乱読報告ファイル (56)蝶と人と 美しかったアフガニスタン (普通部OB 菅原勲)

「蝶と人と 美しかったアフガニスタン」(著者:尾本 恵市。発行:朝日選書、2023年)。

この本は、蝶にいささかでも興味のある方にとっては必読の書だ。何故なら、幻の蝶と言われるアウトクラトール(皇帝)・ウスバシロチョウの捕獲記であるからだ。しかし、小生、蝶のことは全く知らないし、興味もない。では何故この本を読んだのか。それは、日経は土曜日の読書欄に「一周遅れの読書術」と言うコラムがあり、そこで岡田暁生がこの本を紹介していたからだ。このコラムは一周遅れと謳っているように、小生にとって知らなかった昔の本、と言っても比較的に最近の話しなのだが、を紹介してくれるからであり、もう一つは、岡田が音楽では信用のおける人であるからだ。確かに、この本は面白かった。しかし、残念ながら蝶については、モンシロチョウは知っているが(最近、自宅の近辺では蝶など凡そ見かけなくなった)、ここで述べられている様々な蝶については、終始、何が何やらさっぱり分からなかった。

さて、この本の著者、尾本だが、その原点は、3-4歳ごろの昆虫少年から始まっており、専門は人類学、集団遺伝学で、蝶の収集家としても有名であり、膨大な標本が東大総合博物館に収蔵されている。彼は1933年の生まれだから、現在、92歳であり、この「美しかったアフガニスタン」は、半世紀以上も前の1963年、彼が30歳の時に訪れた当時を、その時の詳細な日記を基に語っているものだ。従って、同じアフガニスタンと言っても、その後、ソ連が侵入し、米国が侵入し、そして、イスラム教原理主義のタリバンが支配している現在とは雲泥の違いがあるわけで、それを、彼は、美しかったアフガニスタンと言う懐旧の念を込めて表現している。ここで余談になるが、アフガニスタンと言えば、かのシャーロック・ホームズが後にその活動の記述者となる元軍医のワトソン博士と初めて面談したおり、その風采を見ただけで、貴方はアフガン戦争の復員軍人でしょうと見抜いたのが、このアフガニスタンだった。それは、1881年の話しだから、以後、特に、北から南に下って来るロシア、それを食い止める英国が衝突する場と化してしまっていただけに、アフガニスタンは西洋列強の恰好の餌食になってきたわけだ。

尾本は、自分のことを、人類学と蝶類学の二刀流と言っているが、蝶に関しては趣味と言った方が相応しいだろう。このアフガニスタン訪問の目的は、上述した極めて珍しい蝶を捕獲することにあった。その切っ掛けとなったのが、知人であり、蝶の収集では当代随一と言われた英国人コリン・ワイアットから一緒に行かないかと誘われたからだ。ドイツのミュンヘンからアフガニスタンのカーブル(彼は、カブールではなくカーブルが正しいと述べている)に飛び、富士山より高い4000m級の高山蝶の産地であるヒンドゥークシ山脈に分け入り、4例目となる珍しい蝶の捕獲を中心に蝶を捕りまくった。そして、この本には、自身が撮ったそれらの蝶や美しい山々、アフガニスタンなどがカラー写真で撮影され、満載されている。

彼の行為は、何やら、観賞用植物の新種を求めて世界中を飛び回ったプラント・ハンターを思い起こさせる。アウトクラトール探査行を終えたあと、彼は、カーブル博物館、バーミーヤンの仏教遺跡なども見学している。

小生にとって、何が面白かったと言うと、世にも珍しいものを、困難に立ち向かって探しに行く行為、一種のロマンを掻き立てられたからだ。従って、小生にとってその対象が必ずしも蝶である必要はなかったと言うことになる。

前述のとおり、小生、蝶のことは全く知らないし、興味もない。従って、ここでは蝶について言及しないが、その唯一の例外が、ロシアの探検家、プルジェワリスキー・ウスバアゲハの盗難事件だ。1884年、彼の第二次チベット探検の途上、中国青海省山脈で三頭の美麗なウスバアゲハ(パルナシウス)を捕獲し、それがドイツの博物館で陳列されていた。それを名前が伏せられているある日本の実業家が200万円で故買屋から購入する(たかが蝶一頭に!因みに、尾本によると、蝶は一匹、二匹などではなく一頭、二頭と数えるらしい)。結局、尾本を通じてドイツに返還されることになるのだが、蝶に全く興味のない小生から見ると、チョウごときに数百万円の値段が付き、しかも、それを実際に購入する人がいるとは俄かには信じられない、その辺で舞っている蝶ではないにしても。蝶好きの人にとっては命の次に大切なものなのだろうか。

最後に、読み終わって疑問に思ったのは、何故、1963年の誠に貴重な体験が、半世紀以上も経ってから、やっと本になって出版されたのだろう。その経緯について、著者はいささかも触れていない。