”椿三十郎“ リメイク版、というのを見た。覗いてみるだけのつもりだったが結局最後まで見ることになった。”リメイク“ が何を意味するのか、知りたくなったのが理由だ。
映画でも XXのリメイク という表現はよくお目にかかる。例によって使い方もあいまいだが、今までは二つの意味で使われてきたのだと思われる。すなわち、
- 同じ題材の映画化だが、そのうちに代表作、と目される作品あるいは主演俳優がいるとき、“あのXX作品のリメイク” と宣伝する。小生得意の西部劇でいえば、史実として確認されているアリゾナ州はツームストーン、OKコラルでの撃ち合いを題材にした作品はいくつもあるが、バート・ランカスタの ”OK牧場の決闘” は ヘンリ・フォンダの ”荒野の決闘“ のリメイク、などという(注)。
- ストーリーは同じだが、シチュエーションをがらりと変えた場合。イーストウッドの ペイルライダー がストーリーは100%同じだが、場所を陽光あふれるワイオミングから、(多分)冬近い、荒涼としたモンタナに、主人公を流れ者のカウボーイから過去のある聖職者に、主人公を慕う子役を少年から思春期の少女に、悪役を雰囲気のあるガンマンから殺人集団に代えた、”アラン・ラッドのシェーンのリメイク“ であるのは前作を見た人間ならすぐにわかる。
実は今回もこの二つに当てはまるのだろうと思っていたのだが、後で調べてみたら同じ脚本をそのまま使った、ということで納得したけれども、”俳優が違うだけであとは100%同じ“ というこれぞ 正真正銘の remake で、前作を見ていれば次に出てくるせりふまで予測ができる、というのはまさに驚きだった。
最後の三十郎対室戸半兵 衛のシーン、前作はまさに抜く手も見せず、という早業で、突き刺さった胸から鮮血がどっと噴き出すという、その撮影テクニックまで話題となったものだが、今回はかなりの時間のつばぜり合いがあって、三十郎があわやという瞬間があったりしたのだけが違いだった。前作はモノクロだったので、噴き出す鮮血がどすぐろく画面に漂って、血の匂いがするような気がしたのだが、今回のカラーでは同じ撮り方だったら刺激が強すぎて不快感にもなったかもしれない。今回は尋常?な一撃で最後になるのだが、三十郎は最後に相手を抱きかかえて刀をぬぐって弔うという、ここだけが違った。余計なことだが、その抱きかかえた半兵衛の体のどこにも傷跡も出血もなかったのはどういうわけか、疑問もあるが。
つまりこの2作品では、まったく同じシチュエーションで演技する俳優の演技そのものが直接に比較できたといえる。見る人によって評価は当然違うだろうが、小生の感覚では三十郎役は互角、室戸役では何といっても仲代の存在感が圧倒的だった。加山雄三対松山ケンイチもおなじく加山のほうが面白かった。最後に現れる城代家老は前作では伊藤雄之助のおかしみが記憶にあったので誰が出てくるか楽しみだったが、藤田まことの登場でなるほど、と思った。
リメイク、の話だが、こういう作品の作り方が今後もあるのか、あるとすれば何を再現してほしいか、それぞれに思いは違うだろうが、想像するだけでも面白いのではないか。
(注)この事件の数ある映画化のうち、一番史実に忠実なのは ジェイムズ・ガーナーがアープ役、敵役のアイク・クラントンを ロバート・ライアンが演じた ”墓石と決闘” だそうだ。このあたりにもリメイクの面白さがあるようだ。