エーガ愛好会(72)  市民ケーン

映画ファンのはしくれとして、今まで見る機会に恵まれなかったし、資料によれば米国では史上最高の評価を長期にわたって受けている作品と承知していたので、多大の期待を持ってBS劇場にのぞんだ。しかし、見終わった感想は期待外れだった、としか言いようがない。

専門の人たちの評価はおそらくこの作品に示された、映画作成上の技術的側面に対してのものだろうし、そういう面で言えば、確かに画面の作り方とか、導入部の画面の技法とか、プロの眼でみれば高い評価を受けるのかもしれない、とは思う。しかし映画を見終わった後になにか心に残ったものがあったのか、あるいは単純にあのシーンはよかった、というような即物的なものがあったか、といえば、なかった。このあたり、愛好会の方々からはお叱りを受けるかもしれないが、小生の実感。

なお、資料を見る以前からそうではなかったのかと思っていたが、やはり新聞王ハーストがモデルということで、確認してみてさもありなん、と感じた。米国駐在中に住んでいたベイエリア、いまでいえばシリコンバレーからハーストの住居あとまで至近の距離だったが、最後まで行く気が起きなかった。そういう先入観みたいなものもあったのかもしれないが。

(HPOB  菅井康二 )私もGiさんの感想に全く同感です。ストーリーにも登場人物(アンチという意味でも)にも感情移入出来ない作品としか言いようがありません。

(44 安田) Giさんと同感。「アメリカ映画ベスト100」で第1位にランクされ、世界映画史上ベストワンとして高く評価され革新的な多彩な映像表現が話題を呼んだ作品だと知り、10~15年ほど前に初めて観た。1941年の制作当時は画期的で斬新であったに違いない映像表現も、制作から70年後では格別には印象に残らなかったことを覚えていた。オーソン・ウェルズ25歳の監督デビュー作で、プロデュース・主演・共同脚本も務めた。オーソン・ウェルズ出演の作品は、後に制作されたジョーン・フォンティンと共演の ジェーン・エア、第三の男 を先に観ていて、鳴り物入りの 市民ケーン に対する期待はとても大きかった反面、がっかりしたものだった。

歴史上立志伝中の新聞王ハーストをモデルにした波乱万丈の伝記的映画で、彼の立身出世、見栄、虚栄心、毀誉褒貶、男女関係、没落、空虚、孤独などが描かれストーリーは至ってシンプル。亡くなる時に遺した「バラのつぼみ」Rosebud という謎の言葉を解き明かすニュース映画記者のインタービューがドキュメンタリータッチで描かれる。エンディングで焼却炉に燃やされるガラクタ美術品の中から、子供時代に遊んだソリに「ROSEBUD」の文字が浮かび上がり、何もかも手に入れることが出来た男の人生であっても、心の中にぽっかり空いた「貴重なモノ」、癒し的な価値を代弁させたのではと思える。映画は、人の人生には仕事の成功、社会的栄誉では満たされない、もっと崇高な大切なことがあると伝えているのだろうか。

ついでに、オーソン・ウェルズは若くして映画界に新風を吹き込み絶大な成功を収めたが、後年は尻つぼみになった感は否めない。彼が演じたカーン新聞王を見ているようでもあった。実在のハースト新聞王も晩年は大恐慌の悪影響もあり経営難に陥った。ハーストの死後(1951年)、孫娘の誘拐時間がマスコミを賑わしたこともあった(1974年)。第三の男でも共演した盟友ジョセフ・コットンは 市民ケーン が映画デビュー作で、ケーンの友人役を演じ、オーソン・ウェルズ作品の常連となる。のちの彼の映画同様、彼は良かった。

観終わった後、再度「どうしてつまらなかったのか」を考えた。ローアングルからの撮影や遠近を同じように焦点を合わせ鮮明に撮る(パンフォーカス)などの当時革新的な撮影技術が、今日では最早珍しい手法ではなくなっていた。更に同時代の面白い映画「風と共に去るぬ」、「カサブランカ」と比較すると、登場人物の心理描写やドラマティックなストーリー展開ではなく、ただの伝記映画と云うのはつまらなく感じられるからであろう。

(大学時代クラスメート 飯田武昭)今回のBSプレミアム放送は観ていませんが、私もこの映画への評価は全く同感です。私の中では今更に、いちいち論評するに値しない作品と思っています。

劇場で観たのは多くの方々の同じように日本初公開時ではなく結構後の1980年代だったように思います。20世紀の映画評論家(双葉十三郎氏他著名な評論家諸氏)が選ぶ名作ベストテンの常に上位(それも1位、2位)に入っていた映画だったので期待して観た記憶がありますが、どうしてもその良さが感じられずに他人にも語らず黙っていたように思います。その後にTV放送でも見てやはり同じように、どう贔屓目にみても、自分のベストテンの上位には入れられない作品だと思っていました。今回ジャイがこっ酷く酷評してくれて、フォローした「エーガ愛好会」精鋭の諸氏が同じく酷評し、胸のつかえが取れた感じがします。

(41 相川正汎)私もよくわからず 再録を2回見ました。

アメリカを熱狂させたのは、25歳の新人が脚本からてがけ、ハーストの晩年までを演じきったことにびっくりしての 評価でしょう。 出演者は新人ばかり。ストーリーもアメリカ人の好きなアメリカンドリームで、最後は没落してしまい、巨額の財を得ても得られぬものがあったという話で大衆受けするものです。金と地位を得ると人間どうなるか、通俗的ですが、よく描かれていると思います。最後の一言の意味するものは何か、サスペンス風に引っ張ります。ハーストの妨害をうけたことも、権力者への若者の挑戦とみられたようです。スノードームが一瞬にして子供の頃の思い出に帰らせる。妙味出てます。

オーソン・ウェルズの映画は公開時に見ていないので、私にはどうもぴんときません。伝説の人です。アメリカで凄い凄いと言われたけどどうなのか、期待感とのギャップが生じます。「第三の男」は陰影が強調された映像とチターの演奏に哀愁を感じますが、ウェルズが少し顔出すストーリーが私にはよく理解できませんでした。

(普通部OB 菅原勲)「失われた時を求めて」。マルセル・プルーストにとってその切っ掛けは紅茶とマドレーヌだったようだが(と言っても、小生、その第1編「スワン家の方へ」の第一章しか読んでいない。世にいう、名作、傑作が面白くない典型的な例)。

それにしても、「市民ケイン」は滅茶苦茶やつけられたな。草葉の陰で、オーソン・ウェルズが号泣してるよ。ちょっと、慰めなきゃいかんな。

こっちの作品ではウエルズもコットンも印象にしっかり残っているんだが。そのうち、”ラストシーン コンテスト” でもやれば必ず出てくるだろうし、相川さんの疑問を解くためにもも一度、みようよ。メリーゴーラウンドの場面でのオーソン先生はよかったけどね。