乱読報告ファイル (1) ハモンド・イネス ”孤独なスキーヤー”

イギリスには1930年代に花開いた推理小説というジャンルとならんで、冒険小説その展開として海洋冒険小説という伝統がある。陽の沈まない帝国を誇った時代、大航海時代に地球を駆け巡った英国人には海というものがそれだけ親しいものだったのだろう。同じ島国である日本に海洋冒険小説が育たなかったのは同じ時期、我が国が鎖国していたからだろう。残念なことだが。

日本が第一次大戦に参加してそのいわば分け前として南洋諸島と呼ばれた太平洋の島嶼の一部を信託統治するようになってから、子供向けの小説としては南洋一郎だとか山中峰太郎などの作品がならんだのは記憶に新しいが、残念ながら我が国に英国に比肩する海洋冒険小説、というジャンルに特筆するような作品は思い及ばない。

英国の冒険小説のうち、現代に題材をとったものの多くは2回の世界大戦にかかわる話が多い。代表的な作品としてはまずアリステア・マクリーンの出世作 女王陛下のユリシーズ号 とジャック・ヒギンズを一躍人気作家にした 鷲は舞い降りた を上げなければならないが、ほかにもマクリーンなら映画化された ナバロンの要塞 ヒギンズなら 狐たちの夜 ウインザー公略奪 などなどがある。この二人に次いで人気作が多い デズモンド・バグリイ、ギャビン・ライアル、バーナード・コーンウェル、なども読んできたが、だいぶ古手(原本を取り寄せたら表紙に classic と添え書きがあった)のひとりにハモンド・イネスという作家がいる。この人の作品がほかの人気作家と異なるのは、その舞台というか背景が社会情勢とか政治とかというよりも、常に大自然と人間との対決に置かれている点だ。

孤独なスキーヤー (原題: The Lonely Skier)は原本で127頁という比較的短い作品でだいぶ以前に翻訳を読んだことはあったが、今回英語の勉強をかねて読み返してみて、多くの作品とは異なった印象を持つ、すぐれた小説だと思うようになった。話の大筋は第二次大戦末期にナチが秘匿した金塊を探すというありふれたテーマで、話が展開する舞台は雪に閉ざされたヒュッテという、これまたミステリに多い設定なのだが、そうはいっても、なにか難しい推理があって最後に名探偵が登場して解決、というような作品ではない。

特に小生が感心したのは主人公が騙されてドロミテ山系の急斜面につれていかれ、深雪に転倒して動けなくなり、雪崩の危険に遭遇する場面の詳細な描写である。スキーヤーの一人として同じような経験は何度もしていて(自慢するわけではないが小さななだれもどきに巻き込まれた経験もある)このくだりの描写が自分の体験に即しても実に正確だと思った。おそらくイネス自身、スキーをやった人に違いないと思う。このシーンを読んでいて、突然、自分にとっての最後のスキーとなった、吹雪の志賀高原、焼額コースでのラストランのことを思い出した。なんと表現したらいいのかわからない、失ったものへの懐かしさと寂しさとが入り混じった感情だった。自身これまで乱読を重ねてきたが、このような感情ははじめてのことだった。

ところでこの作品自体もまた、なんとも表現しにくい、ハピーエンドとは程遠い結末で終わる。金塊も発見されないし、舞台となったヒュッテは登場人物の一人である女性の放火で、紅蓮の炎につつまれて全焼してしまう(ここだけとれば例の レベッカ のような終章である)。そして主人公をこの事件に放り込んだ諜報部の上司も現場から治安当局へ連絡のためにくだったスキー滑降の末に重傷を負って死んでしまう。此処まで読み切って、初めて読者は 孤独なスキーヤー というタイトルの意味を知ることになる。ほかの多くの小説群がそのエンディングで、ハピーエンドにせよトラジックフィニッシュであれ、とにかく読者を解放するというか納得できる結びになるのだが、この作品に限ってはそうはならない。これも初めての経験だった。

”アメリカには冒険小説は育たない“ と誰だったか著名な作家が書いていたが、英国人にとって自然はロマンであるのに、米国人には克服すべき対象としか映らないからなのではないか。そんな気持ちにさせてくれた一編であった。

(編集子)本稿になんでもいいから読んだ(あるいはかつて読んだ)本についての雑感を勝手に書き綴る、というシリーズを始めることにした。本の種類は問わず、難しいことは言わない、要は乱読、の報告である。各位のご投稿を待ちたい。

 

 

久しぶりの高尾山   (39 堀川義夫)

2020年10月28日以来、実に8カ月ぶりの月いち高尾を開催しました。コロナ禍のもと待ちに待った開催でした。

参加者は一時は20名以上になりましたが、時節柄、コロナのワクチン摂取を控えている、特に2度目の摂取で慎重を期したい等々の理由で直前並びに当日、諸般の理由で参加取りやめの方がいて、結局16名の参加となりました。集まった面々は皆さん元気でこの方たちだけを見ているとコロナは何処へ行ったのかと思うくらいです。とは言え久しぶりの山行ですからくれぐれも無理をしないよう、事務局からアドバイスをしました。この結果、ケイブルカー利用組9名、あくまで歩くぞと言う元気組7名は稲荷山経由で頂上へと向かいました。

参加者

  • ケーブル利用班 船曳夫妻、椎名、遠藤、高橋良子、蔦谷、立川、相川 岡沢 9名
  • 稲荷山    翠川、菅谷、矢部、三嶋、安田、伊川、堀川   7名

ランチタイムも余裕で・・・この後、パラっと雨が来ましたが、傘を出してさすと同時に止んでしまいました。オリンピック・モニュメントが・・・何かそらぞらしい気もしますが・・・素直に楽しみました。


一応、テーブル4卓に10人。飛沫除けのプラスチックの
締めは久しぶりのてんぐ飯店。10名が参加しました。

ボードも用意されていました。生ビールと焼酎、何時もの餃子とシュウマイに料理2品で簡単に短時間でお開きに。締めてお一人様1200円也。親父さん!今度はゆっくりもっと大人数で来ます!!

(42 下村)

 梅雨の半ばで心配しておりましたが、天気に恵まれて良かったですね。

私はワクチン2回目の接種が7月第2週ですので参加を見合わせましたが、諸先輩のお元気なお姿を拝見すると参加させて頂いても良かったかなと後悔の念なきにしもあらずです。秋には集団免疫が期待できそうですので今から楽しみにしております。

(41 久米)

月いち高尾の報告、楽しく拝見いたしました。雨にも降られず良かったですね。

久しぶりの高尾山、皆様楽しまれたようで羨ましく思いました。私共は7月11日が第2回目の接種となります。それ以後は行動も自由になるかと思われます。次回の月いち高尾を楽しみにしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

檜原村を歩いて来ました    (44 安田耕太郎)

日帰りで檜原村の滝巡りをしてきました。

秋川渓谷沿いの沢に入ると数か所の滝が流れ落ち、杉木立の沢に沿って15,000歩の良い汗をかいたハイキングでした。

ランチは渓谷を見下ろすテラス付きのイタ飯屋で、アルコール無しビールで喉を潤し舌鼓を打った。写真数枚貼付します。今は身近な場所を楽しみながら、コロナ収束後のもうちょっと本格的な山歩きが楽しみな今日この頃です。

一服の涼をお楽しみ下さい。

 

 

 

エーガ愛好会(72)  市民ケーン

映画ファンのはしくれとして、今まで見る機会に恵まれなかったし、資料によれば米国では史上最高の評価を長期にわたって受けている作品と承知していたので、多大の期待を持ってBS劇場にのぞんだ。しかし、見終わった感想は期待外れだった、としか言いようがない。

専門の人たちの評価はおそらくこの作品に示された、映画作成上の技術的側面に対してのものだろうし、そういう面で言えば、確かに画面の作り方とか、導入部の画面の技法とか、プロの眼でみれば高い評価を受けるのかもしれない、とは思う。しかし映画を見終わった後になにか心に残ったものがあったのか、あるいは単純にあのシーンはよかった、というような即物的なものがあったか、といえば、なかった。このあたり、愛好会の方々からはお叱りを受けるかもしれないが、小生の実感。

なお、資料を見る以前からそうではなかったのかと思っていたが、やはり新聞王ハーストがモデルということで、確認してみてさもありなん、と感じた。米国駐在中に住んでいたベイエリア、いまでいえばシリコンバレーからハーストの住居あとまで至近の距離だったが、最後まで行く気が起きなかった。そういう先入観みたいなものもあったのかもしれないが。

(HPOB  菅井康二 )私もGiさんの感想に全く同感です。ストーリーにも登場人物(アンチという意味でも)にも感情移入出来ない作品としか言いようがありません。

(44 安田) Giさんと同感。「アメリカ映画ベスト100」で第1位にランクされ、世界映画史上ベストワンとして高く評価され革新的な多彩な映像表現が話題を呼んだ作品だと知り、10~15年ほど前に初めて観た。1941年の制作当時は画期的で斬新であったに違いない映像表現も、制作から70年後では格別には印象に残らなかったことを覚えていた。オーソン・ウェルズ25歳の監督デビュー作で、プロデュース・主演・共同脚本も務めた。オーソン・ウェルズ出演の作品は、後に制作されたジョーン・フォンティンと共演の ジェーン・エア、第三の男 を先に観ていて、鳴り物入りの 市民ケーン に対する期待はとても大きかった反面、がっかりしたものだった。

歴史上立志伝中の新聞王ハーストをモデルにした波乱万丈の伝記的映画で、彼の立身出世、見栄、虚栄心、毀誉褒貶、男女関係、没落、空虚、孤独などが描かれストーリーは至ってシンプル。亡くなる時に遺した「バラのつぼみ」Rosebud という謎の言葉を解き明かすニュース映画記者のインタービューがドキュメンタリータッチで描かれる。エンディングで焼却炉に燃やされるガラクタ美術品の中から、子供時代に遊んだソリに「ROSEBUD」の文字が浮かび上がり、何もかも手に入れることが出来た男の人生であっても、心の中にぽっかり空いた「貴重なモノ」、癒し的な価値を代弁させたのではと思える。映画は、人の人生には仕事の成功、社会的栄誉では満たされない、もっと崇高な大切なことがあると伝えているのだろうか。

ついでに、オーソン・ウェルズは若くして映画界に新風を吹き込み絶大な成功を収めたが、後年は尻つぼみになった感は否めない。彼が演じたカーン新聞王を見ているようでもあった。実在のハースト新聞王も晩年は大恐慌の悪影響もあり経営難に陥った。ハーストの死後(1951年)、孫娘の誘拐時間がマスコミを賑わしたこともあった(1974年)。第三の男でも共演した盟友ジョセフ・コットンは 市民ケーン が映画デビュー作で、ケーンの友人役を演じ、オーソン・ウェルズ作品の常連となる。のちの彼の映画同様、彼は良かった。

観終わった後、再度「どうしてつまらなかったのか」を考えた。ローアングルからの撮影や遠近を同じように焦点を合わせ鮮明に撮る(パンフォーカス)などの当時革新的な撮影技術が、今日では最早珍しい手法ではなくなっていた。更に同時代の面白い映画「風と共に去るぬ」、「カサブランカ」と比較すると、登場人物の心理描写やドラマティックなストーリー展開ではなく、ただの伝記映画と云うのはつまらなく感じられるからであろう。

(大学時代クラスメート 飯田武昭)今回のBSプレミアム放送は観ていませんが、私もこの映画への評価は全く同感です。私の中では今更に、いちいち論評するに値しない作品と思っています。

劇場で観たのは多くの方々の同じように日本初公開時ではなく結構後の1980年代だったように思います。20世紀の映画評論家(双葉十三郎氏他著名な評論家諸氏)が選ぶ名作ベストテンの常に上位(それも1位、2位)に入っていた映画だったので期待して観た記憶がありますが、どうしてもその良さが感じられずに他人にも語らず黙っていたように思います。その後にTV放送でも見てやはり同じように、どう贔屓目にみても、自分のベストテンの上位には入れられない作品だと思っていました。今回ジャイがこっ酷く酷評してくれて、フォローした「エーガ愛好会」精鋭の諸氏が同じく酷評し、胸のつかえが取れた感じがします。

(41 相川正汎)私もよくわからず 再録を2回見ました。

アメリカを熱狂させたのは、25歳の新人が脚本からてがけ、ハーストの晩年までを演じきったことにびっくりしての 評価でしょう。 出演者は新人ばかり。ストーリーもアメリカ人の好きなアメリカンドリームで、最後は没落してしまい、巨額の財を得ても得られぬものがあったという話で大衆受けするものです。金と地位を得ると人間どうなるか、通俗的ですが、よく描かれていると思います。最後の一言の意味するものは何か、サスペンス風に引っ張ります。ハーストの妨害をうけたことも、権力者への若者の挑戦とみられたようです。スノードームが一瞬にして子供の頃の思い出に帰らせる。妙味出てます。

オーソン・ウェルズの映画は公開時に見ていないので、私にはどうもぴんときません。伝説の人です。アメリカで凄い凄いと言われたけどどうなのか、期待感とのギャップが生じます。「第三の男」は陰影が強調された映像とチターの演奏に哀愁を感じますが、ウェルズが少し顔出すストーリーが私にはよく理解できませんでした。

(普通部OB 菅原勲)「失われた時を求めて」。マルセル・プルーストにとってその切っ掛けは紅茶とマドレーヌだったようだが(と言っても、小生、その第1編「スワン家の方へ」の第一章しか読んでいない。世にいう、名作、傑作が面白くない典型的な例)。

それにしても、「市民ケイン」は滅茶苦茶やつけられたな。草葉の陰で、オーソン・ウェルズが号泣してるよ。ちょっと、慰めなきゃいかんな。

こっちの作品ではウエルズもコットンも印象にしっかり残っているんだが。そのうち、”ラストシーン コンテスト” でもやれば必ず出てくるだろうし、相川さんの疑問を解くためにもも一度、みようよ。メリーゴーラウンドの場面でのオーソン先生はよかったけどね。

 

 

 

家飲みをエンジョイしよう!

(大学時代クラスメート 飯田武昭)

ジャイがジントニックを日課としているようなので、久しぶりに飲みたくなり、今日近くのスーパーでジンを買ってきて飲んでいます(普段はビール、焼酎、日本酒、ワイン、スコッチ、バーボン派です)。若い頃やアメリカで良く飲んでいた爽やかな味と飲み心地良さを味わっています。

(編集子)宝塚のようなハイカラな街ではそういうことはないでしょうが、調布あたりだとトニックウオータを置いてある店があまりありません。

写真で拝見するにボンベイサファイアのようですが小生はビーフイータを愛用してます。ブランドがどうこう言うほど詳しくはないのですが、昨日、この トニックウオータを置いてないスーパーがなんとKWVのワインを置き始め、うれしくなって2本買ってきました。ご説明するとKWVはわが Keio Wander Vogel 部の略称なのです。南アフリカのワインの元締めをやっている日本で言えば農協みたいな団体の略称がKWVというのだそうで、部の1年先輩が国分商店に就職したところ偶然この製品に行き当たり、さっそく国分で取り扱いをはじめたというわれわれには楽しいいわくつきです。ま、テーブルワイン級のもので味がどうこう言うのは野暮というものでしょうね。値段はチリ物などと同じくらいです。写真で白のほうはちょうどやってきた息子とほとんど開けてしまったので空瓶のようなものです。小生もウイスキーはなんとなくバーボン党になってしまって、上記のスーパーで手に入る アーリータイムズが気に入っています。
(飯田)成る程、普段ジンは飲まないので、有名なビーフイーターをむしろ忘れていました。行きつけのスーパーに淡いブルーカラーのBOMBAY-SAPPHIREが棚にあるのが以前から気になっていて今回初めて買ってみたブランドです。

ワインブランドのKWVのエピソードも面白く読みました。この種の話では車の車種で日産のTIIDA(ティーダ)というのが十数年前からありますが、これがスマホで使っていた私の飯田武昭のイニシアルを取ったようで気になりました。同じく会社生活時代にプラスチック・フィルム事業担当をしていた時期にフランスのリオンに本社があった化学会社ローヌ・プーラン社と交渉のため3~4日リオンに出張しました。ローヌ社の交渉のトップがBertaniというムッシュでしたが、パリのドゴール空港でDuty Freeショップを見ているとFrench WineにBertaniというブランドを見つけて相方と大騒ぎにして買って帰りました。朝からジンだのワインの話ですみません!!

(編集子)飲み物の名前で苦労したことを思い出しました。初めての米国生活が始まったころ、近くのレストランで Beer と言ったらウエイトレスが “バドリンプ?” と聞くのです。何回聴いても 同じことを繰り返す。色の黒い人には良くありますけど、云いなおす、なんてことをしないでただただ、相手が悪いと言わんばかりに言い募るだけ。俺の発音がいけないのか、なんなんだ、これは? と切れ掛かったら、奥から出てきた色の白いひとがにやにやしながら、She is asking, Bud or Olymp ,my friend  と言ってくれたのでやっと了解。つまり, あんた、バドワイザなの、それともオリンピア (ちょうどそのころカリフォルニアではやり始めたブランド)、どっちなのさ? と聞いていたのです。手のかけすぎだの、だから生産性が低いのと偉い学者さんはよく言いますけど、日本のお店の丁寧さがつくづく恋しかったですな。

 

 

 

 

エーガ愛好会(71) カラミティ・ジェーン  (34 小泉幾多郎)

実在の男勝りの女傑カラミティ・ジェーンの奮闘と恋を描く西部劇ミュージカルコメディ。カラミティ・ジェーンは何回か映画化されているが、記憶に残るのが、「平原児1934」、恋人役ワイルド・ビル・ヒコックにゲーリー・クーパーでジェーンは「シェーン」の人妻役ジーン・アーサーが演じていた。ドリス・ディがジーン・アーサーと同じバックスキンのコートを着て騎兵隊の帽子を被っているのは、この「平原児」のパロディと言われている。カラミティ(災難)の名は先住民に奇襲攻撃された騎兵隊を彼女が救助したので、災難の救い主だからという説と情夫がそのたびに急死したため、災難を呼び寄せる女という意味から名付けられた との二つの説がある。ジェーン自身の手になる騎兵隊と先住民との戦いへの介入の武勇伝は、どうやら虚構だったようでビル・ヒコックとの関係もネタ探しに来た記者の架空のでっち上げ記事から女傑ジェーンが更に膨らんでいったとのこと。

史実は別として、ドリス・デイのミュージカル・コメディは、その明るい個性と歌と演技力で多いに楽しませてくれた。その楽しい歌の数々と共に、物語を追ってみよう。「TheDeadwoodStage」を唄いながらデッドウッドにやって来たジェーン。親友ワイルド・ビル・ヒコックは、ハワード・キールが扮し、重厚なバリトンを披露する。「蜂蜜だらけのパイプ」を唄う。男勝りで女性らしさを知らずに育ったジェーンがひそかに思いを寄せるのはビルと騎兵隊の中尉(フィリップ・ケリー)。
やがてジェーンは男たちの憧れの的だった大女優で歌手のアデレード・アダムズ(ゲイル・ロビンス)を呼びにシカゴへ行くが、間違って、付き人のケーティ・ブラウン(アリン・アン・マックレリー)を連れてきてしまう。アデレードが歌う「結婚するつもりのハリーです」。ケーティが楽屋で歌うのが「私はあなたなしで出来る」。連れて来られステージに立ったケーティはジェーンの励ましで成功し、ケーティの美しさに、ビルも中尉も夢中になる。ジェーンの唄う「風の街」、ケーティの「帽子の下にこれが置いて」。ケーティと同居したジェーンはその感化を受け、見違えるばかりに美しくなる。ケーティとジェーンの歌「女性のタッチ」。騎兵隊のパーティに行く馬車の中で、ジェーンとビル、仲間たちが歌う「ダコタの黒い丘」。美しく変身しビルのハートを射止めたジェーンが山道を行く馬上と小川のほとりで歌う「秘めたる恋シークレットラブ」。これがアカデミー歌曲賞受賞。以上ポール・フランシス・ウエブスター作詞、サミー・フェイン作曲。ドリス・デイが歌う「知り過ぎていた男1956」の「ケセラセラ」もアカデミー歌曲賞を受賞している。ジェーンとビル、ケーティと中尉は、夫々が結ばれ、めでたしめでたしのミュージカルだった。

(編集子)カラミティ・ジェーンについてグーグルの記述は次の通りである

43歳の時撮影された写真

カラミティ・ジェーン(Calamity Jane, 本名マーサ・ジェーン・カナリー(Martha Jane Cannary, 1856年(または1852年5月1日 – 1903年8月1日)はアメリカ西部開拓時代の女性ガンマン。別名平原の女王ワイルド・ビル・ヒコックの親友として知られ、西部開拓時代における女性開拓者でありプロの斥候だった。彼女の両親(ロバート・Wとシャーロット・カナリー)はプリンストンの北西11キロメートル(7マイル)にあるラヴァーナのはずれに住んでいたとアメリカ合衆国国勢調査局1860年国勢調査記録で判明している。彼女には2人の弟と3人の妹がおり、彼女は6人姉弟の長女だった。

 

アメリカ軍の斥候としての活躍は彼女の自叙伝があるらしいが、こういうたぐいの本によくあるようにどこまでが真実かは分からず、本人にはかなり虚言癖があったとの説もある。軍を引退してからは1893年にはカラミティ・ジェーンとしてバッファロー・ビルワイルド・ウェスト・ショーに騎手および曲芸ガンマンとして参加、ショーの全米巡業にも参加した。

サウスダコタにある墓

1903年8月1日、キャロウェーホテルに滞在中に肺炎を起こし、47歳で亡くなり、サウスダコタ州にあるモリア山墓地の、ワイルド・ビル・ヒコックの隣に埋葬された。

 

塾野球部、日本一 !  

(普通部OB 田村耕一郎)

昨日、慶大野球部が大学日本一となり34年ぶりの優勝でした。
それにしても、我々の時は7連戦で最後にW安藤にやられましたね
塾には1年下に清沢名投手(岐阜商出身)がいたのですが・・・。

同期では、外野に渡海(卒業後プロに)、山田、小島兄、近藤、
夏目、鶴岡、島田、玉置さん達・・・がいたと思います。マネージャーの平光清さんは日本通運入社しマネージャー、数年後に野球部解散となり、退社し大学卒初のプロ審判になり苦労し活躍してました。後藤さんがこの「日本一」を知って元気になりますように!と祈りましょう。

「丘の上には・・・」の歌声が響いてきます。

(普通部OB 船津於菟彦)

テレビ観たましたよ。はらはらでした。
5月号の三田評論に清沢が想い出話載せていますね。あの時優勝記念新聞号外を行すべく何回も組み替えしていよいよ輪転機廻す寸前安藤にやられました、(; 😉
この頃の大学はスポーツ専門の学科があるんですね。福井大そのようですね。
ボートも早稲田に勝つし、100meterも凄い。活躍してますね。

(編集子)

平光とは高校時代、同じバスルートで通っていてほぼ毎朝顔を合わせる仲だった。ドームがまだ後楽園だったころ、広島―巨人戦を見に行き、内野席の前のほうだったので、試合終了後、引き揚げてきた彼に席から手を振って、”おお、来てたのか!” と嬉しそうに答えてくれたのが楽しい思い出になっている。苦労話も聞く機会があったし、かれから著書ももらった。”野球の神様” 川上哲治に退場を命じたのは史上ただひとり、平光だったのは有名。 その後、会社引退後、地元多摩三田会の講演に来てもらったことがある。”おめえ、正式のルートで依頼されるのが本筋よ。そうなりゃ一晩30万もらうぜ!” と言いながら、確か5万円くらいの講演料できてくれ、二次会(彼自身はほとんど飲まない口だったが)では女性軍に囲まれて上機嫌だった。これがきっかけでその後2回くらい、食事をした記憶がある。一言で言えば絵にかいたような典型的KOボーイだった。渡海はKWV同期の吉牟田と麻雀仲間だったはずだが、小生は在学中は縁がなく、社会に出てからまもなく一度だけ、ラグビー部の先輩とバーで同席したことがある。 ”明日はたぶんシマゲン(当時勢いのあったホエールズの島田源太郎投手)と対戦だな” と言っていたのを覚えている。

 

 

尾瀬へ日帰りしてきました  (39 三嶋睦夫)

6/7に尾瀬に日帰りで行ってきました。
川崎宮前区6:30発(ジャンボタクシー)⇒ 鳩待峠10:00着(山の鼻、尾瀬ヶ原散策)15:30発⇒ 19:30帰着。
ミズバショウは最盛期でしたが、人出は例年の2割くらいの感じで、(この時期では信じられない)静かな尾瀬でした。ツアーの大型バスは見かけませんでした。写真を何枚か添付しますので、ご覧ください。山はご存知の 至仏山と燧ケ岳 です。

 

(37 菅谷)堀ちゃんの13時間の行動にあきれ返って居ましたがこの時期の水芭蕉「ジャンボタクシー利用の尾瀬往復」流石、貴兄のアイディアと行動力だと感服しています。懐かしい尾瀬、写真で堪能させて貰いました。

私はコロナ自粛で脚力低下、4~5時間が限度ですが又、静かな山歩きに誘ってください(ツムラの68番、多めに持参します!)。

残雪の燕・常念岳     (39 堀川義夫)

燕岳、常念岳に出かけました。行きのあずさはがら空き。穂高から中房温泉へのバスも私と私の連れの二人だけ。順調に登り始め合戦小屋までは順調に行きましたが、パートナーがやや不調、雪も出始めましたがアイゼンをつけることなくバテバテで燕山荘に予定より小一時間遅れて5時30分着。ビールが美味い ご褒美に槍の穂先が少しだけ顔を出してくれました。燕山荘の宿泊客は他に二人の計4人。小屋代の13000円への値上げやむなしか・・・

9月3日水

今日は燕山荘から常念小屋まで縦走します。良い天気に恵まれました。久しぶりに良い雲海を見ることができました。槍も穂高も最高 天気が良く今回の山行の一番の目的であった槍・穂高の残雪期のパノラマを堪能しながら順調に進みました。大天井岳へは喜作さんのレリーフから初めて直登しました。歩きづらく疲れましたね。

引き続き景色を楽しみゆっくりペースで3時に無事到着。ビールを飲んでゆっくりできると思ったのですが、、、、、大事件勃発です。

何と小屋の主人が明日は大荒れの天気になるので、今から下山しろ4時間で着くから早く出発しろと言います。反論を許さない強い口調で半強制的に追い出されました。さあ大変! コースタイムは4時間で結構ハードでゲイト到着は7時頃になってしまいます。沢筋の為か足場が悪く歩きづらい!何かあったら真っ暗になってしまう。しかも一日でトータル13時間の行動になるので腿はパンパン、足先も痛い 食事も行動食しか食べていないので腹が減っている。でも頑張りました。途中で連絡した知り合いの安曇野のゲストハウスのオーナーがゲイトまで迎えに来てくれました。7時10分着。丁度朝から13時間の行動。車の明かりを見た時には本当に、ほっとしました。本当にキツイ1日になりました。ハウスで温泉に浸かり、オーナーが用意してくれた心づくしの夕食を食べてビールを飲んで、、、爆睡。あと13日で80歳の老人のやることではないと思いました。

 常念小屋からの一の沢ルートは未だ入山者が少ないためか、登山道は荒れているし上部は残雪も残っていてきわめて歩きにくかったです。沢筋に出ると沢の中を歩くようなところもあり、何回か丸木橋もわたる。これでは雨が降ったら登山道か沢かわからなくなるだろうし、極めて危険な状況になるだろうと思われます。

エーガ愛好会 (70) 眼下の敵 で思い出したことなど

BSで放映された 眼下の敵 を見た。潜水艦を舞台にした作品はそれほど多くはないが、この 眼下の敵 Enemy Below は最も高い評価を得た作品ではないか。たしか クリムゾンタイド のシーンだったと思うのだが、潜水艦のベテラン乗組員が新参の部下を試し半分、脅し半分でからかう場面で、眼下の敵  を観たか? というシーンがあった。実際の乗員たちの眼から見ても優れた映画だったということではないだろうか。

 

艦長のロバート・ミッチャムは当初は乗員の間には能力を疑問視するものも多かった民間人(海軍士官学校を出ていない)出身だが、敵に遭遇してからは目を見張る指揮ぶりを見せる、というよくあるパターンのストーリーだが、新婚間もない夫人を敵潜水艦の攻撃によって死なせてしまったという過去を持つ人物として描かれる。ほぼ同じ時代に作られた、クラーク・ゲーブルとバート・ランカスター共演の 深く静かに潜航せよ ではゲーブルが過去に日本海軍の駆逐艦にやられた恨みを持ち続け、執拗に復讐の機会を待ち望むということが主題になっている。

同じ潜水艦乗りを描いた2本だが,ミッチャムのほうは完全なヒーローとしていわばいいところだけ出てくるのに対し、ゲーブルは日本駆逐艦(たしか アキカゼ という名前になっていたが、同名の軍艦は存在していないと思う)に対する敵意と妄想みたいなものが感じられる不気味な存在として登場し、自身は負傷戦死してしまうという筋立てになっていた。その意味では非常に対照的な人物描写だったので、眼下の敵 は気楽に見られたのだが、深く静かに のほうはもうひとつ引っかかる部分があった。

しかし潜水艦乗員が持つ不安とか恐怖というものをより深刻に味合わせたのがドイツ映画 Uボート だった。ほかの2本はアメリカ製、というか連合国を意識した映画だったのに対して、ドイツ側に立った映画だから、ハッピーエンドに終わらないことは最初から予測できるのだが、それにしても陰惨な、といえば言い過ぎかもしれないが見終わって苦いものが残る映画だった。

第二次大戦を背景にしたものに対して、冷戦時代に作られたものや最近の作品は実戦の描写がない以上、サイエンスフィクション的要素が強くなる。その代表がトム・クランシー作品の映画化 レッドオクトーバーを追え だろう。同じ潜水艦であってもそのメカニズムは戦時下のものとは雲泥の差であり、潜水艦乗りの意識もだいぶ違うはずだ。第二次大戦のときに潜水艦同士の戦闘というのがどれだけあったか知らないが、この映画ではその場面が迫力あるシーンで描かれる。フィルムの出来栄えでいえば、なんといってもショーン・コネリ―に圧倒される(またこの映画ではじめてスコット・グレンという俳優を知った)。

同じ時代背景でも、冷戦の恐怖を味合わせたのが ジーン・ハックマンとデンゼル・ワシントンの クリムゾン・タイド だった。この作品の主筋は核ミサイルを発射するかどうかのスリルなのだが、副筋はワシントンに対する人種差別意識であり、そういう意味では現代アメリカの持つ深刻な問題を取り上げた作品でもあった。この艦の艦長が問題に突き当たった原因は通信システムの故障ということであるが、これが故障で情報が遮断されたのだから変な話だがまだよかったので、これが最近話題のハッキングなどであったら、惑うことなく艦長は核ミサイルを発射したはずであり、そういう意味では背筋が寒くなる映画でもあったし、娯楽作品と言ってしまうには深刻なものだった。

最近の作品では ハンターキラー潜航せよ はそれに比べれば100%娯楽作品として安心して見られる作品だが、ソナーが主役と言ってもいいほど、艦内の描写はその音とエレクトロニクス技術の凄さに尽きるといってもいい。艦長役は只今売り出し中のジェラルド・バトラーだが、眼下の敵のミッチャムに比べると数段格落ちの印象を免れない。第二次大戦時の潜水艦を支えていた技術が当時の最高峰としても、それを動かすのは人間であり艦長であったのに、現代の艦長はシステムが指示するものを選択するのが役目になっている、という背景がそうさせてしまうのだろう。