エーガ愛好会 (301) ショーシャンクの空に (大学クラスメート 飯田武昭)

先日、BSシネマ放送にあった映画「ショーシャンクの空に(The Shawshank Redemption)」(1994年)を観た。私のような年齢になると厳しいストーリーの映画は、例え評判が良かったとしても、もはや観たくないという気持ちが先立つもので、この映画もその種の感情を持ちながら恐る恐る見始めて、結局一気に全部観てしまった。(私は映画がスリル、サスペンス、それに加えてバイオレンスを重視するようになった1970年代以降の映画は、勿論、例外は除いて殆ど見る気がしないし観ていない)。この映画で引き付けられたものは、俳優たちの演技力、撮影技術、場面展開の妙の3つかと思う。

一例で言うと、もともと薄暗い刑務所内ではあるが、度々出てくる囚人たちが食事をするシーンで、囚人の演ずる俳優たちの顔の表情、小さな動作などが生き生きしているのと、そのシーンのライティングが上手い。そんなこんなで最後まで見てしまったが、刑務所内での3回ほどあるリンチのシーンや50年間の刑期を終えてシャバの戻る模範囚(ジェームズ・ホイットモア演ずる)は、社会に馴染めず間もなく首つり自殺するシーンなど観るに堪えないシーンも多々あった。

この映画の原作はスティーヴン・キングの小説「刑務所のリタ・ヘイワース」(※)で、その映画化版権を監督初のフランク・ダラボンが入手してから5年の歳月を構想に費やして製作されたと観終わってから知った(※囚人たちが刑務所内で観る映画「ギルダ」(1946年)に出演しているのが当時の人気女優のリタ・ヘイワース)。

ストーリーは簡単に言うと、刑務所内の人間関係を通して、冤罪により投獄された有能な銀行員が、腐敗した刑務所の中でも希望を捨てず生き抜いていくヒューマンドラマ。主人公アンディ役はティム・ロビンス、囚人仲間の調達員レッド役はモーガン・フリーマン(彼の演技、顔の表情が抜群に良い)、悪徳な刑務所長役はボブ・ガントン。他にウイリアム・サンドラー、クランシー・ブラウン、キル・ベローズ、ジェームズ・ホイットモア等が脇役として出演している。

当初は主人公アンディ役にトム・ハンクス、トム・クルーズ、ケビン・コスナーなど当時のスター俳優が検討された由。他にもブラット・ピット、ジーン・ハックマン、ロバート・ヂュバル、クリント・イーストウッド、ポール・ニューマン、ジョニー・デップ、ニコラス・ケイジ、チャーリー・シーンなどもキャスティング候補に挙がっていたとのこと。

劇場公開当初は主役のティム・ロビンスやモーガン・フリーマンの演技を中心に評論家は高い評価をしていたが、興行的には大失敗作となった。理由は強力な競合作「フォレスト・ガンプ」などが公開された年だったことや女性が殆ど登場しない映画であることなど。しかしその後、アカデミー賞7部門にノミネートされ(結局、受賞はゼロ)て、興行成績は持ち直し、現在では多くの人から映画史に残る傑作の一つとの認識がなされている由。

主人公アンディが脱獄するシーンは息を飲むほどの迫力があるが、脱走後は故郷を超えてメキシコへ逃亡し、その後に刑期を終える友人のレッドも彼の後を追うところで話は終わる。レッドに至っては40年の刑期を終えても何の感傷もなく、最早、刑務所に居続けてもシャバへ戻ってもどちらでもない人間に変わってしまう。

繰り返すが、レッド役を演ずるモーガン・フリーマンは黒人俳優としては「手錠のままの脱獄」の故シドニー・ポワチエに迫り越える演技力と思った。又、脱獄映画は「大脱走」を直ぐに思い浮かべたが、「大脱走」は脱獄までの過程をスティーブ・マックイーン、チャールス・ブロンソンなどの人気俳優が時にユーモラスとも思える演技で楽しませてくれて、脱獄後の逃走シーンからは一転、スリルとサスペンスで盛り上げ、悲劇的な結末となっていた。

(映画の舞台はメイン州であるが、撮影はほとんどオハイオ州マンスフィールドにあるオハイオ州立矯正施設(オハイオ州少年院)跡がショーシャンク刑務所となった)。

リタ・ヘイワースRita Hayworth, 本名Margarita Carmen Cansino、1918年10月17日 – 1987年5月14日)は、アメリカ合衆国ニューヨークブルックリン出身の女優。1940年代にセックスシンボルとして一世を風靡した。

ピントがずれてねえかなあ

今朝、読売の第一面トップ記事、”書店振興、官民で” をみて、(なんかおかしくはないか)という感じを持った。

書店、なんていうから勿体が付くんで、要は本屋、だろう。幼い時から活字中毒の小生はどこでもいつでも、本屋をブラウズするのが習慣になっているので、この 本屋文化の衰退は嘆くべきだと思っている。だからその復活に手を貸そう、という企画に反対ではない。

しかし問題は、本屋があるかないか、ではなく、国民(世界中でそうだろうが)が本から離れている、ということなんであって、そのサプライチェーンが変化している、ということではあるまい。自分のことでいえば、いま、いわばわが人生の最後っ屁、と思ってやっているポケットブックの乱読なんてえのは、アマゾンという形態ができたからこっそ手軽に言えるんであって、もし毎回、紀伊国屋だ丸善だと出かけなければならず、探してるものがなければ特注して何か月も待つ、という過去のスタイルならまずやる気にもならなかったはずだ。本屋があり、本屋文化というか、(ぶらりと本棚を眺める)ことがすきか嫌いか、というのは全く個人レベルの問題であって、お国が騒ぐべきなのは本屋の数ではなく、全世界で起きている情報伝達のシステムそのものの課題ではないのか。爆弾のつくり方からむかしは人目を忍んで本屋の隅っこで盗み読みしていた怪しい本や写真やいまでは動画まで、安易に手に入る時代になってしまっている。そういうことや、それが引き起こす社会問題こそ国が乗り出すべき課題のはずだ。本当に本が読みたいという人にとって、いまや本屋がない、というのは確かに寂しいことには違いないが、それじゃ、本屋さえあれば若者が本を読むようになるのか?

書店、というビジネスモデルがなくなり、そのために苦労する人々がおられることは十分理解するし、その支援をしたい気持ちもわかる。だが、今回の国を挙げての騒動がサプライチェーンの変貌という、もう不可逆的に起きてしまっていて、おそらく経済的には成り立たない現象に竿さすだけならば、これは壮大な無駄だという気がする。それよりも教育現場でデジタル教科書がいいか悪いか、なんてものをしかつめらしく議論しなければならない(小生は大反対だ、もちろん)とか、国会議員大先生からポルノ作家はたまた街のギャングまで広がっているSNSの悪用、ということの対策のほうが、喫緊の政治課題なのではないのか。

東京の空は今日も晴れているが、寝起きの悪い一日になりそうだ。

上野美術館の展覧会    (普通部OB 船津於菟彦)

上野・西洋美術館開催の「モネ展」が賑わっています。日本では印象派の絵画が好まれ何れの展覧会も混雑していますが、昨年10月5日から始まりいよいよ2月11日で東京展は終了致します。巴里・マルモッタ・モネ美術館からの移転美術展です。

印象・日の出』(いんしょう・ひので、フランス語: Impression, soleil levant)は、クロード・モネが1872年に描いた絵画。印象派の名前の由来となる美術史上、重要な意味を持つ作品であす。この絵は国宝級故か今回の展覧会には来日していません。印象派の絵画は見ていて解り易く心がやすらぎます。会社時代も土曜の午後はブリジストン美術館-現アーチゾン美術館-へルノアールに会いに行きました。心安まりますね。

然らば抽象画とは。
抽象画は具体的な対象を描写しない、色や線、形などで描かれる絵画作品です。
実在するものを具体的に描いた絵画を「具象画」といい、目の前の実在する人や風景を再現することに重きを置いています。抽象画は線や色、形、構成に着目することで、絵画の本質的な美しさを追求した絵画作品なのです。難解なイメージを持たれがちな抽象画ですが、あまり考えることなく、純粋に絵画と向き合い、楽しめる魅力があります。

抽象画の概念を確立したのはカンディンスキーもしくはモンドリアンといわれています。純粋抽象絵画や新造形主義といった抽象画の絵画技法を確立し、抽象画の発展に貢献しました。

抽象絵画の楽しみ方が分からないという方もいるでしょう。以下にて抽象画の楽しみについてまとめしたので、参考にしてみてください。
• 色彩・ビジュアルを楽しむ
• 自分なりに想像してみる
• 作品の背景にある歴史を理解する
• 画家について調べる
抽象画に限らずアートの楽しみ方は人それぞれ。純粋に美しい色彩や描写を楽しむのも良し。作品の意図や背景を考えるのも良し。自分にあった楽しみ方で抽象画を楽しんでみましょう。

2025年1月17日 金曜日 パナソニック汐留美術館へ「ル・コルビジェ」展を観に来ています。ピカソでも無くレジエでもなく、不思議な抽象画は海の貝と小石からヒントを得て書き始め、次第に人に移り、最後は海に帰るという事です。

ル・コルビュジエ(Le Corbusier[注 1]、1887年10月6日 – 1965年8月27日)は、スイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。本名はシャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリ (Charles-Édouard Jeanneret-Gris)。モダニズム建築の巨匠といわれ[1]、特にフランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とみなすこともある)として位置づけられる。

1931年に竣工した『サヴォア邸』は、ル・コルビュジエの主張する「近代建築の五原則」を端的に示し代表作として知られる。近代建築の五原則(きんだいけんちくのごげんそく)は、ル・コルビュジエにより提唱された、近代建築の原則とされているが、 “Les 5 points d’une architecture nouvelle”からの意訳であり、逐 語的に訳すと「新しい建築の5つの要点」となる。• ピロティ (les pilotis)
• 屋上庭園 (le toit-terrasse)
• 自由な設計図 (le plan libre)
• 水平連続窓 (la fenêtre en bandeau)
• 自由なファサード (la façade libre)

ル・コルビュジエの思想は世界中に浸透したが、1920年代の近代主義建築の成立過程において建設技術の進歩にも支えられて、とくに造形上に果たした功績が大きい。彼の造形手法はモダニズムの一つの規範ともなり、世界に広がって1960年代に一つのピークを極めました(その反動から1980年代には装飾過多、伝統回帰的なポストモダン建築も主張された)。

 

 

イスラム移民の波紋    (大学クラスメート 飯田武昭)

昨年12月に菅原さんから紹介のあった「イスラム移民」(飯山 陽著)を遅まき乍ら読んだ。この本で著者の伝えたい主題は菅原さんの文体で、ブログ(12/18付け)に掲載されている分が簡潔にして要を得ているので、そちらに譲るが、この本に記されている貴重な情報のほとんどは、主要メディアには掲載されていない情報を出来るだけ正しく提示するために、著者が苦労して集めている姿が容易に想像される。

一般的にグローバル社会となって、世界の多様な文化が日本国にも持ち込まれ、自身にも迫ってくる社会であることは分っていても、具体的に現在のヨーロッパ(イギリス、フランス、ドイツ、スエーデン)ではどうなっているか、日本ではどうなっているか(大分県日出町、埼玉県川口市など)を限られた貴重な情
報から知ることは大変に必要なことだと改めて思った。

その上で世界の文化の多様性は認識しても《多文化共生(multicultural
coexistence)》というような言葉を、何の気なしに美化して使うような愚はあってはならないと、改めて自戒し、このイスラム移民のテーマを今まで以上に深く考えるべく自問自答する良い機会になった。.
ヨーロッパ数カ国でのイスラム化は急速に進んでおり、日本でも同様な展開が危惧されるが、各人が迫りくる文化の多様性と、どのように向き合うかをしっかり考えて意思を持って、機会を捉えて対処することが少なくとも必要ではないか。

このテーマに関しては安田さんのブログ「イスラム国の現状」(12/30付け)も、問題の現状を知るには大変参考になった。

(編集子)今朝の新聞には、トランプ大統領令の実施にともなう移民問題について、現地での混乱が伝えられている。ほかの国での実情を知らないまま感情的に反応することはつつしむべきだが、他山の石、というべきだろうか。

舞子 と 芸妓     (41 斎藤孝)

京都の芸者に囲まれて至福の一時だった。「芸者」というコトバしか知らなかった。「舞子」と「芸妓」に分けられてそれぞれ違いがある。82歳の老人なってやっと芸事の伝統世界を理解できた。

煌びやかな京踊りの夜。京都には「花街」と呼ばれる区域がある。「先斗町」や「祇園」は歌で知っていたが行ったことがなかった。花街で芸妓遊びするという優雅な時間は持てなかった。そもそも「京踊り」なるものも良く分からない。

2025年1月26日は生まれて初めて「京踊り」を見に行った。正式には、「北野踊り」という。別名、「上七軒をどり」と呼ぶ。「おどり」でなく「をどり」と書く。場所は、「北野天満宮」の近くにある「上七軒歌舞練場」。本番の公演は3月から始まる。その練習舞台を見物できたのである。

三味線の音色と小太鼓の音、そして気品ある粋な小唄。島田髷・黒裾引きに揃えた「芸妓」と色とりどりの鮮やかな衣装の「舞妓」がそれに合わせながら踊る。服装や髪形の違いから「舞妓」と「芸妓」を見分けることができた。

乱読報告ファイル (71)  西洋の敗北

ここのところ、いろんなところでトランプ以後、の論議が盛んである。この本も本屋ではいかにもこのトランプ論であるように位置付けているが、そういう意味で読むべき本ではない、というのが読後の率直な感想だし、久しぶりに本らしい本を読んだ、という爽快感がある。

ヨーロッパ論についてはシュペングラーの 西欧の没落 に挑戦したことがあるが、正直、ついていくのが精いっぱいで、読後に何を得たのか、自分でもよくわからない、ただ、この文明が崩壊しつつあるようだ、と言うような漠然とした不安感しか残っていない。そこへ行くとこの本は論旨が明快であるうえ、社会思想史、なるものをかじってみた自分にとってなじみのある領域の書でもある。

西洋、という単語を著者はまず明らかにする。その対象はイギリス、アメリカ、フランス、イタリア、ドイツ、日本であって、これが政治家やジャーナリストが考える今日の ”西洋“ で 日本という ”アメリカの保護国“ まで拡大した、NATOの西洋 であるが、この広義の西洋の中で、イタリアでファシズム、ドイツでナチズム、日本で軍国主義を生み出した三か国は、歴史的に見て自由主義国とは言えない、と定義する。歴史的に見自由主義国とは、圧政を自由主義、民主主義的革命によって成立した国、すなわちイギリス(名誉革命)、アメリカ(独立宣言)、フランス(フランス革命)というのが本論の基本的な見方である。このあたりの論議はさておいて、重要なのは、この ”敗北” が日本にもあてはまる、という著者の歴史観だろう。また著者は現在のロシアがかつてのソ連の延長にあり、プーチンもまたスターリンの延長線上にとらえる、西洋側のロシア観を明快に否定する。

この本が新たに書かれたきっかけがウクライナ戦争であることはあきらかであるが、この戦争に直面しているロシアの現実が、いわゆる西欧諸国のロシア観と大きく違うことが示される。この本では数多くの数字をあげてより詳細にのべているが、その大意は次の二つの文節に凝縮されるだろう。

”プーチンシステムが安定しているのはそれが一人の人間によるものではなく、ロシアの歴史から生じたものだからだ。プーチンに対する反乱という、ワシントンがしがみつく夢は夢物語でしかない。そんな夢物語は、プーチン政権下でロシアの生活状況が改善したという事実を見ようともせず、ロシアの政治文化の特殊性を認めようとしない西洋人の現実否認から生まれる”

(問題の一つは)”西洋の思想的孤独と、自らの孤立に対する無知だ。世界中が従うべき価値観を定めることに慣れてしまった西洋諸国は、心から、そして愚かにも、ロシアに対する憤りを地球全体と共有できると期待していた。しかし彼らは幻滅を味わうことになる。

このような事実はいつから、どうして発生してきたのか。その最も基本的な原因は、西欧諸国(本論の西洋の定義ではなくより広範な意味での)における価値基準が変化したこと、その根本が我々日本人の感覚では理解できないのだが、宗教とくにプロテスタンティズムが消滅したことにあり、それが著しいのは、そもそもプロテスタントの論理によって成立したアメリカである、というのが本書の問題意識のようだ。

僕は宗教というものが理解できず、ましてやカソリックとプロテスタントとの教義のことなど、わかるわけはないのだが、大陸での迫害からアメリカに脱出した人たちの支えがプロテスタントとしての矜持であったことは、マックス・ウエーバーの主著(”プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神”)によって解説されている。この本もおっかなびっくり覗いたくらいなのだが、勤勉とたゆまぬ努力によって自分を高め、その結果によってのみ社会が進展する、というのが基本だろう。この倫理が潰えてしまったのがいまの西洋の現実っであり、結果的に富の偏在や権力への執着を招き、結果が例えば米国の現実を生んでいるのだ、と著者は言うのだ。この思考過程は現実をしめす各種の数字によって納得できる議論が展開される。詳細について解説する能力などないので、僕なりに理解し感じたことだけをまとめてみる。

1.我々(日本人、としておこう)にはソ連とロシアの区別がついていない。ロシアの国力は一般的な知識をはるかに超えて大きい。これは率直に反省すべきことのようだ。

2.ロシア(ソ連ではなく)もまた、民主主義に基づいた国である(著者は権威主義的民主主義、と呼び、少数派の権利尊重という、我々の使う意味での民主主義の不可欠な条件を満たしていないからだ、と定義する)。プーチンはソ連型の権威主義と完全に異なり、ソ連時代の計画経済の失敗から、国家が中心的役割を担う(権威主義)が市場経済を尊重し、労働者層に特別の注意を払う。片や今の西洋では大衆を基本的にはポピュリストにしか意味のないものとして軽蔑する風潮がある。

3.西洋の代表であるべきアメリカはプロテスタンティズムの基本を逸脱することが続き、富の著しい偏在と、一部エリートの理論第一の政治が弱者救済という名目のもとに逆差別を生み、国の分断を引き起こしている。今回のトランプ政権への期待はそういう内在する課題(陰謀論など)の裏返しであろう。著者はこの観察の結論として、今のアメリカは ニヒリズムに支配されている、と結論する。これは恐ろしい予言ではないか。

4.NATO諸国の間に生じている摩擦もその根底には、上記したとおりロシアの現実についての誤解があり、それがスカンディナビア諸国の中立放棄などの結果を引き起こした。他方、欧州各国を除いた ”そのほかの国” がロシアに理解を示し、あるいは公然とロシアに加担している、しようとしている現実は明確である。このあたりの議論で、著者は hubris (傲慢、自信過剰)という単語を使っているが、これは特にアメリカの行動を理解するのに意味があると感じる。

5.このような 西洋の混乱 の理由が宗教の変節によるのだ、と言われても我々日本人(基本的には無宗教)には理解しがたいのが当然かもしれない。著者は人類学の大家でもあるのだが、その見方からすると、日本とドイツは家族構造が類似していて(そのほかの西欧諸国とは違って)、いわゆるグローバリゼーション論者とは一線を画し、国々はすべからく違う存在だと考える点で共通しているのだそうだ。このあたりについて考えることが、文頭にかいた トランプ以後、についての議論にも資するのかもしれない。

やっと一応読了はしたが、論旨には賛成する点が多く、特に中段で展開される論旨は明確な数字をベースとした、説得力に富む明快なものなので、一息いれたうえ、覚悟して再読したい、と思っている。こういう本は珍しい。

 

エマニュエル・トッドはフランス人口統計学者歴史学者人類学者学位Ph.D.ケンブリッジ大学1976年)。研究分野は歴史人口学家族人類学。人口統計を用いる定量的研究及び家族類型に基づく斬新な分析によって広く知られている。フランスの国立人口学研究所に所属していたが、2017年に定年退職した[2]2002年の『帝国以後』は世界的なベストセラーとなった。経済現象ではなく人口動態を軸として人類史を捉え、ソ連の崩壊英国のEU離脱や米国におけるトランプ政権の誕生などを予言した。

 

 

 

八ヶ岳南麓も雪です  (グリンビラ総合管理HPより転載)

現在の外気温マイナス0度、雲が多いですが時折青空ものぞいています。さて、市内昨晩雪が降りました。薄っすらと積もり、アイスバーンも多く非常に危険な道路状況です。

塩カル散布の道路もありますが、ブラックアイスバーンになっていますと滑りますので安全運転第一です!

 

不眠・便秘・夜間頻尿などに悩んでいませんか? (普通部OB 篠原幸人)

小生、1月4日ごろからインフルエンザに罹患し(予防接種は受けていたのですが)、発熱はなかったのですが、消化器症状と咳・痰、更に倦怠感が続いてダウンしていました。しなければいけない仕事は何とか出来るのですが、何となくだるくてやる気があまり出ない。恒例のゴルフ大会も初めて欠席しました。やはり昔と違って、体調不良が長引きますね。でもそんな時は無理せず、今まで以上に身体を休ませることにしています。しかし、先週からゴルフもテニスも復活しました。この「徒然」を再開したのも元気になってきた証拠と思ってください。

年齢と共に、病気とは言えないほどだが、起こってくるものに不眠、便秘、夜間頻尿などがあります。特に70~75歳以上の高齢者には不眠が35%以上、便秘は50%以上、夜間頻尿(夜中に2回以上トイレで起きる)は20%あるいはそれ以上あると言われています。

不眠に対しては、睡眠薬を常用している方もおられるでしょうが、一般的な睡眠薬は認知機能を低下させる可能性があり、お勧めできません。しかし最近の新しい睡眠導入物質には生体内にある比較的無害なものもあります。かかりつけの先生と相談し、古い睡眠薬と少しづつチェンジしていくことも必要です。

便秘も大敵です。年齢と共に筋力ばかりでなく腸管の運動能力も落ちてきます。更に沢山お薬を飲んでいる方はそれが便秘につながらないか主治医に相談してください。また食物繊維や水分摂取不足、合併する病気によっても便秘がひどくなります。先日亡くなられたTさんは高齢女性によくあることですが、なかなか便通のことなどは外来でもおっしゃらない方でした。しかし強い便秘があったようで、トイレで長く息んでおられたのかその直後に普段は高くない血圧が急に上昇したようで、脳出血で亡くなられたとのことです。

夜間頻尿は多くの方の悩みの種ですね。不眠の原因にもなります。しかし市販の漢方薬などでは効果のある方は少ないようです。特に、夕食時の中等量以上のお酒や水分の過剰摂取は出来れば避けるべきです。最近、キッセイ薬品からのミニリンメルトというお薬を出した患者さんに著明な夜間頻尿減少効果がありました。ご本人もびっくりされたほどです。但しこれは副作用も多い薬です。主治医とよく相談して使用可能な場合のみ試しに使ってください。

老化は認知障害ばかりでなく、不眠・便秘・夜間頻尿などの形でも忍び寄ってきます。早めの対応が必要です。 食生活の注意・多量の飲酒制限・出来る範囲で身体を動かすこと・月並みだけれど規則正しい生活・細かい体調変化への早めの対応、なんてもう聞き飽きたかな。

エーガ愛好会 (300) 地上より永遠に

月いち高尾、何回目だったか忘れたが、故後藤三郎の友人で参加していた川名君と映画の話になり、それがきっかけで始めてみたこのシリーズも実に300回になった。各位のご協力に感謝である。記念すべき300号ははからずもかつて名作といわれた作品をめぐって、いわば時代観の相違というべきか、この企画はじまって以来の論戦となった。このあたり、企画のレーゾンデートルだろうと信じて満足している。

(42 保屋野)誰かが云っていましたね。「名作とはツマラナイものと心得よ」掲題エーガはその典型でした。

真珠湾前夜のハワイの陸軍中隊を舞台に、兵士へのイジメ等過酷な世界を描いたベストセラーの映画化らしいですが、脚本がイマイチなのか、面白くも無く、感動も無く(テーマが)良く分からないエーガでありました。

ただ、俳優陣は豪華で、ランカスター、モンティー、の男優陣、カー、リードの女優陣は目の保養になりました。しかし、二組の恋愛劇は超陳腐でランカスターとモンティーの魅力を半減させていましたが・・・これがアカデミー作品賞?・・・私の感受性が(老化により)劣化してるせいなのでしょうか・・・70年前に観たら「傑作」と思ったかも?

(44 安田)外連味の無い160kmストレート、外角低めのストライクの感じです。僕も保屋野さんほど辛口ではないですが、似たり寄ったりです。

小津安二郎の「東京物語」を最初観た時、”なんでこの映画が世界的に賞賛されるのか?” と訝しがったものです。絶賛するドイツの監督ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders) をあまり理解来ませんでした。「地上より永遠に」も同じようなもので、僕のような素人凡人にはその素晴らしさが理解できない極上の代物なのかと思ったものです。ランカスターとカーの波打ち際のラヴシーンは、’50年代当時としては、発想といい、舞台のユニークさといい、2大スターの絡み合いといい、語り草になっていますね。「慕情」のウイリアム・ホールデンとジェニファー・ジョーンズの海岸べりのラブシーンは、もしかすると「地上より永遠に」にヒントを得たのかも?

(HPOB 金藤)「地上より永遠に 」 観ました。   お二人と全く同じ感想です。 出演者にモンゴメリー・クリフトの名前があったのでわざわざ観たのですが・・・プンプン

(編集子)このことについては、まさに年齢のギャップを感じます。僕らの年代でこの映画は確かに高い評価を受けているし、小生も感銘とまでは行きませんが、いいフィルムだったと思っています。考えてみると一つひとつのカットなんかの問題でなく(この間も書きましたけど、シナトラを失ったモンティが一人でトランペットを吹くシーンは気に入っていました)、この映画の意味は、そのメッセージ性だと思います。やっこたちとほぼ一まわり年長の僕らには、小学校時代に身をもって感じた戦後の窮乏、アメリカ人に対する混乱した思い、そんなものが”戦争”の無意味さ、組織というものの非情さ、そういうものを理屈ではなく肌で感じた記憶があります。戦後、イタリア映画に同じようなテーマを持った作品が多くでましたね。この作品もそういう感覚で受け取られるべきものなのだと思います。ドナ・リードは本国へ帰る船の上で、事情はまったく違うデボラ・カーに自分とモンティの間柄を嘘で固めて打ち明けて、せめて自分なりの決着をつけようとします。裏を知っているカ―の複雑な思いの表情が胸に響きました。あれは単に恋愛ものの都合のいい決着ではなく、そういうものを引き起こした戦争という愚挙への怒り、その思いが永遠に消えないものなんだ、ということ、それを骨身に感じた人間にずんとひびいたんですが。

’(保屋野)これまでも、賛否分れた「名作」が多くありましたね。記憶にあるのが、「道」」「パペットの晩餐会」「市民ケーン」「我が谷は緑なりき」「レベッカ」・・・各自の感受性や好み及びこれらを観た年齢等も影響してるのでしょう。評価が分かれるのは当然で、これも「エーガ愛好会」の良さなのでしょうね。満場一致、というのは、「ローマの休日」「大いなる西部」「サウンド・オブ・ミュージック」・・・大傑作と評価の高い「第三の男」や「荒野の決闘」でもイマイチという変人(私?)がいましたね

(普通部OB 船津)中司さん、同感!何か皆様がボロ映画と酷評して居るのに違和感を感じていました。貴兄の解説に賛同致します!

グーグルでもなんでもこの映画を探すと必ずこのシーンが第一にでてくる。これが今回議論を呼んだ原因かもしれない。

(33 小川) あらためてプライム・ビデオで観ました。ノスタルジーに溢れていて懐かしかった、戦後7年、中学生時代の作品ですね。皆さんとの感想の違いはジャイさんと同様、育った時代背景の違いでしょうね

 

 

乱読報告ファイル (70) バルセロナで豆腐屋になった   (普通部OB 菅原勲)

「バルセロナで豆腐屋になった」定年後の「一身二生」奮闘記(著者:清水建宇、岩波新書、2025年)を読む。

一身二生(イッシン ニショウ)とは、聴きなれない言葉だが、著者によると、この出典は福沢諭吉の「文明論之概略」(1875年)に出て来る言葉のようだ。「方今我国の洋学者流、その前年は悉皆漢書生ならざるはなし、・・・恰も一身にして二年を経るが如く、一人にして両身あるが如し」。(著者:このところの我が国の洋学者たちは、ことごとく以前は漢学を学んでいた人たちである。まるで一つのからだで二つの人生を生きるかのように、一人のなかに二人いるかのように)。こりゃー、まるでR.L.スティヴンソンの「ジキル博士とハイド氏」(1886年)じゃないか(だが、こっちは二重人格か)。小生も、昔、同じ岩波新書(1986年)で、丸山眞男の(「文明論之概略」を読むの上・中・下巻)を読んだ記憶があるが、誠にお粗末ながら、その内容は全く覚えていない。いや、もしかしたらどうにも手に負えなくて上巻の半ばあたりで途中棄権していたのかもしれない。

実は、朝日新聞の記者だった著者が、定年後、バルセロナで豆腐屋になると最終的に決意したのは、伊能忠敬の生涯に触れてからだ(小生、まだ読んでいないが、伊能については、井上ひさしの「四千万歩の歩み」(1990年)、太田敏明の「一身二生」(2018年)などがある)。

千葉の佐原村の大地主であり、広範囲に酒から廻船業までを営む伊能家に見込まれ婿養子になった伊能は、49歳で隠居する時の伊能家の財産を30万両、今の貨幣価値でおよそ75億円にも増やしていたと言われており、極めて有能な事業家として前半生を終えている。以降の後半生は、皆さんご存知のように、16年間で通算10回の測量を行い(4回までは自腹を切って負担)、日本全国を徒歩で調べ、その地図を作製した。当時の平均寿命は40代半ばとみられているが、73歳まで生きている。つまり、伊能は、一身二生そのものを体現しているわけだ。

さて、著者は、一身二生を実現するに当たって、その移住先をバルセロナに決めたわけだが、その決め手となったのは、取材で世界各地を訪れた経験から、唯一、アジアから来た異国人を奇異の目で見られなかったのがバルセロナであったことだ(著者の本音は、終日、拝めるA.ガウディのサクラダファミリアにあったのではないか)。また、移住であれば、何年も暮らすことになる。ところが、バルセロナの豆腐は中国製らしく日本のものとは全く違う代物で、例えば、冷ややっこや湯豆腐で食べることなど出来ない。そして、豆腐大好き人間である著者が何年もそれを食べるのを我慢することも出来ない。さすれば自分で作るしかない、ということで、バルセロナに日本の豆腐屋が誕生することになるわけだ。

著者は、2007年、秋、停年退職し、その後、日本で、スペイン学校に通い、豆腐屋で修業し、中古の製造機械、道具などを購入し、バルセロナで店の物件を探し、改装工事を発注し、労働居住ビザ取得の手続きを進めるなどなど。そんな準備のためにかれこれ3年も掛かって、2010年4月、62歳の時に、晴れてバルセロナに豆腐屋を開くことになる。

豆腐の製造は著者の責任だが、売り場を預かるのは奥さんだ(著者はカミサンと呼んでいるが)。ところが、ほぼ10年後の2020年、何事にも蛮勇を振るって頼りにして来た奥さんの乳癌が再発、転移したことから、治療に専念するため二人で日本に帰国することになった。

その結果、バルセロナの豆腐屋は他の日本人に引き継いで貰うことなり、後日談だが、著者によると、この豆腐屋は、その後、益々発展しているようだ。しかし、それに引き換え、悲しいことに奥さんは亡くなってしまう。

「おわりに」で述べているように、著者は、一身二生するためには、用意周到が必須条件である冒険者の心得が足りなかったと反省する。例えば、バルセロナの豆腐事情すらよく調べず、アジアからの輸入品やドイツ、スペイン製が沢山出回っていることも知らず、突進し、お客の動向をつかめず、多くの人を雇って資金繰りで苦しんだ、などなど。しかし、一方、その冒険の甲斐もあった。新たに大勢の友人を得、沢山の事を教えられ、学び、喜びを分かち合うことが出来た。「心穏やかな日常」は手放したが、それに勝るとも劣らない「宝物」を貰ったのだ。

(HPOB 小田篤子)私の読みたい本のメモにも載せていた、「バルセロナで豆腐屋になった」の感想読ませて頂きました。

海外のお豆腐は、甘かったり、硬かったりしますが、その地の人の好みもあり、開業するまでの経緯を知りたいと思いました。東京タワーの下にもある「とうふ屋うかい」が我が家から近い所にあり、時々利用しています。ちょうど我々の年齢にはお豆腐料理は食べやすくて良いですね。
✩私も見たいと思っていた《蔵王の樹氷》に斎藤カメさんご夫妻が先頃行っていらしたようですが、夫の勘違い?もあり、我々は八甲田の樹氷や函館に来月行くことになりました。
函館では、本「レイモンさんのハムはボヘミアの味」のレイモンハウス(歴史展示館)に行く予定です。
こちらはボヘミア(カールスバート)生まれのカール·レイモンさんが北欧、ドイツ、パリ、アメリカ、日本、カムチャッカ等を経て、函館で勝田旅館の娘と巡り会います。
駆け落ちのように結婚し、祖国や満州、北海道等で色々な悲しい出来事を体験し、最後は函館でソーセージ作りで成功する…というジェットコースタードラマのような実話です。

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一身にして二生を経る  森岡清美(成城大学名誉教授)

 「一身にして二生を経るが如し」とは、福沢諭吉(1835-1901)が『文明論之概略』(1875)の緒言で漏らした述懐である。二生とは二つの生涯のこと、今生と後生あるいは前生と今生をいう。前生はこの世に誕生する前の生、後生は死後の生であるから、現在の一身では今生だけしか経験できないところ、前生と今生の二生をこの一身で経験するような人生であると、諭吉は述懐したのである。彼は中津藩士の家に生まれ、蘭・英両語学力で幕臣として出世コースに乗ったが、明治維新以後は仕官せず、慶応義塾を創立して日本の教育・言論・思想に大きな影響を与えた。維新後を今生と把握すれば、それ以前は前生というべき落差のあることを、60歳を超えた晩年の回顧ではなく、早くも40歳で実感していることも注目に値しよう。