白馬で滑ってきました! (39 三嶋睦夫)

10日ほど前に西澤さん、堀川さんと 白馬に行ってきました。
八方は上級者向けコースを再認識し、午後のべたべた雪には大変苦労しましたよ。自粛疲れのなか? 白馬の写真でも眺めて頂ければ・・・・・と思い添付します。(このメールは ニポポにご一緒した事がある方に入れています)
下記情報は ご参考までにご覧ください。
1。白馬の人出
例年の半分以下です。(最近増えていた)外人が来れないのが、響いているようです。 スキー場、リフトなどは空いていて 我々は助かりますが・・・・・関係者は大変です。
雨飾遠望
2。 白馬マウンテンハーバー
2.3年前に 岩岳(≒1300m)の頂上に出来た 展望台・軽食レストランです。目の前の白馬3山を始め 180度の大展望は 山好きには堪えられません。素晴らしい眺めです! ゴンドラからすぐ近くですから、白馬方面へお出かけの時は 是非立寄られることをお勧めします。
マウンテンハーバーからの豪華な展望
不帰、唐松方面の眺め

(堀川)このコロナ禍の中、3月10日から同期の西澤昌幸さんと三嶋さんの3人で白馬にスキーに行ってきました。

丸丸一年ぶりのゲレンデスキー、しかも、無風快晴の最高の天気でやや雪が重いのが気にはなりましたが、まずは文句のない素晴らしいスキー日和でした。初日は午後から、2日目は終日ともにブルースカイ、3日目も青空こそならなったけど高曇りで景色観賞に何ら差し支え無しでした。おかげ様でよく滑りました。オーバーワークがたたったのでしょうか、帰宅した翌日に軽いぎっくり腰になってしましました。歳だなあ~と嘆いています。

(武鑓)白馬、天気最高ですね。

小生は先月初めに一人で尾瀬岩鞍へ日帰りで行ってきました。毎年1~2回はやってきたのですが今シーズンは出来ないと諦めていたところネットでスキーバスが出ているのを見つけ、空いてたので直前に申込み行ってきました。
バスは40数人乗っており蜜でコロナ感染が怖かったですが、尾瀬岩鞍スキー場はゴンドラもあってあまり厳しく
ない長いコースもあって楽しめました。空いていたのでリフト、ゴンドラも全て一人乗りでした。
特筆すべきは、ツアー料金が往復バス代に一日リフト券とワンドリンク、入浴割引券まで付いて5,100円で
格安でした。どうやって利益出しているのか業界関係者の客集めの苦労がうかがえました。

 

エーガ愛好会 (55) フレッド・アステアのこと (34 小泉幾多郎)

3月15日‾17日9時からBSPで、フレッド・アステアの映画「足ながおじさん1955」「バンドワゴン1953」「イースターパレード1948」が連続放映された。
「踊る大紐育1948」「巴里のアメリカ人1951」 「雨に唄えば1952」等MGMが同じ製作者アーサー・フリード、主演ジーン・ケリーで、歌と踊りの豪華版が製作された頃。1930年代ジンジャー・ロジャースと共に、ミュージカル黄金期を築いたフレッド・アステアは、「ブルー・スカイ1946」を名残に引退表明していたが、カムバックを果たし、その後ジーン・ケリーに劣らぬ活躍を果たす糸口となったと言える三作だった。

 「イースターパレード Easter Parade 1948」
ジーン・ケリー主演で撮影スタートしたが、ケリーが足首を骨折したことで、引退宣言をしていたフレッド・アステアに交代となり、監督もヴィンセント・ミネリが、当時の妻ジュディ・ガーランドとの個人的問題でチャールズ・ウオルターズに代わったといわくつきの作品。

物語は、アステアの以前からのパートナーであるアン・ミラーが、フォリーズに移籍してしまい、相手役に、新人ジュディ・ガーランドを発掘、訓練しながらのイースターの前日から翌年のイースターまでのショービジネスの物語。この間、アーヴィング・バーリンの17曲が歌と踊りで画面を彩る。どれも素晴らしいが、矢張り舞台上での歌やダンスが印象に残る。まずは、前相手役のアン・ミラーはタップダンスの名手と言われるだけあって、黒と黄色の衣装でShakingTheBluesAwayに乗って踊りまくる目の覚めるようなタップダンス。アステアの踊りでは、バックグラウンド・コーラスが普通の速さで踊る中で、スローモーションで、ステッキを持って見せる躍動感溢れる踊りSteppingOutWithMyBaby。

アステアとジュディが、みすぼらしい浮浪者に扮して気取って踊るA Couple of Swellsが圧巻で最後を締める。新カップルによる成功を祝うパーティでの旧カップルによるItOnlyHappensWhenIDanceWithYouの踊りもあり、アステアとジュディが、EasterParadeを唄いながらパレードするところで終演。
ジョニー・グリーンがアカデミーミュージカル音楽賞受賞。

 「バンドワゴン The Band Wagon 1953」
競売場で過去には有名だった音楽映画スターのトニー・ハンター(フレッド・アステア扮する)が過去愛用のトップハットとステッキが5ドルから売り出すもダダでも買い手がつかない。その後ニューヨーク行きの列車でも二人の乗客にくさらされ、到着の駅では新聞記者が大勢で、大歓迎かと思いきや、エヴァ・ガードナー(特別出演)への出迎えだった。駅での黒人の靴磨きを相手に踊るシーン
AShineOnYourShoesから始まる。アステアの相手役は純バレエ畑のシド・チャリシーが選ばれ、当初肌が合わないとか背丈が合わないとか、いざこざがあったものの、セントラルパークでのDancing in theDarkでハーモニーを生み出す。アステアは、二人のブロードウエイ作家ナネット・ファブレイとオスカー・レヴァントのミュージカルコメディで再起を図るが、ジャック・ブキャナン演出のファウスト芸術的現代版が大失敗。

若い座員たちとレヴァントのピアノ伴奏で、I Love Louisa等を唄い、内容を
変えて、ブロードウエイでの成功を勝ち取るべく地方巡業へ。ピアニスト レヴァントのピアノはこの伴奏のみ。何か弾いてもらいたかった。フィラデルフィア、ボストン、ワシントン、ボルティモアと巡業。巡業先毎に、ショウの舞台が紹介される。作曲はアーサー・シュワルツ。

フィラデルフィアではチャリシーが唄い踊るNewSun in theSky。ボストンではアステアとブキャナンが正装で踊るI Guess I’ll Have to ChangeMyPlan。ワシントンではファブレイがコーラスをバックに唄うLouisianaHayRide。そしてボルティモアではアステア、ファブレイ、ブキャナンがベビー服で膝をついて踊るTripletsでブロードウエイ凱旋となる。TheGirlHunt はアステアとチャリシーによる最大の呼び物、ミッキー・スピレーンの探偵小説のパロディ化した場面が進行、マイケル・キッドの振り付けはメカニックでシャープ。新しいショウは成功し再出発となった。

 「足ながおじさん Daddy Long Legs 1955」
ジーン・ウエブスター原作の映画化は、1919年と1931年と二度あったが、これはジーン・ネグレスコ監督によるミュージカル。ミュージカル音楽賞にアルフレッド・ニューマン、歌曲賞にジョニー・マーサー、美術監督賞にライル・ウイラー他3名がアカデミー賞の候補に上ったが受賞はならず。

フレッド・アステアとレスリー・キャロン主演。レスリーが、想像して踊るパリ、香港、リオを背景としたモダン・バレーの振付けはロラン・プティ。金持ちの実業家が毎月手紙を書くことを条件に、孤児の少女の後見人となり、大学進学のために奨学金を授ける物語。アステア扮する富豪ジャーヴィス・ペンドルトン三世は、ジャズ狂の伊達男、冒頭から自宅でドラムを叩く、History of the Beat。主題歌はDreamを含め10曲。主たるナンバーは、大学のダンスパーティでのSluefootでアステアの華麗な足さばき。レスリーをニューヨーク見物に招待し、テラスで踊るSomethings GottaGive。Dreamは二人が高層ビルから下界を眺めるシーンとラストのダンスシーン。

撮影時、アステアは当時46歳の愛妻フィリスを病気で亡くしたが、周囲に励まされ、降板せず、役者として当たり前とはいえ、画面では、そんなことは何ら感じさせない。

ワクチン接種前-PCR検査の実情について   (普通部OB 篠原幸人)

(編集子)普通部時代の友人、篠原幸人ドクターから同期仲間に送られている随想メールの一部をご紹介する。医学専門家からみたワクチン接種の実情を参考に今後の健康管理を心掛けたい。ドクター、毎々のご感想ご指導、感謝。

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 前回、ワクチン接種の経験談を書きました。それを読んでやはりワクチンを受ける気になったという嬉しい便りも頂きました。但し、ワクチンは2回接種が原則ですし、初回接種後2週間ぐらいまでは効果を発揮できないと言われています。接種したからとその翌日から夜の街に行くなんてことはやめてください。active 高齢者とは今は誉め言葉ではないですよ。

私も喉のイガイガ、軽い咳などあり、5日目には何と37.0℃と軽い発熱。体温はコロナの診断標準には達してないが、患者さんに接する身だしね。私から他人にうつすわけには絶対にいかない。発熱は2日で下がったけれど、友人とあったのはワクチンを打つ前だし、念のため外来患者さんの予約を全て一週ずらし、自分のPCR検査を施行しました。

このPCR検査は最近は唾液を使ってやる施設が多いが、私が受けた東海大学東京病院ではより正確を期して鼻腔から検体を採取する。抗原検査とPCRの両方のために左右2回づつ、合計4回も綿棒をこれ以上奥までは突っ込めないだろうというほど鼻の奥深くまで挿入され、かき回された。抗原検査は1時間ぐらい待てば院内で結果が出る。イライラしながら待っていると「先生、陰性でした」との連絡。これで第1関門は通過。しかしこの抗原検査は良くて70%ぐらいの確率。本当のコロナ遺伝子検索であるPCRのためには、遺伝子を増やして調べるので丸1日かかる。帰宅して、眠れない?夜を過ごす。本当はグッスリ寝たが、翌朝の血圧は普段より20mmHgほど上がっていた。俺も気が小さいね。

陽性なら2週間休養できて嬉しいが、それでは外来患者さんや関係者に大変な迷惑がかかる。翌日15時まで待っても病院から連絡なし。16時半ごろやっと「先生、PCRも陰性です」との電話。正直、自分では大丈夫とは思っていたが、スケジュールを大幅に崩さなくていいと分かって本当にホッとした。

皆さんも一寸でもおかしいと思ったら、PCR検査を受けてください。検査は長くても2-3時間で済みます。心配して結果を待つのが苦痛だけどね。鼻腔で検査したくなかったら口腔内でとお願いすることも可能です。病院によっては、くしゃみされると困るからと、最初から唾液でやることもありますね。これでワクチンも、PCR検査も自己の経験談を話しました。コロナで入院するよりずっと楽だと思います。皆さんもそんな状況に陥ったら、恐れず挑戦してください。

 

コロナ禍の消化法―オーディオファンの皆様へ  (44安田耕太郎)

マニアではないがコロナ禍で自宅にいて、映画に加えて、音楽を聴く機会が増えました。 再生音楽をオーディオシステムで聴く時、音の ダイナミクス(dynamics)やダイナミックレンジ(dynamic range) という表現を耳にします。
音楽の作曲や演奏における「ダイナミクス」と云うのは、象徴的なものとして「pp(ピアニッシモ、とても弱く)」「mf(メゾフォルテ、少し強く)」、「f(フォルテ、強く)」のような強弱記号で表される、音楽または音色表現の強弱を示す場合があります。

生演奏でない再生音楽をオーディオシステムで聴く場合、スピーカーのダイナミクスが優れていると、より生の音に近く聴こえると云われます。音の「ダイナミクス」とは動的なリニアリティ(linearity 直線性)と置き換えてもいいかもしれません。スピーカーからどれだけ大きな音を出せるかということではなく、瞬間的に出さなければならない音を、どこまで瞬時に発することが出来るかということです。要は瞬時のトランジェントの(transient、一時的な)スピード感です。

分かりやすい例を挙げれば、隣の部屋で演奏される実際のピアノの音とオーディオシステムから発せられるピアノの音とでは、どちらが生の音かは見えなくても聴けばすぐに判断できる。音色の違いも識別する要因ですが、それは周波数特性と音量がまったく同じだとしても、音のエネルギーが発せられる(burst)ときのスピードが異なるからです。生のピアノの方が圧倒的に早く迫力があります。それが両者の音の存在感を決定的に違うものとしている理由です。楽器がヴァイオリンの場合も結果は同じです。電気信号を音に変換するオーディオシステムでは、このダイナミクスをいかに上げて生の音に近づけるかは難しい物理的課題或いは限界です。

オーディオにおける「ダイナミック・レンジ」は、録音再生できる最小と最大の音の比率、幅を表す尺度。大雑把には「ダイナミック・レンジ(音量の大小)」はダイナミクス(音楽表現の強弱)を構成する一つの要素である」と言い換えることもできし、ダイナミック・レンジの小さいオーディオ・システムでは大編成のオーケストラ演奏曲を生に近い迫力で聴くのは不可能です。

ダイナミック・レンジを表す単位、最小音量と最大音量の関係を示す比率(倍率)をデシベル(dB)といいます。デシベルは対数(通常logと表記)なので、単位数が大きくなるにつれても比率は比例しません。

デシベルと音量の関係をあらわす目安をあげてみます。

120dB    飛行機のエンジンの近く
110dB    建設現場のリベット打ち
100dB   電車が通るガード下
90dB     大声による独唱
80dB     地下鉄の車内(窓を開けた)
70dB     騒々しい事務所
60dB     普通の会話
50dB     都会の住宅地
30dB     静かな住宅地

電車が通るガード下(100dB)は普通の会話の音(60dB)の100倍、飛行機のエンジン音は1,000倍の大きさ(6dBの差で2倍、10dBで3倍、20dBで10倍)の大きさ、窓が開いた地下鉄車内は普通の会話の10倍の音の大きさだ。

市販のオーディオ・スピーカーのダイナミック・レンジは80dB〜100dBくらい。ベートーベンの交響曲第5番「運命」、ワグナーの「ワルキューレの騎行」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」などのダイナミックレンジの大きな曲は、90dB以上あるオーディオ・システムで余裕を持って聴きたいものです。

「オーディオは生演奏には絶対かなわない」というような表現をよく耳にします。オーディオと生演奏は、両方の魅力、そしてお互いの一長一短があるはずだと思います。オーディオをコンサートの代替でなく楽しんでいる粋人を何人も知っていますが、 一級のオーディオ製品は、技術(technology )と芸術(art)が最高点で融合する時に産まれるといわれます。技術は音響学的・電気的・機械的面を総合する製品作りをさし、オーディオにおける芸術性は、個性的で魅力的な音創り面と工業製品としてデザイン面に表現されることになります。先に述べた「ダイナミクス」を向上させる目的は製品開発の最重要課題の一つです。

自分の好みに合ったオーディオは生演奏とは全く異なる音楽の悦びを与えてくれそれ自体が独立した存在ともなり得ます。自分の愛機 (眺めるのも愉しい) からいかに素晴らしいサウンドを作り上げ、再生で聴く音楽というのは、コンサートで味わう音楽とは別世界。比較する対象でない別物だとも云われるし、オーディオで再生音楽を楽しむ達人を「レコード演奏家」と言ったりもするほどです。

生演奏の1番の魅力というのは、大音量、ダイナミックレンジの広さ(再生空間の広さ)、音場に包まれる空気感といったものでしょう。また、そのとき、その場所にいて、その感動を得るというリアリズムが堪らなく魅力的なので、こればかりは一般家庭のリスニングルームでは敵わない永遠の壁でもあります。 一方で生演奏は、座席による音響のムラがあるし、また演奏者の出来不出来によるムラもあります。ダイナミックな迫力はあるのだけれど、結構雑というか不出来の時の生演奏ほど落胆するものはない。その点オーディオは、当たり外れがなく常にベストの演奏、音響を時を選ばずして聴けるので、 生演奏は生演奏。オーディオはオーディオというように楽しみ方を割り切るのが賢明だと思います。

そういう意味でも、生演奏とオーディオは持ちつ持たれつだし、楽しみ方はそれぞれ違うところにある、と思っているので、一概に、「オーディオは生演奏には絶対敵わない」などと言うつもりはありません。1980年代以降の「重厚長大から軽薄短小」と「アナログからデジタル」の波に呑み込まれて久しいオーディオ業界は、往時1970〜80年代の熱気はもはや無く、ヘッドフォンやイヤフォンで音楽を聴く風潮を憂えています。昨今、自ら楽器を弾き、歌うDIYに勝る楽しみ方はないとつくづく思います。DIYできない人の戯言ですが。

(菅原) 小生、難しいことはサッパリ分かりませんが、若かりし頃は、例えば、五味康祐の「西方の音」などを熟読して、高級な 音響装置に憧れたものです。例えば、タンノイとかワーフデイルのスピーカーなど。しかし、一介の会社員が贖える価格ではなく、結局、身の丈に合った装置に落ち着きました。それに、どう足掻いても「生は缶詰に優る」からです。生より美味い缶詰はあるんでしょうか?
現在は、パソコンにイヤフォンを付けて聴いてる体たらくで、かなり堕落した音響環境です。共同住宅住まいでは、致し方ありませんが。と言うわけで、缶詰も乙なもんだと楽しんでいる次第です。

(安田)五味康祐はギョーカイでは有名なオーディオ評論の巨人でした。僕も彼の著書を愛読しました(写真貼付)。泰斗ぶりは半端ない達人でした。剣豪小説家らしく、製品や演奏を首斬り山田浅右衛門の如く、小気味良くぶった斬っていました。タンノイ、ワーフデール共にイギリスの名門スピーカー。タンノイは僕が勤めた会社が一時期子会社として傘下に所有していて、五味も愛用していました。工場はスコットランド・エジンバラ近くにあって現役時代訪問したことがあります。クラシック音楽向き、特に弦楽器が素晴らしいスピーカーです。

(編集子)筆者は著名スピーカーメーカーの勤務が長く、製品や業界情報に詳しい存在。世の中には (今さら聞くに聞けないし)、という、人間のミエが沢山ある。デシベル、という言葉をもう一度、理解しなおしてみようか。編集子には生演奏の出来不出来、を聞き分ける能力は全くないから、(今日のピアノはどうだった?)などという話題にはくわわれない。これは(聞くに聞けない)レベルではないと思うんだが、(聞ける)人って結構いるんだろうなあ。

時代劇チャンネルを見て思うこと

テレビ放送の初期、ほぼ毎日何か連続ドラマを見るのが当たり前だった。拳銃無宿、ライフルマン、サンセット77、ララミー牧場にペイトンプレース、8時になればジャイアンツ戦、と夕食後の時間の使い方はテレビ次第だった期間があったが、昨今は全盛のバラエティ・お笑いものには全く無縁でニュースとミステリチャネルくらいしか見向きもしてこなかった。それを此処へ来てそのパターンを変えた。コロナ騒動の影響でテレビを見る時間が増えたのが直接の理由であるが、時代劇専門チャネル(502)で夕食前に放映される 大岡越前 と 遠山の金さん という2本を見ることにしたのである。

周知のように主人公二人とも実在の人物ではあるが、ふたつの作品は徹底した娯楽ドラマであって、史実に忠実であろうとする大河ドラマのように厳密な時代考証があるわけではないし、この二人が活躍した時代にはほぼ100年の違いがあるのだが、街並みのセットも登場人物の風体や振る舞いも全く違わない、時代劇東映 のスタジオ作品である。町奉行ともなれば街へ出るには駕籠を使うような待遇だったというが金さんは毎日遊び人暮らしだし、越前は深編笠こそかぶってはいるがひとりで居酒屋へ現れる始末、うるさいことを言えばきりがないのだが、そういうことよりも背景に描かれる江戸の街、江戸市井の人々の描写が実にいいのである。グーグルによれば、どういう理由だったのか知らないが遠山は北町奉行を2度、勤めている。もしかして一度退任後、超豪華接待で後任者が辞職してその後の整理のため…..等でもあったのかもしれない。大岡はドラマでは山口崇が扮する八代将軍吉宗の、遠山は家斉、家慶の治世の人物である。

金さん のほうは徹底して自ら修羅場に登場するマッチョの勧善懲悪、白洲では言い逃れをする犯人に最後に自らが肌脱ぎになって “てめえら、この桜に見覚えがねえってのか?” というセリフが出なければ終わらない、徹底したワンパターンものである。越前 のほうは題材が必ずしも勧善懲悪パターンだけではなく、人情ものもあれば当時の街中の人々に溶け込んだ話が結構たくさんあって、白洲でのいわゆる越前裁き、そのものがどうなるか、最後まで決着がわからないという仕掛けである。金さんの役は小生が見るようになってからでも、松方弘樹、杉良太郎、そのほかあり(まだ見る機会がないが、橋幸夫版もある)、いま再放送のシリーズでは高橋英樹と変わってきたが、なんといっても松方金さんが一番よかった。生まれつき持っていたのだろうが無頼性というか不良性というか、それがよかった。ほかの配役、特にいまの高橋英樹は上品すぎるというか甘すぎる感じがする。引き換え、越前の加藤剛は徹底して格式高いサムライを演じているが、夫人雪絵役の宇津宮雅代、こんな魅力ある女優がいたのかと今頃感激する。渋い大坂士郎にコメディ調で常連の高橋元太郎に松山英太郎、時々登場する片岡千恵蔵などなど、何 よりも脇役陣が楽しい。

ところで、ここでエーガ愛好会の話をするのが本稿の目的ではない。言いたいのは、この二つのドラマをみて感じる、史実でいえばほぼ百年続いているはずの、江戸 のすばらしさである。大岡の私邸の豪華さにくらべて町人の家なみや長屋の貧弱さ、多くのストーリーで悪役をつとめる豪商たちの生活、浪人たちの困窮、大岡夫人が口を開けば下働きの少女にさとす ”おなごは殿方のなさることに口を出すものではありませんよ“ というせりふ、すべて現代われわれが何かといえば話題にする階級社会だとか格差だとか男尊女卑だとか、それだけとりだせば(今の眼で見れば)問題だらけの社会のはずなのだが、そこに生きている人たちの生き生きとした振る舞いや人情の通い合いとか、そういうことがらのことである。

僕らが教わってきた歴史によれば、このような春風駘蕩の世の中が外国列強からの脅迫により体制の変革を要求されて、いわゆる明治維新に至り、その結果、列強に伍することのできる近代国家ができたのだ、ということになっている。その感覚というか、司馬史観というのか、それをもっとも明確に書いたのが 坂の上の雲 で、白状すれば、僕は徹底した司馬ファンであり、江戸から東京への変革についてもこの小説の描いたものを信じる、といえば少し変だが、維新によってこの国はより素晴らしいものになったのだ、と思い込んでいた。しかしこの2本のテレビプログラムの背景をなす(どこまで考証されたものか、は別問題として) 江戸 の街を見て、昨今、いろんなシーンで議論される 日本は先進国ではなくなった(なりつつある)という議論を疑うようになった。別の言い方をすれば、”先進国“ とは何を言うのか、という疑問でもある。ヨーロッパの国々の成熟度(この定義そのものにも疑問はあるのだが)を示す、経済、社会、政治、いろいろな分野で彼らが作ってきたものをいうのか。つまり彼らの作ってきた民主主義国家が 進んでいて、日本は遅れている というというのか。

先般、本稿で少し書いたが、第二次大戦後の混乱は別として、国家として再建されて以後、日本の若者はひとりたりとも戦争で死んでいない。領土の争いとか資源の取り合いとか極めて明白な理由ならばまだ理解する余地はあるが、宗教の違いとか、人種問題だとか、イデオロギーだとか、はっきり言ってしまえば議論のしようのない問題に何か正解があるはずだ、といがみあい、その結果数多くの人命を失ってしまったのがすなわち先進国の現状だとすればこれはまた悲しいことではないか。民主主義の総本山だと思い込んできた米国では暴徒がこともあろうに光輝あるデモクラシーの殿堂たる議事堂を襲撃するなど、想像もつかないことが起きているのが ”先進国” の現状である。こういう悪にくらべればたかだか晩飯を一緒に食ったか食わなかったかなどでもめている国会の紛糾など、かわいいものだが、いずれにせよ国家のレベルで起きていることは 果たして民主主義が世界を救える解決なのか という根本的な問いのような気がする。こう言う問題を提起するについては、小生のささやかな主張だが、IT技術の無分別な発展拡大・自己増殖によって、多くの国(もちろん日本も含めて)の社会はすでに 大衆社会 という人類がかつて明白に意識したことのない, イデオロギーでは統治し得ない段階に来てしまっている、という意識がある。

越前や金さんが悪を懲らしめた時代、たしかに民主主義はなかったし女性の社会進出もなかった。困窮者も数多くいただろう。しかしここに描かれた江戸の庶民はそれなりに明快な正義が行われることを良しとし、自分たちの世界のなかで、云わば ”麒麟が来た“ 社会を作っていたのではないか。越前が活躍したのは “三代家光か八代吉宗か” といわれた、名君の代表である徳川吉宗の時代だが、究極的にはデモクラシーなどとは縁遠い独裁の政治であった。それでも江戸の街は栄え、多くの人々はそれなりのささやかな平和を満喫していたはずである。

二つの肩の凝らない時代劇を見ていて感じているのは、もしかして我々が目指すべきは 英君をいただく独裁政治なのではないのだろうか? という素朴な疑問である。デモクラシーの発祥の地とされているアテネだって経済や軍事は市民権を持たない奴隷によって支えられていたのだし、ローマ帝国もその形をひきついでいたはずだ。世界がひとしく民主主義によって動く時代になった、だから歴史は終わった、とフランシス・フクヤマが説いてからまだ日は浅いのだが、本当にそうか? と問いかける必要がでてきたような気がする。各位のご意見をぜひお寄せいただきたい。有り余る時間を熱した議論ですごすのはまことに結構な話だと思うのだが、いかが。

もう満開の桜です     (34 小泉幾多郎)

今日の西方寺の中日桜の写真を送ります。お彼岸の中日頃咲くので、その名がつけられたそうで、薄ピンクの小ぶりの花で、ソメイヨシノよりもちょっと早く咲きますが、今年は、いつもより早いようで、もう満開に近い状態でした。境内に椿の花も咲いてました。

西方寺は、港北区新羽町所在。横浜地下鉄新羽駅から徒歩5分。800年前鎌倉にあり、500年前に現在地へ。KOBUKIさんのメールにもありましたが、秋の曼殊沙華でも有名なお寺です。

(41 久米)西方寺の素晴らしい中日桜の写真、ありがとうございます。
先日、西方寺を訪ねました際は蠟梅が満開でした。
しかし、目立った桜の木もなくこんなに可憐な桜が咲くとは
全く気が付きませんでした。西方寺の近くの専念寺には2本の枝垂れ桜の大木があり、桜の時期に再訪してみましょうと主人と話しておりました。
金、土曜日の雨で花が痛んでしまうのが心配ですが月曜日にでも訪れて見ます。

 

古き良き時代のエーガ(2) 陽のあたる場所   (普通部OB 船津於菟彦)

前回の「探偵物語」についで、普通部時代に先生引率で鑑賞した映画。1951年度のアメリカ映画で「探偵物語」「巴里のアメリカ人」「欲望という名の電車」そしてこの「陽の当たる場所」の4本がこの年を代表される映画とされている。文部省推薦映画にも選ばれている日本公開は1982年9月だから我々が見たのは普通部2年生,部歌にいう「若き学生」のころ。その時のパンフレットをとってあったので御覧に入れる。紙は「わら半紙」の様な雑な物で多分日比谷映画で観たのだと思われる(当時ロードショウは「東劇」「有楽座」「日比谷映画」の何れか)。

 

何と言っても「モンティ」=モンゴメリー・クリフトのどこか寂しげで孤独感を漂わせる雰囲気、繊細な演技と表情は巷の女性陣の心をさらった。モンゴメリー・クリフト(Edward Montgomery Clift, 1920年10月17日1966年7月23日)は、アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ出身の俳優。Montgomeryの発音はモントゴメリー「mɒntˈɡʌməri」で、愛称モンティ(Monty)はそこから来ている「地上より永遠に」にも出演。女性陣は何と言っても美女エリザベス・テイラー。可憐で綺麗。

物語は原作のタイトル「アメリカの悲劇」が示すように、本作は格差社会がもたらした数奇な運命を描いている。貧しく学のないジョージ・イーストマン(モンゴメリー・クリフト)は、日陰で生きてきた自らの境遇にコンプレックスを抱いている。彼は伯父のチャールズ・イーストマンに会い、彼の工場に職を得る。伯父の家で社交界の花アンジェラ・ヴィカース(エリザベス・テイラー)に会い、「出会う前から愛していた」(I love you. I’ve loved you since the first moment I saw you. I guess maybe I’ve even loved you before I saw you.)と告げるが、それは裕福な身分への憧れが反映されているからだ。彼はひたすら「陽のあたる場所」を求めて彷徨ったのだ。しかし、身分の違い遠い存在と思っても居る。同じ職場にいたアリス・トリップ(シェリー・ウィンタース)は身よりのない娘で、映画館でふと隣合わせになり、女性の多い職場で社員の交際が禁じられていたにもかかわらず、2人の仲は急に深まる。ジョージは妊娠した彼女に堕胎をすすめるが、医者は引き受けてくれなかった。アンジェラとジョージは夏を別荘に過ごす仲になっていき、アンジェラの両親も2人の仲を許していた。

そして、アリスは結婚を迫り、承諾しなければ自分との間を公にすると脅した。翌日、出世の妨げになるアリスを溺死させようと、彼女を湖に誘う。ところが、アリスのひたむきな愛情を知り、彼女を溺死させる気持ちを失う。アリスは逆に恐怖にかられ、ボートの上に立ち上がったため、ボートが転覆、アリスは溺死する。ジョージは裁判にかけられ、殺意のあったことを認めたが、犯行は否定する…。死刑が行われる日にアンジェラは獄舎にジョージを訪ねて「永遠の愛を誓った」ジョージはアリスが溺れた時例え殺人をしていなくても心の中で殺人を犯したと同じ事だと電気椅子へ廊下を落ち着いた足取りで歩いた。

この裁判の時のシーンが今でも心に残っている。法廷のボートが運び込まれ、フランク・マーロウ判事(レイモンド・バー(Raymond William Stacey Burr)が鬼のような形相でジヨージの犯行を迫る。そり後刑事物でも活躍したが、まだあのボートをオールで叩くシーンは目に焼き付いている。名演技だった。

 

ポーランド映画のはなし (2)  (大学クラスメート 飯田武昭)

私のポーランドへの興味はショパンの音楽とポーランド映画(特にアンジェ・ワイダ監督作品)とそれから小児科医であり児童文学者のヤヌシュ・コルチャックの児童文学です。

順番は逆になりますが、コルチャック先生で知られる著作の中で「こどものための美しい国」というタイトルの子供のための空想の国のお話しは、小学校低学年位までのお子さんを持つ人にプレゼントした事もありますが、大変喜ばれました。

アンジェ・ワイダ監督のポーランド映画は世界の映画史の中でも、映画生産国としては小国ながらその人間性、社会性、映像美等で必ずピックアップされる作品が少なくとも数本あります。「灰とダイヤモンド」「地下水道」など抵抗(レジスタンス)3部作と言われる作品を初め「約束の土地」「夜行列車」「夜の終わりに」「大理石の男」などです。(後の数本はワイダ監督物ではありません)

もう一つのショパンですが、私がドイツ(ハンブルグ)勤務時代の1970年代に仕事でポーランドへ数回出張していた際に(主として当時、ポーランドの繊維公司(こんす)にポリエステル繊維製造設備一式を日本から輸出する契約が出来て、その製造技術の部分を私の会社が担当し、伊藤忠商事が機械一式を輸出する約6~7年に亘る大きなプロジェクトでした)契約の調印式にわが社の社長(東洋紡)が日本から参加しました。その際にポーランドの繊維公司と会食したりする機会が多々ありましたが、先方からはショパンのピアノ曲アルバム(添付写真を参照ください)を記念品に贈られました。

この全集は5枚のLPレコードから成っていて、演奏者が全員ポーランドのピアニスト(後に調べるとショパンコンクール優勝者を含む数人が演奏者です)いう事が又彼らの自慢でもあったと思います。密かにポーランド人はショパンはポーランドのピアニストが弾くのが一番だと思っている節があります。

ワクチンは怖くないよ!   (34 船曳孝彦・普通部OB 篠原幸人)

(船曳)

新型コロナVirus肺炎に対する国の対応は、これまでにも繰り返し申し上げてきましたが、不十分なPCR検査体制、官尊民卑かつ役所間の高い壁などのお役所的対応、厳重防止策と言いながらGo-Toトラベルなどの真逆な対応、ワクチン接種の全体像が決まっていないなど、2政権とも中途半端な場当たり的対応としか評価できません。これでこの程度の蔓延、死者数で収まったことは世界的に不思議な経過と見られています。決して一流国とは見做されておりません。日本は製薬会社に完全に舐められており、本当にワクチンは供給されるのか、分からなくなってきたようです。本当に情けなく、敢えて失政といいます。しかし、私の心配していた通り、問題を残したままスタートとなり、すでにワクチン接種が始まっています。アナフィラキシー症状らしき症状がぼつぼつ出現していますが、過去にこの発作を経験した人でなければ、特に男性ではそれほど心配することはありません。一体何時になったら受けられるのか分かりませんが、この多くの読者の方は高齢者ですので、もし順番が来たら進んで受けてください。また、1年前に私の主張してきたPCR検査の普及が変異株出現に押され、やっと始まろうとしています。私的機関では高い金額の施設もあってこれはどうかと思いますが、本来行政のやることでしょう。機会があり納得できればお受け下さい。痛くも苦しくもありません。ワクチン接種なんて怖くない。順番が来たら受けてください。

(篠原)

1-2週前からテレビでは国立系の病院を中心に、医療従事者へのワクチン接種の画像が頻回に流れていますね。しかし、ワクチンがまず配られたのは国立大学系病院や一部の総合病院だけでした。しかもそれらの病院の一部には、新型コロナ患者さんをあまり見てくれていない病院も含まれていることに私は少し不満でした。私が働いている準国立の国家公務員共済組合連合会立川病院や、入院ベッドを全て新型コロナ患者に特化した東海大学東京病院にもなかなか新型コロナ用ワクチンは回ってこなかったのです。これでは高齢者や一般の方々へのワクチン接種は4月からは難しいなと思っていました。

イスラエルは国民の90%以上が一回目の接種を終了したというニュース、見ましたよね。世界の大手製薬メーカーの上層部はほとんどユダヤ系に牛耳られているからかもしれませんが、それに対して、日本はなにしているのかと。不気味な薄ら笑いを浮かべながら答弁をするワクチン接種専門大臣にも不信感を募らせていたのですが。

昨日、外来のため立川病院に到着すると、なんと急にワクチンが届いたので、今日からでも接種が可能とのメモが机の上にありました。外来終了後、早速会場にむかいました。体調と体温、以前のワクチン接種後の副反応、既往歴や現在服用中の薬などを記載したアンケートを提出し、簡単な問診をうけてから、迷うことなく接種を受けました。左上腕骨の骨頭から指幅2本ぐらい下の上腕三頭筋肉内に注射を受けました。痛かったかって? 皮膚に針を刺すんだから痛いのは当たり前でしょ。しかし筋肉内にワクチンを注入中はもう痛みはナシ。1-2秒で接種はおしまい。あと別室で30分座って様子を見てくださいと頼まれ、今日の外来の書類を整理しているとあっという間に30分が経過。注射部の痛みも何もない。自分の部屋に戻り少しだけ仕事をして、そのまま車を60分ほど運転して帰宅。過去に予防接種で具合が悪くなった人や喘息などのアレルギーを持つ人以外は今回のコロナワクチン接種は全く心配ないと思いますよ。一時的に気分が悪くなっても、接種会場にそれに対応する用意があれば恐れるに足らずというのが私の感想です。但し、かかりつけのお医者さんがいる方は事前に念のため必ず相談してください。

当日の入浴は可ですが、接種日の深酒や注射部位をこすったりもんだりはしないほうがよさそうですが。

接種後1-2日間は注射部位に痛みや腫れ、それにだるさ・頭痛・発熱・吐き気・関節痛・リンパ節の腫れなどの報告はありますが、大体1-2日で収まります。私は今日で2日目ですが注射部位に触ればちょっと痛いかなという程度。早速今日は趣味のスポーツをいつもどおり楽しみました。

かかりつけの先生のOKが出たら皆さん、怖がらずに接種を受けてください。私の経験では高齢者でも、怖がる必要は全くありませんよ。