終決定となる。最長のコンクラーヴェ期間は13世紀に3年かかったとある。イタリアとフランスの枢機卿が激しく対立して多数派工作が功を奏せず長引いたのだ。因みに、今度の教皇選挙は5月6日に始まると伝えられた。

そのくらい、まさに根比べを必要とする権謀術数が支配するのが教皇選挙なのだ。1500年以上に亘るキリスト教カソリックローマ教皇の存在であるが、現在の教皇選挙方法がほぼ確立されたのは中世の11〜13世紀頃であるという。従って1000年近い歴史があることになる。

さて映画だが、ローマ教皇が死去し、新教皇を選ぶ教皇選挙が行われる。ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)が、教皇選挙のまとめ役を務めることになり、108人の候補者たちが世界中から集まる中で、密室での投票が始まる。

コンクラーヴェを仕切ることとなった主人公ローレンスは公正にコンクラーヴェを取り仕切りたい、と思いながらも不正や差別、スキャンダルな人材には教皇になって欲しくない。自分は教皇になりたくないという強い願望の中でコンクラーヴェを進めていく。

Screenshot

公開中の映画なので、誰が教皇になったかネタバレしないが、相応しい人物が選ばれたかについては甲論乙駁ありそうだ。有力な候補者たちも女性や成年者に対する性的ハラスメント、汚職など世俗的問題の関与が明るみになり次々に脱落。また、ローマではイスラム教徒によるテコ事件の勃発もあって、選挙の行方は混沌としてくる。宗教は確信だけではなく疑いや寛容が必要とのローレンスの考えはまさに人間社会の難しさを表した姿ではあった。

予想通り神に仕える聖職者も、人間なんだと思う映画。選挙に勝つために、票を金で買い、弱みを握って他人を蹴落とす卑劣な手法。人の心をくすぐる耳打ち。政治家の選挙と同じだ。聖職者達とは思えないドロドロとした人間らしいドラマ展開が秀逸である。

そして映像は、舞台が歴史的建造物でもあり、独特の衣装も手伝って気高さを感じ丁寧であり光の加減が絶妙である。話がきな臭くても映像が丁寧で細部に心を配っているために品性が感じられた。最終投票に向かう白い傘をさした枢機卿たちを上空から撮った芸術的な映像は、この後の結果を予見させとても印象的だった。映画序盤は出演者と顔と役割が分かりにくく戸惑うが、やがてしっくりしてきて映画が面白くなっていく。

出演俳優たちの中では、ローレンス役の「イングリッシュ・ペイシェント」、「シンドラーのリスト」で好演した英国の名優レイフ・ファインズが目立つ。
いろいろな苦悩を抱えつつも正義感に溢れる首席枢機卿を演じた。ローレンスは結構な高齢(ファインズ出演時62歳)だが人間的に成長し続け前に進んでいく。イ

タリア人映画監督ロベルト・ロッセリーニを父にイングリット・バーグマンを母に持つイザベラ・ロッセリーニは彼女の若き日の名画「ブルーベルベッド」(1986年)の印象が強く残っていたが、

今度は随分お年を召した役(出演時72歳)を演じて、その変遷を吹っ飛ばしてしまっているのにはてとても驚いた。だが、その気品と品格と潔さは全く正反対と言える役どころなのに「ブルーベルベッド」のドロシーに通じるものがあった気がする。一番気になったのはローレンスを補佐していた俳優で、名は知らないがて控えめだが有能振りがほとばしり印象深かった。

最後には原作者が標榜する候補者が選ばれるが、そこまでいく間の悲喜交々の勢力争いはまさに社会の縮図のようだ。聖職者と思えないみっともない話が続出するが、その生々しさが人間の生き様のリアリティを産んでいるので、まさに見応えがあった。そして「根比べ」の最終局面で「戦争は心の中でのみ行うべきものだ」と名演説をした候補者が見事に新教皇に選出されるが、その新教皇には重大な秘密が隠されていた。最後の大仕掛けで、なぜ、この映画を今やらねばならないのか、信仰とは、など、深いテーマが投げかけられているようにも思える。

娯楽映画と割り切って観れば良いと思う。ローレンスの肩の荷が一生降ろせなくなる結末ではなかったか?一生これで良かったのかという”疑念”を抱き続ける結末。これも映画を面白くする結末だ。ミステリーとちょっぴりサスペンスに人間ドラマが味付けされていた、面白い映画だった。

卯月から皐月へと時は移る (普通部OB 船津於菟彦)

もう今年も卯月から皐月へと時は過ぎていきます。海の向こうではトラさんの狂気が続いて居ますが、米国の民主主義って何回か斯様な大統領が出たりして変化しているんですよね。まあハシカみたいなもんと思って冷静にじっくり対処していくしか無いですね。日本の食糧。日本の防衛は此方の事情でやることが一番。

自動車もお米も売りたい物何でも売ってみなはれ。国で総て作れない米国になって今から素材から作るのは無理では。中国・独逸等は日本仕様にして売り込んでくる。
戦後の日本じゃないのであの馬鹿でかくガソリン食う車誰が買うか。米も今やコシヒカリとか独自銘柄で微妙な美味しさで日本は作っている。勝てるわけ無い。
暫し、我慢して行くしかないですね。欲しがりません勝つまでは——鬼畜トランプ—-なんか昔聞いたなぁ。まぁそんなことは忘れて「冬牡丹」は菰を被りややひっそりですが、「春牡丹」は牡丹と芍薬が入り混じり、陽除けの日傘がアクセントで綺麗ですね。「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合の花」という美しい女性を表した都々逸にも登場しているとおり、芍薬と牡丹は、昔から華やかな花として好まれてきました。芍薬は香りか良い、葉は艶があり切れ込みが無い、茎は真っ直ぐに伸びている。立てば芍薬ですね。でもあんまり違いが分かりません。
芍薬も牡丹も英語では「Peony(ピオニー)」と表現します。しかし、この都々逸の元は「婦人の生薬の使い方を示す漢方の言で、イラ立ちやすい女性は芍薬の根を、座りがちの女性は牡丹の根の皮を、フラフラ歩く女性は百合の根を用いると良いという意味だとする説が語られ、実際に応用されている」とのこと???艶消しですね!ボタン科ボタン属の落葉小低木。原産は中国北西部と考えられている。日本には天平時代に渡ったといわれる。日本に伝わる前から園芸品種が作られ、江戸期には百六十以上もの品種があったとされる。木の丈は一メートルから一メートル半くらい。葉は二回三出羽状複葉で互生する。葉の長さは四センチから十センチくらいで裏は白っぽい。五月ころ、今年のびた枝に二十センチにもなる大輪の花を咲かせる。花の色は、白、赤、ピンク、黄などさまざま。多数の花弁が重なり合うようにぼってりと咲く。ボタンが樹木であるのに対して、シャクヤクは草本である。高さは約60 cm。芍薬を画く牡丹に似も似ずも 政岡子規
芍薬かわるがわるに 嗅いで 女系家族 伊丹三樹彦
芍薬の芽のほぐれたる明るさよ 星野立子

友人からこんな言葉を戴きました。元気出して人生100歳時代を謳歌して参りましょう。        Get Better As Time goes by、Life begins to feel short

(編集子)
5月1日、八ヶ岳南麓、標高1100メートルの我が家の庭で石楠花が開き始めた。八ヶ岳主稜の路傍に咲くのはあと何日だろうか。そういえば、三国峠から平票へ、あの稜線も石楠花の中を歩くんだったな。

乱読報告ファイル(40)明治波濤歌    (普通部OB 菅原勲)

「明治波濤歌」上・下(著者:山田風太郎。発行:筑摩書房、1997年)。

ちくま文庫に、「山田風太郎明治小説全集」がある。全14巻で、この「明治波濤歌」上・下は、9/10巻目に当たる。この内、小生が読んだことがあるのは、「警視庁草子」上・下、「幻燈辻馬車」上・下、「地の果ての獄」上・下の六冊だ。なかでも、最も面白かったのは、「幻燈辻馬車」だ。旧会津藩生き残りの薩長新政府への反感を通奏低音に、物語りが幻想的に語られる。山田には、他に、忍法ものもあるが、小生、それを、大変、苦手としており、一冊も読んだことはない。

 

波濤(ナミ)は運び来(キタ)り

波濤(ナミ)は運び去る

明治の歌・・・・・

と巻頭にあるように、この「明治波濤歌」上・下は、一言で言えば、「明治維新」と言う波が来て去った後の物語だ。そして、山田独特の虚実ないまぜになった、以下、六つの短編から成り立っている。

それからの咸臨丸:咸臨丸で米国へ航海した吉岡良太夫を通じて榎本武揚を語る。

風の中の蝶:南方熊楠、北村透谷を語る。

からゆき草子:樋口一葉、黒岩涙香を語る。

巴里に雪のふるごとく:川路利良、詩人ヴェルレーヌ、作家ヴィクトル・ユーゴー、画家の玉子ポール・ゴーギャン、それに、作家E.ガボリオが創作したルコック探偵を語る。こりゃー、映画で言うオールスターキャストだ。

築地精養軒:森鴎外を、ドイツから追っかけて来たエリス(エリーゼ・ワイゲルト)が語る。

横浜オッペケペ:浪士芝居の川上音次郎、その妻の貞奴、野口英世、永井荷風を語る。

虚実ないまぜ、と言っても、所詮、小説だから全てが虚であるのだが、それを感情移入させて最後まで読者に読ませるのが腕の見せ所。この点で、山田は極めて卓越しており、勘所を抑えて外さない。

一番、印象に残っているのは、樋口一葉のことを述べている「からゆき草子」だ。樋口は24歳で逝去した。従って、薄幸悲劇の小説家と言う印象が甚だ強いが、それに反するように、相場師に金を貸せと依頼する。それは、母親が奉公した家が零落し、娘を吉原に売り渡すまでになったため、その娘を救うために、原稿の前借を黒岩に泣きつくものの拒絶され、見るに見かねての樋口の行動だった。つまり、山田は、樋口の従来の印象を大きく覆そうとした。

樋口については、確か、「たけくらべ」を読んだ記憶がある。しかし、文章が文語体であること、それに句読点がないことなど、小生、歯が立たず、2/3頁、頑張ったものの早々に途中で棄権してしまった。それに懲りて、その翻訳本も試してみたが、これは、まるきり樋口の文章のリズムが喪われ、全くの別物になっていることから、これすらも途中棄権。つまり、樋口の本は一冊も読んでいない。樋口の作家生活は僅か14ヵ月で終わってしまうのだが、その間、「大つごもり」、「たけくらべ」、「にごりえ」など、森鴎外、幸田露伴などの文豪からも絶賛され、高い評価を受ける作品を発表し、奇跡の14ヵ月とまで呼ばれている。小生、5000円札が、樋口から津田梅子に変わったのが残念でならない。

次いで、「巴里に雪のふるごとく」。マルセイユから巴里までの列車の途中、後に警視総監となった川路が大便を催したくなるものの、列車の便所が満員のため、致し方なく新聞紙を便器替わりにし、それを、走っている窓から放り投げて捨てる。ところが、巴里につくや、糞を包んだ新聞が発見され、それが日本語であることから、犯人は日本人ではないかとの嫌疑を掛けられる。新聞紙が日本語であることころがミソなのだが、山田にはこんなオアソビモある。作家がふざけているのだから、臭いのを覚悟で、それを満喫しよう。

*************************

山田 風太郎は本名は山田 誠也。戦後日本を代表する娯楽小説家の一人。東京医科大学卒業、医学士号取得。 『南総里見八犬伝』や『水滸伝』をはじめとした古典伝奇文学に造詣が深く、それらを咀嚼・再構成して独自の視点を加えた伝奇小説、推理小説、時代小説の3分野で名を馳せる。
受賞歴: 菊池寛賞
デビュー作: 『達磨峠の事件』
主な受賞歴: 探偵作家クラブ賞(1949年); 菊池寛賞(1997年); 日本ミステリー文学大賞(2000年)

 

エーガ愛好会 (322)シヤイアン    (34 小泉幾多郎)

1878年アメリカ政府の政策により、故郷のワイオミング準州イエローストーンから、オクラホマ準州のインディアン居留地に強制移住させられたシャイアン族は、病気と飢餓のために、仲間の三分の二が死んで行った現状を打破すべく、内務省先住民局を訪れ、現状を訴えようとしたが、政府委員会の役員は現れず、その理由が、今夜の将校の舞踏会に差し支えるという、シャイアンを小馬鹿にした態度が映画の始まり。痺れをきらしたトール・ツリー(ビクター・ジョリー)、リトル・ウルフ(リカルド・モンタルバン)、ダル・ナイフ(ギルバート。ローランド)の3酋長は相談の上、生き残った人々を引き連れ、故郷のイエロー・ストーンに帰ることを決定する。

それを知った政府軍は、すぐさま討伐軍を派遣する。討伐軍の将校アーチャー大尉(リチャード・ウイドマーク)は、シャイアン族に同情的ではあったが、一行の中に婚約者のデボラ(キャロル・ベーカー)がいることを知り、任務のため追討しなければならなかった。やがて両者の間で過激な戦いが始まる。特に、スパニッシュ・ウーマン(ドロレス・デル・リオ)といわれる、その息子レッド・シャツ(サル・ミネオ)が好戦的で、白人側も8人の戦死者を数えた。このニュースも8人から16人、24人とエスカレートし人々の憎悪を煽ったのだった。

物語は、前半からシャイアン族を主体に、それを追う騎兵隊の展開がすすむが、背景となる景観は、ウイリアム・クロ―シャー撮影監督の下、フォード映画では、お馴染みのモニュメント・バレーが今回も舞台に選ばれ、視覚的に非常に美しき風景と共に、行進する人々のシルエットにも詩情を感じる。飢餓と不正義に耐えかねて、故郷を目指しして旅をする民族の尊厳と自由を求める闘いは、アメリカ社会の葛藤そのものだった。アカデミー色彩撮影賞にノミネートされている。この景観に歴史ものの音楽で成功を収めているアレックス・ノースの音楽が劇的にマッチしている。

シャイアンが来るという噂で、ダッジシティは恐慌状態になり、市民軍が結成され、ワイアット・アープ(ジェームス・スチュアート)が隊長に、ドク・ホリディ(アーサー・ケネディ)、のほか、ジェフ・ブレア―(ジョン・キャラダイン)も加わる。その3人がポーカーを始めた頃、インディアンを殺し、頭皮を切り取った4人組と酒場のマダムに収まるミス・プランジェナット(エリザベス・アレン)が一騒動起こす。この騒動が、特にこのストーリーに直接関係するとは思えない。ワイアット・アープ他二人と酒場でのつまらないエピソードと酒場マダムとの野外での疾走シーンとも、独立した話のようで、こんな話は、B級映画と同じく何と下らない映画を作ってきたことか?と反省すると辻褄が合うようだ。このエピソードの損害は、絹のドレス1枚。

冬が近づき、シャイアンは大草原を進み、鉄道の突破に成功することもあったが、寒さと雪に悩まされ、フォートロビンソンのウエッセルズ大尉(カール・マルデン)に降伏したものの、居留地に戻せという命令が届き、居留地へ連れ戻されるより、死んだほうがいいと思ったシャイアンは大部分が倒れながらも遁走し洞窟に隠れた。其処へ騎兵隊が現れ、大砲を向け、もはやと思われたが、事前にアーチャー大尉が、打ち合わせしたカール・シュルツ内務大臣(エドワード・G・ロビンソン)と共に、リトル・ウルフ(リカルド・モンタルバン)とダル・ナイフ(ギルバート・ローランド)と会い、「シャイアンが父祖の地に戻りたいのは、尤もであり、真相を知れば、白人も理解する」と説いた。二人の酋長も同意した。その後シャイアン内部では、リトル・ウルフとレッド・シャツが撃ち合い、レッド・シャツは息絶えた。自分の種族を殺したリトル・ウルフは一人、放浪の旅に出た。デボラとアーチャーは、シャイアン達が嬉々として緑の谷へ向かうのを見守った。

フォード映画の常連ベン・ジョンソンとハリー・ケリーJr.の両名、キャストに
載っていないが、馬上で出演とのことで、探したら、2回出てきた。開幕40分後、二人偵察を指示され、ベンの馬が撃たれるも、ハリーの馬に同乗し帰還。更に開幕1時間40分後、二人は川を渡り、ハリーがデボラ記載の日記帳らしきものを見付け、拾い上げアーチャー大尉に手渡す。「黄色いリボン」から10年以上経っているのに、二人共動きが速い。それにしても、今回のキャスト、これまでのフォード作品に出ていないような俳優たちを選択したものだ。主役のリチャード・ウイドマークは、「馬上の二人1961」での相性の良さからも、ピッタリの適役で、部下のジョン・ウエインの息子パット・ウエイン扮するスコット少尉に、シャイアンの扱いにつき、勇敢と蛮勇であることは違うのだと念を押すように、インディアンに深い同情を寄せながらも、非情な行動をとらねばならぬ難しい役柄に挑んでいる。相手役のキャロル・ベーカーもインディアンと苦労を共にする若い女教師という役どころは、気丈な娘として、風雪の中を生き抜く女性像を演じてきた女優として適役だった。白人側の要職者、エドワード・G・ロビンソン、カール・マルデン。アーサー・ケネディやシャイアン側の主役の面々ビクター・ジョリー、リカルド・モンタルバン、ギルバート・ローランドにサル・ミネオ。シャイアンの女性ドロレス・リオ。ダッジシティでスカートを剥ぎ取られながら駆けずり回るエリザベス・アレン等々フォード映画初登場、遅まきながらもフォード一家の誕生ということにもなる。

以上概要だが、ジョン・フォード最後の西部劇、途中にお遊びも入れたところもあるが、円熟の極致に達した集大成と言っても良いのではなかろうか。

***********************************************************************

シャイアン(Cheyenne)とは、アメリカ合衆国インディアン部族の一つ。ワイオミング州の州都シャイアンはシャイアン族に因んでいる。

ワイオミング周辺を領域とした「北シャイアン族」と、オクラホマ周辺を領域とした「南シャイアン族」の二大支族に分かれる。現在も同盟関係にあるダコタ・スー族が彼等を「わからぬ言葉を使う人」と呼んだのが訛ってシャイアンと呼ばれるようになった。

シャイアン族とスー族はブラックヒルズなどをめぐり敵対関係にあったが、後に北方シャイアンはダコタ・スー族と同盟関係になり、リトルビッグホーンの戦いではダコタ・ラコタのスー族と、同じく同盟関係にあったアラパホー族の連合軍が、カスター中佐率いる第七騎兵隊を壊滅させた。

25年春 キチ会  (KWVS41年卒同期会)開催      (41 斉藤孝)

2025年の「春のキチ会」は、4月24日(木)に三田ファカルティクラブで開催された。 ビュッフェ形式で飲み放題であるという。

「食い放題と飲み放題」は大好きなフレーズ。 スピーチ中でもテーブルに並べられた御馳走の配置を探る。

出席者は翠川、下井、見谷、斉藤、相川、上野、今井、浅輪昭子、横山、 柏木、安藤、平木、佐川久義、久米吉之助、行子、高木、16名である。

ふと出会い、そして仲良く過ごした山旅。これこそが一生の宝物、大切にしていこう。 あれから年月日は流れ82歳の老人になった。背筋を伸ばし、残る余生は堂々と進もう。

 

 

渡辺貞夫を聴きに行ってきました       (44 安田耕太郎)

92歳のサックス奏者・渡辺貞夫のライヴ🎷を聴きに馴染みの岩手県一ノ関市の「ベイシー」(Basie)に行った。立錐の余地は10cmも無いほどの超満員。来た人はひょっとして貞夫さんの最後の生演奏になるかも知れないと思った可能性が高い。一年前にはそれが最後になる、と本人が言っていたからだ。

(飯田)Basieと言う、言わば安田さんのホーム・グラウンドで、92歳のナベサダ(渡辺貞夫)のサックス演奏を2日連続で聴かれ、その合間に満開の弘前の桜を満喫とは、真に羨ましい限りの旅でしたね。貴重な又綺麗な写真を楽しませて貰いました。ところで、クラリネットでは、96歳の北村英治(慶應義塾文学部中退)が、同じく現役で頑張っていますね。北村は神戸が好きで毎年のように演奏にきます。

 

渡辺 貞夫わたなべ さだお英語Sadao Watanabe1933年昭和8年〉2月1日 – )は、日本ジャズサクソフォーン奏者ジャズミュージシャン作曲家栃木県宇都宮市出身。「ナベサダ」の愛称でサックス奏者フルート奏者としてジャズ、フュージョンの分野で活動を展開。ちなみに、妹はジャズシンガーのチコ本田、弟はジャズドラマーの渡辺文男、娘に絵本作家の渡辺眞子がいる。

ローマ教皇葬儀のパリからエーガの話    (パリ在住 平井愛子)

今、私はPape Francoisの葬儀の中継を見ているというか、インタ-ネットを接続したままにしているというところです。バチカンの公式セレモ二-の言語はフランス語なのですね。各国の首脳はフランス語の国名に従って、アルファベット順に並んでいます。世紀のセレモ二-は続きますが、先日、映画「コンクラ-べ」を見たことについて書かせていただきます。
この映画はパリで封切られて2ヶ月ぐらいたつのですが、見たいと思いながら、多忙に任せて見に行けなかったのですが、Pape Francoisが亡くなって、私もこの方には尊敬を寄せておりましたので、サンミッシェル近くの、Saint Andre des Arts通りの同じ名前の映画館にいきました。満員でした。皆、Papeが亡くなった機会に見なくちゃ、とやって来たようです。
主題が重たいのでそういうイメ-ジを持って行きましたが、何とバチカンを真剣におちょくっているというか、それは“真剣な辛口コメディ”なのです。
Papeが亡くなる所から映画は始まります。動作、会話などに、クスっとしてしまう皮肉が散りばめられて、またバチカンがぶつかっている様々な問題やテーマが浮き彫りにされています。
3人の有力な次の法王に目されているカルディナ-ルがいるのですが、投票の度に、女性への性暴力、汚職、未成年への性ハラスメント、などが明らかになり、失脚していきます。同時にローマで大変なイスラミストのテロがあり、かなりの人が犠牲になるという事件が起き、これはコンクラーベ中のカルディナ-ルたちに大きな影響を与え、ムスリムにトレランスも持ち過ぎていた、とかイスラムへの強い嫌悪を表明するカルディナ-ルも出てくる始末。そこへPapeが亡くなる寸前に任命したアフガニスタンのカブ-ルのカルディナ-レが、本来の神の心とキリストの精神について語るのです。これは、多くのカルディナ-ルに長年の内に、初心を失い、神に仕えるはずだった自分の生き方がすっかり政治家のそれになっていたことに気付きます。この勢いで、なんとこのカブ-ルのカルディナ-ルがPapeに選ばれてしまうのです。でもこの人にも重大な問題があります。これは皆さま、ご自分でご覧くださいませ。
セレモ二-は粛々と続いております。
(ウイキペディア抜粋)
コンクラーベとは、カトリック教会において新しい教皇を選ぶための選挙のことです。ラテン語で「鍵がかかった」を意味し、選挙期間中、枢機卿たちが外部との接触を絶たれた場所で投票を行います。結果は煙の色で知らされ、白い煙が上がれば選出、黒い煙なら再投票を意味します。

教皇選挙』(きょうこうせんきょ、原題:Conclave)は、2024年制作のアメリカ合衆国イギリスミステリー映画

ローマ教皇死去に伴って行われることとなった教皇選出選挙(コンクラーヴェ)の舞台裏と内幕に迫ったミステリ[4]。原作はロバート・ハリスの小説『教皇選挙 (小説)英語版』(未邦訳)で、原作から登場人物の設定に変更が加えられている。第97回アカデミー賞において作品賞含む8部門にノミネートされ、ピーター・ストローハンが脚色賞を受賞している[5]。第82回ゴールデングローブ賞においても脚本賞を受賞している[6]。また、英国アカデミー賞では作品賞英国作品賞を、全米映画俳優組合賞では最高賞となるキャスト賞を受賞した。