イッパチ会集合―東京支社マイクロ同窓会2・0   (HPOB 東栄一)

東京支社マイクロ同窓会記事拝見しました。大先輩の皆様、お元気そうでなによりです。 今週、一八会有志に浅原さん、菅野さんも合流いただき> 岡部豊のお墓参りに行く予定です。

上記岡部君の墓参後の食事会(四谷三丁目の中華店)の様子です:

後列:(左から)松本、瀧谷、小関
中列:竹内、相生、東、青井、鈴木敬二
前列:菅野さん、浅原さん、中山、福澤

(編集子)ウイリアム・ヒューレットがスタンフォード大学時代特許を取った技術を商業化して、親友のデヴィッド・パッカードと二人で起こしたヒューッレット・パッカードはその後、産業機器メーカーとして、電子測定機器の分野で(これは現代のアラビアンナイトだ!)とまで言われた急成長を遂げる。70年代ころから実用化されたミニコンピュータによって計測の自動化に乗り出し、しばらくは先発メーカー製品のOEM化でノウハウを得て、自社で自動計測目的に特化したミニコンを開発し、コンピュータメーカとして注目されるようになったが、当時、事務処理分野での絶対的王者であったIBMの大型機(メインフレームと呼ぶようになっていた)に対し、(小回りの利く、ユーザ本位設計のミニコンをその頃から実用化され始めた通信網にのせて処理を分散化する)という新しいアイデアで一般事務処理分野に事業を拡げた。米国・欧州で成果を上げて日本市場へ乗り込んできたのが80年代初頭である。

世界を制覇したIBMですら日本メーカーの優位を崩せないというのだから、まさか、日本でショーバイするたあ言うめえよ、と思っていた編集子になんとこの挑戦、と言えば聞こえはいいが、誰がどう考えてもむちゃくちゃな任務が回ってきたのが1981年。hp社の製品力とネームヴァリューで楽なショーバイに慣れ親しんでいる当時の風土に、こんな役を引き受けるもの好きはいない。これはそれまでの採用―人事の慣習では人員の手当てすらおぼつかない。ここは乾坤一擲、メンタル、フィジカル双方、打たれ強く根性一番のメンバーを採用してくれることを任務遂行の条件として認めてもらい、この条件に合致する人材が多いはずの、大学体育会出身者に焦点を当てて採用活動を強行した。その結果、一時に18人(当初は少なくとも20人、と主張したのだが)の “ノンエンジニア、体育会経験” という、それまでのYHPでは採用の対象にさえされなかった人材がそろった。このグループの、根性第一イズムこそが日本におけるhp社の汎用コンピュータ市場開発を成し遂げたのは紛れもない事実である。

新人がカタログ持ってくだけで客が買ってくれる、と言われた当時の最先端製品であったスペクトラムアナライザなどは2台も売ればセールスノルマ(クオータ、と言った)が達成されてしまうというのに、引き合いから成約まで、うまくいって1年半はかかる汎用システムHP3000 にとりくみ、後輩たちの後塵を拝し、ある時は蔑称すらあびながらただひたすらに編集子を支えてくれた18人は同時に東京支社のメンバーでもあった(東の記事にある岡部豊はSEとして仲間からも顧客からも絶対の信用を勝ち得た、温厚な紳士だった)。

小生にとってはいわば第二の青春でもあった、怒濤のような月日を改めて思い出す写真をアップさせてもらう。

 

カモメの旅    (41 斉藤孝)

「初島」は何処にあるのか ?
熱海沖の小さな島でした。「カモメのカメ」になり「初島」に渡りました。熱海沖の小さな島でした。「初島」に渡る連絡船はカモメの群れに囲まれました。

『カモメのジョナサン』(Jonathan Seagull) を思い出しました。1970年代の短編。

小さな島は菜の花が咲き乱れ、河津桜が満開でした。

カモメの人生は飛ぶことにある。
カモメはただ餌を食べ可能な限り長生きするために生まれてきた。
生きることの意味やより高い目的を発見するカモメこそ責任感がある。

これは短編『カモメのジョナサン』が伝える思想でした。

(編集子)なんと開けてみたらモデムの故障、ということで新品交換で一件落着したがほぼ1週間、PCを開けなかった。カメ兄例によって名文がしばらく披露できなかった。お詫び申し上げる。

春うらら、の日も近い。楽しみが待っているような気がするが。

 

エーガ愛好会 (360)   赤い河

月一高尾の帰り道、同行していた川名君との雑談がきっかけで、(どれだけ原稿が集まるかなあ)とおっかなびっくりで始めたこの企画、ついに360回になった。別に理由はないが、何となくきりのいい数字で、いいことがないかなあと思っていて、今回 ”赤い河” へのご招待?を試みたところ、たくさんのご投稿をいただいた。うれしいことだ。御大ドクター小泉の投稿をトップに、以下、到着順に各位の感想を並べる。

なお、本稿2018年9月3日号に、Red River という河にまつわる、なんというか奇蹟みたいな体験を書いた。ご覧いただければありがたい。

(小泉)赤い河は勿論、西部劇の中でも大叙事詩的開拓劇の 模範ともいうべき作品ですから大好きな方です。初めて初老に扮したジョンウエインが、苦い過去の思い出からか、よじれた性格の持ち主として描かれ、捜索者と似たようなイメージを思いました。言われてみれば、主題歌が、リオブラボーのライフルと愛馬の原曲だったのですね。黄色いリボに出ていた女優ジョーン・ドルーが、モンゴメリークリフトの恋人役で出ていたことを思い出したら、急にジョンウエインの恋人だったゲイルラッセルの清純だが、ひきつけてやまない眼付きとかをまた思い出してしまいました。ついでに、去る310日、ロックハドソンとカークダグラスのガンファイターに出ていたドロシーマローンが、またゲイルラッセルをより色っぽくした女優で、西部劇に良く出演していたことを思い出してしまいました。

(飯田)映画「赤い河」(1948年、モノクロ)は中司さんが推奨するように、私も見る度にますます興趣をそそられる映画だと思います。監督ハワード・ホークスの手腕も手伝って西部開拓史上に欠かせない要素が詰まっています。西部劇に出てくる全ての要素を殆ど克明に取り込んでいます。

・幌馬車隊列 ・スタンピード(牛の群れの暴走) ・颯爽たるカウボーイ姿

・牛の大群の渡河 ・先住民(インディアン)の襲撃 ・J.ウエインによるM.クリフト追跡

・一騎打ち

もう一つ欠かせないのは音楽担当がデミトリオ・ティオムキンだということ。彼は「赤い河」の他にも、アメリカ映画に取って欠かせない映画音楽の作曲家でした。

(福本)本日午後、BSで初めて観ました。とてもよい映画でした。安田さんから送られてきた添付の感想(分析、説明)のおかげで理解が深まりました。

カウボーイといえば、馬上の拳銃使い、ロデオ等が思い浮かびますが、本当は違うんですね、アメリカ西部の歴史の一端を知りました。また、引き連れた牛の数、移動した距離、桁違いのスケールの大きさも他の西部劇では見られないですね。歌のほうは、ポイントで何度が流れる主題もいいメロディでしたが、私が見た限りでは、聞いたことのある曲は、ガース率いる本隊がアビリーン直前の鉄道の線路あたりに到着した頃、流れていたと思います。ワンダーの何かのような気がしますが、すぐには曲名が浮かびませんでした。

(編集子注)タイトルバックの時点からずっと流れていた曲は、その後、やはりウエインの西部劇 リオ・ブラボー で、ディーン・マーティンが My Rifle My  Pony and Me (邦題 ライフルと愛馬)として歌っています。このあたりのことどもについては、上記した18年9月3日の記事をご覧いただければ幸甚です。

広大な自然の中での逞しい男達の仕事や生活(荒野の中での自炊等)。ワンダーに通じるところがあるのでは。天災地異が起きた時のサバイバル、私達が勝つでしょう。私は実家の母が倒れた後の食事の用意、洗濯などが難なく出来たのもKWVで身につけたものがあったからだと思っています。

(下村) セーブ劇ひとつ見るにしても皆さんが色々な視点から見ておられることにすっかり感心しました。私はまったくの門外漢ですが、横からちょっと別のことを考えてしまいました。

「赤い河」の法も秩序もあったもんじゃないという時代、米国史上最大の死者を出したという南北戦争があった時代を背景としていましたが、奇しくも日本は幕末・維新で世の中がすっかり変わってしまうという歴史の大転換点にあり、ヨーロッパではクリミヤ戦争やイタリアの内乱・革命と統一。フランス、ドイツ、オーストリアでも普仏戦争、普墺戦争、そしてやがてドイツ統一と。これらの大激変がほぼ世界同時に起こっていたわけで、翻って歴史の偶然性を強く感じた次第です。

(保屋野)赤い河、二回目を観ました。ジャイさんはじめ、小泉、飯田、チビ太、福本諸氏の素晴らしい感想に付け加えることはありません。今回、この映画が、皆さんのコメント通り、西部開拓史の主要な要素、ロングドライブ(キャトルドライブ)の白眉、テキサス→カンザス等の交易路「チザムトレイル」を切り開いたカウボーイ達の物語(史実)だったのですね。そこで、「チザムトレイル」をネットで検索したら、何と「キャトルドライブ・ジョン・チザム」」(安田耕太郎)というコメントが載っていました。チビ太博士の大論文(笑)です。これはかってジャイさんのブログに掲載されたものですが、今回のチビ太氏のメールに添付されていますね。

さて、主題歌に関しても、前回は「ライフルと愛馬」がこの映画の主題歌とは気が付きませんでした。(リオブラボーでD・マーチンが歌っていました。)なお、キャトルドライブといえば、「ローハイド」を想起しますが、隊長役のエリック・フレミングのフェーバーさんは本当に魅力的でした。ちなみに、クリント・イーストウッドもこれでブレイクしました。

 

 

エーガ愛好会 (359)百万ドルの血斗     (34 小泉幾多郎)

「Big Jake 1971」 はジョン・ウエイン主演としては、後期に属する映画で、誘拐された孫を息子達と取り戻しに行く設定。製作が長男のマイケル、息子を次男のパトリック、孫を末息子のジョン・イーサン・ウエインの身内で固め、他にもう一人の息子が「エル・ドラド」で共演したロバート・ミッチャムの息子クリス・ミッチャム、奥さんが何度も夫婦役を演じてきたモーリン・オハラ、仲間となるインディアンがブルース・キャボット、敵役がリチャード・ブーン、しかも監督が若き頃からお馴染みだったジョージ・シャーマンで、ウエインとしては身内や懐かしい仲間に囲まれての仕事はさぞ楽しかったことと思われる。

 オープニングが洒落ている。時代背景の説明から入るのだ。1909年文明の波が欧州からアメリカ東部へ、ニューヨークは世界の大都市に肩を並べる。メトロポリタン歌劇場では、カルーソが歌い、トスカニーニが指揮棒を振り、ブロードウエイではバリモア一家が、ジーグフェルドのレビューが人気・・・東部では最初の劇映画「大列車強盗」が完成、その頃西部では、本物の強盗が荒らしまわる・・・という説明から、その強盗リチャードブーン率いる9名の無法者が、牧場主ウエインが留守の大牧場を襲撃する場面に繋がる。冒頭から使用人とその子供を含む家族数人が殺害され、ウエインの息子一人が重傷を負ったうえ孫が誘拐され、身代金100万ドルを要求される。活劇の中にもユーモアを忘れないウエインの西部劇としては、冒頭から残虐なシーンに驚いたが、これもマカロニウエスタンの影響か?

 時代設定からか、自動車、自動二輪が登場する。古い西部男が時代に取り残される寂しい設定がニューシネマ西部劇だが、ウエイン親父の場合は真逆。これに乗って先に行った息子たちが、相手に、してやられ車は壊され、親父の連れてきた馬に乗ることになったり、殴り合いでも親父の方が滅法強く、親父らしく西部での生き方を息子達に教えることになるのだった。最後は息子達と協力しながら、孫を取り戻し、悪漢どもをやつけてめでたしめでたしで終わるのだが、折角の終わり方に、ケチはつけたくないが、一言。冒頭から敵討ちのため一緒に苦労し、また助けられてきた仲間である犬とインディアンが最後の最後にやられやられてしまう。それこそ犬死だ。途中、インディアンは息子に向かって言う。「父の言うことを聞け、父の言うことを聞けば生きて帰れる」それなのに、それを言った本人が死んでしまう。画面では、悪漢をやつけた喜びは表現されたが、インディアンにも犬にも哀悼の表現はなかった。

(編集子)老境に入ってからのウエイン西部劇の筆頭は リオ・ブラボー だろうが、同じようなつくりの エルドラド、エルダー兄弟、遺作となった ラストシューティスト、と比べるとこの作品は小泉さんが指摘されたように、フォード一家の生き残りの出演、ということだろう。大番頭ワード・ボンド、引き立て役ヴィクター・マクラグレンなくベン・ジョンスンもいないフォード一家2.0だが、また違った雰囲気の作品だ。ドクターの解説にあるように、良きなつかしき西部が消えてゆく、そういう時代背景もまた、いくつかの作品に描かれているが、この作品は最後まで西部男にこだわったウエインへの挽歌、であったかもしれない。

 

 

ミラノ余韻   (大学クラスメート 飯田武昭)

ミラノ・コルチナ五輪の最後の大試合だったアイスホッケー決勝戦はアメリカ対カナダでした。私の旧知のアメリカ人に、その試合のアメリカ勝利を讃えて日本語でメッセージを伝えてもらいました。

彼はスポーツ観戦ではメジャーリーグのフィラデルフィア・フィリーズとアイスホッケーの試合を特に好んで観ています。アメリカの4大スポーツの一つ、アイスホッケーは未だ日本ではマイナー・スポーツですが、以下は私とのやり取りです(ご笑覧ください)

アイスホッケー決勝戦は延長戦のsudden deathでアメリカがカナダに2対1で勝利したのはおめでとう。アメリカがカナダにオリンピックで勝利したのはレイクプラシド以来の46年振りとか。カナダはトランプ関税などでアメリカにいじめられていて更に悔しがっているのでは?

Thank you!  It was a very exciting game and a player from the New Jersey Devils had the winning goal in overtime (Jack Hughes).  He even lost a tooth during the game when he was hit in the third period.  Canada is very good and is always our top competitor.  It has been a long time since we won in Lake Placid.  I think you visited Lake Placid when you were in the US?

It might be a very exciting game!   I bought the patch when we visited Lake Placid in 1980. I realized now why the raccoon dog playing ice hockey with a stick is drawing on it.  (Attached the patch)

(編集子)カナダがアメリカの51番目の州になることを望んでる人がどれくらいいるんだろうかね。ついでに聞いてもらえばよかったね。こまかいことだけど、このやりとりで ”日本語で伝えられたメッセージ” ってどれ?

(飯田)日本語で伝えたメッセージは以下の分です。分かり難くて御免。

アイスホッケー決勝戦は延長戦のsudden deathでアメリカがカナダに2対1で勝利したのはおめでとう。

アメリカがカナダにオリンピックで勝利したのはレイクプラシド以来の46年振りとか。

カナダはトランプ関税などでアメリカにいじめられていて更に悔しがっているのでは?

山行ノートから (2)  (55 宮城裕之)

KWV 54/55メンバー5名で、北海道にある日本百名山3座(雌阿寒岳・斜里岳・羅臼岳)に登りました。同期会で岩見さんが、定年後は日本百名山完登を目指すと宣言したのがきっかけで、賛同したメンバーが参加しました。北海道・九州は地理的に遠いので、こういった機会が無いと、登れないので参加を決めました。北海道は標高が本州に比べると低いですが,緯度が高いので、気象条件が厳しく、標高+1000mが、本州の山と同等と言われています。今回は、北海道北東部・阿寒‐知床地域にある3座を登りましたが、昨今はヒグマが都市部にも現れており、出かける前はかなりビビッていました。行ってみれば、登山者が多いせいもあり、遭遇することはないかと安心していましたが、3座目の羅臼岳下山後、林道を車で走っている際に、親子連れのヒグマに遭遇し、100mくらいの距離でしたが、かなりの大きさで、人を全く無視するようにゆったりと歩いていたので驚きました。自然が残されていて、動植物の宝庫でもある魅力あふれた北海道の山々には大きな感動があり、残り日本百名山6座を登りに再度訪問するのが楽しみです。

(行動概要)山域;北海道東北部(阿寒・知床地域)

710(); 羽田空港-女満別空港→(レンタカー)→モンベルオホーツク小清水店→温泉民宿両国総本店(阿寒湖温泉)(泊)  車移動(130km;2時間20分)

711(); 宿泊先⇒雌阿寒湖温泉登山口⇒雌阿寒岳⇒阿寒富士⇒オンネトー登山口⇒雌阿寒温泉登山口→ロッジ風景画(泊);  車移動(108km;2時間10分)

712(): 宿泊先→清岳荘登山口⇒下二股⇒上二股⇒馬の背⇒斜里岳⇒馬の背⇒上二股⇒熊見峠⇒下二股⇒清岳荘登山口→民宿いしやま(ウトロ)泊)車移動(60km;1時間10分)

713(): 宿泊先→岩尾別温泉温泉登山口⇒木下小屋⇒オホーツク展望⇒⇒ 一の岩場⇒水場⇒羅臼岳⇒一の岩場⇒14:05オホーツク展望⇒14:55木下小屋⇒岩尾別温泉登山口→

ホテル知床(泊) ;車移動(14km;30分)

714() 宿泊先⇒モンベルオホーツク小清水店⇒女満別空港;車移動(100km; 1時間40分)

女満別空港⇒羽田空港

(編集子)55年組報告第二弾である。小生は翠川たちと利尻観光を兼ねて、ついでに、くらいの気持ちでトライした利尻岳山頂直下で故障し、あきらめたほかは新婚旅行にまだまだ秘境あつかいだった残雪の残る然別湖のあたりを散策したくらいで北海道の山とはほとんどかかわっていない。足がまだ動く間に釧路湿原なんかにはぜひ行ってみたいとは思っているのだが。

 

オリンピックは終わったーアリサ・リュウの話    (普通部OB 船津於菟彦)

 

冬季オリンピックは終わった。日本は金5個、銀7個、銅12個の計24個のメダルを獲得今までで最大。坂本選手に最終の美で「金メダル」を取らせたかったが、何とアリサ・リュウが素晴らしい演技で金メダル。

逆転の金メダルを獲得したアリサ・リュウ(20、米国)は複雑な中国系アメリカ人。天安門事件の活動がきっかけで米国に政治亡命した中国人の父を持つリュウの生い立ちは複雑で母は匿名の提供者の卵子による“代理母”。4人いる妹、弟も全員が“代理母”でミラノの会場で初めて全員がライブでリュウの演技を見たという。それがリュウの笑顔と金メダルの原動力だったのかもしれない。

そしてリュウの才能を見抜いたのは、天安門事件後に米国へ政治亡命した中国人の父アーサーである。 元々は、結婚していたが離婚し、リュウが生まれる頃は、独り身で「どうしても子供が欲しかった。でも、もう私は40歳だったから」と、“代理母”出産となった理由を説明している。
アーサーは中国南西部の四川省にある人口約200人の山村の出身。重慶の寄宿学校の入学資格を得て、その後、中国の大学で学士号を取得。そこからアメリカへ亡命し、カリフォルニア州立大学ヘイワード校(現カリフォルニア州立大学イーストベイ校)でMBA、カリフォルニア大学ヘイスティングス法科大学院で法学博士号を取得し、弁護士としてキャリアを積んだ。そんな経歴の末にもたらされた「金メダル」。凄いなぁ。

そして日本の「りくりゅう」駄目から奇跡的回復。お兄さんとお姉さんが入れ替わり、励まして奇跡。日本も諦めずにこつこつ経済回復。高市早苗お姉さんに励まされなくても次第に日本の良さが世界に認められてきている。国内で作るのでは無く世界で世界時間・世界人相手にそれに合わせた働き方を次第に覚えてきた。「ガラパゴス」から世界共通に。

やれば出来ますよ。「働き方を時間で語るな。そして世界仕様の働き方へ変化」

東京支社マイクロ同窓会

YHP(横河ヒューレットパッカード、日本hpの前身)はHPの創業者ヒューレットとパッカードの経営思想を日本の風土の中でも実現に努め、製品力とあいまって、最も成功した合弁会社、といわれたこともあった。その中心にあった経営技法はMBWA(Management By Walking Around) と呼ばれ、社員間のインフォーマルなコミュニケーションを基盤としたチームワークであった。編集子がマネジメントの末端に加わった時、管理職の任務は ”Not to do the job, but to get the job done” だ、と叩き込まれた。いろんな職場を経験させてもらったが、この黄金律を曲がりなりにも実現できた、と思ったのは営業部門に転出し、支社のひとつを任された時だった。その間、小生を支えてくれた仲間たちのなかで、いまも親しい時間を共有しているグループの会合を神楽坂で開催した。坂東正康、小野寺務は西国に去り、健在なら 真ん中に座って”俺、ぬる燗!” と言ってるはずの曽山光明、名コンビだった坪内和彦や近野俊郎、なんかの思い出話で夜が更けた。学生時代近くに下宿していた天堀はセンチになったのか、昔をしのぶ、といって坂を下りて行った。

(写真左から麻生洋、楠路夫、浅原弥生、菅野節子、天堀平衛、中司恭、木内和夫)

(天堀)早稲田駅まで歩き 4年間過ごした4畳半の下宿を探しましたが見つかりませんでした。

近くにあった小さな公園は残っていて 60年前の記憶がよみがえりました。

冬草や 強者どもが 夢の跡

 

蔵王へ行ってきました   (HPOB  小田篤子)

14日から蔵王、裏磐梯へ行き18日に戻って来ました。
昨年夫の勘違い?で、八甲田方面に行ったため、今年は、以前から私の希望していた、[蔵王樹氷雪上車ナイトツアー]に出かけて来ました。樹氷は世界的にも珍しいため、予約競争が激しく、慣れない夜中開始の予約などは、なかなか取れませんでした。
昼間はケーブル等乗り継いで頂上に行くことにしたのですが、最初の50人乗り位のゴンドラには長〜い列が!
列の途中に、ディズニーランドのファストパスのように予約者が入ってしまうので3時間近く並びました!
逆に予約できた17時のナイトツアーの際には、下りの長いゴンドラの列を尻目に、さっと乗ることができ助かりましたが。昼と夜共に綺麗な樹氷に、並んだ苦労も忘れました。
やはりアジア系の旅行者が多いですね。列には我々のような老夫婦は見かけませんでしたが、好天の日が続き助かりました。
(42 下村) ご夫婦そろっていつも活動的ですね。理想的で素晴らしいシニアご夫婦に乾杯!! 金賞ものです。
(編集子)スキー歴は長いのだが、初めてスキーを履いたのが赤倉だったこと、大学時代にスキーに関しては兄貴分で頭の上がらなかった翠川幹夫のホームグラウンドが燕だったせいで、まず7割方は妙高エリアが主戦場だった。東北はKWV時代の合宿が五色温泉(いまはもう廃業したはずだが)だったりしたこともあったが、蔵王はほんの数回しか行っていない。いつだったか正確に記憶はないが、かのトニー・ザイラーが来日してスキー映画を撮る企画に若き日の加山雄三がバイプレーヤ―で出演する、ということがあった。その時、たまたま35年卒の徳生さんなんかと現地に居合わせ(たしかスキーリーダー養成プラン)、寒い中で加山の滑りをみたことがある。残念だがザイラーを見ることはなかった。このほかに数回、同期の岡秀雄の設営で行ってはいるのだが、どうも毎回、天候が悪かったので、小生の蔵王の印象はいいものではない。

冬季オリンピックのこと   (44 安田耕太郎)

歴代最多数メダル獲得、日本にとって上出来のアチーブメント。本文を書いている時点で不明な坂本花織と高木美穂に有終の美を金メダルで飾って貰いたい。それにしても欧米の強豪国に伍して、日本の活躍は嬉しい驚き!スノーボード種目では今や世界で最強。クロスカントリースキーのノルウェーに迫る勢いだ。20歳前後の若者アスリートの才能・プレッシャーに打ち克つ心技体・競技後の対応は捨てたものではない日本にとって将来の希望を感じさせられます。経済面・文化面・政治面・国際外交面でもそうであればと願わずにはおれません。

今年の冬季五輪を過去2つの五輪と比較します。参加国・地域数、参加者、競技数の面で。

1. 猪谷千春が日本最初のメダルを獲った1956年コルチナダンペッツオ:
参加国・地域数32
参加人数820人
競技種目数:
4競技24種目
因みにアルペンスキー3冠のトニー・ザイラーは2位との差、滑降3.5秒、大回転6秒、回転4秒。まるで中学生・高校生してのよう。その後、仏のジャン・クロード・キリー三冠、スエーデンのインゲマル・ステンマルクの大回転・回転席巻以降、超絶スキーヤーは輩出されず拮抗して、1秒以下の差で鎬を削っています。今後、三冠王は勿論複数2種目制覇スキーヤーは現れないでしょう。1970年代はスエーデン人の2人、ステンマルクとテニスのビョルン・ボルグが世界にスポーツ界で際立ちました。

(長野オリンピックで魂のジャンプを見せた原田雅彦。最後のジャンプ中継でアナウンサの ”原田、立ち上がれ、立つんだ、立ってくれ、原田!” という絶叫が記憶に残る。

2.  1998年長野オリンピック:
冬季五輪開催地のうち最南で、最も低緯度地。
参加国・地域数72
参加人数
2,302人(男子1,488人、女子814人)
競技種目数
7競技68種目
金銀銅メダル総数204

3. 2026年ミラノ・コルチナダンペッツオ:
8競技116種目
参加国・地域数93
参加人数3500人
金銀銅総数:348
(長野五輪より7割、144個増加)。日本現在(2/18終了時点)獲得メダル総数22、ノルウエー、イタリア、アメリカに次ぎ第4位。25個位まで行くと思うが、競技種目総数増加が大きく寄与している。特にスノボ系種目の貢献が大きい。トニーザイラー・猪谷千春の1956年五輪の競技総数24の実に5倍弱(116)に増えている。

冬季五輪開催地について私見:
リレハンメル、スコーバレー、インスブルック、サッポロ、コルチナダンペッツオなどを良として、北京・ソチ・平昌など雪・氷・冬のスポーツの祭典をイメージし難い開催地は避けるべきかと思う。アイスホッケー、カーリング、スピード・フィギュアスケートなど室内競技は兎も角、冬季五輪の華アルペン・クロスカントリースキー、ジャンプ、スノボなどの競技会場は周りも冬のスポーツの相応しい雪に覆われた場所であって欲しい。2030年次期冬季五輪会場はフランスアルプスのオーヴェルニュ・ローヌ・アルプとのこと。近い都市はリヨン、グルノーブル。今年のミラノ・コルチナダンペッツオに近い環境だと予想出来る。怖いのは温暖化による雪不足。第一回冬季五輪の開催地シャモニーより随分南に位置しており、暖冬でないことを願うのみ。