2025年6月3日。
”俺たちの時代” がまたひとコマ、回ってしまった。
東西文明が交差する十字路 (41 斉藤孝)
深い白雲が包み込み荘厳な雪山の白と一体になっていた。ここが憧れたパミール高原なのか、 興奮 !!
高齢になりパミール高原まで登って来られて感謝した。老眼にしっかりとその姿を残しておこう。
地図座標をパミール高原の中心に置いてみた。なるほど中央アジアの屋根に違いない。 中学生時代から熱中してきた西域の地名が続々と浮かんできた。
北にカザフステップとウラル山脈、その下にアラル海とシルダリアとアムダリア。右から天山山脈と崑崙山脈が迫って来る。
二つの山脈に挟まれるタクラマカン砂漠。その下にはカラコルム山脈とヒマラヤ山脈が広がる。その彼方はインド大陸に続く。
西に目を向けると、カスピ海がありイラン高原にザクロス山脈とその北にカフカス山脈が連なる。 そしてティグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミア。その西はアナトリア高原である。
パミール高原は7000m級の霊峰に囲まれた広大な高原である。険しい山々の隙間は深い渓谷になっていて人の往来は可能だった。
ソビエト連邦時代にコム二ズム峰(共産主義峰)と呼ばれた標高7495mのイスモイル・ソモニ峰は現在はタジキスタンの領土である。
中国領土には7719mの最高峰コングールとムスタグアタ山がある。カラコルム山脈のカシミールには名峰「K2」(標高8611 m)がある。
「カラクリ湖」
カシュガルからのバスは高山病を警戒しながら穏やかな速度で徐々に高度を上げていった。 この道はクンジュラブ峠(4733m)を越えてパキスタンのフンザへと通じている。その先のカラコルム街道からガンダーラ地方に入る。
インドで誕生した仏教は、最初は単なる人の生き方を説く説法に過ぎなかったが、 パミール高原でペルシャのゾロアスター教やマニ教の教えと交わることで経典が整えられて仏教という宗教になった。
ガンダーラの仏像のお顔はペルシャ人やローマ人とソックリなのだ。仏教は実にオープンで様々な思想と宗教を取り込んでいった。
パミール高原は東西文明が交差する十字路だった。
物語『西遊記』はパミール高原を舞台している。孫悟空は石から生まれた猿で、強力な力を持っている。 三蔵法師は仏教の経典を求めて旅に出て猪八戒や沙悟浄といった弟子を得て、妖怪たちと戦いながら天竺を目指す。
そのモデルとなった『大唐西域記』は唐の時代に中国からインドへ渡り仏教の経典を持ち帰った玄奘三蔵の長年の旅を記したものである。
カラクリ湖は標高標高3600mの所にある。紺碧の水面に天空の峰々を写しこんでいた。 ウイグル語で「カラクリ」は「黒い海」を意味するという。「カラ」はトルコ系言語でも多く使われている。 「カラコルム」や「カラキタイ」、そしてアナトリアとロシアやバルカン半島、コーカサスに位置する「黒海」(Black Sea)。 もしかして「カラクリ」と呼ばれたのではなかろうか。正式には「カラデニズ」(Kara Deniz)と呼ばれる。ウイグル語もトルコ系。 中央アジアからアナトリアまで壮大なトルコ系民族の世界が広がる。
皐月から水無月へ (普通部OB 船津於菟彦)
今年もいよいよ梅雨の水無月がやって来ましたね。また猛暑到来か
そんな水無月はトランプの狂気とプーチンの拡大策がどう成ってい
『特別軍事作戦』の参加者
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昭和20年(1945)5月24日は、東京の山の手地域と空襲で
横浜大空襲は1945年5月29日,午前9時20分ごろ、米軍のB29爆撃機517機がP51戦闘機
一方欧州では5月8日は、第2次世界大戦終結記念日です。
最初のドイツ降伏文書は1945年5月7日2時41分、フランス
ドイツのヴィルヘルム・カイテル元帥が5月8日、ベルリンで全面
1945年8月14日、日本政府は連合国に対してポツダム宣言を

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平和っていいなぁ。80年間戦死者ひとりもで無いし戦争の無い日
あぢさいや一かたまりの露の音 正岡子規
紫陽花の藍きはまると見る日かな 中村汀女
紫陽花や人見る犬の怜悧な目 星野立子
飽くほどの平和おそろし 七変化 伊丹三樹彦
乱読報告ファイル (49)虫を描く女 (普通部OB 菅原勲)
「虫を描く女(ひと)」[副題:「昆虫学の先駆」マリア・メーリアンの生涯](著者:中野 京子。発行:NHK出版新書、2025年。ただし、2002年に講談社から出版された単行本[情熱の女流「昆虫画家」メーリアン波乱万丈の生涯]の新書復刻版)。
最近、先が余りないことから、本につき、新刊本は購入、古い本は図書館から借用へと、方針を改めた。その宗旨替えから、本屋、その殆どが目黒の有隣堂なのだが、頻繁に訪れて新刊本を漁っている。やっぱり、本は手に取って、パラパラと捲りながら、気に入った本を探すのが最高の喜びであり、最高の愉悦だ。この前も、新書を3冊ばかり購入したが、その中で、表紙の絵に強く惹きつけられた極め付きの本が一冊あった。それが、これからお話しする「虫を描く女」だ。具体的に言えば、パッと見て、表紙にある絵「アメリカンチェリーとモルフォチョウ」(スリナム本/図7。下記を参照)の色彩の極めて鮮やかな事、それだけで購入することにした。これを後から良く眺めて見ると、蝶とかチェリーは勿論のこと、そこに取っついている毛虫についても、極めて微細に描かれており、鮮やかな色彩と相俟って、見るものを感動させる。
「虫を描く女」とは、ドイツで、40ペニッヒ(1987年発行)の切手となり、500マルク(1992年発行)の紙幣となった(ユーロの時代となって、もうなくなってしまったかもしれないが)マリア・ジビーラ・メーリアン(1647年―1717年)だ。小生は、これまで全く知らなかったのだが、近代科学の夜明け前の17世紀、フンボルト、リンネ、ダーウィンなどよりも前に、全くの独学で虫の研究を行い、そのメタモルフォーゼ(変態。例えば、卵➡幼虫➡蛹➡成虫)の概念を絵によって表現した画期的な先駆者なのだ。従って、日本では5000円札の樋口一葉、津田梅子などがお馴染みの人物であるように、メーリアンもドイツでは、紙幣の肖像画となっているグリム兄弟、クララ・シューマンなどと同様、お馴染みの人物となっているのではないだろうか。
父はスイス人、母はオランダ人で、ドイツのフランクフルトに生まれたから、生まれながらにして国際人(コスモポリタン)だったことになる。実際に、そこから、ニュルンベルクを経てオランダのアムステルダムに移住し、52歳にしてオランダの植民地だった南米のスリナムへ、そして、マラリアで死に損なってアムステルダムへ帰国するなど、その動きは正に常人のものではない。
昆虫についての彼女の最大の功績は、当時、虫は腐敗物から自然発生するとのアリストテレスの説が依然として強固に信じられており、例えば、イモ虫と蝶は全くの別物とされていた。ところが、彼女はそれを真正面から否定し、上述のように変態を絵によって表現した。もう一つは、南国産大型昆虫の生態を知りたいがために2年ほど滞在していたスリナムから帰国後、彼女はライフワークとでも呼ぶべき手彩色された72枚の銅板画集「スリナム産昆虫変態図譜」を出版した。それは、日本でも「スリナム産昆虫変態図譜」(1726版)と題して翻訳され、2022年、鳥影社から35,200円で出版されている。高輪図書館で借りようと思ったが、残念ながら、現在、予約を受け付けていない状態だ。
中野のこの著作には、上記、スリナム本からメーリアン独特の絵が数々転載されているが、これをスペイスの関係で紹介出来ないのは甚だ残念だ。もし興味がある方がおられるならば、せめて立ち読みでもして彼女の芸術的とも言うべき絵画をとっくりと眺められてはどうだろうか。そこに表れているのは無味乾燥な虫、花などではなく、例えば、躍動的な蝶であり、何とも可愛らしい毛虫であり(小生、毛虫は毛嫌いしているのだが)、などなど、見る人を飽きさせない。こんな人が、今から400年ほど前、魔女狩りの全盛期である17世紀に生きていたのだ。男女の区別なく「好きこそ物の上手なれ」、を突き詰めて行くと、昆虫学の先駆者、メーリアンとなるのだろう。
(44 安田)先ず興味を惹かれたのは、著者が中野京子だと云うこと。
初夏を感じる日でした (グリンビラ総合管理 HPより転載)
福沢の見た米国はどこへ行ったのか? (42 下村祥介)
「ピッツバーグの煙突」に関連して、たまたま日経新聞「風見鶏」欄に160年ほど前にアメリカをおとずれた福沢諭吉の米国感がで紹介されていたので概要をご紹介したい。
「諭吉がサンフランシスコに着いたのは日本を出て37日目だった。港に着くなり馬車が迎えに来て、まず休憩のためのホテルに招き入れられた。そこにサンフランシスコ市の要人が次々に現れ、さまざまな接待をしてくれた。日本人が魚を食べたり、風呂が好きなことを知っており、毎日魚が届けられ、風呂が沸かされたという。帰国に際して船の修理代を支払おうとしたが、何といっても受け取らなかった。ペリーの黒船来航により開国を迫られてから7年しかたっていなかったが、人々が対等な立場で議論し、協力して社会をよりよくしていこうとするこの国がすっかり好きになった福沢は、米国を『極楽世界』と評した。
今や米国第一を振りかざし、討論ではなくディールで相手をねじ伏せ、自らの意に沿わない大学からは留学生を追い出し、学問の自由にも露骨に介入しようとしている。世界があこがれた米国の時代は終わりの告げたのだろうか」と。
別の話になるが、日本製鉄によるUSスチール買収(投資?)問題も、日本の製鉄技術なしでは再建が難しいと流石のトランプも思い始めたのだろうか。交渉条件がかなり緩和してきているようだ。以下に日経新聞による解説を紹介する。
「USスチールは1960年代までは世界最大の鉄鋼メーカーだった。1980年代に日本に抜かれ、90年代には中国に抜かれた。経営危機のたびに政府が関税などの輸入規制で雇用や生産を守ることに終始し、技術革新は停滞したままだった。対して日鉄はトヨタ自動車など顧客の品質要求や電動化などの技術革新に合わせて成分を調整したり表面加工の技術を磨いてきた。高張力鋼板や電磁鋼板などの製造だ。鉄鋼業は操業技術で大きな違いが出る。日鉄は独自の操業技術を生かし、USスチールの既存設備も高級鋼の生産に生かせるとみている。」と。
(編集子)今日の報道で、USスチール社員との会話が紹介されていたが、インタビューされた男性が嘆いていわく、(18年代に設置された機械がまだ使われている。新日鉄が来ればこれも新しくなるだろうと思ってる)と。
先に安田君が嘆いていたように、短期の業績だけを追求する姿勢からは長期の投資に挑む姿勢はでてこない。パクスアメリカーナはついえた。パクスジャポニカの時代が夢ではなくなったね。経済や軍事の指標はあれこれあるが、以前にも本稿で触れたけれど、80年間、一人の若者も戦争で死なせたことのない国が存在する、というのは現実なのだから。
いま、この稿をアップしようとしているデスクの前に今朝の読売が1面で、”日鉄、完全子会社化へ” とUSS買収の決着を報じている。いろんなことが起き、いろんな議論が沸騰するだろうが、福沢時代の日米関係を思い起こせば、これは明治維新に匹敵する、歴史的な出来事のような気がする。KWVには何人も日鉄OBがおられる。もし彼らがまだ現役社員であったら、この事件をどう受け止めただろうか、ぜひとも聞かせてほしいものだが。
山本五十六と河井継之助 (44 安田耕太郎)
ブログ「ピッツバーグに煙突が何本あるか見てこい!」
山本五十六の滞米(1919〜21年、ハーバード大学留学)
だが、平家物語冒頭の一説「盛者必衰の理をあらはす。
企業経営 ROE或いはROI (Ruturn on investment,投資対利益比率)を高めるための対策は大きく2つある。
見落としてならないのは、
山本五十六は新潟県長岡市出身だが、
山本五十六は、戦場視察の際、
(編集子)山本元帥戦死のきっかけは、現地で前線視察にむかった元帥搭乗機の目的地到着時間を打電した現地司令官の信号をアメリカ軍が傍受。これを知って現地米空軍司令官は、攻撃していいかどうかを大統領に問い合わせ、許可を得て戦闘機を迎撃にむかわせたという。なぜそうしたのか、はわからないが、考えられるのは元帥機を待ち伏せすれば撃墜はできるが日本の暗号を米軍は解読していることがわかってしまう、という懸念があって、最高司令官の判断を仰いだのだろう(もっともある本では現地の司令官は平文で送信したといわれている)。
ナチの暗号機エニグマの解読に成功した英国では、チャーチルは成功したことをドイツには知らせないことで逆手にとることを選び、ドイツ空軍の大規模空襲を察知しながらあえて防備をしなかった。その結果、たしかコヴェントリーだったと思うのだが街が大被害を受けることになった。戦争と政治の冷酷さを見せつけられる気がする。日本だったら、多分、起きなかったと思われる史実である。
神戸どうぶつ王国訪問 (大学クラスメート 飯田武昭)
麗らかな陽気に誘われて≪神戸どうぶつ王国(KOBE ANIMAL KINGDOM)≫へ5~6年前から2回目の訪問をしました。この動物園は象、キリンや猛獣は居らず、サファリパークでもない、至って平凡な小動物を出来るだけ自然の生態で見せる施設でゆったりと園内を回遊できます。
添付の写真は・フラミンゴ・なまけもの・プレーリードッグ・ビーバークリーク・Rocky Valley・シギの抱卵などで、セーブ劇にも関係のある小動物をピックアップしてみました。
直、写真が上手く撮れなかったですが水鳥の島には沢山の水鳥達が過ごしており、勿論オシドリも居ました。オシドリは雄雌が寄り添って泳ぐ景色は普通によく見ますが、ふと思い出したのは、≪人間でも仲の良い夫婦の事をオシドリ夫婦と例えることがありますが≫、実は、オシドリ雄雌(つがい)は、人間が思っているほどには特に仲が良い訳ではないと どこかで読んだ記憶があります。真偽のほどは分かりませんが・・・・。どなたかご存じですか?
この施設は神戸ポートライナーの「計算科学センター駅」の目の前にあり、過去には“スタップ細胞はあります!“で世間を驚かせた小保方晴子氏の理化学研究所と数年毎に世界的に話題になるスーパーコンピューター≪富岳≫の設備が近くにある興味深い場所でもあります。
ピッツバーグに煙突が何本あるか見てこい!
第二次世界大戦をほんのわずかにせよ、体験した人は少なくなりつつある。当時小学1年生だった僕は外地にいたので、空襲の体験はないが、子供心にいくつかの出来事の聞きかじりはあり、中学生の間に関連した書物に関心を覚えて読み漁ったものだ。その中で、山本五十六元帥のこともいくつか知ることがあったが、米国駐在が長かった元帥は最後まで開戦に反対であり、連合艦隊司令長官に推され、対米戦の火ぶたを切る立場にたたされたとき、(1年や2年は暴れて御覧に入れるが、一刻も早く講和を実現してほしい)と言ったといわれている。
それまでの議論の中でも、米国の経済力を知らず単なる数字合わせや精神論に傾く軍部の人間に、 ”お前ら、一度ピッツバーグへ行って、製鉄所の煙突が何本あるか、数えてこい!” と吠えたそうだ。ピッツバーグはすなわち米国製鐵業界の中心地、もちろんUS スチールの本社があるところで、米国産業界の中核でもあった場所だ。
数日前の新聞で、トランプの例によって訳の分からない発言が伝えられ、新日鉄のUSスチール買収を認めるような意向とされた。その発言のなかで彼はUSSはアメリカの会社であり、ピッツバーグから動くことはあり得ない、と言った、とも伝えられている。これからどっちに転ぶかわからない話だが、ピッツバーグの煙突の数は減るんだろうか?
しかし、いずれにせよ、日本の企業がここまでやるようになるとは、栄光の連合艦隊司令長官も夢にも思わなかったことだろう。専門的な話をする知見は持ち合わせないが確かだと思うのは、ここまで栄光の米国製造業が追い詰められたのは、確かに外国企業との競争に敗れたからでもあるが、そのきっかけは短期の金儲けに目移りし、ITと金融に走り、さらにはITの発達によってグローバリゼ―ション時代が始まる、などという、象牙の塔の連中の、小生に言わせれば妄想とまではいかないまでも現実から乖離した発言が生み出した、製造業の衰退であることだろう。トランプの支持者の多くがかつての栄光ある米国製造業から追われた白人労働者だという現実がこれを裏書きするようだ。トランプの旗印、Make America Great Again は、まさにピッツバーグに何本煙突を残すのか、ということに集約されるような気がする。
エーガ愛好会 (326) ロングライダーズ (34 小泉幾多郎)
無法者ジェシー・ジェームスを描いた西部劇を最初に見たのは、未
「地獄への道1939」タイロン・パワー主演で、南軍のゲリラ隊
この「ロング・ライダーズ1980」も史実に沿った同様のストー
ギター音楽が全面に流れていたのが印象的。音楽がギタリストのラ
で、冒頭からトラディショナルなカントリー・ミュージックと自作
下馬した状態で、馬の手綱を持ちながらの銃撃、落馬後馬に引きず
ジェシーとフランク兄弟だけが逃げ
「エーガ愛好会123ジェシージェームスの暗殺2007」記載時
1「ジェシー・ジェームス1927フレッド・トムスン」 2「地獄
(中司)小泉さん、このキャストにあるキャラダインは、あの ”駅馬車” で名演(とぼくはおもっているのですが)のジョン・
(小泉) 「駅馬車」出演の賭博師ハットフィールドのジョン・キャラダイン
”駅馬車“ で、放蕩をつくし旅のギャンブラーに落ちぶれた、もと南部の貴族が夫を尋ねて危険な旅に出た女性を知って義侠心と南部紳士のプライドから危険を承知で乗り込み、最後を遂げるニヒルな役をつとめたのがこの父キャラダインだ。子供たちの出来栄えはあの演技に匹敵したか?