エーガ愛好会 (313) ローンレンジャー   (34 小泉幾多郎)

日本では、1958年から、クレイトン・ムーア主演で愛馬シルバーにまたがり、白のテンガロンハット、黒のマスクをトレードマークに、ハイヨーシルバー!の掛け声とともに、ウイリアムテル序曲に乗って活躍した姿が放映されたが「白人嘘つき。インディアン嘘つかない」等のセリフを思い出す。映画化も5度目とのこと。

しかしこの2013年制作の映画は最低の映画を表彰するという34回(2014年)ラジー賞(ゴールデンラズベリー賞)のリメイク・続編・盗作賞を受賞、作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞を何れもノミネートされている。主演にジョニーデップ、監督ゴア・バービンスキーで、ジュリー・ブラッカイマーが製作した「パイレーツ・オブ・カビリアン」3部作を、其の侭西部劇に落とし込めた作品と言えるが、そのわくわく感とドタバタ感が楽しめた。ということで、ラジー賞受賞にも拘らず期待以上の作品だったことは間違いない。

物語は、サンフランシスコの遊園地で、The Noble Savage in his Natural
Habitatと銘記されたトント(ジョニー・デップ)の銅像が、客の少年に話を聞かせることから始まる。その後過去に遡り、テキサス州コルビーに向かう列車で護送される極悪人ブッチ・キャベンディッシュ(ウイリアム・フィクナー)と一緒に鎖に付けられたトント、法律を学び西部に戻ってきたジョン・リード(アーミー・ハマー)との列車を使ったアイデア満載のアクションシーンが最初の見せ場。キャベンディッシュには逃げられ、ジョンとトントはコルビーへ。ジョンの兄ダン・リード(ジェームス・バッジデール)とその仲間のテキサス・レンジャーズと共にキャベンディッシュを追うが、その連中に待ち伏せされ、一行は全滅。兄の妻レベッカ・リード(ルース・ウイルソン)と息子ダニーまで捕われてしまう。このテキサス・レンジャーが追跡するモニュメントバレーの岩山の群群に溶け合うレンジャーズの面々が噛み合う景観が美しい。

中間では、やや中弛みの感じもしたが、西部劇に求められる渓谷での激突、騎兵隊とコマンチとの戦い、特に前半と後半の列車でのアクションシーンは実に迫力があった。ジョンが馬に乗って屋根から列車へジャンプ。トンネルすれすれに馬で走る、レベッカが下に落とされると其処に馬が。梯子をつかって列車に飛び乗る。鐡道橋を爆破、連結をはずして谷に列車を落とす等々。しかしアクション場面での迫力は感じたものの、もっと奥行きを考えてみると、スッキリしない面も感じた

主人公ジョンは当初、相手を直接殺すことに躊躇していたが、徐々に、法を守るから、直接殺す方向へ。トントは、どうやら過去に、白人とコマンチとの経緯から、コマンチに対し弱みを持っているようだが、この辺スッキリしない。また相変わらず、騎兵隊と先住民とのスッキリしない関係というか、先住民寄留地に平気で鉄道を敷こうという傍若無人さを画面で見ると、そういう時代を経て来たのだということが判る

(編集子)曜日まで覚えていないが、サンセット77、拳銃銃無宿、ライフルマン、ララミー牧場、ペリーメイスン、コンバット、ローハイド、などなどに午後8時になればV9継続中のジャイアンツ。いい時代にテレビ全盛を迎えたものだった。付け加えれば巨人戦中継は ”解説 中澤不二雄、実況越智正典” と決まっていたものだ。そういう時代

 

のレギュラー番組の一つが ”ウイリアム・テル序曲にのったローンレンジャー”、の話だ。歳月、人を待たず。

ここのところ、テレビはもっぱら、あの頃 プラスワン、位の時代の刑事ドラマに決め打ちしている。すでに境をことにした名優たちの若いころが現代に見えてきて、ふっと気が付いている自分がいる。これが洋画だとそういう感情はわかないのが不思議だ。

 

関西の梅なら岡本梅林    (大学クラスメート 飯田武昭)

厳しかった今冬の寒さから一転して温暖な陽気がここ数日続くので、今日は午後から観梅に出かけました。こちら(阪神間)で近年は観梅と言えば大阪城公園、万博記念公園や自宅近くでは中山観音寺梅林、甲東園梅林等が有名ですが、今日は神戸市東灘区岡本にある「岡本公園梅林」に行きました。

昔は“梅は岡本、桜は吉野、みかん紀ノ國、栗丹波”と言われた時代もあった由ですが、傾斜地の宅地開発かで、昔の梅林は影が薄くなり1980年代から植林を重ねて復活を試みている途上で若い樹木が多くスケール感には欠けますが、気持ちよく鑑賞出来ました。

(菅原)見事なもんじゃないですか。匂いまで漂って来る気配です。私事になりますが、亡くなったカミサンの実家が、一時、岡本にあったので、可なり頻繁に訪ねたことがありますが、こんな見事な梅林があったなんて知りませんでした。眼福の極み。

良く読んだら、植林は1980年代の話しだとか。小生が足繫く通っていたのは、1960/70年代だから、その頃は、話題にも上らないほどの状態だったんでしょう。ちなみに、カミサンの産地は三宮です。そう言えば、当時は、夜行で行って、夜行で帰ってきたな。

(飯田)ご存じのように阪急「岡本」駅とJR「摂津本山」駅は、駅名が全く違うのに、阪神間(大阪―神戸の間)で最も駅と駅の距離が接近していて、徒歩で約7~8分ですが、結構しゃれた店がちらほらあるので散策にも好都合ですね。

 

 

ナンカナイ会(KWV36年卒)春の集まり

長らく同期幹事だった翠川幹夫が敷いたレールに乗って同期会の行事を続けてきたが、厳寒酷暑の外出が難しくなってきつつあるので、今年から新年会を 春の集まりとして3月に、夏の集まりを8月から秋に変更することにし、今回は第一回の 春の集まり を挙行した。

参加人数は18名、夫人2人の合計20人、と相変わらずの出席率を確保した。出席者は 安東夫妻、浅海昭、飯田茂子、遠藤夫士男、深谷勝、大塚文雄、岡秀雄、阪田清、鮫島弘吉郎、高島次郎、高橋良子、田中新弥、鶴岡禎子、中司恭、中司八恵子、深谷勝、堀野達男、前田信雄、吉牟田正稔夫妻。

カメラ担当の鮫島がカメラを忘れてきた。このご時世だからスマホならだれでも代役が務まるのだが、だれもそれじゃーと名乗り出るものなく、はたまた気にせず、ア、ソー、サメだからしやーねーか、で済んだ。このあたりがナンカナイ会の性格というか雰囲気というか、である。

画面に締まりがないので、会場としたレストランの写真を使わせてもらう。これで2回目だが、雰囲気、料理とも全員絶賛。秋もまたご厄介になりそうだ。個人的にも推奨、ギンザの老舗、いい店である。

(44 安田)20名のご参集とは素晴らしい!お元気な方が大勢おられるのは何よりの朗報です。
拝見した写真から察するvenueは風格といい落ち着いた品格あるベージュの色合いといい、まことに米寿一歩手前のご出席の諸先輩方々には相応しい選択だとお見受けいたしました。料理、サービス、雰囲気も太鼓判を押されておられる。
銀座の老舗、しかと建物に刻まれた店名を書き留めました。我々の懇親会にも利用させていただこうかと。皆様方のご健勝なお集まりにまずは 乾杯 ! 次に結構な場所をお知らせ下さり、感謝です。皆様方ますます元気で、くれぐれもご自愛のほどを!

”エルダー兄弟” 見ました  (大学クラスメート 飯田武昭)

「エルダー兄弟」を再見しました。舞台となっているテキサス州クリアウオーターの街を中心に、それぞれのシーンの撮影の長さとキャメラ・アングルが大変良い点が印象に残ります。

始めに出てくるエルダー兄弟の母親ケティの荒野での葬儀のシーンは、結構、長いシーンですが、そこでのセリフも含めて、西部劇でよく見かけるゆったりした荒野での葬儀シーンの典型的な映像の一つと言えます。又、後半に馬主から約5000頭の馬を買い取って移動させる渡河や野営のシーンも、同じく西部劇でよく見るゆたりした典型的なシーンでした。
全編の略、四分の三は4人のエルダー兄弟が母親が手放した牧場のお金が誰かが隠している筈と聞き訪ね、それ以前に殺害された父親を殺した犯人を割り出すことで、ストーリーは進んで行きます。ジョン・ウエインの独特の構えの拳銃とライフルでの銃撃戦は最後の四分の一の部分で十分楽しめる展開になっています。

音楽は小泉さんも述べられているようにベテランのエルマー・バーンスタインで、「荒野の七人」「大脱走」と同様の、抑揚あるリズムとメロディでストーリー展開を盛り上げます。

もう一つ、この映画の俳優はエルダー兄弟の長男ジョン(ジョン・ウエイン)、次男トム(ディーン・マーチン)、三男マット(アール・ホリマン)がお馴染みの顔ですが、他にも悪人ヘイスティングの息子ディブ(デニス・ホッパー)、
保安官ビリー(ポール・フィックス)、下宿屋の娘メアリー(マーサ・ハイヤー)、ジョージ・ケネディなど懐かしい顔が見られます。特にデニス・ホッパーはジェームス・ディーンの第2作「理由なき反抗」で衝撃デビューをし、「イージー・ライダー」で主役のヒッピーを演じた俳優でした。

(編集子)デニス・ホッパーは西部劇にも助演の形でしばしば見かける顔であった。役どころは決まっていて、このエルダー兄弟でも、あるいは最近再放映されたOK牧場の決闘でも、心ならずも悪役から抜け切れずにいて非業の最後に見舞われる、という難しい役を演じている。フォード一家、でいえばアンディ・ディヴァインというようにキャスティングをみただけで役どころがわかるような、なじみの顔であった。ウイキペディアはその紹介に ”アメリカ俳優映画監督映画プロデューサー芸術家””と書いている。

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クリアウオーターという場所は?ウイキペディアにいわく:

The community was named for the clear waters in the nearby Cypress Creek. White settlers arrived in the 1860s, but the community itself did not appear until the next decade. There was a sawmill, a gin, a store, and a church in the community in the 1930s. Its population was 25 in 1933, which grew to 50 by 1945. The community had a church, a cemetery, and several scattered homes in 1985.[2]

カントリーソングのなかにもこの名前の知られた歌があって、たしかサンズ・オブ・パイオニアーズ のきれいなハーモニーで聞いた記憶がある。ただ、この場合 clear water は普通名詞であって、地名ではないのだが。

 

椿を散らせる雨に名前はあるのかなあ

春の雨には多彩な呼び方があり、花の咲くのを促すということでは催花雨と呼び桜が咲くころに降れば桜雨,杏が咲くことの雨は杏花雨、というそうだ。

朝起きて雨戸を繰ったら夕べの雨は上がっていた。

隣家の椿の花が一輪、落ちていて、その向こうに明るい空がばあっと広がっていた。いい朝だ。

この雨には名前はないのかなあ。

エーガ愛好会 (312) エルダー兄弟 (34 小泉幾多郎)

父親が前年に殺され、今年母親が亡くなり、4人の兄弟が、葬儀に帰って来る。長男ジョン(ジョン・ウエイン)は指折りの無頼のガンマン、次男トム(ディーン・マーティン)はさすらいのギャンブラーで、冷静だがときに熱く、兄とはやや対照的、「リオ・ブラボー」以来の競演。三男バッド(アール・ホリマン)がは、物静かで控え目だが、やるときはやる、末っ子バッド(マイケル・アンダーソンjr)は、大学生で、まともな人間になるという一家の期待を集める。

製作時4人の各年齢順をみると、58,48,37,22歳とジョン・ウエインが末っ子から見れば、父親の歳、しかも肺癌手術後初の映画出演とのこと。それにしては、そういったことを感じさせない出演だった。「赤い河」「黄色いリボン」と言った老け役も見事だったが、高年齢になっても手術後をも感じさせない若々しい姿を見せてくれていた。

冒頭河川に沿って走る蒸気機関車に聴きなれた音楽が伴奏する。音楽はエルマー・バーンステイン、「荒野の七人」や「大脱走」ほどの強烈なテーマはないが、全編に心地よく響く。監督が、ドキュメンタリータッチで男臭い作品なら西部劇、戦争物、スリラー等々何をやらせてもヒットを飛ばすヘンリー・ハサウエイ。ジョン・ウエインとも西部劇「丘の羊飼い1941」「アラスカ魂1960」「勇気ある追跡1969」のほか計数作品を監督し、「勇気ある追跡」ではウエインにアカデミー賞をとらせている。

葬儀に帰る長男ジョンを駅に出迎える3人の兄弟、「真昼の決闘」の親玉を迎える子分3人に似ている。しかしジョンは来ない。実は揉め事を嫌い、丘の上から葬儀を見守っていたという。その後、父親が半年前、殺され、父の牧場は搾取され、モーガン・ヘイスティングス(ジェームズ・グレゴリー)によって銃器製造所にされていたことが、その息子デイヴ(デニス・ホッパー)の証言で判明する。母のことは、生前親しくしていた下宿屋のメアリー・ゴードン(マーサ・ハイヤー)から母ケイティの息子達を愛した生前のやさしさを知らされる。ジョンは世話になったお礼にと父親から贈られ形見の揺り椅子と聖書を進呈する。クローゼットに一着しかなかった形見のドレスはサイズが合わなかったか?このメアリーと兄弟が誰とも恋愛感情が表面化しないのが、腑に落ちなかった。母親の方は、亡くなっているにもかかわらず、あらゆるものに関連づけられるような主役を演じ、揺り椅子の動きが母親のため息にも聞こえるのだった。

ヘイスティングスとエルダー兄弟の戦いは、最初に犠牲者が三男パッド、一時、ビリー・ウイルソン保安官殺害の疑いで、牢獄に入れられたり、次男も末っ子も戦闘不能になり、苦戦するも、ジョンが復讐の鬼となって、ヘイスティングを銃砲店共々爆破し、復讐を果たす。

以上概要だが、久しぶりに肩の凝らない痛快西部劇と言っても良いのだろう。

 

3月10日は東京大空襲のあった日     (普通部OB 船津於菟彦)

東京空襲の一般民間人の被害全体についてみると、東京の区部が被害を受けた空襲は60回を越えます。確認された死者の遺体数は約10万5400人になります。負傷者は約15万人で、罹災者は約300万人、罹災住宅戸数は約70万戸です。焼失面積は約140㎢で、区部の市街地の約50%、区部面積の約25%に当たります。三多摩や伊豆諸島・小笠原を含む東京都全体では、空襲は100回を越えています。東京大空襲は、第二次世界大戦の連合国による植民地・占領地も含む日本空襲の一環です。東京への本格的な空襲は1945年3月10日の下町への大空襲を境に区分されます。
https://tokyo-sensai.net/

東京都慰霊堂は東京都墨田区横網の横網町公園内にある慰霊施設。1930年(昭和5年)に関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂として創建され、1948年(昭和23年)より東京大空襲の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀して、1951年(昭和26年)に現在の姿となりました。東京都の施設ですが、仏教各宗により祭祀されています。震災と戦災の犠牲者16万3000柱を供養し、また毎年3月10日と9月1日に大法要が営まれます。本来は別に東京大空襲で亡くなられた方の慰霊施設を別に作る予定でしたか実現せずでした。

住吉の角にも暫くの間戦争慰霊館を作る計画が出ていましたが何時の間にやら消えましたね。戦争は記憶しなくては成らぬ物が消され行くときもあるのですね。この眼下の錦糸公園では1万8千にもの方が仮埋葬されたと言います。今は約80年の平和が続いて居て間もなく華やかなお花見が開かれ、誰もがそんなことは思ってもいないと思います。

しかし、80年前の未明に僅か2時間の間にこの下町界隈のが紅蓮の方に囲まれ逃げ惑い10万人以上の方が亡くなりました。原爆も凄い悲惨なことですがこの「東京大空襲」は消して忘れてはいけない事と思います。

錦糸公園は戦時中は空襲からの避難所としての役割や戦災で命を落とした人たちの仮埋葬所としても利用され、こと1945年の東京大空襲においては、1万余の遺体が当公園に仮埋葬されました。 1945年3月13日、囚人141人で組織された「刑政憤激挺身隊」が錦糸公園付近の累積死体処理に初出動し、1穴200体収容の大穴10個をつくり、トラックで搬入された死体を埋葬したのです。

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空襲当時の風景と今の風景。  同じ碑が在るので同じ場所だと思います。左の高いビルが当家です。平和っていいですね。まだ世界では相変わらず戦争の殺戮が続いて居ます。「過ちは繰り返しません」なんて空論ですかね。でも日本は80年も戦争も無くなく一人の戦死者も無い誇るべきで在り、続いてほしい。

(以下ウイキペディアの解説)

東京空襲の一般民間人の被害全体についてみると、東京の区部が被害を受けた空襲は60回を越えます。確認された死者の遺体数は約10万5400人になります。負傷者は約15万人で、罹災者は約300万人、罹災住宅戸数は約70万戸です。焼失面積は約140㎢で、区部の市街地の約50%、区部面積の約25%に当たります。三多摩や伊豆諸島・小笠原を含む東京都全体では、空襲は100回を越えています。東京大空襲は、第二次世界大戦の連合国による植民地・占領地も含む日本空襲の一環です。東京への本格的な空襲は1945年3月10日の下町への大空襲を境に区分されます。すでにアメリカ軍は、都市の中で、住宅が密集し人口密度が高い市街地を、焼夷地区1号に指定していました。東京は当時の深川区の北部と本所区・浅草区・日本橋区の大部分などが焼夷地区1号でした。そこをまず焼夷弾で焼き払う絨毯爆撃が、この日から始まりました。焼夷地区1号の目標地域には、軍施設や軍需工場などの明確な軍事目標はほとんどなく、アメリカ軍の目標となった大きな軍需工場は精工舎や大日本機械業平工場のみで、築地、神田、江東などの市場、東京、上野、両国の駅、総武線隅田川鉄橋などが実際の目標でした。住民を殺戮し、それによって戦争継続の意思をそぐことが、主な目的でした。また、市街地を焼き払うことで、そこにある小さな軍需工場を焼くことも合わせてねらっていました。アメリカ軍は春一番のような大風の吹く3月に焼き払い空襲を開始することを目指して、日本向けの油脂焼夷弾を開発し、B29とともに大量生産をしていきました。
3月10日の下町大空襲は夜間に低高度から1665トンに上る大量の焼夷弾を投下した空襲でした。目標地域に4か所の爆撃照準点を設定し、そこにまず大型の50キロ焼夷弾を投下しました。これにより、大火災を起こし、日本側の消火活動をまひさせ、その後小型の油脂焼夷弾を投下する目印となる照明の役割を果たしました。 火災は北風や西風の強風もあって、火災は目標地域をこえて、東や南に広がり、本所区、深川区、城東区の全域、浅草区、神田区、日本橋区の大部分、下谷区東部、荒川区南部、向島区南部、江戸川区の荒川放水路より西の部分など、下町の大部分を焼き尽くしました。罹災家屋は約27万戸、罹災者は約100万人でした。 木造家屋の密集地に大量の焼夷弾が投下され、おりからの強風で、大火災となったこと、国民学校の鉄筋校舎、地下室、公園などの避難所も火災に襲われたこと、川が縦横にあって、安全な避難場所に逃げられなかったこと、空襲警報が遅れ、警報より先に空襲が始まり、奇襲となったこと、踏みとどまって消火しろとの指導が徹底されて、火たたき、バケツリレーのような非科学的な消火手段がとられ、火災を消すことができないで、逃げおくれたことなどの要因が重なり、焼死、窒息死、水死、凍死など、9万5000人を超える方が亡くなりました。

 

うじんま焼きのはなし

読売朝刊のシリーズ記事 ”食堂のおばあちゃん” の欄外 ”ソウルフード”というコラムに出た記事である。失礼ながら小生この記事がフィーチャーしているJOY君なる青年については全く無知なのだが、群馬の、しかも僕らには縁の深い土地の出身と知って親近感を覚えたので記事に目を通し、懐かしい事件を思い出した。

KWV三国山荘が完成しても、国道17号線三国トンネルがまだ掘削中のころ。山荘へ入るには湯沢経由は敬遠され、もっぱら上越線後閑からバスで法師温泉の手前まで入り、三国峠を越えるのがルートだったころだ。工事未完でもトンネルを通過することはできたが、例によって壁の奥には工事の犠牲者(がいたのかどうかもわからないままに)が埋められている、なんて怪談もあり、同期の大塚文雄などは一人で来たもののどうしても気味が悪く、峠を歩いて越えた、なんて話があったころのことだ。なんでだったかはすっかり忘れたが、こういう三国通いも初期の帰京の途次、後閑まで来て、駅前の、その後しばらく我々のたまり場になった渋谷のおばさんが経営する食堂へ入ろうとしたとき、駅前に うじんま焼 という広告看板を見つけた。一緒にいたのが美濃孝俊だったか、中島英次だったのかあやふやだが、へえ、これ、なんだ?と訳が分からず、渋谷のおばさんに大笑いされたことがあった。当時、僕らの常識としては横書きは左から、というのが当たり前だったが、戦前からの習慣で右から書く人もたくさんいたわけで、この看板が右書きで、そのうえ、焼まんじゅう が、まんじう と書かれていたのだ。

目にした記事の中で、紹介者としてJOY君は焼きまんじゅうをなつかしみ、わが故郷のソウルフードである、と書いている。故郷、というものを持たない僕の感傷は彼とは違っていて当たり前だが、このことを思い出させてくれたこの記事で、あの頃の上州への幾度かの旅、というと大げさかもしれないが、就職した後も勤務場所の工場が八高線北八王子の駅前であったこともあって、ことこととあの遅い八高線で夜遅く、何度も後閑は渋谷のおばさんの店に出入りしたこととか、あのころ高崎の鳥めしはたしかまだ90円だったな、とか、学割で後閑までいくらだったか、とか、いつの帰りだったか、中妻哲雄が席にいすわって調子っぱずれの歌を歌い続けて、高校時代後輩だったという安東静雄が迷惑そうに聞かされていたこともあったな、とか、はたまた、理由は忘れたが2年上の妹尾さんに駅でこっぴどく怒られたな、とか、そんな甘酸っぱい記憶だ。

うじんま焼き、がどんな味なのか、申し訳ないがまだ食べていない。この次はぜひ探してみるよ、JOY君。故郷の味を知らない俺の ”ソウルフード” になるかどうか、わからないけど。

PS と書いたものの、ソウルフード、という最近流行りだした用語の意味を僕は正しく理解していないかもしれない、誤用かもしれない、と気が付いた.識者のご意見を伺いたい。

 

 

エーガ愛好会(311)  小さな映画館でみた佳作ふたつ  (UPOB 小田篤子)

✤「ファイアーブランド」
ヘンリー8世の(6番目)最後の妻の映画(英 ’23)
立川キノシネマは満員で、翌日からは終わりが夜11時頃だった為、吉祥寺のPARCO地下2Fの映画館《UPLINK》に翌日初めて行きました。
小さな映画室が5室、毎日25作品以上の作品を上映しているようです。
この映画は大きなTVのようなスクリーンと、ゆったりした座席が3列、計29席の部屋で上映されました。
キャサリン·パーの母は王の最初の王妃であったキャサリン·オブ·アラゴンの女官でした。パーは2度夫と死別後、トマス·シーモアと恋愛関係にありましたが、王の望みで結婚。前王妃達の遺児、メアリー、エリザベス、エドワードとも親しくし、信仰についての本も女性としては珍しく出版しています。
経験から、悪化していた王の足の看病もできる人でしたが、映画では、王が火刑にした新興宗教の友達を援助した罪で投獄され、王が臨終の際ふたりだけとなった時、殺めてしまいます。(本では、メアリとエリザベスを連れXmasの祝賀で出かけている間に亡くなり、死目には会えなかった…とあったように思うのですが、サスペンス的ストーリーだからでしょうか?
キャサリン·パーはその後は、トマス·シーモアと結婚。
以前、河瀬さんが写真を載せられ、私も偶然訪れたことのある、イギリス コッツウォルズのシュードリー城で暮らしました。
(映画の後、《スープストック》で『ゴッホの玉葱スープ』を頼んでみました。
オニオングラタンスープをシンプルにしたような感じでした)。
✤Netflix「6888郵便大隊」
主人公は黒人の若い女性。幼なじみの白人男性と結婚を約束しましたが、彼は戦死。自分も軍に志願、黒人女性にも好意的なルーズベルト婦人のお陰もあり、スコットランドへ有色人女性だけの郵便部隊として派遣されます。
しかし、着いた格納庫は散らかっており、ペンキ塗り、作業場、美容院、教会、レストラン作りから。
溜まっている10ヶ月分の 郵便物は、かび、ネズミ、不明瞭な宛先と様々。
“6ヶ月で処理せよ…“の命令に、厳しいが聡明な部隊の大尉は適材適所に皆を配置し、やり遂げます。
家族、兵士は届いた郵便物に喜び、兵士の士気もあがり、無理と思っていた白人兵士達は彼女らに敬礼と拍手をおくります。主人公も皆の協力で、亡くなった彼の手紙とお墓を見つけることができました。
敵との戦いより、有色人種女性部隊と白人幹部兵士達との戦いの実話映画です。
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第 6888 中央郵便大隊は、第二次世界大戦中に海外に派遣された最初で唯一の黒人だけの部隊でした。 彼らは、ヨーロッパ戦域に駐留する約 7 万人の軍人への郵便物を仕分けして配達するという困難な任務に直面しました。 彼らの行動が、他の何千人もの黒人 WAC とともに、連合軍の勝利にどのように貢献したかを学びます。

エーガ愛好会 (310) 名もなき者

”フォークソング” というのはどういう音楽か。辞書を引くと、民謡すなわち民間に伝承されてきた民族的歌謡、と書いてある。民謡、と逆引きすれば folk song が第一義に出てくる。しかし今ではフォークソング、という単語の意味は1960年代以降、アメリカ発の、かの地でのカントリウエスターンあるいはヒルビリーとひっくるめて呼ばれる”民謡”をオリジナルとする一連の反戦(当時はベトナム戦の最中だった)的、政治的な意味を含めて作られた一連の音楽をさすようだ(この映画の途中でも、背景としてだが一連の若者がカントリとフォーク、と議論している場面がちらっと出てくる)。        日本ではその反戦的意味を込めて作られた、”花はどこへ行ったの(Where have all the floweres gone)” が当時全国に広がっていたベトナム戦争への反感と相まって、たまたま流行していた ”歌声喫茶” などを通じて爆発的に人気を集めた。そしてこのような背景から、それまでのいわゆる流行歌というジャンルには収まり切れない、主張を持った曲がつくられるようになった。たとえば ”戦争を知らない子供たち” とか “フランシーヌの場合” なんかはその代表だろう。そしてその流れは若者の心情を歌った多くの傑作へと発展していく。僕にもいくつか気にったものがあるのだが、その中に ”学生時代の喫茶店” という曲があって、その歌詞の一部が僕の心に深く残っている。

君とよくこの店に来たものさ                       わけもなくお茶を飲み話したよ                      学生でにぎやかなこの店の                           片隅で聞いていたボブディラン

という一節だ。高校時代の終わりごろ飛び込んできた数多くの歌の中から、この曲が特に記憶にある理由は、このイントロに続く一連の歌詞が思い出させる僕の高校時代のことどもなのだが、次々と多くの歌手の名前が飛び交っていた時代に、ボブ・ディラン、という名前が妙に心に残っていた。

前置きが長くなった。今度、この映画のことを知った時、何が何でもすぐ見たい、と思ったのはこのボブ・ディランの実像を知りたい、と思ってからで、ほぼ1年ぶりでエーガ館へ足を運ぶことになった。こういう種類の作品は ”グレン・ミラー物語“ から ”ボヘミアン・ラプソディ” まで、過去に何度も見ているが、それらはあたりまえだが、あくまでそのミュージシャンの物語である。だが今回の映画では、そういうことよりも、彼がどういう背景で曲を書き、歌っていたのか、といういわばディランの人生観、そしてもし、自分が当時、空き時間が同じだった住吉康子なんかとよく行っていた自由が丘はセシボンで、設置されたばかりのジュークボックス、ハーレムノクターン夕陽に赤い帆、ばかりでなくて彼の曲を聴いていたら、どう感じていただろうか、ということを知りたかった。そしてそんなものを感じた気がして、ストーリーの何か所で、ディランが夜の街を一人でさまよう場面が演奏シーンより心にしみたものだ。Blowing in the wind に始まって、世界で若者たちに愛された、ヒット曲が歌われ(主役のティモシー・シャランは歌手ではなく、実に5年間、楽器を含めての習得に費やしたという)、その過程で同じ時期にデビューしたジョーン・バエズや、彼を発掘したピート・シーガー(”花はどこへ行ったの”の作曲者)、僕のごひいきジョニー・キャッシュ(映画 ”ウオーク・ザ・ライン” でその人となりが描かれた)も紹介されるし、作中でディランの曲がつぎつぎと歌われる。それだけでも十分に見ごたえ聞きごたえがあるのだが、自分の生き方を探し続け、愛してくれた女性は彼のもとを去ってしまう、歌手としての成功物語ではなく、あの頃、つまり僕たちの年代の人間が過ごし、悩み、何かを求め続けていた時間を共有していた青年の話として心に響く映画だった。

映画の印象とは関係ないが、ボブ・ディランというのはいわば芸名だということを初めて知った(本名はロバート・ジンマーマン)。

(34 真木弓子)今日 ジャイのエーガ愛好会を拝読しました。
開けたら、ドンと「名もなき者」を観賞なさった感想文に同感で嬉しくなりました。私は上映初日の翌日に渋谷シネマズで観賞!
ティモシーシャラメのひたむき な 若さが心に沁みました。芯がシッカリしていますし清々しく素晴らしい映画ですので今回のアカデミー賞主演男優賞はティモシーシャラメと思いましたが、何と無冠に終わり残念でした。才能がありますからいずれアカデミー賞受賞者に成るでしょう!
小泉さんの「西部にかける女」 を拝読させて頂きました。映画愛好会の皆様は変わらず 博学多才でいらっしゃいますが、我等が小泉さんも流石ですね、アサ会のスターですよ~、映画の俳優陣も大スターばかりで、ソフィアローレンはさぞ綺麗だった事でしょう!昔(私達の若き時代)のスターの顔は今のスターの顔とは随分違いますね、
ざっと申し上げれば男優は優しく繊細で女優は意思が明確で活溌に見える、 かな? ところで 90才のソフィアローレン はどんな感じだったのかしらね、