企業合併の裏側で      (高校時代友人 山川陽一)

プロローグ

1983年4月1日、横河北辰電機株式会社が誕生しました(合併3年後横河電機株式会社に社名変更)。 遡ること1年前のあの日、横河電機製作所の情報システム責任者だった私は社長室に呼ばれていました。その席で社長から告げられた言葉は今でも鮮明に覚えています。  「1年後に北辰電機と合併することになった。合併調印の日に新会社としてのシステムが動くよう準備してほしい。ただし発表の日まで口外は一切厳禁、寝言を云ってもダメだ。北辰の責任者にも同じことを伝えておく」と。

 

一点集中

発表の日までの半年間、部下に何もしゃべらないでどんな準備ができるというのだろう。しかも、失敗は絶対許されない。わが人生最大のピンチでした。

どんなに素晴らしいシステムができても、合併のその日に間に合わなければ零点だ。限られた日程、限られた戦力の中で何をどうするのか。私が立てた戦略は、お客様と直接関連するオーダー処理システムだけは完全なものにして合併の日を迎える、他のシステムはとりあえず応急手当だけで済ませるというものでした。今思い返しも、これが唯一最善の選択だったと思います。 

新オーダー処理システムCOSMOSの開発

私たちにとって幸いしたのはこの時たまたまオーダー処理システムの再開発にとりかかっていたことでした。新システムの名称はCOSMOS。「これを新会社用のスペックに置き変えよう、今なら間に合う! 」そう考えました。

COSMOSは、サテライトに分散配置したHPの新型コンピュータHP3000と本社のホストコンピュータIBMをネットでつなぐ集中分散型のシステムで、受注、工場手配、進捗、完成、出荷、売上集計までを統合的にカバーする、多くの新しいアイディアを織り込んだ新会社にふさわしい内容のものでした。 

合併に先立ってカットオーバー

合併に先立つ1982年11月、当初の計画より半年も前倒してCOSMOSのカットオーバーを強行しました。未熟児を帝王切開して出産させるようなものですから、当然バグだらけ、戦場のような騒ぎになりました。なぜこんなバカなことをしたのか。その理由は、合併に泥を塗るようなことはできない、事前に本番環境で可能な限りバグをつぶして合併の日を迎えたいという一念からでした。 

救世主だったPRIDE

心配しなかったと言えばウソになります。ただ、そんな大騒ぎの中でも慌てなかったのは、「このシステムは新しく導入したシステム開発手法PRIDEのコンセプトと手順に従ってしっかり作りこんできている、バグさえ収まれば必ず機能する」と確信していたからです。 PRIDEが危機を救ってくれたと言っても過言ではありません。

エピローグ

あの1年間、徹夜、徹夜の連続で担当者のがんばりは想像を絶するものがありました。私自身も1日の休みもない365日でした。今の時代だったら、パワハラで訴えられてもおかしくない日々でしたが、苦言の一言もなかったのは、これを乗り越えたら必ず明るい明日があると信じられたからでしょう。会社の命運がかかった難関を一致団結ワンチームで乗り越えたこの経験は人生の大きな財産です。今後どんなに苦しい場面に遭遇しても、これ以上の事はそうそうないでしょう。

(参照) 「私の履歴書」1996年9月1日から29回わたり日本経済新聞に連載記事より

「日本の横河から世界の横河へ。トップランナーハネウエルと世界で対等に戦える会社にしたい、そのためには北辰との合併しかない。」 これが横河電機中興の祖と言われる社長横河正三が描いた大構想だった。

1963年ヒューレットパッカード社との合弁でYHPを設立し社長に就任、1974年横河に社長として復帰する。世界のトップ企業と付き合い世界市場で戦う中で芽生え育っていった構想が1983年の合併で結実する。われわれにとっては寝耳に水、突然の合併劇も、社長横河正三の中では長い道のりを経てたどり着いた産物であった。

(編集子)編集子と山川の付き合いは慶応高校時代にさかのぼるが、まったくの偶然で就職先が同じ横河電機だったうえ、自宅が同じ住宅地で5分とかからない隣人でもあった。小生は就職時点では思いもよらなかったことにコンピュータとの縁ができたのだが、合弁会社設立と同時に新会社で現在の用語でいえばIT,当時はEDPと呼んだ部署の責任者になって、縁は深まる一方だった。60年代からコンピュータ事業をはじめ、計測という専門分野での展開には一応の成功をおさめたHPが汎用(という区分自体、現在は無意味なのだが)に手を広げた。当時はIBMをはじめとするビッグビジネスの独壇場であり、日本ではそのIBMでさえ苦戦を強いられる電機大手との激戦を展開していたので、’(まさか日本には進出しないだろう)という予想を覆して日本に進出、その営業を任されたのが自分であった。

その後の苦戦、というより勝ち戦のつづく会社でただ一つ、お荷物扱いされるなかの生き残りのための死闘、については今更いうこともないが、親会社の横河電機が大手メーカーとの合併という大展開にあたってHP製品を選択してくれたのは本稿で山川も書いているが当時の横河正三社長の英断であったことはいうまでもない。しかも選定してくれたのが当時のHP製品群の中でも最大型機だったうえ、それもいわばまとめ買い、というべきもので、関係者一同の感激は大変なものだった。その先方のシステム担当が山川、というこれもまた入社時点から人事労政のプロを目指していた本人も驚く展開、というかめぐりあわせであった。彼が主導したCOSMOSについていえば、今では当たり前の受注から生産までの統合システム、というアイデアはどこでも考えていたアイデアだったが、実現となると障壁が大きかった。。この実現に寄与したのがHPが唱えていた(というかIBMに対抗できるいわば弱者の戦術だったのだが)コンピュータリソースの分散配置(Distributed Data Processsing、DDP)ということで、現代のIT社会は文字通りこのコンセプトで成り立っていることを考えればまさに時代を見通した卓見だった、といえるのではないか。

HPでは自社のシステムをすべてこのDDP方式に入れ替え、大型機を排除して(システムが完成した日、それまで使っていたIBMの超大型機のスイッチをオフする、その儀式?は大々的なものだった)作り上げた受注から生産までの一貫システムをHEARTと名付けた。文字通り経営の心臓、という含みである。ヤマの命名がどういう意図だったのかは聞いていないが、HEARTを超える、はるかに気宇壮大なものを目指していたのだろう。

 

 

 

エーガ愛好会 (334)真昼の死闘   (34 小泉幾多郎)

 原題名シスターサラのための二頭の騾馬。ハイヌーンの「真昼の決闘」にあやかって、「真昼の死闘」と邦題にしたようだが、内容は死闘らしきものは最後だけ、それも真昼でなく夜。内容に全然そぐわない。シスターサラは、シャーリー・マクレーンが扮し、いつも騾馬に乗っているが、もう一頭は、muleには片意地者とか頑固者という意味もあり、一緒に冒険旅行を楽しむクリント・イーストウッドのことを指すらしい。

 冒頭、朝日の輝く峰をイーストウッドが馬に乗り歩いていると聞き覚えのメロディが奏でられる、エンニオ・モリコーネの音楽だ。舞台はフランス占領下のメキシコだからマカロニウエスタンと見間違ってしまってもおかしくない。クレジットが始まると先ずはシャーリー・マクレーンから。当時イーストウッドはマカロニウエスタン三部作で、名を上げ、凱旋して2作目、演技の実績も名声もマクレーンのキャリアに遠く及ばなかった。キャリアを経てからメリル・ストリープと共演したりしたが、この頃に大女優になりつつあったマクレーンと共演して、何かを得ようとした気持ちは認めてやっても良いのでは?流石にマクレーンは、キュートなところもあり、売笑婦ながらも修道女に化け、しかもメキシコ革命軍に裏で協力する役柄を楽しくこなしており、革命軍と協力し金儲けを狙う風来坊のイーストウッド、格好は良いが、食われてしまったようだ。

 最初に、悪玉3人に襲われていたマクレーンをイーストウッドが救ったことから二人のバディ&ロードムービーが始まり、協力しての弓矢の取り除き騒動、鉄橋爆破による列車転覆や要塞の攻略によるダイナマイト爆破等の見せ場はあるのだが、何となく、活劇のハラハラ感がない。どうやら悪逆非道なフランス軍に対するメキシコ革命の必然性の説明が皆無だからではないからでは?

 この映画の監督ドン・シーゲルとイーストウッドの係わりも忘れてはならない。当時まで、B級アクション監督としてかたずけられてきたドン・シーゲルとマカロニ・ウエスタンの荒くれスターとしてのみ固定されていたイーストウッドの出会いは「マンハッタン無宿1968」で、西部劇では、この映画で。B級アクションから二人は「白い肌の異常な夜1971」「ダーティハリー1971」の野心作へ発展、さらに二人の友情は、イーストウッドの第1回監督作品「恐怖のメロディ1971」に付き合うまでに至り、その後のイーストウッドの偉大なる監督作品に多大なる影響を与えた。

NHKドキュメンタリに思う  (42 下村祥介)

 皆さんもご覧になっているかと思いますが、私はNHKのドキュメンタリー番組をよく見ています。
7/28(月) 映像の世紀(特別編)「ヨーロッパ2077日の地獄 独ソ戦の悲劇」
 これは第2次大戦をはさんでの2度にわたるウクライナ住民の悲劇を報じたもの。戦争初期にはソ連に支配下にあったウクライナ。ナチが圧倒的な勢いでウクライナに侵攻、退却を余儀なくされたソ連軍が、町の資産を利用されぬようあらゆる建物に弾薬を仕掛け、焼き尽くして去っていった。
 町を破壊されたウクライナ市民、ナチによりソ連の抑圧から解放されたと一時は喜んだが、その後勢力を盛り返したソ連が再びウクライナに侵攻、ナチの劣勢が極まるとナチもまたウクライナ撤収にあたって町に火をつけ撤退していった。
 戦争となると市民・住民などアリなどとまったく同じ。人でありながらその命など見向きもされないという、強国に挟まれた小国の悲劇が生々しいほど伝わった。
7/29(火) 世界のドキュメンタリ「翻弄された子どもたち 欧州大戦孤児のその後」
 これは大戦末期・直後にユダヤ人、ポーランド人、ドイツ人の赤ちゃんや子どもたちが大量にソ連やフランスに拉致され、自国民といて教育されたという悲劇の物語である。
 戦争で数多くの戦死者をだしたソ連やフランスは自国再建のためにとにかく若い人が欲しかった。ドイツでソ連占領下にあった地域ではユダヤ人、ポーランド人、ドイツ人などの赤ちゃんや戦災孤児が何万人とソ連に連れ去られ、思想教育がなされた(今回のウクライナ東部の子ども収奪と同じ?)。
 戦後はフランスもドイツ人の戦災孤児やドイツ人女性との間で生まれた赤ちゃん(丈夫で元気な子だけ)を大量に自国に移籍し、フランス国籍を与え自国民教育をおこなった。

 実の両親は戦死し、すでに養父母に育てられつつあった幼児なども強制的にフランスに引き取られた。里親にようやく慣れ、里親の方も実子のようにかわいがって育てていた里子が強制的に国によって引き離されるというこれまた大変な悲劇である。 戦争は勝ったとしても失うものの方がはるかに多く、その代償はあまりにも大きい。

(編集子)欧州での戦争が話題になるたびに思うのだが、現在悲惨な戦いを繰り返している国々は、かつてはローマ帝国の一部であり、そのあとに続いたいくつかの、例えば神聖ドイツ帝国であれハプスブルク王朝であれ、人種民族を超えて団結したはずなのに、いつもその壁を越えられず、離合集散とそのたびに悲惨な戦争を飽きもせずに繰り返してきた。ようやくEUという形のまとまりができた、と思えば今やその意義が疑われるような状態になっているのは、第三世界、と言われる、要はヨーロッパ倶楽部にいれてもらえない国々からの圧力によって混乱におちいりつつある。 ”歴史の終わり” が来た、とバラ色の夢が実現したのに、その自由世界の実現をリードしたはずのアメリカの混乱がそれをひっくり返した。 ”グローバリゼーション” も結局はその混乱を惹起してしまうことに終わった(終わりつつある)ようだ。
大陸文化の恩恵を受けて発展しながら、なお、(結果として)大陸の混乱から距離を持つがゆえに(自分で意識もしないのに)いわば島国の栄光を保っている日本という国は人類史の中の特異点なのだろうか。そういえば、先日、読売新聞はニュージーランドという国の特殊性について好意的な記事を掲載していた。同じ島国である、というほかにも毅然として独歩の道を行き、隣のオーストラリアがいわば無限の資源にめぐまれているのに日本と同じくらいの資源小国であり、はたまた地震のある国、という意味でも親近感を覚える国だ。こういう連中ばかりだと世の中平和でいられるんじゃなかろうか。オーストラリアには何回か行ったがこの国は訪れたことがない。最近の体調ではもう行くこともないだろう。イギリスもドイツも小旅行はいったがフランスだけは意図的に行っていない。なんとなく気に入らない、というだけの例によって意固地なだけだが、それでも、ノルマンディはオマハビーチ、だけは行ってみたかった。

エーガ愛好会 (333)ヘプバーンの佳作2本  (学生時代クラスメート 飯田武昭)

映画「緑の館」

映画「緑の館(Green Manshons)」(1959年)はウイリアム・ハドソンの恋愛小説を映画化した作品。主演はオードリー・ヘップバーン、アンソニー・パーキンスで、監督は当時、ヘップバーンの夫だったメル・ファーラー。助演に、リー・J・コッブ、早川雪洲。

物語は南米ベネゼイラの反乱軍から逃れてアマゾンの原始林に迷い込んだ青年(A・パーキンス)が、先住民に捕らえられて処刑寸前で族の酋長(早川雪洲)に一命を助けられたが、原始林に現れる不気味な妖精か魔女を処罰する任務を受けて原始林に入り込むが、動植物と触れ合う内に妖精(A・ヘップバーン)とも出会う。妖精は仲の悪い祖父(リー・J・コッブ)と暮らしているが次第に過去の悲惨な住民闘争の事実が明かされ、青年は妖精に恋心を抱くようになる。一方、先住民は青年が戻って来ないことに痺れを切らし、原始林を捜索し妖精を大木の上に追い上げ、下から火をつけて大木ごと焼き殺してしまう。青年は先住民に事情を説明し、原始林の先の光の差し込む丘に立つ妖精の元へ駆けあがり抱き合うのであった。

 

映画「噂の二人」

映画「噂の二人(The Loudest Whisper)」(1961年モノクロ) リリアン・ヘルマンの戯曲「子供の時間」(1930年代)を映画化した作品。主演はオードリー・ヘップバーン、シャーリー・マクレーン、ジェームス・ガーナー。製作監督は「ローマの休日」のウイリアム・ワイラー。

物語は全寮制の女子中学校で女教師二人(カレンとマーサ)に虐められていると誤解した一人の意地悪い女生徒が、苦し紛れに大嘘をつく。それを丸のみで信じた女性の校長が学生たちを親に引き取らせ、その噂が街中に広がってしまう。カレンと婚約している若い男性医師(ジョー)は、二人の側に付き、噂の払しょくに腐心するが、最早手遅れの事態となり、やがてカレンは実はマーサを本当に好きだったと告白する事態に発展する。挙句の果てはカレンは精神を病んで自殺してしまう結末はあまりにも惨い。

この映画の見所は、当時、人気絶頂の2大女優オードリー・ヘップバーンとシャーリー・マクレーンの迫真の演技であろう。多くは室内でのドラマ仕立てのストーリー展開で2大女優と助演者たちの名演技で物語を引っ張る力は、流石に名匠ウイリアム・ワーラーだと思う。結末までのストーリー展開に疑問を持つ人もいるかも知れないが、舞台ドラマを観る感覚で、俳優の演技を主体に、人物の配置やカメラワークを楽しむ積りならお勧めのサスペンス感を煽るシリアス・ドラマだと思う。個人的な見解だが、この映画でも私の贔屓のシャーリー・マクレーンの演技力は、オードリー・ヘップバーンを圧倒している。彼女は悲劇・喜劇を問わずオールラウンドに名演技が出来て、ダンスも踊れる最もチャーミングな女優だった。

監督ウイリアム・ワイラーは「ローマの休日」(1953年)の後、A.ヘップバーンをこの映画で使い、その後に「おしゃれ泥棒」(1966年)でもヘップバーンを3回目の主役に使っている。ワイラー監督は他にも「ミニヴァー夫人」「大いなる西部」「ベンハー」など、数々の名作を残しているが、この映画はワイラー監督の「必死の逃亡者」(1965年モノクロ)と似たような屋内でのドラマの緊迫感を醸し出す設定になっている。「必死の逃亡者」は、とある閑静な住宅街の平和な幸福な家族の家に、3人の強盗が侵入し、家族とのやり取りの緊迫感が漲るストーリー展開。幸せな家族の夫婦をフレドリック・マーチ、マーサ・スコットが演じ、3人の強盗はハンフリー・ボガート、ロバート・ミドルトン、デューイ・マーティン。保安官役にアーサー・ケネディ、ギグ・ヤングも出ている。こちらも俳優の名演技、舞台設定でモノクロ映像が生きている映画の典型だと思う。

(金藤)ヘップバーンの出演映画に「マイヤーリング」1957 原作 「うたかたの恋」があったのも最近知りました。オーストリアの皇太子役は、当時、ヘップバーンの夫だったメルファーラーが演じてるのですね!メルファーラーはミュージカル「リリー」で知りましたが、皇太子役?と思いますがいかがでしょう?

(飯田)ヘップバーン&メル・ファーラーの「マイヤーリング」(1957年)は残念ながら観ていません。この映画は元々、アメリカのテレビ映画として製作。放送された作品と承知しています。
小説「マイヤーリング(Mayerling)」を映画化したフランス映画(邦題)「うたかたの恋(Mayerling)」(1936年製作)は日本公開は1946年頃ですが、シャルル・ボワイエ、ダニエル・ダリューという当時の人気俳優二人が主演で日本でも大ヒットした作品です。こちらは一見の価値があります。

映画「リリー」は、このコーナーで私が時々話題に挙げる作品(小品)ですが、物語はフランスの片田舎の街で、孤児の娘(レスリー・キャロン)が生きることも儘ならない心境で歩いている間に、親切な人、意地悪な人などに出会う内に、人形劇の小屋に出会い、その人形遣い(メル・ファーラー)が、次第に孤児の娘に恋心を抱くストーリーです。人形使いは顔を出さずに、幕の後で人形を操りセリフを語るという設定ですので、娘は人形使いの顔を最後まで知らずに話しかける会話で物語は進行します。メルヘンチックな映画の典型みたいな作品で、挿入歌「ハイ、リリー、ハイロー」は好きなメロディーです。

*********************************

マイヤーリンク (Mayering)事件

ルドルフ・フランツ・カール・ヨーゼフ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンドイツ語Rudolf Franz Karl Joseph von Habsburg-Lothringen1858年8月21日 – 1889年1月30日)は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の子で皇太子ハプスブルク=ロートリンゲン家の世継ぎとして周囲に期待されたが、父帝との反目や政治的対立などから孤立し、男爵令嬢マリー・フォン・ヴェッツェラと謎の死を遂げた(「マイヤーリンク事件英語版」)。その死については、今もなお謎に包まれている。

 

 

 

KWVOB会夏合宿―秋山郷班に参加しました  (41 斉藤孝)

夏の猛暑の中で実施された2025年KWV夏合宿でした。その疲れも取れたようです。合宿の記録が完成しましたのでご覧ください。

https://saitotac.jp/YTkwv2025Akikawago.html

 

(夏合宿担当 H3 大内邦彦)ワンデルングは計16班に分かれて行われ、どの班も天気に恵まれて楽しむことができました。総勢124名が参加してBCは大いに盛り上がりました。

癒しの葡萄    (41 斉藤孝)

7月23日の鵠沼は猛暑になり、まるで熱帯雨林のような雰囲気になった。

デラウェアは色づき、ナイヤガラも大きな緑色の房をぶら下げている。「秘密の花園」は「癒しの葡萄」の庭に変わった。その昔、仲間と植え育てた葡萄は苦労し「怒りの葡萄」になったが自家製ワインは美味かった。

「怒りの葡萄」の舞台は、1930年代の貧困に苦しむカリフォルニア。

あれから約百年も過ぎて、クレージートランプが堂々と大統領になれる合衆国。憧れのカリフォルニアは何処かに消えてしまった。小説家スタインベックは嘆いているだろう。 

こんな狭いマンションの庭でも葡萄は生き生きと元気に育ってくれる。一粒摘まむと甘酸っぱい味がした。昔の「怒りの葡萄」の味を懐かしみ、新鮮な「癒しの葡萄」の豊作を祝った。夢のカリフォルニアの味がした。酷暑を耐え抜こう !!

乱読報告ファイル(58) アメリカの新右翼 (井上弘貴)

”トランプを生み出した思想家たち”という副題がついているのに興味を以て読んでみた。副題の言う通り、基本的には米国の社会思想家の紹介なのだが、結果として米国にとどまらず、西欧諸国で起きている民主主義の変革(その具体的な現象が先に菅井君が本稿で書いたポピュリズムへの傾斜というのが著者の意見)の解説、と言っていい論説だ。著者はトランプが在任中にどれだけの変革を持たらずかはともかく、結果としてアメリカの価値観に大きな影響を及ぼすような人々や思想の台頭をもたらし、それによって社会や政治の中長期的な変容・変質が促されるのではないか、という。そしてその兆候は共和党や右派の側で顕著だが、いわゆるリベラルや左派にもそのような動きがないわけではない、とする。そしてトランプの出現は別として、アメリカがこれまでとは異なるアメリカになることを積極的に求める人たちがその右派の中で主導権を握りつつあって、”ポストリベラル右派”と呼ばれる潮流を作り、その中核にあるのが米国の思想的礎であるはずの古典的自由主義を捨て去るべき時期に来ているとする主張だというのだ。

この本で小生がもっとも興味を覚えたのは、”1619プロジェクト” と呼ぶ運動―バラク・オバマのが関与があったーということだ。アメリカ合衆国の誕生とされる1776年の独立宣言に対して、当時のヴァージニア植民地に30名の黒人奴隷が連れてこられた1619年こそが、現在のアメリカ現在の米国の誕生した年だ、とした論説であって、アメリカの本質は奴隷制を抱え込みながら自由と平等を宣言したその欺瞞にある、というものだった。この本でも書いているが、かの奴隷解放を宣言したリンカーン本人が実は奴隷を多数抱えていた、という事実、建国の父、とされるワシントン以下の指導者たちも奴隷の所有者だった、というのが史実であり、アメリカの本質は黒人たちがこの欺瞞を克服してきたということにある、とするのがこのプロジェクトが主張したことだった。このような歴史観を否定するためにトランプがたちあげたのが1776プロジェクトで、その主張は独立宣言が掲げた自然権が喪失していく過程がアメリカの歴史そのものだ、とする。このプロジェクトはバイデンによって解散させられている。

このことで明らかになるのは、いわば部外者であるわれわれには本質的に理解ないし同調することは難しいが、この現代において今なお人種差別という問題がアメリカにおけるいわば宿痾と呼ぶべき問題として現存している、ということを再認識する。その中にあるのが、より分かりやすく解説すれば、今やヒスパニック人口が白人人口を上回ることが確実となったこの国にとって、白人の持つ危機感というか異文化への嫌悪感が顕在化してきたこそが問題だ、ということだ。そしてそれが現在、ドイツやフランスなどで澎湃として起きている反移民の感覚と全く同じ軌道に乗っている、というゆるぎない事実だ。こうしたいわば大衆が持つ白人および白人文化の衰退への危機感が、現在の民主主義の在り方に不満を募らせているのが、アメリカだけでなく西欧諸国を包含した、漠然という民主主義に対する不安感なのだ。

アメリカにおいては、バラクによって推進された政治が、結果として平等という観念がいわば絶対的善とされ、それに逆らうことを拒否するポリティカルコレクトネス、という論理が生みだした、ある種の閉塞状況に陥ってしまい、結果としてそもそも改革を主導すべきリベラルがいまや改革に抵抗する保守となってしまった。今や逆に保守とされてきた勢力が改革を叫ぶ、という逆転状態にあるのがアメリカ、そして多分、ヨーロッパの一部であるのだ、と著者はいう。

この本を一応読み終えて感じるのは、トランプ現象がどうやら大金持ちの変人とユダヤ資本に支えられたIT富豪による権力の収奪ではなく、むしろ、民主主義各国がいままで糊塗してきた白人第一思想の問題点の顕在化、ともいえるのではないか、という感覚を持った。四方を海に守られ、宗教の束縛を感じず、多民族とのせめぎあいも少ない我が国にあってはこんな風潮に惑わされず、グローバリゼーションなどという見掛け倒しに踊らされ続ける ”出羽守”インテリに踊らされず、敵何万ありともわが道をいく気概を持ちたいものだ。

エーガ愛好会 (332) 大いなる決闘  (34 小泉幾多郎)

一時は、ジョン・フォード後継者とまで言われ、西部劇の秀作を手懸けたアンドリュー・V・マクラグレン監督の最後の西部劇作品。

映画は1909年アリゾナ地区刑務所の強制労働に従事していたうちの7名が脱走に成功するところから始まる。その主犯が、ジェームズ・コバーン扮するザック・プロボで、ナバホ・インディアンと白人の混血、列車強盗の常習犯で、今は引退しているが、保安官時代のチャールトン・ヘストン扮するサム・バーゲードに逮捕され、その際に妻を殺されたことから復讐の鬼となり、脱走の機会を待っていたが、遂にその機会が、やって来たのだった。このザック・ブロボ率いる6名うちリーロイ・タッカーだけ殺され、ギャント、ウイード、シラーズ、マイク、メンデスの5名が、最後までザック・ブロボと共に、ヘストン扮するサム・バーゲードと戦うことになる。当然プロボ以外の脱走者たちは、プロボのパーゲードに対する復讐心のかけらもないが、賞金が埋めてあり、一人当たり4000ドル入手に釣られ協力する。

今は引退して、娘スーザン(バーバラ・ハーシー)と住んでいるバーゲードは後任のノエル・メイ保安官(マイケル・パークス)から、プロボ一行が列車で、やって来ることを知り、当然プロボは自分を狙うと確信し、メイと共に輸送車に乗り、金貨の輸送情報を流し、罠を仕掛けるが、ブロボはバーゲードの作戦を看破し、彼の自宅へ乗り込み、スーザンを誘拐する。事情を知ったバーゲードは、メイ保安官一行と農業従事者で頼りにならないが、スーザンの恋人で、恋人を助けたい一心のハル(クリストファー・ミッチャム)と追うことになる。ブロボたちは、先住民居留地に向かい、先住民の協力も得て、バーゲードたちを迎え撃つ。先住民居留地での捜査権を持たないメイ保安官たちは、引き上げてしまい、バーゲードとハルだけとブロボ一行との山上での戦いとなる。戦いは壮絶な撃ち合いになるが、2対6と人数的に劣勢のバーゲード側は、芝に火をつけたりして、相手を倒して行く。ブロボは、バーゲードをおびき寄せるためギャントとリーに、スーザンをレイプさせる。このレイプシーンが、西部劇にあるまじき醜悪なもので、おまけにブロボの策略に屈しないためには止めに入れない状況にあるということからなすがまま。最終的には、バーゲードとブロボとの戦い、助け出したスーザンに気をとられたバーゲードはブロボに全身を撃たれるも、とどめを刺そうと近ずくブロボは、バーゲードの近距離からの左手の拳銃に撃たれ谷底に転落してしまう。満身創痍となったバーゲードにスーザンとハルが駆け寄って手当てをする。

引退した保安官と復讐に燃える男という怨念に燃える宿命の対決は、白熱の銃撃戦の果てにクライマックスの決闘へと正統西部劇の様相を呈するが、レイプシーンも含め血生臭く、叙情味に欠け、寂寞感だけが残る。舞台が20世紀初頭の馬の役割が終えようとしていた時代で、製作時の1970年代のアメリカン・ニューシネマの影響もあったかも知れない。

(編集子)小生にとって、マクラグレンとはどこまでいってもフォード騎兵隊ものの常連だった父親のほうであり、ヘストンは 大いなる西部 の頑固者であり、コバーンは出世作、荒野の七人 の口数少ない凄腕のナイフ使いの役とその最後のナイフが突き刺さるカットが忘れられない。その後いろいろな作品を見たが、これに勝る記憶はない。そのせいか、この作品にはあまり熱がはいらなかった。ドクコイズミ、申し訳ない。