①恋人までの距離(Before Sunrise)’95 (米)
アメリカからの旅行者ジェリー(イーサン·ホーク)は、
アルプスから氷河がなくなる日 (42 河瀬斌)
河瀬さん
2019年6~7月の旅行は、もうあまり行けないのでは…と思い、最初と最後は私のいきたかった所、 中に主人の希望する場所を訪れました。 ミラノ、フィレンツェを訪れ、トリノで車を借り、クールマイユール、シャモニー、セントバーナード峠を越え、 チェルビニアへ、 そして最後は私の希望したイタリアのマッジョーレ湖で少し長い2 5日間の旅を終えました。 河瀬さんが歩かれ、主人がエギーユ・デュ・ミディから滑った(ガイド付き)という、 モンブラン氷河の雪は写真のように消えていました。 またチェルビニア(広場からの写真)は利用はスキーシーズンのようで、 借りた広いコンドミニアムは人の気配があまりなく、 ホーンテッドマンション状態でした。 *先日送られてきたJCBの旅の冊子の“大特集“は「今年のクリスマスはヨーロッパで」。 好きなホットワインを飲みながら、パリやドイツ、オーストリアのおとぎの世界のような写真を眺めて我慢します。 寒そうですし。 プレスリーの《Xmasは我が家で》(I’ll be Home forChristmas)を聴きながら…。小田篤子
バラが咲いた (41 斎藤孝)
季節外れのバラ一輪が紅葉の森に咲いた。うす紫色した可愛らしい名残のバラ。葉の艶は元気いっぱいである。
紅葉の森にラベンターとローズマリーのほのかな香りが漂う。
平和な鵠沼の晩秋を楽しみ元気に生きていこう。
(編集子)バラが咲いた、という一言ですぐ頭に浮かんだのが、僕らの学生時代から社会人なりたての、ベトナムの悪夢が一応終わって、とりあえず平和気分が横溢していたころ、それまでの ”流行歌” と一般に言われていた分野に新風を吹き込んでくれた、若者たちの歌の数々が思い出される。そのきっかけというか代表作がマイク・真木の バラが咲いた だったような気がする。ベトナム反戦の若者たちのいわばテーマソングだった ピ-ト・シーガーの 花はどこへ行ったの とか、スコット・マッケンジーの 花のサンフランシスコ、日本で言えば杉田次郎の 戦争を知らない子供たち などなど、この後にくるいわゆる日本フォークソングの先駆けとなった歌をなんとなく思い出される。ビートルズ世代との過渡期?だったのか、このあたり、年代自体がもうあいまいなのだが。
エーガ愛好会 (291) 夕陽の群盗 (34 小泉幾多郎)
1960年後半からのニューシネマの波は西部劇にも及んだが、こ
的作品と言われた「俺たちに明日はない1967」の脚本家コンビ
少年たちが夢を求め西部に向って旅をするうちに、強盗
南北戦争末期の1863年オハイオ州グリーンビルは、まさしく人
リー・ブラウン)は両親の手を借り、徴兵逃れのためミズリー州へ
主演のジェイク:ジェフ・ブリッジは「真昼の決闘」保安官助手の
と思ったら、残念なことに惜しくも27歳で自殺してしまったとの
(編集子)ニューシネマといわれた一連の作品も 何本か見たが、一番印象に残っているのが本稿でも何度かふれたが、バリー・ニューマン主演の バニシング・ポイント Vanishing Point だ。ベトナム戦争がアメリカ社会におよぼした厭世観が当時の自分の精神状態にぐっと響いた作品だった。以前、ラストシーンはどの映画だったか、という議論をしたことがあった。この作品のラストも心をえぐるようなショックをうけたものだった。夕陽の群盗の少年たちが落ち込んでいく心理とどこかでつながっているような感覚がある。
小泉さんが触れておられる 真昼の決闘 でのロイド・ブリッジェスは印象的だった。あの映画でデビューしたのだと思うのだが、ケティ・フラドとふたり、グレース・ケリーを圧倒する迫力だった。夕陽での息子の演技とくらべてどうだろうか。
琴桜の優勝 (大学クラスメート 飯田武昭)
大関琴櫻が初優勝を成し遂げました。大関5場所目で初めての賜杯と巷間の期待に中々添えなかった時期が長く、漸くと言う感じです。
私は数年前に鳥取、島根を数日間旅行した際に、鳥取県中部にある倉吉市に是非立ち寄りたいと思い1泊しました。市内には、打吹玉川地区をはじめ土蔵が多く、交番や公衆トイレにも土蔵のデザインが採用されており、白壁土蔵の街として知られています。ここでひょっこり出会ったのが小さな公園にある大きな元横綱琴櫻の胸像でした。
この横綱が倉吉出身だったことは、それまで知りませんでした。私の勤務していた会社の最初の研修工場(大阪府泉南の忠岡町)の女子バレー選手(当時は9人制)の数人の出身校が倉吉市だったことも、この地を訪れたいと思った理由の一つです。
胸像の横には、元横綱琴櫻がいかに遅咲きの力士だったか、そしていかに短命の横綱だったかが記されており、栃若時代からの大相撲好きの私は、忘れかけていた元横綱琴櫻を思い出して、それから何となく母方の祖父に当たる現琴櫻(関脇までは琴の若)を応援していました。最後の仕切で闘志を表す、あの怖い顔は天下一品です(豊昇龍の怖い顔も怖いですが、普段も怖い顔なので・・・)。
気持が優し過ぎると言われているようですが、往年の千代の富士のような鬼の形相は、これからは変わります。
(安田)先代の横綱琴桜は栢鵬時代のあと、
秋も終わりぬ (普通部OB 船津於菟彦)
亀戸天神菊祭りが好天で今が盛り、会期も終わり。七五三のお祝い
往く秋ですね。いきなり冬。今年は衣変えもせず冬のモノをそのま
国際政治も目まぐるしく変わっていっていますね。103万の壁っ
• 咲花をいくつか捨てけふの菊 / 加賀千代女
• 菊の香や流れて草の上までも / 加賀千代女
• きくはたやいかにすぐれて残る菊 / 加賀千代女
• 道愉ししきりに菊の咲きあふれ / 久保田万太郎
山茶花も秋桜も満開ですね。
秋は終わりぬ。
“SNS の功罪” 論議ーこのあたりでひとまず (普通部OB 菅原勲)
所謂、オールド・メディアと言われる新聞とかテレビなどは、今まで、どのような情報を提供して来たでしょうか。例えば、新聞で言うと朝日新聞です。珊瑚記事捏造事件の問題しかり、従軍慰安婦誤報記事の問題しかり。などなど全く間違った情報を臆面もなく伝えて来ました(一言で言えば虚報。今で言う、フェイク・ニュースはこれまでも多々あった)。これだけを情報源とする人は、この間違った情報を鵜吞みにするしかありませんでした。つまり、良いも悪いも、いわゆるオールド・メディアから情報を一方的に伝えられるだけで、例外があったとしても、その受け手はただただそれを受け取るしかなかったのです。そして、それを信じました。
しかし、ネットの時代となり、誰でも自由に見解、情報を発信することが出来るようになりました。また、その特徴は、これまでのオールド・メディアと違って、情報の一方的な垂れ流しではなく、相互会話が可能となった新しい世界が開けました。しかし、勿論のこと、物事には、常に表と裏があります。つまり、そこには、正しいものと間違ったものが混在しています。また、為にする情報も紛れ込んでいます。これらを取捨選択し、正しい情報を選択するために、一層の賢さが求められているのは言うまでもありません。しかし、明日、直ちに利口になるわけではなく、幾多の試行錯誤を経てそれを手にすることになるのでしょう。まさか、こんな大事なことまでAIに任せるような愚行を人類が行うとも思えません。
小生、これからの世界に極めて楽観的です。例えば、SNSを廃止せよとの論があるようですが、これは極めて馬鹿げた妄論です。そこで思い出しました。産業革命の初期、極めて愚劣な打ち壊し運動ってのがあったことを。
今、オールド・メディアしかなかったならば、米国ではK.ハリスが大統領になり、兵庫県では稲村 和美が知事になっていたことでしょう。実際には、そうでなかったことを考えると、これで良かったんじゃないでしょうか。
エーガ愛好会 (290) 戦うパンチョ・ビラ (34 小泉幾多郎)
メキシコ革命をめぐる実在の英雄パンチョ・ビラの半生を描いたの
タッフとキャストを見て驚く。ウイリアム・ダグラス・ランスフォ
キャストは、ユル・ブリンナーとチャールズ・ブロンソンがメキシ
開巻すると、パンチョ・ビラの部隊と思われる古い写真がセピア色
ビラ側は、政府軍が謀略の限りを尽くしても、政府軍に対する
せるがため攻撃を遅らせるとか、捕虜を一人一人壁を越えて逃げ遂
最終的には、ウエル
日本の秋 2点 (HPOB 小田篤子 42 河瀬斌)
(42 河瀬)美しい晩秋の上高地の写真ありがとうございます。