エーガ愛好会 (355) サスカチワンの狼火    (34 小泉幾多郎)


風光明媚なカナダ西部のサスカチワン州(マニドバとアルバータ州に東西で接し、南は米国のモンタナ北ダコタ両州に接している)にロケーションして製作したカナダの北西騎馬警官隊を扱った1954年制作のラオール・ウオルシュ監督、アラン・ラッド主演作品「サスカチワンの狼火 Saskachewan」。この騎馬警官隊で有名なのは、ハリウッドの生きた歴史と言われた巨匠セシル・B・デミル監督ゲーリー・クーパー主演「北西騎馬警官隊North West Mounted Police1940」。両者共プログラムが見付かり、これには、1952.1.13於横浜国際劇場と記載。この「サスカチワン狼火」のプログラムには日付の記載はないが、戦後の1954年制作だから、その年には公開されていたようで、両者共、高校生時代に観ていたことになる。

西部劇乍ら、カナダが背景で、カナダの警官隊が主役とは珍しいが、ゲーリー・クーパーは、テキサスレインジャーで犯人を追ってカナダへ。アラン・ラッドは騎馬警官隊員だが、敵役の先住民がカナダ在住の先住民クリー族ではなく、米国からやって来た直前にカスター将軍の部隊を全滅させたスー族と工夫は凝らしている。

北西騎馬警官隊警部オローク(アラン・ラッド)は、両親を殺された際.カナダ先住民クリー族酋長の息子ケジュウ(ジェイ・シルヴァー・ヒールズ)の義兄弟として育てられ、そのケジュウと辺境の巡察を終え、砦へ戻る途中。越境してきたスー族に襲われたグレース・マーキィー(シェリー・ウインタース)と同行することになる。オローク不在中、新任の隊長ベントン(ロバート・ダグラス)が赴任し、事あるごとに、オロークと対立することになる。味方になるクリー族から銃を取り上げる等から、クリー族とスー族との合議の成立から一時守備隊は危機に陥ったが、その危機を乗り越え、守備隊とクリー族の合同によるスー族背後からの攻撃により、スー族は米国へ逃げ去ることになった。グレースは殺人の疑いが課せられていたが、それも解消し、オロークと共にモンタナに旅立つことになった。

冒頭からサスカチワンの岸壁から渓谷に至る風光明媚な差が、アクションの連続
の中に楽しめた。豪快なタッチで知られるラオール・ウオルシュによる先住民との戦いが、脚本・撮影・音楽との三位一体で楽しめたと言えるのではなかろうか。

(編集子)放映があるのは知っていたが、見過ごしてしまった。実というとこれも古典?だが ”モホークの太鼓” とごっちゃにしていた気がする。小泉先輩も言及しておられるが、カナダに場を移したセーブゲキ、というのはあまりお目にかかれない。クーパ^―の北西騎馬警官隊、のほか、カナダ平原、というのを見た記憶があるが。

 

ガザ紛争についてのメモ    (44 安田耕太郎)

イスラエルとパレスチナ問題の本質的な根っこは、信ずる宗教が共に「一神教」だという点に帰せられる。しかも宗教発祥の地がユダヤ教、イスラム教共に(更に一神教のキリスト教も)同じパレスチナと呼ばれた場所だったのは不運としか言えない。独善的で排他的なので他宗教を信奉する国との共存は所詮無理。共に「目には目、歯には歯」に頼る民族的な属性がある。この属性は特にネタ二アフの手法に顕著だ。だから始末が悪い。

20世紀になって今日の絶望的にさえ見える状況を産み出した根本原因は英仏両国(特に英国)の責任に起因する政治的外交判断にあった。有名な1917年に表明された「バルフォア宣言」がその端緒だ。第一次世界大戦中、中東を当時支配していたオスマントルコ帝国滅亡が予期された戦後中東の統治地図を両国で描き、国境を定めて両国の支配下に置いたのが中東諸国だ。中東の国々の国境線がほぼ直線になっているのは両国が人為的に定めたからに他ならない。英国ロイド・ジョージ内閣の外務大臣バルフォアが推し進めた「シオニズム支持表明」、即ちユダヤ人支持を鮮明にして世界に向けて発信したのが「バルフォア宣言」だ。英国ユダヤ人社会の重鎮ロスチャイルド家の当主宛に出された、これが、戦後のユダヤ人国家「イスラエル建国」へと繋がった。イスラム教を信奉する中東のアラブ・パレスチナ地域のど真ん中に「イスラエル建国」を容認し、後押ししたのだ。この2つの根本的な「一神教」と「バルフォア宣言 = 英国の無責任な外交政策」が今日の悲惨な状況の根源的な原因を為している。英国の責任は重いと言わねばならない。映画「アラビアのロレンス」で描かれた英国の将校トーマス・ロレンスはこの英国の政策の実行役である。映画では190cmはあろうかというピーター・オトゥールが演じたが、実在の人物は小柄な男だった

(HPOB 菅井)「唯一神」という共通の根っこを持ち、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教(アブラハムの宗教)は旧約聖書(またはその物語)を共有しながらも対立する主な理由は、「解釈の違い」と、それに伴う「誰が真の継承者か」というアイデンティティの競合だと言われています。これって、一種の「近親憎悪」に見えます。

一方、ネタニヤフをはじめイスラエルの指導者たちは具体的に口にはしないようですが、ナチス・ドイツの「ユダヤ人600万人虐殺説」を最大限に利用している(自分たちの利益や立場を守るためには何をしても許される)ように感じられます。

(編集子)巨木があればそれは神様の化身だと敬い、高山には霊気が宿ると信じて、八百万の神様を報じるわが国伝来の文化のほうが親しみやすいやね。巨木派と高山派が命を懸けて戦う、なんて馬鹿なことは起きていない。最近は例のどっかの地上げ屋大統領は南アフリカがキリスト教を迫害してる、などと言い出したそうだし、なんせ一神教信者がこねる正義というやつは理解できないね。

 

 

 

あの頃って、いいエーガがあったなあ

先日掲載飯田君の回顧録?の記事の該当する時代でベスト3は何か?というフォローをしてもらった。

(44 安田)“あの頃”を1950年代と規定してベスト3を選ぶのは至難の業。僕の観た映画からまず、”ベスト”の候補作を挙げる。

「波止場」「ケイン号の叛乱」「第十七捕虜収容所」「欲望という名の電車」「女相続人」「第三の男」「エデンの東」「イブの総て」「ローマの休日」「赤い河」「道」「鉄道員」「恐怖の報酬」「悪魔のような女」「十二人の怒れる男」「七人の侍」「シェーン」「裸足の伯爵夫人」「雨に唄えば」「眼下の敵」「捜索者」「情婦」「めまい」「80日間世界一周」「裏窓」「ベンハー」「俺たちは天使じゃない」
「死刑台のエレベーター」「大いなる西部」「サンセット大通り」「ゴジラ」。
(注:「女相続人」「第三の男」は1949年製作)

僕のベスト3は、「ローマの休日」「七人の侍」「第三の男」

先日ブログ掲載の ”飯田リスト”(未観映画がかなりある)から僕のベスト3は、
「波止場」「ケイン号の叛乱」「裏窓」

蛇足ながら、「ハリーの災難」は2つの点でとても印象深い。後年、姐御の貫禄を醸し出したシャーリー・マクレーンの可憐な初々しい美しさ(保屋野さんと同感)。「アパートの鍵貸します」と2作が僕の好きな彼女のベスト映画。それとニューイングランド地方バーモント州の🍁紅葉が見事だった(ジャイさんと同感)。

(大学クラスメート 飯田)今回の1955年製作の映画に限って言えば、
安田さんの上げられたベスト3の「波止場」「ケイン号の叛乱」「裏窓」は私も同感です。

他の作品でも一口コメントをすれば「紅の翼」(颯爽としたパイロット姿のジョン・ウエインと主題曲のHigh and Mighty)、「麗しのサブリナ」(お洒落なA.ヘップバーン、H.ボガート他)、「スター誕生」(歌手ジョディ・ガーランドの演技の真剣勝負)、「掠奪された七人の花嫁」(7人の山男に街から攫われた7人の娘たち」という奇抜な発想のミュージカル)、「海底2万哩」(海洋冒険映画の原点)。

「ブリガドーン」(ジーン・ケリーとシド・チャリシーが二人で踊る屋外の幻想的なシーンでのヂュエットは、映画のダンスシーンのベスト1、「グレンミラー物語」(何度観ても良いビッグバンドの演奏)、「ショウほど素敵な商売はない」(M.モンローは勿論、タイトル曲がいつ聴いてもいかにもハリウッド的なな曲)。

愛の泉」(戦後に海外旅行が中々できない時代にローマ観光も楽しめた3人娘の淡い恋の物語)、「裸足の伯爵夫人」(ジャイさんもお気に入りのエヴァ・ガードナーのベスト作)、「デシレ」(ジーン・シモンズ・ファンなら見逃せない)、「折れた槍」(最近テレビでやったか?スペンサー・トレイシー、ロバート・ワグナー、ジーン・ピーターズ、リチャード・ウィドマークの4大スター競演)と名作・力作が目白押しで賑やかな時代でした。

(普通部OB 菅原)この中からベスト3を選ぶのは、小生にとって無理。
これらは、エーガと言うより、正にハリウッドの黄金時代。古き良き時代だった。もう戻って来ない。が、それを楽しみ続けるしかない。と愚考します。

(42 保屋野)飯田さんの推薦映画21本の内7本しか観ていなかったのですが、ここからえらぶなら、まず7本。7本(波止場、ケイン号、サブリナ、裏窓、海底2万哩、グレンミラー、折れた矢)の中では、ヘプバーンの「サブリナ」とケリーの「裏窓」、かな。

(HPOB 小田)50年代の映画はTVやDvdで観たものばかりですが…

*チターの曲と共に[第三の男]
*[大いなる西部]
*山々が綺麗な[シェーン]
そして、愛らしいオードリーの[戦争と平和]なども好きです。
今月の初めに新作の「喝采」が上映されていました。
ブロードウェイの大女優が公演前の稽古中に認知症の診断を告げられる…というストーリー。「タイタニック」などに出ている貫禄のある、キャシー・ベイツを観たかったのですが、見逃してしまいました。
*Giさん、
お孫さんがエルビス·プレスリーをご存じなかったようですが、次女のダンナさんでさえも知っているのは、名前だけのようです。しかし、昨日はプレスリーに関して2件、目にしました。
まず新聞に、“特別列車「エルビス特急」がオーストラリアで運行された“…という記事。車内で生演奏を楽しみ、終着駅のParkesには人口の2倍の24,000人のファンが集まったとか。毎年誕生日の8日近くには、日本やアメリカでも生誕祭があります。

(編集子)スガチューの嘆きに同調する。先日、孫2号(社会人2年)にエルヴス・プレスリーって聞いてみたら (なに、それ?)という回答が戻ってきた。高校時代、Rock Around The Clock のレコード(!)をかけただけで親父に怒鳴られたものだ。紅白歌合戦の変わりざまに驚くくらいでは済まない時代。さきほどはテレビで衆院解散の舞台を見た。高市時代はどんな歌が流行るんだろうか。

 

Rock Around the Clock” is a rock and roll song in the 12-bar blues format written by Max C. Freedman and James E. Myers (the latter being under the pseudonym “Jimmy De Knight”) in 1952. The best-known and most successful rendition was recorded by Bill Haley & His Comets in 1954 for American Decca. It was a number one single for two months[6] and did well on the United Kingdom charts; the recording also reentered the UK Singles Chart in the 1960s and 1970s.

 

 

越路の日本酒は国宝  (41 斉藤孝)

 

豪雪と寒波の来襲です。お酒の魅力には勝てませんでした。越路で酒蔵を巡りました。

 

「八海山」の生まれ育つ長岡越路地区は水田と里山が豊かに広がる。

「越路吹雪」のシャンソン、「サントワマミー」を歌いながら吹雪の「八海山雪室」を訪れた。まるでワイナリーの酒蔵ようだ。高級な銘酒「八海山」のボトルが並べられていた。

「八海山雪室」と呼ばれる酒造蔵には焼酎「面向未来」が保存されている。5年前から預けられたプレミアム焼酎。一本一万円するビンテージである。 

「久保田」試飲として久保田「千寿」を一口。軽い、水のようだ。

水のようにスーッと喉の奥に流れていく。初めは頼りなく感じる。何も逆らわない。綺麗な米の味わい。甘味と酸味は控えめ。

いつまで飲んでも飲み飽きない。これが久保田の「杜氏」の技なのだろう。杜氏はAIに置き換わられるのか ? 

知識には形式知と暗黙知があるという。形式知はコトバやデータで表される知識であり、これはAIの適用範囲になる。暗黙知は、コトバやデータで表現できない感やコツといわれるものでオノマトペの幼い表現も含まれる。香りや味覚なども最近はデータ化されると形式知に含まれる。センサー技術は進歩したからだ。

しかし曖昧模糊とした直観や経験による職人技はなかなか形式化できない。水のようにスーッと喉の奥に流れていく”。「スーッと喉の奥に」、これがオノマトペである。

(編集子)HP在職中、仕事で付き合って仲良くなったのは何人もいるが、中にカリフォルニアはナパヴァレーのワイナリの次男坊というのがいた。パロアルトへ出張した折、彼の勧めでそのワイナリに一泊させてもらったことがある。日本酒の醸造元がどんなものか知らないが、陽光きらめくワイナリというのは素晴らしいところだった。息子から聞いている、とだいぶ年を取っていたが母親が自ら案内してくれ、早朝、散歩の折に積んだ野菜と果実の朝食、なんかはわすれられない。帰国してからシャルドネなど買おうか、としらべたらなんと1本5桁の値札が付いていて驚いたのものだ。ブランド名は CAKEBREAD。次男坊スティーヴとクリスマスカードのやり取りも途絶えてしまって久しい。自慢のシャルドネはまだ、買っていない。

エーガ愛好会 (354) 喝采  (大学クラスメート 飯田武昭)

ストーリー:アメリカのボストンのステージで新作ミュージカル・ドラマの主役を決めるのに演出家バーニー(ウイリアム・ホールデン)は、プロデューサーの猛反対を押し切って、往年のスター、フランク(ビング・クロスビー)を起用することを説得し納得を得た。フランクの可って栄光は何処へ、妻(グレース・ケリー)に隠れての酒浸りの毎日を送っていたが、バーニーからの久々のオファーと妻からの押しも有ってステージに立つことになった。しかし、初日の公演の出来は芳しくなく新聞各社の評論も厳しいものであった。実はフランクはスター時代に、ふとした不注意から幼い息子を自動車事故で死なせてしまった過去があるとこをバーニーには隠していた。フランクの酒浸りはその時から始まったのだった。このミュージカル・ドラマはボストンからその後にニューヨーク・ブロードウエイに掛けることが決まり、主役に代役を起用しようとしていたプロヂューサーに、フランクの事実を知った演出家バーニーは、再びフランクを起用することに成功し、フランクも舞台の瞬間は息子の事故を忘れ、集中した演技でステージを盛り上げた。実はこの間、酒浸りのフランクを身を粉にして更生させようと努めてきた妻ジョージーとバーニーの間には仄かな愛情が芽生えていた。それを薄々感じていたフランクはステージの大成功の後、静かに一人街を去って行った。妻のバーニーはフランクへの愛情を断ち切れず後を追う。バーニーもその影を見ながら納得の気持ちであった。

物語はこの映画の製作当時はよくあったバックステージ物であり、大物俳優がその演技力を競演する点でも、特に秀作ではないかもしれない。しかし、今日改めて観ると3大俳優の火花を散らす迫力ある演技が楽しめる。アカデミー主演女優賞をグレース・ケリーが獲得しているが、彼女の映画としては極く地味な役どころ。薄暗いフランクの自宅で地味な衣装で家事をこなし酒浸りのフランクの愚痴を聞く生活臭と一転して社交界のパーティ・ドレス姿の華やかさとのギャップが楽しめるが、「真昼の決闘」「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」「泥棒成金」「上流社会」などの美しさや存在感はない。主役のビング・クロスビーの演技力というか、どこにでも居そうな田舎のおっさんのような顔つきが、酒浸りとステージ演技の妙で実に味を出しているのが秀逸だ。又、演出家を演じたウイリアム・ホールデンも良い味を出しており「サンセット大通り」「第十七捕虜収容所」「麗しのサブリナ」「慕情」「ピクニック」「戦場にかける橋」「騎兵隊」「タワリング・インフェルノ」まで、色々な役柄を演じ分け息の長い20世紀の代表的な男優5人の中の一人に必ず入れたい俳優だったと思う。

この時代は俳優が演技を競うような作品が多かったが、同じくモノクロ映画「成功の甘き香り」(1957年製作  監督アレクサンダー・マッケンドリック)などもバート・ランカスター、トニー・カーティスの2大俳優の競演が見どころだった。

この映画の製作された年度(1955年)のアカデミー作品賞は「波止場」が監督賞エリア・カザン、男優主演賞マーロン・ブランド、女優助演賞エバー・マリー・セイントと強かったが、他にもわくわくするような以下のような作品揃いだった。

<12候補: 『波止場』、7候補: 『ケイン号の叛乱』、『喝采』、6候補: 『紅の翼』、『麗しのサブリナ』、『スタア誕生』、5候補: 『掠奪された七人の花嫁』、4候補: 『重役室』、『裏窓』、3候補: 『海底二万哩』、『ブリガドーン』、『グレン・ミラー物語』、『ショウほど素敵な商売はない』、『愛の泉』、2候補: 『裸足の伯爵夫人』、『折れた槍』、『カルメン』、『デジレ』、『おかしなおかしな自動車競争』、Jet Carrier、『銀の盃』、『奥様は芳紀十七才』、『地獄門』>

 

(編集子)グレース・ケリーはゲイリー・クーパーとの共演初出演、かの 真昼の決闘 がなんといっても素晴らしかった。飯田君ご指摘の名作リストでは太字にしたものしか見ていない。この中では 裸足の伯爵夫人 が小生の中ではダントツ、だが、ベストスリーをえらぶならほかに ケイン号の反乱 と 波止場、かな。愛好会各位、ひさしぶりに ”飯田リストで選ぶあのころベストスリー”、なんてのはいかが。ご投稿お待ちします。

 

 

 

移民についての議論-横丁老人の感想

ここの所、外国人との共生、についての議論が多い。趨勢として今までの一国主義だけでは国が成り立たなくなりつつあるのは、グローバリゼーションという、いわば我が国から見れば外向きの姿勢が問われるようになった時点から多方面、特に企業戦線において活発な議論が起き、しかるべく対応が試行錯誤を重ねながらそれなりの方向や姿勢が定まりつつある。他方、我が国への外国人の到来、ということが、観光客の範囲から移民(長期滞在をふくめて)、という形をとるようになって新しい挑戦があり、問題課題があらわれつつある。幸か不幸か、形式はともかく実質的には米国企業であった会社に偶然とはいえ籍をおき、サラリーマン人生を全うした関係で、むずかしい議論はさておいて、いわゆるガイジン、との日常の接触を(外国駐在のケースとは根本的にことなる環境で)経験させられた経験にてらしてみて、それなりに感ずることは多々、ある。

その中でも苦労が多かったのは、とにかく、あんた、文化も何も違う国にいることを忘れてもらっちゃ困るぜ、ということだった。この ”違い” は言葉がわかれば解決する、だから日本語の分かる米国仕込みの日本人を派遣すればよかろう、という安直な判断で、米国で教育を受けた日本人(日本で大学卒業後かの地で教育を受けた人)、が何人も送られてきたことがあった。編集子も直属の部下に米国流MBA修行を積んだ、そういう”日本人”を持った(持たされた、という方が率直な感想だが)ことが数回ある。結論から言えば、誰も成功しなかった。確かに言葉はわかる(もちろんだが)のだが、だから日本がわかる、という方程式は全く機能しなかった(小生のマネージメント能力にももちろん問題はあったかもしれないが)。その中の一人が、ある時、(俺たちバナナだからな)と自嘲した。どういう意味だ、と聞いたら、皮は黄色いけど、中身は白い、ということだ、と言ったものだ。

先週、1冊の小説、一つのテレビドラマ、に接する機会があった。といっても新しいものではない。2008年にかかれた大沢在昌の ”冬の狩人”、かたや絶頂期の渡恒彦主演,十津川警部シリーズ、だからやはり2000年代の産物の中から偶然再放送に出会って録画したままになっていた、”九州特急あずさ号事件” である。この二つはいずれも(というか大沢の狩人シリーズはそれが主軸なのだが)東京新宿に跋扈する中国系マフィアとの話だ。内容はともに事件の背景に政財界の黒幕がいてそれが暴かれる、というこの種のドラマの代表みたいのもので、それ自体になにかがあるわけではないのだが、伏線として、自分でも図らずもマフィアにくわわってしまった男に、警察が何とか接触しようとする、という共通するプロットがある。そのとき、この男が口にするのが、”日本の警察は中国人でも守ってくれるのか” という疑問、だった、といいうのが引っかかった。日本語には不自由はしないが、も一つ、日本の社会構造が理解できないし、信用できない、ということなのだろう。

いま、外国人特に中国や東南アジア系の滞在者が絡む犯罪が多発している。これにどう対応するか、関係者の熟慮断行が期待されるのだが、彼ら外国人の間に起きている、日本国のシステム慣行やへの不安、というものも大きな課題なのではないか、と思ったことだった。

本論とは全く関係ない別の話だが、先に ”枯葉色グッドバイ” という佳作について書いた。このシリーズの主人公がもつ雰囲気が小生のイメージするハードボイルド、なのだが、上記した大沢の狩人シリーズの主人公についても同じような親近感を持った。肩の凝らない一冊、としてお勧めする次第。脇道、ご容赦。

(44 安田)

僕は、英語(米語)を日本語とともに”must”な日常コミュニケーションの手段として、67歳の退職時まで36年間使用せざるを得なかった米国会社に籍を置き、長年経営に携わりました。大卒後は6年間、まず日本の会社に勤務。在籍最後の2年間は香港現地法人の責任者として現地香港中国人社員と取引相手(香港+東南アジア)とは英語で(中国語は出来ないため)コミュ二ケーションということになりました。

この経験から、日本語のわかる米国人社員とさらに米国で教育をうけた(留学経験がある、MBA経験者含む)英語が出来ると目された日本人社員の能力と仕事の成否については、ジャイさんと全く同じ苦い経験をしました。英語が喋れない・読み書きできないことには話にならないということで、その視点から選抜・採用せざるを得なかった。ところが、彼らが日本と深遠な日本語を理解・駆使し、仕事に役立った(成功した)かというと、期待が大きかった分、裏切られたケースがほとんどでした。
英語のコミュニケーション能力を測るテストにTOEIC(トイック)やTOEFL(トッフル)があります。国際人として世界を相手にコミュニケーションを執るにはTOEIC・TOFELの高得点をあげる英語能力が備わっている方が有利でしょう。だが、コミュニケーション手段としての英語能力よりもっと重要なのは、言語能力そのものより、もっと本質的・根源的な人間力・理解力・表現力を含むその人の内容・考えそのものだと考えます。表面的な英語能力に優れていても、日本の会社では誰も成功しなかった、と仰るジャイさんのご経験と回想は大変良く理解できます。英語が出来ることは必要十分条件ではないのではありません。

 

 

 

上野東照宮の花    (普通部OB 船津於菟彦)

毎年、この時期になると上野東照宮の冬牡丹を撮影に伺っております。つづれ織りのように回遊式に配置された小さな庭園ですが、カメラにレンズを多数持参し、ワンゲルジィサンのように苑内を三回も往復いたしました。大変疲れました。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉は、美人を形容する言葉として知られていますが、元々は生薬の用い方をたとえたものです。漢方薬は数種類の生薬を混合し煎じたものであり、それぞれの生薬は特有の薬効を有しており、症状に応じて適したものを用います。「春の牡丹」苑には芍薬も並びますが、冬は牡丹のみです。

• 「立てば芍薬」は、イライラして気が立っているときに芍薬がよく効くこと。
• 「座れば牡丹」は、血の巡りが悪く、動きが鈍くなったときに牡丹皮(牡丹の根の皮)が有効であること。
• 「歩く姿は百合の花」は、心身のバランスを崩してふらつく状態(心身症)を表していると言われています。

牡丹と芍薬の違いは分かりにくいですが、どちらも花言葉は恥じらい、はにかみ、慎ましさなど、王者の風格、富貴、恥じらいなどと同じです。春に咲くのが芍薬です。花は殆ど似ていますが葉っぱで見分けます。
いずれにしても王者の風格を漂わせていますが、薔薇のように華やかに咲き誇るのではなく、菰の陰に控えめに佇む姿に、どこか「恥じらい」を感じさせます。冬牡丹は、この菰被りが何とも言えない風情を醸し出しています。

寛永寺の五重塔は、蝋梅や三つ叉と共に風情を高めています。寛永寺は、寛永二年(1625年)に慈眼大師天海大僧正によって創建されました。徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受けた天海大僧正は、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立しました。寛永寺の境内地は、最盛期には現在の上野公園を中心に約三十万五千坪に及び、さらにその他に大名並みの約一万二千石の寺領を有していました。現在は五重塔が動物園の中にあります。戊辰戦争で焼失を免れた清水観音堂、輪王寺門跡御本坊表門、徳川将軍霊廟勅額門などが重要文化財に指定され、往時の雰囲気をしのぶことができます。上野東照宮は家康を奉る神社で、現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したものです。慶応2年(1866年)に回廊が焼失する火災に遭ったものの、上野戦争や関東大震災、第二次世界大戦でも奇跡的に焼失を免れています。上野戦争では旧幕府軍の本陣が上野東照宮境内に置かれたにもかかわらず、焼き討ちや打ち壊しに遭うことなく、関東大震災では鳥居すら倒れず、東京大空襲では焼夷弾を社殿脇に被るものの不発弾であったために倒壊を免れています。そのため、強運の神様として、また家康を祭神としていることから、出世、勝利、健康長寿の神様として信仰されています。その手前に雨のが牡丹苑があります。

人老いて幼なに還る寒牡丹 福田蓼汀
冬牡丹きりきり生きることの愚よ 鈴木真砂女
君がために冬牡丹かく祝哉 正岡子規
囲はれておのれを尽す寒牡丹 佐藤信子
天地の色なほありて寒牡丹 高浜虚子
寒牡丹白光たぐひなかりけり 水原秋櫻子
晴るる日も影をくづさず寒牡丹 鷲谷七菜子


 

エーガ愛好会 (353) グラディエータ    (普通部OB 菅原勲)

久し振りに映画を見た。それは、2001年のアカデミー賞作品賞を獲得した、英国のリドリー・スコットが監督した「グラディエーター」だ。

話しの筋は、以下の如く、極めて単純そのものだ。リチャード・ハリス演ずる古代ローマの皇帝アウレリウスは、ゲルマン族を打破するなどの功績でラッセル・クロウ演ずる将軍マキシマスに次の皇帝の座を譲ろうと考えていた。これを知ったホアキン・フェニックス演ずる野心家の王子コモドゥスは父を絞殺して王座を奪い、マキシマスに死刑を宣告。マキシマスは故郷(どうやら当時のスペインらしい)へ逃れるが、コモドゥスの手下に妻子を殺されてしまう。絶望の中、奴隷に身を落としたマキシマスは、やがて剣闘士(グラディエーター)として名を上げ、闘技場で死闘を繰り返しながらコモドゥスへの復讐を誓い、最後は見事にコモドゥスを刺殺し、自らも息絶える(小生、未だに何が原因でマキシマスが死んだのか良く分からない)。

従って、一言で言ってしまえば活劇なのだ。そして、製作費は103億円も掛かっているらしいが、金を掛けたからと言って面白い映画が作れるとは限らない。また、物量で圧倒しようってんだろうが、そうは問屋が卸さない。

小生、へそ曲がりなもんで、寡黙な主役を演じたラッセル・クロウ(これでアカデミー賞男子主演賞を獲得)よりも、その敵役を演じたホアキン・フェニックスが大変気に入った、確かに少々クサイ演技もあるにせよ。最初から最後まで憎たらしさが横溢していたのは見事だった。

しかし、リドリー・スコットにせよ、ラッセル・クロウにせよ、はたまたホアキン・フェニックスにせよ、小生にとって、これが初めての出会いだ。つまり、小生の映画鑑賞は、1950/60年代が中心であり、近頃の映画は殆ど見ていないことになる。

ローマ時代を描いている映画として、例えば、 リチャード・バートンの「聖衣」(1953年)、チャールトン・ヘストンの「ベンハー」(1959年)、カーク・ダグラスの「スパルタカス」(1960年)などがある。確か、「聖衣」は、横広がりになっているシネマスコープの第一作だったのではないだろうか。これらもみんな1950/60年代の映画だ。

アカデミー賞の作品賞と言っても、最近、小生が見た例で言えば、2018年の「シェイプ・オブ・ウォーター」がある。こんな駄作、愚作にアカデミー賞が授与されるなんてアカデミー賞の質が益々劣化して行く。この「グラディエーター」もご多分に漏れずその範疇を逸脱することはない。これで、小生、愈々、アカデミー賞なんて信用できなくなって来た。この興行の成功に味を占めて、「グラディエーター2」が作られたらしいが、この二番煎じであるならば、見る必要はないだろう。

最後に全くの蛇足だが、製作国は米国となっている。しかし、監督のスコットは英国、男子主演のクロウはニュージーランド、男子助演のフェニックスはプエルトリコ、女子助演(コモドゥスの姉役)のコニー・ニールセンはデンマークと言った具合に、主なところは米国以外の俳優によって占められている。

(編集子)率直に言って、スガチュー、よく見る気になったな! という感じである。小生、文中にある ”聖衣”、シネマスコープ第一号、を普通部の2年生の時だったと思うが、全学年の課外授業に映画見学、というのがあって、確か日比谷映画で見た。話がよくわからないまま、なんだか薄気味悪い映画だなあ、と思ったものだが、その後、今度は ”クオヴァディス” でこの種のスペクタクルがすっかり嫌いになった。よせばよかったのだが(これは大学になっての話)とどめに題名も忘れてしまったがカルタゴの戦いをどろどろしく描いたやつを、空き時間に5,6人で見に行って、辟易してしまい、以後、スガチューがあげている作品をふくめ、”ギリシャローマ時代プラスキリスト教がらみスペクタクル” は一切見ていない。なんせ、しつこいんだ、どれも。やっぱり万物、死んだら神になる、という我が国伝来の単純な信仰のほうががよろしいようで。