”アメリカ人が冒険小説を書くとハードボイルドになる”ということがいわれるが、これが単に文体とかスタイルのことをさすのか、作品の本質をいうのかはよくわからない。ただ、島国として常に海洋と向き合ってきた単一民族イギリス人と、内陸開拓に邁進した多民族国家のアメリカ人とでは、”冒険”ということの本質が大きく異なっていた(きた)のではないだろうか。いろいろな理屈を考えて美化をしてみても、双方とも弱肉強食、他民族の征服の結果今日があることに相違はない。ただ確固とした社会通念と階級社会が存在し,騎士道精神というものを誇りとするイギリス人にとっては、その”冒険”の結果を単に物質的な利益のみならず大英帝国の威厳ということに帰結させる意識が常にあったように思えるのに対し、先住民族を殺戮することによって得られる物質的利益のみが、ありとあらゆる背景を背負ってこの国にやって来た異文化人をつなぐ唯一の共通項であったアメリカ人の”冒険”とでは、社会的、文化的な背景が大きく違ったのではないだろうか。
”大西部”の征服が終わり、太平洋に顔を向ける時代になっても、銃のみが共通言語であり、金銭的成功のみが社会的地位を決めるという文化、その結果として人々の間に生まれた一種のニヒリズムはアメリカ社会にそのまま残っただろう。このような社会にあって、”冒険”とは国の威光とか騎士道精神などといったものは無用の、常に実利を求めることに他ならなかったはずだ。この大変動の結果に生まれた西部の諸都市、特にゴールドラッシュの中心であったサンフランシスコ周辺において、それまでの汎欧州的文学に対抗して、いわば無頼の匂いをただよわせる”ブラックマスク派”の文学が生まれ、ハードボイルドへ展開していったのはそういう意味で当然だったように思えるし、そのような環境の中ではここで議論する意味での”冒険”ということに価値を見出す機会もなかなか生まれなかっただろう。そのあたりが識者をして”アメリカ人に冒険小説は書けない”といわしめたのではないか、というのが僕の論点である。
知識不足と論理の飛躍を承知でいうと、このような環境に一石を投じたのは、僕らの時代では”レッド・オクトーバーを追え”だったのではないか。アメリカが世界をリードしている軍事技術をテーマとする、という発想がこの後から続々と新しい作家作品をもたらしたことに間違いはない。ヨットを操ってひとり大海に挑む、という発想から、軍という巨大組織が活動する大規模なオペレーションの中での個人の物語、というあざやかな展開の中に、”アメリカ人の冒険”が位置づけられたのだ。トム・クランシーの軍事オタクぶりには多少抵抗もあって、この本を読んだ直後、仕事仲間の一人が米海軍で潜水艦の艦長だったことを知り、この話はどこまで信用できるのかたずねたことがある。詳しいことは忘れてしまったが、彼はある一点をのぞいてはクランシーの話は全く誤りがない、これは本物だ、と保証してくれた。それで一気にクランシーファンになってライアンものを次々に読んだ。クランシー作品は何本も映画になったが、やはり”レッド・オクトーバー”が一番躍動感があって面白かった。ライアンが少しハンサムすぎたのが難だが、007とは大違いの重厚さがあふれたショーン・コネリーもよかったし、サブキャラクターではスコット・グレンが印象に残っている。
前述した北上次郎は、現代の冒険小説作家は”70年の壁”というものを経験したのだという。米ソの対立が激しかった時代はそれを中心とした物語や人物造形(典型的な例が007シリーズ)ができたのだが、それがなくなった後の設定が非常に難しくなった、ということを指すらしい。クランシーが作り出した軍事技術もの、というのがもしかするとその”壁”を破壊したともいえるのかもしれない。
クランシーの成功のあとの大きな転換点として、ステファン・ハンターのボブ・スワッガーのシリーズが出て来た。退役したスナイパーの個人中心の話であり、軍事ものとは思えない心理描写も優れて、僕の定義による”ハードボイルド”に数えてもいいくらいのものだ。ただこれもやはり第一作が一番よく、最近の作品は無理してシリーズ化しているせいか、あまり感心するものがない。映画”極大射程”は原作に忠実だが、主演のマーク・ウォルバーグのアクションばかりが目立ちすぎな感じがして、僕のイメージする冷静なスワガーではなかったように思われる。銃器に関する描写は精緻でそれだけでもマニアには歓迎されたのではないか。
相前後していろんな軍事もの、FBI・CIAものなど、かなり乱読した結果、現在のお気に入りはリー・チャイルドの”ジャック・リーチャー”シリーズである。第一作”キリングフロアー”に引き続き、”アウトロー”など、このシリーズは現時点までで合計13冊だが、すべて原文で読んだ。文体論議になってしまうが、原文で読めた理由は”わかりやすい英語で書かれている”の一点に尽き、実は僕が”ポケットブックを3万ページ読む”
という”冒険”に乗り出すきっかけになった。その後、翻訳があまりでてこないが、そのうち2作が映画化されていてトム・クルーズの当たり役になるのではないかと思っている。
”軍事もの”のとなりにあるのがスパイもの、謀略ものといえる。007シリーズはあまりにも娯楽的で、”冒険小説”に入れるのはどうかと思われるが、フォーサイズの”ジャッカルの日”や”戦争の犬たち”、映画も素晴らしかった”オデッサファイル”も面白かった。相前後するころに流行ったのがロバート・ラドラムだが、何しろ筋立てが複雑で登場人物を理解するのが大仕事だった。複雑な割には僕にはジェイソン・ボーンシリーズ以外、あまり印象に残るものはないのだが、このシリーズは映画化したものもマット・デイモンがはまり役で楽しく見た。最近はデイモンが変わってしまって残念だが。
軍事もの、スパイものなど、大組織を背景にした作品とは違って、アメリカ人好みの一匹狼的人物が登場するのがデヴィッド・バルダッチのシリーズであるが、あまり翻訳を見かけない気がする。ほかには最近はマーク・グリーニーの”グレイマン・シリーズ”というのが人気のようだ。大組織が出てくるのは同じだし主人公がその組織に追われるという設定はラドラムのボーンシリーズに似ているが、どうも二番煎じの感を免れず、あまり気に入ってはいない。
ここまで書いてきて、大変な事を書き忘れたことに気がついた。冒険小説論議がまた後戻りするのだが、”これぞハードボイルド”と言わせる二人の事である。一人は冒頭に名前だけ触れておいたがジヨージ・ペレケーノス、もうひとりはごく最近あらわれたジョン・サンドロリーニ(John Sandrolini)という人である。ペレケーノスのほうはかなり登場は古くて、翻訳されたものも沢山あるが、サンドロリーニのほうは第一作が”愛しき女に最後の一杯を”というえらく長いタイトルで出ている。
現題は One for our baby といたって短いのだが、翻訳者のほれこみようがうかがえる気がする。 第二作はまだ翻訳を見かけないが、”My kind of town” で、同じ主人公の設定である。この2冊はアマゾンで原本を入手して一気に読んでしまった。ただリー・チャイルドの場合と違って、イディオムやスラングが多く,週1度通っている英会話スクールへ持ち込んでインストラクタを質問攻めにしたこともあった。物語の設定としてあのフランク・シナトラがサブキャラクタで登場するのはご愛敬だが、まさにチャンドラーを彷彿させる傑作だと確信して、次を心待ちにしている。実に素晴らしい。
話を戻す。僕が読んだ”アメリカ人の書いた冒険小説”はここにあげたほかは伝奇ものめいたものが多いクライブ・カスラーくらいで、ほかにもミステリー系はたくさんあるのだが、ストーリーの面白さといった表面は別にして、印象に残るという意味では、”冒険小説”というジャンルに関する限り、”イギリスもの”に太刀打ちできるような作品にはまだ出会っていない。一番初めに仮説をたてたわけだが、やはりアメリカという文化に”冒険”というテーマはしっくりこないようだ。したがって僕の乱読リストにもイギリス人によるものが圧倒的に多い。先回書いたことと重複するが僕の遍歴を書く。

まず、大御所とでもいうべきなのがアリステア・マクリーン、かの”女王陛下のユリシーズ号”の著者である。これはHBミステリにおける”長いお別れ”に匹敵する、冒険小説の古典的傑作であり、翻訳もすばらしく、冒険小説というジャンルを離れても特記されるべき傑作だと思っている。映画にもなった”ナヴァロンの要塞”と”荒鷲の要塞”も同じ第二次大戦ものだが、”八点鐘の鳴るとき””黄金のランデブー”のような、本来の海洋冒険ものもある。
マクリーンと並び評されるのがデズモンド・バグリーで数多くの作品が日本でも広く紹介されてきた。中でも僕のお気に入りは”敵”と”ゴールデン・キール”、それと”バハマ・クライシス”。特にあとの2冊は爽快さを満喫できる、本来の”冒険小説”で、きざってみれば、デッキチェアでジントニックなどやりながら読むのに楽しい部類である。
日本のややハイブラウな(と自称している)読者に人気があるのがギャビン・ライアル、特に”深夜プラスワン”が、”ユリシーズ”と肩を並べる傑作だといわれている。ほかにも”ちがった空”とか”もっとも危険なゲーム”など多くの翻訳がでているがどうも爽快感にかけるようで、あまり僕の好みとは言えない。
筋書はともかく、本流ともいうべき大自然相手のスケールの大きいものはハモンド・イネスにとどめをさす。うるさいことを言わずにただイギリス流冒険小説、と言えばこの人の作品になるのではないか。”銀塊の海””大氷原の嵐””失われた火山島””蒼い氷壁”など、代表作のタイトルを並べるだけでも作風の想像はつく。ただ僕の読んだのは”メリーディア号の遭難”〝特命艦メデュ―サ”の2冊だけであるのであまり多くを語る資格はない。
イギリス伝統の海洋小説といえば英国海軍の伝統に関する”ホーンブロワ―シリーズ”とかそのほかのものが有名だが、僕は全く読んでいない。この系列かどうかわからないが、さすがブリティッシュネイビーと名高い国だけあって、第二次大戦ものにしても圧倒的に海軍さんのものが多い。ニコラス・モンサラットのThe Cruel Sea という大作は感動的だった。
余計なことかもしれないが、ここに挙げた作品は多くがだいぶ年期が入っているので新刊を買うのは難しいけれども、ブックオフで探すとハヤカワ文庫の中古本がたくさんあり、同好の仲間がいるんだなあと妙なところで嬉しくなる。大体100円前後で買えるし、是非お勧めしたい。原本に挑戦する場合はやはりアマゾンが便利だが、新宿高島屋に隣接する紀伊国屋書店は今までの新宿通りの店に比べてずっと在庫も種類も多いようで、立ち読みの楽しみが増えた。読書の秋を迎えて、”年甲斐もなく”冒険小説にカタルシスを見出す仲間が増えることを希望する。

妙高・火打 2017年5月3日-5日
同期の丸満、増田と比較的安全な連休の雪山はどこかと検討の結果、60年卒笠原くんのアドバイスをもらい妙高・火打に行きました。



不肖ながら山荘委員長を務めるまでに現役の中でも一番の山荘漬けとなった私だが、初めて山荘を訪れた時はとにかく拍子抜けだった。普通部から山岳部に所属していた身としては山荘と言えば慶應吾妻山荘であった。数時間歩くと林の中から三角屋根が顔を出し、ストーブを囲みながら管理人さんお手製の食事を頂いた思い出を胸に新歓山荘に行こうとした。しかし先輩からは私服集合、バスで移動、BBQなどとても山とは思えない単語しか並んでいない。着いてみれば別荘のような佇まいの一軒屋。第一印象は合宿所であった。それ以降も山荘祭でBBQをしたり出し物をやったりと、当時はその程度の認識だった。
KWVを(大学を)卒業して41年が過ぎました。卒業後、子供達が小学生の頃までは時々家族で山歩きを楽しんでいましたがその後ほとんど山に接することなく仕事に(職場関係のつき合いに)どっぷり浸かって年を重ねてきました。KWVとの関わりも卒業30年目に連合三田会の世話役年次に日吉の講堂前で幹事をした程度で何の貢献もできず過ごしてきました。
妙高山周辺はスキー場には何回か来たことはありますが、妙高山には登ったことはありません。今回登った「妙高山・火打山」は50年卒業の丸満さん、増田さん、実方さんの3人が今年のゴールデンウィークにアイゼンで登った記録がfacebookにあり、紅葉の季節には行こうと同期の五十嵐君と計画していたものです。健脚の登山者は一日で歩くとも言われる行程ですが、我々はのんびり登山が信条なので3日かけて歩きました。
前日と同様、クレープの生地にジャムを塗って朝食は終わる。天候も何とか崩れていないので早々に出発。茶臼山、天狗の庭、雷鳥平を過ぎて頚城三山の最高峰火打山山頂へ。天候に恵まれ頂上からは北に日本海、南には高妻山、乙妻山その左には黒姫山をはじめ北信五岳が峰を連ねる。西には焼山、雨飾山、遠くには北アルプスもうっすらと見える。
数えてもう20年は前になるが,ハヤカワから”冒険スパイ小説ハンドブック”というのが出た。なんでこんなものを持っているのかというと、推理小説からハードボイルドというものに寄り道をしてみて、その親戚筋にあたる冒険小説に興味を持ったからである。少年少女向け冒険小説というのはまず誰でも一冊や2冊は読んだだろうし、ロビンソン・クルーソーや十五少年漂流記などに興奮した記憶もあるはずだ。しかしそろそろ還暦(当時の話である、念のため)になろうかという人間が冒険小説なんてものよりもっと読むべきものがあるだろう、それでいいか。
話がずれた。一番読み込んだヒギンズ
来てくれた。そこで今日は朝から二人でウトロを目指す。途中、女満別の空港で東京からのSnさんを拾いウトロの民宿へ3時半ごろ到着。追っかけ、大阪のSuさんも到着。再会を喜びながらも明日からの準備で羅臼岳から下山する岩尾別温泉の駐車場に車を1台置きに行き、帰ってきてから再会の祝杯を挙げた。
コンビニでおにぎりやバナナを購入。1泊2日の行程なので食料の割合は全体的に少なく、ザックの重さは水も入れて20Kg位だろう。硫黄岳の登山口は、川全体が温泉で有名なカムイワッカからで、駐車場に着いて登山準備しながら、と一人が上を見るといた、いた。50mほど先にクマさんがお出迎え。我々の登っていく方向に登っていったので、ほっ! ちょっと、緊張感をもって、各自クマ鈴を付けて登山開始する。今日は行程は登山口⇒(4時間40分)⇒硫黄岳⇒(1時間25分)⇒知円別岳⇒(1時間)⇒南岳⇒(40分)⇒二ツ池のテン場 合計7時間45分となっているが、さほど暑くもなく快調に、やや、コースタイムより早く硫黄岳に到着。周辺は大爆発の跡が生々しい。でも、高山植物が気持ちを和ませてくれる。


素晴らしい脚力だ。そこからは4人そろってわいわいとおしゃべりをしながら、十分に休みコースタイムより早めに下山、コーラで乾杯‼ 旨い!!素泊まりの民宿へ。夕食は漁師の経営する居酒屋へ行って大いに盛り上がる。楽しい! 良い仲間に恵まれ、天候に恵まれ、感謝、感謝の2日間であった。
