乱読報告ファイル (53)を僕もフォローしました   (36 浅海昭)

瀬島さんが伊藤忠商事に入社されたのはソ連抑留から
帰国し間もない1959年頃で小生はまだ入社していませんでした
小生が入社した1961年頃は当時の越後正一社長の命を受け
瀬島さんは繊維専門商社から総合商社へ展開する業務を推進する
業務部の部長であったと思います。
伊藤忠兵衛事務所勤務中2-3回忠兵衛さんの用事で面談した
記憶がありますが、 それ以上の事はありませんでした。
ブラジルから帰国後何かの縁で瀬島さんの仕事をしてから時どき
瀬島さんの部屋に呼ばれ仕事を頼まれたことがありました。
誰からアドバスされたか忘れましたが報告は結論が最初、説明は
3点に纏め、用紙は一枚だけ。たまたま小生が要領がよかったの
か、運が悪かったのかその後度々呼ばれ瀬島さんが伊藤忠の役職離れ
られた後も何回か個人事務所に伺いました。
仕事を通じてお付き合いしましたが、ただの一度も戦争当時の話し
あるいはソ連抑留の話はしていません。とりわけソ連抑留中の事は
沢山の兵士が寒さと飢えで亡くなったことが気がかりで、誤解を招き
たくなかったようです。
今日思いついて書棚を探しました、瀬島さんの自叙伝「瀬島龍三
回想録 幾山河」に大本営の参謀になったこと抑留時代の事、 伊藤
忠商事での仕事の事などご自分の見解が書かれています。
(編集子)浅海君は伊藤忠商事で要職を歴任したいわば瀬島氏の同僚といえる存在。