(普通部OB 田村耕一郎)
昨日、慶大野球部が大学日本一となり34年ぶりの優勝でした。
それにしても、我々の時は7連戦で最後にW安藤にやられましたね
塾には1年下に清沢名投手(岐阜商出身)がいたのですが・・・。
同期では、外野に渡海(卒業後プロに)、山田、小島兄、近藤、
夏目、鶴岡、島田、玉置さん達・・・がいたと思います。マネージャーの平光清さんは日本通運入社しマネージャー、数年後
「丘の上には・・・」の歌声が響いてきます。
(普通部OB 船津於菟彦)
テレビ観たましたよ。はらはらでした。
5月号の三田評論に清沢が想い出話載せていますね。あの時優勝記
この頃の大学はスポーツ専門の学科があるんですね。福井大そのよ
ボートも早稲田に勝つし、100meterも凄い。活躍してます
(編集子)
平光とは高校時代、同じバスルートで通っていてほぼ毎朝顔を合わせる仲だった。ドームがまだ後楽園だったころ、広島―巨人戦を見に行き、内野席の前のほうだったので、試合終了後、引き揚げてきた彼に席から手を振って、”おお、来てたのか!” と嬉しそうに答えてくれたのが楽しい思い出になっている。苦労話も聞く機会があったし、かれから著書ももらった。”野球の神様” 川上哲治に退場を命じたのは史上ただひとり、平光だったのは有名。 その後、会社引退後、地元多摩三田会の講演に来てもらったことがある。”おめえ、正式のルートで依頼されるのが本筋よ。そうなりゃ一晩30万もらうぜ!” と言いながら、確か5万円くらいの講演料できてくれ、二次会(彼自身はほとんど飲まない口だったが)では女性軍に囲まれて上機嫌だった。これがきっかけでその後2回くらい、食事をした記憶がある。一言で言えば絵にかいたような典型的KOボーイだった。渡海はKWV同期の吉牟田と麻雀仲間だったはずだが、小生は在学中は縁がなく、社会に出てからまもなく一度だけ、ラグビー部の先輩とバーで同席したことがある。 ”明日はたぶんシマゲン(当時勢いのあったホエールズの島田源太郎投手)と対戦だな” と言っていたのを覚えている。