先日、松島菜々子がナビゲーターを務めるNHKの1時間番組アナザーストーリーズ「 “2001年宇宙の旅” 未来への扉は開かれた」を観た。私たちが気になるあの事件の裏には、かならず、もう一つの物語がある、とのうたい文句で、SF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」をとりあげた。
AI(人口知能HALと命名)の暴走、人工冬眠、地球外生命との接触・・・・・半世紀前、まだ人類が月に到達する前になぜ未来を予見できたのか?そして不思議な、或いは難解なエンディングの意味するところは?鬼才スタンリー・キューブリックと共同原作者のイギリス人SF小説の巨匠アーサー・C.クラークの二人の天才(奇人・変人・狂人でもある)が思い描いた夢と衝突の真相が番組では明らかになる。共同作業を始めた時、キューブリック36歳、「恐るべき子供」とクラークに称され、クラーク47歳は仲間から「うぬぼれ屋」とあだ名されていた。
「宇宙は無限に広がっているのに人類が唯一の知性を持った生命だと考えるのは傲慢で寂しいことだ」と考える二人は、地球外生命の存在に対する好奇心を共有し、奇跡の共同作業をすることになったが、それは挑戦と衝突の共同作業であった。1977年「未知との遭遇」を作ったスティーブン・スティルバーグは、「2001年宇宙の旅」は初めて人々を宇宙へ連れて行った映画だと絶賛した。
番組では今日では当たり前のコンピューター・グラフィクスの無い時代の映像化と美術創作の創造性と斬新さには目を見張った。未知の存在である宇宙人をどう表現するかは激論の対象となった難問であった。結論は宇宙人そのものを登場させる代わりに彼らが創った遺物「モノリス」をみせ、映画を観る人々の想像に任せることとなった。
生存する出演者たち、映画製作に携わった技術者たちのインタービューを交え、キューブリックの妥協を許さない徹底した完璧主義に翻弄された映画製作現場の状況があぶり出されていた。クラークはSF小説家らしく小説と同じように説明して描いて未知なる世界を描こうとするのに対して、キューブリックは説明を省き映像で観る人々の想像に委ねる方法を採用する。両者の意見が異なり、衝突して映画製作は終わるがキューブリックの路線で完結したのは勿論であった。
50年を経て現実がようやく映画の追いついた今、人類の未知なる旅は続いている。「2001年宇宙の旅」に触発されて惑星科学者になり、現在、研究陣の中枢を担っている人たちが沢山いる。彼らは異口同音に言います、「未知なる新世界を初めて見る時の気持ちに勝るものはありません」、と。
ー2015年、太陽系で地球から最も遠い位置に存在する冥王星に近づいた探索機がその星の地表の写真を撮って送るという人類初めての快挙を成し遂げた。冥王星は地球から39億Km(地球の直径の37万倍)離れていて、探索機は近づくのに9年かかる遠距離に位置する。彼らは撮られた写真に写る地形にキューブリックとクラークの名前を付ける。「2001年宇宙の旅」がもたらした影響が今なお続いており、今後も引き続いていくことだろう。