わが ”青春” の歌のこと

高齢化社会の到来、などと他人ごとではなくて要は我々(どこまで含めるかはご判断に任せる)が良くも悪くも焦点であり争点である時代。こういう時期にKWV OB会を代表する知識人(もひとつ言えば小生が見た中で一番きれいなウエーデルンの名手)保屋野君が火をつけた 青春時代 論議である。


(保屋野)今日、ウオーキングの途中ベンチで一休みしている間、突然、昔の名曲が聴きたくなって、スマホで聴きました。、以下まさに青春時代の懐かしい名曲です。ボブ・ディランの「風に吹かれて」ピーター・ポール&マリーの「花は何処へ行った」ニール・セダカの「恋の片道切符」ポール・アンカの「ダイアナ」コニー・フランシスの「夢のデイト」トム・ジョーンズの「想い出のグリーングラス」・・・まだまだありますがキリがない。

上記は先日ご紹介した「木の葉の丘」と比べて、超有名な歌ばかりですが、後期高齢者になって聴いてもまだ楽しめるのはありがたいことです。ちなみに私の一番好きな歌は、カテリーナ・ヴァレンテの「そよ風と私~アンダルシア」です。

(中司)保屋野君の回想を読んで、ほのぼのと楽しくなったけれど、やはり 6年という時間の差を感じます。僕らが高校を終えるころは まさに プレスリーの全盛期でした。ケネディの大統領当選が卒業の年だったし、その後のベトナム戦争の膠着が米国の若者たちに大きな影響を与えたころです。その時に一世を風靡したというか、曲そのものも素晴らしかったがそういう青年の世界的な共感をよんだのがご指摘、PPMの Where have all the flowers gone だったわけですね。その間はテレビ放送の勃興期、米国のヒット曲の翻訳ものを歌うのが歌手のデビューになったころ、雪村いずみ、江利ちえみ、などなどの時代でしたし、一呼吸おいて、という感じで今度はビートルズが社会人2年目くらいだったでしょうか。

時代感覚は別として、いわゆるイージイリスニング分野で僕が気に入っていて、今でも新鮮な気持ちで聞くのが 白い恋人たち カナダの夕陽 それと、急にいま、思い出したけど八代亜紀の 舟歌 なんてよかったなあ。

(菅原)ちあき なおみの「喝采」が最高だよ。イヤー、こりゃー歌謡曲だったか。

(安田)保屋野さんの回想録とジャイさんのご返信を読んで、青春時代の想い出深い曲を挙げます。

プラターズ: オンリーユー(Only You)                    マイルス・デイビス: 死刑台のエレベーター                江利チエミ: ウスクダラとテネシーワルツ                 西田佐知子: コーヒールンバ                        キャロル・キング: タペストリー                     カテリーナ・ヴァレンテ: そよ風と私〜アンダルシア            ウエストサイド物語から「Tonight 」                   エルヴィス・プレスリー: (I can’t help falling in love)             プロコルム・ハルム: 青い影

ビートルズ、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、PP&M、ブラザーズ・フォー、フランク・シナトラ、ポール・アンカ、ニール・セダカ、シュープリームズ・・・・、切りがありませんのでこの辺で。

(小田)皆様の青春の歌懐かしく読ませて頂きました。重なる曲もありますが私の場合は

Green Leaves Of Summer:
高校の時、クラスの男性がアメリカへ留学する時お別れに歌って行きました。その後、Green Sleeves, Greenfields 等聞くと関連して思い出しました。

More:
世界残酷物語と言う凄いタイトルの映画の曲のようですが、アンディ ウィリアムスのレコードを友達に貸したりしていました。

次はBeatlesの曲が続きますが…。
I Wan’na Hold Your Hand:
楽しい曲でBeatlesを好きになったきっかけ。

Yesterday:
音声学の授業で聴かされたりもしました。

And I Love Her:
Beatlesの中で好きな曲。

イタリア サンレモの曲懐かしいですね。その中では、ボビー ソロの”ほほにかかる涙”を適当なイタリア語で歌っていました。Elvisは青春時代ではなく、30過ぎてから大好きになり、Can’t Help Falling In Love は、ずっと欲しかった映画ようなオルゴールを、やっと7年位前、諏訪のオルゴール館で手に入れることが出来ました!

(金藤)ほほにかかる涙、ノノレタ 懐かしい曲です♪   1964年、私は中学生でした。歌詞の意味は分かっていませんでした。日本語で誰か歌っていましたね。︎あなたに愛されカンツォーネ、シャンソン、ビートルズがやってきて、フォーク・ソングもありました。

シャンソンが好きだった友人に誘われて、数回「銀巴里」に行きましたが、ずいぶん前に閉店しているようですね。 その頃の私には大人の世界だったと思います。私の青春の歌は何でしょう?

 

(編集子)ミッキー・小田の青春回顧をほんのりと読んでいたら、畏友船津於菟彦から ”青春とは” ということを書いたメールがきて、小生の ”青春時代” の写真を絶対アップしろ、と言ってきた。彼とは普通部時代からの長い友人つきあいでもあり、私的な内容でもあるのでためらいもあって、汗顔の至りだがその一部と写真をあえて掲載させていただく。そういえば彼が僕らのいう ”歌” を歌ったことが(そのことが本稿のタイトルなんだが)あったかどうか記憶にない。彼のクラシック音楽への傾倒は半端なものではなく、”運命” と ”皇帝” ぐらいしか知らない小生ごときには及びもつかないのだが。

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(船津)

「青春」それは「男」が「女」を「女」が「男」を意識するときのほんの僅かな期間のシャボン玉のような時期を言うのでは無いか。
君は何時もはにかんだようなそぶりで、我が道を進んでいた。慶應義塾高校の文化祭-日吉祭-を初めて女子校と合同で開催することとなった。あれは今から65年も前に遡る。”ハイスクールニュース-慶應義塾高校新聞-” の72号にあるが、日吉祭実行委員長に進んで(当人注:掲載の新聞記事をよく読んでもらえばわかるがやむを得ず、である)就任した。そして見事女子校との合同日吉祭を華々しく開催に成功した。これは君の「青春」の総てだ。
語るべくもなくシャボン玉のような淡い「女」と「男」の物語だ。ファイアーストームの赤い光の中で君は満足げに後夜祭のフォークダンスを楽しんでいた。
宝塚好きな女子高校グループとの淡い交流もあったし、宝塚へ数人で見に行き京都などをそぞろ歩いたものだ。
これが「青春」。ほんのほんの短いシャボン玉が青空に浮かんでいたような時間だったね。もう時間は戻らないし同じ事は二度出来ない。そんな充実した君の「青春」が羨ましい。