暗殺されたハメネイ師の次男モジタバ師(56歳)が後継最高指導者に就いたと発表された。前任者と同様、対米強行路線踏襲で今後の早期事態改善は望めそうにない。イスラム教にはシーア派とスンニ派が対立していることは知っていたが、この機会に調べてみたことを報告したい。
スンニ派とシーア派の主な違いは、預言者ムハンマドの後継者を誰と認めるかという点にある。スンニ派はムハンマドの言行(スンナ)を重視し、合意によって選ばれた指導者を認めるが、シーア派はムハンマドの血統、特にアリーとその子孫のみを正統な後継者(イマーム)とする。
イスラム教は、預言者ムハンマドの死後、後継者問題でスンニ派とシーア派に分裂した。シーア派は、ムハンマドの従兄弟であり娘婿でもあるアリーとその子孫のみを正統な指導者と主張した。一方、スンニ派はムハンマドの言行(スンナ)を規範とし、共同体の合意によって選ばれた指導者を認めた。
世界のイスラム教徒は、イスラム教最大の国家インドネシアをはじめ、中東の盟主サウジアラビアなど、約9割がスンニ派であり、シーア派は全体の10~15%を占める少数派である。シーア派が多数を占める国としては、イラン(90%)、イラク(65%)、バーレーン(65%)、アゼルバイジャン(65%)などがある。
礼拝の回数: スンニ派は1日5回、シーア派は1日3回礼拝する。宗教指導者への態度は、 シーア派は宗教指導者の肖像画に寛容で、墓参りも行う。スンニ派は偶像崇拝を禁じている。シーア派には、7世紀に殉教した指導者フサインを追悼する「アシュラ」という熱狂的な宗教行事がある。
スンニ派とシーア派は、同じイスラム教徒でありながら、歴史的に対立関係にある。中東の紛争では、宗派対立が原因とされることも多いが、政治的・経済的な要因が複雑に絡み合っている場合が多い。このように観てくると、一枚岩でないイスラム教国家群の困難な問題が浮き彫りになる。
パーレビ国王が君臨していた時期のイランは親米的君主国家で、富は少数の富裕層に握られ、民衆は貧しい感は否めなかった。訪問から9年後の1979年、宗教指導者ホメイニによってホメイニ革命と呼ばれる、パーレビ国王を駆逐して現在に至る宗教指導者が国家の政治権力も握る体制が出来た。
小生はこれまでに60年間近くに亘り世界6大陸の90ヶ国近くを訪れたが、違和感や馴染みの薄さの観点ではイスラム教の国々と人々が最も際立っていたとの印象を持つ。男は髭面で喜怒哀楽の表情があまり無く・読みにくく、女はヒジャブを着て顔を隠し、一言で言えば不気味な感じがした。イスラム教の教えと生活習慣・価値観・食文化など無知な者にとっては、不可思議であった。初訪問の1970年以来、仕事で度々訪れるにつれて慣れて違和感は相対的に減ってはきたが。
“歯には歯、目には目”と、信奉では人後に落ちない不倶戴天の敵ユダヤ人国家イスラエルが隣国である不運がこれからも付きまとうと予想され、古代ローマ時代から続く紛争の芽がとても摘み取れそうにはない。多神教の古代ローマ帝国のある意味平和な時代から一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教が角を突き合わせて併存している状態が始まり2000年が経つ。一つ印象深く感じるのは、嘗てペルシャ帝国としてエジプト・メソピタミアを含むオリエント世界で覇を唱え、古代ローマ帝国とも対峙していた誇りと矜持が根強く国民の魂に息づいているということだ。
トランプの今となっては当初の威勢の良さが影を潜め、遠慮深謀に欠ける腰が引けた発言が目立つ。秋の中間選挙の結果を自己予見して今から戦々恐々としているかのようだ。如何ともし難いのか?
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イラン革命は1978年1月に始まった革命である。亡命中であったルーホッラー・ホメイニーを精神的指導者とするイスラム教十二イマーム派(シーア派)の法学者たちを支柱とするイスラム教勢力が、パフラヴィー朝イランの第2代皇帝モハンマド・レザー・シャーの親欧米専制に反対して、政権を奪取した事件を中心とする政治的・社会的変動を指す。イスラム共和主義革命であると同時に、イスラム化を求める反動的回帰でもあった。イスラム革命とも呼ばれる。
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