大関琴櫻が初優勝を成し遂げました。大関5場所目で初めての賜杯と巷間の期待に中々添えなかった時期が長く、漸くと言う感じです。
私は数年前に鳥取、島根を数日間旅行した際に、鳥取県中部にある倉吉市に是非立ち寄りたいと思い1泊しました。市内には、打吹玉川地区をはじめ土蔵が多く、交番や公衆トイレにも土蔵のデザインが採用されており、白壁土蔵の街として知られています。ここでひょっこり出会ったのが小さな公園にある大きな元横綱琴櫻の胸像でした。
この横綱が倉吉出身だったことは、それまで知りませんでした。私の勤務していた会社の最初の研修工場(大阪府泉南の忠岡町)の女子バレー選手(当時は9人制)の数人の出身校が倉吉市だったことも、この地を訪れたいと思った理由の一つです。
胸像の横には、元横綱琴櫻がいかに遅咲きの力士だったか、そしていかに短命の横綱だったかが記されており、栃若時代からの大相撲好きの私は、忘れかけていた元横綱琴櫻を思い出して、それから何となく母方の祖父に当たる現琴櫻(関脇までは琴の若)を応援していました。最後の仕切で闘志を表す、あの怖い顔は天下一品です(豊昇龍の怖い顔も怖いですが、普段も怖い顔なので・・・)。
気持が優し過ぎると言われているようですが、往年の千代の富士のような鬼の形相は、これからは変わります。
(安田)先代の横綱琴桜は栢鵬時代のあと、