エーガ愛好会 (326) ロングライダーズ  (34 小泉幾多郎)

無法者ジェシー・ジェームスを描いた西部劇を最初に見たのは、未だ終戦直後の
「地獄への道1939」タイロン・パワー主演で、南軍のゲリラ隊に所属し、悪漢と雖も南部人ということで、その対象を銀行か鉄道会社に絞っていたこともあり人々は西部のロビンフッドと呼び喝采を送っていた。最後は史実に沿って仲間のフォード兄弟によって、殺されてしまうまでが、日本でも18本も公開されている。「地獄への道」の続編として、これは史実に反するが、兄フランク・ジェームスが、ジェームスの敵を討つ「地獄への逆襲1952」が、ヘンリー・フォンダ主演で作られている。

この「ロング・ライダーズ1980」も史実に沿った同様のストーリーだが、監督がウオルター・ヒルという男の世界にこだわり続ける監督だけに、男同士の激突が凄まじく描かれる。主犯になる元南軍カントレル・ゲリラ隊にいたジェシー・ジェームス(ジェームス・キーチ)とその兄のフランク(ステイシー・キーチ)。同じくゲリラの一員だったコール・ヤンガー(デビッド・キャラダイン)とジム・ヤンガー(ロバート・キャラダイン)やクレル・ミラー(ランディ・クエイド)とエド・ミラー(デニス・クエイド)といった画面での兄弟が実際の兄弟により演じられたことが、より真実味を帯びた演技に通じた。しかし俳優の名前は知っていても、画面での対面が少なく、最初は役名と顔が一致するまでに、時間がかかった。男の世界監督と雖もジェームス兄弟は母、妻、義理の息子を大切にしていた生活者として、ヤンガー兄弟は、やさぐれた生活ながら娼婦であっても女性を愛する姿をほんのりとは描いていた。コール・ヤンガーと娼婦ベル・スター(パメラ・リード)との関係が印象に残る程度。ジェームス兄弟の妻との関係は希薄で、母親の方が強く印象に残る。

ギター音楽が全面に流れていたのが印象的。音楽がギタリストのライ・クーダー
で、冒頭からトラディショナルなカントリー・ミュージックと自作曲が流れる。山頂付近を7頭の馬が並び歩き、近づくと揃いのグレーのダスターコートが銀行強盗、列車強盗にテンポよく進んで行く。酒場では、北軍の歌を止めさせ、南軍の歌に代えさせたり、口に紐をくわえてのナイフでの決闘など多彩なエピソードを挟みながら、クライマックスのミネソタ州ノースフィールドに侵入し、銀行を襲撃した。馬を連ねて町に入る場面から、一転町中の銃火を浴び、市中を逃げ回る羽目に陥ってしまった。
下馬した状態で、馬の手綱を持ちながらの銃撃、落馬後馬に引きずられる姿、屋根からスローで落ちるガンマン、馬ごとショーウインドーのガラスを破るシーン等々殆んどがスローモーション撮影で、サム・ペキンパー監督の「ワイルドバンチ1969」を踏襲した殺戮集団の最後だった。

ジェシーとフランク兄弟だけが逃げ去り、ヤンガー兄弟は捕えられた以外は死んだ。ミズリーへ戻ったジェシーはボブ(ニコラス・ゲスト)とチャーリー(クリストファー・ゲスト)に後ろから撃ち殺され、残された兄のフランクはジェシーの葬儀を理由に自首することで、強盗団は壊滅。埋葬のため列車で棺を運ぶ。

「エーガ愛好会123ジェシージェームスの暗殺2007」記載時、ジェシー・ジェームスの日本公開映画18作品を羅列したが、再度ジェシーの主演者も付加して掲載しておきます。

1「ジェシー・ジェームス1927フレッド・トムスン」             2「地獄への道1949タイロン・パワー」                  3「復讐の六連銃1941アラン・バクスタ                 」4「地獄への挑戦1949リード・ハードレー」                 5「平原の勇者1949ディル・ロバートソン                」      6「命知らずの男1950オーディ・マーフイ」                 7「無法一代1951マクドナルド・ケリー」                  8「荒野の三悪人1951ローレンス・ティアニー」               9「私刑される女1953ベン・クーパー」                  10「拳銃が掟だ1953リー・バン・クリーフ」                11「無法の王者ジェシー・ジェームス1957ロバート・ワグナー」       12「地獄の分れ道1957ヘンリー・ブランドン               13「腰抜け列車強盗1959ウエンデル・コリー」               14「ミネソタ大強盗団1972ロバート・デュバル」              15「ロング・ライダーズ1980ジェームス・キーチ」             16「ワイルド・ガンズ1994ロブ・ロウ」                   17「アメリカン・アウトロー2001コリン・ファレル」            18「ジェシー・ジェームスの暗殺2007」ブラッド・ピッド

(中司)小泉さん、このキャストにあるキャラダインは、あの ”駅馬車” で名演(とぼくはおもっているのですが)のジョン・キャラダインと関係があるんでしょうか?

(小泉) 「駅馬車」出演の賭博師ハットフィールドのジョン・キャラダインは、父親とのことです。子息連中は、コール・ヤンガー(デヴィッド・キャラダイン)、ジム・ヤンガー(ロバート・キャラダイン)本文に抜けてましたが、ボブ・ヤンガー(キース・キャラダイン)です。

”駅馬車“ で、放蕩をつくし旅のギャンブラーに落ちぶれた、もと南部の貴族が夫を尋ねて危険な旅に出た女性を知って義侠心と南部紳士のプライドから危険を承知で乗り込み、最後を遂げるニヒルな役をつとめたのがこの父キャラダインだ。子供たちの出来栄えはあの演技に匹敵したか?

今は昔の話―都電をおぼえていますか    (普通部OB 船津於菟彦)

小生は昭和26年に慶應義塾普通部に入学しました。当時普通部は天現寺にある慶應義塾幼稚舎の一部を借りていて、翌年秋に日吉の現在のところへ移転。従って当時中野に住んでいた居ましたので、中央線で信濃町まで行き、都電の7番品川行きに乗り、天現寺で下りて通いました。当時生徒は⑦⑧㉞番の都電で四谷三丁 目か信濃町方面からか中目黒からか、渋谷から通って居てので、それぞれ「御前何番族」というような感じで仲間が出来ていた。都電は無数に東京都内を駆け巡っていて、定期は路線区間をペンで書き、住んでいる住所に近ければ、四谷三丁目駅乗り替え、新宿駅まで行き青梅街道を走る電車で鍋屋横丁駅まで、買ったこともあります。料金はは同じ。一年半近く利用致しました。

⑦系統 四谷三丁目 – (信濃町線) – 北青山一丁目 – (広尾線) – 天現寺橋 – (古川線) – 古川橋 – (伊皿子線) – 泉岳寺 – (品川線) – 品川駅前
1967年12月10日より運転区間を四谷三丁目 – 泉岳寺間に短縮。
⑧系統 中目黒 – (中目黒線) – 渋谷橋 – (天現寺橋線) – 天現寺橋 – (古川線) – 赤羽橋 – (札の辻線) – 飯倉一丁目 – (六本木線) – 神谷町 – (虎ノ門線) – 桜田門 – (半蔵門線) – 日比谷公園 – (築地線) – 築地
㉞系統 渋谷駅前 – (天現寺橋線) – 天現寺橋 – (古川線) – 古川橋 – 金杉橋

都電の歴史は、明治44年に東京市が東京鉄道株式会社から路面電車事業を買収し、東京市電気局として開局したときに遡ります。
都電には、かつて文字通り“都民の足”として隆盛を誇った時代がありました。最盛期の昭和18年度には、一日平均193万人ものお客様が利用されました。系統も41系統を数え、都電が都内を縦横に走っていました。しかし、自動車交通量が増大していく流れの中で、軌道敷内への自動車乗り入れによる輸送効率の低下が顕著となり、昭和42年から昭和47年にかけて181kmもの路線の廃止を余儀なくされました。

現在では、路線の大部分が専用軌道であること、代替バスを運行できる道路がないこと、沿線住民等の強い存続要望があったことなどにより、三ノ輪橋~早稲田間を走る都電荒川線のみを運行しています。しかし、C02も出さず走る都電にまた注目が集まってきているようです。のんびりとですが、バスより快適ですね。
営業キロはわずか12.2kmですが、令和5年度は一日平均約4万9千人のお客様にご利用し、地域に密着した交通機関として親しまれています。
都電荒川線の魅力を国内外に積極的にアピールし、更なる利用者の誘致、沿線地域の活性化に寄与していくため、外国人を含む観光客の方にも親しみやすい路線愛称を付けることとし、広く意見募集を行いました。その結果平成29年4月に愛称を「東京さくらトラム」に決定しました。

天現寺駅は車庫がありセンター的な役割を持っていました。広尾電車営業所・広尾電車車庫です。
• 1914年(大正3年)9月28日開設。廃止前は7、8、33、34系統の運行を担当していたが、第一次撤去で7、8系統、第四次撤去で33、34系統が廃止されたことで1969年(昭和44年)10月26日に廃止された。
• 跡地は都営広尾五丁目アパートとなっている。

当時はハンドルで運転し、紐の付いたベルでチンチンとならして走っていたのでチンチン電車とも言われました。これは飛鳥山公園に保存されている都電の運転席です。

東京さくらトラム 王子駅前駅 クラッシックな形の都電

東京さくらトラムは一部区間は昔のように道路を走るところもあるが殆どが専用路線に成って居ます。三ノ輪橋から早稲田まで 途中 サクラとパラが迎えてくれます。

こんなのんびりした旅も偶には如何。王子駅前駅〜三ノ輪橋駅の区間がサクラ・薔薇が綺麗です。写真は5月8日にあちこちで下りては撮影したモノです。

「とでんで一句 俳句(はいき)んぐ」より

都電待つ薔薇のひかりの中にゐて
電車降り路線のバラを見て帰る
チンチンに浮かぶあじさい友の笑み

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東京都電車(とうきょうとでんしゃ)は、東京都地方公営企業の設置等に関する条例[1]及び東京都電車条例[2]に基き東京都交通局)が経営する路面電車である。一般には都電(とでん)と呼称される。1972年以降は、荒川区三ノ輪橋停留場新宿区早稲田停留場を結ぶ12.2 kmのみが運行されている。

前身は1882年に開業した東京馬車鉄道で、1903年から1904年にかけて同社が路線を電化して誕生した東京電車鉄道、新規開業の東京市街鉄道東京電気鉄道の3社によって相次いで路面電車が建設された。その後3社は1909年に合併して東京鉄道となり、さらに1911年に当時の東京市が同社を買収して東京市電1943年東京都制施行によって都電となった。

最盛期(1955年頃)には営業キロ約213 km、40の運転系統を擁し一日約175万人が利用する日本最大の路面電車であったが、モータリゼーションの進展や帝都高速度交通営団(営団地下鉄)、東京都交通局の都営地下鉄の発達によって採算性が悪化していった。1967年に東京都交通局が財政再建団体に指定されると再建策の一環として1972年までに廃止されることになったが、残存区間は1974年荒川線として恒久的な存続が決定し今日に至っている。

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(編集子)小生は当時大森在だったので、品川から7番、の常連だった。この仲間にのち普通部ラグビー部を復活させ、自身はすばしこいセンターをつとめた大越康徳がいて、なんと、新幹線もなかった当時、熱海から通学していた。半年くらい前、電話を入れてみたが、夫人が逝去され、健康にも問題を抱えているとのことだった。好漢、回復を祈る。この復活ラグビー部フィフティーンのうち、現時点で連絡を取り合っているのは鈴木康三郎、神崎公伸だけになってしまった。


エーガ愛好会 (325)  アパッチ   (34 小泉幾多郎)

「アパッチ1954」は、バート・ランカスターが、ハロルド・ヘクトと独立プロダクションを作り、監督ロバート・アルドリッチと組んで製作主演した西部劇。

偉大なるアパッチの酋長ジェロニモが降伏した1886年に、ランカスター扮するジェロニモの配下のマサイは最後までアパッチの誇りを持つ最後の一人ということで戦い抜く。映画は、アパッチの酋長が降伏したが、マサイが騎兵隊と銃撃戦を交わすものの捕まり、列車の座席に、ジェロニモとマサイが並んで腰掛け、フロリダへ送られることになる場面から始まる。写真班によりシャッターの閃光が切られる度に、アパッチの部下たちが色めき立つところが面白かった。結局は、マサイが隙を逃さず、線路と車輪で手錠を切り、逃げ出すことになる。

これまでの西部劇が大自然の驚異、先住民の恐怖、悪漢との戦いという立ちはだかる困難を克服するというのが大きなテーマであり、その白人側からの先住民悪役仕立てから、その恐怖の対象たる先住民を白人側からでなく、先住民側から描いたところに、この映画の斬新性があった。最近に至り、先住民側から描いた西部劇も多く見られるが、この映画の製作当時では、「折れた矢1951デルマー・デイビス監督」位しか気が付かなかった。

ジェロニモを継いだ族長サントス(ポール・ギルフォイル)は白人から与えられたウイスキーで魂を抜かれ。もはや聖地を奪回する意思を失っている。サントスの娘ナリンリ(ジーン・ピータース)とは、マサイと恋人関係にあり、二人は遁走を続ける。セントルイスでは白人の文明社会に圧倒され。また郊外ではチェロキー族が白人社会に同化し、畑を作り、穀物を得、冬を飢えないことも知る。
その後マサイとナリンリの間の胎内に子供が出来る。チェロキーに貰ったトウモロコシの種で畑を作る。しかしナリンリが盗んだ洋服等で、居所が判明し、騎兵隊が二人を取り囲むようになってしまった。撃ち合いが続いた後。子供の産声が聞こえた。騎兵隊の司令官が叫んだ。「撃ち方やめ!」アパッチがが初めて畑を作った!数の上では、勝ち目などあるわけないが、今まで戦士として戦ってきた最後の戦士マサイとの共存への意志が白人側に見え隠れして終演。

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アパッチ(Apache)は、北アメリカ南西部に居住していた6つの文化的に関連のあるアメリカ・インディアン部族の総称。いずれも南部アサバスカ語系の言語を話す。現代の用語では、類縁にあるナバホ族は含まない。「アパッチ」という名は、ズニ族の言葉で「アパチェ=敵」を意味し、それを聞いたフランス人によって広まった。

乾燥した灼熱の岩山を好んで根城にし、その襲撃方法も地形を利用した山岳ゲリラというべきものだった。また、彼らは健脚で知られ、馬は移動手段というよりむしろ食料だった。戦士たちは口に水を含んで山々を駆け巡り、戻ってきたときに口の中の水が減っていれば失格とする厳しい訓練を積んだ。こうして灼熱の中で水を見ても無視できるほどの忍耐力と持久力を身につけていた。伝統的に好戦的で、領土に入りこむ異民族を襲撃した。南西部での彼らの抵抗による入植者数人の死者は、東部では情報操作されて数百人の死者となって大げさに伝えられ、白人達を怖れさせ、残虐な部族として語り継がれている。

現在、アパッチはアリゾナ州ニューメキシコ州オクラホマ州の特別保留地に居住し、その数は5000から6000とされている。

(飯田)主演のバート・ランカスターは、この映画の出演当時は 代表作「真紅の盗賊」「地上より永遠に」「バラの刺青」「空中ブランコ」「OK牧場の決闘」などに、立て続けに出演していて、俳優として最も脂の乗り切っていた時代だったと思います。
従って、この作品でも製作者ハロルド・ヘクトと組んでヘクト・ランカスター・プロという独立プロダクションで自分の思い通りの映画を製作したかったのでしょう。まあ、表現は悪いが、バート・ランカスターのやや半開きの口元が、役どころのアパッチ族のマサイという戦士役に結構ぴったり合った熱演と言えるし、マサイの恋人ナリンリ役の美女ジーン・ピータースが、珍しくアパッチ族という役に扮し力演するのが楽しめました。

(編集子)セーブ劇の聖典、”駅馬車” は当時普及し始めた電信の急報が ”ジェロニモ!” という単語を最後に途切れるところから始まる。これが暗示するのは先住民族の蜂起であり、その中を突っ切ろうとする駅馬車の旅がぶつかるであろう危険を浮かび上がらせる。実に効果的なトップシーンだった。この不気味なイントロは一発の銃声とともに大写しになる若き日のジョン・ウエインの登場で一気に躍動的な場面に移って行く。何度見ても心躍らせるエーガだ。

乱読報告ファイル (48)赤ひげ診療譚  (普通部OB 菅原勲)

「赤ひげ診療譚」(著者:山本周五郎。新潮文庫。1959年)。

先だって、砂原浩太郎の「夜露がたり」、西条奈加の「四色の藍」(よしきのあい)、を読んだ。いずれも時代小説だが、大変、面白くなかった、特に、「四色の藍」は途轍もなく酷かった。と落胆していたところに、誠に気障な言い方をすれば、突如として天啓の如く、久し振りに、山本周五郎が出現した。

小生の山本作品に対する拙い読書歴を披露すると、「寝ぼけ署長」、「楡の木は残った」、「五辨の椿」(なお、これは、コーネル・ウールリッチの処女作「黒衣の花嫁」の内容と可なり酷似しているが、今は、それを云々する場ではない。蛇足だが、ジャイ大兄お気に入りの「幻の女」の作者、ウィリアム・アイリッシュは、このウールリッチの別名だ)、「青べか物語」、「さぶ」、「町奉行日記」と言ったところで、その内、最も面白かったのは「青べか物語」(1959年)だ。現在の千葉県浦安市が舞台で(勿論、ディズニー・ランドなど、影も形もない)、昭和初期、山本がまだ貧窮に喘いでいた頃の自伝的な小説だ。

そこで、これまで読んでいなかった中で、真っ先に取り付いたのが、この「赤ひげ診療譚」と言うわけだ。期待に違わず、滅茶苦茶、面白かった。久し振りに小説の醍醐味を味わった。

確かに、赤ひげこと新出去定(にいできょじょう)の診療譚と言えないこともないのだが、この小説は、寧ろ、ドイツ語で言うところのビルドゥングス・ロマン(Bildungsroman)、有る青年(保本登)の成長物語と言った方が正鵠を射ているのではないだろうか。

これは、長編と言っても八つの短編/エピソードから成り立っている。例えば、保本は、狂女を患者にしたり、その狂女から殺されそうになったり、手術を見て失神したり、一方の赤ひげは無料奉仕なのだが、富めるものからは診察料をふんだくる(これは、義賊ロビン・フッドか)、などなど。

保本は将来を約束されたエリート青年医師だが、長崎に遊学して最新のオランダ医学を学び、将来は幕府の御目見医の地位さえ保証されていた。ところが、「小石川養生所」と言う「患者は蚤と虱のたかった、腫物だらけの、臭くて蒙昧な貧民」であり、「給与は最低」、「昼夜のべつなく赤ひげにこき使われる」場所に、強制的に送り込まれる。ところが、それに不本意な彼は、養生所の決められた制服を着用しないなど、色々な点で、赤ひげに激しく反抗する。しかし、上記のエピソードによって展開される様々な出来事に関わって行くことで、彼の想像を遥かに越えた人間の感情や心理の明暗、表裏を知り、人間として大きく成長して行く。

最後は、1年の見習い勤務が終了し、晴れて御目見医となることになるのだが、保本は、ここに止まることを決意し、赤ひげから、「おまえはばかなやつだ」、「先生のおかげです」、「ばかなやつだ。若気でそんなことを言っているが、いまに後悔するぞ」、「お許しが出たのですね」。「きっといまに後悔するぞ」、「ためしてみましょう、有り難うございました」で、赤ひげはゆっくりと、保本の部屋を出て行く。

ただし、この文庫本に致命的な汚点が一つある。解説の手前で、純文学作家の辻邦生が、得々と「山本周五郎論」を開陳している。しかし、これが途轍もなく酷いもので、抽象論に終始し、何遍読んでも辻の意図することが皆目わからない。山本は、こんな意味の分からない抽象論を、最も忌み嫌っていたのではないか。

これを機に、未読の「天地靜大」(幕末の激浪の中に生きた小藩の若者群像)、「栄花物語」(老中田沼意次父子を時代の先覚者として描く)などを読んで見ようと思っている。

なお、これは「赤ひげ」の題名で映画化されており(1965年)、監督は黒沢明、赤ひげに三船敏郎、保本に加山雄三など。小生は見ていないが、これを見た山本は、「原作より素晴らしい」と賞賛したと伝えられている。

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山本 周五郎は、日本の小説家。本名:清水 三十六。質店の徒弟、雑誌記者などを経て文壇に登場。庶民の立場から武士の苦衷や市井人の哀感を描いた時代小説、歴史小説を書いた.

代表作 ”樅ノ木は残った” ”ながい坂” ”さぶ” などがよく知られている。

 

(河瀬)『赤ひげ』の映画は見ていませんが、私は1970年卒業後研修医の時、「白い巨頭」事件をきっかけに慶應医学部で民主化学生運動が勃発しました。そのため研修どころか給料なし、食事なし、部屋なし、トイレの道具部屋を占拠して勉強したり、夜患者を見るのにストレッチャーで寝たりしました。そのお陰で「赤ひげ」の保本に近い経験をしました。

その経験で困っている立場の患者の気持ちがよくわかりましたので、26年後に教授になり研修制度改革委員長になった時、「研修医は疑似患者になる」研修を提案しましたが、事務の反対で実現しませんでした。
 『医師は皆そのような経験をすべき』と考えています。
(編集子)小生は山本の作品は 樅ノ木は残った と ながい坂 の2冊しかよんでいないが、樅ノ木 は亡兄が勤務先で複雑な人間関係や大企業特有の出世競争に翻弄されていたころこの本を読み、感ずることがあった、といったのを覚えていて、だいぶ後になるが同じようなシチュエーションで読んだ。ながい坂、のほうはそういう背景もなく、あっさりと読んでしまった。河瀬兄のような忠実な読者ではないようだ。

(’本題と関係ないが、スガチューの指摘した ウールリッチ=アイリッシュの件は了解。これもまた奇妙なタイミングだが、彼のメールを読む数日前、ウールリッチ名で発表した Phantom Laday (邦名:幻の女)を読み終えたところだった。次はアイリッシュ名義のどれかにしようか、それとも未見の 黒衣の花嫁、にもしようかと考え中。)

最近、よく眠れてる?    (普通部OB 篠原幸人)

テレビで最近睡眠に関するニュースが多くないですか? 日本人の平均睡眠時間は約7時間。これは諸外国に比べると少し短いようです。そのせいかJRなどの乗ると、座っている人は全員 スマホをいじっているか寝ているか。まあ目の前に高齢者などが立った時に狸寝入りをきめこむ若人もいるけどね。

不眠には入眠障害(寝つきが悪い)と、頻回に目が覚めるもの(途中覚醒)があります。

皆さんは寝つきは良いですか? 夜中に何回ぐらい排尿で起きるかな? 私も最近以前よりは寝つきが悪くなりました。但し、夜中には1回 眼が覚めるか、全然起きないかのどちらかですね。夕食時にビールや水分をたくさん飲んだ時以外は、夜中は起きないことが多いですね。しかしこれは例外的で、70歳を過ぎたら1-2回夜中に排尿で起きるのは普通かな。これは余り心配しなくていいでしょう。排尿の後、またすぐグッスリ眠れるならば。

この不眠は心筋梗塞や脳卒中発症と関係があることが医学的にはほぼ常識化しており、最近では心不全やアルツハイマー病になる確率も高いことが分かってきました。もっとも毎日9時間以上寝るのも認知機能障害には問題という報告もあります。7-8時間の睡眠が皆さんのお年では最適かな。子供さんはもっと寝ていいと思いますが。

「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」って聴いたことありますよね。睡眠中、大イビキをかき、良く観察すると途中で息が数十秒ぐらい止まる方、パートナーにそれを指摘されたら、是非呼吸器の専門家に相談してください。これも不眠の原因の一つです。舌根が睡眠中に喉に落ち込み易かったり 肥満やあごの形・扁桃腺の肥大など原因は様々ですが、一般的にこれらの方は血液が固まりやすい傾向があり、脳や心臓の血管が詰まる可能性が高いのです。

じゃ、眠れなかったり、一晩に3-4回以上も起きてしまうのはどうしたら良いかって?

一度、懇意の主治医に相談することでしょうね。SASならCPAPという装具をつけて良く成った方が沢山います。SASもなく、頻尿のみで起きる方は、まず泌尿器科で前立腺や女性の場合は膀胱などに異常がないか診てもらってください。テレビで宣伝している漢方薬は夜間頻尿には効かない人も多いようですが。SASや膀胱・前立腺にも異常がない場合、医師は睡眠薬を勧めるかもしれません。しかしこれも考え物です。従来の睡眠薬の多くは、無理に脳の機能を抑え込んで眠らせるものもが多く(これは一寸誤解を招く表現ですが,分かりやすく表現しました)長期使用は認知機能を抑えてしまうとも言われています。すなわち、ボケやすくなるわけです。最近、オレキシン受容体拮抗薬という新薬が出てきました。これはそのような有害事象は出にくいと言われていますから、かかりつけ医から従来型の睡眠薬を長期に貰っている人は良く相談してください。

まあ、寝酒として強めのアルコールをほんの少量飲むのはアリかもしれませんね。しかしビールやお湯割りをたくさん飲めば、また排尿で起きてしまいますよ。

「眠れなければ我慢して眠らなければいい、眠って死んだ方はいるが眠れないで死んだ方はいないよ」と時々、冗談で神経質な患者さんには申し上げますが、実は非常に稀なスローウィールス感染症という病気(もう過去の病気だと忘れられている狂牛病もその一つです)の中に「致死性家族性不眠症」という病気もあります。これはホントに眠れないで死んでしまう病気ですが、この病気は非常に稀で、私が20年以上前に日本の第1例目を米国雑誌に発表して以来、まだ日本からは2例目が出ていないくらい稀有な病気ですから心配はいりません。

そんなことより、長く続けた昔からの睡眠薬から脱皮できず。新しい薬を渡されても、効かないと自分で決めこんで、古くからの薬にこだわる人のことが心配です。年をとると意固地になる人が多いからね。

 

台北に行ってきました  (大学クラスメート 飯田武昭)

台湾(台北)に数日間ですが行ってきました。

元々は2020年4月に予定していた台湾旅行ですが、コロナ禍で出発直前に予約をキャンセルした分を、今回は約半分の日程で台北のみ気楽に行きました。

台湾の中興の祖の蒋介石を祀る中正紀念堂、忠烈詞(辛亥革命や対日抗戦で命を落とした英霊を祀る)の衛兵交代、超高層建築物「台北101」(2004年築)は509m、101階で3年間だけ世界一の高さだった、戦前まで50年間にわたり日本が統治していた当時からの建物の総統府などと、まるでバイクレース?と見紛うほどの通勤手段のバイクの多さや市内あちこちでの夜市で、庶民の生活を感じました。

一度は行ってみたかった「千と千尋の神かくし」の舞台に似ているとの評判になった急な坂道の途中にある9份の「阿妹茶楼」(あめおちゃ)での冷たいお茶のセットは、飲み水が切れかかっていた喉には、抜群に美味しく味わえました。

西門駅周辺はまるで、渋谷のスクランブル交差点と新宿の歌舞伎町辺りを超小型にしたような若者の賑わいがありました。

(菅原)飯田 さん、誰かさん、この国を盗もうとしてるんですよ。一国二制度なんて香港を見れば紛いもの。台湾は何とかこのまま居続けて欲しい。小生、30年ほど前に2/3回台湾に行きました。良いところでした。

(安田)お元気な足腰と好奇心+興味、何よりです。ご感想ありがとうございます。九份の写真、素敵です。何より感嘆するのは親日的な温かな対応、世界に名を馳せる絶品の小籠包のレストラン鼎泰豊(ディンタイフォン)、安全・安心な社会、日本的遺産(料理・街並み・言葉・新幹線など、後藤新平の功績大)、中部の山岳地帯(九州より小さい面積に3000mを超える高峰が269座、富士山より高い峰7座)。現在の民主主義体制が存続するのを願わずにはおれません。

86は殺しの番号

昨日の新聞に トランプ暗殺計画、という記事があった。もとFBIの高官だった人物が砂浜に 8647 という文字を書いたのがそれだ、というまさに映画か漫画の世界のような話だ。解説によると、86、という数字は米国の俗語で殺人を示し、47、というのはトランプが47代大統領だからだ、というのだ。

英和辞書をあたってみると、確かに米国の俗語として、86という数字はそのままつかうこともあるようだ。辞書のヘッディングは eighty six で出てくるが、 金を払わなかったり暴れたりするので酒を出さない客、というのが原義で、好ましくない客を断る、さらに転じて排除する、追い出す、殺す、というように使われると書いてある。

いろいろな職業、現場にはそれぞれ特有の符丁が存在する。高校時代、まだテレビドラマといえばアメリカ製だった時代、人気プログラムのひとつに ハイウエイパトロール、というシリーズがあり、主人公のブロデリック・クロフォードが無線で本部とやり取りするシーンでよく出てきたのが 10-4 (ten-four) という略号で、これは ”了解” を示す用語だった。アマチュア無線の世界では電信(モールス符号)による通信に用いる一連の略号があって、英文字3字、それもすべてQで始まる三文字で構成され、Q符号、と呼ばれる。これはもともと電信通信業務で使われていたプロの世界の慣習がハムの間で使われるようになったものだ。たとえば QTH? という送信は通信相手の場所を尋ねるいみで、聞かれたほうは QTH TOKYO と答えるので、転じて、住所を意味するようになってきた。数字2桁、の略号もいくつかあって、一番一般的なのは 73 は さよなら、ごきげんよろしく、を示す。これの転用として、相手が女性と分かっているときは 88 と打つ、というようなことだ。試しに辞書で seventy three と引いてみたが記述はなかった。ついでに言うと、ハムの世界では女性オペレータはYL(young lady)という。これから転じて人妻はもとYL,ということからEX(もと)をつけてXYLなどという。

(44 浅野)余計な事を一つ。73はBest regardsやBest wishesの意味ですが、88はLove &Kissesで意味は同じですが女性(YL)サイドから送る物だと聞いており。ました。元々は「Phillips Code」と呼ばれる無線略号に由来するのだそうです。

このほか、ハムの世界での常用数字として、相手の信号の質や強さを表すのに3個の要素を取り、5あるいは9段階の数字をあてはめる慣習がある。質もよくよく聞き取れる問題のない、いい信号、は599という(電話の場合は59)形で表現される。どこかで見たよなあ、と思っていたら、高尾山の標高が599メートルで、高尾山口駅からケーブルカー乗り場へ行く道にこの数字が書かれていたのだった。ま、俺たちが通ってる山は文句のない、いい山なんだ、ということだろうか。

トランプから脱線した。それでは73。Ten-four ?

 

エーガ愛好会 (324) 荒野に生きる   (34 小泉幾多郎)

荒野に生きる [Blu-ray]「荒野に生きる1971」は、舞台・時代は19世紀開拓初期の米北部、山系に手負いで置き去りにされた通商遠征隊の猟師が、厳しい大自然を生き抜いたサバイバルであり、置き去りにした隊長への復讐の物語。

この隊長ヘンリーを映画監督でもあるジョン・ヒューストンが扮し、山高帽とダブル前のコ―トでの威圧感で怪演する。遠征隊の猟師である男ザック・バス、狩の途中、熊グリズリーの襲撃を受け、満身創痍の大怪我を負う男に、リチャード・ハリスが扮する。このザックは青年時代から隊長ヘンリーと行動を共にし、隊長はザックを息子同様に育てながらも、いざザックが死ぬと判断すると置き去りにしてしまうという二面性を持つ。遠征隊自体がビーバーの毛皮を求め、白人未踏の米北部を回り、雪深くなる前にミズーリ河に到着しようと苦難の旅を続けていることもある。このビーバーの毛皮を積む船に、山をも越えられるように、車輪をも付けてある。船のマストは、荷車に載せた木造船帆は道を走るときはたたんであり、十字架のように見え、全編を覆う宗教的イメージが強調される。

熊に襲われたザックは意識を失う瀕死の重傷、隊長ヘンリーにより穴を掘られ、聖書を握らせたまま置き去りにされるが、何とか一命をとりとめる。満身創痍の中で、狼連中と競争しながら、バッファローの肉を奪い、落ちていた骨を砕いてほじくり、泥に塗れたザリガニを鷲掴みに食らいつく。布団は木屑や土、聖書を破いて焚火にして耐える。こうした中で、自分を捨てた隊長への復讐心を胸に秘めながらも、原住民アリカラ族の女性の出産を目のあたりにしたりして、残してきた息子を思い、遠退く意識の中過去を夢で見る。過去のことは、画面に出てきての回想のみだが、どうやら結婚した妻は死に、息子とは、別れ離れになってしまったらしい。通商遠征隊は、時折原住民のアリカラ族に遭遇したりして、壊滅状態に近ずいているところで、このヘンリー率いる遠征隊、原住民アリカラ族、重傷から回復したザックが対面する。ザックは疲弊した遠征隊を見て復讐心が消え、ザックの胸のうちを読み取ったアリカラ族の酋長(ヘンリー・ウイルコクソン)も静かに立去り、ザックはヘンリーから自分の鉄砲を受け取り、一日も早く息子を探し出さねば、と歩みを速めた。最期がそれまでの苦渋の物語から信じられないような終演には驚き。

監督は、リチャード・サラフィアンで、西部劇の体裁をとっているが、厳しい大自然を生き抜くサバイバルで復讐と父子の物語という宗教的雰囲気が漂う。撮影監督ジェリー・フィッシャーで自然描写を望遠やロングショットで美しくとらえていた。音楽は偉大なアレンジャーと言われたジョニ・ハリスで印象的なメロディが多かった。

春の日平会 開催 (普通部OB 船津於菟彦)

本日は好天の銀座三田倶楽部で11名参加で愉しく語り合いました。近況報告の他最後は岡野・田村さん等から「延命策」の話などありやや宗教的ではありますがやがて訪れることで真剣な議論がありました。

出席 中司・蓮井・岡野・田村・水木・宮坂・三宅・田中宏幸・佐藤・河野さん船津11名参加
欠席 田中新弥・老田・飯泉・片貝・日高・篠原・高山・亀田さん 8名
連絡無し 吉村・岩瀬・岡部さん

この会の今後について語り合い創設者日高さんが欠席でしたが、ご意見を戴き、会う機会が少ないのだから年四回以上やっては如何という事で、岡野さんから年三回でというお話しも在りましたが、会場は銀座三田倶楽部で原則、2月、5月、9月、11月の第三木曜日開催と言う事で皆様の賛同が得られました。


矢張り元気なお顔を見ながら「すくっと立とう我が友よ」と語り合うのは元気が出ます。まぁ元気が華 人生100歳時代を謳歌して参りましょう。

 

乱読報告ファイル (44) 最上階の殺人 ほか  (普通部OB 菅原勲)

英国の探偵小説作家、アントニー・バークリーの「最上階の殺人」(原題:Top Storey Murder。翻訳者:藤村裕美、発行:1931年)、「地下室の殺人」(原題:Murder in the Basement。訳者:佐藤弓生、発行:1932年)を読む。いずれも、創元推理文庫。

先ず、バークリーについて簡単に触れておこう。バークリーの本名はA.B.コックス(代表作は、「黒猫になった教授」)だが、他にフランシス・アイルズ(「レディに捧げる殺人物語」。これは、A.ヒッチコックが監督した映画「断崖」の原作)、A.マンモス・プラッツ(「シシリーは消えた」)名義の筆名がある。そのバークリーは、1893年生で、1971年に死去し、例えば、A.クリスティーは、1890年生で、1976年に死去しているから、この二人は、ほぼ同世代であり、所謂、英国の本格探偵小説黄金時代を築いた作家と言うことになる。

本格探偵小説とは、端折って言ってしまえば、殺人が起こり、その犯人を捜すべく、警察、私立探偵が行動を起こし、最後に犯人を逮捕する。しかし、小説だから、その全権は作家が完全に握っており、作家はあの手この手を使って、例えば、ミス・ディクレクション(作家が読者を間違った方向に誘導する)などで、読者を幻惑し、最後まで読者から犯人を秘匿する。犯人が捕まったとしても、最後まで真犯人を秘匿することが出来れば、その作品は高く評価されることになる。だから、探偵小説の出来具合は、作家がその真実について、読者を最後の最後まで如何に騙しおおせるかと言う、それこそ作家の手腕如何に掛かって来るわけだ。

「最上階の殺人」だが、ロンドンの閑静な住宅街、四階建てフラットの最上階で女性の絞殺死体が発見されるところから話しは始まる。現場の状況から警察(スコットランド・ヤードのモーズビー主席警部)は物盗の犯行と断定するが、一方、捜査に同行していた作家のロジャー・シェリンガムは、同じフラットの住人による巧妙な計画殺人と推理する。ここから話しは、専ら、その中に容疑者がいるであろうと思われる住人全員の聞き込みをするシェリンガムを中心に展開され、モーズビーは時たま顔を覗かせる程度だ。従って、読者は(小生も)、シェリンガムに完全に感情移入してしまい、何とか早く犯人を見つけてくれないものかと念ずるばかりとなる。しかし、これは、実は、バークリーが仕掛けた壮大なミス・ディレクション(作家が読者を間違った方向に誘導する)であって、真実はここにはない。

「地下室の殺人」は、新居に越して来た新婚夫婦がその地下室で掘り出したのが、若い女性の腐乱死体だったことから話しは始まる。しかし、被害者の身元が分からぬことから、上記、モーズビー主席警部は、その身元を詳らかにするために、警察小説であるかのように極めて地道な捜査を展開する。唯一の手掛かりは、被害者が、右の大腿骨を骨折し、その為にプレイトによる治療を受けた女性であることが判明し、その身元調査が行われ、最後の一人が、偶々、上記のシェリンガムが一時期代用教員を務めたことのある学校の教員であったことから、シェリンガムも捜査に乗り出すこととなる。ここで、作家、シェリンガムの代用教員時代の学校の話しが、作中作として披露され、学校内の複雑な人間模様が浮き彫りとなる(これが、なかなか面白い)。被害者が判明し、モーズリーは、その犯人が誰であるか薄々分かって来たが、徹底的な証拠を見い出すことが出来ず、シェリンガムに援助を仰ぐ。最後は、シェリンガムが、全く意外な人物を犯人と断定する。

これで、シェリンガムとモーズリーの直接対決は、ここでは1勝1敗、互角の勝負となったが、例え、名探偵と言われるシェリンガムと言えども間違えることがあると言うことなのだろう。例えば、クリスティーのH.ポワロにしてもJ.マープルにしても、間違えることは絶対になかったのではないか。この辺が、同じ黄金時代を過ごした二人ではあるが、バークリーの独自性が際立っている。

最後に、いずれの作品についても、ボンクラな小生、犯人を割り出すことは出来なかったが、一部の識者が大傑作のように褒めたたえているのにはただただ違和感を覚えた。

(編集子)スガチューの言う通り、世の中のエキスパートとか評論家という人種のセンスは理解しがたいものがある。どっちへ転んだって、要はエンタテインメントなんだから、読んだ本人が面白ければ、それが(少なくともミステリの世界では)傑作なんだと思っている。この2作は小生未読だが、今日時点でいえば、小生が感嘆したのは(実はこの連休に読破する予定だったがまだあと11ページ残っている)、コーネル・ウールリッチのPhantom Lady (翻訳題 幻の女)と、いわゆるエキスパートなら鼻で笑うだろうがクリスティのアクロイド殺人事件で、最後は思わず本を取り落とす(いいすぎかな)ほどのショックを受けたものだった。友人諸君、ミステリの門を叩きたまえ。鬱屈の気分が和らぐぜ。