湯島天神   (普通部OB 船津於菟彦)

三連休が終わったので空いて居るかと都バスを飛ばして「湯島天神梅まつり」へ行って観ました。なんと光輝後継者が沢山。結構混雑。梅も殆ど咲いてきていました。

湯島天満宮の梅を歌った『婦系図』の歌(湯島の白梅)』(1942年 歌唱:藤原亮子・小畑実)は戦中時の歌として大ヒットしました。

湯島通れば 思い出す
お蔦主税ちからの 心意気
知るや白梅 玉垣に
のこる二人の 影法師

湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)は、東京都文京区湯島三丁目にある天満宮で、菅原道真を含む二柱の祭神を祀る神社。通称は湯島天神(ゆしまてんじん)、旧称は湯島神社(ゆしまじんじゃ)。
道真は平安時代の人、当時の学問といえば漢学である。その漢学の学者の家系に生まれた道真は優れた才能を発揮した。詩歌にも長けていて、漢学者なので最も得意なのは漢詩であろうと思われるが、和歌も言うまでもなく素晴らしい。そのため碑文にもあるように、詩歌の神様とも呼ばれるのでしょう。


梅を詠んだ道真の有名な和歌は何と言ってもこれ。

東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな

江戸時代には幕府の崇敬・庇護を受け、江戸・東京における天神信仰の中心となり、学問の神様として知られる菅原道真を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れます。

梅の香やすずなり絵馬に目をみはる                    絵馬結ぶ視線の先の紅梅よ

(プレパト 夏井いつき選)

(編集子)慶応高校2年B組の仲間たちの多くとはKWVを通じでも親友付き合いを続けている連中が多い。広田順一はその仲間ではないが、なんとなく人好きのする、”好漢” という形容詞がぴったりくる男だった。学生時代、麻雀をしなかった小生は仲通りの雀荘というものに上がったことはないが、このあたりに生息していたKWV仲間の代表である吉牟田正稔によれば、もっぱら敬遠したほどの凄腕だったそうだ。広田は湯島近くの大店の息子で、よく ”ゆーしまとおれええばあ” と歌っていたものだ。午後の授業をさぼって見に行った エデンの東 の真っ最中、暗がりで食べていた弁当箱を取り落として大きな音を立て、まわりからにらまれた一件を引き起こしたのもやつだった。香港の中国返還前夜、当時現地にいた彼の発案でB組時代の担任だった恩師片倉先生ご夫妻とともに香港旅行をしたりした。KWV組とは違って、会う機会も少なくなっていって、最後にあったのがいつだったか、思い出せない。

しかしそれもまた、”青春時代” の追憶のひとつのありかただろうか。なんだか、梅の花が広田に似合うように思えてきた。

(菅原)広田か、懐かしーね。確か、彼は映画が好きで、J.ディーンが亡くなったことを最初に教えてくれた。場所は、修学旅行で行った、裏日本、金沢だったかな。記憶、頗る曖昧。気障に言えば、こぞの雪いまいずこ。

ポーとドイルについて

少し前に、本稿で ”上を向いて歩こう” と ベートーヴェンのピアノコンチェルト5番 ”皇帝” との関係、ということ話題にしたことがある。これについてはブログ仲間にもその道にうるさいのがいっぱいいるので、感覚論から始まってついには小生にとってはギリシャ語以上にわからない楽譜まで飛び出す論戦があった。今回のことは専門家各位のあいだではとうに解決ずみだろうと思うのだが、昨日、本稿で菅原勲(スガチュー)の エッセイを紹介したがそれに端を発したことだ。この文中、菅原は推理小説の原点とされているエドガー・アラン・ポーの モルグ街の殺人について触れていて、中学時代に読んだ記憶がよみがえってきたのだ。一昨日、テレビのシャーロック・ホームズもの(適役、名優とされるジエレミー・ブレットの出るやつ)を見ようと思ったら、その日は 踊る人形(作者のドイルは気に入っていて、自作のナンバースリーと言っている、ということも万能薬グーグルで知った)をやっていた。初めてテレビ作品としてみたのはこのシリーズの放映が始まった時だから随分前のことになるが、その時感じたことを思い出してこれまたグーグル先輩の力を借りて、疑問にけりをつけた。

疑問というのはこうだ。今度のテレビ番組で取り上げた、暗号らしい踊る人形の漫画の羅列が、実は主人公の生死にかかわる情報だった、という設定なのだが、その暗号の解決過程が、モルグ街と並んで古典の一つであるポーの 黄金虫 と全く同じことで、もしまねたのならこういう場合は盗作とはいわないのか、ということだ。方法は暗号が英語であるという前提に立つと、英語の中で最も使用頻度の高い文字は E である、という事実にもとづいたものだ。ドイルの場合は主人公の名前が エルシーであり ELSIE  とつづることから、L,S,I に当たる文字を仮定していく。ポーのばあいは英語で最もよくでてくる3文字が THE である、ということで T と H に当たる記号を仮定していくということで、まったく同じなのだ。これは偶然か?

すぐわかることだが、ポーの作品の初出は1843年、ドイルのほうは1903年だから、もし剽窃行為であるとすれば罪はドイルにあることは明瞭である。え? と思う人は少なくないだろうし、その筋の専門家の間では解決済みなのだろうが、これまた愛するグーグル君に掲載された、名前は存じ上げないが同好の士のHPのコピーがあった。いわく、

エドガ-・アラン・ポー『黄金虫』とコナン・ドイル『踊る人形』はどちらも暗号を使った小説ですよね。私も昔、読んでとても面白かったのを覚えているのですが。最近、あるHPでこんなことが書いてあるのを見つけました。

「黄金虫」
暗号小説の古典だが、完成度は高い。何しろコナン・ドイルがこの中の暗号の解き方を「踊る人形」でパクった程(「黄金虫」の中でポーが犯したのと全く同じ間違いをドイルが「踊る人形」の中でしている事からドイルがポーの「黄金虫」をそのまま引き写した事が判る)。

というものなのですが。
この方が言う“全く同じ間違い”とは何のことなのでしょうか?気になって今読み返しているのですが…。分かる方がいらっしゃたら是非、教えて下さい。出来れば直接の回答が欲しいのですが、ヒントとなるHP等でも結構です。
皆さん、よろしくお願いします。

この方の疑問に答えた人がおられるのかどうか、まではたどっていない。他人のHPに掲載されたそのまた他人のHPを引用している、自分のほうが剽窃行為なのだろうからこれでやめておく。この道に小生を誘い込んだスガチューの意見を聞きたいものだ。

 

 

 

蔵王雪山 (44 安田耕太郎)

KWV仲間と蔵王(スキー場ではない)をスノーシュー・アイゼンで歩く計画で蔵王高原坊平に行ってきた。
東京は快晴の西高東低も山では好天気をもたらさず、ホワイトアウトの曇天・強風の中、地元のプロガイドの引率でアオモリトドマツの樹氷帯とその下のブナ樹林帯を歩く。目指した蔵王の高山踏破は低音と烈風で断念。視界劣悪、気温零下15℃、体感温度は−30℃近くでは妥当な判断。
温暖化の影響でモンスターが見れる範囲とその規模・迫力が減少している。中国から偏西風によって運ばれるPM2.5により雪が汚れてきているとのこと。
(PM2.5: 「PM2.5」とは2.5μm以下(μmは1/1000mm)の粒子のことで、非常に小さいため人が吸い込むと肺の奥深くまで入りやすく、肺がん、呼吸系への影響に加え、循環器系への影響が懸念される)。

ウオールストリートジヤ―ナル社説です  (HPOB 菅井康二)

典型的な保守派、及び共和党寄りの立場をとっていると言われているウォール・ストリート・ジャーナルの2月13日付の社説です。
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《【社説】トランポノミクスがあおるインフレ再燃 大統領は金融緩和を求めるが、さらなる物価上昇を望むのか》

ドナルド・トランプ米大統領はマネーというものを分かっているのだろうか。現金としてのマネーではなく、資金の供給や金利で測られるマネーの価値、そしてそうしたものがインフレに及ぼす影響を理解しているのだろうか。インフレ率が3カ月連続で上昇したことを米労働省が報告したのと同じ12日に、トランプ氏が金利の引き下げを求めたところを見ると、答えはどうやら「ノー」のようだ。トランプ氏は自身のソーシャルメディアへの投稿で、「金利は引き下げられるべきだ。これは今後発動する関税と密接に関連するものだ」と述べた。こうした混乱した思考の積み重ねは、理解しがたい。特に、関税の引き上げは影響を受ける商品の価格上昇を意味するからだ。だが、トランプ氏はおそらく、物価上昇の責任が問われた際に、国民の目を別のところに向けさせたいのだろう。

そうだとしても、もしトランプ氏が短期金利(政策金利)をコントロールする連邦準備制度理事会(FRB)のせいにしようとしているなら、その分析は間違っている。インフレ率の上昇は、FRBが利下げにより慎重にならざるを得ないことを意味する。これが、1月の米消費者物価指数(CPI)が前月比0.5%上昇したというニュースに対する金融市場の受け止め方だ。米長期金利は大幅に上昇し、10年物米国債利回りは4.53%から4.63%に上がった。これはインフレを巡る市場の懸念を反映している。

こうした懸念は、CPIの動向に基づいた正当なものだ。CPI上昇率は昨年10月に前月比0.2%となって以降、毎月上昇している。前年同月比での上昇率は、直近の最低だった9月の2.4%から、現在は3%まで戻っている。食品とエネルギーを除いたいわゆるコアCPIは、前月比で0.4%、前年同月比では3.3%それぞれ上昇している。

物価は広範囲で上昇し、保険、中古の乗用車とトラック、航空運賃、医療、散髪、保育、スポーツイベント、ケーブルテレビなど、さまざまな分野が影響を受けた。

大統領就任から3週間しかたっていないため、これはトランプ氏の責任ではない。しかし、FRBが昨年9月に時期尚早であったにもかかわらず金利を0.5ポイント引き下げたことが間違いだったと、誰かが彼に伝えるべきだろう。長期国債の利回りはその直後に急上昇して、高止まりした。だが、FRBはそれでも11月に0.25ポイントの追加利下げを実施した。

ジェローム・パウエルFRB議長は、この間違いを認識しているようだ。彼は何週間にもわたって、今後は追加利下げを急がないと言い続けているからだ。大統領がバイデン政権時代のようなインフレ高進を復活させたいのでなければ、トランプ氏がいま最もすべきでないことは、迅速な追加利下げをパウエル氏に求めることだ。

パウエル氏をトップとするFRBは、トランプ氏の言動を無視する可能性が高く、そうするべきだ。しかし、トランプ大統領の利下げ要求は、「トランポノミクス(トランプ氏の経済政策)」のもう一つのリスクを示している。トランプ氏は不動産投資家として、金融緩和を支持する立場を長年貫いてきた。彼は低い金利とドル安を好んでおり、他の条件が変化しなければ、それは物価上昇につながる。

政治的観点から見ると、インフレの再燃はトランプ大統領にとって任期中最大の脅威になりかねない。トランプ氏は、ジョー・バイデン大統領の政権下でのインフレと実質所得の減少に対する有権者の反発を背景に、大統領選で勝利した。インフレ率が再び上昇に転じたことを受けて、実質所得の平均値は過去3カ月間、横ばいとなっている。こうした傾向が続けば、現在53%のトランプ氏の支持率が長期間維持されることはないだろう。
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この記事では、トランプが経済のメカニズムを全く理解していないと指摘されています。大統領選で彼に投票した、民主党から離れたラストベルトの労働者たちにとって、最も忌み嫌うものの一つが「インフレ」であることは間違いありません。彼らが自らの選択が首を絞める結果になると気づくのに、それほど時間はかからないでしょう。

乱読報告ファイル (74)英国古典推理小説集 (普通部OB 菅原勲)

英国古典推理小説集 「英国古典推理小説集」(編訳者:佐々木 徹。発行:岩波文庫、2024年)を読む。久し振りの探偵小説だ(最近のミステリーと言う言葉に抵抗感があるのは歳を取ったせいなのか)。

その内容は、題名に「小説集」とあるように、以下の短編六つ、長編一つ「ノッティングヒルの謎」、及び、長編の一部とその評価から成り立っている。

先ず、イチャモンから始める。ここでは、題名に古典と銘打っているが(確かに、小生が知っている作家は、ディケンズ、コリンズ、チェスタトンの3人だけだ)、古典とは、その評価が定まったものの事を言うのであって、ここに掲げられた短長編の殆どは、19世紀に発行されたいささかながら稚拙なものが多く、むしろ英国初期推理小説と見做すべきではないのか、「イズリアル・ガウの名誉」、「オッターモールの手」の二つは別にして。何故なら、例えば、「オッターモール氏の手」は、1929年に出版されたが、その9年前の1920年には、A.クリスティーの処女作「スタイルズ荘の怪事件」、F.W.クロフツの処女作「」が発行された年であり、正に英国本格探偵小説の黄金時代を謳歌していた時代と重なっているからだ。つまり、「イズリアル・・・」も同様だが、編者が、大変、気に入った20世紀の作品を何とか無理やりにここに捻じ込んだとしか思えない。

ここで、その一々に感想を述べる余裕はないので、以下、三つの作品に絞ることにする。

チャールズ・ディケンズ:バーナビー・ラッジ(1841年)の一部/エドガー・アラン・ポーの書評(1842年)。ポーが、「バーナビー・ラッジ」雑誌連載の途中まで読んで、その先を推測したのだが、物の見事に外してしまった。が、ポーは逆にディケンズの方が間違っている旨を指摘する書評だったようなのだが、これは正直に言って、ポーが何を言っているのか良く分からなかった。そこで、探偵小説の元祖とも言われるポーの「モルグ街の殺人」(蛇足だが、モルグとは死体安置所のこと)について一言。殺人、探偵、論理的な解決などと正当な探偵小説の筋道は通っているのだが、その犯人像が全く頂けない代物なのだ。何と、人間ではなく、オランウータン。蛇足だが、一寸、驚いたことに、ネットでは、犯人をバラシている。いくら良く仕込まれたオランウータンであっても、背後で操る人間の思う通りに動くものなのか。以後、小生、寡聞にして動物が犯人だと言う探偵小説には一度としてお目に掛かったことはない。つまり、これは現実的ではないと言うことだろう。と言うことで、小生、偉そうな言い方なのだが、この「モルグ街の殺人」を全く評価していない。

それに引き換え、「オッターモール氏の手」は、英国探偵小説の黄金時代の作品だけあって、久し振りにその面白さを満喫した。歯切れの良い文章と、それに伴った、スリルとサスペンス、意外な犯人像(ここでも、ネットでは犯人をバラシているが、これはマナーに反する)。確かに、本格とは言えないが、流石に、目利きでもある作家、E.クイーンは、この作品を短編の世界ベスト10の一つに選んでいる。

最後に、「ノッティングヒルの謎」だが、確かに、各種の資料を駆使するなど工夫を凝らしている。そして、最後の頁で、編者が親切にも、参考のため関係系図とか略年表を掲載してくれている(逆に言えば、それだけ複雑である証拠)。とは言え、それにしても、人間関係が余りにも複雑すぎて、小生の手に余る。もっと簡潔な話しに出来なかったのか。

と言う具合で、かねてから「オッターモール氏の手」と言う題名は知っていたが、実際に読んでみて、その出来具合の良さには感嘆の声を挙げた。バークは、1886年、ロンドン生まれで、1945年、逝去。どうやら短編を専門としており、それも真面なものではなく怪奇小説の類いのようだ。ネットで調べたところ、この他に二三、日本語に訳された作品があるようなので、追々、図書館から借りて来ることにしよう(原書を読む気なら、アマゾンで見つかるだろうが、情けないかな、その気力は、最早、完全に失せてしまった)。

チャールズ・ディケンズ:バーナビー・ラッジ(1841年)の一部/エドガー・アラン・ポーの書評(1842年)。

ウォーターズ:有罪か無罪か(1849年)

ヘンリー・ウッド夫人:七番の謎(1877年)

ウィルキー・コリンズ:誰がゼピディーを殺したか(1880年)

キャサリン・ルイーザ・パーキス:引き裂かれた短剣(1893年)

G.K.チェスタトン:イズリアル・ガウの名誉(1911年)

トマス・バーク:オッターモゥル氏の手(1929年)

チャールズ・フィーリクス:ノッティング・ヒルの謎(1862年)

(編集子)いまさらながら、わが友スガチューの読書にかける熱意と馬力に感服するし、選択眼は小生ごときの及ぶところではないが、少しばかりのつけたしを許してもらいたい。

本稿の中で、犯人が人間でない結末については小生も同意見だ。ただドイルのホームズもので、確か 四つの署名 だったと思うがマングースが出てくるものもあり、ノックス(だったと思うがダインかもしれない)が提唱した、かの推理小説20則ルールにも反している。しかしこのルールは推理小説というジャンルが確定してからの話なので、たとえばクリスティの代表作 アクロイド殺人事件 も違反している、ということになってしまうため、いささか腑に落ちないむきもあるようだ。 ミステリという定義についてスガチューが抱く違和感は、ハードボイルド、という呼称に小生が持つものと同じなように思う。HBの定義にはそれなりの理屈があるのであって、昨今の、特に我が国でHBと称する作品の多くは、単なる暴力場面の羅列であり、その道での代表とされる大藪晴彦の作品のほとんどは(処女作の 野獣死すべし は除くが)単なるガンマニアの妄想の羅列に過ぎない。その意味では数年前の原寮の急逝はまことに残念至極でならない。最近はバイオレンス小説、なる呼称も使われるようになったが、おそらく、これに含まれる大半がこの似非HBであって、スガチューが言おうとしているのも、昨今のミステリ、なるものが実は推理小説とは違ったものになっている、ということなのだろう。なお、ポケットブックにも最近のものは mystery  ではなく thriller と書かれているものが多い。世界の大勢なのかもしれないし、SNSプラス大衆社会現象の表れかもしれないが、好ましいことではあるまい。

本稿でスガチューが触れているクリスティのデビュー作 スタイルズの怪事件 はちょうど昨晩、読了。今日からクイーンに戻って、国名シリーズの最後、フランス白粉の謎 にかかったところだ。大塚文雄にあやぶまれながらポケットブック乱読第二章の始まりはハードボイルドから一転して、推理小説(日本中にはびこるミステリでなく)の創成期の作品から始めたところだ。こっちも意地を張ってスガチューに挑戦しよう。もっとも、先々月の白内障手術のアフタケアが終わり、読書用の眼鏡が出来上がるまではペースもあがらないのだが。

 

 

ザンバロなら知ってるぜ    (大学クラスメート 飯田武昭)

貴兄の“リンバガスカって知ってる?”を拝読。勿論!知りません。が、貴兄のこの回顧禄に出てくる山川惣治の「少年王者」は私は信州の田舎の小学校へ通っていた頃の一番の楽しみの読みものでした。貴兄のその部分は《山川惣治の少年王者、は少し遅れて登場した、これも名作だった(KWV36年卒同期の山室修のニックネーム、ザンバはこの作品に登場する大男の名前である)》

私は昭和20年3月の東京大空襲の頃、渋谷区若木町(今は無い地名)というところに住んでいて雨霰の焼夷弾、爆弾を逃れて一日に何回も自宅の防空壕に出入りしていました。自宅付近まで猛火に包まれる日々でしたが、6月末に母親と共に、父親の故郷の安曇野に疎開しました(姉、兄は学童疎開で、それぞれ那須と塩原へ既に行っていました)。

安曇野の生活では、毎日、梓川の砂利の河原へ竹箒を持って出かけては“目バチ”という足長バチより少し小さく、蜜蜂より少し大きい蜂の巣を叩いて、眼を刺されながらも巣を取って帰り、自宅の鶏小屋の中の金網に引っ掛けて、蜂の巣の蛹が羽化して親の蜂になるのを観察し、雀や椋鳥や百舌鳥の巣を取ってきて、親鳥が雛に餌をやりに来るところを何とか捕まえる手段を考えたりしていました。東京の自宅は私が安曇野へ疎開して間もなく7月に爆撃で焼失してしまいました。そんな頃、東京で頑張っていた父が安曇野に時々帰ってくる時に買ってきてくれる「少年王者」が面白くて、次回号の発行をいつも首を長くして待っていたものでした。

前置きが長くなったのですが、「少年王者」に出てくるのはザンバロという黒人系の屈強の男性だったと記憶しています。そのザンバロを短くしてザンバと呼んでいたと思います。実は私が高校大学と所属していた混声合唱団(旧・音楽愛好会)の同期にもザンバというニックネームで通っているS君という仲間がいます。

ジャイ兄がこのエーガ愛好会で、これまでも時々引き合いに出される山室修さんは、私は全く存じ上げませんが、同じ学年でニックネームが同じS君(高校から塾)のことをいつも思い出すので、つまらない内容の回顧文を書いてしまいました。この頃、このニックネーム付けが流行っていたのでしょうか。

(編集子)小生は終戦を今は北朝鮮になっている車連館(つづりは自信がない)というところで迎えた。これまた今は東北地方というらしいが、大日本帝国が夢の実現を図った満州国の首都新京(いまの長春)にいて、終戦が濃厚となりロシア軍の到来が予期されたため、父と当時旅順の旧制高校にいた兄と別れ、母と姉の三人での逃避行の途中だった。小学校の校舎だったか何だかに数十人の同様の、今の表現に従えば難民の団体として逗留していた。8月15日朝の異様な雰囲気はなんとなく記憶にある。それからほぼ1年、38度線を越えられずにピョンヤンでの抑留生活を過ごし、徒歩で当時の南朝鮮いま韓国に逃れた逃避行は,藤原ていの 流れる星は生きている そのままだった。

そんなわけで、飯田兄の牧歌的な回想は僕にはない。21年6月に帰国、それから半年ほどで帰国した父、兄と東京へ出てきた。本稿にある山室もそうだが、エーガ愛好会のメンバーである菅原がスガチューと呼ばれるに至ったわけは、本人は彼のニックネームがついてのは、本人は(何だか知らないが、あの頃、なんかといえばチューという音節を付けるのが流行ってたというだけで、俺にも理由はわからん)という。その点、ザンバは気持ちの優しい大男、ザンバロという造形に原点があるようだ。

ま、いずれにしても、されどわれらが日々、という感じである。

新春のひびら会開催   (普通部OB 船津於菟彦)

昭和29年【1954年】慶応義塾普通部卒業生仲間の私的なあつまり、ひびら(日平)会を銀座三田倶楽部で開催。12名参加予定だったが3名ドタキャン。9名で愉しく歓談致しました。介護施設付きマンション入居体験談とか、白内緒手術、階段から落ちて怪我とか矢張りこの年になると病気の話しとか健康の話しが多いですね。本日、偶然この発足時からのメンバーだった黒川昌満さんの御命日でしたので乾杯では無く御冥福を祈り「献杯」でスタートしました。4年経ちましたね。早いなぁ。

本日の参加者  河野・田村・日高・岡野・宮坂・片貝・加藤・薄井さん船津9名です。

29年卒の各位、ご興味あらば船津於菟彦君あてご連絡されたし。

 

リンバガスカ って知ってる?

ま、日本広しといえども知ってる人はまずいねえだろうなあ、と浅はかな優越感を持って書いている。

数日前の読売に、”遺作になった占領日記” という記事が出た。ウクライナでロシア化に抵抗した文学作家バクレンコがロシア占領の現実を書き残した秘密の日記をロシア軍に連行される直前、庭に埋めて隠した。そのことを本人から知らされていた父親に聞かされた、ビクトリア・アメリーナという女性作家が桜の木の下から掘り出した。最後のページは 全てはウクライナになる!勝利を信じている! と書かれてあったという。アメリーナはこの本の出版に全力を挙げ、すでに欧州各国で出版されているが、彼女自身もまた、ロシア軍のミサイル攻撃で亡くなったというのだ。

こういう悲劇はおそらくウクライナ、あるいはロシアでも数多くあるのだろう。他国の話ではあるが、形こそ違え、日本にも同じような過去を持つ人がおられるはずで、とにかくもこの戦争が終わる日を待ち続けるしかない。

こういう悲劇を題材に軽々しく文章を書くことは慎むべきなのだが、この記事の一節にある、桜の木の下、というところが気になった。バクレンコはその場所をどのように伝えていたのだろうか。そう思ったときに、ひらめいたのが表題にした リンバガスカ という暗号である。不謹慎と怒られるのを覚悟で、思い出したことを書く。

小生の小学生から中学1年の間位に、当時続々と復刊されていたのが戦前の少年倶楽部誌に連載されていて、終戦直後はGHQの方針で復刻を許されていなかった、冒険物語のかずかずだった。いわく山中峯太郎、久米元一、南洋一郎に野村胡堂。”亜細亜の曙”(テレビ番組にもなったそうだが知らなかった。ヒーロー本郷義昭いわば大日本帝国版ジェームズ・ボンド、なんてあこがれたもんだ)とか、”敵中横断三百里” とか、いまではタイトルもあやふやだが、いろんな本をよみふけったものだ。その中であらすじも明確に覚えているのが野村胡堂の ”地底の都” という一編。富士山麓のある場所に、日本史に記されていない過去の都がうずもれているという発見をめぐって、その秘密を知っている考古学者が誘拐される。考古学者春日万里を救出しようと主人公の少年二人と妹が活躍するのだが、その過程で、彼らの手元に博士の書いた手紙が届く。ただ少年たちには末尾にかかれた リンバガスカ という意味が分からない。二人は優等生と元気少年の従兄弟同士、その優等生のほうが、これはおじさんの名前 春日万里 をさかさまにつづったものだ、と見抜き、わざわざさかさまにしたのは、この手紙に書かれているてがかりをすべて逆に解釈せよということだ、と見抜く。この後は三人に味方する名探偵に鬼警部、というお定まりで大団円になるんだが、ひょっとするとウクライナの作家もこんな秘密文を書き残しておいた、なんてこたあねえだろうなあ、と思った、という次第。ウクライナで呻吟されている人たちには不謹慎で申し訳ないとは思うのだが。

亜細亜の曙、の挿画は当時売れっこだったという椛島勝昭のペン画だそうだ。戦後のペン画、いわば現代っ子のマンガ本のはしりとして記憶にあるのが小松崎茂だ。代表作 地球SOS は苦労して探し出して、手元にある。空魔エックス団、とか ハリケーンハッチ、なんてもあったな。同じころ興奮した、これは小松崎ではないが、歴史もので熱狂したのが怒涛万里を行くところ、というのも思い出した。これは作者も覚えていないので、復刻版もまずないだろうが。山川惣治の少年王者、は少し遅れて登場した、これも名作だった(KWV36年卒同期の山室修のニックネーム、ザンバはこの作品に登場する大男の名前である)。

あの頃の少年たち、つまり俺たちがこれらの子供向けSF小説の上で熱狂した”未来” は21世紀だった。よくわからないけどいい時代になるらしい、と信じたものだ。それが今。そうか、世の中はこうなるんだ、と興奮したもんだが、いまだに領土争いだの宗教論争なんかで戦争が起きてる。まったく進歩してねえじゃねえか。あらためて本稿のきっかけになったウクライナの悲劇に心が痛む。

 

 

 

 

乱読報告ファイル (73) 阿蘭陀西鶴   (普通部OB 菅原勲)

「阿蘭陀西鶴」(著者:朝井まかて。発行:講談社、2014年)を読む。

朝井は小生のお気に入りの作家なので、今まで10冊以上は読んでいる。ただし、「阿蘭陀西鶴」と言う題名の阿蘭陀が何やら胡散臭いのでこれまで敬遠して来た。ところが、先日、松井今朝子が近松門左衛門のことを書いた「一場の夢と消え」を読んで、ほぼ同時代に生きた井原西鶴のことが知りたくなった。そこで胡散臭い本に挑戦したわけだが、結果は、正に上出来だった。

その出だしは、「せかせかと忙しない足音が耳朶に響いて、おあいは包丁を持つ手を止めた」で始まる。これだけを読んで、西鶴の長女おあいがメクラであることに気付いた人は、たいしたもんだと思う(鈍い小生は、後述のようにおあいが告白するまで全く気が付かなかった)。確かに、良く読んでみれば、「耳朶に響いて」の表現が一癖も二癖もあるわけで、ここは「足音を聴いて、・・・」となるのが普通だろう。

つまり、この本は、メクラのおあいから見た父親の西鶴を語っているわけなのだが、実は、主人公は西鶴と並んでおあいでもあるとの印象を強く持った。冒頭から十数行後におあいがメクラであることを自身で告白するのだが、その時点で小生は忽ち、おあいに感情移入してしまい、肝心の西鶴がどうでも良くなってしまった。そう言えば、同じ朝井の「眩」(くらら)でも、葛飾北斎の娘、葛飾応為が主人公だったことを思い出す。

とは言え、ここで西鶴のことを簡単に触れておく。小生、こんなことは知らなかったのだが、西鶴は俳諧師として出発した。しかし、その俳句は、矢数俳諧と言って、一昼夜、又は、一日の間に独吟で句数の多さを競うもので、質よりも量を目的としたものだった。また、松尾芭蕉を徹底的に罵倒し、己の句を「オランダ流といへる俳諧は、其姿すぐれてけだかく、心ふかく詞あたらしく」と言って、阿蘭陀西鶴を自画自賛している。しかし、現在、人口に膾炙しているのは、皮肉にも、西鶴のそれではなく、例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」、「夏草や 兵どもが 夢の跡」などと言った芭蕉の句ばかりではないだろうか。とは言え、ここで阿蘭陀西鶴に敬意を表し、その一句を取り上げてみよう。「大晦日 定なき世の 定かな」。

それを知ってか知らずか、今風に言えば、西鶴は、その後、重点を詞(俳句)から散文(草子)に移し、そこで生まれたのが、稀代の色男を描き、今で言う、娯楽小説でもある「好色一代男」。これが爆発的に売れに売れて、今で言うベストセラーとなり、以後、「好色五人女」、「好色一代女」、「日本永代蔵」、「世間胸算用」などなどと、西鶴自身も一代ベストセラー作家へと大変身を遂げた。ここで、近松門左衛門との触れ合いについて簡単に触れておこう。近松門左衛門こと杉森信盛は西鶴を訪ね、西鶴の「好色五人女」を浄瑠璃にしたいと申し出て、西鶴の了解を取り付け、有名なおさん茂兵衛の姦通事件を扱った浄瑠璃「大経師昔暦」(ダイキョウジムカシゴヨミ)となる。

一方のおあいは、25歳で亡くなった母に代わり西鶴に寄り添って支えて行くが、小生、読み進めながら目の見えないおあいの視点になり切っていた。その母に仕込まれた料理を感覚を研ぎ澄ませて料理し、思春期らしく父親に反発したり、歌舞伎役者、上村辰爾に淡い想いを寄せたりするあおいが大変生き生きと描かれている。と言うわけで、最後、あおいは26歳で亡くなり(ここで、一寸、泣かせる)、父親の西鶴は翌年鬼籍に入る。

なお、この本の表紙を飾っている絵、神坂雪佳の描いた「元禄舞図」の一部がなかなか面白くて、大変、気に入った。泰西の名画も良いが、どうも日本にはこれはと言う画家がいくらでもいたようで、何も「奇想の系譜」に連なった画家だけとは限らない。

なお、殆どの鍵括弧で括られた台詞は大阪弁である。最後に、「朝井はん、仰山、ようおますなー」。これは、大阪弁と京都弁の違いが全く分からぬ小生の奇妙奇天烈な言い回しであり、これでお開きとする。

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朝井 まかてあさい まかて、1959年8月15日 – )は、日本の小説家。大阪府羽曳野市生まれ。大阪市在住。ペンネームは沖縄県出身の祖母、新里マカテの名に由来する。