世界の旅 ペルー(1) (41 斉藤孝)

猛暑が戻って来ました。お変わりありませんか。

いかにもラテンアメリカ的体験、それも細やかな体験でした。カメは彼らを大好きになりました。「アスタマニュアーナ」と「ケセラセラ」。これこそ巧みな人生哲学ですね。

Que sera sera. 「ケセラセラ」、これは有名な歌の題名でもある。「ケセラセラ」の意味は「なんとかなるさ」。 この一言でラテンアメリカに共通した明るい国民性を表現できる。 

6月29日のペルー入国の新リマ国際空港の出来事だった。今年6月1日に完成したばかりの最新のリマ国際空港は大きな天井が自慢、屋内ドーム球場のようで立派な建物である。数千人の入国乗客は長蛇の列を作らされ大混雑だった。待機すること約3時間にもなると我慢は限界になってきた。係員に聞いても明確な返答はもらえないのだ。どうやら最新の入国管理システムがダウンしたらしい。 

「ケセラセラ」、つまり、どう頑張っても、起こるものは起こるだろうし、そうなる予定のものはそうなるってこと。 ペルー人は特に超ケセラセラ。人が良すぎるのか、ダラシナイのか、徹底した「ケセラセラ」なのだ。さすがに同行した合衆国マイアミ在住のペルー女性は、「はずかしい」と弁解。 

ペルー国内には不法占拠による住居が小山のてっぺんから麓まで町並みを形作っている。 このような貧民窟は5年も過ぎると合法的な町になれるという「ケセラセラ」な規制。 かつて日系ペルー人大統領「フジモリ」は強権的にペルーを改革しようと試みたが「ケセラセラ」に負けた。 

私は「ケセラセラ」の連中と会話を楽しみ、2台の介護車いすの操作を担当して入国審査の長い列に並んだ。私は空港介護職員の「マルコス」と仲良くなり、私の入国カードまで代筆してくれた。 

  Asta mañana  (アスタマニュアーナ) 明日まで間に合わない ?? 

  Que sera sera. (ケセラセラ) ?? 

  Muchas gracias(ムーチャス・グラシアス)!!

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ケセラセラ」 (Que Sera, Sera) は、 ドリス・デイ1956年の楽曲である。同年のヒッチコック監督映画『知りすぎていた男』の主題歌で、主演女優で歌手でもあるドリス・デイが歌った。

Que Será, Será」は「なるようになる(Whatever will be, will be)」という意味のスペイン語だとされる。スペイン語起源説を否定する向きもあるが、現在のスペイン語圏では、Que Seráは一般的な会話では利用されている。別題として、「Whatever Will Be, Will Be」、「Whatever Will Be」(映画タイトルバック)、あるいは副題を併記した「Que Sera, Sera (Whatever Will Be, Will Be)[注 1]、「Whatever Will Be, Will Be (Que Sera, Sera)」(アカデミー歌曲賞受賞時)「The Man Who Knew Too Much:Que sera sera」(e-onkyo ハイレゾ配信)も使われる。 2004年にはアメリカ映画主題歌ベスト100に選出された。

日本でも文化放送ユア・ヒット・パレード』で1956年度の年間4位[2]を記録し、また歌詞を日本語訳され、雪村いづみペギー葉山らの競作によってヒットした[3]