実の両親は戦死し、

旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
実の両親は戦死し、
映画「緑の館」
映画「緑の館(Green Manshons)」(1959年)はウイリアム・ハドソンの恋愛小説を映画化した作品。主演はオードリー・ヘップバーン、アンソニー・パーキンスで、監督は当時、ヘップバーンの夫だったメル・ファーラー。助演に、リー・J・コッブ、早川雪洲。
物語は南米ベネゼイラの反乱軍から逃れてアマゾンの原始林に迷い込んだ青年(A・パーキンス)が、先住民に捕らえられて処刑寸前で族の酋長(早川雪洲)に一命を助けられたが、原始林に現れる不気味な妖精か魔女を処罰する任務を受けて原始林に入り込むが、動植物と触れ合う内に妖精(A・ヘップバーン)とも出会う。妖精は仲の悪い祖父(リー・J・コッブ)と暮らしているが次第に過去の悲惨な住民闘争の事実が明かされ、青年は妖精に恋心を抱くようになる。一方、先住民は青年が戻って来ないことに痺れを切らし、原始林を捜索し妖精を大木の上に追い上げ、下から火をつけて大木ごと焼き殺してしまう。青年は先住民に事情を説明し、原始林の先の光の差し込む丘に立つ妖精の元へ駆けあがり抱き合うのであった。
映画「噂の二人」
映画「噂の二人(The Loudest Whisper)」(1961年モノクロ) リリアン・ヘルマンの戯曲「子供の時間」(1930年代)を映画化した作品。主演はオードリー・ヘップバーン、シャーリー・マクレーン、ジェームス・ガーナー。製作監督は「ローマの休日」のウイリアム・ワイラー。
物語は全寮制の女子中学校で女教師二人(カレンとマーサ)に虐められていると誤解した一人の意地悪い女生徒が、苦し紛れに大嘘をつく。それを丸のみで信じた女性の校長が学生たちを親に引き取らせ、その噂が街中に広がってしまう。カレンと婚約している若い男性医師(ジョー)は、二人の側に付き、噂の払しょくに腐心するが、最早手遅れの事態となり、やがてカレンは実はマーサを本当に好きだったと告白する事態に発展する。挙句の果てはカレンは精神を病んで自殺してしまう結末はあまりにも惨い。
この映画の見所は、当時、人気絶頂の2大女優オードリー・ヘップバーンとシャーリー・マクレーンの迫真の演技であろう。多くは室内でのドラマ仕立てのストーリー展開で2大女優と助演者たちの名演技で物語を引っ張る力は、流石に名匠ウイリアム・ワーラーだと思う。結末までのストーリー展開に疑問を持つ人もいるかも知れないが、舞台ドラマを観る感覚で、俳優の演技を主体に、人物の配置やカメラワークを楽しむ積りならお勧めのサスペンス感を煽るシリアス・ドラマだと思う。個人的な見解だが、この映画でも私の贔屓のシャーリー・マクレーンの演技力は、オードリー・ヘップバーンを圧倒している。彼女は悲劇・喜劇を問わずオールラウンドに名演技が出来て、ダンスも踊れる最もチャーミングな女優だった。
監督ウイリアム・ワイラーは「ローマの休日」(1953年)の後、A.ヘップバーンをこの映画で使い、その後に「おしゃれ泥棒」(1966年)でもヘップバーンを3回目の主役に使っている。ワイラー監督は他にも「ミニヴァー夫人」「大いなる西部」「ベンハー」など、数々の名作を残しているが、この映画はワイラー監督の「必死の逃亡者」(1965年モノクロ)と似たような屋内でのドラマの緊迫感を醸し出す設定になっている。「必死の逃亡者」は、とある閑静な住宅街の平和な幸福な家族の家に、3人の強盗が侵入し、家族とのやり取りの緊迫感が漲るストーリー展開。幸せな家族の夫婦をフレドリック・マーチ、マーサ・スコットが演じ、3人の強盗はハンフリー・ボガート、ロバート・ミドルトン、デューイ・マーティン。保安官役にアーサー・ケネディ、ギグ・ヤングも出ている。こちらも俳優の名演技、舞台設定でモノクロ映像が生きている映画の典型だと思う。
(金藤)ヘップバーンの出演映画に「マイヤーリング」1957 原作 「うたかたの恋」があったのも最近知りました。オーストリアの皇太子役は、当時、ヘップバーンの夫だったメルフ
(飯田)ヘップバーン&メル・ファーラーの「マイヤーリング」(1957
小説「マイヤーリング(Mayerling)」を映画化したフラ
映画「リリー」は、このコーナーで私が時々話題に挙げる作品(小
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マイヤーリンク (Mayering)事件
ルドルフ・フランツ・カール・ヨーゼフ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン(ドイツ語: Rudolf Franz Karl Joseph von Habsburg-Lothringen, 1858年8月21日 – 1889年1月30日)は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の子で皇太子。ハプスブルク=ロートリンゲン家の世継ぎとして周囲に期待されたが、父帝との反目や政治的対立などから孤立し、男爵令嬢マリー・フォン・ヴェッツェラと謎の死を遂げた(「マイヤーリンク事件」)。その死については、今もなお謎に包まれている。
夏の猛暑の中で実施された2025年KWV夏合宿でした。その疲れも取れたようです。合宿の記録が完成しましたのでご覧ください。
https://saitotac.jp/YTkwv2025Akikawago.html
(夏合宿担当 H3 大内邦彦)ワンデルングは計16班に分かれて行われ、どの班も天気に恵まれ
7月23日の鵠沼は猛暑になり、まるで熱帯雨林のような雰囲気になった。
デラウェアは色づき、ナイヤガラも大きな緑色の房をぶら下げている。「秘密の花園」は「癒しの葡萄」の庭に変わった。その昔、仲間と植え育てた葡萄は苦労し「怒りの葡萄」になったが自家製ワインは美味かった。
「怒りの葡萄」の舞台は、1930年代の貧困に苦しむカリフォルニア。
あれから約百年も過ぎて、クレージートランプが堂々と大統領になれる合衆国。憧れのカリフォルニアは何処かに消えてしまった。小説家スタインベックは嘆いているだろう。
こんな狭いマンションの庭でも葡萄は生き生きと元気に育ってくれる。一粒摘まむと甘酸っぱい味がした。昔の「怒りの葡萄」の味を懐かしみ、新鮮な「癒しの葡萄」の豊作を祝った。夢のカリフォルニアの味がした。酷暑を耐え抜こう !!
”トランプを生み出した思想家たち”という副題がついているのに興味を以て読んでみた。副題の言う通り、基本的には米国の社会思想家の紹介なのだが、結果として米国にとどまらず、西欧諸国で起きている民主主義の変革(その具体的な現象が先に菅井君が本稿で書いたポピュリズムへの傾斜というのが著者の意見)の解説、と言っていい論説だ。著者はトランプが在任中にどれだけの変革を持たらずかはともかく、結果としてアメリカの価値観に大きな影響を及ぼすような人々や思想の台頭をもたらし、それによって社会や政治の中長期的な変容・変質が促されるのではないか、という。そしてその兆候は共和党や右派の側で顕著だが、いわゆるリベラルや左派にもそのような動きがないわけではない、とする。そしてトランプの出現は別として、アメリカがこれまでとは異なるアメリカになることを積極的に求める人たちがその右派の中で主導権を握りつつあって、”ポストリベラル右派”と呼ばれる潮流を作り、その中核にあるのが米国の思想的礎であるはずの古典的自由主義を捨て去るべき時期に来ているとする主張だというのだ。
この本で小生がもっとも興味を覚えたのは、”1619プロジェクト” と呼ぶ運動―バラク・オバマのが関与があったーということだ。アメリカ合衆国の誕生とされる1776年の独立宣言に対して、当時のヴァージニア植民地に30名の黒人奴隷が連れてこられた1619年こそが、現在のアメリカ現在の米国の誕生した年だ、とした論説であって、アメリカの本質は奴隷制を抱え込みながら自由と平等を宣言したその欺瞞にある、というものだった。この本でも書いているが、かの奴隷解放を宣言したリンカーン本人が実は奴隷を多数抱えていた、という事実、建国の父、とされるワシントン以下の指導者たちも奴隷の所有者だった、というのが史実であり、アメリカの本質は黒人たちがこの欺瞞を克服してきたということにある、とするのがこのプロジェクトが主張したことだった。このような歴史観を否定するためにトランプがたちあげたのが1776プロジェクトで、その主張は独立宣言が掲げた自然権が喪失していく過程がアメリカの歴史そのものだ、とする。このプロジェクトはバイデンによって解散させられている。
このことで明らかになるのは、いわば部外者であるわれわれには本質的に理解ないし同調することは難しいが、この現代において今なお人種差別という問題がアメリカにおけるいわば宿痾と呼ぶべき問題として現存している、ということを再認識する。その中にあるのが、より分かりやすく解説すれば、今やヒスパニック人口が白人人口を上回ることが確実となったこの国にとって、白人の持つ危機感というか異文化への嫌悪感が顕在化してきたこそが問題だ、ということだ。そしてそれが現在、ドイツやフランスなどで澎湃として起きている反移民の感覚と全く同じ軌道に乗っている、というゆるぎない事実だ。こうしたいわば大衆が持つ白人および白人文化の衰退への危機感が、現在の民主主義の在り方に不満を募らせているのが、アメリカだけでなく西欧諸国を包含した、漠然という民主主義に対する不安感なのだ。
アメリカにおいては、バラクによって推進された政治が、結果として平等という観念がいわば絶対的善とされ、それに逆らうことを拒否するポリティカルコレクトネス、という論理が生みだした、ある種の閉塞状況に陥ってしまい、結果としてそもそも改革を主導すべきリベラルがいまや改革に抵抗する保守となってしまった。今や逆に保守とされてきた勢力が改革を叫ぶ、という逆転状態にあるのがアメリカ、そして多分、ヨーロッパの一部であるのだ、と著者はいう。
この本を一応読み終えて感じるのは、トランプ現象がどうやら大金持ちの変人とユダヤ資本に支えられたIT富豪による権力の収奪ではなく、むしろ、民主主義各国がいままで糊塗してきた白人第一思想の問題点の顕在化、ともいえるのではないか、という感覚を持った。四方を海に守られ、宗教の束縛を感じず、多民族とのせめぎあいも少ない我が国にあってはこんな風潮に惑わされず、グローバリゼーションなどという見掛け倒しに踊らされ続ける ”出羽守”インテリに踊らされず、敵何万ありともわが道をいく気概を持ちたいものだ。
一時は、ジョン・フォード後継者とまで言われ、西部劇の秀作を手
映画は190
今は引退して、娘スーザン(バーバラ・ハーシー)と住んでいるバ
引退した保安官と復讐に燃える男という怨念に燃える宿命の対決は
(編集子)小生にとって、マクラグレンとはどこまでいってもフォード騎兵隊ものの常連だった父親のほうであり、ヘストンは 大いなる西部 の頑固者であり、コバーンは出世作、荒野の七人 の口数少ない凄腕のナイフ使いの役とその最後のナイフが突き刺さるカットが忘れられない。その後いろいろな作品を見たが、これに勝る記憶はない。そのせいか、この作品にはあまり熱がはいらなかった。ドクコイズミ、申し訳ない。
新自由主義(≒市場原理主義)的な経済思想、
その結果、既存の政治・経済・