映画「私は、マリア・カラス」はトム・ヴォルフという若干33歳が監督する初長編で、カラスの生涯を描くドキュメンタリー映画。原名は、Maria by Callasの通り、監督が3年間に亘り、カラスの関係者を訪ね歩き、数多くの人や資料を尋ねたが、最終的にはカラス自身の未完の自叙伝や、未公開の手紙、プライベートな映像や音源といった彼女自身の言葉と歌で構成されたドキュメンタリーである。始まると直ぐ、カラスがインタビューで、「マリアと生きるには、カラスの 名が重すぎるの」と打ち明けると直ぐに”蝶々夫人”で、着物姿でアリア「なんて美しい空」を歌うが、8ミリで撮ったプライベートフィルムだと認識できるように、わざとフレームが写ったままになっている。カラスの音声と場面とは合わず、何となく居心地が悪いが、次からの有名なアリア、ノルマの「清らかな女神よ」、椿姫の「さようなら、過ぎ去った日々よ」、カルメンの「恋は野の鳥」等々は口と音声が合致している。TVやレコードで聴く音とこのプレミア室での素晴らしい音響で聴くのでは大違い。60年前の録音が、これほどまでに鼓膜と胸を震わせるものか。
出て来た白衣を着た威厳に満ちた老人はドクトル・ヴィラヌエヴァ(Villa Nueva – 日本語では新村さんだ) と言った。彼はその病院の院長で、1919年当地にて、勤務していたニューヨークのロックフェラー医学研究所から派遣されて黄熱病研究に従事していた野口英世の助手をしていたとのこと。今からちょうど100年前。遭遇したのが1968年。野口後49年目であった。訪れる日本人など殆どいないメキシコ地方都市、懐かしい想いが強く日本人であれば誰でも、という感じで連れて行かれ、歓待されたのである。会った時ドクトルは多分70歳くらい、野口に仕えていたのが20歳前後ではなかったか。当時野口は42歳。