イチローのこと、映画のこと (44 安田耕太郎)

イチローについて、もとより今回の東京開幕戦が引退セレモニーとして設定されていたのは理解していたが、世界の安打製造機がここまで落ち込むとは予想していなかった。オープン戦での盗塁を見たとき、こんなピッチの上がらない走りなのかと驚いたし、またバッティングのスウィングスピードがまるでスローモーションのようで、三振も多過ぎたし動体視力の衰えは隠すべくもなく、潮時を実感した。
メジャーに行った時現地の悲観論にバカじゃあないかと、彼の成功を確信していたし、実際途方もない成績を残してくれた。レーザービームの強肩、韋駄天の盗塁、幾度と観た5打数5安打。新人でメジャーに行っていればピート・ローズの最多安打数を抜いていたに違いない。但し、華奢で非力な10代後半の少年が入団させてもらえたかは分からない。
生で一度は観てみたい選手がいるものだ。サッカーのマラドーナ、メッシ、ボクシングのモハメド・アリ、短距離走のウサイン・ボルト、バスケットボールのマイケル・ジョーダンなどだ。全盛期のイチローもこのエリート集団に入る。なので、彼はずうっと我らがヒーローである。
映画の話。ボヘミアン・ラプソディーの話題がブログ紙面を賑わせていたが、アカデミー賞授賞式の生中継をテレビで観た。今年2019年のアカデミー賞作品賞を獲得したグリーンブックGreen Bookを観た。
似たようなテーマ、白人と黒人の友情を描いた1967年制作の映画「夜の捜査線」(In the heat of the Night) が印象 に 残っている。南部の白人警察署長ロッド・スタイガーが、東部から来たフィラデルフィア市警警部シドニー・ポアチエを間違って殺人犯として逮捕、黒人に対する偏見と差別意識で侮辱する。やがてポアテュエの身体を張って事件解決にぶつかる姿勢と人柄に敬意を抱く、格調高い映画であった。時代を特徴付けた社会的テーマを両スター俳優が見事に演じた。わずかな仕草でそれが繊細に示されていた。当時は人種偏見葛藤問題を抱えながら、白人と黒人の絆、協調、友情を描いた知的な大人の映画だった。作品賞とロッド・スタイガーはアカデミー賞主演男優賞を獲得。アメリカ映画界の理性を感じた映画であった。
グリーンブックは黒人ピアニストと、雇われた白人イタリア系の運転手が、車で南部地域への演奏旅行に出かける。色々な都市が垣間見えて良かった。時は1962年、人種差別が色濃く残る南部を舞台に二人の葛藤、対立、友情を描く。白人目線で描いて、人種差別問題を爽やかに映画チックに取り扱っているのがやや物足りない。現実はこんなもんじゃあなかったのでは。50年前の夜の捜査線に軍配をあげる。次はボヘミアン・ラプソディーを観に行きます。

グラフトンのこと (35 徳生勇二)

  アメリカでは人気作家が亡くなった後に勿論遺族とか出版社の諒承を得てからだろうと思いますがその作家の名前でシリーズものなどが出版されていることがよくありますよね。
Tom Clancyも随分前に亡くなっていますけどまだClancyの名前で新刊が続々出ています。(もちろん実際の作家名も表紙に表記されていますけど)もしかすると最後のZもでるかもしれませんよ。
こんな話も昔征ちゃんやマックスとしていたことを思い出しました
今後ともどうかよろしく。
(中司―徳生)
ありがとうございました。酒井さんや畠山さん、床平さんなんかとチャンドラー論議をやっておられたのを懐かしく思い出しました。あのころはまだハードボイルドに目覚めておらず、興味がわかなかったというのが実のところです。今頃、何言ってんだ?と床平さんなんかに怒られそうですね。

近況です (51 斎藤邦彦)

「黄金の10年」の1年目の昨年は18回、山に行きました。バケットリスト目標の「100名山制覇」は8座を消化し累計81座まで進捗しました。何とか数年のうちに到達できればと思います。

今年は春ワンの調査行2月「景信山」、3月「石老山」に行きましたが、石老山では頂上で鉄板焼きバーベキューを家徳さんと丸満さんにも参加頂き大勢で楽しんできました。

昨日(3/23)は栃木県佐野市の三毳山(みかもやま229m)に同期とカタクリの群生を見に行きました。アズマイチゲやミズバショウも咲いており、男体山や燧ケ岳の眺めも素晴らしかったです。写真を添付します。

29日(金)の府中CCでのゴルフコンペでお会いするのを楽しみにしています。

また、4月7日(日)には秋ワンで担当することになっている東丹沢の「シダンゴ山」を調査に行きます。

秋ワンは10月26日(土)とまだまだ先ですが、シダンゴ山は日本一の馬酔木(アセビ)の山と言われているので(せっかくなら)花の季節に行こうと企画しているものです。

よろしければ一緒に行きませんか?秋ワンでは初級★★☆☆☆で計画しているコースです。

(中司―斎藤)

しだんご山って、富士急の何とかいう駅から入るルート、あります? 実は引退後まもなく、仲間を誘ってどっかへ行こうよ、と呼び掛けたところ、中島英次(キンタ)が探してきて7-8人で登って、えらい雨に遭って、しかも帰りのルートをキンタが間違えて、ひどい藪漕ぎをして、ずぶ濡れで気が付いたら小学校の運動場に出ていた、という大変な同期初ワンデルングをしたのが、そういう名前だった記憶があります。
(会社時代酒浸りだった吉牟田が人生を反省して、これからお前らに付き合う、と言って出てきたのがここでした。それ以来、彼は月いち高尾のファンディングメンバーになっています。そんなわけで、もし同じならあんまりいい印象がありません! もちろん、参加しますけど)。
先月の高尾が景信山と小下沢梅林というプランで天候に恵まれ、いい一日を過ごしました。僕らの代はKWV史上初、という新人キャンプに参加
した場所でもあり、小下沢には特別の想いがあります。

G is for Grafton

アメリカの女性ハードボイルド(HB)ライター、スー・グラフトンが惜しまれつつ他界したことについてはすでに書いた。女性のミステリ作家といえばもちろん大御所アガサ・クリスティーだが、HBの分野にもたとえばサラ・パレッキーなどが翻訳も出ていて女性ファンも数多いようだ(わがワイフもそのひとり)。

前にも書いたがグラフトンは ”アルファベットシリーズ” と称して、タイトルがアルファベットで始まる(第一作は A is for alibi)26本の小説を書くと宣言していたのだが、残念至極なことに25本目の Y is for Yesterday が遺作になってしまった。ライフワーク完了目前のことで、さぞ本人も口惜しかっただろうとしみじみ同情を禁じ得ない。最終作になるはずだった Z のタイトルは Zero であったと言われているが、こればかりは今となっては確認のしようがない。生前,彼女は ”自分の作品がクリスティのように愛されるものであってほしい” と願っていたという。クリスティには自分の最期を予測し、代表作 アクロイド殺人事件 に初めて登場させたエルキュール・ポアロを退場させるために、最期の作 カーテン を書く余裕があったのだが病魔はスーにその時間を与えなかったことになる。

このようなシリーズ作品には、愛読者の間に一種の連帯感みたいなものが生まれ、全作品を読み込んでその中からいろいろなトリビアを拾い出したり、それからいろんなことを自分で推理したり研究したりする仲間ができることがある。有名なものはシャーロック・ホームズ愛好者の集まりで、世界規模で協会まで設立されている。日本でも高名な作家やアマチュアにもシャーロッキアン、ワトソニアンを自称して、いろいろな研究を発表している人が数多い。たとえばワトソン博士が戦争で負傷したというがその部位がどこかとか、ホームズが東洋にいたというがそれはどこかとか(題名を思い出せないが、これを事実として書かれた日本を舞台にしたミステリがあった)、ホームズはアイリ―ン・アドラー( ”ボヘミアの醜聞” に登場し、ホームズが生涯ただひとつの敗北を喫する美女)を本気で愛していたのかとか、ありとあらゆることを作品の記述の中から推理するのである。小生横河HP在職中の先輩堀江幸夫氏も関連した論文を投稿されたように伺った記憶がある。

僕はまち中のひとりのHB読者であるにすぎないが、ロス・マクドナルドスティーヴ・ハミルトンあるいは原尞など、同一人物が主人公のシリーズ物は結構読んできた。 ただ、グラフトンはその作品の舞台が僕のサラリーマン生活を通じてなじみのあるカリフォルニアであること、25作すべてが80年代という時代背景であって、スマホだとかグーグルだとかいうおよそロマンのない無機的な夾雑物もなく、すべて主人公キンジー・ミルホーンが数少ない手がかりをひとつひとつひろっていく過程、マクドナルドのクオーターパウンダーが好物という彼女の生活態度などが僕の見知っている限りではまさにカリフォルニアウーマン(それも僕のいたころの、という但し書きがつくが)のスタイルであること、などたいへん気にいって第一作から読み始めた。

訃報に接して、それなら自分の読破計画に沿って全巻読破しようとアマゾンから何回かにわたって25冊、1年かかって取り揃えた。そのうち遺作になった ”Y is for Yesterday” は(なぜだか伺ったが忘れてしまった)1冊余分に持っているから、とKWV35年卒の徳生さんから頂戴した。現時点で T is for Trespas まで素読が終わって一息ついているところである。付け加えると徳生さんからはつい先日、また同じものを買っちゃったから、と今度はバルダッチの新作をもらった。先輩、この調子で行ってください!。

ここまでくると、自分もキンジーアンかミルホーニアンになるつもりでトリビア研究でも始めて見るかと思案していたら、なんのことはない、すでにその集大成みたいな本があることを偶然知った。それが G is for Grafton である。まだ目次をみただけだが、その内容は、キンジーがどんな性格であるかとか、男運が悪いとか、食べ物の趣味はなんだとか、住んでいる部屋はどんなものだとか、まあ面白そうなものだが、これは25冊読了してからの楽しみにしておく。

さて、このシリーズの舞台はサンタ・テレサという架空の街になっていて、熱心な読者の一致するところ、太平洋に面した美しい街サンタ・バーバラがモデルなのだということがほぼ結論づけられている。今まで読んだ中にも、たとえば ”ロスアンジェルスから何マイル” とか、”サンフランシスコは北に何マイル” だとか、頻繁に出てくるハイウエイがUS101(ベイショアフリーウエイ)という著名なものであったり、それを裏付ける記述はたくさんある。さらに面白いのはこの町の名前が HBの大立者ロス・マクドナルドの後期4作品にでてくることであり(代表作 ”動く標的” もそのひとつであることは早速確認した)、ミルホーンが生前、マクドナルドに心酔していたということなどがわかってきて、サンタ・テレサがどんな街か?という興味がわいてきた。25作読むことがまず当面の目的だが、その中から、街の描写とか、通りや施設の名前とか、そういうものをまとめると ”サンタ・テレサ市街図” ができやしないか? というのが今の僕の思惑で、1冊終わるごとに関連項目をエクセルにためこんでいる(全作でキンジー自身は情報管理にはインデックスカードを用いている)。G is for Grafton までたどり着けるかどうか、が当面の心配なのだけれど。

 

 

 

恩師からの贈り物

1月13日、本稿で、小生小学校時代の恩師から頂いた便りを紹介した。40数年前の滞米中、母親に送ったグレープフルーツ(当時まだ珍しかった)のいくつかを母が先生にお送りしたらしい。その種を庭に蒔いておいたところ、実に40数年後,実がなった、という驚くような話であった。

今日、彼岸にあわせて、そのうちの1個をわざわざお送りいただいた。驚くと同時になんとも嬉しく、当日関西出張中で最期にも立ち会えなかった母のことを改めて思い出した。私事ではあるが、ほのぼのとした体験をわかっていただけばと思い写真をとった。同封されていたメモ、先生にお断りはしていないが小生の、いわば時空を超えた、感激を味わっていただけるように転載させていただく。

“皇帝” を聴いてきた

先週の映画館行に続いて久しぶりに紀尾井ホールへでかけた。小泉先輩やら後藤三郎なんか筋金入りのクラシックファンには及びもつかないド素人だから、曲そのものよりもそれにまつわることのほうが先に出てくる。

小生の兄は8歳半年上だったから僕が中学生になったときはすでにサラリーマン、およそ正反対の性格の真面目一方。フルブライト留学生試験にも合格したが体に問題あり(入学前に肋膜炎で1年寝込んでいた)ということでハワイ大学へ推薦されたり、銀時計ももらいかけたくらいの勉学一筋、当時のインテリの典型ともいえる性格で、その教養の一部としてクラシック音楽はいわば ”マスト” であると信じ込んでいた男だった。ちょうどLPレコードというのが出てきて、1枚買うと月給の四分の一がなくなる、という時代だったが、生真面目に買い揃え、日曜日などは僕を捕まえて、”お前もこのくらいは聞いておかねばならん”と畳に座らされたものだった。彼が買った最初の曲がベートーベンの”第七”で、その次がこのピアノ協奏曲5番、通称 ”皇帝” であった。

そんなことで、好きとか嫌いとか、ましてや鑑賞の仕方も知らず、耳だけで覚えている名曲もいくつかあって、折に触れて気が向けばCDを買ってくる、という程度のリスナーにすぎないが、亡兄の想い出でもあるこの ”皇帝” だけは特別な存在である。だいぶ以前、同期でヒマラヤトレッキングの時、”エベレストを観ながらこれを聴こう”と決め、まだCDなんかなかったからカセットを持参していった。無残なことに極度の高山病にとりつかれてどうしようかと心配する状況だったが、かろうじて窓ごしに山を観ながら朦朧としながら聞いたことだった。

そんなわけで今回のコンサートに出かけたのだが、もう一つ興味があったのは指揮者がピアノの演奏者でもあるという”弾き振り”とやらであった。有名な渡辺暁雄の長男であるご本人が最初に登場して演奏項目の解説をしてくれたが、古い表現でいえば六尺豊かの大男であることがわかり、始まってみると体格の大きい人でなければピアノ越しにタクト(もちろんこの場合は手指だが)が演奏者には見えないのではないか、ということに気が付いた。曲の流れは全部おぼえているので、聴くというよりそういうビジブルなものに興味がわく。自製、自慢の真空管アンプでは当然とはいえ再現できない実物の圧倒的なボリュームや広がりもそうだが、(あ、次はオーボエだがどの人かな)とか、CDだけでは気が回らないのだが、バイオリンが丁寧にピッキングをしているのを観たり、などと、本格的なリスナーには呆れられてしまうような聴衆であった。

帰り、50年前に二人で良く通った “清水谷茶房” がまだあるかなと淡い希望をもって夫婦でオータニから赤プリへと散歩したが、当然のごとくすでになく、第一赤坂プリンスホテル、という個体が存在しなくなっているのを初めて知った。四谷駅までもどり、”アントニオ”というオヤエ推薦の店で食事。最中になんと妹尾(ちび)からスマホに着電。持ってはいるがほとんどオンにしていない小生にはこれまた椿事というべきか。

 

 

一足早く桜を (34 小泉幾多郎)

一足先に桜を観ようと昨春同様、横浜地下鉄の新羽駅下車5分の西方寺を訪ねました。早くも参道の中日桜が満開、何処から飛んでくるのか、桜の蜜を求めて、ヒヨドリが飛び回っていました。

小泉さん、あいかわらずアクティブで脱帽です。来月の月いち高尾月例ワンデルングは満開(のはず)の花見です。ぜひお目にかかりたいです。高尾の桜と横浜の花を観て、春,来る!ですね。今月は小下沢梅林の梅を満喫できましたし。

 

 

 

 

19年3月 月いち高尾 (39 堀川義夫)

小下沢梅園は満開

2019年の3月の月いち高尾はこの季節にありがちな2つ玉低気圧、俗にいう爆弾低気圧の襲来で、開催が危ぶまれましたが、ぎりぎりの判断で決行することにしました。幸いにして予想通りの天気となり、当日、キャンセルも出ましたが参加者17名予定通りの景信山とこの下沢のワンデェリングを楽しみました。特筆すべきは新たに相川さん、柏木さん、保屋野さんが初参加してくれました。また、梅も満開で今年も迎えてくれました。昨年は少し味気なかったので、今年は甘酒を用意してみました。結構、好評でした。てんぐ飯店は18名の参加でした。

日 時 2019年3月11日(月)

参加者 楽々コース 中司、鮫島、遠藤、平松、町井、堀川 6名

定番コース 後藤、翠川、河合、藍原、武鑓、相川、柏木、久米行子、保屋野、川名、岡沢 11名

常連が数人不参もニューフェースで大部隊

全員時間までに高尾北口に集合して小仏下までのバスに乗車。下車後、全員で歩き始める。約15分で小仏峠への道と景信山直登の分岐で楽々コースと定番コースに分かれる。

楽々コース 6名でゆっくり登り始めたが結構の急登で始まった。一歩き始めて40分、一息ついて順調に頂上を目指す。ほぼ、コースタイム通りの時間で12時5分ごろに景信山頂上。結構展望も予想以上に良く、雲があるものの遠望が楽しめました。直ぐに定番組も小仏経由で到着。集合写真撮影後、一箸先に12時35分に出発。昨夜来の雨で道が滑りやすく、慎重に木下沢の作業小屋へ下山。その後、

高曇りだったがいつもの遠望がひらける

定番コースと同じ。

定番コース 当日は午前中雨の予想もあり、実施が危ぶまれたが、堀川さんの予想によると10時には雨も上がり、次第に晴れるとのことで、決行することになった。予想はドンピシャリ当たり、家を出るころは雨が降っていたが、電車の中では雨上がりの綺麗な虹も見え、高尾駅に着いたら晴れ間も出た。

小仏までバスで行き、景信山を目指した。バス停から約900mほど先で「らくらくコース」と「定番コース」の2班に別れた。定番コースのメンバーは岡沢さんをリーダーに11名。雨上がりの澄んだ空気の中快適に登り、小仏峠で一本、次の一本で景信山の山頂(727m)に12時少し過ぎに着いた。36年卒組が先頭を歩いたが、相変わらずペースが早い。若干遅れ気味の人もいたが、ほぼ揃って無事到着出来、何よりでした。

先に着いていた楽々コース組と合流し一緒に昼食。茶店は2軒あったが、人が居ず、ビールが飲めなかったのはちょっと寂しい。頂上の展望は素晴らしい。空気が澄み、都心からスカイツリー・東京湾・館山の鋸山まで見渡せた。下りは小下沢コースを登山口まで一気に降り、さらに2km林道を歩いて梅林に到着。

初登場は甘酒

堀川さん持参の甘酒を温めて賞味、コーヒー紅茶を飲み、かぼさん・コブキさん持参のお菓子を頂きながら、満開の梅を鑑賞。最後に天狗で打ち上げ会。終始極上の気分で一日が終わりました (藍原記)。


初参加した相川です。 雨支度をしていたのが、暖かい春日和となり、久しぶりの山靴歩きを楽しみました。
腰痛を忘れました。 甘酒もいただき、お世話になりました。

「ボヘミアン・ラプソディー」の話がでましたが、始まったばかりの 「運び屋」 お薦め と言えそうです。
クリント・イーストウッドが、90歳(実年齢89歳)の気骨あるドラッグ運び屋に。 最後に流れる~老いを迎え入れるな~という歌も 印象的でした。

今回初めて「月いち高尾会」に参加させていただきありがとうございます。
久しぶりの景信山と素晴らしい梅林そして美味しい中華等十分楽しむことができました。甘酒とコーヒー・・堀川さんと藍原さんに感謝
4月以降もなるべく参加したいと思いますので、よろしくお願いいたします。  42年 保屋野

昨日は、素晴らしい天気予報、昼頃「霧のような雨」までぴたりと当たり、敬服しております。おかげで、すばらしいてんきのなか、会う人も少なく楽しい山行が出来ました。また甘酒、コーヒーと大変お世話のなりました。ありがとうございます。  鮫島
 

昨日は堀川さんの素晴らしい判断で「月いち高尾」が決行されましたが予想どうりに歩き始めから天候が良く楽しい山行をすることができました。素晴らしい梅林に甘酒コーヒー迄ご用意頂きましてありがとうございます。甘酒、大変おいしかったです。

帰途、ご一緒致しましたがさすがにお疲れのご様子どうぞ暫くごゆっくりなさってください。 三郎さん早速に写真お送り頂きましてありがとうございます。  久米行子

その写真―天狗のおやじさんにシャッターを切ってもらった

俺も見たよ

高橋良子からのメールがきっかけになって、昨晩,八恵子と調布に新設されたシネコンで話題の ボヘミアンラプソディー を観た(翠川夫妻の住んでいる西東京市とはやはり住民の文化への関心が格段に違うと見え、座席は完売であったし、ポプコーンをポリポリしてる人もあまり見かけなかった)。

率直に感想を言うと、ま、映画のストーリーはこの種の映画によくあるパターンだったので、多少意気込んでいたが肩透かしを食った気がしないでもない。しかしたとえば、あの ”グレンミラー物語“ だとか、最近でいえばカントリーの大物ジョニー・キャッシュの苦労話である ”アイ・ウオーク・ザ・ライン“ には、何はともあれ、背後には基本的に楽天的なアメリカ文化というかアメリカ観が横たわっていた、つまり最後にはハッピーエンディングが予感できるのに対して(ミラーは飛行機事故で不帰の客になるのだが、愛妻ジューン・アリソンの受け止め方なんかが実にアメリカ的)、このエンディングにはこの、いわば アメリカ的 な救いがない(最後にフレディが現実にAIDSで亡くなってしまったという事実が表示されるが、そのことは別にして)。

ぼくもエンディングに歌われる We are the Champions には感動した。人種を越えて人々が共感する、音楽の力というのか、そういうものを素直に受け止めることができた。しかし、スクリーンに投射される訳詞に、自分たちは笠雲の影におびえて生きている、というフレーズを観て、なるほど、と思った。正直言えば映画そのものの鑑賞というよりそのことのほうを強く感じた2時間であった。

世の中、東西を問わず、戦争という残虐行為に反抗するのは若人の常であろう。僕らの時代ではその象徴は “花はどこへ行ったの Where have all the flowers gone ” であったし、少し遅れてやってきたフォークソング時代では、“戦争を知らない子供たち”や、“坊や大きくならないで” なども思い出される。これらのメロディを好んだ僕らの世代にとって”戦争“というのは身をもって体験した人間世界の”悪“であり、何らかの実態というか存在を自分で感じたり、少なくともそれから類推できる範疇のものだったが、いっぽう、それはあくまで国家間の悪事であり、人間の英知なり理性なりで制限し、あるいは根絶ができるものと思われてきた。だが、日本人にとってみれば、国土の中で戦われた行為は、現地の人たちには申し訳ないが、沖縄でしか見聞きしていない。というかしないで済んだ。第一次大戦では勝利国のひとりでさえあった。

しかし自分の国土が敵国によって踏み荒らされ、軍政と傀儡政府による醜悪な事実に2度も直面したヨーロッパの人たちの戦争観というものはまた違うのではないか。そしてそれが今度は、陸続きの、文化文明や宗教の多くを共有する隣国が核兵器を持ち、おそらく絶えることのない人種問題や一神教同士のせめぎあいを目の前にしているヨーロッパ人にとっては、この ”笠雲“の恐怖、核戦争の可能性が日常化している度合いは、現在の日本とはまた違った切実さがあるのではないだろうか。若者が抱く不安、無力感、虚無観といったものは日本の若者よりさらに深いのではないだろうか。

現実の世界に若者が抱く不満不安幻想は世の常であり、それをどのように考え、発想発散し、ある時には具体的に行動する。その形の一つがその時代に共感を呼ぶことのできる文学作品であり、映画であり、音楽やそのほかの形式が存在する。僕は音楽について多くを語る資格はないが、考えてみれば、”ロックミュージック“ という定義そのものをビル・ヘイリーの Rock around the clock で知り、プレスリーに衝撃を受けた記憶は確かにある。しかしそれはあくまで 音楽というジャンルのなかで解釈できるものだった。

We are the champions は、その意味で、音楽、なのだろうか。核の恐怖、が日常生活の一部として存在するヨーロッパの若者が共感し(余談だがあのラストの群衆シーン、当然CGで作ったのだとは思うが、現実に感じられた。これが映画としての実力だろうが)、AIDSという共通の問題解決への貢献につなぐ。これはむしろ宗教に近いものなのかもしれない。この映画を見て味わったことであった。

ボヘミアンラプソディーって、みましたけど (36 翠川幹夫)

翠川幹夫・紀子です。

今日午後、家から車で15分程で行ける大泉学園駅近くのシネマコンプレックス「TジョイSEIBU大泉」で鑑賞して来ました。ご紹介、ありがとうございました。

観客も疎らで、ポップコーンを食べながらボンヤリと観ていたので良子さんの「心に残る」ような感想を述べることは出来ませんが、知らない世界の片りんを見た感じでした。