1960年後半からのニューシネマの波は西部劇にも及んだが、これも西部を若者たちの目線で描いた青春ウエスタンとでも呼ぶべき作品。あのニューシネマの先駆
的作品と言われた「俺たちに明日はない1967」の脚本家コンビ、ロバート・ベントンとデヴィッド・ニューマンが脚本を手懸け、ベントン自らが初めて監督も兼任した西部劇。
少年たちが夢を求め西部に向って旅をするうちに、強盗など悪の道に染まっていく過程は「俺たちに明日はない」の少年版とも言える。撮影を担当したのは、「ゴッドファーザー1972」でアカデミー賞を獲るゴードン・ウイリス。西部の乾いた秋から冬にかけての荒涼たる原野を旅する無知で無能な少年たちを近くでまたロングショットで美しく描く。音楽は、全編ラグタイムっぽいピアノ音楽が流れる。哀愁漂うピアノ音楽に、淡い光の光線の中、無法と化した荒野をセンチメンタルに旅する少年たちの切なく余韻を残す道中にピッタリの曲調なのだった。何処かフォークソングっぽい甘酸っぱい青春の香りもする。音楽担当はミュージカル「ファンタスティック」の作曲家ハーヴィー・シュミット。
南北戦争末期の1863年オハイオ州グリーンビルは、まさしく人間狩の様相で軍隊が手あたり次第若者を搔き集めていた。良家に育ったドリュー・ディクソン(バ
リー・ブラウン)は両親の手を借り、徴兵逃れのためミズリー州へ。本人は金鉱探しで一旗あげたかったが、ジェイク(ジェフ・ブリッジス)という若者に金目のものを盗まれたことが縁で、二人意気投合し、ジェイクの悪童仲間 Bad Companyと同行する。当てのない旅をカンサスへ向かうが、西部は彼らが思う程甘くなく、仲間割れした二人が首を吊られる等して、教養があって聡明だが、ナイーブで世事に疎いドリューと愚かだが世渡り上手で、ずる賢いジェイクが出身も性格も正反対、出会いも被害者と強盗いう最悪の接触から、その後は誰よりも意気投合する。徴兵を逃れた少年が、悪い仲間 と西部の荒野を徘徊し、逞しく成長してアウトローになっていく様はベトナム戦争を拒否した若者に置き換え説明されたらしい。西部への旅に出た最初の晩、焚火をしながら、ドリューがシャーロット・ブロンテの自伝小説「ジェーン・エア」を読む場面がある。孤児から育った主人公ジェーンが資産家ロチェスターの娘の家庭教師として雇われ、やがてジェーンはロチェスターとの身分違いの恋に落ち結婚する。即ちジェーンが人間としての尊厳を捨てることなく、階級違いのロチェスターと対等の関係を結んだことにある。ドリューとジェイクの両者が何れも主人公ジェーンを自分に置き換えているのだった。最後のクライマックスシーン、二人で銀行に押し入る時、ジェイクが「ジェーンは最後どうなった?」と唐突にドリューに尋ねる。ドリュー曰く「It’s Fine! 大団円」。銀行に乗り込み銃を構え「Stick‘em Up!騒ぐな」と叫んだのはドリューだった。世間知らずのドリューがジェイク以上のアウトローになったのだった。
主演のジェイク:ジェフ・ブリッジは「真昼の決闘」保安官助手のロイド・ブリッジスの子息で出演作も多いが、ドリュー:ハリー・ブラウンは見たことがない
と思ったら、残念なことに惜しくも27歳で自殺してしまったとのこと。
(編集子)ニューシネマといわれた一連の作品も 何本か見たが、一番印象に残っているのが本稿でも何度かふれたが、バリー・ニューマン主演の バニシング・ポイント Vanishing Point だ。ベトナム戦争がアメリカ社会におよぼした厭世観が当時の自分の精神状態にぐっと響いた作品だった。以前、ラストシーンはどの映画だったか、という議論をしたことがあった。この作品のラストも心をえぐるようなショックをうけたものだった。夕陽の群盗の少年たちが落ち込んでいく心理とどこかでつながっているような感覚がある。
小泉さんが触れておられる 真昼の決闘 でのロイド・ブリッジェスは印象的だった。あの映画でデビューしたのだと思うのだが、ケティ・フラドとふたり、グレース・ケリーを圧倒する迫力だった。夕陽での息子の演技とくらべてどうだろうか。
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