マチユピチュ への旅     (41 斉藤孝)

マチュピチュは、雲海と霧に覆われ小雨までも降っていた。
ヨレヨレ老夫妻はインカの謎の天空都市に登った。大変息苦しい。
その時にインカ帝国の奇跡は起こった。突然晴れて神秘的な雰囲気になった。

標高2,430メートルのアンデス・ウルバンバ渓谷の山頂に築かれたマチュピチュ。80歳過ぎの高齢夫妻を歓迎してくれた。マチュピチュ遺跡を貸し切ることにした。となりの若者を真似て無理なポーズを披露した。少し腰と腕に痛みを感じた。16世紀に滅亡したインカ帝国皇帝パチャクティにゲラゲラと笑われたようだ。

私には、いつまでも漠然としたマチュピチュへの憧れがあった。今から20年前、2003年に初めてマチュピチュを訪れた。カリフォルニア州サクラメントからの短いフライトだった。クスコもオリャンタイタンボ村も変わっていなかった。

マチュピチュ村を流れるウルバンバ川はアマゾン川の源流の一つである。
この激流を征服者スペインのコンキスタドールは下り、エル・ドラード(黄金郷)を探し求めた。インカ帝国の都クスコは標高3,399mの高山である。高山病になるリスクが高まりさすがに息苦しい。

マチュピチュ遺跡に入ると、まず目に入るのが40段にも渡る段々畑である。
3mほどある高さの石の壁が支えている。見事な石組である。こんな石垣職人がいたとは、驚異である。世界も驚く石建造技術。
なぜあの場所に作ったのか?

太陽信仰に基づいて、石組みは曲線を作りだし、高い技術が用いられた神殿。
高度な石職人はいたのだろう。「聖なる石」と呼ばれる巨大な石がいくつもあった。インカ帝国の人々は、そびえる山々に神の存在を重ね、石に削ることで山への崇敬の念を表現した。

(44 安田)カメさん、お帰りなさい!

地球のほぼ裏側、しかも標高3500mの高地への旅、解説と写真ありがとうございます。ご夫妻の好奇心・足腰の軽さ・行動力には漢服致します。

(42 河瀬)マチュピチュのお二人の写真、素晴らしい!

日本の堀の石組みと全く似た素晴らしい石組み技術をインカが持っていたのは驚きですね。
もう一つ私が感心したのは山を越えて水を供給した水路でした。それも敵に発見されないように作ったものでした。日時計もマヤの遺跡にあるものと通ずるものがあります。
 それにしてもこの歳で絶え間なく海外にゆき、地球の裏側にまで飛ぶ、カメさん夫妻の行動力とバイタリテイーには敬服します。ワールドワンダラーズ、万歳!