”霧の山稜”   (33 金井隆儒)

 

(金井)私の背番号はS33Pですが、奇しくもワンゲルの誕生と同じで今年、90歳になります。今回の90周年記念パーティで諸先輩をはじめ、メンバーの元気な姿を拝見して嬉しい限りでした。

実は私の二番目の兄が明治大学のワンゲルに在籍していましたが、彼に加藤泰三さんの本 ”霧の山稜” を勧められ、一読して感動したものです。

私が好きだった場所は奥秩父やすすきの美しい玄岳、南アルプスでいえば忠兵衛小屋当たりでした。ほかには秘密にしていましたが、黒部欅平に戦時中に掘削して作られたエレベータがありました。今はどうなってしまったかわかりませんが。

(編集子)金井さんは小生入学時点で4年生、いくつかのプランでご一緒させていただいたが、中でも初夏に奥秩父金峰を中心としたエリアに連れて行っていただき、秩父の雰囲気に浸ったことが忘れられない。黒いベレーをかぶっていつも笑みの絶えない、温厚な先輩だった。奥秩父での感想を正直にうちあけたら、そうか、秩父が気に入ったのなら、この本が好きになると思うよ、と紹介していただいたのが、表題にした ”霧の山稜” という本だった。

1年の夏、立山から槍まで9日間雨、雨、雨、の縦走でのことなどの記憶もあるが、文中で ”好きな場所” として挙げておられる玄岳(くろだけ)には心ひかれて都合3回ほど通った。いまは高速道路を通すためにあたりは一変してしまったのが悔しいが。

”霧の山稜” を読んだことが、KWVでの小生のありようを決めてしまったように思える。だれにも ”この一冊” というような出会いがあるのかもしれないが、僕の ”この一冊” は間違いなくこの本だったし、金井さんとのいくつかのワンデルングであるようだ。

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小生の心のふるさとであり続けるKWVも90年の歴史を刻んだのだが、創部間もなく太平洋戦争に突入、先輩方の多くが戦火に倒れられる悲劇となった。終戦後、復員された先輩方多くのご努力で復活したKWVだが、祖国が立ち直り、キャンパスが復興していった昭和30年代になって、多くのご努力が実り、現在の部の在り方が定まったのだ。そのいわば第二の出発点にいあわせたわれわれには、その頃の部のありようを後輩諸君たちに伝える義務があるだろう、といいうことを記念式典で改めて思ったことだった。

いろいろなやり方があるだろうが、本稿では各時代、時代にいわせたKWVER、それぞれが遭遇したエピソードをつづっていただき、 ”俺たちKWV” 点描を掲載していきその一助としたいと思い立った。とりあえずは36年組にとって大兄貴、だった金井先輩の一文をお届けする。今後、各代各代でのありようのご投稿を、引き続き期待したい。