エーガ愛好会 (292) Before シリーズのこと  (HPOB  小田篤子)

今月観た映画は、女性向きロマンス映画ですが、11月12日のBS映画《Before Sunrise》(恋人までの距離)。そして18日のその9年後の《Before Sunset》。

恋人までの距離(Before Sunrise)’95 (米)
アメリカからの旅行者ジェリー(イーサン·ホーク)は、パリへ帰るセリーヌ(ジュリー·デルピー)と列車で知り合います。気の合った若いふたりはウィーンで途中下車し、昔の体験や家族などお互いの事を話しながら一日観光。そして、又同じホームで逢う約束をして別れます。

②《Before Sunset》
同じ配役での9年後。
ジェリーは作家となり、9年前の出会いの体験を本にし、出版記念のサイン会の為パリに来、その会場を訪ねてきたセリーヌと再会します。
9年前、ジェリーは約束の場所に行ったのですが、セリーヌは祖母の葬儀と重なり行けなかったと、後悔していました。ジェリーは結婚し、教師の妻と子供もいますが、セリーヌはまだ独身。
ふたりはジェリーの夕方の飛行機の時間まで、ずっと語り合いながら、パリの街を巡り過ごします。
別れ近く、彼女のアパートの入口にタクシーを待たせ、部屋でレコードをかけ映画は終わりますが…
1作目はウィーン、2作目はパリを背景に、ふたりの会話だけの映画ですが、その風景と話しがどうなっていくのかが気になり、単調ですが観てしまいました。ふたりが若いので、会話が明るく、爽やかだったのも良かったかと思います。
この9年後の第3作目、今度はギリシャでの「Before Midnight」(2013年)があるようですので、NHKプレミアムシネマの頁に《リクエスト》欄を見つけ、リクエストしてみましたが…。イーサン·ホークは《今を生きる》にも出ていたようです。
(編集子)場所もテーマも同じ、どうしてロマンチックなエ―ガのわかれとなると ヨーロッパになるんかなあ。やっぱりヤンキーにはこういうテーマはそぐわないんだろうな。
ジョーン・フォンテ-ンとジョセフ・コットンの旅愁、キャサリン・ヘプバーとロッサノ・ブラッツイなら旅情。ロマンチックで寂しい映画だったがなんといってもテーマ音楽、あのセプテンバーソングベニスの夏の日。ミッキーの見たこの映画もまたそういう遺産をのこすだろうか?
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例によってウイキペディアからの付けたし:
仏女優ジュリー・デルピーが、イーサン・ホークとともに主演した「ビフォア」3部作の続編は実現しないとの見通しを明らかにした。 「ビフォア」3部作は、「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離」(1995)、「ビフォア・サンセット」(2004)、「ビフォア・ミッドナイト」(13)で構成されたラブストーリー。

アルプスから氷河がなくなる日        (42 河瀬斌)

小田さんのご主人はかつてEg. Midi から滑ったことがある、私と同じ冒険好きの方のようですね。そのご主人と一緒にアルプスと欧州をめぐる旅を楽しむのは私達に似て親近感を覚えます。
 2019年に小田さんがモンタンベール駅から撮った写真で見るように、モンブラン氷河(メールドグラス)はやせ細って石ころだらけとなり、今では夏スキーは氷河合流部の上しかできないようです。私が学生時代に行った1968年のモンタンベールからの写真を比較してみて下さい。昔は氷河はとても広く、駅からすぐ氷河に降りれたのです。
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2013年にその昔のイメージで私が企画したKWV42卒(ガニマタ)70歳記念旅行では、痩せた氷河に降りようとすると昔より50mも下にあって、その岩壁を鉄梯子と鎖で降りなければならなかったのです。
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その日は氷河に降り、痩せて石ころだらけの氷河を歩きました。
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氷河の両端の氷は厚い石の堆積物で覆われ、いずれその下の氷河は無くなる運命でした。30年後の駅からは石の川が見えるだけになっているかもしれませんね。
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とにかく今の温暖化ではアルプスの主な氷河はどんどん細くなり、広大な石ころだらけの河原になりつつあります。乾燥で高山植物は丈の高い草に代わりつつあります。氷河の衰退とともに私たちが記憶している美しいアルプスの夏の景色が失われつつあるのは残念ですね。それに伴い夏のホテルも休業するところが増える一方、グリンデルワルトやチェルビニアに見られるように冬のスキー場が拡大して収入源になっているようです。
 日本では岩岳や湯沢のように雪が少なくなるとゲレンデが閉鎖されて夏の遊び場になってしまうところが多いですね。20年後には夏の残雪や高山植物も少なくなり、スキー人口の減少もあってスキー場も高山や北海道だけになってしまうのでしょうか !?

 

2024年11月27日(水) 16:01 Atsuko Oda <ao.bluemoon.ep@gmail.com>:

河瀬さん

2019年6~7月の旅行は、もうあまり行けないのでは…と思い、最初と最後は私のいきたかった所、中に主人の希望する場所を訪れました。
ミラノ、フィレンツェを訪れ、トリノで車を借り、クールマイユール、シャモニー、セントバーナード峠を越え、チェルビニアへ、そして最後は私の希望したイタリアのマッジョーレ湖で少し長い25日間の旅を終えました。
河瀬さんが歩かれ、主人がエギーユ・デュ・ミディから滑った(ガイド付き)という、モンブラン氷河の雪は写真のように消えていました。
またチェルビニア(広場からの写真)は利用はスキーシーズンのようで、借りた広いコンドミニアムは人の気配があまりなく、ホーンテッドマンション状態でした。
*先日送られてきたJCBの旅の冊子の“大特集“は「今年のクリスマスはヨーロッパで」。
好きなホットワインを飲みながら、パリやドイツ、オーストリアのおとぎの世界のような写真を眺めて我慢します。寒そうですし。
プレスリーの《Xmasは我が家で》(I’ll be Home for
Christmas)を聴きながら…。
小田篤子

バラが咲いた     (41  斎藤孝)

季節外れのバラ一輪が紅葉の森に咲いた。うす紫色した可愛らしい名残のバラ。葉の艶は元気いっぱいである。

 紅葉の森にラベンターとローズマリーのほのかな香りが漂う。

平和な鵠沼の晩秋を楽しみ元気に生きていこう。

(編集子)バラが咲いた、という一言ですぐ頭に浮かんだのが、僕らの学生時代から社会人なりたての、ベトナムの悪夢が一応終わって、とりあえず平和気分が横溢していたころ、それまでの  ”流行歌” と一般に言われていた分野に新風を吹き込んでくれた、若者たちの歌の数々が思い出される。そのきっかけというか代表作がマイク・真木の バラが咲いた だったような気がする。ベトナム反戦の若者たちのいわばテーマソングだった ピ-ト・シーガーの 花はどこへ行ったの とか、スコット・マッケンジーの 花のサンフランシスコ、日本で言えば杉田次郎の 戦争を知らない子供たち などなど、この後にくるいわゆる日本フォークソングの先駆けとなった歌をなんとなく思い出される。ビートルズ世代との過渡期?だったのか、このあたり、年代自体がもうあいまいなのだが。

エーガ愛好会 (291) 夕陽の群盗   (34 小泉幾多郎)

1960年後半からのニューシネマの波は西部劇にも及んだが、これも西部を若者たちの目線で描いた青春ウエスタンとでも呼ぶべき作品。あのニューシネマの先駆
的作品と言われた「俺たちに明日はない1967」の脚本家コンビ、ロバート・ベントンとデヴィッド・ニューマンが脚本を手懸け、ベントン自らが初めて監督も兼任した西部劇。

少年たちが夢を求め西部に向って旅をするうちに、強盗など悪の道に染まっていく過程は「俺たちに明日はない」の少年版とも言える。撮影を担当したのは、「ゴッドファーザー1972」でアカデミー賞を獲るゴードン・ウイリス。西部の乾いた秋から冬にかけての荒涼たる原野を旅する無知で無能な少年たちを近くでまたロングショットで美しく描く。音楽は、全編ラグタイムっぽいピアノ音楽が流れる。哀愁漂うピアノ音楽に、淡い光の光線の中、無法と化した荒野をセンチメンタルに旅する少年たちの切なく余韻を残す道中にピッタリの曲調なのだった。何処かフォークソングっぽい甘酸っぱい青春の香りもする。音楽担当はミュージカル「ファンタスティック」の作曲家ハーヴィー・シュミット。

南北戦争末期の1863年オハイオ州グリーンビルは、まさしく人間狩の様相で軍隊が手あたり次第若者を搔き集めていた。良家に育ったドリュー・ディクソン(バ
リー・ブラウン)は両親の手を借り、徴兵逃れのためミズリー州へ。本人は金鉱探しで一旗あげたかったが、ジェイク(ジェフ・ブリッジス)という若者に金目のものを盗まれたことが縁で、二人意気投合し、ジェイクの悪童仲間 Bad Companyと同行する。当てのない旅をカンサスへ向かうが、西部は彼らが思う程甘くなく、仲間割れした二人が首を吊られる等して、教養があって聡明だが、ナイーブで世事に疎いドリューと愚かだが世渡り上手で、ずる賢いジェイクが出身も性格も正反対、出会いも被害者と強盗いう最悪の接触から、その後は誰よりも意気投合する。徴兵を逃れた少年が、悪い仲間 と西部の荒野を徘徊し、逞しく成長してアウトローになっていく様はベトナム戦争を拒否した若者に置き換え説明されたらしい。西部への旅に出た最初の晩、焚火をしながら、ドリューがシャーロット・ブロンテの自伝小説「ジェーン・エア」を読む場面がある。孤児から育った主人公ジェーンが資産家ロチェスターの娘の家庭教師として雇われ、やがてジェーンはロチェスターとの身分違いの恋に落ち結婚する。即ちジェーンが人間としての尊厳を捨てることなく、階級違いのロチェスターと対等の関係を結んだことにる。ドリューとジェイクの両者が何れも主人公ジェーンを自分に置き換えているのだった。最後のクライマックスシーン、二人で銀行に押し入る時、ジェイクが「ジェーンは最後どうなった?」と唐突にドリューに尋ねる。ドリュー曰く「It’s Fine! 大団円」。銀行に乗り込み銃を構え「Stick‘em Up!騒ぐな」と叫んだのはドリューだった。世間知らずのドリューがジェイク以上のアウトローになったのだった。

主演のジェイク:ジェフ・ブリッジは「真昼の決闘」保安官助手のロイド・ブリッジスの子息で出演作も多いが、ドリュー:ハリー・ブラウンは見たことがない
と思ったら、残念なことに惜しくも27歳で自殺してしまったとのこと。

(編集子)ニューシネマといわれた一連の作品も 何本か見たが、一番印象に残っているのが本稿でも何度かふれたが、バリー・ニューマン主演の バニシング・ポイント Vanishing Point  だ。ベトナム戦争がアメリカ社会におよぼした厭世観が当時の自分の精神状態にぐっと響いた作品だった。以前、ラストシーンはどの映画だったか、という議論をしたことがあった。この作品のラストも心をえぐるようなショックをうけたものだった。夕陽の群盗の少年たちが落ち込んでいく心理とどこかでつながっているような感覚がある。

小泉さんが触れておられる 真昼の決闘 でのロイド・ブリッジェスは印象的だった。あの映画でデビューしたのだと思うのだが、ケティ・フラドとふたり、グレース・ケリーを圧倒する迫力だった。夕陽での息子の演技とくらべてどうだろうか。

琴桜の優勝     (大学クラスメート 飯田武昭)

大関琴櫻が初優勝を成し遂げました。大関5場所目で初めての賜杯と巷間の期待に中々添えなかった時期が長く、漸くと言う感じです。

私は数年前に鳥取、島根を数日間旅行した際に、鳥取県中部にある倉吉市に是非立ち寄りたいと思い1泊しました。市内には、打吹玉川地区をはじめ土蔵が多く、交番や公衆トイレにも土蔵のデザインが採用されており、白壁土蔵の街として知られています。ここでひょっこり出会ったのが小さな公園にある大きな元横綱琴櫻の胸像でした。

この横綱が倉吉出身だったことは、それまで知りませんでした。私の勤務していた会社の最初の研修工場(大阪府泉南の忠岡町)の女子バレー選手(当時は9人制)の数人の出身校が倉吉市だったことも、この地を訪れたいと思った理由の一つです。

胸像の横には、元横綱琴櫻がいかに遅咲きの力士だったか、そしていかに短命の横綱だったかが記されており、栃若時代からの大相撲好きの私は、忘れかけていた元横綱琴櫻を思い出して、それから何となく母方の祖父に当たる現琴櫻(関脇までは琴の若)を応援していました。最後の仕切で闘志を表す、あの怖い顔は天下一品です(豊昇龍の怖い顔も怖いですが、普段も怖い顔なので・・・)。

気持が優し過ぎると言われているようですが、往年の千代の富士のような鬼の形相は、これからは変わります。

(安田)先代の横綱琴桜は栢鵬時代のあと、数年して先日他界した北の富士と共に横綱をはりましたね。琴桜の横綱在位は1年半弱、多分7ー8場所のだったかと。力士に多い糖尿病を患い猛牛の勢いを削がれました。糖尿病から壊疽を発症、晩年には足首から下を切断するなど、苦労が絶えなかった。32歳の遅咲きの横綱昇進だったが短命に終わった。倉吉出身であるのは知っていました。何の役には立ちませんが、つまらぬことを知っています(笑)。

祖父に続いて現大関琴桜も横綱に昇進してもらいたいものです。日体大卒の石川県出身の「大の里」と東西横綱に昇進して、モンゴル出身でない日本人横綱に期待したいものです。闘志が顔に溢れている小型のモンゴル出身豊昇竜を加えて三つ巴の覇権争いになるのではないでしょうか。

 

秋も終わりぬ     (普通部OB 船津於菟彦)

亀戸天神菊祭りが好天で今が盛り、会期も終わり。七五三のお祝いもチラホラ。

往く秋ですね。いきなり冬。今年は衣変えもせず冬のモノをそのままにしておいて夏はTシャツで過ごしましたね、世界は春夏秋冬は無くなってきているようですね。夏から冬。
国際政治も目まぐるしく変わっていっていますね。103万の壁って?106万、130万も…違いは?どうなる。第二電電ならず第二自民党頑張っていますね。さてさて。

    • 咲花をいくつか捨てけふの菊 / 加賀千代女
• 菊の香や流れて草の上までも / 加賀千代女
• きくはたやいかにすぐれて残る菊 / 加賀千代女
• 道愉ししきりに菊の咲きあふれ / 久保田万太郎

山茶花も秋桜も満開ですね。
秋は終わりぬ。

“SNS の功罪” 論議ーこのあたりでひとまず  (普通部OB 菅原勲)

所謂、オールド・メディアと言われる新聞とかテレビなどは、今まで、どのような情報を提供して来たでしょうか。例えば、新聞で言うと朝日新聞です。珊瑚記事捏造事件の問題しかり、従軍慰安婦誤報記事の問題しかり。などなど全く間違った情報を臆面もなく伝えて来ました(一言で言えば虚報。今で言う、フェイク・ニュースはこれまでも多々あった)。これだけを情報源とする人は、この間違った情報を鵜吞みにするしかありませんでした。つまり、良いも悪いも、いわゆるオールド・メディアから情報を一方的に伝えられるだけで、例外があったとしても、その受け手はただただそれを受け取るしかなかったのです。そして、それを信じました。

しかし、ネットの時代となり、誰でも自由に見解、情報を発信することが出来るようになりました。また、その特徴は、これまでのオールド・メディアと違って、情報の一方的な垂れ流しではなく、相互会話が可能となった新しい世界が開けました。しかし、勿論のこと、物事には、常に表と裏があります。つまり、そこには、正しいものと間違ったものが混在しています。また、為にする情報も紛れ込んでいます。これらを取捨選択し、正しい情報を選択するために、一層の賢さが求められているのは言うまでもありません。しかし、明日、直ちに利口になるわけではなく、幾多の試行錯誤を経てそれを手にすることになるのでしょう。まさか、こんな大事なことまでAIに任せるような愚行を人類が行うとも思えません。

小生、これからの世界に極めて楽観的です。例えば、SNSを廃止せよとの論があるようですが、これは極めて馬鹿げた妄論です。そこで思い出しました。産業革命の初期、極めて愚劣な打ち壊し運動ってのがあったことを。

今、オールド・メディアしかなかったならば、米国ではK.ハリスが大統領になり、兵庫県では稲村 和美が知事になっていたことでしょう。実際には、そうでなかったことを考えると、これで良かったんじゃないでしょうか。

エーガ愛好会 (290) 戦うパンチョ・ビラ   (34 小泉幾多郎)

メキシコ革命をめぐる実在の英雄パンチョ・ビラの半生を描いたのだが、まずス
タッフとキャストを見て驚く。ウイリアム・ダグラス・ランスフォードと言う人が書いた実話を基にした脚本が、メキシコならこの人というサム・ペキンパーと「チャイナタウン」でアカデミー脚本賞を得たロバート・タウン。撮影が「戦場のかける橋」でこれまたアカデミー受賞のジャック・ヒルドヤード、広大なメキシコの風景の中、戦闘シーンの迫力や大規模な空撮を使った攻防戦等見応え充分。音楽がモーリス・ジャール、音楽で映画の雰囲気を引き立て、スリングなシーンを盛り上げている。残念乍ら監督バズ・キューリックだけがB級臭いか。それでも歴史的なドラマとアクションを巧みに組み合わせパンチョ・ビラという人物の生涯を深く掘り下げている。

キャストは、ユル・ブリンナーとチャールズ・ブロンソンがメキシコ側に対し、アメリカからの助っ人がロバート・ミッチャムという三大スターの競演
開巻すると、パンチョ・ビラの部隊と思われる古い写真がセピア色で流れる背景に、モーリス・ジャールの音楽が、いつもの交響楽的サウンドでないボレロ風なスローなテンポで流れ、終わると銃器商人の米国人リー・アーノルド(ミッチャム)運転の複翼機が飛んでいる。メキシコ政府軍と銃器取引するため着陸するも革命派のパンチョ・ビラ(ブリンナー)、副官にフィエロ(ブロンソン)率いる一派に捕われてしまう。ブリンナーがいつものスキンヘッドでなく、豊かな髪の毛と髭の姿には驚くが、しかしアーノルドが飛行機を所有していることに眼をつけ彼を味方に引き入れる。

ビラ側は、政府軍が謀略の限りを尽くしても、政府軍に対する憎しみ度を倍増さ
せるがため攻撃を遅らせるとか、捕虜を一人一人壁を越えて逃げ遂せないものを銃で射ち殺すとか残虐行為をしながらも自由のための戦う正当性といった疑問点もあるが、自由のために戦うビラの反乱とその意義や人間としての行動の複雑さを掘り下げて描いているとみられる。アーノルドが革命軍に加わり、飛行機を利用し、作戦は順調に進んで行ったが、この勝利を喜ばないマデロス大統領(アレクサンダー・ノックス)から革命軍総司令官に任命されているウエルタ将軍(ハーバート・ロム)とが相容れない存在となって関係が複雑化してくる。

最終的には、ウエルタ将軍がマデロス大統領を暗殺するが、これから1年4か月後アーノルドも加わったビラの軍隊がメキシコシティに凱旋した。

日本の秋 2点  (HPOB 小田篤子  42 河瀬斌) 

ちょっと時間が経ってしまいましたが、10日の慶早戦は1塁早大側の前の方の席でしたが、見えるのも、聞こえる応援団の声も前方の慶応さんの方でした。
早稲田側でも一番の話題は清原Jr.の事。 あと1勝すれば…でしたが、慶応が2連勝!慶応さんの為の観戦のようでした!(編集子注:ミッキーの旦那ば早稲田である)
翌11,12日は蓼科へ。
小川さん、まだ紅葉が綺麗に残っていました! センター辺りの写真添付致します。
13,14日は毎年の上高地に。 諏訪湖〜沢渡までの紅葉はダムや川のブルーと重なり見事でした。14日は久しぶりに2万歩程歩きました。
穂高の雪は殆んど解けていましたが、帰る閉山式のある15日には、前夜に降った雪が上の方に少し積もっていました。今年も7割くらいが外国人。 以前より賑やかで暖かいので、閉山は延ばしても良いのではと思いますが…。

(42 河瀬)美しい晩秋の上高地の写真ありがとうございます。確かに閉山するのは勿体無いですね。温暖化が今後もあるでしょうから、11月いっぱい開けるように変更してくれるといいですね。

 私の方は9−10日に行った渓谷の写真です。静岡県寸又峡「夢のつり橋」と天竜峡(上空に見えるのは新しい「天空の橋」です)

エーガ愛好会 (289)素晴らしき映画音楽作曲者たち (大学クラスメート 飯田武昭)

小生が主宰している細やかな会(通称:キネマの会)で、音楽家やミュージカル関係の映画を観て貰う際に簡単な解説をする際に便利なように纏めたものをご紹介します。

(編集子)来月、とうとう白内障のオペを受けることになった。終わったらこの表がはっきり見えるようになるんだろうか・