(小泉) 開拓時代の西部、銃が命綱であり、優秀な銃であった73型ウインチェスター銃モデル1873連発銃に対する執着を描いた作品で、この連発銃が、次から次へと持ち主が代わり、そのつなぎの中に西部劇としての面白さが詰め込まれてる。監督はアンソニー・マン、この映画で一躍有名になり、この後もジェームス・スチュアート主演での西部劇を連作演出することになった。「怒りの河1952」「裸の拍車1952」「遠い国1954」「ララミーから来た男1955」。かって典型的な善良なるアメリカ人を演じていた二枚目俳優スチュアートの西部劇出演は、「哀愁1940」の眉目秀麗なるロバート・テ-ラーが「最後の無法者1941」「流血の谷1950」等に出演したように、西部劇に出ない俳優は真の俳優ではないといった風潮があった時代でもあった。
主人公リン・マカダム(ジェームス・スチュアート)が心に深傷を負った謎の人物として登場するが、兄ダッチ・ヘンリー(スティーブン・マクナリー)が父を殺して逃げた無頼の徒と言う骨肉相争う家族の悲劇に起因する。しかしそのことは最後の方まで判明しないので曖昧さが残る。この心の深い傷跡による宿敵同士の復讐劇よりも銃のめぐり逢いによるドラスティックな面白さの方に力点が置かれてしまったようだが、仇討ちと銃の行方を同時に描くテンポの良さと見せ場の多さ、復讐に燃える主人公リンをスチュアートは存在感を抑え気味にし、ウインチェスター銃を真の主役とし、登場場面では芯の強い人物をきっちりと演じている。
目まぐるしい展開をなぞってみてもごたごたするだけだが、その場面場面が西部劇の要素の固まりとなっているのだ。射撃大会から始まりから、格闘、決闘、インディアンの襲撃、射ち合い、特に最後の岩山でのライフルによる速射を浴びせる射ち合いが凄い、、疾走する馬車や人馬等々。俳優陣も主役はもとより、いつも寄り添う、友達として信頼性No.1と思わせるミラード・ミッチェル。同時期「陽のあたる場所」で主演女優賞ノミネートののシェリー・ウインタースが巻き込まれ役にもめげない美しさを示したり、悪役の二人スティーブン・マクナリーとダン・デュリエも好演。初出演の頃か?酋長役のロックハドソン、当時インディアン役多かったとは信じられない。銃を探し当てるだけのちょい役乍ら騎兵隊役でのトニー・カーティスが出ていたとは。
(編集子)クレジットタイトルには Anthony Curtis と出ていたが、名が売れてからもそうだったのだろうか、それとも Tony だったのか?
(安田)観た西部劇ではトップ5(いやトップ3か?)に入る面白い映画でした。先ずオープニングのシーンが素晴らしい。誰とは表示はないが明らかにジェームス・スチュアートと相棒のミラード・ミッチェルが馬に乗り丘の上を通り過ぎる遠景に映画題名WINCHESTER ‘73 が浮き出る。映画の展開に興味を抱かせてくれる。
アメリカ合衆国独立から100年を記念してライフルの射撃大会がカンサス州ダッジシティで開催され、勝者には銃の名機「ウィンチェスター‘73」が賞品として与えられる。ガンマン垂涎のこの銃を巡って、宝物の争奪戦が映画の本筋となり様々な人間模様が繰り広げられるが、最初の射撃大会で甲乙つけがたく決戦射撃に勝ち残った二人は実は兄弟であり、弟のジェームス・スチユアートにとって兄は親を殺した仇敵であるのが映画の最後になるまで分からない筋書きの展開には驚いた。
ライフル銃のマニアでなくとも西部劇に興味を持つ者にとっては「ウィンチェスター銃‘73」は格好の好奇心対象なのは間違いない。美しい銃を何度も大写しにし、レバー操作や連射も度々見せつけて「宝物」が映画の主役と言わんばかり。射撃大会の賞品「ウィンチェスター銃‘73」の宝物の争奪戦とその行方、さらには銃を巡る壮大な兄弟喧嘩を大きな柱とする物語だが、西部劇に欠かせない青空、サボテン、岩山の荒野、インディアン(ス―族)、早撃ち、騎兵隊、銃撃戦、追走、ワイアット・アープとダッジシティなどが散りばめられて観る者を楽しませてくれた。兄弟が最後に撃ち合いになる岩山の場面では1950年制作の映画としては、銃声とその乾いた反響音の音響処理が素晴らしいと感心した。
エンディングシーンと銃に刻まれたエンブレムの写真を貼付します。表記は以下の通り(虫眼鏡で読み取りました)。
First Prize Centenial Rifle Shootout Won By
Dodge City Kansas July 4th 1876
(編集子)Won by の次に本当はリン(スチュアート)の名前を入れるはずなのに入っていない。なぜかは映画本体をご覧あれ。
(保屋野)掲題、小泉先輩の完璧なコメントに付け加えることはありません。チビ太同様、私も西部劇の傑作だと思います。当時の、最新連発ライフル銃(ウインチェスター銃)にアカデミー(特別)賞をあげたい映画ですね。
オリンピックのライフル射撃で金メダルがとれそうな、準主役?のJ・スチュアートも、ガンマンらしからぬ風貌がかえって新鮮で魅力的でした。また、ワイアット・アープが登場したのもご愛敬でしたが、カスター将軍事件(スー族による騎兵隊全滅)もとりあげられていました。
(金藤)皆さんが仰るように小泉さんの完璧なコメントの通りの映画でした。オープニング と エンディング 映画の中で、こちらも安田さんの画像とコメントの通り ウィンチェスター銃‘73 が美しく映し出されていました。
ワンオブサウザンドの銃だそうで、ワンオブサウザンドという表現の仕方を70過ぎて覚えました。 最後の銃のラベルには何と書いてあるのか気になりましたが
残念ながらうちの虫眼鏡
では見えませんでした。ウィンチェスター銃の持ち主が次々と変わっていくのですが地面に落ちたままの銃はどうなってしまうのかと思っていると次の持ち手が見つける・・・
銃と共に登場人物と世界がいつもの西部劇より広い西部劇でした。
酋長はロック・ハドソンだったのですね!立派な体格の酋長だと思って見ていましたが西部劇の戦闘場面はやはり好きになれません。
楽しまれているところに水をさすようですが・・・カリフォルニア サンノゼにあるウィンチェスター・ミステリーハウスを思い出しました。ウィンチェスター家の2代目か3代目?だったと思うのですが、彼の未亡人はウィンチェスター銃で撃たれたて死んだ人々に呪われると、霊媒師に相談して次々と部屋を建て増していったという家です。一体何部屋あったのか覚えていませんが、不気味で私はまた見たいとは思いませんでした。
(編集子)この作品の背景になっている先住民族による不安だが、これはカスター将軍が
モンタナ州リトルビッグホーンで先住民族軍に無謀な戦闘を挑み、麾下の第七騎兵隊が全滅した直後と言う時間設定だからだ。この戦闘は1876年6月25日、戦死者は少なくとも600名を超えたとされている。これを題材にしたのが当時の売れっ子エロール・フリンとオリビア・デ・ハビランド主演の 壮烈第七騎兵隊 である。ジョン・ウエインの騎兵隊三部作の第一作 アパッチ砦 では、出世主義へンリー・フォンダ演じる指揮官の部隊が全滅するが、これはこの敗戦を意識したものだろう。上記安田君が苦労して読んでくれたところによると、この映画の背景になっている射撃コンテストはこの年に行われたことになる。ついでにいうと、映画の始まるカンサス州ダッジシティは当時西部開発の最前線で暴力が横行し、”ダッジの西に法はなくペコスの西に神はない” と言われたところ。ここの保安官になったワイアット・アープが冒頭に出てくるように街へ来る全員の銃を預かる、という市政を敷いて平和を保ったことで知られている。リンが “銃を置いていけ”と言われて気色ばむが、相手がワイアットと知って納得するカットがある。ワイアットの実力をだれもが知っていたからだろう。ワイアットがダッジを離れてツームストーンへ流れて保安官になるがそこで起きたのがOK牧場の決闘で、これは1881年10月26日とされている。
上記騎兵隊三部作の結末になる 黄色いリボン では、ウエインがリトルビッグホーンで仲間の将校が何人も戦死したことを嘆く場面があったし、かの 駅馬車 では電信でこの悲劇が伝わり、不安が高まっていくところから始まる。
この 駅馬車 はウエインが最後まで残しておいた3発の弾丸で3人の仇敵を射殺して終わるのだが、この最後の決闘に臨む敵役がバーでカードをやっているところにウエインがやってきたことが告げられる。それではと意を決して立ち上が
る、その時の最後のカードの手が3枚のエースと8のワンペア、”死の手” と呼ばれるものだった。この
ウインチェスター銃73 で、スチュアートから銃を強奪したマクナリーがギャンブラーに負けて銃を取り上げられるシーンがあるが、その時の手がやはりこの組み合わせだった。画面に翻訳はされなかったが、マクナリーがはっきり、deadmans hand と言っていたのを確認した。
余談だが、駅馬車 ではもう一つ、カードに語らせる場面がある。ジョン・キャラダイン演じる没落した南部貴族の男が、身重の将校夫人を案じて、乗る必要もないのにあえて危険を冒して乗車する。そう決心した瞬間に持っていたカードをめくるとスペードのエースが黒々として現れる。
最近の映画でもう一つ、なにか物足りないことを感じることがあるのは、このような、いかにも作り話ではあっても深い情というのかロマンというのか、さらに想像が高まっていく、そういうショットがないからだと思うのだがこれも老人の繰り言であろうか。たとえば モロッコ で砂漠にクーパーを追っていくディートリッヒが残していく靴だとか、俺は待ってるぜ の導入シーン、ぽっつりと消えていくネオンだとか?