エーガ愛好会 (286) ピーター・ユスチノフ礼賛

(安田) ブログ上のお問い合わせ『ところでポアロ役だが、小生が特に気に入っているのは ”ナイル殺人事件” でのピーター・ユスチノフなんだが、賛同者いない?』についてですが、全く同感です。時代は20世紀始め、ナイル川沿いの遺跡を優雅に眺めながらの小振りながら豪華客船の中で起こった、上流階級の乗客を巻き込んだ殺人事件。ユスチノフの雰囲気に相応しいポアロでした。

初めて観たユスチニノフ出演映画は「クオ・ヴァディス」(1951年公開)、次に名画「カサブランカ」を演出した名匠マイケル・カーティス監督作品、ハンフリー・ボカート共演の「俺たちは天使じゃない」(We’re no Angels) 1955年公開)。共に封切りより随分月日が経って(25年近く後年)、エルキュール・ポアロシリーズでは 『ナイル殺人事件』 『地中海殺人事件』を観た時期とほぼ同時期に観ました。

1950年代は「俺たちは天使じゃない」。出演映画の若さから(30歳代だったろう)、風格あるKing’s Englishを独特の間合いで喋るやや太り気味のユスティノフは、英国籍イギリス人といってもロシア系の血をひくその風貌と物腰はクリスティ描くポアロ役にピッタリだと思いました。 1974年公開の「オリエント急行殺人事件」も面白い映画で、ポアロ役の名優アルバート・フィニーも良かったが、ユスティノスのポアロには敵わなかったと思います。

(飯田)菅原さんの ≪乱読ファイル:アガサ・クリスティ 再訪≫ の編集子コメントにジャイ大兄の ≪ところでポアロ役だが、小生が特に気に入っているのは ”ナイル殺人事件” でのピーター・ユスチノフなんだが、賛同者いない?とあり大いに賛同と思いつつ「ナイル殺人事件」(1978年)を再々見しました。 

やはり、この映画でのポワロ役のピーター・ユスチノフの存在感は、特に係留中のナイル遊覧船内での最後に乗客全員を集めての犯人の推理シーンでは圧倒的でした。 ポアロ役では「地中海殺人事件」(1982年)にも出演していました。 ピーター・ユスチノフは「クオ・ヴァディス」(1951年)、「エジプト人」(1954年)、「スパルタカス」(1960年)など歴史物で暴君ネロを演じたりする名優との印象がありますが、私はユーモラスな人情味のある3人の泥棒役の一人を演じた「俺たちは天使じゃない」(1955年)が、大変好きな映画でした。 

ところで、アガサ・クリスティの小説のドラマは「名探偵ポワロ」シリーズ(全80本)、「ミス・マーブル」シリーズ(私は5本ほどしか見ていませんが)の他、映画化された分では、上記の2本の他では「情婦」(小説名:検事側の証人)(1958年)、「オリエント急行殺人事件」(1974年)、「アガサ・愛の失踪事件」(1979年)、「クリスタル殺人事件」(小説名:鏡は横にひび割れて)(1980年)、「アガサ・クリスティの奥様は名探偵」(2005年)、ABC殺人事件」(2018年)などが私がテレビ放送も含めて見た映画です。

(編集子)”オリエント急行” はクリスティの作品群のなかでも抜群の面白みがある小説だと思う。この作品では12人が一人を殺す、という筋だが、同じように人気のある ”そして誰もいなくなった” は逆に一人の人間が孤島に集まった客をひとりひとり殺していく、という逆の発想だ。.2冊ともミステリになじみのない方にも是非お勧めしたい,菅原の言う エンタテインメント性 に優れた読み物だ。

映画では日本での翻訳ドラマを含めて3本みているが、1974年の作品が断然光っている。なんといっても出演陣の豪華さはいったいギャラはいくらかかったのか、と心配するくらいだった。ポアロはアルバート・フィニーだったが、ほかにだれがいたか? リチャード・ウイドマーク、ロ―レン・バコ―ル、イングリッド・バーグマン、ショーン・コネリー、ジャクリン・ビセット、アンソニー・パーキンズ、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ジョン・ギールガットなどなど、知ってる顔がみんな出てる、という感じのエーガだった。あれだけの顔をそろえることはもうないだろうが、これでユスチノフがいたらどうなっていただろうか。2017年版のポアロはケネス・プラナーで、ほかのメンバーもぐっと若返っている(当たり前だが)のを感じる。

テレビで三谷 幸喜による翻訳ものが野村萬斎のポアロで作られたのを見たが、殺される極悪人ラチェットの佐藤浩市が上記2作品でその役を演じたウイドマ―クやウイレム・デフォーなんかよりはるかに凄みがあると感心した。このクリスティ翻訳ものの第三弾が近々出るらしいので心待ちにしている次第。

ナンカナイ会 夏の集まり

KWV昭和36年卒同期会 ”夏の集まり” は翠川の発案で長くつづいてきたイベントで、小生が遺志を継いで世話役をやっているが、今年は猛暑のみぎり、夏を敬遠して 秋の集まり になった。10月18日、銀座みかわやレストランで開催。知る人ぞ知る、銀座の老舗で(多少高かったが)本格的フレンチを堪能した。直前に不都合が発生した田中新、吉牟田という常連がいなかったのは残念だが、ま、ほぼベイ の会合は楽しかった。

だいぶ顔つきが変わってきたので、一応解説しておく。後列は左から前田、中司、大塚、坂田、堀野、深谷、遠藤、岡、高島、安東夫人。前列は浅海、鮫島、高橋,中司、栗田、飯田、鶴岡、田中、安東。

トルクメニスタンを走ってきました   (41 斎藤孝)

「突厥」「とっけつ」と読む。そこは「突厥の世界」だった。
「突厥」とは「テュルク」のことである。すなわちトルコ人であり「トルコ人の世界」といえる。トルクメニスタンは突厥帝国の末裔である

カラクム砂漠
ウズベキスタンの大河「アムダリア」を渡りウルゲンチから国境を越えた。
トルクメニスタンは初めての訪問である。
首都アシハバードまでカラクム砂漠を4輪駆動車に乗り悪路を走破した。
途中「地獄の門」を見物するためである。砂塵が吹きまくる荒涼とした僻地。
その夜はカラクム砂漠でガラオイ天幕の中で一晩過ごした。
暗闇のカラクム砂漠は満天の星座に包まれ月は煌々と輝いていた。

夢を2つ見てうなされた。
その一つは地獄に落ちる夢。真っ赤な炎に包まれたクレーター、「地獄の門」そのものである。 いま一つは天国に昇天する夢。「天国の門」をくぐり抜けると若き天女に囲まれた。 トルクメンの踊り子が影絵のように写る。幻想的な夢だった。

 「地獄の門」
1971年の天然ガスの採掘事故以来、真っ赤な炎が燃え続けている。
これは世界遺産でも何でもない。むしろ地球を汚す負の資産といえる。
吹き出したガスの炎が火口に広がる巨大な穴である。イスラム教でも地獄に落ちると火に灼かれのだろう。 「地獄の門」は新たなトルクメニスタンの名所になっている。まもなく燃え尽きるだろう。

 「天国の門」
 「安息」「安息日」、サバトなのか? ユダヤ教に関係があるのか?

現代の「トルクメニスタン」にあった国名「安息国」である。「安息」はパルチアの中国名である。司馬遷『史記』にも「安息」という名前を見つけることができる。今日のパルチアは民族も様変わりしてトルクメン人の国になっている。

万国博パビリオン

真っ白な大理石のパビリオンが点在する。 人通りもまばらで、人々はまるで人形のように歩いていた。 トルクメニスタン首都、アシハバートは万国博会場といった感じだ。 この世の天国をアピールしているようだ。
建物は白色、車も白一色、道路は直線、異様な雰囲気の街並みである。
街行く人々も同じような服装、男は黒色の背広姿、女性は色鮮やかな民族衣装を着ている。 怪しげな新興宗教を信じこむ操り人形達、ゾンビのようで気持ちが悪い。

トルクメニスタン皇帝
朝テレビをつけると大統領「セルダル・ベルディムハメドフ」の顔と従う軍幹部の顔が写った。 忠誠心を強調して拍手していた。世襲制で皇帝のような振る舞いである。 全体主義で強権国家。もし北朝鮮が豊かな国ならば、トルクメニスタン帝国のような独裁国になっていだろう。
トルクメニスタンは豊富な石油や天然ガスを埋蔵しているという。
面積は日本の約1.3倍、人口は約610万人。お金持ちの国である。

●続編  「突厥の結婚式」と「メルブ仏教遺跡」


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乱読報告ファイル (61) アガサ・クリスティー、再訪 (普通部OB 菅原勲)

 

最近、以下のクリスティーの探偵小説を読んだ。

「ゼロ時間へ」(Towards Zero)1944年。翻訳:三川 基好。早川書房(クリスティー文庫)。

「カリブ海の秘密」(A Caribbean Mystery)1964年。翻訳:永井 淳。早川書房(クリスティー文庫)。

「復讐の女神」(Nemesis)1971年。翻訳:乾 信一郎。早川書房(クリスティー文庫)。

その切っ掛けは、ネット上で、クリスティーの誕生日(1890年9月15日)を祝った画面で、「あまり読まれていないクリスティーの傑作」(正確にどんな題名だったのか想い出せない)を覗いたことからだった。この他に、「死との約束」、「アガサ・クリスティー自伝」、「蒼ざめた馬」が挙げられていた。

「ゼロ・・・」。殆どの探偵小説は殺人事件で始まり、警察、或いは、私立探偵が駆けつけて、犯人探しを始めるのがその流れだ。ところが、ここでは、ゼロ時間(殺人)に向かって様々な要因があり、その結果として後半に殺人が起こる新形式となっている(具体的に、375頁ちゅうの209頁で殺人が起こる)。つまり、誰が加害者で誰が被害者になるかが話の焦点となり、お馴染みのポワロもマープルも登場せず、探偵役はバトル警視となっている。しかし、1944年の発表以来、クリスティーは二度とこの新しい形式を試みておらず、その意味では、この新形式は失敗だったと見做すことの方が正解だろう。

「カリブ・・・」。これは、何もカリブ海に秘密があると言う訳ではなく、カリブ海で起こった殺人事件と言った方が正しい。そのカリブ海に静養に来ていたマープルが、かなり衰弱した老人の大富豪と共に殺人事件を解決する話で、これは真っ当な探偵小説なのだが、そのミソは大富豪の存在だ。

「復讐・・・」。「カリブ・・・」の後日談で、その大富豪が亡くなり、マープルに後事を託す。ところが、その後事が、具体的に何を意味するかの指示が全く不明なことから、それが何かを探ることから話しは始まって行く。従って、458頁にも及ぶ大作となっており、何事も起こらない時間が続いて行くことから、いささか退屈と思われる読者も出て来ることだろう(小生は、クリスティーの、いわゆる、ストーリー・テリングに大いに堪能しており、この3冊の中では最も面白かった)。なお、「復讐の女神」とはマープルのことを指している。

結局のところ、クリスティーには敵わない。いずれも、凡そ犯人らしからぬ人物が犯人であって、犯人を当てることは出来なかった。だからと言って、傑出したトリックがある訳でもなく、「復讐・・・」以外は、さして興をそそられる内容ではなかった。

しかし、ここからが肝心なところだが、「カリブ・・・」の解説者、穂井田 直美が言っているように、クリスティーの最大の魅力は、「エンターテインメントなストーリー作りに長けていること、加えて人物造形のうまさや、心理描写の巧みさなど」、に尽きるのではないか。この点では、並みの探偵小説を遥かに凌駕しており、極めて傑出している。乱暴な言い方だが、その話しの進み方次第では、誰が真犯人かは、もうどうでもよくなってしまうのだ。極端に言えば、クリスティーにとって殺人事件は「刺身のつま」程度のものに過ぎなかったのではないか、との妄想も浮かんでくる。

現に、クリスティーの最初の習作長編は未出版の「砂漠の雪」(1906年。16歳の時)であって、これは探偵小説ではなく、後に(1930年)、メアリー・ウェストマコット名義で出された普通の小説の先駆けとなるものだった。探偵小説は、篤志看護婦として陸軍病院に勤務していた1914年(24歳)から書き始めており、それが、後の「スタイルズ荘の怪事件」となって、1924年に出版された。

今、「・・・自伝」を読み始めているが(序の24頁まで)、なにしろ改行が殆どなく頁が活字で埋まっており、その上、上巻は532頁、下巻は529頁と1000頁を超える代物なので前途多難だ。それにしても、クリスティーの記憶力にはおっ魂消るしかない。

(小田)お久しぶりのアガサ·クリスティですね。ヤッコさんも殆ど読まれているようですが、私も’16年にイギリス南部(デヴォン)のアガサゆかりの場所を訪ねた前後あたりに色々読みました。

最近は、面白いTVのない時に録画してあるポアロやミス·マープルを見直しています。菅原さんが今回読まれた3作は、TVでは全て私の大好きな”ミス·マープル”物ですね。TVは本と内容が少し違いますが、綺麗なバラいっぱいの庭園や、コッツウォルズのような景色が楽しめるのがいいです。
登場人物が多く、最後の謎解きで分からなくなりますが、ご指摘のように普通の小説としても楽しめますね。知らない人物からバスツアー券を受取り集まった人々が、一緒にバスでハイキングをしたり、邸宅や古い修道院を巡る《復讐の女神》が好きです。共通して人気が高いのは、《予告殺人》のようです。

✩クリスティーの《火曜クラブ》を思い出させる、イギリスで人気の、リチャード・オスマンの《木曜殺人クラブ》。同じ施設に入居している老人たちが、暇つぶしに未解決事件を解決していく…を読んでみたいと思います。

 

(編集子)先日書いたが、こちらは目下、クイーン再訪、を始めたところだ。まだまだ前途遼遠、なのだが、このスガチュー論でなるほど、と思い当たったことがある。エンタテインメント性、ということである。クリスティは生前、毎年クリスマスには読者が(今年のプレゼントは何か)と新作を心待ちにしていた、という。探偵役がポアロにせよミスマープルにせよタペンスにせよ、だれにでも好かれる好人物の側面を持っているのもその理由だったのだろう。対するにクイン物のエラリーは学歴と博学をひけらかし、片眼鏡をかけた偏屈な学者はだしであり、もう一人の同時代人ヴァン・ダインの主人公ファイロ・ヴァンスにいたってはことあるごとに美術や文化の博学ぶりを見せつける、とても友人にしたいとは思わない衒学徒で、まともな市民の仲間とは思えない人物として描かれる。

そういう主人公を持ってきたので、話自体が当時の知識階級を読者に想定したものになっていて、確かにミステリとしての技術論は素晴らしいが、どうしても一般の人がクリスマスに期待する雰囲気の作品にはならない。このあたり、万事につけて兄貴分の英国の鷹揚な雰囲気に、ともかく力で対抗する米国人気質の表れなのかもしれない。”エンタテインメント性” を欠き、論理だけを振り回すニューヨーク発の話が、より日常性を基盤にした、東海岸文化の向こうを張る西海岸での、ハードボイルドミステリの誕生につながったのだろう、と改めて思う。

ところでポアロ役だが、小生が特に気に入っているのは ”ナイル殺人事件” でのピーター・ユスチノフなんだが、賛同者いない?

 

 

 

 

近本は盗塁王か?

そもそもの話:

(中司)新聞にセリーグの個人タイトルが載っています。ひとつわからない点があるんで(読み方が悪いのか比較方法が悪いのか、それとも)教えてください。

盗塁王の近本ですが、19個で最多? 片方で50を超える人がいるのに?
(菅原)これが、メジャー・リーグ(59)と日本(19)の差です。
(中司)ふーん。G九連覇のころ、柴田なんかはいくつくらいだったの?
(安田)それにしてもセリーグ盗塁王19は少ない。近本は足が速いだろうに。全球団進塁する意識の欠如に唖然とするばかり。

(菅原)Wikipediaによると、1967年、赤手袋の柴田勲の盗塁は70!大谷も顔色なし。

(下村)小生、野球中継はまったく見ませんが「球辞苑」という番組はよく見ています。素人にはこれがとても面白い。この番組によると野球選手は頭が良くないと務まらないということがよくわかります。対戦相手の全選手のクセやどのような時にどのような動きをするかなどを記憶する力、相手の心理状態を読み取る推理力など。 囲碁や将棋の棋士は対戦したときの布石などをすべて覚えていると聞きますが、これとまったく同じなのですね。

 昨日は大谷の完敗、ダルビッシュの完勝でしたが、ニュースでも紹介されていた通り、ダルビッシュは投球ごとに投げる球種はもちろん、間合いの取り方、球速の緩急などありとあらゆることに頭脳を巡らせて投球していたとのことです。

 過去の「球辞苑」によると、例えば3ボール・2トライクでフルカウントになったときにどのような球を投げるか。対する打者の過去のフルカウント時の対応を思い起こして球種や球速を決めていると。「球辞苑」ではこれをキャッチャー場合、併殺を狙う場合のショートやセカンドの場合、併殺されそうになった選手の場合など各球団の各選手のノウハウが披露されており、過去の数値データとつき合わせながら紹介されています。もっとも企業秘密的なこともありますから、すべての手の内を晒すようなしゃべりはないでしょうが・・・。

因みにかつて100mを10秒台で走る陸上選手をピンチランナーに起用したことがありましたが、ある解説者は早く走れるだけではダメだ、陸上競技は「用意、スタート」のシグナルがあるからスタートを切るのは簡単、野球では投手のクセや投球フォームなどを頭に入れて自分でスタート時点を決めなくてはならないから難しさがまったく違うと。野球も奥が深いですね。

(保屋野)貴兄から野球談議が聞けるとは・・・幅広い関心に感心。盗塁に関して、改めてネットで調べました。メジャーでは、リッキー・ヘンダーソンが1406でトップ(シーズンでは130で2位。1位は1887年ニコルの138)日本では福本の1065がトップ(シーズンでも106とトップ)

日本のプロ野球は、盗塁はもちろんですが、ホームランも少なく、非力なバッターが目立ちます。大昔の、西鉄「豊田・大下・中西」、巨人「王・長嶋」、阪神「バース・掛布」の時代が懐かしい。このままだと、第二の(魅力ない)「男子ゴルフ」となってしまうのでは。なお、シモさんの「100m10秒台の選手」とは飯島のことだと思いますが、確かに100mを10秒で走る彼が成功しなかったのが不思議です。

(安田)近本以前の盗塁王最低盗塁数は、1994年横浜の石井拓朗の24。福本・広瀬・柴田は皆、全盛期が1960年代から70年代の選手(福本は’80年代後半まで)。明らかに盗塁数は年と共に漸減しています。今年のセリーグ近本の19は酷すぎる。パリーグはソフトバンク周東選手の41。最低でも40~50を達成しないと、盗塁王には相応しくない。

強肩のキャッチャーが増えたとはとても思えません。相対的に韋駄天の足の速い選手が急に激減したとも思えません。理由を勝手に考えますと、ピッチャーの牽制とクイック投法更にキャッチャー送球の向上、チームの戦術上盗塁の重要性が減った。そして韋駄天も相対的に少なくなった。近本にしても昔の列挙した韋駄天選手に比べると足は存外速くないのかも。
(飯田)大リーグの大谷選手の盗塁成功率の高さは脅威的ですが、見る方としてはあまり成功率が高いと塁上でのクロスプレイ(ビデオ判定クラス)が少なくなり、興趣が低下することもあるのではとも思います。広島カープの2塁手菊池涼介選手の絡むクロスプレーは芸術的で見応えがあります。

大リーグの昨年辺りの規約変更も盗塁数の増加に関係していると、数カ月前にテレビで解説を見た記憶があります。ピッチャーが投球までの15秒以内のピッチロック、牽制球は2回まで、それと塁ベースのサイズが少し大きくなったこと。この3つ共にランナーには有利に働いているようです。

塁ベースのサイズが大きくなれば、塁間の距離も若干とは言え短くなる上に、塁に身体が触れる面積も広くなるので走りやすいのでは・・。イチロー選手が現在大リーグで活躍していたら、多分、大谷選手にシーズン盗塁数の日本人記録は破られず、もっと記録を延ばせたのではとも思います。

(編集子)小生の小さな疑問でこれだけ話が弾むとは。要は暇なんだ、みんな。
ま、とにかく阿部Gが優勝したし、細かいこたあ、いいか。
来年はリーグ1位、戸郷20勝、秋広30本、浅野40盗塁、締めに岡本50本、この1-2-3-4-5で行こう。
(この話題には関係ないが、先日新聞にでた侍Jのメンバーに村上がいないようだけど、これはなんで?)

田中一村という画家のこと    (普通部OB 船津於菟彦)

千葉市立美術館が開館15周年記念 特別展 田中一村 新たなる全貌」 2010年8月21日[土] – 9月26日[日]を見て凄い画家いるもんだと思い強い印象を受けたのが田中一村を知る始めでした。

田中 一村(たなか いっそん、1908年7月22日 – 1977年9月11日)は、栃木県栃木にて木彫家の父田中稲邨の長男として生まれ、東京市で育つ。、本名は田中孝。中央画壇とは一線を画し、1958年(昭和33年)千葉市での活動の後、50歳で奄美大島に単身移住。奄美の自然を愛し、亜熱帯の植物や鳥を鋭い観察と画力で力強くも繊細な花鳥画に描き、独特の世界を作り上げました。
父は彫刻家の田中彌吉(号は稲村)。若くして南画(水墨画)に才能を発揮し「神童」と呼ばれ、7歳の時には児童画展で受賞(天皇賞もしくは文部大臣賞)。父濔吉より「米邨」の号を与えられます。

1926年 – 東京市港区の芝中学校を卒業し東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科に入学。同期に東山魁夷、加藤栄三、橋本明治、山田申吾ら。しかし、学校の指導方針への不満や父の病気などが原因で同年6月に中退。趙之謙や呉昌碩風の南画を描いて一家の生計を立て、『大正15年版全国美術家名鑑』には田中米邨(たなかべいそん)の名で登録されます。

    • 1931年 – それまで描いていた南画と訣別。自らの心のままに描いた日本画『蕗の薹とメダカの図』は後援者には受け入れられませんでした。
• 1938年 – 親戚の川村幾三を頼って、千葉県の千葉寺町に移る。
• 1947年 – 『白い花』が川端龍子主催の第19回青龍社展に入選。この時、初めて「一村」と名乗る。 これが公に公募して唯一の入選作品で後はことごとく落選。千葉時代の南画から離れ穏やかな風景絵画を描き遂に「白い花」で公募展に入選。白い花昭和22年(1947)9月 紙本砂子地着色 2曲1隻 田中一村記念美術館蔵。

支援者から依頼を承ければお寺の天井画とか襖絵に情熱を注ぎ描きまくっていく。「ずしの花」昭和30年(1955)、一村は九州・四国・紀州と巡る旅に出、この旅を支援してくれた人々に宛て、風景画の色紙を贈った。温暖な旅先の風物に魅入られた一村の、開放感や転機も感じられる魅力的なシリーズです。色紙の畳(タトウ)や包紙に題名や土地の説明などを書き添え、いわばお礼の旅土産として丁寧に制作されていて、色紙絵が今回沢山展示されていました。

昭和33年(1958)12月、50歳の一村は、姉喜美子と別れ、単身奄美大島の名瀬市に移ります。来島当初は、与論島や沖永良部島を巡るなど積極的に「取材」をし、翌年秋からは国立療養所奄美和光園の官舎に間借りし、景観や動植物を写生したり人々との交流もありましたが昭和35年(1960)には千葉へ帰り、国立千葉療養所の所長官舎に住まいを借り、奄美土産ともいうべき絵も描きました。

自らの覚悟の甘さを認識することになった一村は、昭和36年(1961)、不退転の決意で再び奄美へ戻ると、紬工場で染色工として働いて制作費を蓄えたら絵画に専念するという計画を立て、借家に移って切り詰めた生活を実践しました。連作の構想をたてて構図等の配分を考え、写生は対象により肉薄したものとなり、画材は綿密に計算のうえ東京の専門店から調達しました。昭和42年(1967)から45年(1970)までの3年間、制作に没頭します。この間に《アダンの海辺》をはじめとして奄美に於ける主要な作品の多くが描かれたとみられます。それは誰のためでもなく自分の良心だけをとことん突き詰めた制作で、一村はついにそれを自らの力で実現したのです。

生涯を賭して何の悔いもない制作をなし得た満足と自負が、一村が自らの作を指して言った「閻魔大王えの土産品」という言葉に表れています。精魂傾けた大作の完成作は限られていますが、この前後の時期に描かれ知人に贈られた小品や色紙がそれを囲みます。人との繋がりの窓口として生涯描き続けた色紙には、一村の絵のエッセンスと、絵画をめぐる思考が常に吐露されてきました。それらの蓄積の上に、孤高と見える畢生ひっせいの大作が生まれたことを、そして今に残ったことの幸運と必然とを、あらためて教えられます。昭和52年(1977)9月11日、奄美で引っ越したばかりの畑の中の一軒家で夕食の支度中に心不全で倒れ、一村は69歳の生涯を閉じました。
一村は孤高な人で生涯掛けて自らの画風を次々求め続け、54歳で染色工場で働き、繪の材料や高級な画材-絵具-などを購入して「魂の絵画」描き、戦時は徴用工として板金工として働きますが体調を崩して治療用生活か続き、69歳で夕食の準備中に倒れて帰らぬ人となりました。

今回の大回顧展は神童と称された7〜8歳の時の絵から晩年の繪までよくぞ蒐集したと思われるほど沢山の絵が展示され、まれにみる画家の全容が明らかになりました。凄い展示です。やや多すぎて観疲れしますが、心の中には「凄い」という印象が刻まれます(館内は撮影禁止故ブログなどから繪は借用致しました)。

エーガ愛好会 (285)ガンズ・アンド・キラーズ (34 小泉幾多郎)

新聞TV案内10月9日(水)BS12欄に、「ガンズ・アンド・キラーズ」ハードリベンジアクション!と表示があり、調べるとニコラス・ケイジ主演、しかも2023年制作なので、まさか西部劇とは思わなかった。1964年生まれというから60歳になろうとして、初めての西部劇出演とのこと。こんな最新作がTV放映されるとは驚き。現在でも西部劇が制作されているだけでも驚き。最近の映画を観ていないせいか、監督ブレッド・ドノフーとか、ニコラス・ケイジ以外のキャストもスタッフも知らない人ばかり。

開巻すると現在は妻ルース(クリーク・ヌッペ)と娘ブルック(ライアン・キエ
ラ・アームストロング)と共に雑貨店を営みながら平穏な暮らしをしているコルトン・ブリッグス(ニコラス・ケイジ)が、20年前の1878年モンタナ州で、賞金稼ぎをしていたのか、悪名高き盗賊ウオルター・マカリスターの絞首刑に立ち会い、そのマカリスターの弟たちの襲撃を受け、その銃撃戦で、幼いジェームズ・マカリスター(ノア・ル・グロス)の眼の前でその父親まで殺してしまったのだった。

20年後穏やかな暮らしをしているブリッグス一家へそのジェームズ・マカリスターをリーダーとする四人組がやって来る。コルトンとその娘は学校へ送ることで留守中に、妻ルースは殺されてしまう。帰宅したコルトンは、先に知った保安官ジャレット(ニック・サーシー)から報告を受け、自重するよう促されるが、家に火をつけ、復讐に立ち向かう決心をする。此処から親コルトンと12歳の娘ブルックとの成長の物語と復讐劇が始まる。

コルトンは娘に自分の過去を語り、娘は過去と自分自身の強さに氣付き始める。娘は銃の扱いまでも伝授を受ける等して保安官や盗賊達との対立は二人の絆をよ
り深くする。最終対決では、ジェームズと彼の手下たちが、ブルックを人質に取り、コルトンを罠にかけるが、コルトンは冷静に狙撃の腕前を発揮して手下達を次々に倒して行く。娘の命を優先したコルトンは自らの命を捧げる覚悟を見せ、コルトンはジェームズに撃たれてしまうが、倒した喜びに浸るスキを突きブルックの銃が父の仇を討つ。ブルックは父の亡骸に寄り添い、新たな旅立ちを示唆するのだった。

最新の西部劇としての特色は何かあるか。冒頭の銃撃戦、最後の決戦等西部劇らしさは不動。復讐と赦しを求めるテーマ、親子関係たる家族の絆、自分と過去の向き合い。法と秩序の概念追及といったことが内在されてところが強調されていることが新感覚と感じた。ぶち壊せば、冒頭に妻一人を狙っての虐殺、仇がコルトン・ブリッグスと判っているのなら、何故本人がいる時に襲わなかったのか?本人を殺害してしまえば、復讐はなく、この映画は成り立たなかった。

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ニコラス・ケイジ のことです

カリフォルニア州ロングビーチ生まれ。オーガスト・コッポライタリア系で大学教授兼作家、母ジョイ・フォーゲルザングはドイツ系のバレエ・ダンサー。兄(マーク・コッポラクリストファー・コッポラ)がおり、クリストファーは映画監督をしている。父方の祖父は作曲家のカーマイン・コッポラ、祖母は女優のイタリア・ペニーニ。叔父に映画監督のフランシス・フォード・コッポラ、叔母に女優のタリア・シャイア、いとこにソフィア・コッポラロマン・コッポラがいる。

ビバリーヒルズ高校中退。日本語学校に通っていた経験があるため、日本語がある程度話せる。映画でもしばしば披露する他、来日時には日本語で挨拶することもある。

 

日本人プレイヤーの活躍がうれしいです  (44 安田耕太郎)

先日のドジャーズvsパドレス戦、日本人投手2人(ダルは半分ペルシャ人ですが)の稀に見る緊迫のハイレベルな素晴らしい投手戦でした。

山本は3度目の正直(今シーズンベストの投球ではなかったかと)の無失点好投、ダルはジンクスに克てませんでした。が、パドレス最年長38歳とは思えぬ見事な7イニングでした。
許した3本のヒットの内2本が本塁打とは、紙一重の失投でした。それにしても下馬評の低かったドジャースブルペン投手陣の晴天の霹靂に近い予想外の好投でした。パドレスは第3戦の3回以降、25回連続無得点。これでは運悪くダルの絶妙のピッチングも浮かばれませんでした。やはりジンクスが生きていたのか?
試合を観てて、パドレスはレギュラーに非白人選手(中南米勢)が多いなと気づき、念のため調べました。打順9番までの国籍は、
1.ヴェネズエラ、2.ドミニカ、3,オランダ領キュラソー(ヴェネズエラ北岸沖の島)、4.ドミニカ出身米国籍、5.米国籍白人、6.オランダ領キュラソー、7.ヴェネズエラ、8.米国籍白人、9.日系米国籍(捕手のヒガシオカ)。7人が非白人でした。ピッチャーはダル・松井以外にクローザーの元ソフトバンク・阪神のスワレスはヴェネズエラ国籍。
昔ほど傑出した米国籍選手がいないようで、アメリカがWBCで過去1回しか優勝していないのも頷ける。優勝国は第1回大会から、日本・日本・ドミニカ・アメリカ・日本。ペナントレース前の3月開催なのでアメリカの本気度は本物ではないのも一因かも。日本は、投手陣に今永・高橋(中日)・佐々木朗希などを加え、次回のWBCも優勝候補筆頭にランクされるのでしょう。但し、MLB試合をみてて、リリーフ陣でも160キロの豪速球を投げるピッチャーが目白押し。やはりレベルは高い。

さて、次は明後日からナ・リーグの優勝決定シリーズ、ドジャースvsメッツ戦。メッツの第1戦先発は千賀だと既に発表済み。千賀vs大谷も楽しみです。突破するには先に4勝必要で、結構な長丁場。山本は、中5日で第4戦先発か。千賀は決着がついていなければ第6戦先発も予想される。山本は決着が第7戦までもつれ込んでも、中5日必要なので登板機会が巡ってくるかどうか疑わしい。ドジャースとしては山本の2回目の登板が無くても勝ち抜き、ワールドシリーズの第1戦か2戦で先発させるシナリオがベスト。

(菅原)流石は人間グーグル!これじゃー、それこそパドレスは「Caribean Padres」だ。それで、Padresはスペイン語のPadreの複数だから、カリブ海の神父となる。しかし、Padresの連中の面構えを見ると(除く、ダル、松井)、その実態は、まるで「麻薬の売人」の集まり。

(船津)菅原さん
麻薬の売人とは良く言ってくれた。何やら眼がぎらぎらしていて近寄るとぶん殴られそうなられそうな形相の人が多くよく言えば闘争心が在りすぎの感じ。