乱読報告ファイル (56) イタリア女性が沼ったジワる日本語 (44 安田耕太郎)

日本に恋した6ヵ国語(母語・伊語の他、日・英・西・独・葡)を操るイタリア北部の小さな町トレント出身のイタリア人女性が溢れる好奇心で拾い集めた日本語たちと、日本・イタリア・イギリス道中膝栗毛の27歳の地図が、彼女の処女作著書「イタリア女性が沼ったジワる日本語」だ。日本語・日本人・日本を語る文化論としても読める。発行出版社: 亜紀書房。オンラインでも購入可。定価: 1700円+税。

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偶然遭遇した彼女(Tessa Rizzoli ー ニックネームはテシ、漢字表記は輝織)のYouTubeに興味を抱き、YouTubeを徘徊していたら、今月発行された著書に巡りあった。ケンブリッジ大学アジア・中東学部日本学科卒(4年間在籍)、学業途中一年間カリキュラムの一環として日本に留学(上智大学)、2020年4年生の時、英国で開かれた日本語弁論大会で優勝。日本語能力試験N1取得。N1は、日本語非母語話者としては最高レベルの日本語力を証明する。現在、日本外務省から発行された「未来創造人材ビザ」で再来日、2023年より東京都内(高円寺)の古民家に暮らす。
彼女曰く、日本語に魅せられたのは、オノマトペ(onomatopeia:擬音語と擬態語の総称)で、欧米言語には無い多種多様な表現だった。例えば、雨が降る際に使う、しとしと、ごーごー、ザーザー、ぽつぽつ、ぱらぱら、どしゃどしゃ、ぴちゃぴちゃ、など。更に、一人称の私(英語の”I”, 伊語の”io” のみ)は日本語では、私・あたし・うち・俺・僕・おのれ・自分・わし・拙者・吾輩・それがし(某)・小生・小職・あっし・身ども・わらわ(妾)・まろ(魔)、など驚くべき数の異なる表現がある。言語としての興味が尽きない。アルファベット文字を使いラテン語に源を持つ他のヨーロッパ言語とは全く異なる日本語をマスターする能力には魂消るばかりだ。
ケンブリッジ大学で卒論一位を取った好奇心と頭脳が見つけた、日本語・日本人・日本文化に触れながら旅を続けてきた現在進行形の滞在記録だ。
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著書のタイトル「イタリア女性が沼った ジワる 日本語」は僕も本を手にして、「なんだ?一体この本のタイトルは・・・」と 直ぐには理解(解明と云った方が正しいか)出来ず、少しく調べてみました。鍵になる言葉は「沼った」と「ジワる」の2つの言葉でしょう。最近、若者の間で使われ出した表現だと判明。言語は時と共に変遷していく事実を思い知らされました。

「沼った」は原形動詞「沼る」の過去形あるいは過去分詞形。それでは「沼る」の意味は?何かにハマってしまい、いつの間にか夢中になっている状態を指す。沼で脚を取られニッチモサッチモ行かない状態を沼るとも云うらしい。「沼る。港区女子高生」という題名のテレビドラマすら一年前日本テレビで放映されたそうです。全く知りませんでした。
「ジワる」はジワジワくるの短縮形で、次第に感情がこみ上げてくる様子を指す。例文として、「この犬、見れば見るほど、ジワるなあ」、「あのネタ、なんとなくジワるんだよなあ」。
「昭和は遠くになりにけり」と思わず感傷に耽りました。付いていけないです。20代の外国女子に先を行かれています。
著者のイタリア女子がハマってしまい、ジワジワとその虜になった日本語、という意味ですね。彼女のその経験、感情、思考を縷々著書に書き綴っています。日本人と違う文化土壌の視点と感性から物事を観察し、捉えて、分析し、思考し、表現するので、「おーっとー」と思わせられる、なかなか面白い表現に随所で出くわしました。
(飯田)安田さんの紹介された標記の著書を買い求めてあったのを、

一昨日、昨日と東京へ行く用事があったので、往復の新幹線と余暇の時間に読みました。本の内容は安田さんが充分紹介されている通りです。

私は著者の年齢や国籍やこれまでの略歴を事前に知ることなく、唯々読み進みましたが、読む前は日本語の表現の多彩さや美しさを、日本での実体験を通して賛美しているのかと勝手に想像していましたが、実際にはその部分もありますが、一体この人は誰れ、どんな経歴の人?と途中から興味が沸いてくる内容でした。オーストラリアのシドニー生まれで、どうやらイタリアの片田舎に両親と住んでいた家族で妹と兄がいる、自分は南米コロンビアに留学していたと思えば、5~6歳の時に家族でインド旅行をしている。イギリスのケンブリッジ大学カレッジで難関の日本語のコースに通り、日本に来て、上智大学に一時席を置いたと思っていたら、東京は高円寺の上げ下げ出来る雪見障子のある古民家を借りて住んでいると思えば、鹿児島-福岡-大阪-京都-名古屋-岐阜-石徹白-福井-金沢-横浜-東京とヒッチハイクとカプセルホテル等で旅をする、鹿児島の小値賀島のイルカゲストハウスが気に入って、少々長く滞在した記述があれば、北海道に旅行に行っている、初めて母親を日本に呼んで大阪の街中の銭湯へ何の説明も無しに連れて行き日本の大衆浴場を経験させたり日本の脱毛サロンの経験をして驚いたことや髪を丸坊主にしたりと、まあ、びっくりする行動力と感性の豊かさが溢れていると思いました。

読了後に著作の日付を見ると2024年4月1日(出版は2024年5月5日)と今月だったことに改めて驚きました。著者は “顔が小さいが顔は広いそして鼻が高い27歳のお嬢さんだ“ ということが分かりました。旅行記でもない、イタリア人か見た日本語でもない、ジャンルの分らない著作ですがまあ凄い人が居るものだ、過去には沢山のバイトを経験しているし、日本ではあまり気の進まない英語の先生やテレビ・カメラマンのアシスタントを経験したりで、これからどんな人生経験を送るのかと好奇心をくすぐるには充分の読み易い本でした。

アメリカに住んでいる私の娘と孫娘に送るかもと思って、事前に概略紹介した時に

娘からは≪昔読んだ日本人の知らない日本語、とかダーリンは外国人、とか面白かったのを思い出しました≫と言ってきたので、さて送ろうかどうしようかと迷いながら多分送ります。

エーガ愛好会 (265) 地平線から来た男  (34 小泉幾多郎)

先日飯田さんから喜劇物にお目にかかれないとの嘆き節が聞かれたが、それを若干とも補う西部劇が放映されたのでご紹介。

バート・ケネディ監督、ジェームス・ガーナー主演「地平線に立つ男 Latigo 1971」、同メンバーで5月10日「夕陽に立つ保安官 Support Your Local Sheriff! 1969」も放映予定。過去の喜劇調とは、やや異なったギャグや楽屋落ちで面白さを狙っているので、過去の作品等を知らないと笑えないかもしれない。主演のジェームス・ガーナーは、1957年にTV放映された「マーヴェリック」からアクション、コメディ両面で器用なところを見せてきたが、今回もタフなカウボーイから逸脱した風変わりなペテン師的役柄を器用にこなしている。「マーヴェリック」でルーレットを見ると有り金を発作的に全部を賭けてしまうパロディもある。

渓谷を走る蒸気機関車が鉱山の町パーガトリーに着くとラティゴ・スミス(ジェームス・ガーナー)は酔った勢いで婚約したゴールディ姐御(マリー・ウイン
ザー)から逃げるように下車する。其処は顔役のバートン(ハリー・モーガン)一派ともう一方の顔役エームズ大佐(ジョン・デナー)一派という鉱山主同志の争いが渦を巻くという「用心棒」とそのリメイク「荒野の用心棒」をパロディ化しコメディとして描いている。

ラティゴは、吞兵衛のジャグ・メイ(ジャック・イーラム)を有名なガンマン、スイフティ(チャック・コナーズ)に仕立てて両勢力に売り込んだりして、両勢力を混乱させる。この混乱の中、バートンの娘ペイシェンス(スザンヌ・プレシェット)とラティゴの仲が進展していくが、ペイシェンス(忍耐)の名前が逆に

American actress Suzanne Pleshette (1937 – 2008), circa 1965.

短気でアバズレな性格。またバートンとエームズの妹アビゲイル(エレン・コーピー)との老いらくの恋が進展し鉱山問題解決。最後近く本当の名うてのガンマンたるスイフティ(チャック・コナーズ)が登場するが、帽子を脱ぐと禿げ上がっている。ユル・ブリンナーを意識していることは、バート・ケネディは「続荒野の七人」を監督していることから明白。最後展望車のジャグ・メイ曰く ”これからイタリアへ行きマカロニウエスタンの大スターになる”。

 

(飯田)私も「地平線から来た男」を初見でみました。ご紹介頂いた「地平線に立つ男」「夕陽に立つ保安官」などは観てませんが、今回の映画は面白くみられました。「恋愛専科」のスザンヌ・プレシェットがどんな役柄で出るのかも興味を持ってみましたが、おなご肌の役柄を見事にこなしていたように思います。

ところで、ガンマンスイフティ役のチャック・コナーズですが、テレビドラマ「ライフルマン」を良く見ていた家内が直ぐにチャック・コナーズを言い当てたのですが、映画の冒頭並びにエンヂングのキャスティングにチャック・コナーズの名前が見当たらないので、ウイッキペディアを見たら、やっぱり無いのが不思議でした。

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そのウイキペディア解説:『地平線から来た男』(Support Your Local Gunfighter、もしくはLatigo)は、1971年に公開されたアメリカ合衆国映画。映画『用心棒』とそのリメイク『荒野の用心棒』をパロディ化し、コメディとして描いた作品。監督はバート・ケネディ。出演はジェームズ・ガーナーなど。多くのスタッフやキャストが共通する映画『夕陽に立つ保安官』の姉妹編と呼べる作品である

残雪の苗場-春のワークキャンプヘ行ってきました (37 加藤清治)

春のWCに行って来ました。桜満開の浅貝でした。

暖冬で筍山も雪は少なく苗場スキー場も3月10日で営業を止めたそうです。

浅貝は商店も無く閑散としていました。バブルの残骸のタワーマンも殆ど灯も点いて無くいずれは朽ちて行くでしょう。この国の行く末を暗示しているようです。

コメディ映画のこと

(大学クラスメート 飯田武昭)

映画に名作は多いですが、その殆どは悲劇物、恋愛物、西部劇などであり、喜劇物は世の東西を問わず中々お目に掛かることが出来ないのであり、近年は特に喜劇物の作品は乏しいです。

抱腹絶倒、呵々大笑と言った大笑いを表す日本語の表現がありますが、凡そこの表現に当たる場面は旧交を温める懇親会での雑談中くらいで、映画やライブの舞台などでは、最早ほど遠い社会になったのかと思うことが少なくないです。すっと以前にはチャップリンは別格としてもアボット・コステロ、バスター・キートン、ボブ・ホープなどが近い存在だったと思うのですが・・・。

ミュージカル映画が好きな数人の「エーガ愛好会」の方々が居られますが「雨に唄えば」「オクラホマ」「ウエストサイド物語」「掠奪された七人の花嫁」などダンスシーンの優れた作品は中々望めない時代になっていて、バレエの演技はそれらを補って余りあるものと、近年は好んでバレエ公演を観ています。GW期間は人出も多いし、自宅に蟄居することを決め込んでの雑感です。

(HPOB 小田篤子)蟄居はじめですけど、録画しておいた2つの野球映画を観ました。

☆ナチュラル(’84)
ちょっと大谷さんを思い出させるストーリーです。
主人公のロイ少年は小さい頃から父親に野球を教え込まれますが、父親は急死。
19歳の時、シカゴ カブスの入団試験を受ける為汽車に乗りますが、綺麗な女性の誘惑に負け、撃たれてしまいます。
15年後、34歳のロイ(ロバート·レッドフォードがとても素敵です)は庭の雷に撃たれ折れた木で作った、《ワンダーボーイ》と名付けたバットを携え復帰。
ホームランを連打したり、子供達の人気者になりますが、又々仕組まれた女性の誘惑に負け、成績は落ち、腹部を撃たれて入院。無理を押して、結婚を約束していた幼馴染みと息子の見守る球場でホームランを打ち、祝福されますが…。

(脚注)野球選手が2度も銃撃されることなどあり得ないとは思うのですが

この物語では主人公のロイが、活躍するのをよく思わない敵チームのバックにいる大物が、魅力的な愛人である女性を使い、1度目と2度目は少し意味が違ってくるのですが、銃で撃つのです。
☆プリティ·リーグ(’92)
こちらは、オレゴンの畜産農家の美人野球姉妹。姉の方が顔、野球他全て上。
まあ良いか…を含めた3人はスカウトマンと1943年、汽車でシカゴに行き、入団テストを受けて合格。戦地に行った男性の代わりにチョコレートの会社が作った、全米プロ野球初代女性チームです。全米各地から集まった、経歴もダンサー、女優など様々な女性達、というのも男性チームと比べ面白いですね。
男性達のアイディアで、ユニホームは短いスカート、ファウルボールを取った人にはキスを…等もあり人気が出ます。子供を何時も連れまわらなければならなかったり、夫が戦死したり、戦地から帰って来た為家庭に戻ったり、結婚で辞めたりしていきます。
何十年か経ち、皆集まることになり、野球殿堂入りした自分達の写真を見て再会を喜び合います。トム·ハンクスが、後半からは皆を指導しますが、始めは品がなく、やる気もない嫌な監督を演じています。
楽しいコメディ映画でした。
(共に再放送でしょうか? 私は初めてですが)

英語力の話   (37 宍倉勝)

”Circle Be Unbroken”に掲載された大塚(フミ)さんが自身の英語力維持に努力
している事知りました。私自身も、特に会話力維持に努めていますが、特別な機会があるわけでなく、私の維持方法は、街で出会う外人に積極的に近づき”May I speak to you” “May I disturb you”と声掛けして会話を始めます。
特に乗り物の中では絶好の機会です。
先ずは”お国は””日本に来た目的は”で会話をスタートさせます。
声掛けした外国人のほぼ100%、会話時間の長短はありますが、こちらからの呼び掛けに応じてくれます。
特に私が商社勤務時に訪問した国(約20国程))からの旅行者であれば、その国の特に印象に残った事を思い出し、会話の中に織り込むと会話が一層盛り上がります。
(44 安田)

我々後期高齢者にとっての英語力は、勿論、TOEICやTOEFLや英検試験の得点高低で推し測る技術論とでも呼ぶハード面の力と、技術的にそこそこ熟すことが出来れば、多分もっと大切なのは、ソフト面とでも呼ぶことができる、話題の広さや深さと相手との対話の間合いを上手く取ることができる力ではないかと思っている。言語能力には本質的に関係ない個人としての魅力度と成熟度と云っても良いかも知れない。話題については、宍倉さんご指摘の相手の国々を訪れた経験は大きなアドヴァンテージとなるのは言うまでもない。更に文化・芸術・スポーツ・映画・料理・歴史・旅・趣味・・・などの知見が相手との対話を豊かに弾ませるのは間違いない。例えば、2時間を超すような食事の場における対話力は英語の技術力論だけでは測れないもっと奥深い人間の幅とでも呼ぶ何かがあると思っている。勿論、ハードとソフトを両方兼ね備えていれば鬼に金棒であるのは間違いない。ハード面の上達は歳をとるに従いより困難になり、使わなけらば劣化するのは確実でしょう。
傘寿を超えられた宍倉さんの日常生活において会話力維持の努力を街で出会う外人に積極的にオープンに話しかけることで実行されておられる姿勢には頭が下がるのみです。ほぼ100%の確率で呼び掛けに応じてくれるというのは嬉しい驚きです。宍倉さんの物腰の良さと呼び掛け時の巧みさがそうさせているに違いないと思っています。そのままを真似は出来ませんが、見習うべき生き方の一つだと肝に銘じさせて頂きました。

景信山と尾崎喜八

山歩き、という事についての文章には心惹かれるものが沢山ある。各々の好みによって、激しい登山登攀記録、登山と人生観、エッセイやら詩まで、多くの傑作と呼ばれる文章がある。小生は現役の登山家の文章のなかでは ”北八ツ彷徨” を第一に挙げる者の一人だが、もう一人、我々に先立つジェネレーションの一人、尾崎喜八の文章に強く惹かれるものを感じる。中でも有名な たてしなの歌が好きだ。

君の土地。それは無数の輻射谷に刻まれて八方に足を延ばした、やはり火山そのもの肢体の上の耕地であろうか.。或いはもっと古く、埋積し、隆起した太古の湖底の開析平野と、その水田に、今、晩夏の風が青々と吹きわたる河岸段丘のきざはしであろうか。

とはじまるこのエッセイには、信州の山々とそこに住む人たちの生きざまに限りない愛情を抱いた詩人の感性が満ち溢れている。”北八ツ彷徨”がまさに現代人のある種の疎外感を感じさせるのに対し、良き古き時代を満喫できたエリートの満足感とでもいうべきものだろうか。

連休、他に何もプランを持たないまま、八ヶ岳南麓の晩春を久しぶりに味わいながら、何となくページを開いた尾崎の ”山の絵本” に、景信山のことが書かれているのにひかれた。月いち高尾、で何度となく歩いている旅が、”古き良き時代” はどうだったのか、などと感じるよすがになるかと思い、尾崎喜八 ”山の絵本” (日本山岳名著全集)から、”山日記から” の該当部分を拾ったものを紹介しておく。次回、このルートをたどる際に思い出してもらえると嬉しい。

左から串田孫一、尾崎喜八、川田禎

 

 

(尾崎喜八 山の絵本 より抜粋)

高尾山は余り雑踏し過ぎるという人に、私はその奥の景信山をすすめたい。古い小仏峠を中心にして、春は花も多いし蝶も多く、またその眺めの雄大なことは道の楽なのに反比例している。

浅川駅前から高尾山行きの電車へ乗ると次の停留所が小名路、小仏峠への追分である。右に中央線の線路を、左に黒木立の高尾山を見ながら、糸繰器械の音のする農村から農村へ、一理ばかりをぶらぶら歩くのである。これは昔の甲州街道で、往手にはもう景信山と小仏峠をつなぐ緩やかな山稜線が空をかぎっている。

高尾山蛇滝口への道を左に見て、やがて小下沢の現れるところで線路を歩いて斜め向こうへ渡ると、もう小仏の部落。地質学でいわゆる小仏層の石が、まるで石炭を敷いたように線路に沿って散らばっている。ミツマタの薄黄の花が咲き、つま先上がりの路の右側に段々になって農家がならび、その左側を小仏川のささやかな水の流れるこの村で、どうしてもシャッターを切らずにはいられないだろう。

村外れから線路は小仏トンネルへもぐり込む。人はその上を歩いて行く。やがて景信山への登り口を示す道標が小径の右に立っている。そこで一休みして、右手五六段で無くなってしなう石段から登りになるのである。まっすぐに行けばもちろん峠道。しかしこれは帰路に選んだ方がいい。

息を切らせる登りが約十分間位つづくが、それからは雑木のまばらに生えた尾根をのんびりと登るのである、左手は谷を越して小仏峠のたるみが、その掛茶屋と一緒にてをとるように見える。右手遥かに多摩丘陵や武蔵野の一角が春霞をまとってせり上がる。如何にも春の山路の感じである。

これを登りきると一寸した平へ出る。そのすぐ左に立っているのが景信山である。以前に息を弾ませながら真直ぐに登ったものが、今では電光形の路がうまくつけてあるから、急がずに登れば楽なものである。忽ち頂上。その頂上の平地には近頃景信小屋という相当な小屋が出来て、食物や飲料なども売っている。眺望はこの付近で最もすばらしい。

先ず西にはこの山から始まって相州、武州、甲州に跨る国境山脈が、縦に蜿蜒とうねっている。その奥には三頭山、権現山などの大塊を前にして、山膚の青磁に白雪の象嵌をほどこした大菩薩連嶺の長壁が、むしろ優美に夢のように横たわる。その左手笹子峠から三峠山へつづく一線の上には南アルプスの白金の山々がぴかぴか光る。富士は元より偉大だ。富士はまるで抱きかかえることができるほどに大きくかつ近い。富士の左には道志の山々の紛糾を前にして、丹沢山塊がその大鵬の翼を張っている。一転して北は馬頭刈から大岳山・御前山へと延びる一連。中でも大岳山の姿は豪壮だ。その左手奥には秩父の雲取山が、これも雪の縞をつけて頭をもたげる。もっともっと遠く北東の地平には日光や那須の連山。また東には平野の青い霞の上に紫の筑波。春は悠々として天に浮雲。草上に身を倒してこの無限の空を見つめるのはいい。

小仏峠へはこの頂上から南へ向かう尾根をだらだら降るのである。植物や昆虫採集はここからはじまる。一日には極めて楽な行程である。

エーガ愛好会 (264) 続荒野の用心棒  (34 小泉幾多郎)

マカロニウエスタンは、監督セルジオ・レオーネ、主演クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒Per Un Pugno Di Dollari 1964」の登場で一大センセーションを巻き起こした。原名は「一握りのドルのために」だが、黒沢明の「心棒」をリメイクしていたことから、日本公開時に「荒野の用心棒」と名付けられた。この映画も流れ者と敵対する集団との争いという「用心棒」と似た物語ということから、邦題は「続荒野の用心棒」と命名されたが、「荒野の用心棒」とは関係なく、同監督主演の正式な続編は「夕陽のガンマン」「続夕陽のガンマン」とタイトルが代えられた。
続荒野の用心棒Django1966」は監督セルジオ・コルブッチ、主演フランコ・ネロで、純粋イタリア産ヒーローとして、ジャンゴ=フランコ・ネロを生み出した。そのジャンゴ役は大当たりとなり、その後国際舞台に飛び出し、「天地創造1966」「キャメロット1967」「怪奇な恋の物語1968」ナバロンの嵐1978」等に出演。しかしフランコ・ネロが扮したジャンゴは後年1987年の「ジャンゴ灼熱の戦場」だけで、トーマス・ミリアン、アンソニー・ステファン、テレンス・ヒルといった他の俳優が次々に勝手にジャンゴを演じてきたのだった。

 オープニングは棺桶を引きずりながら、テーマ曲ジャンゴをバックに泥の荒野を歩くシーンから始まる。ジャンゴ―から始まる曲が、耳に心地よい。Luis Enriquez Bacalov作曲、Rocky Roberto唄。メキシコ国境に近い宿場町では、人種的偏見を持つ元南軍のジャクソン少佐(エドワルド・ファヤルト)とメキシコ独立運動の闘士ロドリゲス将軍(ホセ・ポダロ)の一味同志が対立しているが、その部下たちに相次いで危害を加えられようとされる混血娘マリア(ロレダーナ・ヌシアク)を救ったことから、ジャンゴはマリアとナタニエーレ(アンベル・アルバレス)経営の酒場で休むことになる。ナタニエーレに無理難題を押しつけるジャクソン少佐一味と早撃ちのジャンゴと揉めたことから、40人の部下を引き連れたジャクソン少佐とジャンゴが争うことになり、棺桶に隠し持っていたガトリング機関銃で、ジャクソン一味の大部分を殺してしまう。

その後の凄惨なバイオレンス描写も凄い。ロドリゲス将軍がジャクソン少佐の手下の耳を切り落としたりする。一方ロドリゲス将軍とジャンゴはメキシコ政府軍営倉に大量の黄金があることが判明、黄金を折半することで襲撃に成功。しか
しロドリゲスの折半の約束が怪しく、ジャンゴは黄金を棺に詰め、マリアと共に逃げたものの、底なし沼付近で、馬車が傾き、黄金は底なし沼に落ちてしまう。ロドリゲスの軍隊に捕まったジャンゴは、馬の踵でジャンゴの両手は二度と銃を握れぬように、粉々に踏み潰されてしまうが、反乱軍はジャクソンと政府軍に待ち伏せされ皆殺しにされてしまった。ジャクソン少佐とその部下5人は、恨みをこめて、墓場に籠る手が動かないジャンゴを殺しに来るが、動かないと思われたャンゴの手が、墓標でピストルを支え、撃鉄を利用してのジャンゴの執念の戦いに敗れたのは信じられないことにジャクソン少佐の方だった。ジャンゴ執念の勝利。オープニングと同じジャンゴのテーマが流れ、満身創痍のジャンゴが、十字架に引っ掛けられた赤く血で染まったピストルを振り返りながら去って行くシーンで終わる。

(編集子)ジャンゴが棺桶に入れていた ”機関銃”。当時というか西部開拓時代の末期に登場したガトリング砲は グレゴリーペックの 勇者のみ (だったと思うが)で初めて登場した。しかしこれは大型の ”砲”で、とても棺桶で運べるものではないように思える。その後、この ”砲” は一人で持ち運べる “銃” になり、マキシムとかブローニング製のものに置き換わっていったはずで、このタイプになると、ガトリングのように銃身を回転させるものではない。ジャンゴがぶっ放すのは、一人で持ち運べてしかも銃口が一つではない、というのはやはりこれまたマカロニの発明品のように思えるけどなあ。

民法改正についての一一考 (普通部OB 船津於菟彦)

今日の朝ドラ「寅に翼」は離婚後の親権についてだった。今国会で共同親権など民法改正について議論されている。離婚後の子供の幸せは——。

母が父と同じように子に対して親権者と呼 ばれる地位を得るようになったのは、西洋の 歴史においてもそう古いことではない。父権 から母を含む親権へと初めて改められたのは 1900年から施行されたドイツ民法においてであった。しかも、母が父と同じ権利を行使で きるようになったのは、20世紀に入ってしば らく経ってからのことである。

旧民法は、親権について、人事編第 9 章「親權」第 1 節 子ノ身上ニ對スル權第149条に、 「親權ハ父之ヲ行フ 父死亡シ又ハ親權ヲ行 フ能ハサルトキハ母之ヲ行フ 父又ハ母其家 ヲ去リタルトキハ親權ヲ行フコトヲ得ス」修正案第890条「未成年ノ子ハ其家 ニ在ル父ノ親権ニ服ス」は旧民法人事編第149 条「親権ハ父之ヲ行フ」に修正を加えたもの であった。

現行法では、明治民法が母の親権に加えた制限を一掃し、共同行使の不適当な場合に父 母のいずれを親権者とすべきかの決定は、明治民法のように「家」を標準とせずに、専ら 子の福祉を基準として定むべきものとされた のである。

現行法 第818条 1 項第818条 3 項「成年に達しない子は父母の 親権に服する」 「親権は、父母の婚姻中は、 父母が共同してこれを行う。 但し、父母の一方が親権を行 うことができないときは、他 の一方が、これを行う。」フランスでは1970年法により、親権 概念が「父の権力」から「親の権威」へと用語が変更され、ドイツでは1979年の配慮権法 により、「親権」に代わり「親の配慮」とい う用語が導入された。また、イギリスでは、 子に関する親の法的地位が後見であったのを、 1989年法により、「親責任」という概念を導 入した。

戦後公表さ れた統計では、当初は夫を親権者として離婚 する場合が過半数を占めてきたが、1966年(昭和41年)に妻を親権者として離婚する場 合が過半数を占めて逆転して以降、現在に至 るまで年々その件数は増加し、最近では約 8 割に達している。そして、この離婚母子世帯 の経済状態は、著しく低く、その原因の 1 つ に離婚後の非親権者の父から子どもへの養育 費の支払が滞りがちであるという事実がある。親権法改正の基本指針 の 1 つとして、離婚後の両親の「共同親権」の原則化を提案している。

明治時代
家父長制のもと婚姻中も離婚後も「親権」は父親
戦後
個人の尊厳と男女平等の理念から婚姻中は「共同親権」
離婚後は子と暮らす方が単独で親権を持つべきとし「単独親権」に2000年ごろ子どもに会えない別居親たちによる「離婚後共同親権」を求める。

改正案は今の国会で成立し、2年後の2026年までに施行される見通しだが、DVや虐待が続くことへの懸念が根強いことから、参議院でも、運用上の課題などをめぐって議論が行われる。両方の同意が無いと子供は修学旅行にも行けないかも知れないとか、父母は離婚しているが子どもに対する親権は双方とも有しているため、子どもに対する教育方針が異なることがあり得る。色々危惧あり。一番に考えなくてはならないのは、子どもの利益だが、共同親権の制度導入が、子どもにとってベストであるかどうか考える余地はありそうだ。

共同親権のメリットについては、親権を有することから子育てに関わり続けるため養育費が支払われやすくなることや、面会交流がスムーズに行われやすくなる等、考えられる。本来、離婚しても、親と子どもの関係は変わらず、親が子どもを気にかけて、子どもの養育をしっかりと行ってきていれば、単独親権か共同親権かという問題は起こらなかったのではないだろうか。共同親権で解決できるのかしら。基本は子供の幸せのはずだが。

 

 

近くて遠い異国チマチョゴリ歓迎 (41 齋藤孝)

 

桜の宴も終わり、寂しくなりました。花の命は短くて・・・、潔く散る人生は憧れですが、まだ私は欲深く生臭いです。

お隣、近くて遠い異国に行って来ました。初体験の旅でした。あちらの女性から「チマチョゴリ」を着けて抱き付かれました。日韓は仲良くしたいと強く実感しました。

24年4月 月いち高尾 報告   (47 関谷誠  51 齋藤邦彦)

2024年3回目の「月いち高尾」を4月19日(金)に実施。

3月29日に予定していた花見「月いち高尾」は、ピンポイントでの雨天、それも「春の嵐」の様な悪天が予報され、早々に、中止を決定。神のお告げだったか!桜の開花が、今年は、例年より遅く、結果良しだった。 そのリベンジとして、「春の花々を探訪する山歩き」をテーマに、一般コースは、ワンダーの「牧野富太郎」こと、吉田ズン六博士(S44)の簡易スピカ―を駆使した解説付きで実施。

シニア・グループは、多くの小学生、高校生、外国人それに御多分に漏れず高齢者グループでごった返す「高尾山口」に集合。定番のケーブル利用と琵琶滝コースに分かれ、春と云うか初夏の様な気候の下での「月いち高尾」を満喫した。

 

1.シニア・コース

(1)参加者10名: S36/中司、遠藤、大塚、高橋、 S37/矢部、 S39/岡沢、S41/相川、 S48/福良、 S47/伊川、関谷

(2)10;15「清滝」ケーブル駅 ⇒  ① ケーブル利用 (中司、大塚、高橋、相川、福良、伊川)  ②琵琶滝コース (遠藤、矢部、岡沢、関谷)⇒ 11:45 もみじ台「細田小屋」 ⇒ 12:30 4号路経由 ⇒ 14:00ケーブル「高尾山駅」下山」」

(3)琵琶滝コースでは、10~11歳の小学生のグループと、「何歳だと思う? 86だぞ」と自慢!しながら、抜きつ抜かれつ、沢沿いの草花をそれなりに鑑賞しながら登った。高尾山山頂での混雑を予想し、両グループ共に、山頂を迂回し、もみじ台の「細田小屋」で集合。「細田小屋」の名物「なめこ汁」を味わいながらの昼食。下山もピークを迂回して4号路の「つり橋」経由、木の根に躓いた某氏は、すれ違った外国人家族に助けられる一幕もあり、国際交流も図りながら、和気あいあいとケーブル駅に到着。高尾の「天狗飯店」になだれ込んだ楽しい「月いち高尾」だった。 (文責: 関谷誠)

2.一般コース(日影⇒日影林道⇒小仏城山⇒一丁平園地⇒高尾山)

(1)具体的行程   (アクセス)高尾駅北口バス停9:12⇒9:25日影バス停

日影バス停9:35⇒(日影林道)⇒11:30小仏城山(昼食)12:00⇒12:30一丁平園地⇒13:30稲荷山13:45⇒14:20高尾山口
(2)参加者19名(敬称略()内は昭和の卒年)

(39)堀川義夫 (40)武鑓宰(42)保屋野伸(43)猪俣博康(44)安田耕太郎、吉田俊六(45)徳尾和彦(46)村上裕治 (47)平井利三郎、水町敬、福本高雄(50)丸満隆司、家徳洋一、実方義宣、岡田隆喜(51)五十嵐隆、斎藤邦彦(63)斎藤伸介(BWV)大場陽子

(3)行程概要

高尾駅北口から小仏行きのバスは早い時間から50人を超える長蛇の列。集合時間が早かったので全員が問題なくバスに乗って出発する。天候は晴れ、気温20度と絶好のコンデションのなか、吉田さんの説明を聞きつつ周囲の花を探しながら歩く。歩き始めからすぐに「ニリンソウ(二輪草)」「ラショウモンカズラ(羅生門鬘)」「ヤマブキ(山吹)」「シャガ(射干)」などに出会うことが出来た。

スミレは何種類か見つけることができたがお目当ての「高尾スミレ」は花が終わっており独特の葉の形を教えてもらうことに留まった。このほか、マムシグサと総称される「コウライテンナンショウ(高麗天南星)」や清楚な「ヒトリシズカ(一人静)」なども散見された。

歩くペースの調整が難しく「花をじっくり観察するグループ」と「先を急ぐグループ」に分かれてしまい小仏城山到着に時間差が生じたため城山の頂上で昼食を摂ることとなった。帰路はわずかに残った桜を見上げながら一丁平園地を通過、紅葉台付近で解散し各々好みのルートで高尾山口まで下り「天狗飯店」に向かった。 (文責:斎藤邦彦)

<写真> https://photos.app.goo.gl/68aNcLnn5BrqLgtq8 参照

(BWVOB 冬城陽子)それとは別に、今回の自然観察で見つけた植物の写真の一部を分類してまとめて、名前を付けた写真を作りました。これに関しては別のアルバムを作っています。(ズン六先生、名前間違いなどありましたらこっそり教えてください。訂正致します。)

https://photos.app.goo.gl/iFZDXZWaKUjnyMz96

(46 村上)昨日は、たいへんお世話になりました。「春の小さい花見つけた」をテーマにした楽しい登山でした。
「タカオスミレの群落」を見つけ、感激です。山の新しい楽しみ方を経験し、満足いたしました。

尚、ヤマレコにデータを公開いたしました。

記録ID:6675284
名称:「月いち高尾」日影沢-小仏城山-高尾山-金毘羅尾根-高尾駅
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6675284.html

(44 吉田)日影林道の植物観察実況放送の試みの機会を賜り、誠にありがとうございました。ナント、s38.…巨星のごときレガシーより「道すがら花に目を奪われ、名前など知らずとも綺麗だな、美しいと感じれば大満足だ、他にあるか?」御意!「心」そこが大切なポイントですよネ。

「この際、1つでも2つでも新しい何かが得られればそれもいいかな?」同行二人?て境地はまだ早いっしょ?もっと多くの方々との道行きを楽しむべし…。
「ちっちゃくて、良く見えない、残念だ」分かります。
「葉付ルーペ」と「補聴器」準必需品です。下ばっかり見ていると、首が痛くなりますから、5か所に1ッか所は目線を上げて木々の枝先などの花々、さらに、空を見上げて頂くのも素晴らしいと思います。