バラが咲いた     (41  斎藤孝)

季節外れのバラ一輪が紅葉の森に咲いた。うす紫色した可愛らしい名残のバラ。葉の艶は元気いっぱいである。

 紅葉の森にラベンターとローズマリーのほのかな香りが漂う。

平和な鵠沼の晩秋を楽しみ元気に生きていこう。

(編集子)バラが咲いた、という一言ですぐ頭に浮かんだのが、僕らの学生時代から社会人なりたての、ベトナムの悪夢が一応終わって、とりあえず平和気分が横溢していたころ、それまでの  ”流行歌” と一般に言われていた分野に新風を吹き込んでくれた、若者たちの歌の数々が思い出される。そのきっかけというか代表作がマイク・真木の バラが咲いた だったような気がする。ベトナム反戦の若者たちのいわばテーマソングだった ピ-ト・シーガーの 花はどこへ行ったの とか、スコット・マッケンジーの 花のサンフランシスコ、日本で言えば杉田次郎の 戦争を知らない子供たち などなど、この後にくるいわゆる日本フォークソングの先駆けとなった歌をなんとなく思い出される。ビートルズ世代との過渡期?だったのか、このあたり、年代自体がもうあいまいなのだが。

エーガ愛好会 (291) 夕陽の群盗   (34 小泉幾多郎)

1960年後半からのニューシネマの波は西部劇にも及んだが、これも西部を若者たちの目線で描いた青春ウエスタンとでも呼ぶべき作品。あのニューシネマの先駆
的作品と言われた「俺たちに明日はない1967」の脚本家コンビ、ロバート・ベントンとデヴィッド・ニューマンが脚本を手懸け、ベントン自らが初めて監督も兼任した西部劇。

少年たちが夢を求め西部に向って旅をするうちに、強盗など悪の道に染まっていく過程は「俺たちに明日はない」の少年版とも言える。撮影を担当したのは、「ゴッドファーザー1972」でアカデミー賞を獲るゴードン・ウイリス。西部の乾いた秋から冬にかけての荒涼たる原野を旅する無知で無能な少年たちを近くでまたロングショットで美しく描く。音楽は、全編ラグタイムっぽいピアノ音楽が流れる。哀愁漂うピアノ音楽に、淡い光の光線の中、無法と化した荒野をセンチメンタルに旅する少年たちの切なく余韻を残す道中にピッタリの曲調なのだった。何処かフォークソングっぽい甘酸っぱい青春の香りもする。音楽担当はミュージカル「ファンタスティック」の作曲家ハーヴィー・シュミット。

南北戦争末期の1863年オハイオ州グリーンビルは、まさしく人間狩の様相で軍隊が手あたり次第若者を搔き集めていた。良家に育ったドリュー・ディクソン(バ
リー・ブラウン)は両親の手を借り、徴兵逃れのためミズリー州へ。本人は金鉱探しで一旗あげたかったが、ジェイク(ジェフ・ブリッジス)という若者に金目のものを盗まれたことが縁で、二人意気投合し、ジェイクの悪童仲間 Bad Companyと同行する。当てのない旅をカンサスへ向かうが、西部は彼らが思う程甘くなく、仲間割れした二人が首を吊られる等して、教養があって聡明だが、ナイーブで世事に疎いドリューと愚かだが世渡り上手で、ずる賢いジェイクが出身も性格も正反対、出会いも被害者と強盗いう最悪の接触から、その後は誰よりも意気投合する。徴兵を逃れた少年が、悪い仲間 と西部の荒野を徘徊し、逞しく成長してアウトローになっていく様はベトナム戦争を拒否した若者に置き換え説明されたらしい。西部への旅に出た最初の晩、焚火をしながら、ドリューがシャーロット・ブロンテの自伝小説「ジェーン・エア」を読む場面がある。孤児から育った主人公ジェーンが資産家ロチェスターの娘の家庭教師として雇われ、やがてジェーンはロチェスターとの身分違いの恋に落ち結婚する。即ちジェーンが人間としての尊厳を捨てることなく、階級違いのロチェスターと対等の関係を結んだことにる。ドリューとジェイクの両者が何れも主人公ジェーンを自分に置き換えているのだった。最後のクライマックスシーン、二人で銀行に押し入る時、ジェイクが「ジェーンは最後どうなった?」と唐突にドリューに尋ねる。ドリュー曰く「It’s Fine! 大団円」。銀行に乗り込み銃を構え「Stick‘em Up!騒ぐな」と叫んだのはドリューだった。世間知らずのドリューがジェイク以上のアウトローになったのだった。

主演のジェイク:ジェフ・ブリッジは「真昼の決闘」保安官助手のロイド・ブリッジスの子息で出演作も多いが、ドリュー:ハリー・ブラウンは見たことがない
と思ったら、残念なことに惜しくも27歳で自殺してしまったとのこと。

(編集子)ニューシネマといわれた一連の作品も 何本か見たが、一番印象に残っているのが本稿でも何度かふれたが、バリー・ニューマン主演の バニシング・ポイント Vanishing Point  だ。ベトナム戦争がアメリカ社会におよぼした厭世観が当時の自分の精神状態にぐっと響いた作品だった。以前、ラストシーンはどの映画だったか、という議論をしたことがあった。この作品のラストも心をえぐるようなショックをうけたものだった。夕陽の群盗の少年たちが落ち込んでいく心理とどこかでつながっているような感覚がある。

小泉さんが触れておられる 真昼の決闘 でのロイド・ブリッジェスは印象的だった。あの映画でデビューしたのだと思うのだが、ケティ・フラドとふたり、グレース・ケリーを圧倒する迫力だった。夕陽での息子の演技とくらべてどうだろうか。

琴桜の優勝     (大学クラスメート 飯田武昭)

大関琴櫻が初優勝を成し遂げました。大関5場所目で初めての賜杯と巷間の期待に中々添えなかった時期が長く、漸くと言う感じです。

私は数年前に鳥取、島根を数日間旅行した際に、鳥取県中部にある倉吉市に是非立ち寄りたいと思い1泊しました。市内には、打吹玉川地区をはじめ土蔵が多く、交番や公衆トイレにも土蔵のデザインが採用されており、白壁土蔵の街として知られています。ここでひょっこり出会ったのが小さな公園にある大きな元横綱琴櫻の胸像でした。

この横綱が倉吉出身だったことは、それまで知りませんでした。私の勤務していた会社の最初の研修工場(大阪府泉南の忠岡町)の女子バレー選手(当時は9人制)の数人の出身校が倉吉市だったことも、この地を訪れたいと思った理由の一つです。

胸像の横には、元横綱琴櫻がいかに遅咲きの力士だったか、そしていかに短命の横綱だったかが記されており、栃若時代からの大相撲好きの私は、忘れかけていた元横綱琴櫻を思い出して、それから何となく母方の祖父に当たる現琴櫻(関脇までは琴の若)を応援していました。最後の仕切で闘志を表す、あの怖い顔は天下一品です(豊昇龍の怖い顔も怖いですが、普段も怖い顔なので・・・)。

気持が優し過ぎると言われているようですが、往年の千代の富士のような鬼の形相は、これからは変わります。

(安田)先代の横綱琴桜は栢鵬時代のあと、数年して先日他界した北の富士と共に横綱をはりましたね。琴桜の横綱在位は1年半弱、多分7ー8場所のだったかと。力士に多い糖尿病を患い猛牛の勢いを削がれました。糖尿病から壊疽を発症、晩年には足首から下を切断するなど、苦労が絶えなかった。32歳の遅咲きの横綱昇進だったが短命に終わった。倉吉出身であるのは知っていました。何の役には立ちませんが、つまらぬことを知っています(笑)。

祖父に続いて現大関琴桜も横綱に昇進してもらいたいものです。日体大卒の石川県出身の「大の里」と東西横綱に昇進して、モンゴル出身でない日本人横綱に期待したいものです。闘志が顔に溢れている小型のモンゴル出身豊昇竜を加えて三つ巴の覇権争いになるのではないでしょうか。

 

秋も終わりぬ     (普通部OB 船津於菟彦)

亀戸天神菊祭りが好天で今が盛り、会期も終わり。七五三のお祝いもチラホラ。

往く秋ですね。いきなり冬。今年は衣変えもせず冬のモノをそのままにしておいて夏はTシャツで過ごしましたね、世界は春夏秋冬は無くなってきているようですね。夏から冬。
国際政治も目まぐるしく変わっていっていますね。103万の壁って?106万、130万も…違いは?どうなる。第二電電ならず第二自民党頑張っていますね。さてさて。

    • 咲花をいくつか捨てけふの菊 / 加賀千代女
• 菊の香や流れて草の上までも / 加賀千代女
• きくはたやいかにすぐれて残る菊 / 加賀千代女
• 道愉ししきりに菊の咲きあふれ / 久保田万太郎

山茶花も秋桜も満開ですね。
秋は終わりぬ。

“SNS の功罪” 論議ーこのあたりでひとまず  (普通部OB 菅原勲)

所謂、オールド・メディアと言われる新聞とかテレビなどは、今まで、どのような情報を提供して来たでしょうか。例えば、新聞で言うと朝日新聞です。珊瑚記事捏造事件の問題しかり、従軍慰安婦誤報記事の問題しかり。などなど全く間違った情報を臆面もなく伝えて来ました(一言で言えば虚報。今で言う、フェイク・ニュースはこれまでも多々あった)。これだけを情報源とする人は、この間違った情報を鵜吞みにするしかありませんでした。つまり、良いも悪いも、いわゆるオールド・メディアから情報を一方的に伝えられるだけで、例外があったとしても、その受け手はただただそれを受け取るしかなかったのです。そして、それを信じました。

しかし、ネットの時代となり、誰でも自由に見解、情報を発信することが出来るようになりました。また、その特徴は、これまでのオールド・メディアと違って、情報の一方的な垂れ流しではなく、相互会話が可能となった新しい世界が開けました。しかし、勿論のこと、物事には、常に表と裏があります。つまり、そこには、正しいものと間違ったものが混在しています。また、為にする情報も紛れ込んでいます。これらを取捨選択し、正しい情報を選択するために、一層の賢さが求められているのは言うまでもありません。しかし、明日、直ちに利口になるわけではなく、幾多の試行錯誤を経てそれを手にすることになるのでしょう。まさか、こんな大事なことまでAIに任せるような愚行を人類が行うとも思えません。

小生、これからの世界に極めて楽観的です。例えば、SNSを廃止せよとの論があるようですが、これは極めて馬鹿げた妄論です。そこで思い出しました。産業革命の初期、極めて愚劣な打ち壊し運動ってのがあったことを。

今、オールド・メディアしかなかったならば、米国ではK.ハリスが大統領になり、兵庫県では稲村 和美が知事になっていたことでしょう。実際には、そうでなかったことを考えると、これで良かったんじゃないでしょうか。

エーガ愛好会 (290) 戦うパンチョ・ビラ   (34 小泉幾多郎)

メキシコ革命をめぐる実在の英雄パンチョ・ビラの半生を描いたのだが、まずス
タッフとキャストを見て驚く。ウイリアム・ダグラス・ランスフォードと言う人が書いた実話を基にした脚本が、メキシコならこの人というサム・ペキンパーと「チャイナタウン」でアカデミー脚本賞を得たロバート・タウン。撮影が「戦場のかける橋」でこれまたアカデミー受賞のジャック・ヒルドヤード、広大なメキシコの風景の中、戦闘シーンの迫力や大規模な空撮を使った攻防戦等見応え充分。音楽がモーリス・ジャール、音楽で映画の雰囲気を引き立て、スリングなシーンを盛り上げている。残念乍ら監督バズ・キューリックだけがB級臭いか。それでも歴史的なドラマとアクションを巧みに組み合わせパンチョ・ビラという人物の生涯を深く掘り下げている。

キャストは、ユル・ブリンナーとチャールズ・ブロンソンがメキシコ側に対し、アメリカからの助っ人がロバート・ミッチャムという三大スターの競演
開巻すると、パンチョ・ビラの部隊と思われる古い写真がセピア色で流れる背景に、モーリス・ジャールの音楽が、いつもの交響楽的サウンドでないボレロ風なスローなテンポで流れ、終わると銃器商人の米国人リー・アーノルド(ミッチャム)運転の複翼機が飛んでいる。メキシコ政府軍と銃器取引するため着陸するも革命派のパンチョ・ビラ(ブリンナー)、副官にフィエロ(ブロンソン)率いる一派に捕われてしまう。ブリンナーがいつものスキンヘッドでなく、豊かな髪の毛と髭の姿には驚くが、しかしアーノルドが飛行機を所有していることに眼をつけ彼を味方に引き入れる。

ビラ側は、政府軍が謀略の限りを尽くしても、政府軍に対する憎しみ度を倍増さ
せるがため攻撃を遅らせるとか、捕虜を一人一人壁を越えて逃げ遂せないものを銃で射ち殺すとか残虐行為をしながらも自由のための戦う正当性といった疑問点もあるが、自由のために戦うビラの反乱とその意義や人間としての行動の複雑さを掘り下げて描いているとみられる。アーノルドが革命軍に加わり、飛行機を利用し、作戦は順調に進んで行ったが、この勝利を喜ばないマデロス大統領(アレクサンダー・ノックス)から革命軍総司令官に任命されているウエルタ将軍(ハーバート・ロム)とが相容れない存在となって関係が複雑化してくる。

最終的には、ウエルタ将軍がマデロス大統領を暗殺するが、これから1年4か月後アーノルドも加わったビラの軍隊がメキシコシティに凱旋した。

日本の秋 2点  (HPOB 小田篤子  42 河瀬斌) 

ちょっと時間が経ってしまいましたが、10日の慶早戦は1塁早大側の前の方の席でしたが、見えるのも、聞こえる応援団の声も前方の慶応さんの方でした。
早稲田側でも一番の話題は清原Jr.の事。 あと1勝すれば…でしたが、慶応が2連勝!慶応さんの為の観戦のようでした!(編集子注:ミッキーの旦那ば早稲田である)
翌11,12日は蓼科へ。
小川さん、まだ紅葉が綺麗に残っていました! センター辺りの写真添付致します。
13,14日は毎年の上高地に。 諏訪湖〜沢渡までの紅葉はダムや川のブルーと重なり見事でした。14日は久しぶりに2万歩程歩きました。
穂高の雪は殆んど解けていましたが、帰る閉山式のある15日には、前夜に降った雪が上の方に少し積もっていました。今年も7割くらいが外国人。 以前より賑やかで暖かいので、閉山は延ばしても良いのではと思いますが…。

(42 河瀬)美しい晩秋の上高地の写真ありがとうございます。確かに閉山するのは勿体無いですね。温暖化が今後もあるでしょうから、11月いっぱい開けるように変更してくれるといいですね。

 私の方は9−10日に行った渓谷の写真です。静岡県寸又峡「夢のつり橋」と天竜峡(上空に見えるのは新しい「天空の橋」です)

エーガ愛好会 (289)素晴らしき映画音楽作曲者たち (大学クラスメート 飯田武昭)

小生が主宰している細やかな会(通称:キネマの会)で、音楽家やミュージカル関係の映画を観て貰う際に簡単な解説をする際に便利なように纏めたものをご紹介します。

(編集子)来月、とうとう白内障のオペを受けることになった。終わったらこの表がはっきり見えるようになるんだろうか・

”SNS化の功罪” について    (普通部OB 船津於菟彦)

(昨日掲載のブログ記事についてのフォローです)

小生Internetが始まった頃から放送法とこのメディアの問題提起してきましたが今や、Internetは電話のA体Bの範囲を超えテレビ・新聞は一部にオールドメディアと揶揄されていますね。

もうこのSNSは止まらない。FaceBook・Google・等々ましてやこれで稼いでいるユーチューバーなる者も居たりして、もう止められない。報道の公正とか平等とか言論の自由を幾ら振りかざしても最早どうにもならない。
東京都知事選挙から斯様な現象が始まり今や選挙のやり方も変わってきたようですね。公職選挙法が追いついていけない。

トランプ&ハリス。斎藤&和美。共に「負けた方が先行していたが後半SNSの力で大きく変わっていたと報じています。稲村候補も後半斎藤氏と戦っているのでは無く何と戦っているのか分からなくなったと敗戦の弁で述べていますね。

小生はInternet創生期の頃から放送との違いとか規制について色々論じてきて案じていたが今や規制は及ばなくなり、観た者が自己判断して良し悪しを決めていかなくては成らない。

新聞も取らずテレビも政治番組等観ない世代はどう判断していくのだろうか。
そして貴兄が案じて居る様にAIは始まったばかりです。世界でどう規制していくのか早く対策を講じ無いとInternet同様にどうにもならなくなり判断は益々難しくなりますね。本日、各週開催のZOOMによる元慶應義塾大学新聞研究所のOBの白熱・慶新旅行OBバーチャル茶話会でももっぱらこの話題でした。

会議では、イーロンマスクのテクノロジーと富の影響力、インターネットと放送法の規制の問題、AIの法整備の必要性について議論された。
また、会議では、SNSの無責任な情報発信と個人情報保護の過剰規制について議論が行われた。SNSでの発信者の責任の所在を明確にする制度の必要性を強調し、公平性、公正性、信頼性の重要性を指摘した。船津は個人情報保護の行き過ぎた規制に懸念を示し、滝鼻恵子はアメリカ大統領選挙に関する話題を提起し、SNSの選挙への影響など、こんな事が2時間程度愉しく議論致しました。 どうなっていくのでしょうかね。兵庫県知事選挙のことはメディアの問題として研究していく好テーマですね。

(編集子)紙上討論会、歓迎。

 

(33小川)お二人のブログ拝読しました、まさに時宜を得たコメントで小生も同様に考えております。

大学で生田助教授の発刊された「マスコミュケーション論」に触発されて生田ゼミに入りました。まさに勃興期で新聞・ラジオという媒体にテレビという新しいメディアが参入してきた時期、テレビの功罪が論議された時代でした。それが僅か半世紀足らずでジャイさんの卓見「フロムの時代」に出会うとは考えもしませんでした。21世紀に入り全世界の何十億の人間が携帯電話を日常の生活に利用する時代が来るとは・・・。新聞、テレビがオールドメディアと言われ,SNSが実に短期間に普及して圧倒的に身近なツールになってしまいました。

この数か月の間の東京都知事選の石丸戦略、衆院選の国民民主党の大躍進、兵庫県知事選の斉藤戦略、をみると今後の選挙戦はどうなるのでしょうね。テレビの政見放送の無意味さ、コメンテイターの発言などなど。

米国大統領選で旧ツイッターを経営するイーロン・マスクが政権中枢に入るとのこと、世論の誘導も政治化されるのですか。またAIやドローンで今後どんな世界になって行くのでしょうかね。

(42 下村)SNSの危険性や怖さについては小生も同じように危惧の念を抱いているひとりである。

視聴者の関心をひく短く断定的な言葉で二者択一を迫る。そこには議論や対話をするといった気持ちは感じられず、ただ一方的に主張して世論を煽るフレーズや動画が繰り返されている。興味を引くテーマを印象的な動画と単純明快で歯切れのよい言葉でくり返し世の中の人に訴えつづける。

この手法は太平洋戦争開戦前の時代の流れを彷彿とさせる。このとき世論をリードしたのは大手の全国紙。購買量が減少するからと言って開戦に危惧を抱く意見や否定的な意見はほとんど掲載せず、誰もが飛びつきたくなるような景気のよいニュースばかりをセンセーショナルに流し続けた。半信半疑の人もいたにもかかわらず大半の人たちは開戦に反対の運きをすることもなく大きな流れに乗っていった。

 選挙で負けたのは不正選挙があったと暴動を煽り、しかもセクハラ容疑で有罪となった人物を大統領に選ぶアメリカ。パワハラ疑惑や内部通報者を探し出すよう指示した人物を県知事として再度選出する日本。いずれも通常では考えられないような結果を引き起こしている。この異常ともいえる現象のベースにあるのがSNSではないかと分析されている。テレビが出始めた当初、一億総白痴化と言われたことがあった。テレビが思考力や想像力を失わせ、ただ一方的に流れ出る映像を見るだけの受動的な人間になってしまうと危惧されたのだ。SNSも使われ方によっては世論を操作し、ひとつの方向だけへ世の中を誘導してしまう怖さがある。そこには思考や想像、別の立場から考えるといったプロセスはない。直近の2つの選挙がこのことを物語っている。

民主主義の完成度はその国の国民のレベルによって決まると言われている。日本は江戸時代の庶民でも学問に精を出し、人間性や見識の高さを誇っていた。初めて日本の土を踏んだ欧米人は誰でも日本という国のモラルの高さに驚いたという。SNSをうまくコントロールしていきたいものである。

(41 斎藤孝)SNS時代は戦国時代と同じなのである。下剋上とアナキーズム。そして「SNS開拓史」は「西部開拓史」でもある。

自由の大地であるアメリカ西部に民主主義というルールを開拓者自身によって定めた。SNSという自由は、時として不自由なことにもなる。その自由から逃れる方策はあるのだろうか

もしかして制御される自由こそ、心地よい自由といえる。それは全体主義という自由かもしれないが・・。

(44 安田)音楽、読書、対面コミュニケーションetcについては、アナログ派なので、デジタル時代の象徴SNSの影響力には魂消ます。兵庫県知事選挙について、腑に落ちないのは、県民の代表である県会議員から満場一致で不信任された元知事が復活当選した不思議。彼の行政手腕は知らずして能力の適性にはコメントは出来かねますが、選挙を経て県民を代表する議員による不適格判断(不信任)と、直接選挙によって県民が下した適格判断(選挙投票の過半数には届かずとも相対的1位)の180度異なる捻れ現象には、言ってみれば、同じ県民の総意が相反する結果となった。魔訶不思議と思わずにはおれなかった。死者二人を出した県議会運営の道義的責任とアカウンタビリティーについて兵庫県民の真意は奈辺にあるのだろう、と思ったものだ。それもこれもSNSの魔術に掻き消されたに違いない。SNS時代が戦国時代であれば、信長・秀吉・家康の役割は何が・誰が果たすのだろうか。

(HPOB 菅井)明大の塚原教授の論に全面的な賛成はできませんが、選ぶ側の資質に関する問題提起は投票行動にも現われているように感じます。まず、民主主義が機能するためには、一人ひとりが平等に政治に参加して、「自分の意見をもち、それを主張すること」が必要です。異なる意見をもった人の間で議論が戦わされ、議論の末に意見が集約されて、政策が決定されます。

ところが日本では、この大前提がうまくいっていません。というのも、日本人は周りに受け入れてもらうために、自己主張を抑制しがちだからです。自己主張は、異なる意見をもつ人との対立や軋轢を生じる可能性があるので、それを避けるために「周りの空気を読む」ように育てられるからかもしれません。

自己主張を控えがちな日本では、議論を戦わせて有益な意見や政策に到達するよりも、周りとの良好な人間関係を維持することが優先されます。つまり、日本人は自分で考えたり人と議論をすることに慣れていないのです。そもそも自己主張ができないと、議論を通じてよりより政策をつくったり、妥協点をさぐろうとしても、最初の段階でつまずいてしまいます。

民主主義に合わない「日本人の国民性」
https://www.meiji.net/life/vol515_tsukahara-yasuhiro

兵庫県知事選に思うーSNS文化の功罪について

一時話題をさらった、兵庫県知事の選挙だが、いわば被告人扱いだった元知事が圧倒的な支持を受けて再選された。ことの詳細や事実関係についてはマスコミの報道以外知らない部外者が知ったかぶりでコメントすることは差し控えるべきだろう。しかしこのことと、数日前アメリカで起きたトランプ圧勝というニューズには、共通したテーマがあるように思える。

第一は兵庫県においても米国においても、民主主義は健全だ、ということだ。繰り返すがその結果がどうなるかは別問題だが、兵庫では知事自らの個人の努力を通じて(これが真実なのだろう)と信じるに至った若者層の支持があったことだし、アメリカでは(なおのこと現地の状況がわからないので評価のしようがないが)全土で圧倒的な支持があったこと、その多くは民主党の地盤であった州での勝利だったこと、などを考え合わせると兵庫のケースに酷似したものを感じる。つまり、個人の意見がなんら掣肘を加えられることなく政治に反映された、という確証なのだ。その意味で今度の2回の選挙結果は意義があった、と思う。

第二は、これが小生の関心事なのだが、この二つのイベントにSNSという仕組みが果たした役割である。マスコミに登場する記事の多くはこれによって選挙民が背景を理解した、というポジティブが論調が多いし、自分もそう信じたい。しかしかたやためにする記事の氾濫によって、人々が結果的に誘導されてしまう危険の大きさは空恐ろしいものがある。

本稿でも幾度か書いたが、小生が “専攻” (おこがましいのだが)した社会思想史の見方で行くと、僕らが学窓にいた60年代はまだまださきのことだと高をくくっていた社会の破局、といえば言い過ぎかもしれないが、あきらかに負の方向への転換、が起きつつある、あるいは起きてしまったのではないか、という感覚を持たざるを得ない。思想関係の用語だが、大衆社会、の到来である。

大衆社会、Mass Society という用語がいつから使われるようになったのか、確たる史実があるわけではないが、ぼくのささやかの読書歴でいえば、有名なデヴィッド・リースマンの 孤独なる群衆 とか、イ・オルテガ・ガセットの 大衆の反逆、またある意味でこれらの思想の先駆的が意味があると思うのだが、シュペングラーの 西洋の没落、などが論じていることだ。要は、制度として西洋社会を作り上げてきた民主主義の爛熟とともに、それを担う一般大衆の考え方や生き方やそういうものが、独裁者はいないはずの社会に何となく生まれてくる主張というか雰囲気というか、このことを実はぼくが卒論にわかったふりをして論じたエリッヒ・フロムはこれを 匿名の権威 と呼んだのだが、そういうものにいつの間にか左右されてしまい、社会が迷走していく、大げさに言えば崩壊してしまう、という主張だ。

フロムの時代、すなわち1960年代には、この ”権威” はマスコミの報道であり、ラジオであり、勃興しはじめたテレビであった。これにとって代わり、さらに強力な影響を及ぼすのが現代のSNSという仕組みだろう。それが一部の勢力なり犯罪組織なりに巧妙に利用されることがいとも簡単になってしまい、かててくわえてAI技術の一般化が発生してしまった以上、現在の社会を誘導するものが一体何なのか,誰にもわからないのではないか。

すでに半世紀以前、ま、暇があれば教室に行く、という程度の学生だった自分にも、フロムの予言がしみついてきて、俺が生きている間にこんなことがないように、と思っていたものだ。それがいま、現実にある、という事実を、今回の二つの選挙、その結果云々を論じる資格がないことは百も承知のうえでいえば、そのプロセスで感じたことだった。