天気は晴れ。気温は8℃です。最高気温は15℃予報…..今週は会社周辺紅葉が進みそうです。
(注)”会社周辺” とは中央線小淵沢駅付近。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
石破政権誕生よりも多くの人が関心を寄せたと思えるほど、今回の米国大統領選挙と結果をめぐっていろんな議論があるようだ。それぞれに納得するのだが、ただ一点、絶対に間違っている認識だと思うのが、今回の結果が米国における民主主義の弱体化のせいだ、という議論である。
小生は今回の選挙の結果は米国の民主主義がいまなお健全であり、われわれの範とすべきものだ、と確信するものだ。民主主義の根底は個人の意見意思がそのままに政治に反映されることにつきる。今回の結論を見れば全米50州のうち、かつて民主党地盤とされた、いわゆるブルーステートの多くが共和党州すなわちレッドステートに入れ替わっている。これは人々が明確に民主党の主張よりも共和党のそれを選択したからであり、従来のいきさつにひきずられることなく、個人の意思が示された結果だ。これほど民主主義の原則を明確に示した結果はあるまい。また、敗れたハリスもきっぱりと結果を尊重し,新政権との平和的な引継ぎを確約した。このことはもう一つの政治システム、二大政党制の健全さを示すものだろう。
今回の結果起き得るトランプ政権の動向に多くの人が不安を感じ、世界的な影響を憂えるのは確かだ。そのため、我々外国人のあいだには反トランプ感情があったのは事実だし、小生もその一人だ。しかしそれは民主主義の崩壊などという感情的な論理とは全く別の次元での問題であり、原因と結果の取り違えをしてはならない。今回の歴史的事件を見て、われわれがいま憂うべきは、米国ではなく我が国の民主主義のあり方ではないか。これは議会制度と大統領制との根本的な違いでもあるが、総理大臣が決まる過程そのものに党利党略がからんだり、民主主義政治の重要なインフラであるべき基本的なしくみである二大政党制がいまだに実現していないことにつきる。与党内部の暗闘や駆け引きはもちろん問題だが、何よりも憂うべきは、健全な野党が生まれないことだ。さすがに最近の言論の場にマルクス・レーニンが登場することは少なくなったが、現実離れした理想論にしがみつき、今なお憲法九条があるから戦争がないのだなどという妄想におどらされる空疎な議論から脱却しない限り、二大政党の実現は今なお道遠し、と言わざるを得ない。
トランプMAGA政権が何を引き起こすのか、不安は数多い。なかでも地球温暖化という現実からさえ目を背けようとするトランプの論理に背筋が寒くなるのは事実だ。しかしその不安があるからアメリカの民主主義が崩壊した、などという議論は、くりかえすが原因と結果の取り違ええあり、全くの空論に過ぎない。それよりも我が国の民主主義の仕組みがいまなお不全であることのほうがはるかに問題なのではないだろうか。
(菅原)首件を拝読。
「今日の結果が米国における民主主義の弱体化のせいだ」。誰がこんなバカバカシイことを言ってるのか知りませんが、どうせ左巻きの連中でしょう。つまり、エセ共産党である民主党のハリスを応援していたところが、トランプが勝っちゃった。連中が信奉していた多様性とか包摂性などが否定されたわけだ(民主主義は多数決)。これは、米国が賢明な選択をしたことを意味する。つまり、米国の民主主義は極めて健全である。左巻きの連中は、世の中の選択が間違っているのであって、自らは一切反省なし。でも、お互いを罵り合うのは、日本では真似したくない。
北原亜以子の「ぎやまん物語」(出版:文芸春秋。発行年:2014)を読む。著者、北原は1938年生まれだから、小生と同い年なのだが、残念ながら、2013年3月、心臓の病で亡くなった(享年75歳)。
ギヤマンとは、オランダ語(Diamant:ダイヤモンド)が語源のガラス製品のことだそうだが、ここでは手鏡の事を指している。それを狂言回しにしており、その特徴は、手鏡を擬人化していることだ。勿論、鏡に映る範囲では見ることは出来るが、喋ることは出来ない。ただし、聴くことは出来る。そこで、見たこと、伝聞を含めて聞いたことを読者に伝えると言う形で物語が進行して行く。そこには、手鏡の見解も含まれているが、それは、言うまでもなく、作家、北原自身の見解でもある。
話しは、ポルトガルの宣教師が持って来た手鏡を豊臣秀吉がオネダリして譲り受け、それを正室の北政所、於祢(おね)に渡すところから始まる。そこからその手鏡は、拾われたり、貸されたり、貰われたり、などして、以下の様に、転々と人から人の手へと渡って行く。彼らは、秀吉の側室お茶茶(淀殿)、徳川秀忠の正室お江、徳川家光の乳母お福、などなど、歴史上の人物で、夫々が一編の短編となっており、都合して16編から成り立っている。言い換えれば、全437頁に溜め込んだ簡略日本史と言っても差し支えなかろう。
そのなかで小生が最も記憶に残っているのは、以下の二つだ。
一つは、新選組による芹沢鴨の暗殺だ(「落日」の前篇・後編)。何故か、手鏡は芹沢鴨の手に落ちるのだが、その鴨に対し、手鏡、即ち、北原は、「鴨は多分、京都守護職の動きを尊攘派に漏らしていた。尊攘色の強い水戸で生まれ育ち、急進尊攘派として暴れ回っていた鴨が、近藤達と一緒に京に止まる理由は、幕府側の動きを尊攘派に伝える、それしかない」。つまり、鴨は討幕派だったと言うことになる。小生の認識不足もあろうが、この暗殺は、これまで、新選組内部の単なる内輪もめ、内ゲバだと思っていた。ところが、これを読むと、鴨は、新選組に潜り込んだ、今で言うスパイだったことになる。そうだとすると、沖田総司以下による暗殺行為は正当化されることになるわけだ。
もう一つは、「終焉」だ。手鏡を持っていた十四代将軍家茂の侍医である松本良順が、その診療所の手伝いに来ていた土肥庄次郎にその手鏡を渡す。何故なら、土肥が上野の山に立て籠もっていた彰義隊に参加することになり、手鏡を弾除けとして使うようにと渡したからだ。結局、新政府軍と一戦を交え、彰義隊は敗北。その際、流れ玉に当たって、手鏡は、最後に、上野の彰義隊と共に砕け散ってしまう。ここには、薩長政府に対する、江戸っ子の反骨心、反骨精神が垣間見え、物悲しさも漂わせ、そして、切なさをも感じさせ、山田風太郎の「幻燈辻馬車」を思い出させる。ここで、山田はもっと端的に薩長新政府に対するあからさまな嫌悪感を表明していた。この薩長政府に対する北原の反感は、東京・新橋の祖父からの椅子専門の洋家具職人の家に生まれたことと密接に関係しているのではないだろうか。格好良く言えば、江戸っ子としての矜持か。
なお、北原には、シリーズとして、人情ものの「深川澪通り木戸番小屋」(全:6巻)、元同心ものの「慶次郎縁側日記」(全:18巻)などがあるが、「慶次郎・・・」は主人公を高橋英樹がテレビでやっていたのでご覧になった方もおられよう。小生、人情ものは大好きなので、「深川・・・」は大変面白かった。
11月4日付本稿(”近頃気に入らないこと”)の、”安田論の最後の3行には異論を称える” に対する返答投稿です。
”理想の政治なんてものは存在しなかったし、
何年か前に沖縄で米軍ヘリコプターが日本の学校に墜落した事故が
ここのところ、野球についての論戦が続いています。中でも野球場そのものについての議論もあるようなので調べてみたことをまとめてみました。
アメリカのメジャーリーグ(MLB)の球場が多様で、
1. 歴史的背景と球場の設計自由度
MLBの球場は非常に古いものが多く、
一方、日本の球場は、
2. アメリカ文化における多様性の受容
アメリカ社会は、ルールの厳格な適用を重視する一方で、
これに対して日本では、競技そのものの公平性を重んじ、
3. 記録の公正性に対する考え方
確かに、MLBの球場の多様性は、
一方、日本ではどの球場でも同じ条件下でプレーすることで、
4. 結論
アメリカの球場の多様性は、その地域や歴史、
中東、これはMiddle East(ME)のことですが、 MEとは、英国から見たら、と言うことで、大英帝国時代の古めかしい産物です。正確には、西アジアと言うべきではないでしょうか。と、小生、鼻からいきがっております。
そこで、イスラエルとパレスチナのハマス、レバノンのヒズボラとの戦闘では、多数の民間人の犠牲が出ています(その中には民間人になりすましたハマスもいるのでしょう)。それに対し、米国は、まやかしの人道主義と言う観点から、バイデン大統領以下、民間人の犠牲を憂え、イスラエルに警告をしております。
しかし、今から80年ほど前を思い出してください。米国はハワイの真珠湾でノンビリしていた米国の太平洋艦隊に、日本が攻撃しました。しかし、その攻撃はあくまでも軍艦と兵隊に対してであり、ホノルルの民間人を攻撃したものではありません。ところが、米国は日本に対し何をやったか。日本に対する無差別の空襲であり、最後は広島、長崎に対する原爆投下です。これらの空襲、原爆投下で、一体、何人の民間人が犠牲になったでしょう。
これは、明らかに、二重基準、英語で言う、忌むべきDouble Standardです。米国がいくら、例えば停戦を仲介したところで、イスラエルは勿論、ハマスだって聞く耳は持たないと思います。こう言うところが、米国の、そして、西洋の鼻持ちならないところです。要するに、自分がやったことは許せるが、他人がやったら許せない。なんとまー、身勝手なことでしょう。
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真珠湾攻撃は、日本時間1941年12月8日未明、第二次世界大戦において大日本帝国海軍が、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して行った、航空母艦艦載機および特殊潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称は、布哇比海戦、布哇比作戦と言う。
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(船津)御卓見異存ありません。
ハリスになると暴動どころか戦争ですかね。今世界は分断社会にな
(安田)イスラエルは、
アメリカのdouble standardですが、菅原さんのご慧眼ご尤もです。
トランプは、現民主党政権(ハリス大統領候補含む)
ハワード・ホークス監督ジョン・ウエイン主演の西部劇三部作のう
開巻するとタイトルと共に流れるのは、油絵による西部特有の広大
大筋としては、水源の権利を持つ牧場主ケビン・マクドナルド(R
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〈スペイン語〉エルドラド、エル・ドラド、黄金郷 ◆16世紀に宝を求めて探険家 たちが探し回った南アメリカの伝説の地。 el=the、dorado=golden。 〔一般に〕黄金郷 ◆莫大な富またはチャンスを与えてくれる地。
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(編集子)ドク・コイズミ解説に多少補足をさせてもらう。ウエインの老年期に作られた西部劇はこのホークス監督三部作のほか、歴史的事実に立脚した チザム (ヴィクター・マクラグレン監督)とやはり実在したとされる人物にまつわ
る話としてつくられた エルダー兄弟 (ヘンリー・ハサウエイ監督)の2本は、本作について小泉さんが解説しておられる向きとは違って、いわば正統的なつくりの作品である。特にチザムは史実として名高いリンカーン・ウオーを題材にしたもので、この騒動の結果、無法者に転じてしまった若者、有名なビリー・ザ・キッドの青春物語でもあり、小生の好きな作品である。ジョン・チザムはテキサスの牛をカンサスへ運んで財を成した人物だが、有名なチザム・トレイルの開発者でもあり、赤い河 でウエインとモンゴメリ・クリフトがたどった道がそれであるらしい。
この チザム では、今回の エルドラド で敵役だったクリストファ・ジョージが保安官での敵役、として登場するが、エルドラドでは憎めない役つくりだったが、徹底した冷血漢として描かれているのが面白い。テレビ映画全盛のころ、シリーズものでよく見た ラットパトロールの主演だったことも懐かしい。
エルドラドでミシシッピを演じたのはジェイムズ・カーン、また小泉さんは触れておられないがウエインの恋人役モーディを演じたのはシヤ‐リー・ホルト。小生の好みのタイプなんだな、これが。
それと最後にジェイソンを射殺するジョーイはマクドナルドの娘で、話の冒頭、誤ってウエインを撃ってしまい、ウエインはそれが原因で時々激痛に悩まされる、という筋になっていて、これがストーリーの中でキーになる、という筋書きになっている。
******************************* リンカーン郡戦争(Lincoln County War)は、1870年代後半のアメリカ西部の辺境で起きた事件のこと。当時のニューメキシコ準州のリンカーン郡で発生した、二つの派閥の間の一連の紛争事件を指す。この「戦争(War)」は、裕福な牧場主が率いる派閥と、独占的な雑貨店の経営者が率いる派閥との間で起こった。牧場主側の派閥には、ヘンリー・マカーティことビリー・ザ・キッドがいたことで有名な事件である。
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10月末、秋の鵠沼は暖かだ。
マンションの小さな庭でペンキ塗り作業に一日を過ごした。来年2月初冬に開催する「ラベンダー祭り」の支度のためだ。
ペンキの色合いは、灰色と黒、そして僅かな白とブルーの配色にこだわった。
爽やかなラベンダーの紫の色に合わせた。舞台は整った。友人から頂戴したカリフォルニア・ナパの赤ワイン「Joseph Carr」を開けた。カベルネソーヴィニヨン2019年と記されていた。実にまろやかで美味い。ワインの香りが口に広がる。レースラベンダーの香りと調和した。
まだ紫の蕾は小さく可愛らしいが、後2カ月もすれぱうっそうと茂るだろう。もう一杯だけで「Joseph Carr」は我慢しておこう。
猛暑だったこの夏がやっと峠を越えた10月23日、楽しみにしていたKWV三田会主催の「秋の日帰りワンデルング」が、残念ながら、悪天予報で中止となってしまった。
読書だ、食欲だ、スポーツだと何やかんやの秋、天気がなかなか安定しない今日この頃、身体を満足に動かせないムズムズ・ウズウズ状態が続いていた。唯一の楽しみは海の向こうでの大谷・ドジャーズとジャッジ・ヤンキース対決だった(ジャイアンツが出れなかった日本シリーズは論外!)。そんな中継の合間、NHK昼の天気予報で10月31日(木)は全国的に好天、その後の連休はまた雨との予報。早速、WEBで高尾山の天気予報を検索したら、正にピンポイントでの登山日和。思い立ったら吉日、番外編「月いち高尾」の誘いをメンバーにかけたところ、中司ジャイさん(S36)、堀川さん(S39)、吉田ズンロクさん(S44)、村上さん(S46)が京王・高尾山口に集結。ジャイさん・堀川さんはケーブルで山頂へ、若手!3人は稲荷山コースで。山頂からは霊峰富士を拝めた。恵まれた好天下、紅葉には未だ早いものの、山頂は、遠足の学童、諸々の言語が飛び交うインバウンドの観光客で賑わっていた。昼食を薬王院大本坊の精進料理(蕎麦)をとのグッドな提案があり、覗いたところ、予約のみとの事で止む無く下山。ケーブルの清滝駅近くの蕎麦屋に入った直後、「月いち高尾」一般コースの下見で「日連アルプス縦走コース」を単独行していた斎藤世話人(S51)から、「天狗」で飲んでいるとの一報が入り、早々に切り上げ、合流。
「月いち高尾」の歴代世話人代表が、たまたま、揃った事もあり、来春の実施が予想される第100回記念「月いち高尾」の企画案を肴に懇親。秋晴れの下、運動・食欲の秋を満喫した一日でした。
昨日、”月いち高尾” の番外編、ということで企画された散策行に参加してきた。ここのところ、人様並みに足元が怪しくなってきているので、安全第一のゆっくり旅だったが、付き合ってくれた堀川君と会話を楽しみながら7月の上高地以来久しぶりの快感を味わってきた。この企画の主目的であった、紅葉は酷暑の影響と予測はしていたもののまったく見当たらなかったが恒例の二次会も小人数ながら楽しい時間だった。
この日は10月31日だった。
小生が38年間のサラリーマン生活にピリオドを打ったのが1999年のこの日だから、ちょうど25年経過した。25年、といえば四半世紀である。”四半世紀” と言ってみると改めて一種の感慨が沸く。歴史を紐解けば一国の運命が定まってしまうに十分な時間である。親しい友人の中には自身の健康はもとより、家族の問題とか経済事情とか、不運に遭遇した仲間も数多いなかで、自分はこの時間、意義ある過ごし方をしてきただろうか。
25年前の11月1日、自分がどんな気持ちで朝を迎えたのだったかという記憶もすでにない。その後数年間は、当時はまだ少数派だった ”外資系会社勤務” で得たものを意義あるものにしたいと、同期で同じことを考えていた後藤三郎と本を出版したり、某米国企業の日本での事業開発の支援にたずさわったり、会社時代の友人がはじめた介護事業をてつだったり、そのためには自分の英語力をもっと確かなものにしようと改めてスクーリングを受けててみたり、いろんなことをやった。その結果がどうなったか、自分で評価する立場にはないし、そういう意味ではもう一つ、物足りなさを感じるのだが、ただ確実にいえることは ”企業人生活” というものを去った後の時間に、よき友を持った、ということのありがたさが改めて感じられたことだった。KWVの仲間や、学生時代にさかのぼる友人たち、”Most admired company” ヒューレット・パッカードの隆盛時代にいあわせたことで得た友情、そういうものがあったからこそ、この ”四半世紀” があった。そんなことをかみしめた日でもあった気がする。
次回の ”月いち” はどんな日になるだろうか。