乱読報告ファイル (62) 残光 そこにあり  普通部OB 菅原勲 

こどもの頃から、嘘をついてはいけません、と諭されて、今日に至っている。しかし、逆に、この世から嘘が全く亡くなってしまったら、タワー・レコードの謳い文句、「no music no life」ではないが、それと同様、「no fiction no life」 と言うことになろう。それ程、嘘の効用は凄まじい。

最初から断っておくが、法学者、末弘嚴太郎に「嘘の効用」(1922年)と言う著作がある。これから述べることは、その「嘘の効用」とは縁も所縁もない代物だ。

何故、こんな話を始めたかと言うと、最近、読んだ、と言うより、何とか、二三回、試みてみたものの、見事に途中棄権してしまった本、「ロベスピエール」副題:民主主義を信じた「独裁者」(著者:高山裕二。発行:新潮選書/2024年)に大変失望してしまったからだ。全く面白くなかった。その原因は、著者が明治大学政治経済学部准教授で、その学術論文にも等しい内容だったことにある。何の創造力も想像力もなく、ただただ事実の羅列に過ぎず、ロベスピエールの演説、論文なども、数多、引用されているが、もともとが分かりにくい文章なのか、小生が度し難いボンクラなのか、彼が言っていることが、今一、ピンと来ない。つまりは、主人公であるロベスピエールに感情移入することが出来なかったから、何らの感動も起らない。

そこで思い出したのが、森鴎外に、短編「大塩平八郎」、長編「渋江抽斎」(ただし、小生、5/6行読んで通読を断念した)がある。ところが、「山椒大夫」、「高瀬舟」などと言う創作(嘘)では、激しい感動を呼び起こされるのだが、「大塩・・・」にせよ「渋江・・・」にせよ、単なる事実を述べているだけで、上記の「ロベスピエール」同様、何らの感動も起らない。

つまり、ただただ事実を書き連ねても、何の感動も呼び起さない。要するに面白くないのだ。小生の持論は、読書は面白くなければならない。さもなくば、鉢巻きしての苦痛の勉強となる。最早、この歳での勉学はご免を蒙りたい。

この後で、「残光そこにありて」(著者:佐藤雫。 発行:中央公論/2025年)を読んだ。これは、2027年のNHKの大河ドラマに予定されている江戸幕府末期の幕臣小栗忠順(ただまさ)が主人公だ。勿論、創作だから、作家は思う存分、自身の創造力と想像力を働かせている。従って、小栗に感情移入できるし、その行く末(彼が目障りであったことから、新政府によって斬首される)が分かっているものの、一喜一憂して手に汗することになる。

いずれの本も、最後は、ロベスピエールがギロチン、小栗が斬首されることになるのだが、これは全くの偶然に過ぎない。また、誰がどこで言ったかは覚えていないが、この小栗忠順と言い、佐賀の乱の江藤新平と言い、いずれも稀代の逸材であっただけに、新しい明治政府は、いずれをも殺すべきではなかったと言う説がある。皮肉なもので、逆に、最後の将軍、徳川慶喜は静岡に隠遁し、公爵相当の礼遇を受け、76歳まで永らえた。

余談だが、司馬遼太郎に有名な逸話がある。小生も面白くて、二三回、読んだ覚えがあるが、「竜馬が行く」を、本来の坂本龍馬ではなく、その名前を竜馬にしたのは、これがフィクションであることを明示するためだった。

小説は、英語で言えば、フィクション、つまりは虚構だ。言ってしまえば嘘を書き連ねたものだ。嘘から成り立ってるのが小説である。そこでの会話なんて、記録には殆ど残っていないものだろう。その全てがフィクションであり、想像の産物だ。でも、読んで、それらに感動するわけだ。だけど、これって嘘なんですよ。勿論、読むたびに、これは嘘だ、嘘だなどと呟ききながら、読んでいるわけではない。

今、「翠雨の人」(著者:伊与原新。発行:新潮社)を、半分ほど、読んで来たが、なかなか面白い。これは、日本の女性科学者を表彰する猿橋賞の猿橋勝子を描いたものだが、巻末に、「本書は史実をもとにしたフィクションです」と断っている。勿論、作家の手腕次第ではあるのだが、だからこそ、面白いのだ。

 

Anonyme, Portrait de Maximilien de Robespierre (1758-1794), homme politique. (Nom d’usage), 1758. Huile sur toile. Musée Carnavalet, Histoire de Paris.

マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエールMaximilien François Marie Isidore de Robespierre1758年5月6日 – 1794年7月28日)は、フランス革命期の有力な政治家であり、代表的な革命家。ロベスピエールは国民議会国民公会代議士として頭角をあらわし、左翼ジャコバン派および山岳派の指導者として民衆と連帯した革命を構想。直接に参加した事件は最高存在の祭典テルミドール9日のクーデターのみであり、もっぱら言論活動によって権力を得た[1]

しかし国外の第一次対仏大同盟といった反革命軍、内部のヴァンデの反乱に代表される反乱に直面し、危機的状況にあった革命政府では非常事態を乗り越え革命を存続させるため、敵を徹底的に排除する事を目的に恐怖政治が支持される。ロベスピエールはそれに同意した。こうして行われた恐怖政治は共和国を守るためとして、自党派内を含む反革命とみなした人物を大量殺害するものであり、これは後のテロリズムの語源となった。