本日までに寄せられた意見をご紹介する。これをベースにさらに話が進むとうれしい。
(36 遠藤)
「総論賛成―各論反対」(開催すべきだろうが現実が許さないだろう)
統計がしにくい、どっちつかずの答えですいません。2021年を新時代の令和3年とみれば「反対」、今年を懐かしき昭和96年と思えば「賛成」という,自分でも分けのわからないこじ付けです。要はヒッチコック-ドリス・デイ-“知り過ぎていた男“ の「ケ・セラ・セラ」といった心境です。
(37 菅谷)
私は、万全の対策をして実施、と言う意見に賛成です。ウイルスの蔓延が収まらない中で、オリンピック開催への悲観論も蔓延しています。夫々のお立場やキャリアの中でご意見はごもっともですが夫々外野席やスタンドからのご意見として拝聴しておけば良いのではないでしょうか。
塩野七生の言葉を借りるまでもなく、全ての結果の責任を背負う当事者、即ちリーダーは右顧左眄することなく、信念を貫くことです。今一番の懸念は内外の批判に惑わされて、「腰砕け中止」になることです。
コロナが収まり平和な時代になれば、スポーツや文化芸術の尊さが必ずや蘇えります。外野から言われて信念を曲げた、「今更中止」は後世まで日本の恥を晒すことになるでしょう。
さて、その信念が今の総理にありますかな?所詮、緊急登板のリリーフ、1イニングに全力を尽くす覚悟こそ求められています。次は派閥の力学でなく、自らの信念に説得力のある人を何とか探したいものです。
(普通部OB 菅原)
言葉は適当ではありませんが、「武漢ウィルス」で人がバッタバッタと死んで行くご時世に、五輪をやるなんて、正に狂気の沙汰としか思えません。その中にあって、「経済効果は五輪開催の方がある」なんて、命あっての経済でしょう。全くフザケタ、旧日銀野郎だ(最近、最も頭にきた)。IOCは勿論、日本の組織委員会も、日本政府も正気の沙汰ではありません。五輪の開催を、力づくで推し進めている関係者全員の精神鑑定を熱望します。この点に限っては、宇都宮弁護士、志位委員長に全面的に賛成です。しかし、何が原因かを考えると、その原因が「国家社会主義中国労働者党」であることは紛れもない事実であり、日本の責任ではありません。一回返上してるんだから、もう一回やったら。ってのが小生持論ですが、皆さんはどうお考えでしょうか。
(HPOB 菅井)
バッハ会長、コーツ調整委員長、ディック・パウンド元副会長たちの畳み掛ける発言から察するに、日本は返上する機会を逃しましたね。
日本側の五輪組織が反旗を翻してストライキでもしない限りIOCサイドは五輪開催権を盾に強行するつもりです。
五輪期間中は自分の身は自分で守るしかなさそうです。
(普通部OB 船津於菟彦)
結論は強行開催。国際オリンピック委員会(IOC)側は最古参であるディック・パウンド委員(79)=カナダ=が海外紙に「アルマゲドン(人類滅亡)が起きない限り開催される」と発言しているし、IOCは強硬姿勢しかし、中止が当たり前。防疫体制とオリンピックの医療体制とが重なり、他の病で助かる方が亡くなるという悲劇が起こる。無理ですね。でもやるんですね。
大体、オリンピックは40年ごとに何か事件があるようです。1940年の「東京オリンピック返上。そして1980年モスクワオリンピックはソ連のアフガニスタン侵攻の影響でボィコット。そして2020年の東京オリンピック。ウィルス蔓延旋風で一年延期。「幻の東京オリンピック」とは亜細亜で初めて、そし紀元2600年-1940年-を記念して、東京でオリンピックが開催されるはずでした。今回のオリンピック同様、誘致とか会場とか等々色々問題がありましたが、何とか極東の東京でオリンピックが開催される運びとなりました。
日中戦争(支那事変)の影響等から日本政府が開催権を「返上」と言う事で幻の東京オリンピッツクト成りました。独逸はヒットラー政権がユダヤ人排斥などの色々混乱が始まりました。大会会場についても初めは神宮外苑を予定するも神苑に相応しくないとか色々あり、駒沢に紀元2600年記念塔を中心に競技場を建設することにこぎ着けましたが、結局作られず、返上となったわけです。
そもそも、ヒットラーのベルリンオリンピック以来、国威高揚・商業主義の当初のオリンピック精神は何処へやらです。ここで改めて「オリンピック精神」を原点に戻り考え直してて再開しては如何。
「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という、クーベルタンが提唱したオリンピックのあるべき姿(オリンピズム)ですよね。
(33 小川)
当然のことながらこの話題で盛り上がっていますね。小生は5/20のメールの最後で「ワクチンの加速でオリンピックはやる」とコメントしておきました。
国民感情・疫学的リスクから見たら当然中止が正論かと思います。しかし国際的な見地で現在の日本の弱体化を考えると、ノーと言えないのが行政の考えかと思います。もしワクチンの加速で開幕近くになって感染者が減少していて、仮に日本が中止を宣言していた時には、欧米・中国からの非難が殺到しないでしょうか?政権はこれを恐れているように思えてなりません。とにかく世界で日本の面目を保つために無観客でも開催に踏み切るように思えます。それからあとの観客を入れるかどうかはコロナ禍で被っている財政上の物凄い負担を少しでも減らしたいという国内の財政事情だと思います。コロナ禍による財政上のツケは後世の孫世代の負担になることを忘れてはなりません。「持たざる国・日本(自給率の低い)」は国際的な孤立が第二次大戦で嫌というほど体験していますから。
一国民としては感情的にも「なんでこんな時にオリンピック?」というのが当たり前かもしれませんが、小生は国際的に近年の日本の弱体化を考えると面目を保つために開催に踏み切らざるを得ないのではないかと思えます。
(34 船曳)
パンデミックが収まっていない時期でのオリンピック。非常に大きな問題である。一言でいえば「とんでもない」と言えるかもしれないが、そう簡単なものでもない。事態はどんどん進んでいる。
私個人は、冥土の土産に一目何らかの競技を見ておきたい、というのが誘致時の希望であったが、真夏の炎天下の東京では、熱中症続出で死者も出かねない大変な大会になるであろうと思われた。そこへ新型コロナVのパンデミックが重なり、1年延期が決まった。その開催は目の前に迫ってきた。
IOCの物凄い強気、菅政権の政権維持のためのゴーサイン、医師会などの中止提案、アンケートなどによる国民のネガティブ反応、それらが入り乱れているにも拘らず、不思議でならないのは、一つに纏まって決定しようという流れが全くないことだ。今必要なのは、医療界(感染予防専門家&医療現場専門家&スポーツ医学)、国と都(スポーツ庁&厚生省&ワクチンを含めたコロナ担当省庁&消防庁)、IOCとJOC、これらのメンバーが一堂に会して決定しなければ国民は納得しないだろうし、「この問題は当方の所轄でない」と縦割り行政でたらい回ししていられる時期は終わった。
私の提案
- 早急に上記の会議を開催
- 結論を出す日を決める。 緊急事態宣言延長期限にかかわりなく、例えば6月10日とする。開会式予定日の1か月前を過ぎないように。
- もし決行というならば ≪ 記録会 ≫ という性格を打ち出すこと。 実際のオリンピックは無理だというのが私の見方で、もしやるとしても開会式では入場行進などなく、無観客で、いわゆる厚遇を要求するオリンピック関係者と称する2万5千人を超える入国者も最低限に絞り込む必要がある。
- 日本選手にはキッチリとワクチン接種を行うこと。 棚上げとなっているアストラゼネカワクチンも考慮(台湾へ供与することには大賛成)。今入ってくるワクチンは有効期限が9月末です。
医師としての発言を求められても、医療現場に携わっていない立場では、『熱中症もありますよ』と注意を喚起するか、IOCのように『コロナや熱中症で死んでも自己責任ですよ』の発言には異を唱えるものであり、開催となれば、オリンピック医療体制を明確にすべしとしか言えない。
(44 安田)
人命と国民の生活権を懸けてまで行う行事とは思えない。政府には現在おかれた日本と窮乏している国民にとってもっと大切なことが沢山ありそうな気がする。
オリンピックを中止する権限があるIOCが開催の決定を翻すことは絶対ない。理由は「カネ、カネ、カネ」だ。1984年のロサンゼルス・オリンピックから金権体質が顕著になった。アメリカの大手テレビ会社は巨額の放送権料をIOCに払い、秋の人気プロスポーツシーズンは避け、不向きな真夏開催させることをIOCに納得させた。商業主義的スポーツの祭典オリンピックにスポンサーも飛びつきIOCはここでも巨万の富を手に入れることになった。自らは決してコロナの犠牲になることはないIOCには「中止」の選択はない。
では、日本政府、東京都、オリンピック組織委員会の当事者の意向は?中止の権限を持つのはIOCのみだが、開催国の当事者が「中止したい」という意向を示すことは出来るはずであるが、これも期待できない。オリンピックの費用を払っている納税者である国民の6割が概ね中止の意向を示しているにも関わらずである。政府、東京都、組織委員会にとって、オリンピック開催の意義と理由とは、このコロナ禍の状況下では一体何であろうか?彼等の正直な本音の声を聞いてみたい。政府は、既に巨額な1兆6千億円(税金から捻出)を費やした上にキャンセル料が発生するのを怖がっているのか?観客の入場料が当てに出来ない近い上にである。また、オリンピックを中止した「為政者」としての(彼にとっては)汚名を歴史に遺したくない面子にでも拘っているのだろうか? キャンセル料の額くらい明らかにすべきであろう。
現状のコロナ禍vsオリンピックの図式で最も不明瞭で曖昧不可解、従って不満・不快なのは、オリンピックを開催しても大丈夫だと主張する政府のコロナ禍対策について、どうしても「博打」・「賭け」的に聞こえて説得力を持たず、科学的説明不足と問題と解決への見通しを包括的に捉えた説明責任(accountability)の欠如である。政府・官僚・医療関係者の総力を結集して縦割り・横割りの垣根を取っ払って「オール・ジャパン」で対処すべき懸案にも関わらず、政府のリーダーシップはみられず当事者能力に欠け、致命的とさえ思う。堂々と開催の意義とメリットをつまびらからかにすると同時に、懸案はかくかくしかじかですが、オールジャパンで対処しているので国民の理解と賛同を得たい、と具体的に説明すべきである。それが民主主義だ。何故しようとしないのか、できないのか?「清水寺の舞台から飛び降りる」的な勇敢な(無謀な)判断で国民の生命と財産を犠牲にするリスクは冒していけないのである。
寄らば大樹の陰とばかりに羊のようにおとなしい国民に対して「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とばかりに、「時間が経てば解決する」とばかりの態度に見えるのはうがち過ぎであろうか。GoToキャンペーン2兆7千億円、コロナ対策の遅すぎるワクチン接種、飛び飛びの緊急事態宣言発動、ワクチン開発競争出遅れと政府協賛金なし・・・・など、もっと果断にしてスピード感溢れる包括的かつ抜本的な措置を集中的に講じてこなかった「つけ」をオリンピック開催が迫っても払い続けているように思えて仕方がない。いずれにしてもオリンピックは開催されるだろう。事ここに至った以上、コロナ禍が悪化せず、大過なく首尾良く開催され感動を呼び起こす祭典であって欲しいとは願う。政府の「リスクを冒しているかどうかは実施してみなければ分からない」的な無責任な態度だけは勘弁してもらいたいと願って止まない。
(37 宍倉)
オリンピック開催可否について、朝・昼・晩各局のワイドショウ、各マスコミで賛成、反対百家争鳴でうんざりしています。
選手、関係者含め約一万人弱の入国が見込まれるようですが、入国管理体制の甘さ、法体制上の曖昧さの問題もあり、現状我々が安心出来るような対策は不可能です。私は開催を返上すべきと思います。(延期もNoです)
一つ気懸りは、来年の北京での冬季オリンピックは、コロナ問題がどうあろうと、中国の威信に懸けても開催するでしょうから、中国のこの機を捉えての、国威を発揚し、全世界に大きく宣伝する機会を与えることです。
(普通部OB 田村耕一郎)
五輪/パラ開催については「コロナ安全と五輪精神」に関し、政府/IOCの説明
を待ち、同時に、開催する場合/しない場合の収支/損益予想が示され、納得
できれば開催を支持するものなり。
(39 相川)
オリンピック開催 支持派です。 五輪の場での 真剣勝負をみたいのです。ゴルフ マスターズ最終日 松山の優勝が見えてきたラスト4ホールは見ている方も緊張の連続でした。 1打毎にドキドキハラハラ。 表彰式での松山のシャイな笑顔を喜びました。池江璃花子が 病み上がりの体で懸命の泳ぐ姿に感動しました。多くの人が元気と勇気をもらったと涙ぐみました。
一昨年のラグビーワールドカップは 当初何で日本開催なのかと言われました。世界のトップレベルの選手が体をぶつけて戦う姿と 日本チームの健闘にびっくりし、盛り上がりました。
こんなときに五輪をやるのか。 に対し こんなときこそやる意味がある。 とみています。開催を喜ぶ人は ごく一部でしょうか。コロナで困っている状況の中で 五輪の競技が多くの人を元気づけられる と確信しています。オリンピック反対を社説に掲げた新聞も 開催となればスポーツ新聞に変わってくるでしょう。今の情勢では、私の意見はスポーツ至上主義のような、昔で言えば書生ぽい意見と言われるかもしれません。 これだけのイベントですから 金も利権も、地位も名誉,面子も からんできます。人間の欲に焦点をあてて面白く書く週刊誌や 政治問題化して政権攻撃の種にするマスコミもあります。その是非をここで議論するつもりは ありません。
果たして安全に実施できるのか。運営役の組織委員会の意見を聞いて 東京都知事が無理と最終判断すれば、開催返上となります。安全のレベルを どこに置くか が難しいところ。海外からの人の移動で 感染者が増えても 今年の1月上旬のピークレベルまではいかないのではと私はみています。まー 余り力まずに 「やれるなら やってほしい」位に しておきましょう。